miracle

凛佳

九死一生

私の人生はまるでジェットコースターのようなもの。

いい時があったかと思うと、いきなり奈落の底に突き落とされる。

また、ふいに訪れた幸運も、あっという間に、粉微塵粉々になってしまう。

ところが、不思議なことに不幸な出来事が起きると、その不幸の中からまた小さい芽が伸び、やがて私たち家族や私の人生を彩ってくれる。まるで何もしていないのに季節がめぐるようなもの。つらい冬の後には、春が訪れ、私たちの人生に輝きを与えてくれる。


結局人生は、その繰り返し。

決して、いいことと悪いことは別々にやってくるわけではない。

悲しいことの中には必ず喜びの種が潜んでいる。私たちは自分たちに起きたさまざまな事件からそれを学んできた……。だが、あまりにも壮絶な運命のいたずらに私は言葉を失った。


2019年、冬。

元号が「令和」へとと変わった年だ。秋には東日本に大きな台風が訪れ、日本国内に甚大な被害が出た。世間は慌ただしく動いていた。


私たち家族はダイビングや、スノーボード、国内外問わず旅行に行ったりとアクティブだ。

特に冬は子供たちが大好きなスノーボードをするために、雪山へ出かけた。子供たちは木枯らしが吹く頃になると、司に連れて行って欲しいとせがむ。彼はスノボーが得意だからもちろん異論はない。


私はといえば、寒がりだし、道路が凍結した際に車のタイヤが滑ってハラハラしたことを思い出すと怖いから、雪山へは一緒に行く事はあまりない。お家で留守番してヌクヌク一人気ままに過ごすのが一番だ。


「ねえ、パパ、スノボー行こうよ」

次女の海が司の首に抱きつく。

「お願い、お願いっ」

三女の萌がさらに背中から司に覆いかぶさる。

甘えるときはとことん司に甘える。

もちろん司もまんざらではない。

「わかった、わかったよー、おい、萌、重いってば」

「行くよね、行くよね」

「行くよ」

「やったー」

二人してはしゃぎだす。

「また長野に行こう……。凛もいくよな」

司がふたりを両腕で抱きかかえながら私に声をかける。

「えー、3人で行ってきなよ」

どこかに行くとなると、3人はセットのようなもの。


司はカーレーサーになりたかったらしい。雪山の道路ではその片鱗を発揮する。くねくねとしたカーブを爽快なハンドルさばきで走るときはまるで少年のようにイキイキしている。

要するに娘たちの誘いは、待ってました、というところ。

司は私の答えも待たずに、勝手に行くものと決めつけ

「凛は、俺が探す温泉にでもいってなよ」

「いくわけないでしょ」

私は断固としていく気がなかった。

寒がりだからというのも理由の一つだが、一緒にいたいと思える感情が薄くなって消えかけていたからだ。ゴルフの一件以来、私たちの溝は徐々に徐々に深まっていって最近では必要最低限しか会話もない。結婚指輪を外そうかと思って試してみたら、孫悟空の頭の輪(きんこじ)みたいに抜けない。どうやら数年前に指を骨折して関節が太くなってしまったからみたいだ・・・



そのスノボー旅行は友人の家族と行くことになった。決まった。

私たちはキャンピングカーを所有していた。比較的コンパクトで、ハイエースを少し大きくしたくらいのサイズだった。

小ぶりとはいえ、6人は寝られるスペースがあり中古で買った割には室内がとても素敵だった。


前日、司は仕事で深夜に帰宅した。


「私も行こうか」

司一人だけでの運転は気がかりだったし、ちょっと気の毒だな、と心配になったのと、友人に迷惑が掛かるのも申し訳ないので仕事から戻ってきた司に声をかけたのだ。

「ほんとか、助かる」

司はうれしそうに笑った。


少しだけ芽生えた優しい気持ちがこの悲しい出来事につながってしまった。


司は少し仮眠をとり、数時間後の早朝に、私たちはキャンピングカーに乗って、菅平を目指した。

中央高速で茅野まで私が運転し、あとは司の運転でビーナスラインを北上、した。白樺湖畔を抜け、目的地へ向かった。

ゲレンデに着くと娘たちはさっさと起き出し、友人が待っているラウンジへ向かっていった。

「おはようございます、今日はよろしくお願いしますね」

と友人のご両親があいさつに来た。私たちは慌てて車から降りて

「こちらこそ。今日は晴れてよかったですね」

と会話をしている間に子供たちは準備を終えて、

「パパ、先行っていい?」

とリフトに飛び乗った。娘たちはすさまじい勢いで斜面を滑りおりてくる。司も遅れてリフトに乗り込み娘たちに負けじと運動神経の良さを生かして、雪上に弧を描いて滑走した。

私はサングラスをかけて白銀のゲレンデで楽しむ父子と友人家族をまぶしそうに眺めた。

それはつかの間の幸せな光景だった。私は無事ここまで来これてよかったと思った。娘たちの爽快な滑りは私に元気をくれた。


夜は友人の家族たちとのにぎやかな夕食を終え、明日の朝の打ち合わせをしてキャンピングカーに戻った。


「さ、明日も早くから滑るんでしょ? 早く寝ないと、起きられないわよ」

「お風呂はいかないの?」

「だって、もう遅いし……」

「疲れが取れないからお風呂行きたいよ」

司は車のエンジンをかけた。


「ちょっと気持ち悪い……」

海が小さな声でつぶやいた。

「?どしたの? 吐きそう?」

「うん……、ちょっと……、だめかも……」

そういって海はドアを開け、靴を履いて外へ出て行った。私も後を追った。

海と私が車へもどってきたら、続いて、萌が

「私もなんだか……気持ち悪い……」

と急いで車外に出ていき嘔吐をしはじめた。

海は昼間の元気な姿とは打って変わって青ざめ横たわっていた。


私たちは相談して、帰宅を決めた。

翌朝、友人夫婦に事情を話して別れを告げ、私たちはもと来た道を逆戻りして、山の麓にある診療所に向かった。子供たちは診察を受け点滴を打ち、少し元気を取り戻した。


まだ雪道だったので自宅に向けてキャンピングカーを走らせたのは司だった。

車中では、司も疲れが溜まっていたのか、口数が少なかった。

ふたりの子どもは海も萌もあっという間に寝てしまい、司と二人で、行きとは打って変わって、静かに車の中で過ごした。


「ねえ、大丈夫?」

私は彼を心配して声をかけるとた。

「高速に入ったら運転変代わってくれよ」

と力なく頼んできた。

司は前を向いたまま答えた。看病であまり寝ていなかったし、スノボーの疲労もお風呂に入りそびれたから取れていないのだろう。


「途中で帰宅は残念だったけど……」

「そうだな。また来ればいいさ……」

風の強い日だった。

時折、ぶぉぉぉぉーという音とともに、大きな風が車上を吹き抜けていく。た。

雪を降らせる青黒く大きな雲が私たちの頭上を越えていく。

高速に乗ったらすぐに、運転を代わるためにサービスエリアに寄った。運転を変わる為に。

お昼ごろだったから、サービスエリアは家族客で賑わっていた。私はレストランの席を確保して、司と並んで座った。子供たちはすっかりぐっすり寝ており、降りても来なかった。熱いコーヒーを二杯飲んだ。


「司、運転代わるよ」

私は彼に言った。

「寝た方がいいよ」

「そうだな……。ノロウイルスうつるかもしれないから、上で寝るか……」

上とは、運転席の上にあるバンクベッドのことだ。

「凛、高速だから任せるよ」

「大丈夫、休んで」

「気を付けてね」

司は何気なく言った。


サービスエリアの駐車場で司から鍵を受け取り、私は運転席に座った。エンジンをかけ、主線へと合流する。した。司も、早々に眠りについたようだ。


ラジオでは、古いポップスが流れていた。

どこかで聴いたことがあるけど、そのまったりとした歌声に私は聴くともなく耳を傾けた。


私はラジオに飽き、外の気配に意識を向けた。


ゴゥゴゥという風の音に、時折、ブォォォーという激しいうねりのような音が混じっている。


家族全員が深い眠りに落ちている。

私は少し気持ちが翳った。

私って、いつもこうだ。家族はわいわいにぎやかだけど、私一人、なんだか孤独。子供たちはだんだん大きくなってきて、自分の暮らしと未来に忙しい。司は私をかまってくれるけど、それが本当に私のことを思ってのことなのかがわからない。彼のアピールは結局、自己満足なのではないか。司は、司という自分の劇場のいつも主人公で、私はその劇場の上で踊る単なる踊り子のひとり。私の代わりはきっとまた現れる。私がこの場を去れば、またきっと新しい女優が現れる。司は、次の女性に猛アピールして劇場は賑わう。その頃、私はどこにいるのだろう。きっと遠い遠い海の見える街で、深く深く海に潜って、海中を散策しているといいなと思った。


トンネルに入った。

私はトンネルが嫌いだ。

暗いし、とても閉ざされた気分になる。

そしてトンネルを出るたびにまた私は現実に戻った気がする。


きっと、人生とはこういうことの繰り返しのことだろう……。


また新しいトンネルを出る。

突然、大きな横風に車体が揺れ始めた。

ハッとして強くハンドルを握った。

「ねえ、誰か」

車中の家族は誰も反応してくれない。

「ねえ、ちょっと誰か!」

車の揺れは少しずつ大きくなっていった。


だめだ、ハンドルが効かない。


「ねえ、起きてよ、司、司!」

「ねえ、ねえ、みんな起きてよ。こんなに揺れてるんだから……」

車は操縦ができなくなりつつある。

このままいけば、車が倒れてしまう!


「誰か、誰か!」

私は効かないブレーキを踏んだ。エンジンブレーキをかけることも頭から抜けていた。


ガタガタガタガタ。


操縦が効かなくなったハンドルを握りながら、私は車が横転することをはっきりと確信した。すかさずともかくバックミラーで後続車がいないことは確認した。意外に冷静な私がいた。でも、横転するとわかっている車をたったひとりで走らせていた恐怖を私は今でも忘れられない。


ガッシャーン。ゴゴゴオゥウゥ……ガガガガ……


車体の揺れは走行に耐えられないほど激しくなり、やはりついに車が横転した。そしてまだ勢いがあったから何回かバウンドして、横になったまま高速道路の上を滑っていく……。そのわずかな時間が数秒間はスローモーションのように目に映った。


「倒れちゃったんだよ?みんな大丈夫?」

「ねえ、返事して……」


やっと止まった


空が変な方向に見えた。

車は運転席を下向き道路側にして、進行方向とは逆向きに倒れて止まった。


「みんな……ねえ、返事をして!」

私は何度も背後の海と萌に声をかけた。

娘たちがやっと返事を返してきた。

まだ事態が飲み込めていないのか、小さな声で「大丈夫」と口々に言った。

「車が倒れたのよ」

私は子供どもたちに向かってい言った。

「うん、どうしたの、何があったの」

海がか細い声で言った。


「怪我してる? どこか痛い?」

安否を気遣った。

「大丈夫……」

「よかった」

私は安堵して力が抜けた。


娘たちはずりずりと体を動かして私の方へ近寄ろうとしていた。

「ここから出ないとね」

まだシートベルトをがとれなくて一生懸命外そうと、おたおたしている私を横切って海が這い出てきた。


ヒビが全面に入っているフロントガラス越しに、人影が映っている。

人々が何かを言っているようだ。何を言っているのかは聞こえない。

そのとき、私たちは車内の異変に気づいた。

「ママ、煙すごい……」

「早く出ないと……」

車内の家電機器がショートして、煙が出はじめたのだ。黒煙がもうもうとせまってきた。

私は恐怖を感じた。早くここを出ないと……

すると、もうフロントガラスの近くまで来ていた海がハンドルを支えにしながら渾身の力を込めてガラスにぶち当たる。なかなかうまくいかない。

「誰か、ガラス割ってください!!」

人影に向かって叫んだ。

「きっとみんなが助けてくれるよ……。海、無理しないで……」

そう言っているのに、彼女は何度も体当たりしている。


萌も前に移動してきた。できた。でも私はまだシートベルトが外れない。

黒煙にまかれて、だんだん息が苦しくなってきた。

「凜、早く出ろ。子供たちを出してやれ!!」

「やりたくったって、外れないからできないんだよ!!」

焦る気持ちだけでなく体が無理な態勢なので本当にとれない……

「海、無理するな……」


やっとシーベルトがはず外せたと思ったら、バキバキベキベキと音がしてひびヒビの入ったフロントガラスの一部に穴が開いた。どうやら外から何かでたたいてくれたらしい……。海がその穴に手を差し込み、ガラスを剥がすようにこじ開けた。外にいる人も協力参戦してくれていた。更にベキベキと音を立ててやっと人が通れるくらいの穴の大きさまでこじ開けられた。


「早くでなさい。爆発するかもしれないぞ」

外から大きな声で誰かが叫んでいる。指示してくる。


「凜、急いで出ろ」

「本当に爆発するかもしれないぞ」

私は、やっと運転席から穴の開いているフロントガラスにたどり着き、後ろを振り返った。


「司は大丈夫? 早く前に来て」

そうこうしている間に、海と萌が車の外に出ていった。


「早くで出ろ!」

「救急車をは呼んだ方がいいかな」

「警察はまだか」

私は車の外で騒ぐ人々が口々にいろいろなことを言い合っている声が耳に入ってきた。


「おれは大丈夫。凛こそ、先に出ろ」

落ち着いた声だった。

「何しているの、待ってるから早く来て」

「ああ、行きたいんだが」

「どうしたの、早く降りてきて」

黒煙で後ろの様子が全く見えない。

「うん……、とりあえず、おれもあとから出るから、凛は先に出ていてくれ」

「煙がすごいよ、苦しいでしょ。早く早く……」

私は叫ぶように言った。

「行く。だから早く逃げろ。今、モカたちを渡すから……」


ああ、そうだった……。愛犬のチワワのモカと、まだ幼いトンちゃんが一緒に乗っていたのだ。

「司……。うん、わかった」

黒煙の中からまずはモカが差し出され、うけとって穴の方へ差し出した。誰かが受け取ってくれた。そして次にトンちゃんを。外に投げ出してから

「ねえ、パパは大丈夫なの? 早く出てきて……」

黒煙が増してきているからなのか動いている気配すら見えなかった。


「いいから先に行け」


司から、後で聞いた話によると、窓のロックが外れ、右足が外に投げ出されて最終的に挟まってしまったたままになった足を抜こうと必死だったらしい。しかし、まったく足は抜けなかった。司は必死にもがいた。

必死で足をばたつかせた。足は抜けない。どのくらいの時間だったかは覚えていないようだ。

やっと足が抜けなんとか犬を渡したが、黒煙で呼吸が苦しくなり、もうこのまま死んでしまうのかと覚悟したらしい。空いた窓の隙間から子供たちを見てたら、「生きなくては!!」と決意し、できる限りいそいで前の席へとはい出した。


私は、後ろを気にしつつ外へ向かって動き出した。穴から出ると新鮮な空気を吸い込んだ。、続々と止まっている車、高速道路の路肩に海と萌とモカ、それに、次々と止まっている車の列が確認できた。

私は半泣きになって、車を出た。

路肩脇にいる子供どもたちのけがの状態を確かめ、そして横転した車を振り返った。

黒煙はもうもうと広がっている。

「ちょっとパパを助けに行ってくる」

ふと見ると、娘たちの足から血が流れていた。後ろの席で寝ていた状態だったから、素足でここまで移動する間に割れたガラスの破片で切ったのだ。


「あ、出血してる、痛いよね……」

「大丈夫だから、パパを見て来て……」

萌が答えた。

私は車に駆け戻ろうとしたが、私も靴が片方ない。はやる気持ちを抑えながら、急いで歩いて車に近づいた。

穴の開いたフロントガラスから、司の頭が見えてきた。

良かった……、生きてる。

姿が見えて来て安心した気持ちも手伝って、地面の冷たさを感じながらも小走りした。


「だめだ、行っちゃいけない」

初老の男性が両手を広げて私を阻んだ。

「爆発したら、どうする」

「でも、夫が中にいるんです」

「えっ」

「ほら、頭がでてきてます!!」


行く手を阻まれてはいたが車に駆け寄り

「ちょっと、大丈夫……、早く出て……」

「いや、これ以上進めないんだよ……」

と、司が言った。

私は言っている意味がわからなかった。でも早く助けなきゃ。私は彼のか両肩を抱きかかえるようにして引っ張り出そうとした。重い……、ほんの少ししか動かない……。そこで近くに集まっていた人に声をかけた。

「すみませんがだれか手を貸してください!」

大きな声で叫んだ。黒煙はまだ出続けている。フロントガラスから更にもうもうと煙が漏れている。


「司……」


司は生きて戻ってきた。

でも、その姿は完全ではなかった。なんで這って出てきたの?

司の右足のジーパンの裾から先が見えず、血だらけになっている。

私はその事態がうまく飲み込めなかった。

どういうこと? 何が起きたの? 


時間というものは不思議。

楽しい時間は一瞬で終わるし、苦しい時間は長く続く。

あのときの時間は私の人生の中でもっとも長い時間だった。

それは永遠のようにも感じた。


私は時々悪夢を見る。

ハンドルが小刻みに震えだし、車体がユラユラ揺れ出して、結局倒れてしまうその瞬間までが頭の脳裏に焼き付いていて離れない。子供どもたちと車を脱出して、やがて司が現れる。

それはもう、時間などの概念が吹っ飛んでしまうほど、衝撃的な経験だった。


そして右の足首元から流血しているした司と再会してから、救急車を待っていたがやってくるまでの正味一時間時間はなんと表現していいのか、まさに無限に続く悪夢のようだった。


「司、ねえ、司、足、どうなってるの」

私は右足が見えていないジーパンの裾の先に、道路に広がった血の海をみ見ながら問いかける。右足がどうなっているのかを理解できなかった。

私はそう言いながらも、

「司、しゃべらなくていいよ」

もう言っていることがめちゃくちゃだ。

「子供たちは怪我してないか?」

「モカたちはどうした」

「みんな大丈夫だから……。それよりパパは大丈夫なの? 痛くないの? 話して大丈夫?」


そして進行方向から人が近づいてきた。薄茶の小さい物体を抱えていた。

「反対車線に出ちゃったみたいだね、気の毒だが」

その男性は私が車からトンちゃんを放り出した時、そのまま走って進行方向に行ってしまったので追いかけてくれたそうだ。

気まずそうに私に近づいて、トンの遺体を私に差し出した。彼は涙ぐんでいた。

「……」


「パパ……、トンが……」

私はトンちゃんが死んでしまった突然の事実を突き付けられ、あまりの唐突さに唖然としただけで、涙すら出てこなかった。

「かわいそうなことをしたな」

司は声を詰まらせながら答えてきた。

私はトンのぐったりとした亡骸と司の足を交互に見ながらパニックに陥っていた。

司の足元には、更に血溜まりができている。子供たちの怪我のことも気になった。周りに向かって

「救急車はまだ来ませんか? 警察はまだですか」

きっと誰かが通報してくれているのではないかと思って問うてみた。

「高速道路だから時間かかるんだろ」

と、答えが返ってきた。


この悪夢のような光景が現実のものとは思えなかった。でも、現実にそこにある。

その自分の理解を超えた現実に私は馴染めなかった。それでも司は目の前にいる。血だらけの司が車から出てきて、私たち3人の前にいる。

その不思議な光景が私には受け入れがたかった。


「車に引火して爆発するから、ここから離れたほうがいい」

周囲から声がかかる。


結局、周囲の人々の助け補助もあり、司は車から少し離れた路肩の方へ移動でき救急車が来るのを待った。その間、私は子供たちがいるところとはもう少し先だったので、司がいるの場所をオロオロと行ったり来たりすることしかできなかった……。

その時間は永遠のように感じた。

 その間に、後続車の中に消火器を積んでいる車がいた様で車の消火は無事出来ていたらしい。

「ごめん、パパ。私……」

「いいよ」

「私の運転のせいで」

「いいってば」

「よくないよ」

「これは事故だよ、仕方ないさ」

「仕方ない」


「私のせいだ、私のせいだ」


「パパ……、もうちょっとで、きっとくるよ」

「うん……」

「痛い?」

司は出血もひどく、意識が遠のいたのか、少し口を閉じ、目をつぶった。


遠くからパトカーのサイレンの音が近付いてきた。警察官は事故の状況を確認してきた。

「そんなことより救急車はまだですか?」

「なんでまだ来ないんですか」

と私はいら立ちを隠しきれず警察官に詰め寄った。

「手配はしてますから……」

その後も事故の事を聞かれた。現場検証だと言われ、ブレーキを掛けた場所まで、片足は裸足のまま歩かされ、いていき心の中では「救急車がこないのはなんでよ……」とイライラしていた。


まだ、こなかった。


遠くのほうから、ピーポーピーポーという音がようやくかすかに聞こえてきた。る。

その音は少しずつ音量を上げ、やがてけたたましい音に変わった。

救急車は徐行しながら私たち家族のもとにやってきた。

私たちがパニックのさなかにいるのに、彼らは冷静で他人事で動いているように見えた。

私たちはどうやら二手に分けられて搬送されるようだった。

飛び散ったガラスで足の裏を怪我した娘二人と私は、大月の総合病院に移送。

司はドクターヘリで甲府の大きな病院へに移送される。する。ヘリが停まれる場所に、別の救急車で移動する為もう一台救急車が続いてきた。


「ヘリに乗って移送されるなんて、本当にあるんだな……」

突然、ぐったりしていた司が言い出した。

「なに言ってるの。痛くないの? 大丈夫なの?」

かける言葉は、何度も同じ言葉しか出てこない。ことしか言ってない。

「ヘリを使ったら、後からいくら請求されるのかな……」

この場でそんな暢気なことを言っていた。


私と子供たちと犬たちを乗せた救急車は先に出発することにとなった。

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miracle 凛佳 @mitsuki13

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