『サンタクロース、あるいは世界を包む優しさについて』

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サンタクロース、あるいは世界を包む優しさについて

 僕にとってクリスマスもクリスマスイブも、日常にあるただの1日に過ぎなかった。


 どんなに周りが騒ごうとも、12月24日は12月24日でしかなかったし、12月25日は12月25日以外の何モノでもなかった。


 そもそも、どうしてキリスト教徒でもないのにクリスマスを祝わなければいけないのか。


 よく知らない神様の生誕を祝うためにコンビニでケーキを買ったり、ケン◯ッキーでフライドチキンを買ったりする。


 それはまったく理解しがたいことだった。


 だから僕は世間ではホワイトクリスマスと叫ばれる朝でもいつもどおりの時間に起き、いつもどおり朝食を済ませ、いつもどおりにバイトへむかった。


 特別なことなど何もない、けれど一方で、どこか苛立ちを感じている自分がいることにも気づきながら一日を過ごしていった。


 夜おそくバイトが終わって、しんしんと降り積もる雪の中を、僕は足はやに家への帰路を進んでいた。バイト先が商店街の中にあったから、クリスマスをいろどるために装飾されたきらびやかなイルミネーションや、それを目当てに集まってくるたくさんのハイエナのようなカップルたちの波を縫うようにして歩いた。


 やがて商店街を抜けると、だんだんと人通りも少なくなり、路地を何本か折れた頃にはあたりを歩いているのは僕ひとりだけになっていた。僕の耳にはもう店員の呼び込みの声も、人ごみのざわめきも、去年のクリスマスを嘆く歌も聞こえない。


 雪の降る音さえ聞こえてきそうなくらい静かだったから、まるで世界には僕ひとりしか存在していないみたいだった。


 そんなふうに静かだと、次第に意識は現実を離れていき、思考のなかへと没頭ぼっとうしていく。


 それにしても、と僕は考えていた。


 いったい彼ら彼女らカップルはどのような想いでクリスマス、あるいはクリスマスイブを恋人と一緒に過ごしているのだろうか。


 べつにねたんでいるわけじゃなくて、単純に疑問だった。だって、そもそもクリスマスとは本来家族で過ごすべき日のはずだ。それを日本では恋人たちのクリスマスだのなんだのと騒ぎ立て、恋人と過ごすのが当然みたいな雰囲気をかもし出している。本来の過ごし方とは異なるのに、みんながそうやって過ごしているからという短絡的な理由で異教の記念日に喜ぶ人たちの姿は、まるでのなかで踊る魚のようだと僕は思った。


「——きゃッ!」


 そんなことを考えていたからだろうか。僕は曲がりかどで、前から歩いてきた人に気が付かずにぶつかってしまった。どうやら相手は女性だったらしい。はじき飛ばしてしまったようで、みじかい悲鳴とともに、身体が雪に沈むやわらかい音が辺りに響いた。


「す、すみません、大丈夫ですか……?」

「イタタタ……もうっ、気をつけてよ!」


 路地を照らす電灯のなかに尻もちをついていたのは、どこかで見たような真っ赤な服を着た女の人で、彼女は痛そうにお尻をさすっていた。


 どこで見たのだろうと僕は思ったけれど、それはいま重要なことではない。


 僕は彼女を助けるために手をさし伸べた。


「ほんとにすみませんでした。考え事をしていて……怪我はありませんでしたか……?」

「うん、まあ大丈夫。ちょっとお尻を打っただけだから」


 積もった雪が衝撃を吸収してくれたのだろう、幸いにも彼女はどこも怪我することはなかったようだ。


 僕はほっと安堵の息を吐く。と同時に、彼女の格好がやっぱり気になって、視線を彼女の全身に彷徨さまよわせてしまった。


 そんな僕の視線に気がついたらしき彼女がいぶかしげに眉をひそめてくる。


「なに?」

「あ、いや、えっと……どこかで見たような格好だなって……」


 しどろもどろに呟いた僕に、彼女はあきれたように言った。


「見たような格好って……そんなの、——サンタクロースに決まってるじゃない」


 ほら、と彼女は僕に服を見せつけるように両手を広げた。


 たしかによく見ると、彼女の身体からだはあの赤と白が混じった特徴的な服に頭からつま先まですっぽりと包まれているようだった。頭は白くふち取りされた真っ赤な三角帽に隠されているし、赤一色だと思っていた服はところどころに白い線が入っている。僕とぶつかったときに落としたのだろう、茶色いブーツに包まれた彼女の足元には、大きく膨らんだ白い袋も雪に紛れ込むように転がっていた。


 なるほど。確かにそれはサンタクロースの格好に違いなかった。


 そう理解すると同時に、僕はクリスマスがサンタクロースの日でもあったことを思い出した。


「ああ、サンタクロースか」


 と僕は微笑ほほえんで、そんな常識的なことを思い出せなかった恥ずかしさをごまかそうと言葉を続けた。


「じゃあ、これからパーティでもあるんですか?」

「パーティ? どうして?」

「だってそれ仮装ですよね?」


 まさか普段着ってことはないはずだ。


「仮装?」


 けれど彼女はそれをあっさりと否定した。


「——そんなわけないでしょ。これはちゃんとした制服よ」


 サンタクロースの格好が制服?


 その意味するところを少しだけ考えて、僕は思い至る。


「あ、じゃあバイトですか。大変ですね、こんな雪のなか」


 けれど僕の言葉を聞いた彼女は、まるで聞き分けのない子どもに見せるようなため息を吐いた。


「バイトって……あのねぇ、キミにはわたしがサンタクロースだっていう発想はないわけぇ?」

「は……?」

「そりゃあわたしは新参者だからそうは見えないのかもしれないけどさ……」


 そういって唇をアヒルのようにしてふてくされる彼女に、僕は困惑して言った。


「ちょっと待ってよ。……じゃあ、きみは自分が本物のサンタクロースだっていうつもりなの?」

「ええ、そうよ。当たり前でしょ?」


 一体なにが当たり前だというのだろうか。少なくとも僕の過ごしてきた常識のなかには、本物のサンタクロースが存在するだなんてことは書き記されてはいない。彼らは架空の存在であり、架空の存在であるからこそ子どもたちに夢を与えられるのだ。


 しかし目の前にたたずむ少女はじぶんをサンタクロースだと言う。サンタクロースを現実に存在するモノとして扱う彼女の言葉。それは到底受け入れられることではなかった。


「……でも、トナカイがいないじゃないか」


 そういう問題ではないような気はしたけれど、不思議と口に出さずにはいられなかった。僕のなかの常識では、サンタクロースの隣には赤い鼻のトナカイがいるに違いなかった。


 でも、彼女は憤慨したように腕を組みながら言った。


「——いたわよ、ついさっきまではね」

「え?」

「キミがぶつかってきたからじゃない」


 と、彼女はなおも責めるような口調を崩さずに言った。そして空を指さして、


「見なさいよ、あそこ」


 視線をその先に向けると、はるか上空を、雪にまじって、なんだか豆電球のようにぼんやりと光るかたまりがただよっているのが見えた。月かと思ったけれど、雪が降りしきる曇天どんてんのなかでは、どんなに強い月の輝きも見えるはずがなかった。


 じゃあアレは?


「——トナカイよ」


 果たして彼女は僕の心の声を受け取ったかのように言った。


「もちろん赤い鼻のね」


 赤い鼻の、トナカイ……?


 なるほど、言われてみればそれは確かにトナカイに見えなくもなかった。よく目をこらしてみると、あわい光のなかに雄々おおしいツノのようなモノが見えた。ほのかな茶色に染まった体らしきモノが見えた。背後にそりのようなものを垂らしながら空を駆けているらしいことがわかった。


 そうやって意識していくと、それはもうトナカイ以外の何モノにも見えなかった。


 だけど、それをトナカイと呼ぶにはいささかの問題があった。


「まさか。トナカイが空を飛ぶわけない」


 と僕はうわごとのように呟いた。


「トナカイが空を飛ぶわけがないんだ」


 彼女は不思議そうな顔を浮かべ、それからまるで幽霊でも見るような視線を僕に向けて、


「……キミ、ほんとうに大丈夫?」


 そのまま世界における普遍的な真理を告げるかのように彼女は言った。


「——トナカイが空を飛ばなかったら、誰がわたしたちサンタクロースの橇を引いて世界じゅうの子どもたちにプレゼントを配りに行けるっていうのよ?」


 僕は唖然あぜんとして、彼女はいったい何を言っているんだろうと思った。


 いや、ほんとうに彼女は何を言ってるんだ?


 トナカイが空を飛べるわけがない。それこそが世界における絶対の真理のはずだった。人が空を飛べないのと同じように、あるいはサンタクロースが存在しないのと同じように、トナカイが空を飛べるわけがないんだ。


 けれど、こうもはっきり主張されると、まるで僕の方がおかしいみたいだ。そして僕と彼女以外の人間が存在しない深夜の路地裏では、僕の自信、それを支えてくれるモノは何もなかった。


 僕のいうトナカイと、彼女のいうトナカイ。


 そこにはエベレストよりも高いへだたりがあるような気がした。


「……いや、やっぱりきみの言葉はおかしいよ。だって、そもそも本物のサンタクロースなんて、いるはずがないんだから」


 でもいつまでもほうけている訳にもいかない。僕は精一杯の虚勢きょせいをもって彼女に言った。認めてはいけない事実を、決して認めないために。


 だけど彼女は毅然きぜんとした声で返してくる。


「どうしていないって思うの?」


 どうしてだって? と僕は笑った。そんなの、決まってる。それは世界をおおう巨大なウソに過ぎないからだ。良い子にしていたらクリスマスにサンタクロースがやってきて、プレゼントをくれるという話を創り出すことで、子どもたちに良いふるまいをすることの正しさを教えるためのウソ。


「だから本当はサンタクロースなんて存在しないってキミはいうの?」


 僕がうなずくと、サンタクロースの格好をした少女は不意にその唇をゆがめた。彼女の瞳は僕をしっかりと射抜いていたけれど、その輝きは枯れていくアサガオを見るような哀しさを僕に思い起こさせた。


「——それはキミが世界の優しさを忘れてしまっただけだよ」

「……世界の、優しさだって?」


 まただ、と僕は思った。またわけがわからないことを言う。僕たちはいま、サンタクロースの話をしていたはずだった。


 なのに、どうしてそこに世界の優しさという言葉が出てくるのだろう。


 サンタクロースと世界の優しさに、いったいなんの関係があるっていうのだろうか。


 僕には彼女の言葉の何もかもがわからない。


「……それは、どういう意味なんだい?」


 考えることを放棄ほうきした僕は彼女にたずねてみる。けれど彼女は僕の疑問の声にはこたえずに、僕から視線を外すと、思い出したように頭上にただよう光るかたまりをあおぎ見ながら呟いた。


「あーあ可哀想に……すっかりおびえてる……。これはしばらく無理かな……」


 それっきり彼女は何かを考え込むように黙ってしまった。僕も同様に、もう一度サンタクロースと世界の優しさの関係についてを考えてみようと意識を脳内に集中したので、路地にはしばらくの間、雪が舞い散る音だけがかすかに耳を揺らすだけの静寂が訪れた。


「——そうだ」


 と、彼女はとつぜん両手を打ち鳴らした。そして僕を指差して、


「キミ、責任とって手伝いなさいよ」

「……手伝うって、何を……?」

「何って、決まってるでしょ? ——プレゼントを運ぶのをよ」

「え、どうして……?」

「当たり前でしょ! キミがわたしのトナカイを怯えさせちゃったんだからっ!」


 理不尽な要求に、けれど僕の口から飛び出たのは根本的な否定の言葉ではなかった。


「でも、僕は空を飛べない」


 たぶん、僕はもう疲れていたんだと思う。


 空を飛べようが飛べまいが、怪しさに満ちた彼女のことを手伝う必要なんてないはずだった。


「キミってさ、たぶん、大学生ぐらいよね?」


 言葉を続ける彼女に、僕はもう何も考えることなく素直にうなずいた。


 そんな僕に、彼女はまるで悪魔のような笑みを浮かべて言ったのだった。


「じゃあ、免許ぐらい持ってるんでしょ?」



◯――◯



 免許は持っていたけれど車を持っていなかった僕は、仕方なくレンタルすることにした。


 借りられる車種は色々とあったけれど、僕はその中からいちばん安い料金だったキャ◯ルを選んだ。


 キャ◯ルを運転して路地に戻ると、電灯に寄りかかって待っていたサンタクロースの格好をした女の子を助手席に乗せ、僕は大通りにむかって車を走らせた。


「なんか新鮮ね。わたし、車でプレゼントを届けにいくのは初めて」


 雪がちらつく窓の外を眺めながらそう呟く彼女に、僕は運転しながら心のなかでため息を吐いた。


 新鮮どころじゃない。どこの世界にキャ◯ルに乗ってプレゼントを届けにいくサンタクロースがいるのだろうか。それはプロ野球選手がベンチ裏でタバコを吸っているのと同じくらい、子どもたちの夢を壊す光景のはずだ。


 ……と思ったけれど、僕はすぐに、いるかもしれないなと考えを改めた。だって、本物のサンタクロースなんて存在しない現実の世界では、基本的に子どもたちの保護者がそれを務めるのだ。中にはキャ◯ルに乗ってプレゼントを買って帰る人もいるだろうから。


 僕は既にここが夢のなかの世界だと結論付けていた。実際のところ頬をつねっても痛かったけれど、そんな些細なことでは僕にこの世界が現実だと認めさせるにたる根拠にはならなかったのだ。


 大通りに出たタイミングで僕は彼女に訊ねた。


「それで、どこに行けばいいの? そんなに遠いところだったら困るんだけど……」


 たとえ夢の中だったとしても、雪道ゆきみちでの運転は厳しいものがあった。あまり長距離を運転して事故を起こすのも夢見が悪い。


 だけど僕の心配はどうやら杞憂きゆうだったらしい。彼女は上着のポケットからスマホを取り出すと、それを操作しながら、


「大丈夫。あらかた配り終わっていたから、あとはこの近辺だけよ」


 といって僕にスマホの画面を見せてくる。


 信号で止まるのを待って、僕がそれを確認すると、どうやらプレゼントを届けに行く先の住所が表示されているみたいだった。


「ふーん。一ヶ所だけ離れているみたいだけど、それ以外はホントに全部この近辺だね」


 と僕は安堵して、


「……というか、サンタクロースもスマホを持ってるんだね」

「けっこう便利よ。衛星写真もみれるから橇に乗っていても迷うことがないもの」


 なるほど、道理だと思いながら僕は運転へと集中していった。


 久しぶりの運転で、かつ路面の状態は最悪だったけれど、僕はなんとか彼女に言われるままに目的地までキャ◯ルを走らせた。


 彼女が白い袋を担いでプレゼントを届けにいく間、僕はひとりで車の中で待っていた。彼女がどうやってプレゼントを渡しているのか気になっていたけれど、路上に車を放っておくわけにもいかない。


 そうして何度目かのプレゼントを渡しに戻ってきた彼女は言った。


「——次で最後ね」


 後部座席に積み込まれた袋をバックミラー越しに見ながら僕は言った。


「まだだいぶありそうに見えるけど?」

「最後のところには子どもがたくさんいるのよ」


 向かった先は、あの一ヶ所だけ離れていた場所で、それはどうやら孤児院のようだった。建物のすぐそばには電飾でんしょくされた大きなモミの木が立っていて、雪がその光を反射しダイヤモンドダストのように輝いていた。


 キャ◯ルを庭に止めて僕は言った。


「じゃあ待ってるよ」


 でも、なぜだか彼女は首をふった。


「キミもきなさい。ここは特別なの」

「特別?」

「そ、トクベツ」


 車をおりて困惑する僕をよそに、彼女は大きな白い袋を肩にかついで歩きだした。


 そのまま孤児院の扉の前まで進んでいき、ためらうことなく扉をノックした。


「こんばんはー」


 ややあって扉が開き、年配の女性が顔を覗かせる。


「……はい、どなたでしょうか……?」


 女性は怪訝けげんそうな表情をしていたが、扉の前に立つ彼女の姿を認めた瞬間、


「あらあら、まあまあ!」


 と弾けんばかりの笑顔になって歓声をあげた。


「よく来てくれたわ!」


 それから背後に振り返ると、建物の中に向かって大きな声で呼びかけた。


「みんなー、サンタさんがやってきたわよー!」


 ばたばたっという音が響いたと思ったら、たくさんの子どもたちが孤児院の中から飛び出してきて、サンタクロースである彼女の周りを蜜の匂いに誘われたミツバチのように群がって行った。


「——うわぁ、ほんとにサンタさんだぁ〜!」

「——すげー! スゲーっ!」

「——プレゼントちょうだい!」

「——あ、アタシも欲しいよー!」

「——ボクもボクも!」

「ほらほら、あわてない、あわてない。ちゃんとみんなの分あるからねー」


 口々にプレゼントをねだり出す子どもたちを、サンタクロースは優しさにあふれた微笑をもって迎えた。袋からプレゼントをひとつずつ取り出し、子どもたちに手渡していく。


 そんな様子を微笑ましそうに眺めていた年配の女性の目が、ふと僕のまえで止まる。


「あら? あなたは……?」


 それは当然の疑問で、軽自動車の前にぼんやりと立っている僕の存在は、童話のワンシーンのようなこの場において、あまりにも似つかわしくなかった。


「えっと、僕は……」


 すぐに答えようとしたけれど、言葉に詰まってしまう。僕と彼女の関係をあらわす適切な言葉が出てこなかったのだ。


 付添人つきそいにん、助手、それとも運転手……?


 そんなふうに僕がなんと答えようか迷っていると、子どもたちにプレゼントを渡していたサンタクロースが先に答えてくれた。


「——彼はトナカイよ」

「トナカイ?」


 年配の女性は不思議そうに首をひねった。


「そうなの?」


 ヒトをトナカイとして紹介するのはあまりにも奇妙なことだったけれど、まあ間違ってはいないと僕は思った。プレゼントを持ったサンタクロースを子どもたちの元まで運んでいく。それは確かにトナカイの役目だった。


「そう……ですね。はい、僕はトナカイです」


 頷いた僕に、女性はにっこりと微笑んだ。


「ふふ、それはそれは。とってもカッコいいトナカイさんね」


 私はニコラと言います、と女性は言った。この孤児院の院長をしているの、と。


 それから僕らは孤児院のなかへと招き入れられ、大きな長いテーブルが置いてある広い部屋に通された。サンタクロースは子どもたちに引っ張られるように部屋の中で遊びはじめ、僕はニコラさんに勧められるままにテーブルについた。


 落ち着いて考えてみれば、子どもたちがこんな時間まで起きていることが不思議だったし、それを当然のように受け入れているニコラさんも不思議だった。


 でも、僕は依然としてここが夢の中の世界だと信じていたから、そういうものなのだと受け入れた。それに、トナカイが空を飛ぶことと比べたら、それは大した問題じゃないと僕は思った。


「トナカイさんはココアはお好きかしら?」


 僕は頷いて、ありがたくいただくことにした。


 それはとても美味しいココアだった。甘くて、温かくて、冬の夜に冷えた僕の身体を隅々まで癒してくれるココア。隠し味にやさしさが使われていると言われても信じられるくらいの味だった。


「ふふ、楽しそうね。あの子たち」


 僕の対面に座り、同じようにココアを飲みながら、ニコラさんは慈愛に満ちた表情で微笑んだ。ニコラさんの視線の先には、サンタクロースと子どもたちがほんとうに楽しそうに遊んでいた。


 僕はふとニコラさんに、この夜のあいだずっと胸にくすぶりつづけていた疑問をぶつけてみようと思った。


「……彼女は、本当にサンタクロースなんですか?」


 とつぜんの質問に目を丸くしていたニコラさんだったが、やがて微笑んで、


「貴方もトナカイとして一緒に付いていったんでしょ?」

「はい」

「じゃあもうわかってるんじゃないかしら」


 ニコラさんの言葉に、僕は思い返す。子どもたちにプレゼントを渡していく彼女の姿を。優しさに包まれた表情で、愛に満ちた微笑みを浮かべていた少女の姿を。


 その姿は、サンタクロース以外の何者でもなかった。


 でも。


「……でも、僕にはやっぱり信じられない。本物のサンタクロースなんて、いるはずがないんです」


 簡単に信じるわけにはいかなかった。


 信じてしまったら、すべてが否定されてしまうような気がして。


 けれどニコラさんは、そんな僕の心中しんちゅうなど見透かしているかのように、ゆっくりとカップをコースターに置くと、薄く微笑みながら言った。


「——貴方のいう本物のサンタクロースって、いったいどういう存在なのかしらね」


 ニコラさんは言葉を続ける。


「偽物のサンタクロースがいるの?」

「それは……」

「あるいは、こんなのでもいいわね。——どうしてサンタクロースはプレゼントを運びにやってくるのかしら?」

「どうして、ですか……?」


 はぐらかされているのかと思い、僕が答えあぐねていると、


「——バカだなぁ、おまえわかんねえのかよ」


 と僕たちの話を聞いていたらしきひとりの子どもが笑った。


「——きょうはクリスマスなんだぜ? クリスマスなんだからサンタさんがプレゼントを持って来るに決まってんじゃん!」


 彼が口にしたのは、到底答えとは言えないようなものだった。


 でも、彼の瞳は純粋なかがやきに満ちていた。サンタクロースが存在しないなど露ほども考えていない瞳。それは世界に対して真摯しんしに向き合っている目だった。


 彼にとってクリスマスが異教の祭りであるとか、サンタクロースが本物か偽物かなんてどうでもいいことだった。


 クリスマスだから、サンタクロースがやってくる。クリスマスだから、プレゼントを持ってサンタクロースがやってくる……。


 僕はなんだかじぶんがひどくいやしい存在であるような気がして彼のかがやきから思わず目をそむけた。


「そんな恥ずかしがることねえって」


 と僕の行動を勘違いした彼はそう言ってまた笑った。


「オトナはみんなそれを知らねえからなぁ」


 そうして、僕は理解した。


 彼の目の輝きの意味も、ニコラさんが言いたかったことも、朝からの苛立ちの正体も。すべて。


 僕はニコラさんに目を向けた。彼女は変わらない微笑みを浮かべて僕のことを見つめていた。


「——貴方が思うよりも、世界はたくさんの優しさに包まれているモノなのよ」



◯——◯



 僕らは孤児院を後にすると、キャ◯ルを返しにいき、それから彼女と出会った路地まで戻ってきた。


 薄くしらみ始めた空から雪とともに降りてきたトナカイは、彼女に優しく撫でられて嬉しそうにしていた。


 ふと思い立って、その鼻を見てみると、それはやっぱり赤い鼻をしていた。


「今日はありがとうね」


 と彼女は言った。


「キミのおかげでみんなにプレゼントを届けることができたわ」


 僕は頷いて、それから言った。


「きみたちは毎年こんなふうに子どもたちにプレゼントを配っているんだね」

「そうね。でも、子どもたちにだけじゃないわ」


 と彼女は優しい瞳で笑った。


「——わたしたちサンタクロースはね、本当に必要としている人のところにプレゼントを届けにいくの」

「だから、これはキミへのプレゼント」

「僕に……?」


 彼女が差し出してきたのは、一枚のメッセージカードのようだった。あるいはクリスマスカードというべきだろうか。いずれにせよ、それは二つ折りにされていて何が書いてあるのかはわからない。


「開けていいの?」


 彼女が頷いたので、僕はそれを開いてみる。


 そこにはこんなふうに文字が書かれていた。


 ——『世界の優しさを、もういちど信じてみる気にはなった?』


「……はは」


 自然と笑みがこぼれる。


 どうやら彼女はすべてを見透かしていたようだった。


 彼女との偶然の出会いは、あるいは偶然ではなかったのかもしれないと僕は思った。


「ほんとうに、きみはいったい何者なんだい……」


 僕は目のまえに立つ、赤と白の混じった服を着た少女のことを見た。


「みてわかんないの?」


 と少女は微笑んだ。


「——サンタクロースに決まってるじゃない」


 そうして少女の姿をしたサンタクロースは、赤い鼻のトナカイに引かれる橇に乗って空を駆けていく。


 その背後を、雪があけぼのの光に反射して魔法のようにキラキラと輝いていた。




《fin.》

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