第4話

 おかしいな……。


 ミスティアは視線を巡らせながら人混みを縫って歩き、キースの姿を探した。


 いないな……。


 役員は腕章をつけている。

 せわしなく動き回る役員の中にキースの姿は見えたらない。


 準備期間は言葉は交わさずとも、その姿を遠くから見ることができたが、イベント当日の今日は姿を見ていない。

 

 寮に戻る前に役員として頑張っているキースの姿を見ておきたいと、何となく思ったのだが、それは叶わなそうだ。


 ミスティアはキースを見つけることを諦めて、今度こそ大講堂を出て一度教室へと足を運んだ。


 読みかけの小説が入っている鞄を持って帰らなければならない。

 今日は寮に戻って静かな寮の自室で小説の続きを読むつもりだ。


 静かな廊下を進み、教室に向かうと人の気配がある。


 まさか……人目を忍んでイチャイチャしてるカップルじゃないだろうな⁉


 このままでは本が読めない。


 危機感が脳裏をよぎるがどうにも教室内にいるのは一人だけのようだ。


 もしかしたら自分と同じく、賑やかな場所が苦手な人がひっそりと教室に避難しているのかもしれない。


 そう考えると躊躇う必要はない。


 さっさと鞄と本だけ持って寮に戻ろう。


 そう思い、ミスティアは取っ手に手を掛けてドアを開けた。


「あれ? ミスティア?」


 聞き馴染んだ声が静かな教室に響く。


 そこにいたのは先ほどまでミスティアが探していたキースだった。

 思いもよらぬことだったため、ミスティアは一瞬言葉を失い、目を丸くする。


「……どうしてこんな所に?」

「休憩だよ。当日を無事迎えられたし、問題なく進行してるから」


 僕が少し席を外しても問題ないよ、とキースは苦笑する。


 イベント準備が始まってから役員としてキースは動きっぱなしで毎日忙しかった。

 

 確かに少しぐらい休んだって罰は当たらないだろう。


「お疲れ様」


 ミスティアは疲労の色を浮かべるキースに労いの言葉を掛ける。


「君はどうしてここに? もしかしてもう寮に戻るの?」


 ミスティアが頷くとキースは『君らしいね』と言って笑う。


「食事はした? 君が好きそうな物もあったと思うけど」

「食べたい物だけ食べて来た。あとはシャマルに会って……」


 君のファンに絡まれかけた、と言いそうになりミスティアは言葉を切る。


「…………オースティン君に会って?」


 何だか渋い顔で続きを促されるがキースのファンに絡まれるのは諦めているし、キースが悪いことをしている訳ではないので黙っていることにする。


 これを苦情としてキースに伝えてしまえば、彼はもう私に話しかけてくれなくなるかもしれない。

 そう思うとそれは惜しい気がして気が進まないのだ。

 

 そこまで大事になったこともないし、今回も睨まれただけで実害はないのだから問題はない。


「彼女を紹介してもらったわ」

「…………彼女?」

「クリスティーナというそうよ。普段は理事長室にいるらしいけど」

「…………そう。彼らしいね」


『理事長室』という単語が出た瞬間、キースも不安気な表情を見せた。

 想像したのはミスティアと同じ未来に違いない。


「……誰かとダンスはした?」


 シャマルに関する話のネタが切れ、キースは小さく息を吐いてゆっくり口を開く。


「してないわ」


 ミスティアは即答する。


 今頃、生徒達は手を取り合い音楽に合わせて準備期間中に練習したダンスをしているだろう。


「僕もまだなんだ。せっかく練習したんだし、踊ってくれない?」


 キースはそう言ってミスティアの前に手を差し出す。

 その優雅な仕草が彼の品の良さを物語っている。


「君、疲れてるんじゃないの?」

「君と踊る体力ぐらい残ってるよ」


 ミスティアの言葉にキースは苦笑する。


「私、下手なんだけど……」

「それは君が練習をサボりにサボったからでしょ。大丈夫、僕がリードするから」


『ね?』と甘えるように小首を傾げられ、ミスティアはドキリとする。

 こうされるとミスティアはキースを無視できないのだ。


「……その足、踏み抜いても知らないわよ」

「踏まれないように気をつけないとね」


 ミスティアはクスクスと笑うキースの手を取る。


「なんだ、結構上手じゃない」

「それは君が上手にリードしてくれるからだって」


 感心したように言うキースにミスティアは言い返した。

 リズムを取りながら歩幅やタイミングが狂わないようにミスティアをリードしてくれるからとても踊りやすい。


「他の人とじゃ無理だわ」

「こういうのは無理に踊るものでもないからね……あれ?」


 踊っている最中に驚いたような声を上げるキースに何事かとミスティアは驚く。

 驚いてしまってせわしなく動いていた足が二人共止まってしまった。


「ミスティア、君、ブローチは?」

「え? あぁ……あれね」


 キースはいつもよりも硬い声音でミスティアに問い掛ける。


「あげたの」

「あげた……? 誰に?」


 繋いだ手がぎゅっと強く握り込まれ、穏やかな瞳が鋭く細められ、ミスティアは少しばかり戸惑う。


「誰にあげたの?」

「え……えっと……その……」


 美しいエメラルド色の瞳が真っすぐにミスティア見つめる。

 その鋭い視線に捕えられ、ミスティアは言葉を詰まらせた。


 そもそも何でそんなことを気にするのだろうか?


「君に花を求めたのは誰?」


 まるで尋問されているかのような冷たい声音が耳に響く。

 冷ややかに感じるその声も何だか特別なものに感じておかしな気分になってしまい、ミスティアは困惑する。


「答えて」


 腰に回された腕も繋いだままの手もミスティアに身じろぎすらも許さない。

 踊っていた時はそこまで気にならなかったのに思った以上に身体が密着していて距離が近い。


 触れ合った場所から自分の激しい心音が伝わらないかが心配だった。 


「ねぇ、ミスティア」


 ミスティアを飲み込もうとするエメラルドの瞳が近づいて大きくなり、気恥ずかしさから何とか視線だけは逸らすことができた。


「しゃ、シャマルの……彼女に! クリスティーヌに! 彼女にあげたの!」

「…………は?」


 何とか言葉を絞り出したミスティアにキースは間の抜けた声を上げる。


 ミスティアはブローチを譲った経緯を説明する。


「そういうことで、今頃シャマルはクリスティーナにブローチを求めて受け取り、ダンスを楽しんでいるんじゃないかしら」


「あぁ……そう……僕はてっきり君のブローチを誰かが欲しがったのかと……」


 ミスティアの説明を聞き、キースは脱力する。

 脱力したと同時に拘束は緩んだ。


 腕の力は緩んだものの、腰は未だにキースに抱かれたままだし、手も繋がれたままである。


「……あらかじめ言っておけば良かったな」


 その言葉にミスティアは目を瞬かせる。


「……欲しかったの?」


 ミスティアはそんなわけないと思いつつも、キースに訊ねる。

 


「……君に伝えておけば今頃僕がもらっていたのに……悔やまれるね」

「ちょっと、何で早く言わないのよ。言ってくれてたら、私……」


 一言くれれば少なくとも陶器の裸婦像に譲ることはなかっただろう。


 自嘲気味に言うキースにミスティアは唇を尖らせ、無意識に中途半端に繋いだままの手を強く握り締めた。

 

 手を握り締めるという行動が自分もブローチをキースに渡せなかったことを悔やんでいることの証明のような気がして、それに気付いたミスティアはぱっと手を放そうとする。


 しかし、今度はキースに強く握り返されてしまい、振り解けない。

 

 自分の手を握り締める大きな手から伝わる温もりに、ミスティアは少し緊張する。

 

 出会った春頃よりも彼の背は伸びてた。

 肩幅も少し広くなり、雰囲気も大人びたように感じる。


 少年から青年に少しずつ変化しつつある彼を前に、ミスティアは緊張したり、ドキドキすることが増えていた。


「ねぇ、知ってる?」


 気恥ずかしくて俯いているミスティアの頭上から声が降って来る。

 キースは繋いでいた手を離し、自分のネクタイの結び目に指を掛けた。


「えっ⁉ ちょ、ちょっと……! 何して……」


 ミスティアは突然ネクタイを外し始めたキースを前に慌ててしまう。

 キースは自分のネクタイを首から外し、ミスティアのネクタイの結び目に触れる。

 そのまま指を滑らせてネクタイの裏地を捲った。


 そこには『M・L』と刺繍が施されている。


「このイベントで特別な関係を示すのは花のブローチだけじゃないんだ」


 胸元を掠めるように触れたキースの指と艶っぽい声がくすぐったくてミスティアの体温を上げた。


 視線だけをこちらに向けて口元に蠱惑的な笑みを浮かべてキースは言う。


「君のネクタイ、僕に頂戴」


 



 

 


 



 


 

 


 


 


 





 



 




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