第5話

 キースは気を抜けば緩みそうになる表情を引き締めて廊下を歩く。


 ブローチを受け取ることは出来なかったが、それ以上に価値のあるものを手にすることができたことを喜ばずにいられない。


 ネクタイの端を裏返すと『M・L』の刺繍が施されている。

 

 自分が身に着けているネクタイはミスティアの、ミスティアが着けているのはキースのネクタイだ。


 ブローチなんて今日という日が終われば外してしまうし、普段から身に着けることはできない。

 今日が終わってしまえば好きな人からもらった思い出の品、ぐらいにしかならない。


 だけどネクタイとなれば話は違う。


 毎日身に着けることができるし、彼女の存在をいつも側に感じることができる。


この学校のネクタイは刺繍を入れなければならないため、申請しないと手に入らないので手間も時間もかかるため簡単に新調できない。


 ミスティアはネクタイの予備が今はないと言っていたので自分と交換したものをつかうしかない。


 自分のネクタイがミスティアの首にあると思うとそれだけで胸が高揚する。

 


「それにしても……」


 可愛かったな……。


 顔を真っ赤にして慌てるミスティアはとても可愛かった。


 ブローチは既に彼女の胸元にはなかったが、もっと早く求めていれば自分に贈ってくれただろう。


「そういうことだよね……あの反応は」


 少なくとも、彼女は自分が求めればその求めに応じて男女間の特別な関係を示すブローチを贈ってもいい相手ぐらいには心を許してくれている。


 そのことが分かっただけでも嬉しくて堪らないのに、ネクタイの交換まで叶ったのだからとても贅沢な一日だろう。


「今日まで頑張ったご褒美かな」


 正直、行事の役員なんて気が進まなかった。


 授業以外の空き時間は会議や準備に追われるし、鬱陶しい生徒はいるし、ミスティアとゆっくり話す時間もなかった。


 準備やダンスの練習でも自分が知らぬ間に他の男子と親しくなっていないかとずっとモヤモヤしっぱなしで落ち着かなかった。


 幸いにもミスティアはダンスの練習はほぼ欠席、準備もモミの木の世話に夢中になり、男子と親しくなった気配はない。


 そのことが分かり、キースはほっと胸を撫でおろした。


 キースの心配は杞憂に終わったのである。


 廊下を歩いていると大講堂の方からこちらに向かってくる生徒の姿がある。


「リオネイラ君、どこ行ってたの?」


 頬を膨らませて猫なで声で言うのは鬱陶しいと感じる女子生徒の一人だ。


「保健室に湿布を貰いに行ってました」

「えぇ!? 大変! 怪我でもしたの?」


 咄嗟に口から出た嘘だったが、女子生徒は大袈裟に反応して心配する素振りを見せる。


「膝をぶつけてしまって。少し休んでました」

「そ、そうなの……」


 キースの言葉に女子生徒は分かりやすく肩を落とす。


 膝を痛めたと言っておけばダンスに誘うことも誘われることもない。

 ずっと前から女子生徒から向けられる好意の視線が煩わしくて仕方がなかった。


 ミスティアに対して敵意を示したことにもキースは気付いている。


 ミスティアからブローチをもらわなくて正解だったかもしれないとキースは思った。


 自分がミスティアからブローチを受け取ってそれを身に着けたら、間違いなくこの女子生徒はミスティアに嫌がらせをするだろう。


 そう考えれば誰とも踊らず、誰からもブローチを受け取らない姿勢を貫いた方が賢明だ。


「やぁ! リオネイラ」


 明るい声が響き、声の方に視線を向けるとそこにはご機嫌なシャマル・オースティンの姿があった。


 その腕には噂に聞くドレスアップされた陶器の裸婦像がある。

 裸婦像には既にブローチはなく、ブローチはシャマルの胸にあった。


「楽しんでるね」

「勿論! これも君達役員が頑張ってくれたおかげだよ」


 そう言ってシャマルは思い出したように腕に抱いた裸婦像に視線を向ける。


「あぁ、リオネイラ、紹介するよ。僕のパートナーのクリスティーナだ」

「よろしく、クリスティーナ。二人とも今日を楽しんでくれているようで嬉しいよ」


 リオネイラはにっこりと笑みを作り、優しく話しかける。

 その様子を見た女子生徒は不気味なものを見るように、少し後退る。


「ダメだよ、クリスティーナ。リオネイラはとても魅力的だけど、君には僕がいるじゃないか」

 

 熱っぽい表情でシャマルは裸婦像を諫める。 


「こんな素敵な女性に見つめられると照れてしまうね。オースティン、君も隅におけない」


 陶器の裸婦像をちやほやし始めると完全に引いてしまったようで女子生徒は無言でその場を立ち去った。


「君も大変だね、リオネイラ」


 女子生徒の姿が完全に視界から消えた所でシャマルが冷静な口調で言った。


「ミスティアには会えた?」 

「おかげさまで」


 シャマルの問い掛けにキースは答える。


 少しだけ疲労が顔に出たかもしれないと自分で思った。


「それは良かった」


 シャマルは小さく溜息をつきながら同情的な視線をキースに向ける。

 

「膝が不調でもミスティアとのダンスは問題ないようだね」

「……誰もダンスをしたとは言っていないけど」


 どうにも膝の件は聞かれていたらしい。

 しかし、ダンスに関しては一言も話していない。


「顔を見れば分かるさ。君は今、とても顔は疲れているけど、目の奥は嬉しさと幸せで興奮しているからね」 


 その言葉にキースはドキリと心臓が跳ねた。


「ほらやっぱり。君は分かりやすいね。気を付けないと周りにすぐ気付かれるよ」


 シャマルは少しだけ茶化すように告げ、キースの脇を通り過ぎる。

 

「じゃあね。僕も寮に戻るから。またね」


 そう言ってシャマルは手を振り、廊下の向こうに姿を消す。


 シャマルとは特別親しい仲というわけではない。

 ミスティアとよく教室の外で話しているので会えば少し会話をする程度の仲だ。


 その程度でしかないのに自分の気持ちを見透かされているようで複雑な気分になる。


 彼は彼でミスティアをとても大事にしている。

 そこに恋愛感情はないとシャマル本人は言う。

嘘か本当かは分からないがキースにとって一番厄介なのは今の所シャマル以外にいない。



 キースは自分が締めているネクタイに触れる。

 

 誰であろうと、僕が一番彼女に近い。


 このネクタイはその証明だ。


 ネクタイの交換には深い意味がある。

 二人の心を繋ぎ、一生を縛るというなんとも重いジンクスだ。


 

 所詮はジンクスでしかない。

 人の心は移ろい、褪せてしまうもの。一生なんて無理な話だ。


 けれども相手がミスティアであるならば、その一生を自分は願わずにはいられないのだ。


 

 

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聖なる日に結ぶ~時計師ミスティア番外編~ 千賀春里 @zuki1030

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