腐った腑(はらわた)
土岐三郎頼芸(ときさぶろうよりのり)
腐った腑(はらわた)
「あなた、騙されてますよ」
「そうなんですよ。あのドクターは1週間以内にドナーを見つけてくれると言ったのに」
「あなたが騙されているのはドクターにではありませんよ。その臓器移植コーディネーターにです」
21世紀に入ってまもないころ。日本語教師の私は教え子の看護師に助けを求められて、その病院の透析室にいた。変な日本人患者が来て緊急に透析が必要になったのだと言う。
海外旅行先で透析を受けることはそれほど難しくはない。ただし、途上国では透析設備は貧弱で透析機の台数も日本に比べて圧倒的に少ない。受け入れ病院との事前の予約や打ち合わせが必ず必要となる。
ところが、この患者は事前の予約がないにも関わらずいきなり来て、透析をさせろと言ったのだ。
ふつう透析のためには腕の動脈と静脈を吻合するシャント手術が必要だ。その患者もシャント手術は受けてはいるが、先月に手術したばかりだと言う。当時日本の医師は2か月はたってから使うことを推奨していたそうで、このシャントはまだ透析に未使用だとのこと。看護師に聞くと術後1か月以上経っているから大丈夫らしい。
今までどうしていたのかと聞けば、残腎機能があるので、1日一、二回のバック交換ですむ腹膜透析を受けていたと言うのだ。
しかも、今回は海外での生体腎移植手術のため、待機期間の1週間分の透析液をわざわざ日本から持ち込んで、ホテルの部屋で腹膜透析を行っていたと言う。その透析液がついに尽きたので、やむなく病院に人工透析にきたのだそうだ。
「コーディネーターの方はどちらに?」
「透析が終わるころに、迎えにくると言っていました」
それで冒頭の会話につながるわけだ。
「その手術をすると言うドクターにはお会いしたのですか?」
「ええ、腎臓病専門のA医師です」
「ああ、大学病院の先生ですね」
「そうです。そうです」
「あなたは、英語なりこの国のことばは堪能ではありませんよね。ドクターとの話はどなたが通訳したのでしょうか」
「コーディネーターの方です」
確定した。そいつは真っ黒だ。
「残念ですが、あなたはこのままいくら待っていても生体腎移植手術は受けられませんよ」
「どういうことですか!ちゃんとお金は払ったんですよ」
患者が血相を変える。
「この国では腎臓ドナーが少ないんですよ。ウエイティングリストには腎移植の順番待ちの方が列をなしています。自国の方でもそう簡単に臓器移植は受けられません。ましてや外国人にはそのウエイティングリストに名前を載せる権利はありません」
「そんな!でもドナーさえいればできるのでは?」
「おっしゃる通りです。でも条件があります。この国では、法律上、近親者以外からの生体腎移植は禁止されています。外国人がこの国で生体腎移植を受ける事はありますが、その場合、自分の近親者を連れてきている場合に限られます。ドナーの現地調達はありえません」
「そ、そんな」
患者と同行している家族が狼狽しだした。
「日本のクソったれな作家が『生きた子供から臓器を勝手に切り取って移植している』なんてデタラメな小説を書いてベストセラーになったり、映画化されたせいで、臓器移植の問い合わせが増えましてね。この国はいい迷惑です。お金を出せば簡単にこの国の人から臓器が買えるだなんて思わないでください」
「・・・・・・」
「最後に、そのA医師ですが、小柄でアゴがしゃくれていましたよね」
「ええ」
「A医師はたしかに腎臓病専門家ですよ。旅行透析を受ける患者さんの関係で顔見知りでして。ただし彼は
患者とその家族は青ざめた。
「信じるか信じないかはお任せしますよ。調べたらちゃんとわかることですから。私にとって、あなた方に嘘をつくメリットは全くないです。あまりにもお気の毒なんでおしらせしただけです。むしろそのコーディネーターと名乗る詐欺師の背後に、マフィアとかがいたら生命が危ないんでこれ以上関わりたくはないくらいですよ」
さて、私もそろそろ引き上げようか。透析室の看護師たちに状況を説明した。
「さっさと帰国することをおすすめしますよ。でも、こっちの病院に迷惑をかけちゃいけないから、帰国までの透析の予約はしておいた方がいいでしょうな。二度とお会いすることはないでしょうが、お大事に」
悪いがこっちも命が大事だ。この患者の件で二度と連絡をよこさないことと、私の個人情報を漏らさないことを強く念を押して私は病院を後にした。
私は似たようなことが相次ぐとかなわないので、在外公館の邦人援護担当に連絡した。
「これって非常に悪質で、生命に関わると思いますが、海外安全情報なりで注意喚起できませんか?」
「えーと、まだその件でお亡くなりになった方はいないんですよね」
「そうですが」
「じゃあ、まだ被害者の方がいないってことですから、事件性はないですから無理ですね」
はあ?ナニを言っているのかコイツは。
在外公館の邦人援護班には警察から派遣されてくる領事がいる。警察官でないと耐えられないようなキツい案件や凄惨な現場にも
ところが、コイツは例外的なクソ野郎だ。ヒトが死なない限りナニもする気はないと言っているのだ。死んでからじゃ遅いだろうに。それがコイツ個人のルールかどうかはわからないが、それ以上話をしても無駄なことだけはわかった。
数日後、教え子の看護師に聞くところによると、例の透析患者は別の街で生体腎移植手術を受けることになったということで、その後の透析予約をすることなく立ち去ったそうだ。その後どうなったか、私は知らない。
幸い私の命も無事である。
悲しいことだが、クソ作家といい、臓器移植詐欺師といい、クソ役人といい、まったく世の中にはヒトの生命をなんとも思わないハラワタの腐ったヤツらがいるものだ。
だから、そういうヤツらから身を守るために、途上国では金さえ出せば簡単に臓器が買えるという考えは捨て去るべきだ。
そして、海外での臓器移植は安易にコーディネーターに任せないで臓器移植について、その国の医療や法律というモノをキチンと自分で調べることをおすすめする。医療や法律も変わるモノだから。
あなた自身があなたを守らないでどうする?
そうでしょう?
腐った腑(はらわた) 土岐三郎頼芸(ときさぶろうよりのり) @TokiYorinori
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