33:Epilogue
二〇〇七年七月十五日 日曜日
ライブが終わり、二週間が過ぎた。
今日はわたしと
「はぁー。たまには何にもない週末もいいなぁ」
「あぁっ!」
何かと思ったら、莉徒が史織さんのモンブランをかなり大きくフォークで切ってばっくりと食べてしまったようだった。
「減るもんじゃなし、何よけち臭いわね」
ウマイ!と言って莉徒は満足したのか、コーヒーに口をつけた。
「減るもん……」
なんだか史織さんがちょっと可哀想になってしまったので、莉徒のシフォンケーキをざっくりとフォークで切って、史織さんに近付けた。
「あぁっ!」
「史織さん、あーん」
「わーい、夕衣ちゃん大好きー」
やはりウマイ!と言って史織さんは満面の笑みになった。姉妹みたいだけど、やっぱり親子だなぁ。
「あ、そうだ史織」
「なぁに?」
「ロハで出演の話、まだ返事来ない?」
あ、その話か。小材さんとも来週打ち合わせることになっている。莉徒主催というよりも、わたしたちMedbと
「だって日取りが判んなかったらすぐには無理だよぉ」
確かに史織さんの言う通りだ。ロハ、つまりギャランティが発生しないのであれば、
「うーん、そっかぁ。じゃあ日取りもそろそろ決めるかぁ」
そう莉徒が呟いたところで入り口のカウベルが鳴った。
「あら、いらっしゃい
「ども、そこで一緒んなったよ」
「あ、英介」
小材さんと英介だ。英介は来るって聞いていたけれど、小材さんもその予定だったのかな。まぁどっちでも良いや。楽しかったら何でも良い。わたしはここのところ楽しいこと続きでとても幸せだ。
「うぃー。あ、し、史織さん!ども!」
「わーい英介君だー!イケメン!かっこいいね!」
「え、あ、や、まぁ……」
英介はこの間のsty-xのライブを観てからというもの、史織さんを尊敬しているらしい。わたしだってそうだけれど、やっぱり史織さんのギターってそのくらい凄かった。
「史織もえーちゃんって呼んでいい?」
「あ、こ、光栄す!」
「し、史織さん、今度あたしのギターにサインしてください!」
あ、そういえば小材さんも史織さんのファンなんだった。やっぱり史織さんて凄い人なんだなぁ。
「穂美ちゃんだよね。うん、いいよー、ていうか史織のサインでいいの?」
確かに、sty-xといえばまずは、ボーカルの香織さんが思い浮かぶかもしれないけれど、小材さんは史織さんのファンだものね。
「史織さんのサインがいいんです!」
「母モテ期!」
フォークを持った手をく、と上げて嬉しそう。
「まぁ、そりゃあね……」
「うぃーただいまぁー」
そんなやり取りを他所に、今度は
「あら、おかえり貴」
ふ、と涼子さんがとても優しい笑顔になる。私たちに向ける笑顔ではない、きっと貴さんの妻としての笑顔なんだろうな。とっても素敵だなぁ。例えばこの先、ずっと英介と付き合って行けて、結婚なんかしても、私があの笑顔を英介に向けられる日はきっとこないような気がするなぁ。ごめんよ英介。努力はするよ。
「あ!英介!おれに殺されに来たな!」
「え!な、何の話すか!」
え、いや、その話まだ生きてるの……。
「や、夕衣がお前のものになる前にお前を消しておかなければ、と……」
「すんません貴さん、もう手遅れっす」
「えっ、マジで?」
あ、い、言っちゃうんだ……。どうしよう。恥ずかしい。穴があったら入りたい。だってマジで?ってわたしに訊いてきてるのよ、この人。
「は、はい……」
仕方なくわたしは頷いた。この間涼子さんには報告はしておいたのだけれど、貴さんには伝わってなかったんだ。
「りょ、涼子さん……。ゆ、ユイユイが英介のものに……」
「女の子はモノじゃないわよ、貴」
にっこりと涼子さんは言う。
「じゃあ夕衣の処女が英介に奪われたぁ!」
「こらぁっ!」
も、もう少し言い方というものが……。いや待って、わたしが上げた大声と同時にまたカウベルが鳴ったような……。
「ひ」
「お、
真っ先に反応したのは小材さんだった。小材さんが言った通り、入り口には何だか申し訳なさそうに
「あら、お友達?」
「うん、同級生。人呼んで木曜ピアノの女!」
そう言って莉徒が席を立った。
「あ、三澄さん、こないだ楽しかった、また行くね!」
「か、
恥ずかしそうに、でも笑顔を向けて三澄さんはそう言ってくれた。
「え、何、あんたまた行ったの?」
「うん。凄い楽しかった!」
「誘いなさいよ!」
ぎょろりと目玉をひん剥いて莉徒は私に詰め寄った。いや確か今週はあなた、史織さんが仕事で晩御飯作らなきゃ、って言っていたでしょうよ。
「えー、なになにー」
「ピアニスト。木曜に中央公園でやってるから今度見に行こう、史織」
「おー!かわいいねー。一奈ちゃん?」
三澄さんに負けず劣らず可愛い史織さんが三澄さんの手を取った。
「あ、は、はい」
「こう見えて莉徒のお母さんなんだー。よろしくね」
や、混乱を招く発言は今はしない方が……。
「あ、こ、この間ライブ観に行きました」
「まぁ良い子!」
そうなのです。きっと小材さんと瑞原君が連れてきてくれたのだろうけれど、本当に感謝。きっとジャンル的には三澄さんの好みではなかっただろうに……。
「こんにちはー」
「いらっしゃい、美朝ちゃん、はっちゃん」
「うわ、何この人数」
さらに美朝ちゃん、はっちゃんまで来た。なんだかもう物凄い人数だ。そろそろこのお店の定員をオーバーするのではないだろうか。
「おれと英介のデスマッチ観戦?」
「や、ホントもうマジで意味判んねっすけど……」
半ば呆れて英介は言った。わたしはもう何だか相手をするのも疲れてしまったし、恥ずかしすぎるので、涼子さんのコーヒーをゆっくりと飲んでことの成り行きを見守ることにした。
「逃げんのか?だらしねぇな、男のクセに」
「はぁ?逃げてねっすよ!大体夕衣は俺の女なんだから当たり前でしょうが!」
と、逃げるという言葉に英介がピクリと反応した。男ってそういう言葉にやたら敏感なのはみんな一緒なのかなぁ。あ、でもそういえば英介も貴さんもやんちゃ坊主だった。
「何ぃ!夕衣がそれを本当に望んでいると思っているのか!」
「じゃああんた、俺が勝ったら涼子さんくれるんすか!」
びしぃ、と貴さんを指差して英介は言う。こういう物怖じしないところが貴さんに気に入られているんだろうな、きっと。
「く、判った、それがキサマの望みなら……」
演技っぽい仕草で貴さんは下を向いてそんなことを言う。完全に演技だけれど。
「貴さん」
「何だ」
英介も疲れたのか、嘆息交じりに貴さんの名を呼んだ。
「ホンットに大先輩というか、俺なんぞ足元にも及ばない偉大な、尊敬してる人にアレっすけど……」
「よせやぁい」
「ばかなの?」
この世の終わりのような顔を貴さんに向けて英介は言い放った。ちょっと面白い。
「なにをー!このー!」
「はいはい、じゃあもう今日はお店は貸切!勝負はコレでね!」
むきー、と貴さんが言ったところで涼子さんはなにやら黒い物体を出してきた。何度か見たことがあるけれど、あれはゲーム機だ。貴さんがオフ日で、お店にあまりお客さんがいない時にやっているのを何度か見たことがある。
「や、ちょ、涼子さん……」
「えーちゃんが勝ったら私、えーちゃんのものになっちゃうのね……」
まさか涼子さんまでもが乗ってくると思わなかったのか、英介は心底困った顔で涼子さんを制止するけれど、全く効果はない。
「涼子はおれが守る!」
「ひょー、いいねぇ!やれやれー!」
大きな、ゲームセンターのゲームの筐体についているレバーのようなコントローラーまでも二つ出して、それを貴さんが手馴れた動作で接続する。あっという間に一つだけある液晶テレビにゲーム画面が映し出された。
「勝ったら夕衣と涼子さん……」
「こらぁ!ばか英介!何想像してるのよー!」
なんだかよだれでもたらしそうな言い方だったので、流石に彼女として突っ込まずにはいられない。わたしだけならともかく、涼子さんをその、えと、とにかく恐れ多い!
「あらあら、想像くらいいいじゃない」
涼子さんは心が広すぎるんです。
「や、でも涼子さんおかずにしてたらお前まじ抓るよ。内腿か上腕の内側、超抓るよ」
「……」
貴さんの言葉に英介はTシャツの袖を捲り上げ、上腕を貴さんに差し出した。
「してたのかよ!」
「涼子さんと言わず夕香さんも……」
「最低!」
なんでわたしの名前が挙がらない!その、嫌だけど、でも、何か、嫌だけど!他の女の人なんていや!
「いでぇああああああああ!」
「樋村最低!」
小材さんが物凄く楽しそうに声を上げた。く、こういう乗りは莉徒とそっくりだ。
「まーまー、夕衣とはいつでもできるんだし、そんくらい許してやんなって」
お、おのれ
「まぁそうね。どんだけグアイが良かったのか判らないけれど」
怒り頂点なり。
「はっちゃん……」
「ん?」
「ゲム・ギル・ガン・ゴー……」
古い古い秘密の言葉をわたしは呟いた。困った時のおまじない。剣聖技、ヘルアンドブレストツイスターを使うための精神統一だ。我は無敵なり。
「ぎゃー!嘘よ!冗談に決まってんでしょ!」
嘘だ、全然冗談になど聞こえなかった。変わりに聞こえてきたのは貸切にしたはずの店内に響くカウベルの音だ。
「柚机!柚机はいるか!髪奈でも
わたしの武技言語が否応無しに中断される。こんな司令官のような喋り方をする人間は私の知り合いでは一人しかいない。
「ぎゃー!さつき!何よあんたいきなり司令官モードって!冗談じゃないわ!」
わたしも実に同感だ。このタイミングで
「史織がいるよー」
にへ、と笑って史織さんが手を上げた。聞けば史織さんは、またPhoeni-xのヘルプの話が出たら、いつでもやる、というとんでもない約束をさつきちゃんと交わしたらしいのだ。ツワモノすぎる。
「あ!
言ってさつきちゃんが眩暈を起こしたかのように、いや実際眩暈を起こしているかもしれないけれど、ふらりと倒れそうになって、すぐ後ろにいた
「なんじゃこのカワイ子ちゃんたちは?」
「私の後輩。バンドやってるわよ」
疲れきった声で莉徒が説明した。き、気持ちは判らないでもないかな。
「SHIORIさんこんにちは」
やっぱり圭ちゃんは変に落ち着き払って、冷静に史織さんに挨拶をした。この冷静さが何故ライブでは保てないのだろうか。
「さつきちゃん圭ちゃんー」
二人の肩に手を回して、抱きしめるように史織さんは言った。嬉しそうだなぁ。
「貸切の看板出てたでしょうよ……」
そう莉徒が言った途端、またカウベルが鳴った。
「そんなものでこの
「ぎぃゃあー!彩霞先輩!」
莉徒にとっては、多分大好きなんだろうけれど、でもちょっと逃げたい人が勢ぞろいだ。中々こんな莉徒を見る機会も少ないので面白い。
「ぎゃあとは何よ!ちょっとこっちこい莉徒!」
「いーやー!」
ずかずかとお店に入って、カウンターテーブルについていた莉徒の襟首を掴む。相変わらず男前な人だ。
「ちょ、彩霞先輩!」
その後ろから紗枝ちゃんも入ってきた。もう何がなにやら。
「おらー英介やんぞー」
「え、マジでやんすか?」
マイペース過ぎる男性二人。もう周りもあちこちで勝手に話が盛り上がっている。ライブのあとの打ち上げみたいになってしまってるけれど、この間のライブはみんなと一緒には打ち上げできなかったのでこれはこれで良い機会かも知れないな。
「や、暇だから遊んで欲しいだけ」
「よーしやれやれーい!涼子さんと夕衣を賭けたデスマッチだ!」
彩霞さんに捕まったままの莉徒がけしかける。
「何!そんな面白いことんなってんの!」
ぱ、と莉徒の襟首を離して彩霞さんが目を光らせる。もしかして修羅場好きなのかな……。
「涼子さんは俺が貰う!」
「夕衣はおれが守る!」
もはや対象の女性が逆になっているけれど、もう誰も突っ込まない。というかなんつー騒がしさ……。
きっとこうしてわたしは暖かな仲間と一緒に音楽を楽しんで、一生を楽しんでやるんだ。
いっぱい、いっぱい、やりたいこといっぱいやって、それでもまだやり足りないくらい、あんなこともこんなこともしてみたい、って希望に満ち溢れた死に方をしてやるんだ。そしたらまた
涼子さんや
だから、一日一日を大切に楽しまなくちゃ。
この街に来て、最初に莉徒に出会えたのはきっと運命だったんだ、と最近は思う。
莉徒は物凄い偶然が重なって運が良かった、というような言い方をしていたけれど、きっと必然だったんだ、ってわたしは信じたい。
莉徒に出会ってから、わたしの暮らしはそれまでとは百八十度変わった。友達も恋人も大切な人など一人も作らない、などとばかげた思いを胸に生きていたわたしは本当にばかげた、ではなく、ばかだった。
それに気付かせてくれた、私の大好きな人たちと、騒がしくも楽しい毎日をわたしはこの先もずっと生きて行く。
わたしの中に生まれてくる、わたし自身の音楽と、大切な、大切な人たちと、ずっと一緒に。
HEAVY METAL GODDESS 終わり
HEAVY METAL GODDESS yui-yui @yuilizz
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