32:マーマレード

 二〇〇七年七月八日 日曜日

 七本槍市内 柚机ゆずき


 ライブが終わり、一週間が過ぎた。今日からMedbメイヴも本格始動だ。

「んー、平和ぁ」

 史織しおりはトースターから飛び出たトーストに、復活ライブの日に贈り物か何かで貰ったロバートソンのマーマレードをぎょっとするくらいの量で塗りたくっている。ついこの間あんな激しいライブをこなしたばかりとは思えないくらいに、平和ボケしたような日曜の朝の食卓だ。

「史織、sty-xステュクス忙しくなるんじゃないの?」

「なるよぉー。レコーディングもあるし、もしかしたらお夕飯、作れない時もあるかもだから、その時は宜しくね」

「まぁそれは全然かまわないけれども」

 むしろ料理スキルを上げつつ女子力もアップのチャンスだ。夕衣ゆいは最近料理の腕を少しずつ上げているようだし、負けてはいられないわ。

「えぇー……」

 居間で新聞を読んでいた博史ひろしが情けない声を上げる。博史のくせに生意気だ。

「放任主義の方が子は良く育つのよ、博史。私の料理スキルアップのために目を瞑りなさい」

 確かに私は料理は得意ではないけれど、食べられないものを作るほど苦手ではない。それこそ、焼き飯、焼きそば、炒めもの、カレーにシチューくらいならば何とかやる。でも焼き物炒め物しかできないままでは料理ができる、とは言えないのだ。言いたいけど、言っちゃいけないのだ。

「まぁしょうがないね。花嫁修業と割り切るか」

 他の家がどうだかは判らないけれど、博史は娘の恋愛には何故か大賛成だ。私としては、娘は嫁にやらん、などと言われるよりもよっぽど助かるけれど。

「そう言えば逢太おうたは?」

「まだ寝てるー」

 今日は博史は起きているけれど、昨日遊びすぎたのか午前様だった逢太はまだ起きてこない。どうせ恵子けいこといちゃいちゃしていたのだろう。……羨ましい。あらあら、羨ましいと思えるほどには恋愛のことを考える余裕が出てきたってことかしら。良い傾向だわ。あとは好きな男がいないというのが大問題なのだけれども。

「じゃあ寝てる奴が悪い。トーストいただき」

「これすっごいおいしいねぇー」

 つん、とマーマレードの大瓶を突付いて史織は言った。史織はトーストとジャムが好きだからなぁ。そのおかげか柚机家には苺ジャムやブルーベーリージャム、ピーナッツクリーム、チョコレートクリームとパンに塗るものに事欠かない。甘いものしかないけれども。でもマーマレードだけは若干苦味があるので、今まで史織はお気に召さなかったのだ。けれど、さすがにこのマーマレードは違ったようだ。

「ロバートソンのマーマレードって結構有名だよ」

「そうなんだ。知らなかったー。史織ももう一枚食べよっかな」

 つ、と食パンが入っていたはずの袋を史織が見た。

「もうパンないよ」

「えー!莉徒ちゃん半分コしよ」

「ま、まぁいいけど……」

 そんなにか。まぁ私もこれで三枚目だけれど。いや待って、なんで逢太の分が残り一枚だった?

「史織、何枚パン食べた?」

「三枚ー。へへ」

「……」

 ま、まぁ史織が食べたんだったら逢太もあまり文句は言わないだろう。食パンなんてまた買いにに行けば良いのだ。食べたい奴が買いに行けば良いのだ。コンビニなんて自転車で三分だ。

「あとで涼子りょうこちゃんのお店行ってこよーっと。パパも行く?」

 誤魔化すように史織は言った。あとでということは今日は完全にオフ日なのかな。まぁ私は今日は出てしまうから晩ご飯も要らないし、どうでも良いのだけれども。

「行き付けの喫茶店?」

「うん。史織はまだ行き付けってほどじゃないけどね」

「そうだねぇ、たまには行こうか。御主人にも挨拶したいし」

 おぉ、行け行け。ラブラブ夫婦め。娘がお世話になってますーとか言って来い。

「おぉー莉徒ちゃんは?」

 行く訳なかろう。

「行かぬ」

「何で!」

「何で両親と一緒に喫茶店だよ」

 こっちが何で、だよ。小学生じゃあるまいし。

「こないだ史織と行ったじゃん!」

「行ったけれども!そん時は史織だけだったでしょ!両親随伴でなんて恥ずかしいの!史織が嫌いとか博史が嫌いとかじゃないからね、念のために言っとくけど!」

 例えばそれが博史と二人、とかこの間のように史織と二人ならば別に問題はない。逢太と二人はちょっと恥ずかしくて嫌だな。でもそれは各々が嫌いだからではないし、ましてや二人でいたくないなんていうことでもない。単純に、お父さんとお母さんと子供、という単位で行動するのがもう恥ずかしいお年頃なのよ。お願い判って。

「なぁんだ良かったぁ。どこか出かけるの?」

「うん。Medbの練習」

「え、もうスタートするの?」

「まぁね」

 まだスタートラインにも立っていないけれど。でも私も夕衣も大きなライブは終わったし、これで存分に美朝みあさ紗枝さえに付き合ってやれるという訳だ。

 いやいや、ばかたれめ柚机莉徒。付き合ってやれるなんてとんでもない思い違いだ。みんなで一緒に楽しまなくちゃいけないんだから。慎むべし慎むべし。

「いいなぁ、史織も交ざりたかったなぁ」

「史織はsty-xが忙しくなるでしょ」

 またとんでもないことを言い出す。音楽封印という自分縛りから解き放たれて色々やりたいのは判るけれど、史織は私と違ってプロのミュージシャンなのだから、プロの責任は果たさなきゃいけない。こういうことがあるとやっぱり私はプロには魅力を感じないなぁ。あのどデカいステージでの快感はプロじゃないとなかなか味わえるものではないけれど。

「そうだけどぉー」

「暇な時はけいとさつきの相手でもしてあげなよ。携番教えるから」

 あの二人ならきっといつでも史織は大歓迎だろうから。私はあまり奴らとはバンドでは関わりたくないし。

 いや、奴らにきちんとメンバーがいて、対バンでとかならいくらでも関わって良いのよ。ヘルプとかだってせめて一ヶ月くらい時間があれば良いけど、二日なんていかれすぎてる。それが毎度のこととなっては堪らない。

「あ、それもいいね」

「いいのか……」

 確かに史織ならあの二人を巧くコントロールできるかもしれないけれど。いっそのことメンバーが固まるまで面倒を見て欲しいくらいだけれど、流石にそれは無理だろう。

「え、あの二人可愛いじゃない」

 そう思ってくれてるなら充分だ。今度ヘルプ要請が来たら史織を盾にしてやる。それまでにはさつきの司令官モードと泣きじゃくりを躱す技を身に着けなければならないけれど。

「可愛くないとは言わないけどさ……。ま、ともかくラブラブ夫婦でvultureヴォルチャー行ってきなさいな。涼子さん喜ぶよ」

「そうするー」

たかさんも元ヤンだから、博史とは気が合うかもね」 

 そういえばふと思い出した。りょうさんも貴さんも昔は随分とやんちゃをしていたらしいから、博史とも話は合うかもしれない。今日貴さんがお店にいるかまでは知らないけれど。

「旦那さん?」

「そ」

「おぉ、そうなんだ。道理で骨のある人物だと思ってたよ」

「そうかなぁ……」

 確かにいろんな意味で理解のある人だとは思うけれど、基本は稚気の塊だ。そういう点では諒さんも貴さんもそっくりだ。時折見せる大人っぽさでギャップにやられそうになるけれども。

「あ、そうだ史織」

「なぁに?」

 ふと思い出したことがあった。貴さんや諒さんの昔のことなんかよりもよっぽど重要なことだった。いけないいけない。

「まだ判んないんだけど、私たち主催の企画でsty-xに出演依頼したらロハで出てくれる?」

 ちなみにロハというのは只という字をバラしてカタカナのロとハに見立てた、いわゆる業界語らしい。

「え、ロハだと判んない……」

 この先、多分そう遠くない先のことだ。これから穂美ほのみとも打ち合わせて、どんどん計画を立てていかなくちゃいけない。それにやるならただ知り合いバンドがぞろぞろと出て終わり、というイベントにはしたくない。幸いにも私にはsty-xと-P.S.Y-サイというプロのバンドにパイプがある。そしてその両者は色んな含みをこめて家族だ。家族なら是非ともギャラなしで出てもらいたい。

「史織から千織ちおりさんに頼んでもだめ?」

「千織ちゃんはいいって言うよ。でも香織かおりちゃんがいいって言わないとだめかも……」

「ふむぅ、落とすならまず香織さんか」

 そう簡単には落ちてくれそうもない気もするけれど、逆に簡単に落ちてくれる気もする。携帯番号もメールアドレスも教えてもらったことだし、今度本当に呑みに連れて行ってもらうとするか。

「なになに、なんかイベントするの?」

「まだ判んないって言ったでしょ。それに出すなら先にうんとお世話になってる諒さん達だから」

「えぇー、ずるいよぉ」

 ぷぅ、と頬を膨らませて史織は唸った。毎度のことだけどやっぱり子供みたいな拗ね方だ。

「だって貴さんはロハでいいっつってたもん」

 そう。日時さえ合わせれば多分-P.S.Y-とまでは行かなくても、貴さんと諒さんは出演してくれる。

「判ったよぉ。香織ちゃんに言ってみる!」

 よしよし、そこを上手に突付けば、もしかしたらsty-xもギャラなしで出演してくれるかもしれない。それが無理でも谷崎たにざき諒、水沢みずさわ貴之、柚机史織のバンドが見られることはまず間違いなさそうだ。

「まだ話半分だからさ。ま、ともかく私らはリズム隊もチートなしでsty-xや-P.S.Y-にいつかリベンジする時まで力付けとくわ」

Kool Lipsクールリップスじゃないの?」

「勿論そっちでだってやるわよ。私がギターボーカルでギタリストなのはKool LipsでもMedbでも同じだからね」

 でも今は夕衣や二十谺はつか、美朝や紗枝と一緒にやりたい気持ちが大きい。Kool Lipsは私にとって戻るべき家のような感じだ。それにKool Lipsはきっと全員が共通して思っていることがある。

 何はともあれ、辞める理由がないのだ。私はバンドメンバーとして、シズも千晶ちあきちゃんもたくさんも大好きだし、信頼している。何かにがっついたり、妙な使命感を持ってバンドをやっている訳ではない。だからKool Lipsはある意味で私にとっては理想のバンドだ。

「そっかぁ。でも史織だってまだとーぶん負ける気はないんだからね!」

「すぐにぶち抜いてやるわ!」

 それにこんなに凄いライバルがすぐ近くにいる。これはバンド者としてはとても幸せなことだ。だから私は今はKool Lipsという我が家を飛び出して、夕衣や二十谺や美朝や紗枝と、新しい家族になって新しい旅に出るんだ。Medbをもう一つの我が家にするためでもあるし、私自身の成長のためにも。

「おぅいーす」

 とん、とん、と音を立てて逢太が階段を下りてきた。パンはいつの間にやらトースターから飛び出ていた。

「あっ!」

「あっ!」

 私はその焼けたパンを取り出すと、手早くマーマレードを……半分は普通に、あとの半分は盛る感じで塗りたくった。

「はやく、莉徒ちゃん早く!」

「よっとっと!はい!」

 マーマレードを塗ったパンを縦に割って、マーマレードが盛られている方を史織に手渡す。

「んあーむ!おいひい!」

「何、してんの?」

 大慌てでトーストを食べ始めたのが気になったのか、逢太は寝ぼけ眼でそんなことを言った。時既に遅しだ愚弟よ。

「食パン、最後の一枚食べたった」

 もぐもぐ声で言ってやる。うーん、本当においしい。ロバートソンのマーマレードは知ってはいたけれど、食べるのは私も初めてだ。ロバートソン侮りがたし。

「えっ、何してんの……」

「遅く起きた逢太が悪い。朝食は自分で調達!」

 新聞に目を向けていた博史が意地悪そうにそう言った。博史はいつでも史織の味方だからなぁ。

「……まじで?それ、何か昨日はしゃいでた旨いっていうジャムでしょ?何で全部食っちゃう訳?」

 えっまじで?とまだ半分寝ぼけているのか、怒気のない声で逢太は言う。まだマーマレードはある。どうしても今すぐ食べたかったらスプーンで直接行け。

「おいしかったから」

「え、それ理由?」

 確かに理由にはなっていないと思うが、正当な理由のような気もする。言い訳、かな。

「じゃあおーちゃん、お金払うから食パン買ってきて」

「まじか……」

 そうとも。早く起きて朝食の準備をしたのは私たちだ。逢太が、柚机家の末弟が、食べるだけ、なんて許されない!

「うん。いっぱい食べたけどまだ食べたい」

 いやあんた三枚半も食べててまだ食べるのか。まぁ私も後一枚くらいは食べられるけれども。

「更に言うなら牛乳もない」

 ハムとマーガリンのトーストのときはコーヒーが良いけれど、甘いジャムをつけて食べる時は私も史織も牛乳にしている。牛乳も先ほど私と史織で飲み干してしまったのだ。

「そんなに牛乳飲んでんのになんでいつまでたっても極貧のままなの?」

「ごく?」

「何!胸のこと!」

 いつぞやの夕衣のように言ってぱん、と胸を軽く叩く。おっきかったらぼいん、て音が鳴るんだぜ……。多分だけど。

「まぁちっと顔洗って歯ぁ磨いてくっから待ってろ極貧ども」

 怒りも空腹には勝てなかったのか、観念したかのように、いや、捨て台詞のようにそう言って、逢太は洗面所へ向かった。

「パパ、おーちゃんがひどい……」

「や、逢太のぶんまで食べたのママと莉徒じゃん……」

 お、珍しく博史が逢太の味方をした。いや逢太の怒りの矛先が自分の方に向かないために逃げたのか。

「だっておいしかったんだもん!」

 ばん、とテーブルを叩いた史織を他所に私は声高らかに言ってやった。

「早起きは三文の徳とは良く言ったもんだわ!」

「ちがくねぇか?……おぅえぇっ!」

 洗面所から逢太のえずく声が聞こえた。


 同日

 楽器店兼リハーサルスタジオEDITIONエディション


 Rossweisseロスヴァイセの活動が終わったので、当然スタジオはフリーで使える訳ではない。きちんとMedbとしてスタジオに入る。ここの会員証を持っていないのは美朝と紗枝だけだったので、ここは一応美朝をリーダーにした。

「リーダーったって責任押し付けるようなことはしないから」

「う、うん」

 夕衣はIshtaerイシュターの時に会員証を作ってあるし、二十谺もシャガロックですでに作っている。美朝のリーダーはMedbとして、少し頼りない紗枝よりも、という意味でだ。当然何もかもを初心者の美朝にやらせる気は毛頭もない。

「あ、で、でも、やれることはやるから!」

「おぉ、さすが美朝ちゃん!」

 美朝のバンドに対するモチベーションはかなりの物だ。何が美朝をそうさせたのかは全く持って謎だけれど、それならば少しずつ色々と教えながら、行く行くはきちんと美朝にMedbのリーダーをやってもらおう。

「あ、じゃ、じゃあ私も副リーダーやります!」

「お!やる気!」

 紗枝がそう思ってくれているのならこちらも願ったりだ。夕衣はバンドはMedbのみだけれど、今後も一人での活動は続けるだろうし、二十谺はシャガロックがある。私もKool Lipsでの活動がある。まだ今は良いけれど、活動が軌道に乗ったら、できればMedbのことは美朝と紗枝にやってもらえると本当に助かる。

「でも、莉徒と夕衣ちゃんとはっちゃんに助けられる気満々だよ」

 もちろんそれはそれで良い。この先例えばMedbが続けられなくなったとしても、美朝が音楽をやっていけるのであれば、知っていた方が良いことはたくさんある。

「大丈夫!夕衣もいっぱしの女になったことだし!」

「ちょ、莉徒!」

 むふ、と吹っかけてみる。どうもこの間から何となく夕衣の雰囲気が変わったような気がしていたから。

「え、あ、マジだったの!」

 わざとですよ夕衣さん。でも躱す技なんか持っていないでしょう、あなた。

「……」

「えぇ!つ、ついに!」

 美朝が目玉も飛び出さんばかりに驚いている。多分ライブが終わったその日にした訳ではないとは思うけれど、それに至るまでの生々しいやり取りは美朝も見ていたので驚きもひとしおだろう。そんなことを言いながら私も結構驚いているし。

「わぁ、二十谺、夕衣が英介の物になっちゃったよぅ」

「仕方ないわ、捨てましょう。おもちゃはいつか飽きられるものよ……」

 わざとらしくそう言ってやる。二十谺もちゃんとのってきてくれる。うんうん、良い感じだ。

「ひどい!あれだけ煽っといて!」

 まぁちょっと私たちの煽り方は異常だったような気もするけど、案ずるより産むが安しだったでしょうよ。

「ね、ねぇ夕衣ちゃん。その、い、痛かった?」

 美朝が興味津々だ。面白い。こんな風に食いつくとは思わなかったけれど、相手が夕衣だからだろうな。

「泣くほどに」

「だよねぇ」

 私も初めての時は相手をぶん殴ってやろうかと思うほどに痛かった。

「い、痛いってどのくらい痛いんですか!」

 ちょ、紗枝声でかい。

「悲鳴も上げられないくらい」

「男の背中に血が出るくらい爪痕つけるほど」

 私の経験談を言うと、夕衣がうんうん、と頷いた。相当痛かったのだろう。スポーツ少女などは鍛えられてしまって、初めての時は相当な思いをするらしいけれど、私も夕衣もスポーツ少女ではない。それでもそのくらい痛いものなのだ。

「はっ!何あんた処女なの!」

 い、いかん余りに予想外でついでっかい声を出してしまった。確か初めて会った時に、男と別れて間もないようなことを聞いたような気がしたから、とっくに経験済みなのかと思っていた。

「そ、そ、そんなに……」

「大声……」

 紗枝と美朝が非難の声を上げる。

「あ、ご、ごめんごめん」

 確かにおおっぴらにでっかい声で話せるような話の内容ではない。反省。

「い、いえ、私、全然痛くなかったんで……」

 え、あ、なんだ、やっぱり経験済みか。いやていうか、なんだ。

「少女漫画か!」

 またしてもでかい声になってしまった。

「そういうこと、本当にあるんだ……」

「羨ましい……」

 夕衣と美朝が口々に言う。

「え!」

「え!」

「え!」

「え!」

 夕衣、二十谺、私、紗枝がユニゾン。

「……え?」

 美朝だけ輪唱。

「な、あんたまさかとは思うけど……」

「い、今まで触れられずにいたけど……」

 私がずっと気になっていたことだけれど、それは夕衣も同じだったのだろう。

「美朝、非処女?」

 ぼろ、と二十谺が言う。あ、言っちゃった。

「ち、ちがう!ちがいますぅー!」

 ばん、とテーブルを叩いて美朝が大きな声を出した。おおう、美朝ってこんな大きな声出すのかよ。

「あ、そ、そうなんだ」

 複雑な面持ちで夕衣が呟くように言う。ま、まぁ私もそれは同じだ。大学生になって、美朝だけはなんだか妙に大人っぽくなったし、胸も大きくなったから、高校を卒業してすぐに経験したのか、くらいに思っていたのだけれど、どうも見当違いだったようだ。

「えっ、ていうか、そんな話二人でしてたの?」

 いや私と夕衣の間でそういう話は出たことはない。でも私も夕衣も気になっていたのは確かだ。

「や、してなかったけどさ、だってあんた全然自分のこと喋ろうとしないじゃないのよ」

 少し恨みがましく言ってやる。それこそ夕衣よりも長い親友だと私は思っているのに、美朝は殆ど自分の恋愛話をしてくれない。

「……そ、そうかもだけど」

 そこを判っているからこそ、美朝もあまり強く言い返せないのだろうけれども。

「やー美朝はてっきり経験済みだと思ってたわ」

 少し重苦しくなりそうだった雰囲気を二十谺が持ち上げてくれた。いつもは美朝がそういうことを読んでやってくれるけれど、二十谺もしっかり者だ。助かった助かった。

「わたしもー」

「えっ、付き合ったことないって言ったのに!」

 二十谺の気遣いにきちんと乗っかって美朝は笑顔で言った。危ない危ない。そんな重苦しい話にするつもりはなかったから、私も思わずほっとしてしまった。

「だからって、ねぇ、ってハナシですよ」

 にひ、と夕衣も悪い笑顔でそう言った。彩霞あやか先輩も似たようなこと言ってたし。

「じゃあなんでみんなえ、って言ったの?」

「や、美朝も初めての時は痛かったから、紗枝が羨ましいと思ったのだとばかり……」

「そうとしか取れなかったわよね」

 二十谺の言葉を肯定するように私も言う。疑う訳ではないけれど、それすらももしかしたら美朝の演技かもしれないし。まぁ、いつか話せるようになれば聞かせてくれるだろう。

「うん」

「や、だって莉徒だって瑞葉ちゃんだってみんなすっごい痛かった、っていうし、夕衣ちゃんだってそうだったならもう殆ど痛いの確定じゃない!」

 ぶるる、と肩を震わせて美朝は言った。あれ、これは本当に本当なのかな。ま、今のところどっちでもいいや。

「まぁそうでしょうね」

「だから紗枝ちゃん羨ましいなぁ、って」

「それは言葉だけなら処女だろが非処女だろうが同じよね」

「ちちち違うってばぁ!」

 お、二十谺もちょっと疑わしいと思っているのかな。でもこうやって軽く話せる雰囲気が創れればもしかしたら美朝もそのうち色々話してくれるかもしれない。

「でも、どうせ失うものなんだからもったいぶったって仕方ないですよ」

 お、紗枝からもそんな言葉が出るとは、少しずつは人で来てくれてる証拠ね。良い傾向だわ。

「も、もったいぶってない……」

 美朝は美朝でやっぱり良く判らない。八割がた処女、って感じかな。ま、どっちだって付き合い方が変わる訳じゃないけれども。

「じゃあ言うけど、美朝ちゃんはきっと高望みしすぎか、ずっと心に決めた人がいるけど、中々前に進めない、というわたし的設定があるんだけど?」

 お、夕衣、良く言った。私もそれは思っていたんだ。じゃなければ五人も振るとか有り得ない。我が親友ながらどんだけビッチなんだよと思ってしまう。

「こ、こ、後者で……」

「その話、練習が終わったらゆっくりじっくり聞こうじゃないの」

 やっぱりそうかぁ。でも今の今まで、私たちはそんなことも知らなかったのだ。もしかしたらおいそれと話せるようなことではないのかもしれない。それならば無理には聞き出さないけれど。

「ひ、ひぃ」

「待って待って、美朝が話したくなったら、でしょ、莉徒」

「ま、そうだけどさ」

 樹崎光夜きざきこうやの話も、言枝美奈子ことえみなこの話も、多分美朝の話も、きっとそう簡単に笑いながら話せるようなことではないのかもしれない。みんな、人それぞれ、触れられたくない部分はあるんだろうし、それを全て話して聞かせるのが友情の証しだなんて私も思っていない。

 涼子さんが秘密を打ち明けてくれた時の、あの淋しそうな笑顔なんてもう二度と見たくないって思っちゃったし。

「さって、そろそろ時間かな。今日はこないだコピーしたやつ、ゆっくりやろっか」

 夕衣が時計を見て話を切り替えてくれた。あんまり突っ込みすぎてもいけない。私も夕衣に合わせて頷いた。

「んだね。何ならスピード落としてクリック練習にしよっか」

「えぇー……」

 あんなに正確で安定感のあるベースを弾く二十谺がクリック練習嫌がるなんて少し意外だ。

「え、クリック練習嫌い?」

「好きなヤツいないでしょ……」

 ま、まぁ私もどちらかというとあまり好きではない。何だか堅苦しくて息が詰まるし、ストレスも溜まりがちだし。

「え、わたし結構好きだよ。自分でもやるし」

 罪のない顔で練習好きの夕衣が言う。ま、二十谺には諦めてもらおう。何しろ初心者の美朝がいるんだから。

「……付き合うわ」

 私の心を読んだかのように言って、二十谺は苦笑した。


「やーちょっと何よ、ずいぶんリラックスして叩けてんじゃないの?」

 スタジオブースを出て私は言った。一時間ほど練習したので小休止だ。お財布を持って自動販売機にみんなで向かう。

「そ、そうですね、自分でも驚きです……」

 紗枝のドラムは以前とは全然違っていた。最初の三十分は三分の二程度に速さを落としたクリック練習をしていたのだけれど、紗枝が普通に落ち着いてドラムを叩けているような感じがしたので、通常の速さに戻したのだ。そうしたらどうだ。一番最初に見た紗枝の本来のドラミングのような気がするほど、紗枝は落ち着いてドラムを叩けていたのだ。まだあれから特にどこかに遊びに行ったりなどはしていないのに、紗枝は随分と自然な調子だった。やっぱり会話でのコミュニケーションも重要ってことよね。

「紗枝ちゃんって本番も結構ガチガチになる方?」

 夕衣が言って甘ったるそうなカフェオレを買った。いや私も甘いものは好きだけれど、コーヒーは苦味が強い方が好きだ。

「あ、はい、結構緊張しぃですけど、メンバーがいれば大丈夫だと思います」

 つまりは安心できる顔が揃っていれば極度の緊張はしないということか。確かにそれは一理ある。

「ま、ライブなんてみんな味方ばっかりだしね」

「確かに」

「お客さんはあんまり見えなくなっちゃうんで、メンバーがおなじみの顔だと安心しますよね」

 お客だって態々観にきてくれてるんだから、応援してくれているに決まっているんだ。だから敵なんて誰もいない。い、いや、いたこともあったなぁ……。

「それは確かにあるねー」

 夕衣に続いて私は微糖コーヒーを買う。

「穂美とのイベントの前に一回中央公園でやっときたいね」

 いきなりぶっつけでライブよりも、路上で慣れておきたい。こういう点では私たちは他の学生バンドよりも恵まれていると思う。何故このスタジオが多少とはいえ割高なのに人が集まるのかも、きちんとお店の人とコミュニケーションが取れていれば理由はすぐに判る。そしてそれを利用しない手はない。

「あ、それいいかも」

 美朝がミルクティーを買ったのを確認してから私はロビーの空いているソファーに腰掛けた。おぉ美朝まで乗り気だ。流石にもうライブを経験してるだけはある。

「みんなが空いてれば木曜がいいかも。こないだ三澄みすみさんの演奏観に行ったとき、人は割といたけど演奏する人殆どいなかったから」

「ほほぅ」

 そうか、夕衣は三澄の演奏を見に行ってるんだった。私は何があったかは良く覚えてはいないけれど、ともかく行けなかったんだった。

「ま、度胸試しじゃないけどさ、やっときたいのは確かね」

 各々飲み物を持ってソファーに腰をかけると笑顔になった。なるほど、みんな乗り気だ。後は紗枝次第。

「紗枝OK?」

「あ、は、はい!」

「……慣れぬ」

 言うまい言うまいとは思っていたんだけれど。やっぱりどうしても慣れない。

「何が?」

「紗枝の敬語」

「確かに……。後輩と話してる気になるわ」

 二十谺も同じことを想っていたのか、頷いて言う。同い年なのになんで敬語なんだ……。

「そうだね」

 美朝も苦笑して言う。この中では一番当たりが柔らかいし、何でも柔軟に受け入れそうな美朝ですらやはり違和感はあるのだろう。

「す、すみません……」

「まぁ私らが特別って訳じゃないのが救いだけどね」

 確か最初に訊いた時に、親族以外には大抵こんな話し方になるということだから、私たちが怖くて敬語を使っているということはないのはまだ気が楽だけれど。

「うん。でも紗枝ちゃんが無理矢理口調変えてストレスになるのもヤだしね」

「だね。このままで無理しないでいいよ、紗枝ちゃん」

 うーむ。夕衣と美朝はさすがだなぁ。こういうのを女の子らしい気遣いというのだろうか。勉強しないとなぁ……。

「すみません」

「謝んないでよ」

 責めている訳でもないんだから。

「あ、そ、そうですね、ありがとうございます!」

「ん」

 とりあえずは満足して私も頷く。少しでも砕けた口調になってくれれば良いけれど、やっぱりいきなりは無理だよなぁ。

「そういえばさ、紗枝ってどういう男が好みなの?」

 打ち解けるといえば恋バナだ。私だって女子だ。誰が何と言おうと女子だ。恋バナの一つや二つ、しても良いではないか。

「あ、それ聞きたい!」

「ね」

 夕衣も美朝も興味津々だ。勿論私も。

「え、わ、わたしですか!」

「うん」

 他に誰がいる。

「前付き合ってた人とかどんな感じ?」

「え、あ、えと、粗暴というか、雑というか、大雑把というか……」

 乱暴、ということではないのかな。多分紗枝がドMっぽいし、まさかそんなのが好きな訳では……。

「え、そういうのが好きで付き合ったの?」

「ち、ちがいます」

 紗枝の言葉を聞いてほっとする。流石に乱暴というか粗暴というか、そんな友達はいないから、紹介もできやしない。というか、もしもそうならばなんとしても紗枝の性格矯正をしたいところだけれど。

「ほほぅ。まぁマメすぎてもキモいけど、雑なのはやぁよね」

「確かにー」

 何事も程々が良い。あんまり細かくマメすぎるよりは多少大雑把な方が良いかな、私は。

「え、えと、ちょっとばかっぽいくらいでもいいんで、明るい人が好きです。楽しい人とか」

「ほほう」

 丁度良さげなのが一人いる。

「……巨乳好きのギターばかなら紹介するけど」

「も、もしかしてシズ君のこと?」

「そ」

 夕衣の苦笑に私も苦笑を返す。ま、まぁあまり胸を張ってどうよ、と紹介できるような男ではない気がするけれども。

「シズ君かぁ……」

「正直な分、付き合いやすいってのはあるわよ」

 良くも悪くも嘘がつけないのはあいつの長所だと思うし。

「まぁ確かにばかっぽいくらい明るいしね」

 二十谺も苦笑。バカに明るくてギターばっかり弾いてる、っていうのは共通したシズのイメージだ。

「一回会ってみる?」

「で、でもわたし、巨乳じゃないです……」

 やかましいわ。私たちより立派な物を持っておいて。

「べっつに大丈夫よ。英介だって巨乳好きだけど夕衣と付き合ってんのよ」

「莉徒とも付き合ったしね!」

「ま、まぁね」

 や、あいつは別段巨乳好きと言う訳ではなかったかな。まぁ今となってはどうでも良いわ。そんなこと。

「紗枝可愛いからシズは気に入ると思うけど、あいつ彼女欲しいとか全然言わないのよねぇ」

「んー、まだ男の子って感じは確かにするわね」

 それにしたってもう十九歳だ。そろそろ恋の一つもしておかないと立派な大人になれなくなってしまう。

「でもシズ君別に見た目も悪くないし、明るくて屈託ないから、確かに良さげかも」

 美朝も大概人のことは悪く言わないからあまり信用できない気もするけれど、紗枝がばかっぽくてもいいから明るい男が良いというのならば、確かに向いているのは向いている。

「ちょっと頭悪いけどね」

「まぁね。っと、メールだ。お、噂をすればシズ」

 へへ、と笑ったところで携帯電話が震えた。

「おぉ」

「何かオレんことバカにしてんだろ、だって」

「相変わらず勘はイイね……」

 まぁその後に本題があったけれど、Kool Lipsの連絡事項だったので態々みんなに言う必要もないだろう。

「莉徒写真ないの?」

「おー、あるある。……んー、いまいち。本物はもうちょいカッコイイか?」

 練習風景を撮ったやつだ。拓さんが管理してくれているKool Lipsのホームページに載せるのに撮ったやつだった。

「や、こんなもんでしょ」

「ひどっ」

 内心私もそう思いつつ、一応メンバーとしてフォローは入れておく。

「ブサメンではないけどイケメンでもないよ、紗枝」

 史織はシズのことをカッコイイと言っていたけれども。私はカッコイイとはあまり思わない。

「え、い、いや、そんな私!」

「あ、こういうのタイプじゃない?……かぁ。まぁシズだしなぁ」

 シズよ、女を紹介してやろうかとも思ったがだめかもしれん。

「あ、あぁ、いえ、そういうんじゃなくて、わ、私、そんな、選べる立場じゃ……」

 一瞬我が耳を疑う。一体この女は何を言っておるのだ?

「はぁ?選びなさいよ!何言ってんの?私らが紹介したから断れなくて付き合いましたなんて冗談じゃないわよ!」

 紗枝ならそのくらいやらかしそうで怖い。流石に彼氏は紹介で、ということだとしても、きちんと自分の価値基準で決めてもらいたい。紹介するのも、見た目だけで言えば英介クラスのイケメンが好ましい。けれどさすがに樋村英介クラスのイケメンは私の知り合いでも中々いない。

「あ、いえ、そ、そうじゃなくて……」

「あんた可愛いんだから妥協しちゃだめよ!」

 紗枝が何を考えていようともはや関係ない。シズ程度で満足しちゃいけないわ!

「他に誰かいるかな」

奏一そういちは生意気にも女つくりやがったし……」

 去年の夏に夕衣にふられてから卒業するまで彼女はいなかったんだけれど、大学に入ってすぐに彼女ができた。私はPhoeni-xフィニクスのライブの時にちらりと顔を見ただけだけれど、かなり可愛かった。奏一のクセに。

「あ、真佐人まさとさんは?」

「おぉ、いんじゃない?つーか彼女いないの、あの人」

 この楽器店でもはや第二位の地位を持っているのではないかと思われるほどのスタッフさんだ。自分での演奏は勿論、楽器のメンテナンス、中央公園での機材の運搬まで様々な職務をこなす人だ。諒さんは真佐人さんが高校生の頃からの付き合いだというけれど、真佐人さんて何歳だったかな。

「知らない……」

「なんか超優しいっぽいし、彼女いそう」

 うむー。言われて見れば。イケメンではないけれど、凄く優しいし気がつく人だし、女の私ですら見習わねば、と思えるくらい気遣いが光る人だ。

「後で聞いてみるか」

「あ、あとで?」

 紗枝は自分の知らない人かと思っていたのだろう。ところがどっこいだ。

「え、上の受付にいるじゃん、いっつも」

 つい、と上を指差して私は言ってやる。少なく見積もっても二十五歳はいってそうだから、むしろ真佐人さんが年下に興味があるかどうかだな。落ち着いた、大人っぽい人が似合いそうな人だけれど、そこはそれ。どうなるかは判ったもんじゃない。

「えぇ!あ、あんなカッコイイ人……。無理ですぅ」

「えぇー!真佐人さんカッコイイ?」

 カッコイイかどうかと問われると私は首を傾げざるを得ない。シズもそうだけれど、決してイケメンの部類に入る顔立ちではない気がする。

「わたしはカッコイイと思う」

 あぁー、夕衣がそう言うのは何となく判る気がする。英介とは全くタイプは違うけれど、夕衣は英介の見た目に惚れた訳ではないし。

「英介の次に?」

「よっと」

 夕衣が取り出した携帯電話からREADYと低い合成音声が聞こえた。

「う、嘘ですよ髪奈かみなさん……。つーかその着メロ落ちてるとこ私にも教えてよ!」

「あとでメールしとく」

 ぱたん、と携帯をしまったのでほ、っと嘆息。危ない危ない。

「じゃあ真佐人さんにあとで聞いてみて、彼女がいたらシズ君にしたら?」

「そうね」

 ま、まぁシズに失礼な感じもしないでもないけれど、別にいいか。シズだし。

「え、あ、あの、その、し、シズさん?ですか、そ、その人で……」

「あ、真佐人さん嫌?」

 それはそれで贅沢な気もするが、もしやまさか。

「ち、ちがくて!そ、その……」

「もしかしてシズが好み、とか?」

 恥ずかしそうに紗枝が小さく頷いた。うわぉ可愛い。ちょっとシズには勿体無いわ!まさかシズがストライクだったとは。それで選べないだとかそんなこと言ってたのか。

「おぉー!でも言っとくけど、マジでばかでアホで頭悪くてばかでアホよ!」

 こく、ともう一度頷く。あぁーでもそっか。紗枝は遠慮しないんだな、そういうところ。ますます紗枝を好きになってきた。私は『別にオトコなんかいらないし』なんて合コンの場で言ってしまう女ほど性質の悪い女もいないと思っているし、そういう女は大嫌いだ。その点紗枝はちゃんと彼氏が欲しいのだろうし、チャンスがあれば紹介して欲しい、と言ってくれる。正直で好感持てる。

「つーか莉徒はそれでいいの?」

「何が」

「シズと紗枝が付き合っても」

 まだ言うかー。本当に私はシズのことは何とも思っていないし、それはシズだって同じだ。

「むしろ喜ばしいことじゃないの」

「それ本気?」

「あのねぇ、もしそうならとっくに付き合ってるかKool Lipsなくなってるっつーの。もう三年もやってんだよ」

 もしもシズが私のことを好きで、三年もその想いを隠していたのだとしても、知ったことじゃない。三年も何も行動できない男の方が悪い。そんなもの好きなだけ隠していれば良いんだ。

「まぁそれもそっか」

「シズの友達としては早く彼女の一人でもつくって欲しいもんだけど、紗枝の友達としてはシズを紹介するのが心苦しい気もする……」

「なんでよ」

 判らないでもないけど、と言いながら二十谺が苦笑した。

「なんか余り物押し付けた感じしない?」

「ひっどいわね、紗枝がちょっと気に入ってるっぽいのに」

「きききき、気に入るなんて!」

 紗枝が生きてきた環境がどんなものかはまだ知らないけれど、もしかしたらイジメに遭っていたのかなぁ。こんなに可愛いのに自分を低く見積もりすぎている気がするのは私だけではないと思う。

「まぁ私が言うのも何だけど、シズ以外でも男なんていっくらでもいるって」

「説得力ありすぎ、莉徒」

 美朝はさっきから苦笑しっぱなしだ。

「でも紗枝ちゃんがそう言ってるんだから、一回会わせてあげたら?」

 夕衣も苦笑しつつ。どういう意味なのかなぁ。私がシズを悪く言いすぎかしら。でもあいつ本当に頭悪いしなぁ。

「ま、そうだね」

「さーって、んじゃ話もまとまった所で練習再開しますか!」

 二十谺一人でアセロラとか身体に良さげな物を飲んでいたらしく、残りを一気に飲み干すとソファーから立ち上がった。

 このバンドもIshtarと同じように楽しくやっていけそうだな。でもIshtarの時みたいに、終わってから振り返って、浮き足立っていたな、と思わないように気を付けないと。Ishterの時も思ったけれど、折角こんなにイイやつらが集まってくれたんだから。

 それにPhoeni-xフィニクスでは史織と組めたし、Rossweisseでは本気の谷崎諒たにざきりょう水沢貴之みずさわたかゆきとやれた。この経験は絶対にMedbで生かしたい。

 だから私は思い切り気持ちを込めて立ち上がると手を上げた。

「あらほらさっさ~!」


 32:マーマレード 終り

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