蛾を見たら、きっと誰もが思い出す。
この作品に含まれた、甘やかな毒の味と、唾液が混じった歯磨き粉の粘性と爽快さの混じったフレーバーを。
本作を一言で言うなら、毒の入った溶けたチョコレート。
そう。まるで、毒の入った溶けたチョコレートを飲んだようだった。
人間観察と現代ドラマの申し子とでもいうべき釣舟草さんが書かれた本作は、非常な毒性と官能を含んだ百合作品である。さすがというべきか、今回も凄まじく面白い。学校のカースト制度や女子たちのえげつない関係性にも触れつつ、人がいかに自分にとって都合のよい解釈をして生きているのかという皮肉が、ここには豪快なタッチで描かれた油絵のごとく表現され、そのえげつないほどの人間の悪性を書き出す手腕にひたすら舌を巻く他なかった。天才の所業。チープな言葉なのかもしれないが、そう言わざるを得ないほど釣舟草さんの才能が、人間観察力が、遺憾なく発揮されている。
まず、冒頭。圧倒的なまでに人を引き込んで離さない、衝撃的すぎる冒頭の告発。エミリの告発は安直すぎるほどに性的な表現を含んでおり、だからこそ見るものに巨大な衝撃を与えてしまう。まるで雷に撃たれたような衝撃を受けてから、物語を読み進めることになるから、読み始めたらもう手が止まらない。凡人にはこんな冒頭、思いつきもしないだろう。高校生のエミリが、大人っぽい魅力をふんだんに発揮しているはずの少女が、小学生のごとき罵倒を吐き散らしながら杏樹という愚かな存在をつるし上げる。明らかなイジメなのだが、杏樹本人はエミリに触れられて赤面までして恥ずかしそうにしているのが、もう、救いがない。
そんな杏樹を冷めた目で見ている、親友の梨花。彼女の視点から、これまた毒性を含んだアイロニーとともに杏樹の愚かしいほどの可愛らしさが克明に映し出されていく。外側から見ていればこそ、わかる人間関係の残酷さと、受け入れられているようで排斥されている事実にさえ気づけない杏樹の愚かさ。彼女は居心地の悪さを感じながらも、その本質的な理由には一切気づくことができない。そのあまりにもリアルな人間の有り様が、あまりにも無惨で悲しすぎる。
杏樹は、「陰キャがカースト上位に入ったから妬まれたのか」と言い、それを梨花はカースト上位に入れた気になっているのかと呆れていたが、きっと杏樹も引くに引けなくなっているのだろう。カースト上位にいる、という自意識に縋っているのだ。そんなアイデンティティの確立されていない少女たちによくある滑稽さも、しかし覚えがあるからこそ刺さるものがある。
また、語り部である梨花もそうだ。彼女も杏樹に見下されながらも、杏樹に依存し、彼女へと並ならぬ好意をよせている。杏樹の滑稽さを嘲笑い、バカにするような語り口も、エミリの気を引こうとする杏樹に対する嫉妬心も関係なくはない。それが積み重なり、梨花はとんでもない事件を起こしてしまう。彼女が何をやったのかは、ぜひ本作をみて確かめて欲しい。ゾクゾクするような甘やかな怖気を覚えることは間違いない。
本作は、蛾(もしくは娥)が題材となっていて、小道具として多用される。醜いようでいて、よく見ると美しい造形をしている蛾は、この作品に出てくる毒性を孕んだ少女たちの姿に重なるものがある。思えばそうだ。蛾は、蝶の仲間なのだ。美しいだけでなく醜さも感じ取られる点でも、少女たちの残酷さをふくんだ心理に近いものが感ぜられる。この虫を本作の題材にした釣舟さんの感性には、本当に脱帽ものだ。彼女こそ真の字書きだと思う。
これだけ多くの言葉を尽くして語ってきたが、本作は非常に読みやすく文章量もさほど多くはない。だが、その文章量のなかに凄まじいまでの技巧と、深みのある心理描写と、人間関係に対する皮肉と、毒という毒が詰まりに詰まっている。驚異的に読みやすいのに、込められた情報量があまりにも多く衝撃的だから、初見では放心してしまうほどであった。これぞ、小説。これこそが小説。そう称賛しても、なんら過分ではない。
ぜひ、皆様こちらの作品を手にとっていただきたい。これは、天才の仕事である。
小説の面白さを、あなたはきっと嫌でも体験することになる。
何とも残酷な、毒のある真実「も」描き出す描写。
人の揶揄いの目や、主人公やヒロインの「イタさ」のようなものまで描きこんでいる分、ごまかしが無く。その中で感じられる情念というか複雑な感情は、毒百合でありながら「これぞ、百合」と言っていいのではないでしょうか。
ラブラブなだけではない、恋愛だけではない、ピュアなだけではない、執着のようなものが描かれた、なんともいえない魅力のある作品です。
憎しみであっても女性が二人いれば百合に含む、という話があります。「ただの憎しみ」を百合に入れることには私は躊躇しますが、この作品は、負の感情も含めたうえで相手への執着を繊細に描いた、「完全なる百合」です。
選ぶ題材も他にないもので、独自性が群を抜いています。
「毒百合、そして、独百合」。
殺伐百合がお好きな方にもお勧めしたいです。