善因悪果

逢神 悠

第1話

 最近、大学生を中心に若者の間で流行っているアプリに、リアーチャルというものがある。

 リアーチャルとはリアルとバーチャルを掛け合わせたものであり、その名の通り現実であたかも仮想空間にいる感覚になれるというアプリである。

 アプリを開いて流れる音楽をイヤホンで聞いて、動画を眺めるだけで自然と眠りへと誘われ、夢を見ている感覚が現実であるかのような錯覚を起こさせるのだ。なんでも特殊な周波数の音楽と、サブリミナル的な動画で脳の神経に直接働きかけるらしい。

 アプリの星の評価も高く、レビューも「本当に非現実的な世界を経験できました」、「皆さん嘘だと思って、やってみてください」など否定的な意見が見られない。

 そんなアプリをまさにインストールしようとしている男がいた。彼の名は松野優紀。A大学に通う2年生であり、友人の勧めで今日このアプリの存在を知ったのだ。

 寝ている間に仮想空間を体験できるなんて面白そうだと思った優紀は、家に帰るとベッドに寝転がり早速このアプリを開いた。イヤホンも両耳にさし、準備は万端だ。

 真っ暗な背景にローディングの文字が書かれた画面を見ること数十秒、開発元の企業名などが出ることもなく画面は真っ暗になる。

 そして何の説明もなくいきなり音楽と動画が流れ始めた。草原や草花の写真など自然を写した写真がスライド式に流れ、それに合わせたようなピアノの優しい音楽が非常にマッチしている。

 動画配信でよくある癒しの音楽や睡眠用の音楽に似ている。

「確かに、これなら眠くなりそう…」

 そうつぶやいた優紀の瞼は半分閉じている。そうして彼が完全に意識を手放したのはすぐだった。


 次に優紀が目を覚ますと辺りは真っ白な世界だった。これは夢だとわかる明晰夢に近いが、自分の体が実態としてしっかりあってこの世界で生きているという感覚もあり、非常に不思議な感覚を優紀は感じた。

 これからどうすればいいのか分からない優紀が、とりあえず辺りを見回していると天から綺麗な女性の声が降ってきた。

「初めまして。私はあなたの夢をガイドする天の声。まず初めにあなたの名前を教えてくださるかしら?」

 まるで歌うかのように、軽やかに言葉を紡ぐ彼女は、望む世界を正しく体験できるように道案内をしてくれるガイドだ。

 最初は警戒心を表した優紀だが、ガイドと聞いてそれを解いた。

「俺の名前は松野優紀です」

「分かったわ、優紀。ではあなたが体験したい世界はどんな世界かしら?」

「体験したい世界…?」

 最初のアプリの説明から、みんな同じ体験をするものだと思っていた優紀は、個人に合わせた仮想空間が生み出されるということに少々驚いた。

 それと同時にいきなり体験したい世界は何かと問われて、考え込む。

 できれば現実で出来ないことをしたい、そう思った優紀の脳裏に思い浮かんだのは英雄だった。優紀はRPGが好きで、ゲームの世界に入って自分もこんな冒険をしたいと常々思っていたのだ。

「決めた。俺、英雄になってみたい」

「英雄、ですね。分かりました。では私が良いというまで、瞳を閉じていてください」

 天の声に従い優紀はゆっくり目を閉じた。

しばらくすると、何もない真っ白な空間にどこからともなく風が吹く。

「さあ、目を開けて」

天の声に従い目を開けた優紀は、自身の体を見つめて驚いたような顔をした。ずしりと彼の体にまとわりつく鎧はいかにも騎士のようで、優紀は右手を上げると手のひらや甲を見つめたり、開いたり閉じたりを何度か繰り返した。

「すげぇ、本物の騎士見たいじゃん。それにこの場所、いかにもRPGに出てくる城みたい…」

 次に優紀は自身の周囲へと視線を向ける。先ほどまで真っ白だった世界は石造りの建物の中に変化していた。優紀の眼前には木製の大きな扉があり、その両横には顔まで覆った鎧を着て槍を持った兵士が立っていた。さらに彼の足元には赤いビロードが敷かれている。

「まずその扉を開いて王様に会いに行きましょう。彼があなたを呼んでるわ」

 天の声に従い優紀が扉を開けると、はるか向こうに王が座して待っていた。優紀はビロードの上を真っ直ぐ歩いていく。

 謁見の間も石造りになっており、両横の等間隔にある大きな窓からは、光が差し込んできていた。

 王の目の前までたどり着いた優紀は、とりあえず膝まずく。彼の気分はわずか数分ですっかり騎士になりきっていた。

「お呼びでしょうか。王様」

「おお、ユウキよ。よくぞ来てくれた。まずは面を上げよ」

 王はふくよかな体形に丸い瞳と、柔和な表情によく合った優しい声をしている。

 優紀は王の命令に従い立ち上がると、姿勢を正し、気を付けの体制をとった。

「実は我が愛娘ミューリスが賊に攫われてしまったのだ。奴らはどうも国境近くの時計塔で取引をするようなのだ。そこでユウキには取引現場を押さえ、ミューリスを救ってもらいたいのだ」

 王は王としての毅然とした態度を保ちたいと思いつつも、娘を攫われたことへの悲しみを抑えきれず、最後は涙ぐんでいた。

 そんな王の姿を見た優紀は、俺が王女を救って英雄になるんだと決意する。

「分かりました、王様。王女は必ずこの優紀が救って見せます」

 力強く宣言する優紀の言葉に王は表情を明るくした。

「ではミューリスを頼んだ。君の武運を祈っておる」

「はっ!」

 短く返事をした優紀は一礼し、謁見の間を後にした。

「ふふっ。気分はすっかり英雄ね」

 天の声は楽しそうに優紀に話しかける。

「ああ、本当に騎士になってるみたいだ。すごいなこの世界」

「楽しんでもらえてるようで、私もすごく嬉しいわ」

優紀は天の声と会話しながら、謁見の間を出たすぐ前にある階段を下りていく。そしてそのまままっすぐ進み城を出た。

城の庭には、美しいバラが植えられており、中央には大きな噴水がある。庭をぬけ、門を潜り抜けるとそこには活気あふれる城下町が広がっていた。

あちこちに出店があり、音楽を演奏する人やそれを楽しむ人など、通りは多くの人でにぎわっていた。

「なあ、まず俺はどうすればいいんだ?」

 救うとは言ったもののどうすればいいか分からない優紀は、とりあえず天の声に意見を求めた。

「そうねぇ、まずは外へ出て所持金を増やしましょうか。そして銃や刀を手に入れて装備を強化しましょう」

「そうだな。まずは最初の町の外で、レベリングするのが鉄則だよな」

目的が決まると早速町の外へ出て、モンスターを倒す。剣など使ったこともないが、さすが仮想空間といったところだろう。素人の優紀でも難なく敵を切り伏せていく。

 数時間そうしていると、モンスター自体から得られるお金と素材を売ったことで得られるお金とでそれなりの装備を手に入れることが出来た。

「よし。これで早速本格的に旅に出られるな」

 いざ、出陣と言わんばかりに力強く一歩を踏み出した優紀に待ったがかかる。

「待ってユウキ。まだあなたにはこの物語の終わりまで進める力がないわ。限られた時間のなかでスムーズに進めるよう、道具屋に行って強化剤を買いましょう」

 確かに一理あるなと思った優紀は、素直に道具屋へ向かい強化用のドリンク剤を手に入れた。店の外へ出ると、優紀は一気にドリンクを飲み干す。ドリンクは非常に甘く現実でいうと炭酸飲料に近いものだ。

  ゲームの世界と同様に即効性のある強化剤は、すぐに優紀に影響を与えた。何もしていないにも関わらず、内側から力が湧いてくるような感覚を服用者に与えるのだ。

「これで準備は整ったわ。それじゃあ、目的地の時計塔を目指しましょう」

「よし。それじゃあ、姫を助けに行こう」

 今度こそ本当の冒険に進むために町を出る。天の声によるナビがあることで迷うことなく進んでいく。

 そして歩くこと数時間、目の前に分かれ道が出てきた。

「なあ、これはどっちに進んだら良いんだ?」

「そうねぇ、どちらも目的地に進めるけど、左に進めば近道になるわ。さあ、どうする?決めるのはあなたよ」

 そう言われると、近道を選びたくなるのが人間というものだ。優紀も多分に漏れず近見を選んだ。

 ただ近道には苦労がつきものなのもよくある話で、左の道を進んだ先に待っていたのは峠だった。

「うそだろ、これ上るのかよ…」

 優紀の目の前には急こう配の坂。見るだけで体力が奪われてしまいそうなくらいだ。

「頑張って。あなた英雄でしょ?」

 応援してくれている天の声は微かに笑いを含んでいた。

「あんた面白がっているだろ」

 実際に存在しているわけではないが、顔を上に向けた優紀は空を睨みつける。そして大きなため息をつくと峠を登り始めた。

「えらい。えらい」

 他人事のように言う彼女の声は非常に楽しそうだ。

 そんな彼女に文句を言う気すらなくなった優紀は、無言で歩を進める。

 そして、峠を越えた時だった。草むらがガサガサと音を立てると同時に、体格のいい男と痩せた背の高い男と、背の低い男という凸凹の組み合わせの三人組が現れた。身なりは薄汚れ、顔も黒ずんでいていかにも賊ですと言わんばかりのなりだ。

 その中で見るからにリーダー格のような、体格のいい男が優紀の目の前に立ちふさがった。

「よお、兄ちゃん。いい身なりしてるじゃないか。持ってる荷物全部おいて行ってもらおうか」

 野太い声でそう言う男の後ろで、背の高い男と低い男が下卑た笑い声をあげる。

 だがそんな男たちを前にして優紀は微動だにしなかった。それが気に食わなかったのだろう。体格のいい男は畳みかけるように言う。

「さっさと荷物をだせ!命まで奪おうってんじゃないんだ。素直に俺に従ったほうが身のためだぜ」

 「兄貴、あいつきっとビビっちまって動けないんですよ」

 背の低い男がなおも動こうとしない優紀を見て、笑いを含んだ声で言った時だった。

 優紀はやっと動き始めたかと思うと、静かに剣を握る。

ただでさえ疲れている彼の怒りは、賊の登場という面倒ごとに一気に頂点へと達する。

彼は一言も声を発していないが、怒気を含んだオーラは、それだけで相手を制するほどだ。

「あくまでも抵抗するなら、こっちも容赦しないぜ」

 強気な発言をしているが、体格のいい男の額にはうっすらと汗がにじんでいる。

「それなら丁度いい。俺も手加減はしない」

 言葉を言い終わるよりも早く地面を強くけって走り出した優紀は、勢いそのままに鞘の先を背の低い男の腹に食らわせる。そして、その流れのまま背の高い男の首後ろを、鞘に収まったままの剣で殴る。

 一瞬の出来事で何が起こったか理解できぬまま二人の男は気絶した。

「さあ、残ったのはあんただけだ。今このまま立ち去るなら、見逃してやろう」

 さっきとは全く立場が逆転している。

 恐怖で怯える体格のいい男は、言葉を発そうとしているが、口をパクパクさせるだけだ。

 その姿を見て戦意を失っていると察した優紀は、三人の男を横目にその場を立ち去った。

「災難だったわね。優紀」

「そうだな。まぁ、冒険に賊っていう組み合わせは王道らしくていいけどな」

「それなら良かった。じゃああと少し頑張りましょう」

 下り坂になって楽になった優紀の表情は、先ほどより明るくなっている。やっと峠を越えて再び平坦で真っ直ぐな道を進む。

「時計塔までもうすぐよ、優紀」

 天の声が言う通り、木々の隙間から微かに尖塔が見えている。

「よし。それじゃあ急ごう」

 目的地を見つけて優紀の足取りが早まったところで再び待ったがかかった。

「待って優紀。あの時計塔に一人で乗り込むのは危険よ。だから敵を錯乱させてその隙にお姫様を助け出しましょう」

「錯乱させるのは確かにいい手だと思うけど、どうやってするんだ?」

「私にいい案があるの。この先に小屋があるから、そこで簡単な爆弾を作りましょう」

 天の声がいうように道のわきに、簡素な造りの小屋が見えてきた。

 小屋の中には、木の箱が乱雑にいくつも積みあがっている。

「まずはその箱を割って。持ち上げて叩き落せば簡単に割れるから」

 天の声に従い優紀は次々と箱を割っていく。箱の中から素材を手に入れると、彼女の指示に従い爆弾を作ることに成功した。

 そして夜になるのを待って作戦を決行することになった。

 時計塔の前の草むらに隠れ、賊が現れるのを待つ。

 暗くなってしばらくすると、建物から複数の足音と声が聞こえる。

「やめて、引っ張らないで!」

 その中でもひときわ透き通る女性の声が聞こえる。彼女が王女ミューリスだ。金髪に碧眼でピンクのドレスを身にまとった彼女は、これまたいかにも王道といった感じだ。

 王女と賊の姿をとらえた優紀は作戦を開始した。

時計塔から少し離れたところに爆弾をいくつか仕掛け、一気に爆発させる。

その音に驚いた賊たちは爆発が起きたほうへと目を向けた。

「なんだ、今の爆発は?」

 慌てた賊たちの何人かが爆発した方向へと向かう。そして王女の近辺が手薄になったところで、優紀は王女のもとへ駆けつけた。

「王女は返してもらおう」

 剣を構えた優紀は賊と対峙する。

「何だ、貴様は!」

 突然の出来事が重なり上手く状況がつかめていない賊たちは、冷静さを失っている。

「俺は姫様を守る騎士、優紀だ」

名乗りを上げた優紀は素早い動きで、次々と敵を薙ぎ倒していく。そして最後の一人を倒すとぼうっとした表情で立っていたミューリスの手を掴んで走り出す。

「よくやったわ、優紀。近くに馬を用意させているから、それに乗って一気に城を目指しましょう」

「ありがとう」

 優紀は天の声に礼を言うと、木にくくりつけられた白い馬にミューリスを乗せる。そして自身も馬に乗ると一気に走らせた。

 行きよりもはるかに短時間で街に帰った優紀を待っていたのは、多くの民衆だった。

「ミューリス様が帰ってきたぞー」

「勇者、ユウキ万歳!」

 皆口々に喜びの声を上げ、優紀を称賛する。

 それを見てミューリスは涙ぐみながら、優紀に一礼する。

「ありがとう、ユウキ。本当にありがとう」

「いえ、騎士としての務めを果たしたまでです」

そんなやり取りをしていた二人のもとに王がゆっくりと近寄る。

「娘を無事に連れ戻してくれありがとう。ユウキ、本当によくやった。そなたの勇敢な行動は、これから英雄として人々によって語り継がれていくだろう。今回の働きに対しそなたに特別な階級を与えよう」

 王にそう言われた優紀は達成感に満ち溢れていた。そして何より喜びに沸いている民衆を見て、英雄になれたという感覚がリアルに感じられる。

「さあこれであなたの夢は終わりよ。お疲れ様」

 民衆に向かって手を振っていた優紀に、天の声がそう告げると、彼は急激な眠りに誘われた。抗いきれない眠気に瞳を閉じる。達成感と幸福感をのこしたまま優紀の意識は現実へと戻された。

 優紀の耳には再びヒーリングミュージックのようなものが流れてきており、彼はゆっくりと瞳を開けた。もちろん目が覚めたらベッドの上に戻ると思っていた優紀はなぜか立っていた。しかも優紀が今いる場所は自室ではない。彼は警察署前に立っていたのだ。

「なんで、警察署…?」

 状況が把握できず困惑する優紀に、今度は二人の警察官がゆっくり近づいてくる。

「君、最近ここらで騒ぎを起こしているという人物によく似ているね。少し話を聞かせてもらってもいいかな?」

 警察官の言うことでさらにわけが分からなくなる。ただ無駄に抵抗はしないほうがいいと思った優紀はとりあえず警察官の指示に従って署内に入った。

 そして彼に告げられたのはバーチャルよりもはるかに想像を絶するものだった。

「君ね、銃刀法違反や麻薬、傷害罪、不法侵入罪を含むあらゆる罪を起こしてるんだよね。その自覚はあるかな?」

 自覚はあるかと問われても、さっきまで自室で寝ていた彼にそんなものはあるはずがない。優紀は真っ白になる頭で、首を横に振って否定の意思を示す。

「自覚はないか…。でも君ね、証拠がたくさん残ってるんだよ。ほら、これを見て」

 差し出されたパソコンの画面に目を向けるとそこには、優紀ともう一人男が写っていた。そして映像には危険物や麻薬の売買を行っている姿が防犯カメラに捉えられていた。

 また映像が変わると住宅に入り込んで、手当たり次第に家具を破壊している姿も捉えられていた。

「さあ、これでもまだ白を切るつもりかな?」

 警官の声は優しそうだが、威圧感が半端ではない。

「なんで、こんなことに…?バーチャルの世界だと思っていたけどまさか…」

 英雄になりたいと望んでいた彼の行動は、現実世界では罪人と全く変わりないものだったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

善因悪果 逢神 悠 @u_ogm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る