一の国 クレードル

第4話 腹ごしらえ

 轟轟と流れる濁流。それは深く黒く濁って、飲み込まれたものは一瞬のうちに光を失っていく。カランと音をたてて落ちたランプのそばで、白衣姿の少年が今にも飛び出しそうな身体をひしと抑え込んでその光景を見つめていた。


​───────某所、某刻。

 「世界樹の再生」を目的として旅をすることになったジェルとシェムは、どちらも黙りこくって食卓を囲んでいた。

 カシャンと食器の底に銀スプーンが擦れる音が響く。一口すすれば暖かなスープが全身に溶けるように広がり、体力や魔力が回復できる優れものの食事。それを一足先に終えたジェルは自分の分の食器を片付けると、食堂の返却口へと向かうために立ち上がった。


「……っあ、あの」


 静寂を破る掛け声。おそるおそると言うように声をかけたのはシェムだった。


「……何。片付けてくるから後ででいい?」

「いや、その……」

「だから何?」

「な、なんでも……ないです」

「そう」


 彼女の圧に負けたのか、シェムは見るからに縮こまってしまいもそもそと食器に残っていたパンを食べ始めた。ジェルはといえば物珍しそうにこちらを見つめてくる周囲の視線を跳ね除けるように堂々と食堂の中央を歩き、返却口へと食器を置いて元の席へ踵を返した。その間、先程不躾な視線を向けてきた何人かにガンを飛ばして牽制をする。


 魔法学校、その寮の中にある食堂は今日も数多くの魔法使いやその見習いたちが食事をするために集まっていた。魔法学校の中でも一匹狼を貫き、他者の追従を許さないことで有名なあのジェルが、どこからか学校外の魔法使いしかもまだ年端のいかない少年を連れてきたことに多くの人が驚いたのだ。

数日前、学校に認めてもらう「成果」のために出掛けて行ったきり行方知らずとなっていた彼女は、今日の昼間にぽんと帰ってきた。カザミドリで連絡を受け取っていたとはいえ、心配していた寮母さんが説教交じりの出迎えをしたのだがそれはまた別の話。寮母さんのお説教もほどほどに聞き流し、ジェルはお腹が空いたと言って食堂に腹ごしらえをしに赴き今に至る。


 シェムは席に戻ってきたジェルをチラチラと見つめ、居心地が悪そうにため息をついた。先程の視線はジェルだけでなく、自分にも向けられていたことがなんとも歯がゆい。魔法学校に通っていない魔法使い、とは学校の生徒にとって野生の魔法使いだ。気にならない方が珍しい。そしてシェムにとって魔法学校の生徒は、憧れの存在だった。突然憧れの人々の中にぽんと身を置かれて緊張するなという方が無理がある。


「……それで」

「えっあっはい!」


 次に静寂を破ったのはジェルの方だった。椅子の背もたれにおもいきり寄りかかり、足を組んでいるその姿はまさに全身で「不機嫌です」を表していて下手に話しづらいオーラを放っている。


「なにか話があんでしょ。ここに来るまでもずっと聞きたそうにしてたじゃない」

「あっ……その……実は」

「簡潔にまとめて話して」

「は、はいっ」


 不機嫌そうなジェルと対照的にビクビクと震え上がりつつ話をするシェムは、見るからに滑稽だった。


「実は……僕、学校に来るの初めてで……」

「知ってるわよ。魔法使いの"おじさん"に色々教わってたんでしょ」


 と、そういうことになっている。魔法学校に通わず、身内や知り合いの魔法使いの弟子となり魔法を学ぶ人も少なくはない。「大魔法使いの弟子」だなんてことが触れ回れば、先程の視線が比にならないほどの注目が集まってしまう。そのため「身内のおじさんに魔法を教わっている少年」として振る舞うようルールを定めたのだ。


「そ、そう、だからずっとここ、憧れてて……」

「……」

「とても……緊張しています……」


 語尾がどんどん小さくなり、まるでシェムの身体が実際に小さくなっていくような錯覚を覚える。かァーっと赤くした顔をとんがり帽を深く被って隠し、もごもごと口を動かした。


「それだけ?」

「そっそれだけ、じゃないけど……」

「まぁいいわ。人の目も気になるんでしょうから私の部屋に来なさい」

「えっま、まだ食事が」

「早く」

「は、はいっ」


 急かされるままに残りの食事を胃の中におしこんでいく。普段シェムが食べる食事と違い、食材を魔法で多めに加工していることがわかる。少し変な違和感を感じたものの、これ以上ジェルをイラつかせたくないと焦っていたためそれ以上食事を味わう余裕はなかった。



 この世界は世界樹を中心として国々が広がっている。世界樹に近いほどその恩恵も多く受けられるが、代わりにあまりに遠い土地には誰も住むことができない。そしてその世界樹に最も近い国こそがここ、「世界樹のゆりかご」​──クレードルである。

 クレードルは二つの地域に二分されており、今ジェルたちがいるのは魔法学校がある他国との交易を行う街「アウトサイドタウン」だ。外側の街、その名の通り世界樹の外側を囲うように広がっている。


 食堂からさっさと移動し宿泊寮へと向かったジェルは、数日ぶりに自分の部屋の扉を開いた。転びかけつつもあとをついてきたシェムもその中を覗き込む。部屋の中は簡易ベッド、机、沢山の魔法道具、そして大量の本、本、本で溢れかえっていた。


「……わ、すごい……」

「変なところ触らないで、ものの位置ズラされるとあとあと面倒なの」


 そっと本に触れそうになっていたシェムはビクッと身体を硬直させて、さっさと中に入っていったジェルのあとを追いかけた。ジェルはぼすんと音を立ててベッドの上に座り込み、そばにあった真新しいメモ帳を手に取ってサラサラと何かを書きながらベッドのそばの椅子を肘でさす。


「そこ座って。これからの動き確認するから」

「わ、は、はい……」


 いわれるがまま椅子に座れば、ただの丸椅子だったそれが、シェムの体の形に合わせるようにしてやわらかなクッションのついた背もたれを出現させる。


「ひぇ……」

「なによ。そんなに珍しい? 大魔法使いの弟子の癖に」

「あ、はは、僕らの住まいは古いものばっかりでこういう新しい道具はちょっと……」

「ふーん。ところで、あんた知見者ベイジルって知ってる?」

「……ベイジル? どこかで聞いた気が……」


 ジェルは何かを書き留めていたメモ帳を置くと、ベッドのそばにあったガラス球のようなものに触れる。ピッと音がしたかと思えば、何かたくさんの資料のようなものが空間に投影された。その資料はいくつかの画像とその横に詳細が書かれているものらしい。それらのうち、真っ黒な画像が映し出されている資料のひとつをシェムの近くの空間に映しなおす。


「クレードルのどこかに、ここ30年ほど姿をくらませた知見者、ベイジル・ワートソンがいるらしいの。なんか人嫌いを拗らせてるみたいで、普段は魔物と一緒に過ごしてるって噂よ。もしかしてあんたたちなら交流があるかもって思ったんだけど」

「……ベイジル……バジル。ああ、バジルさんか!」


 じっと真っ黒な画面を眺めていたシェムが合点がいったというようにぽんと手を叩いた。そして少し困ったようにジェルのことを見る。


「交流……というか、昔に何度かお会いしたことはあるんだけど、最後に会ったのはもう数年前で僕がかなり小さかった頃なんです」

「数年前……30年前よりはましよ。なあんだ、やっぱりこの辺に居たのね」

「まぁ、それもそうなんですけど……数年前、魔物の巣窟に行くといったきり戻ってきていないんです。心配になって師匠に聞いてみても"人の死は風が教えてくれる"としか言ってくれなくて」

「それって、まさか死んでるかもしれないってこと?」

「えーと、まぁ、はい」


 苦々しい顔をしながら、ジェルは空間に映しだされた黒い画像を見つめる。そこにぎょろりと赤い眼球が突然姿を現した。


「……邪魔よ。というよりさっさと姿現しなさいよ。この部屋は結界がはってあるから姿見せても大丈夫だってわかってたでしょ」

「居心地がわりぃんだよこの部屋……一体いくつ魔力混ざってんだ……」


 先ほどからずっと姿を消していたものの、ウノも二人のそばにいたらしい。眼球が一つだけのぞけるほどの小さめな姿で空間に浮いている。ジェルの部屋には大量の本、もちろん魔導書も多く置かれており魔法道具も所狭しと並べられているくらいには量が多い。


「そういえば昔は魔力の種類が少なかったんですよね。いまよりもずっと光の密度も高かったし」

「すくなくともそこの変な球体みたいなとこからでてくる魔力は知らん。初めて感じる味だ」

「ちょっと光食べてんじゃないわよ。ここよりも外側の国からの輸入品よ。魔力が少ない代わりに別の技術を使ってるらしいわ。そっちはまだあんまり知識が追い付いてないんだけど……」

「使えねえな」

「うるさいわね」


 ここにくるまでに何度も見たジェルとウノのやりとりをシェムはあはは……と苦笑いでかわした。そして、ずっと聞けずに抱えていた疑問をようやく口に出す。


「あの……どうしてお二人は師匠の頼み事をこころよく聞いてくれたんですか?」


 その言葉に、顔……というより顔と目を合わせる二人。そして互いにふっと目を逸らすと、示し合わせたかのように同時につぶやいた。


「「約束だから」」


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非常食少女 イーニ/おいよ @inico

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