最終話 本当の願い
六月八日、午前八時五十五分。葵と西田の姿はフェリー乗り場にあった。ひと悶着あったが、これで二人の旅は終わりを告げることになる。
葵が感慨深く思って振り返ると、鬼頭一を本土へ連行する只野と、それを見届けに夏美さんの写真を片手に来た日向、葵を見送りに来た聖の姿があった。
「葵、何から何までありがとう。私は、ようやく自分の人生を歩めるような気がするよ」
「それならよかった。私こそ、ありがとうございました。聖さんがいなきゃ、きっと心が折れて、真相にはたどり着けなかったと思います」
「ふふっ。私が、本当に優しかったからね」
冗談めかして言う聖。葵と聖の二人は、互いの顔を見て笑いあっていた。
「でも、本当に良かった。葵には、私と同じ道を辿ってほしくなかったから。誰も助けられないって自分のことを責めたり、自分の能力を恨むようには、なってほしくなかったから」
「おかげさまで、私が何をどうするべきか。進むべき道が見えました」
二人は、固い握手を交わす。年齢や性別だけではない、異能力者という特殊な境遇が生んだ友情だった。
「そうだ。これも何かの縁だし、連絡先交換しようよ」
「分かりました。では――」
そういうと葵は、何処からともなく紙を取り出した。それは、三神神社の住所や電話番号などの詳細が載った、名刺のようなものだった。
「……なにこれ?」
困惑する聖。
「なにって……連絡先ですよ。さあ、聖さんのもください」
手を差し出す葵。
「聖さん。こいつ、残念ながらスマホとか持ってないんですよ」
間に入る西田。
「あんた、誰」
昨夜の格好つけた西田とはまるで別人のように砕けた話し方だったので、聖には誰だか分らなかった。
より困惑する聖。その目の前で、住所の書かれた紙を待ち続ける葵。その横で、昨夜とは別の格好つけた話し方で自己紹介する西田。だがその自己紹介は、誰も聞いていなかった。
「ていうか葵、スマホも持ってないの!? 信じられない。今時、どうやって生活してるの。連絡を取りたいときはどうするの」
「手紙か伝書鳩ですかね」
「伝書鳩!? 何時代の人間よ、あんた」
「さすがに冗談ですよ」
二人は、また笑いあった。その横では、まだ西田が自己紹介を続けている。現在は、自作のポエムを朗読中だった。
「これ、使いな」
只野が、胸ポケットから取り出した手帳を聖に差し出す。
「こんなことに使って、いいんですか?」
「今の俺じゃ、片手で手帳を持って、もう一方の手で書き込むなんてできないからな。こいつも、使ってもらった方がいいだろ」
只野は右手の方に何度か視線を送りながら、少し元気のない声で言った。聖は手帳を受け取り、清家神社の住所や電話番号、自分のスマホの電話番号も書いて、そのページを千切って葵に渡した。葵はその紙の切れ端を見て、笑顔になった。
「絶対、手紙書くから。当主として、しっかりやっててよ」
「葵こそ、早く神社継ぎな。そうなったら、巫女舞で共演ね」
「うちの舞は、難しいよ」
「昨日見て、全部覚えた」
「すごい! もう覚えたの」
「嘘だよ。覚えられるわけないでしょ」
二人の関係は、とても微笑ましいものだった。その頃西田は、ようやく自己紹介を誰も聞いていないことに気付き、一人いじけていた。
「しかし。私も悪人ですが、島民を大勢巻き込んだこの人に連行されることは、どうも納得がいきません。これでは私が悪役で、彼がヒーローではないですか。事件の規模としては、彼の方が圧倒的に大きいのに、ですよ。だからこそ、彼の方が事件の規模は圧倒的に大きいんですから」
只野に連行されている鬼頭が、愚痴をこぼした。
「よく夏美の前で、そんなことが言えるな」
日向が手に持った写真を、鬼頭の前に突き出した。それを見た鬼頭は、そっと口を閉じた。
「まあ、一さんの言うことにも一理あるから」
確かに、被害規模でいけば只野の方が大きいだろう。しかし、只野は鬼の力という超自然的な力を持ってその犯行を行ったため、その行いを裁けない。刑法上、その犯行を科学的に立証できなければ、裁くことはできないと定められているからだ。
「それで正しいんですよ。只野さんは、ヒーローです」
と、葵。隣で西田が、只野に自分が消されたという事実に驚いて、何度も葵に事実確認しようと話しかけているが、葵は一切応じなかった。
「島民全員を消した人がヒーローとは……私が知らないうちに、ヒーローという言葉の意味は変わったのでしょうか?」
「いえ、只野さんはヒーローです。もし只野さんがヒーローじゃなかったら、私は何一つ真実にたどり着けなかったかもしれません。途中で手段を間違えても、悪の手に落ちても、ハッピーエンドを呼ぶことができる人を、人はヒーローと呼びます」
葵がそう言うと、只野が目を逸らした。葵とは反対側に顔が向いているが、耳まで赤くなっていたため、どのような表情をしているかは想像がついた。
大きな汽笛が鳴る。フェリーが間もなく出向する合図だ。
昨日鬼の力から解放された人々が、次から次へとフェリーに乗り込んでいく。葵と西田、只野と鬼頭もその後に続く。
「じゃあね」
聖は大きく飛び跳ねながら手を振り、葵たちへアピールしていた。葵も、そのアピールに答えるように手を振る。
「なあ、只野さんが俺たちを消した張本人だって話、本当なのか?」
人でごった返している通路を席まで移動する中、西田が葵の耳元で囁きながら聞いてきた。
「ええ。本当よ」
「じゃあ、なんで只野さんがヒーローなんだよ。むしろ、悪陣営のボスだろ」
「違うよ、きっと。あの人はそんなに悪い人じゃないから。だって、今回の生存者の選抜が明らかにできすぎだと思わない? まるで、事件を解決してくれといわんばかりだよ。夏美さんの事件を解決するために必要な人は日向さんと一さんだし、聖さんを助けるために必要なのは本人と神倉先生だし、鬼を特定できるであろう島長までいたんだよ」
そんな話をしていると、葵たちは自分の席に着いた。荷物を整理して着席し、葵は一息ついた。西田はまだ落ち着かない様子で、隣に座る。どうやら西田の脳みそには、この話は難しすぎるようだ。
「なんだよ、葵。お前の話は回り道が多すぎるんだよ。第一、俺は今回の事件をまるで知らないんだ。だから、一から十まで全部説明して――」
乗客のほとんどが席に着いた時、船内放送が流れ始めた。
「六月八日月曜日、午前九時出発。隠鬼の島発――」
そこまで船内放送を聞いたところで、西田が急に話を中断して眉間にしわを寄せた。その顔つきは、これまで葵が見たことないほどに険しく、凛々しい顔つきだった。
「なに。急に黙らないでよ、気持ち悪い」
「いや、なんか今嫌な予感がしたんだ。俺たち、何か大事なことを忘れている気がするんだ」
「大切なことって?」
「それが何か思い出せないから困って――」
「ママー、今日学校間に合わないね。お休みしよっか」
西田の言葉を遮るように、船内にいた小学一年生ごろと思われる子どもの声が響いた。西田と葵は、二人で顔を見合わせる。
「学校だ!」
二人の息は、ぴったりだった。
「ちょっと勘次郎、あんたスマホ持ってるんでしょ。電話しなさいよ」
「無理だよ。港まで送ってもらったときに、母さんの車に置いて来ちゃったもん」
「この馬鹿、何のための携帯よ! 携帯せずに、何が携帯電話よ!」
「なんだよ。そもそも持ってないやつに言われたくないんだよ! ……あれ、待って。今俺のこと勘次郎って呼んだ?」
「なによ、今更」
「いやー、これも鬼の力の影響なのか、祭りの記憶があやふやでさ。これってつまり、俺たちはその……恋人関係になったってことでいいんだよな」
「……自惚れるのもいい加減にしなさい。気持ち悪い。私とあんたが恋人? ふん。バカもやすみやすみ言いなさい」
「あれー? でも葵はいつぞやか、下の名前で呼び合うのは恋人同士だけだって、そう言っていたような気がするなー」
「覚えてないわよ、そんなこと。いつの話してんのよ」
「いつかは、関係ない。それよりも、俺と葵が下の名前を呼びあっているのが重要。これはつまり、恋人になったということですよね。ね!」
「……言ってない」
「……なにが?」
「西田のこと、下の名前で呼ぶわけないでしょ。ばーか」
「は? さっき呼んだだろうが。素直になれよ」
「呼んでないわよ!」
「呼んだ!」
「呼んでない!」
「呼んだ!」
「呼んでない!」
二人の掛け合いは、声が大きくなりすぎて、近くに座っていた赤ちゃんが泣きだすまで、しばらく続いた。
一方その頃。先頭の席に座った只野は、鬼の力を使ったあの日のことを思い出していた。
あの時、自分は迷っていた。清家聖の事件をいつまでの捜査していることで島民から白い目を向けられ、島長には祭りの日に本土行きを命じられた。まるでお役御免だと言われたような、そんな気がしていた。
自分にとっては、あの事件を解決することこそが、この島を平和にするために必要だった。だが、大多数の島民は違うのかもしれない。事件のことは忘れて、また笑顔で日常を送れるようになる方が平和だと思っているのかもしれない。
どちらが正しいのか。考えても、答えは出なかった。
だから、フェリーに乗るフリをして港の近くの森に潜み、午前零時丁度に右手を天高くつきあげて、こう願った。
“この島で起こった、すべての悲劇を解決する”
(了)
消えた島民たち 佐々木 凛 @Rin_sasaki
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