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  • 鬱サバイバーである私は、私自身および家族を含むすべての「健常者」を、未「障害者」だと思っています。

    作者からの返信

    >尻鳥雅晶 様

    コメントありがとうございます。
    なるほど、そういう捉え方もありますか。

    誰でもいつ、どんな症状や障害を負うことになるかわからないので、もしかしたら健常者と障害者との境界線なんて非常に頼りなく、危ういものかもしれません。

  • 「目が見えない美少女」は確率的に実在すると思います。

    作者からの返信

    >尻鳥雅晶 様

    コメントありがとうございます。
    自分の知人に美人のろう者もいますので、目が見えない美少女というのもいるかもしれませんねー。

    ただ、それで良からぬ輩に悪さをされるというケースもちらほら聞きますので、複雑なところです。

  • 前に「普通に書いちゃってた」と書きましたが、手話で会話をするキャラを、カクヨムに上げている作品にも登場させています。読唇はできる設定だったので、普段は無口に見えるけど、いざ手話や筆談になると饒舌になるキャラになりましたね。

    児童文学ですが『目で見ることばで話をさせて』という本を最近読みました。
    アメリカに実際にあった島で、島民の4人にひとりが聴覚障害者のため、公用語が手話だった島の話です。
    会話文のカギカッコが、口に出す言葉「」と、手話の言葉〈〉と、口で話しながら手話をする言葉《》とで書き分けられていて、面白いなと思いながら読みました。
    いろんな書き方を試行錯誤したら、面白い表現が生まれそうな気はします。そういうの、けっこう書きたいなと思っちゃうタイプです(o・ω・o)

    作者からの返信

    >みりあむ 様

    コメントありがとうございます!

    ああ、リアルでもいますね。手話もしくは筆談だといきなり饒舌になるタイプ。というか、自分がまさにそうでした。

    『目で見ることばで話をさせて』という本があるとは存じませんでした。内容にいたく興味を惹かれたため、調べてみます。ご紹介ありがとうございます。

    会話文でのカギカッコの使い分けで手話で話してるのかどうかを表現する、というのは普通にアリですね。手話は「見る言語」という特殊性があるので、他の言語と一緒くたにするのはあまり良くないんじゃないかという気もしますが、英語などで会話する時だってカギカッコでやるじゃん!! となりますので、まぁ……「手話で話してます」ってことが読者に伝われればいいのかなぁ? とちょっと考えたりしてます。

    こんな風に試行錯誤していくのも、創作では大切ですね。ぜひ、どんどん書いてみて下さいませ。自分も、自分なりの表現を見つけていきます。

  • 障害者を書くとクレームが……そうなんだ……普通に書いちゃっていました。。。
    児童文学などだと、「子どもに知ってもらう」という目的のためか、障害者が出てくる作品は多い印象です。もちろん、それをテーマとして扱っている場合であって、普通に登場人物の一人として出すのはまだ少ないですが。
    でもハリウッドのポリコレとかが浸透してきているので、「普通になんの必要性もなく」障害者を出すことがこの先「良いこと」になっていくだろうなと思っています。

    作者からの返信

    >みりあむ様

    コメントありがとうございます。恐縮です。

    いえいえ、全然大丈夫だと思います。「普通に書いちゃってる」という認識は得難いものではないでしょうか(個人的な感触ですが)。

    ハリウッドのポリコレ……深く踏み込んで調べたことはまだないのですが、なんかめんどくさそう……と感じてますね。今のところ。障害者とは別の意味で厄介なケースもあったりしますし、歴史も絡んできたりしますし。

    最後の一文の「良いこと」なのですが、自分にはそれが「良いこと」なのかどうか、判断がつきかねています。しかし思索のためのヒントを得られて、とてもありがたく感じております。

  • 企画参加ありがとうございます。感想を残します。
    クレーム上等というタグで、最後の“「書くのは自由だけど、気をつけてね」というスタンス”がトーンダウンした印象を受けました。個人的には、もっと強く言い切った方が好きです。

    作者からの返信

    >さんが(山可)様

    コメントありがとうございます。

    確かに、その通りですね。ここまで好き勝手言っておいて、「気をつけてね」というのはちょっと勢いと言葉が足りなかったかもしれません。

    このエッセイの投稿は不定期、書けると思った時にしか書かない感じなのですが……今度からは頂いた意見をもとに、意識してやってみます。


  • 編集済

    障がいと言っても様々ですよね。
    目に見える身体的なもの、見えない精神的なもの、先天性、後天性、軽度、重度……
    中には、本人が障がいと思ってないケースもあれば、身内が認めないケースもある。歴史背景によっては障がいと認められないものもある訳で……

    色々考えると、私はファンタジーを舞台にすることが多いので、背景的に、障がいを扱うのは難しいですね。

    追伸。
    実は20年以上前、福祉系大学卒で障がい者福祉専攻だったもので、古い知識ならあります。でも、だからこそ書けないんですよね。
    昔は、現代もので書こうと思ったこともあるんですが、メッセージ性が強くなる、書き手としての立ち位置に自信がなくなる……等々、迷子になりました。
    そんなこんなで、扱うことは難しいんですよね~。
    でも、差別という視点では扱ってます。それがハーフエルフ(人とエルフの混血)なんですがね。どっちの種族にもない特徴と言うのは、ある意味、障がいに繋がるものがあるかと思います。

    作者からの返信

    >日埜和 なこ様

    コメントありがとうございます( ^^) _旦~~

    そうなんです、様々なんです。昔は「障害があるなんてかわいそう」という目で見られていたのが、近年は「障害は個性だ!」なんてオイと突っ込みたくなるような見られ方もされてます。世間からの反応というものも、様々だったりします。

    歴史を振り返れば障害者という理由で虐殺されたケースもありますし、山へ捨てられたことも、死ぬまで幽閉されたことも、思い詰めた親と一緒に自殺ということになったケースだってありますし。「障害者が親だと、生まれる子供も障害者になる!!」といって強引に中絶手術を受けさせられた人だっていますし。


    日埜和さんの作風、現在お書きになっているもので、必要性がないのなら無理に出さなくてもいいのでは……? むしろ、「障害を持っている」というだけで読者の目がそっちに行きかねません。

    その部分を読んで欲しいのであればともかく、そうでないのなら最初から扱わない方がいいと個人的には思っています。

    作風にそぐわない、書ける自信や知識がない、世界観と合わない……色々お思いの部分もあるでしょうが、「書かない」「要らない」というように、創作においては「選択肢から外す」「切り捨てる」ということも肝心かもしれません。

    「切り捨てる」って嫌な言い方ですけども、現実の方が何万倍も残酷ですし……ファンタジー小説で「障害者が出てこない!」って騒ぎ立てる輩なんていませんよ(と信じたい)。