Sなかよし館おもいでツアー

ぶざますぎる

Sなかよし館おもいでツアー

[1]

 骨董品店へ、男3人組が強盗に入った。3人は店主の男性を縛り上げ、店内を物色していたが、店主は異常な状況と拘束によるストレスを受け、心不全で死んでしまった。3人は後日、強盗殺人の容疑で逮捕された――。

 そんなニュースがテレビで流れた。私は特別な感慨もなく、それを眺めていたが、映し出される容疑者の1人を見て「おい、おい」と思わず声を上げた。


[2]

 Sなかよし館は、家庭やエスニック等、諸々の事情で居場所のない子どもたちを保護する目的で設立された。私は一時期、そのSなかよし館でボランティアをしていた。ボランティアとは言い条、私は施設の運営に携わった訳ではなく、やることと言えば、子どもたちの遊び相手になるだけだった。

 私は既に成人していたが、根が幼稚なこともあって、子どもたちとは、すぐに打ち解けることができた。おそらく子どもの側から見ても、どこか間の抜けた感じのする私に対しては、他の大人と比べて何ら脅威も感じなかったのだろうし、これは昔からよく言われることだが、どうも私の挙動は社会適合能力の完全な欠如を感じさせるらしく、そうした哀れなヒト形の何かに対して、子どもたちはどこか珍獣でも見るような興味を抱いていたのだろう。

 子どもとは言い条、なかには二十歳前後の連中も居た。私が仲良くなったKも、17歳だった。Kはいわゆる不良で、地元では、それなりに名が通っているらしかった。生憎、私は流浪の果てにその土地にたどり着いて間もなく、彼の評判については識らなかった。

 そもそもボランティアを始めたのは、孤独な生活を少しでも癒したいと思ったからだった。

 Sなかよし館の職員の話によれば、Kの不良生活はだいぶ凄惨なものだが、Sなかよし館に居る間に限れば、そんな気配はおくびにも出さない、ということだった。

 私は不良ではなかったし、どちらかと言えば、不良の餌食になるタイプだった。

 平生の私は、ひどくオドオドとした人間であり、Kが狼だとすれば、私は哀れな子羊だった。だが、先述したように、Kには暴れるにしても場所を選ぶ分別があった。

 ただ、子羊とは言い条、私は父親から受け継いだ暴力的な気質を身の裡に宿していて、それまでも癇癪めいた暴力沙汰を起こして、何度も恥を掻いていた。そうした点で、私はKの不良エピソードに対して恐れを抱くとともに、どこか通底する部分を感じて、まるで兄弟のような親密さを錯覚することもあった。

 理由を聞かなかったので今となっては判らないが、何故か、Kの方でも私を慕ってくれたのだった。これは自惚れではないと思う。実際、私は職員から「なぜだかK君は、えらく君のことを気に入ってるね」と言われたことがあった。

 正直言って、地元で名をはせる不良であるKに慕われるのは、気分が好かった。

 それにKは顔だちも整っており、Sなかよし館にも、彼のファンらしき少女たちがたまに顔を見せていた。だからこそ、そうした特別感のある人間が私を好いてくれている事実は、劣等感に塗れた私の人生を、多少なりとも耐えうる形にしてくれた。


[3]

 夏場だった。

 施設が余興で百物語を催した。ただ百物語とは言い条、施設運営上の制限も加わって、話数は20くらいに短縮されたし、怪談を話せる人間なぞ、そうそうは居らず、その裡の殆どは私が話を披露するハメになったから、実質、私の独演会の様相を呈していた。

 もとから怪談マニアということもあり、引き出しには余裕があった。今思えば、相手の殆どは子どもなのだから、無難な話を選択して場を乗り越えれば好かった。

 だが平生より耳目を集める機会に恵まれない私は、無駄に張り切ってしまったのである。転帰、私はおよそ手加減というものを識らない、ハードコアな話を連発してしまい、参加者の子どもたちはおろか、同席した職員すらも引かせてしまったのだった。

 その後、場がお開きになり、皆で会場を片づけていた際に、Kが話しかけてきた。

 話したいことがあるので後で時間をください、とのことだった。


[4]

 ――神とか霊って居るんですか。おれは見たことがないから。居たらいいなとは思いますね。だってそういうのが居なきゃ、人生ってあんまりじゃないですか。でも居たら居たで、なんで人生ってこうなんですかね。前にも言いましたけど、あのアバズレも、居ていいって言われてるから存在してるわけでしょ。神に。神が居るなら、人間なんて一瞬で消し飛ばせますよね。でもあいつは消し飛んでいない。おれもですけど、消し飛んでいないってことは、最低限その存在を許されているってことですよね。

 おれは親父の顔なんて知らないんですよ。

 写真は、あのアバズレが処分しましたから。男を連れ込むのに、邪魔なんじゃないですか、そういうのが家にあると。まあ、そういう男の金で、おれも飯を食ってたんですけど。おれはたまに、親父に話しかけてみるんですよ、色々と。

 ぶざまさんも、よく死んだ父親に話しかけてみるって言ってましたよね。返事はありますか。そうですか。おれも同じですよ。

 昔、友達が薬やった挙句に、川に飛び込んで溺れ死んだんですよ。あいつが幽霊になったとして、今も薬中のままなんですかね。ボケたまま死んだ老人とかって、幽霊になった後も、ボケたままなんですかね。近所でヤクザが刺し殺されたんですけど、死んだヤクザは幽霊になった後も、腹に穴を開けてるんですかね。

 前に、ぶざまさんが教えてくれたじゃないですか。蘇った直後のキリストは、体に傷が残っていたって。あんな感じなんですかね、おれの周りで死んだ奴らが幽霊になっていたら。

 おれはよく思うんですけど、おれが誰かを殺したとして、そしたらそいつは、おれが ""した"" 状態のまま幽霊になるんですかね。おれがそいつの首を切り落とせば、首無し幽霊になるし、足をぶった切れば、足無しになるんですか。ああ、そもそも幽霊って足が無えのか……。

 シリアルキラーっているじゃないですか。あいつらも、殺す時にそういうデザイナーとしての意識があったんじゃないですかね。幽霊が死ぬってのは聞いたことがないから、1度幽霊になったら、そのままってことでしょ。そしたら、相手の体を永久にデザインできるってことじゃないですか。そういう意味では、キリストを殺した兵隊は、神のこともデザインできたんですよね。

 そういうことを考えると、何も判らなくなるんですよ。だって兵隊を作ったのは神なのに、神を傷だらけの体にデザインしたのは兵隊でしょ。それって、遠回しに神が自分を傷だらけにしたってことですか。だったら、聖書とかの話って、全部が演技的な嘘っぽいものってことになりませんか。おれが知らないだけで、みんな人生の台本を持っているんですか。おれ以外はみんな芝居で、みんな役者なんですか。

 神って永遠に存在しているんですよね。神以外には神の意志以外のなにも存在しないんですよね。でも、その神ってどこから来たんですか。もし、その神が呟いたとして、それって誰が聞いていて、何に対して意味を持つんですか。


[5]

 骨董品店強盗殺人事件の容疑者の1人に、私はKを見たのだった。

 その衝撃と、以上のKの発言を想起したことにより、私は「おい、おい」と声をあげ、暫時、動きを止めた。

 同時に、私はKの父親について思いを巡らせていた。Kの父親は、どんな顔の人物だったのだろう。その父親が今のKを見たら、どのようなことを考えたのだろう。

 そして、K一行に縛り上げられ、命を落とした骨董品店の店主。

 幽霊になっても、縛られて恐怖を顔に浮かべたまま、胸の痛みに悶える店主の姿は、一体どのようなものだろう。

 その場に不適当な考えが、私の身の裡に生じていた。


<了>

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