第27話 ルトフィナ


ふっと意識が浮上し、ゆっくりと目を開くと、そこは初めてなのに見慣れた真っ赤な空間だった。

赤はこの手で屠った者達の血の色なのだと……誰かが耳元で囁く。

眼球だけを動かし周囲を窺いながらも、自身が何者なのかという記憶が徐々に頭の中に流れ込む。


魔族領を治める魔王ルイトフィナルド。

己を縛る正式名称を頭に刻み、初代魔王の記憶から遡り始める。全てを処理することに一年ほどは必要とし、その間は自由のない弱い身体で活動することになるだろう。

既に与えられた高い知能は、常に孤独な魔王が独りでも生きていけるようにという恩恵なのかもしれない。


何度も、何度も、気が狂うほど目にしてきた赤。

この色を嫌悪し、赤に狂い、全てを消してしまおうとしたのは、何代目のときだったか……。


『皆の者、魔王様の誕生だ!』


思考の渦にのまれていたとき、赤ではない別の色が目の前に現れた。

細く白いものは僕の身体をそっと掴み、赤い空間から連れ出す。


『魔王様に永遠の忠誠を!』


静かだった空間から騒がしい所へ引っ張り出され、何が起きているのか把握できず目を瞬かせながら目の前にあるものを見つめた。


真っ赤な、とても鮮やかな赤い瞳。


先程まで血のようだと思っていた赤い色が自身を抱く者の瞳と同じ色だと気付き、知らず手を伸ばしていた。小さく弱弱しい手は目的のものまで届くことなく首元に落ちると、指先が触れ、前を向いていた瞳が僕に向けられた。

光が反射しキラキラと輝いて見えた赤い瞳。赤は綺麗な色だと、そのとき初めて知った。


『よし、落ち着こう、落ち着くのよ……』


柔らかいベッドに寝かされ、僕を運んできた人とは此処でお別れするのだと思っていた。

それなのに、僕の真横で奇妙な動きをしたと思えば何か呟き初め、これは何なのかとついジッと観察していたら、またあの綺麗な瞳と目が合う。

向こうも僕が気になったのか、瞬きせず僕をジッと見つめたあと両手で顔を覆い、暫くしたらまた見るというのを何回も繰り返していた。

それに飽きたのか、次は近くに座り身体を揺らすものだから、これにも何か意味があるのだろうかと目で追っていれば、ニィッと笑みを浮かべて僕の頬を触るので、くすぐったさに我慢できず止めるように指を掴んだ。

このときのことは鮮明に覚えている。


だって、このあと……。


『私は貴方の側近となるリシュナと申します』


ベッドから降りてリシュナはそう言い。


『ずっとお側でお支えいたします』


ずっと一緒だと約束してくれたから。

柔らかな声音と、優しく触れる手の温度に自然と頬が緩み、それと共に眠気も訪れる。

まだ寝ないと抗うが、勝手に瞼は落ちてしまうのだから不便な身体だ。


次に目を開けたとき、リシュナは此処に居るのだろうか……?と、そんなことを思っていた頃が懐かしい。この頃は、このように思う感情が理解できず、いつも不思議に思っていた。



僕が眠っている間に何処かに行っていたのか、荷物を抱えたリシュナが僕の側近だという者達を連れて部屋に戻って来た。

皆同じ赤い瞳なのに、どうしてかリシュナの瞳だけが輝いていた。

ヘイル、ラウス、トイス、侍従であるロイラックもこれから僕の側に居ると言われただ頷く。

側近や侍従という存在は知っていたけれど、それが自分にどう関係があるのかよく分かっていなくて、ただ、頷けばリシュナが嬉しそうな顔をするからそうしていただけ。


『さぁ、どれで遊びましょうか!』


リシュナが鼻息荒く僕の周囲に並べていた物はどれも見たことのない物で……正確には、その存在は知ってはいたのに、僕の手元にはなかった物だった。

色が付いた絵本、音のなる玩具、リシュナの手作りの人形。それらを並べ、僕よりも嬉しそうな顔をしていたリシュナ。


『はぁ、ルトフィナ様は可愛いわね……』

『それに加えて賢いですからね』

『成長される前に今の可愛い姿を絵に残しておきましょうね』


正装という恰好で椅子に座らされ、ジッと待つ。

退屈であるはずの時間は側にリシュナが居るだけで気持ちが弾む。

抱っこされ、頭を撫でられ、何をしてもしなくても褒められる。

リシュナから与えられるものは全てが新鮮で、胸がポカポカして、くすぐったさを感じるものだった。


『ルトフィナ様と人形の組み合わせが最高だわ……っ、鼻血が』

『興奮し過ぎだね。こんにちは、魔王様』

『カッリス様、このお土産は何ですか?』

『昔ヘイルが使っていた物だよ。リシュナ嬢がこの魔王城に居る者達は皆家族だと言うから、家族なら魔王様は末っ子ということになるだろう?だからお下がりを持ってきたのだけれど……リベリオは隅で何をしているのかな?』

『部屋の壁紙を変えようかと……この色は少々暗くはないか?』

『お父様、それなら暖かい色にしてちょうだい』

『暖かい色……赤や黒ではなくてか?』

『絶対に止めて』

『ブラチとルーベから預かってきた物はロイラックに渡しておくよ』

『花はまだ分かるとして、ルーベ爺の鉄球って、どうなの?』

『父さんは、女性と子供は花が好きだと思っているから』

『ルーベ爺のことですから、身体を鍛えろということではありませんか?』

『……鉄球はどこかに仕舞っておきなさい。ムキムキ魔王様はまだ当分先でいいわ』


徐々に蓄積されていく魔王としての記憶は色も音もない静かな世界なのに、何故か今回は色や音のある不思議な世界となっていったんだ。


魔王として誕生してからは、毎日一日中リシュナと過ごしていた。

リシュナは時折部屋を出て行ったと思えば、両手に色々抱えて戻って来る。

僕には専属だという侍従が沢山居るのに、彼等に任せることはなく、僕のことに関しては全て口と手を出すと宣言していた。

僕が口元をモゾモゾさせていれば、ロイラックが嬉しいのかと訊いてくる。

これが嬉しいということなのだと学び、僕と同じように嬉しそうなリシュナに向かって手を伸ばせば、瞳をキラキラと輝かせて僕を抱っこしてくれた。

今迄のどの魔王も知らなかった様々な感情は決して不快なものではなく、寧ろ他の感情も知りたくてたまらなかった。


『ルトフィナ様、今日は何の絵本を読みましょうか?』


眠るまで側に居てくれるリシュナの声に耳を澄ませ、深く眠りにつく日々。

毎日起きるのが楽しみで、自然と口角が上がるのでご機嫌ですね!と言われることが多くなった。

リシュナの姿を見るだけで嬉しくて、少しでも離れれば悲しくなる。

この感情がクセになり、なくてはならないものとして認識されたのだから、それを壊すものには過敏になってしまうのは必然だ。


『なーの……?』


ずっと一緒だと言っていたリシュナが部屋に居ない時間が増えた。

侍従や他の側近達が嫌がるリシュナを連れて部屋を出て行ってしまう。何度か引き留めようと短い手を伸ばしたのに、困った顔をするリシュナに負けて毎回手を放してしまう。


それは、一度や二度ではなく、一月以上続いた。


『歩けるようになったら、リシュナ様と一緒に外に出掛けられるようになりますよ!』


瞳に綺麗な模様を持つ侍従が教えてくれたこと。

他の侍従を窺えば皆が笑顔で頷いている。


『どうせなら、サプライズとしましょうか』


聞き慣れない言葉に首を傾げれば、ロイラックが特別な贈り物だと言う。


『きっと、リシュナ様はお喜びになりますよ』


侍従の言葉に期待して、ロイラックの言葉を信じて、この日から歩行訓練とリシュナの名前をちゃんと呼べるように練習を始めた。

きっと、褒めて喜んでくれる。そう思っていた通り、リシュナは床を転がりながら僕を褒めてくれた。

だから、これで毎日またリシュナと一緒に居られるのだと、そう思っていたのに……。


『リシュナは明日からこの城を留守にします』


それなのに、また僕の側から居なくなると言う。

歩けるようになったのに、リシュナの名前だって呼べたのに、どうして、嫌だ、何で!?という言葉が頭の中でグルグル回る。


『いーあ、いーあ!』


居なくなっては嫌だと喚き、一緒に居たいのだと拙い言葉で主張するが首を横に振られてしまうだけ。腕を力一杯伸ばしてもいつもみたいに抱き上げてくれない。

ほら、やっぱり、いずれ必ず独りぼっちになるのだと囁く声に苛立ち、リシュナが何か言っていたのに、頭の中が混乱していて視界が黒く染まっていく。


――バチッ!


部屋に響いた大きな音と共に火花が散り、それと同時に僕の身体からは魔力が放たれた。

鬱憤や苛立ちといった身勝手な感情をぶつけるためだけに力を振るう。これが本来の、魔王としての正しい姿なのだと、囁き声が止まらない。

自身の感情をコントロールできず、目の前に居るリシュナの苦しげな顔にすら気付かない。何度も声を掛けられていた気はするのに、嫌だという感情が先立ち拒絶してしまう。


もう本当に側に居てもらえなくなると、そう思っていたんだ。

だけど、リシュナは今迄の側近とは全く違ったんだ。


『歩けるようになったのですから、庭園で沢山遊びましょうね』


庭園……?


『私が居ない間に様々なことを学んで、また驚かせてくださいね』


リシュナの魔力だけでなく、いつの間にか部屋に集まっていた他の側近の魔力も合わさり、魔王の魔力を押さえ込み始めた。

それに気付き本能で抗おうとするが、リシュナのぬくもりと優しく宥める声に自身を取り戻し、魔力を止める。

魔族随一の魔力を誇る魔王の暴走を、意識を落とさず止められる魔力を持つ者などそうはいない。いたとしても、リシュナみたいに危険を冒してまで止める者はいないのだ。


「だって、知らなかったんだ……」


何のために、誰のために、リシュナの行動のひとつひとつをちゃんと理解できないまま、今日が訪れてしまった。



『リシュナ様に会いに行きましょう』


城に居ないと分かってはいてもリシュナの姿を探す僕に、ロイラックがそう告げた。

僕が寝ている間にリシュナが顔を見に来ているということは侍従から聞いて知っていたけれど、実際に会えるのとでは嬉しさが違う。

初めて外に出るときはリシュナと一緒のときだと思っていたので凄く驚き、会えるという喜びに負け頷いていた。


リシュナは魔族領に居て、人間の冒険者達と行動を共にしていると説明された。

人間は魔族を嫌い、迫害し、相容れない者達だという認識があったので、どうしてリシュナが僕ではなくそんなのと一緒に居るのかとロイラックの腕を叩き抗議する。


リシュナにもこのモヤモヤしたものを伝えなくてはと、ロイラックに抱っこされて向かった先……どこで目にした光景は生涯忘れないだろう。


『リ、リジ……リジュ……』


地面に倒れ伏したリシュナに剣を振るったカッリス。

背中を串刺しにされ呻き声を上げたリシュナを、直ぐ側に居るのにヘイルは助けようともしない。


『リシュ……ナ、いあ……!』


真っ赤な血がリシュナの口元を、背中を汚していく。

リシュナが纏う赤い色は綺麗でキラキラしているはずなのに、あの赤は嫌だと身体が震え寒気がした。


『ルトフィナ様、リシュナ様はご無事です。これは策略ですのでご安心を……』


ロイラックに背中を撫でられるが震えは治まらず、リシュナの背中に突き立てられていた剣が抜かれた瞬間、声にならない悲鳴を上げていた。


リシュナが、リシュナが……!


同族に危害を加えられ人間の男に助け出されたリシュナの足元には魔法陣が浮かぶ。待って……と腕を伸ばすが、リシュナは消えてしまった。


『なーの、リシュ、なーの!?』


ロイラックの腕の中で暴れ、興奮して抑えきれなくなった魔力が吹き荒れようとしたとき。


『ルトフィナ様』


ズン……と身体に圧が掛かり、冷たく重い声が耳に届いた。

近付いてくるカッリスに唸り声を上げ威嚇するが、肩を竦められロイラックから僕を受け取ると耳元で囁いた。


『貴方が成長するまで、あの子はあとどれほどああいった目に遭うのでしょうね。人にはそれぞれ与えられた役割というものがありますが、与えられた役割以上のものを求められれば、いつか潰れてしまうでしょう』


何が、誰がといったことは口にせず察しろと言う。


『魔王様なら、きっとお分かりいただけると思います』


ただ黙って頷くしかなかった。


寝室にはリシュナの痕跡が沢山あるのに、此処にリシュナだけが居ない。

本や玩具、人形があっても意味がない。

あの光景が脳裏に焼き付いて離れず、胸が苦しくて……気付けば、身体が成長していた。

魔族の中でも成長の早い魔王が一年も赤子というのは本来では有り得ない。放っておけば半年ほどで勝手に成長し始めるものなのに、僕はずっと赤子のままだった。

無理矢理成長を止めていた所為でその反動は周囲へと被害を及ぼし、リシュナと過ごした部屋はぐちゃぐちゃだ。


リシュナがこれを見たら呆れて怒るかもしれない。

それに、この姿を見たらがっかりして居なくなってしまうのではないだろうか……?


そう思うと怖くて、慌てて毛布を頭から被り成長した姿を覆い隠した。


僕以外誰も居ない静かな部屋。

どれくらい経ったのか……ジッと動かずベッドの上にいれば、寝室の扉が開く音と、リシュナの匂いがして居心地が悪くなる。

いつもなら嬉しくて直ぐに抱っこをせがむのに、今は顔を見るのも怖い。


『ルトフィナ様……?』


歴代の魔王より不甲斐なく弱いことは分かっている。

でも、どの魔王よりも今の自分が幸せなのだということも分かっているんだ。

まだ何もできない魔王の代わりに全てを引き受け、胸が温かくなるものをずっと与えてくれる人。


『ただ純粋に、ルトフィナ様を大切に想っているからです』


大切だと口にするリシュナに、僕はただ許しを請うことしかできなかった。

頬を伝う生温い涙を止める術を知らず、制御できない自分の感情に戸惑い、守られているだけの不甲斐なさを嘆く。


『ごめんなさい、リシュナ』


ずっとこのままでいたいと思わず成長すれば良かったんだ。

それなのに、リシュナは皆で一緒に此処を守ろうと言う。僕だけではなく、皆と。

ゆっくり成長して、沢山甘えて、そんなこと許されないのに、僕を守ると口にした。


「これでは目が腫れてしまいますね」

「……」

「目を擦っては駄目ですよ?今日はもう何処にも行かないので、このまま目を閉じて眠ってください」

「……」

「おやすみなさい、ルトフィナ様」


赤子だったときと同じように、リシュナが側に居ると瞼が重くて、眠気に逆らえない。

眠っている間に居なくなってしまわないよう服を掴み擦り寄る。


「今日は、子守歌が良いかしら……」


リシュナは眠る前に絵本を読んでくれるし、心地よい声で歌も歌ってくれる。

トン、トン……と歌に合わせてお腹を叩かれ手に力が入らなくなってきた。


「……リシュ」

「此処に居ますよ」


絵本に出てくる登場人物達のように、一緒に笑い合い、大切だと口にして、愛というものを教え与えてくれる人達ができた。

大切な、僕の家族。

絶対に手放すつもりはなくて。

だから、もしこの幸せを壊すような者が、勇者が現れたら、きっとあの空間のようにこの手が真っ赤に染まるだろう。


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転生先が破滅確定の悪役ですが、可愛い魔王様のために今日も頑張ります @hime0227hime

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