第26話 ひとりぼっち
暗い室内を歩き奥にある寝室へ向かいながら、ルトフィナ様のために用意した玩具を眺め、本棚にある絵本の背表紙を指でなぞる。
ゲームに登場する魔王様は物静かで暗い瞳が印象的なキャラだった。
何事にも動じず心に響くことはない、ラスボスに相応しい魔王然とした人。そんな魔王様が関心を持ち、心を揺らしたのはたった一人、ヒロインだけ。
勇者が召喚されたと知った魔王様は、人間の国へ側近であるリシュナやヘイル達を送り込み内部を探らせるのだが、そこで召喚されたのは勇者ではなく聖女だと知るのだ。
か弱そうなただの少女は周囲の力を借り魔王を倒す旅に出る。彼女の動向を把握するためにさせていた報告は、いつしか魔王様の日々の楽しみになっていたことに気付く。
明るく心優しいヒロインに今迄感じたことのない感情を抱き、遂には擬態して会いに行ってしまう。
心がないと思われていた魔王様は、知らなかっただけ。
興味、関心、執着、渇愛、どれも歴代の魔王達が得ることなく、独りぼっちの記憶を受け継いできたから。
だからこそ、貴方は皆に敬われ、愛され、大切にされているのだと、言葉だけではなく身をもって実感してほしかった。ヒロインが召喚されたあと、あのゲームのような悲しい結末を迎えることなどないように。
寝室の扉を開け、顔を覗かせた。
大きな窓の側にある天蓋付きのベッドの横には間接照明が置かれ、夜中に起きても怖くないように常に淡い光でベッドを照らしている。
とても静かな寝室は普段通りなのに、嫌に喉が渇き気持ちが逸る。
大丈夫だと自身に言い聞かせ、中に入って寝室を見渡し、眉を顰めた。
足元に散乱した本や人形。よく見れば壁には何かの傷跡が無数にあり、割れた姿見や破れたカーテンと酷い惨状なのに片付けた痕跡はない。
魔力を暴走させたといった話しは聞いていないのに、コレはどういったことだろうか?
荒れている寝室に驚き、慌ててルトフィナ様が寝ているはずのベッドへと駆け寄り、不自然に盛り上がっている毛布の塊の前でピタリと足を止めた。
多分、ベッドの上に座って居るルトフィナ様が頭から毛布を被っているのだろうが、どうも、こう、大きさがおかしいのだ。
明らかに赤子の大きさではなく、かといって大人でもない……。
「ルトフィナ様……?」
毛布の塊に向かって呼び掛けると僅かに毛布が揺れた。
嗚咽も鼻を啜る音も聞こえないので泣いてはいないのだろうと胸を撫で下ろし、再び「ルトフィナ様」と声を掛けた。
「まだ起きていらしたのですね」
「……」
「どこか、お怪我はされていませんか?」
「……ん」
「本当かどうか、お顔を見せてください」
「……嫌だ」
まだあまり話せないはずのルトフィナ様が発した拒絶の言葉に驚き、毛布へと手を伸ばした。
「毛布を取りますよ」
「ぇ、だめっ……!」
まただと、頭の中で警報が鳴り響く。
高く愛らしい声は同じだが、たった一日かそこらでこうも流暢に話せるわけがない。
この毛布の塊の中に居るのは本当にルトフィナ様なのかと不安に駆られ、毛布の端を掴み引っ張るが……。
「ルトフィナ様……!?」
「……」
ルトフィナ様が中で毛布にしがみついているのか、毛布をはぐことができない。
外から見ても分かるほどギュッと握られた部分を見て、そっと息を吐き出しベッドに腰掛けた。
「どうして駄目なのですか?」
「……」
「私が嫌いになりましたか?」
「……」
「顔も見たくないと言うのであれば、今日は……」
「……っ、違うよ」
小さな声に引き留められ、浮かせた腰を元に戻す。
毛布の中に隠れているのは間違いなくルトフィナ様なのに、身体の大きさや、意思疎通の取れる会話が、もう赤子ではないと伝えてくる。
「では、お顔を見てお話をしませんか?」
「……でも」
「何か躊躇うようなことがあるのですか?」
「……」
「まさか、やはりどこかお怪我をされたのでは?直ぐにロイラックを……」
「違うよ!そうじゃなくて……」
毛布の下から伸ばされた手が私の服を掴み、ぐいぐいと引っ張られる。赤子のときよりも少しだけ大きくなった手を取り、続きを促すようにトン、トン、と優しく叩いた。
「怪我をしたのは、リシュナでしょう?カッリスに……」
「あれくらいなら怪我とは言いませんよ。傷はもう綺麗に消えていますから」
「……そうなの?」
「はい。他にも何か私に訊きたいことはありますか?」
キュッと丸まったルトフィナ様の指を眺めながら優しく声を掛ける。
母親兼側近である私が同族にやられ血塗れになっているのを目にしたのだから、ショックも大きいだろう。少しの沈黙のあと「リシュナ……」と消え入りそうな声で名を呼ばれ、返事の代わりにルトフィナ様の手を叩く。
何故あのような状況になったのか、一から十までカッリス様の所為にして説明してみせる!と意気込んでいたのだけれど……。
「リシュナは、僕が小さいから側に居てくれるのでしょう?」
「……」
「そうなんだね……」
昼間の、あの魔の森でのことにショックを受けているのだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。一瞬、あれ?と首を傾げたあと、ルトフィナ様の言葉を反芻し絶句した。
だって、どうしたらその発想になるの……?カッリス様が何か余計なことを吹き込んだのでは!?と怒りでふるふるしていると、私の無言を肯定と取ったルトフィナ様は手を毛布の中へ戻してしまった。
「違いますよ、驚いていただけで、どうしてそのようなことを仰るのですか?誰かにそのように言われたのですか?」
「……」
「私がルトフィナ様のお側に居るのは側近だという理由もありますが、それだけで自身の時間を削ってまで一緒にいませんよ。ただ純粋に、ルトフィナ様を大切に想っているからです。それは身体の大きさは関係なくて、ルトフィナ様が小さくても、大きくても変わりません」
「大切だと側に居てくれるの?僕も、リシュナを大切にしたら、ずっと側に居てもいいの?」
「ルトフィナ様……」
「僕にはね、沢山の記憶があるんだ……でも、どの記憶にも僕の側には誰も居ない。本を読んだり遊んでくれたり、抱き上げられたことも、一緒に眠ってくれることもないんだ。僕のために何かをしてくれる人は、一人も居ない」
ルトフィナ様が淡々と話す内容に胸が痛くなる。
あれほど盛大にお祝いされ誕生してきた方が、初めから終わりまでずっと一人なのだから。
今ルトフィナ様が口にしたことは、人間であれ、魔族であれ、誰もが家族から与えられるものだというのに……。
「リシュナは僕のことを小さくて可愛いと言うでしょう?だから、僕が小さいままだったら、ずっとこのままなんだって、そう思っていたの。でもね、それは違うって、カッリスに諭された」
「諭された……」
ルトフィナ様の知能はもう私達とそう変わりはないと言っていたカッリス様の言葉は真実だった。それと同時に、言っても聞かないというのはルトフィナ様のことだけではなく、私のことでもあったのだと理解した。
「僕が小さくて力がないからリシュナが危険な目に遭うんだ。でも、大きくなって力を手にしたら、リシュナが居なくなるかもしれない……」
ルトフィナ様の声が掠れ震えていることに気付き、そっと毛布に手を伸ばし上へ持ち上げた。
毛布の塊から現れたのは、少しだけ大きくなった魔王様。
赤子ではなく、五、六歳程度に成長した、まだまだ幼子なルトフィナ様が顔を上げ、泣き笑いを浮かべた。
「ごめんなさい、リシュナ」
大きな瞳からぽろぽろと涙が零れ、それを拭いもせず、ただジッと私を見つめている。
「痛くして、ごめんなさい」
手に持っていた毛布を放り、ベッドの上に力なく座るルトフィナ様を抱き締めた。
「ルトフィナ様は何も悪くありませんよ。あれは、この魔族領を護るたまに必要なことだったのです。私がやらなくても、他の側近達やカッリス様が同じようなことをしていましたよ」
「僕がやるから、だから、誰も居なくならないで……」
「大丈夫です。誰もルトフィナ様の側から居なくなりませんよ。皆で、魔族領を一緒に護りましょう」
「……一緒に」
「えぇ。ずっと、一緒です」
私の腕の中で小さく頷いたルトフィナ様に頬を緩めながら、まだ小さな背中を優しく摩る。
様々な経験を得て裏表を持つ私達とは違い、ルトフィナ様は知能は高いが真っ白だ。
「私も、他の者達も、皆ルトフィナ様の家族なのですから、与えられたものは全て余すとこなく貰い、もっと甘えて頼ってください」
「……」
「直ぐに成長しなくてもいいのです。沢山のことを学び、自身で考え、ゆっくりと大きくなりましょう」
「……」
「この国で最も尊く、大切にされるべき魔王様を、私がお守りしますから」
よしよしと頭を撫でながら言い聞かせる。
こんなに純粋で小さな子が魔族のために無理に成長する必要なんてない。勇者や聖騎士が怖いというのなら、少しずつ力を削いで全て消してしまえばいい。
「それに、どうせあっという間に成長してしまうのですから、もう少しだけ小さい魔王様を堪能させてください」
ぽかんと私を見上げたルトフィナ様に微笑み、額に口付けた。
泣き疲れたルトフィナ様を寝かせ寝室を出たあと、隣室に待機していたロイラックの元へ足早に向かい、彼の両肩を掴み激しく揺さぶった。
「以前頼んでおいた、赤子のルトフィナ様の絵は!?」
「既に完成しております」
「良くやったわ。カッリス様の所為で赤子のルトフィナ様はもう見られないのだから」
「間一髪でした」
互いに深く頷き合い、絵を何処に飾るが吟味する。
本来の私の部屋でも良いが、ルトフィナ様も目にする場所に飾るのも悪くない。
「それで、あの寝室の悲惨な状態はどういうことなの?」
「リシュナ様が冒険者達と転移されたあと、ルトフィナ様は酷く動揺されていて魔力暴走を起こしそうになりました。ですが、カッリス様が対処なされて……」
「対処って……まさか、叩いたの!?」
「いえ、ルトフィナ様を抱き上げたあと何か話し掛けておられましたが」
「……そう」
「その後、直ぐにお部屋に戻ってきたのですが、リシュナ様もご覧になられたように急にご成長なされました。そのときに放たれた魔力で、あのような状態に」
「急に成長するものなのね……」
「魔王様の成長するお姿を誰も目にしたことがありませんので、何とも」
「そうよね」
誰も側に居なかったと、本人がそう口にしていたのだから。
「ご成長されたことにルトフィナ様も戸惑っておられるようでしたから、刺激しないよう私達は皆部屋を出ました」
「分かったわ」
「明日の朝、ルトフィナ様が起きたあと寝室の片付けを。私はルトフィナ様と庭園に行くわ」
「朝食は?」
「明日はずっと一緒に居るつもりよ。あと、今の姿も絵に残しておくから、絵師を呼びなさい」
「承知いたしました」
甘やかすな?弱くなる?だったら、魔王様の配下である私達がその分強くなれば良い。
勇者や聖女に敵わないというのなら、召喚魔法を行えないようにすれば良いだけで、色々と頭を使えばやりようはある。
「私は、これからも沢山ルトフィナ様を甘やかすつもりよ」
だって、私はこの世界の悪役。
我儘で傲慢、誰の指図も受けない、リシュナ・サビィオなのだから。
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