【クリスマス短編】理科教師が、教え子の女子高生に心を持っていかれちゃう話

星野光留

クリスマスの補習

 高校教諭には、クリスマスなど存在しない。

 存在するものと言えば、仕事の山や、ブラックコーヒーの空き缶である。


 そして――。


「鈴木センセー。ここ分かんないですぅ〜」


「教科書あるだろー、自力で解いてみなさい」


「えぇ〜」


 成績の低い生徒に対する指導もまた、存在するもののうちの一つだ。


 俺……鈴木すずき 涼真りょうまは、理科を受け持つ高校教諭である。故に、俺にクリスマスは存在しない。

 ため息をつこうとして吸い込んだ空気を、鼻から抜く。生徒の前だ。お互い嫌なのは分かっている。俺も我慢するべきだろう。


 パソコンから目を離し、教室の全体を見渡す。

 他の生徒は皆、昨日までに補習を終えていて、教室に残って補習を受けているのは一人の女子生徒だけだった。


 首を傾げるたび、くせっ毛気味な焦げ茶のミディアムヘアが、ふわふわと揺れる。


 三年C組、佐々木ささき 楓佳ふうか

 彼女のいるクラスは雰囲気が良くなると評判の、コミュニケーション能力に優れた生徒。

 理系科目の成績は悪く、こと理科においては補習の常連だ。


「そういえば! 今日はクリスマスですね、センセー。楽しんでます?」


「俺のクリスマスは現在進行形で潰れている。佐々木のせいで。だから楽しくはないぞ」


「あっ、しかも私、今日誕生日なんですよ! 祝って下さいよぉ」


「はいはい、おめでとう。早く帰って、家族に祝ってもらいなさい」


 佐々木は「ふぅむぐ」と変な声をあげて膨れっ面になった。


「……別に、いーじゃないですか、そんなに冷たくしなくたって。センセーのことだし、どうせ彼女もいないんでしょ?」


「やかましい。ほら、黙ってプリントをやる」


「ほら、やっぱりいないんじゃないですか」


「……追加でプリント十枚刷ってくるか?」


「わぁ、いじわるですねぇ。クリスマス潰れますよ?」


「俺のクリスマスの心配をするなら、私語をつつしんで早く終わらせなさい」


「はぁい」


 まったく……。

 これさえなければ、良い生徒なのだけれど。



 ***



「鈴木センセ、これ、ぜーんぶ丸になるように答えましょうか」


 プリントを指さして、佐々木がニカッと笑う。


「………………」


 俺は視線をパソコンに戻す。


「無視しないで下さいよぅ」


 不満そうな声でぼやく佐々木。

 俺は依然としてパソコンから目を離すことなく言った。


「無理だろ。そんなこと。なんで補習を受けているんだって話になるじゃないか」


「それですよ、先生」


「なにが」


「先生、私が補習を受けている理由、知りたいですか?」


「そりゃあ、勉強してこなかったからだろう?」


「違います。先生が好きだからですよ」


「いやそれは勉強ができない言いわ――け……」


 ……………………ん?

 今、佐々木…………なんて言った……?


 俺は思わず佐々木を見た。佐々木は俺に目を合わせず、ひたすらプリントに向かって、シャープペンシルを動かし続けている。


「先生が好きだから、補習受けてました」


「授業をたまに休んだのも、宿題を忘れたのも、テストの点数を低くしたのも、補習の時間をより確実なものにするためでした」


 佐々木は止まらない。

 まるでシャンパンの栓が抜けたかのような勢いで、言葉が溢れ出る。


「一年生のときから、ずっと好きでした。その低い声も、きりっとした目つきも、突き放しているようでいて優しい、言葉のかけ方も」


 俺はそれを、ただ聞いていた。

 いや、ただ聞くことしか出来なかった。


「私、先生を騙してました。馬鹿なフリして」


「補習を受けて少しでも話しがしたかったから」


「将来やりたいことなんて無かったし、鈴木先生の仕事が『教師』なのを利用して……進路先まで文系にして。本当にごめんなさい。私は――、ずるい女です」


 カタン。と、シャープペンシルが音を立てて倒れた。


「はい、終わりましたよ。先生。丸つけ、お願いします」


「……はい、どうも」


 プリントを受け取ると同時に、佐々木と目が合う。二重からのぞく黒い瞳が、こちらを見つめている。


 その真っ直ぐな瞳が……とても綺麗で……。


 いやいや、待て待て。

 湧き出てきた感情を理性で払い落とす。

 

 そうだ……。相手は生徒。『子供』だ。

 心を乱すな。俺。


 きっと子供の冗談だろう。俺をからかっているんだ。そんなものに動揺してしまった自分に嫌気がさす。こんな誘惑に屈しないように、本当に彼女を作るべきなのかもしれない。


 俺は強く感じる鼓動をスルーしながら、目の前のプリントに集中した。



 ***



「………………どういうことだ……」


 もう一度、丸つけの終わったプリントを確認する。俺は模範解答を渡していない。にも、関わらず、回答の全てに丸がついている。何度も、確認した。やはり、一問の間違いも無い。合っている。全て。


 まさか、本当に?


「さっき言ったこと、覚えてます……?」


 後ろから声が聞こえる。


「私、今日誕生日なんですよ」


 子供とは言い難い、甘やかな色気のある声。


「もう十八歳なんです……『大人』なんですよ」


「――っ!」


 心でも読まれたのかと思った。


「ね、先生? お返事、どちらですか……?」


「それは……」


 こめかみを抑え、俯く。

 混濁した思考がぐるぐると渦を巻いて、俺に襲いかかってくる。


 どうする。俺。


「えっと、だな」


 言葉に詰まる。

 怖がるな! もう大人だろうが!!!!!


 せめてYESかNOか、返事をしてやらなければ申し訳が立たない!


「――ふふっ」


 不意に、笑い声が聞こえた。

 導かれるように振り向く。


 そこには……先程の真剣な表情とは打って変わって、にっこりと満面の笑みを浮かべる佐々木の姿があった。


「なぁんちゃって!」


「……はぁっ?」


 自分でもびっくりするくらい、間の抜けた、情けない声が出る。にやにやと笑う佐々木。


「もしかしてぇ、本気にしましたぁ?」


 怒り半分、安心半分の深いため息をついた。


「佐々木、お願いだから大人をからかうな。最悪の場合、刺されて死ぬかもしれない」


「ごめんなさぁい、くふふっ、センセーの反応、すっごく面白くってぇ!」


 こいつ!


「……はぁ」


 正直カチンときたが、生徒に見下されているということが分かっただけでも、今日は収穫があった。

 これからは対応を改め、もう少し緊張感のある雰囲気を纏った教師になるように心がければ良い話だ。


 本当に散々なクリスマスだった……な?



 ――俺は佐々木の表情を見て、固まった。


「……っ、あれ……っ? おかしいな、ははっ」


 気づいてしまったんだ。


 冗談なんて、とんでもなかった。

 佐々木は強がっていたんだ。

 そうでなければ……。


 こんなにも顔を真っ赤にして。

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら。


 泣くわけがないじゃないか。


「じゃぁ、プリントっ……終わったんで、帰りますね!」


 佐々木はそう言うと、持ってきた学生鞄や筆箱すら置いて、教室から飛び出す。


「さよなら!!!!!!」


「おい! 佐々木! 待て!!!!」


 俺は弾かれたように立ち上がり、年甲斐もなく、廊下を走り出した――。

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