六花の武器

椎名類

六花の武器


 恋。その言葉を聞くと、向日葵が咲く。


 どうにかなりたい、なんて俺の欲は皆無だった。手を伸ばすのも恐れ多い。国民からも王からも騎士からも大切に愛されている貴女が、笑顔と幸せに満ち溢れていれば満足だった。

 それよりも、何よりも。護らなければならない使命があった。剣に誓った俺の忠誠は、恋の言葉に咲く花へ向けていない。俺の愛は、ずっと。


 雪の中で凛と咲く、六花りっか武器ものだ。


 ――――――――――


「さっきの話、理解した?」


 国王との謁見を終え、重い扉を閉める俺に向かって六花りっかは言った。普段通りの凛とした瞳は、動揺の色を映すこともなく俺を射抜く。騎士は、姫の鏡だ。六花があるならば、俺も毅然とした仮面を被らなければならない。この国は、広間から一歩廊下に出るだけで空気が変わる。窓の外は、見慣れた雪が降り続いていた。

 

「理解しました」


 言葉と共に、マントを姫様の肩へ掛ける。北の人間が低い気温に強いとはいえ、南の人間よりは強いというだけだ。マントに埋もれた長い黒髪を梳くように、外へ逃がしてやった。

 しんとした廊下を歩む。無言が解かれたのは、姫様の部屋へ到着した時だった。

 

「結局お父様は、私にひょうと結婚して欲しいってことかしら?」

「その様ですね」


 この地を統べる北の王様、国王陛下の威厳あるお姿は、姫様の前では影を潜める。あれだけ遠回しに、ふんわりと、やんわりと匂わせるとは思わなかった。だとしても、察すだろう。俺は当たり前に、そして姫様だって。

 扉を開閉は騎士の仕事だ。ギイィ、と鳴き終えれば冷たい空気を遮断する。先に入室した姫様は、こちらを振り向かずに呟いた。

 

「嫌なんだけど」

「俺だって嫌だわ」


 俺の反射神経がこんなにも活きること、今迄にあっただろうか。いや、あったよ。あったけど、そう感じてしまう程に即答してしまった。

 何故なら、俺はずっと動揺した心を抑え込んでいたからだ。


「俺だって嫌だわ! ずっと六花を傍で護って、身の回りの世話をして、騎士も執事も兼任して……、今度は夫もやれってか!? 六花の夫ってことは、北の王様やれってか……」


 瞬間的に捲し立ててしまった。どうして六花は平然としていられる。どうして涼しげに冷静を保っていられる。頭を抱えて座り込む俺を、六花以外には極力見られたくない。


「お父様もまだまだお若いし、すぐに王様やれとは言わないでしょう。

 先に嫌って言っておいて申し訳ないけれど、嫌がられると傷付くものね」


 ハッと顔を上げれば、背中を向けていたはずの六花がこちらを向いて、涙を浮かべようとしていた。


「まっ、待て。六花が嫌なわけじゃない。わかってんだろ? 俺らは結婚とか恋愛とかじゃないだろ。もっと……か、ぞくとか、そう家族! 家族と言って過言ではない!」


 俺は何よりも六花の涙に弱い。動揺に動揺を重ねて焦った俺は、音速で六花に駆け寄って、涙が流れないよう努めた。頬を撫でたり、両肩に手を置いてみたり、出来ることは何でも。


「家族?」

「そう。ほら、俺は六花に忠誠誓ってるし。今更、結婚って。そんなレベルの絆じゃないだろ」


 そう言って六花の手を取り、キスをして見せる。形式的に跪いて見せなくても、姫様への愛を捧げられる仕草だ。


「それはそうね」


 くすりと笑った六花に安堵する。『こおりの姫君』なんて呼ばれる姫様も、優しく可愛らしい笑顔を見せるのだ。

 

「いや待て。今迄こんなに大事にしたのに、知らない野郎と政略結婚させられるよりは、いっそのこと俺が」


 近距離でこの特権を目にした俺に、六花は言った。

 

「私、好きな人がいるのでひょうと結婚したくない」

「そうだ、好きな人。六花にだって好きな人がいるんだし……」


 

「待て。誰? 聞いてない」

「言ってないもの」

「誰? 俺?」

「貴方、混乱しすぎてバカになってるでしょう」


 バカか――、バカって言われた。そう言われても仕方ないのかもしれない。俺の頭の中、今どうなってるんだろう。沸騰、蒸発、そうなれば消える可能性まである。その後いつかは海になり、雨になる……いや、雪だな。何を言っているんだろう、俺は。正直、今この肉体がまともな形をしているかすら把握できていない。

 脳死寸前、この肉体全てを溶かしてしまう前に立て直す。

 繋いでいた手を離して、一歩後ろへ。スー、ハー、と分かりやすく呼吸を整え、ふぅと息を吐く。咳払いをし、場面を切り替える合図を送り、『六花の騎士』を召喚させた。

  

「姫様、自分の知ってる者ですか?」

「そうね」

「北の人間ですか?」

「……違う」

「王族ですか?」

「……」

「はぁ、わかりました。 南の、ほたるのでしょう」


 南の、ほたるの。俺のひとつ上。幼少から続く鍛練は、ずっとほたるのと一緒だった。剣の技術も、心の強さも、奴と比べられてきた。奴は軽薄でいて、情に厚い。面倒臭がりでも、剣の腕前はピカイチ。北において、騎士と執事を兼ねる存在が俺ひとりなように、南の騎士兼執事はほたるのひとり。彼の左眼は、南の姫を護る為に失っている。南でも北でも、彼の忠誠心の強さを知らない者はいないだろう。


「彼はダメです」

「どうして?」

「身分が違います。彼は自分と同じ騎士ですよ。王族の血も入っていませんし」

ひょうも騎士。王族の血も入ってないわ」


 立場は確かに、同等だ。彼も俺も、対になっていることは事実。

 だとしても――


ひょう、好きな人いるでしょう」


 急に鈍器で頭を殴られた、かと思った。衝撃で、言葉も出ない。黙っている間にも、姫様は俺に言葉を投げつける。


「私には質問も必要ない。一発で当ててあげる」

「南の、向日葵ひまわりが好きでしょう」

「協力しましょうか。私達の恋が叶うように」

「返答し辛いかしら。なら、言い方を変えます」


 聞こえてはいる。頭に流れ込んだ言葉を理解しようとしてる間に、姫様は次を並べて話し続けた。それでも、俺が絶対に動く言葉を姫様は知っている。

 

「私を助けてくださいますか、私の騎士様?」


 我が姫様に助けを請われて助けられない、なんて騎士の名折れだ。この恋を悲恋にしないように、姫様の恋を叶える為に、絶対に失敗は許されない。


「仰せのままに」

 

 さもなくば、俺と姫様が結婚する事になるのだから。


 ――――――――――


 次の日。いつも通り姫様を起こしに行った俺は、朝の挨拶よりも先に言った。


「姫様は、凍てつく城の伝説をお忘れですか?」


 肩を軽く叩きながら言う台詞ではなかったかもしれない。その言葉で起きた姫様は、小さく欠伸をして呟いた。


「昔の話でしょう」

「北だけでなく、南でも言い伝えられている事象です」


 昔の話でも、北も南も同様の伝説がある。どちらの城にも、姫がいなければならない。姫が城から一日でも離れれば、城全体に影響がでるそうだ。


「一度凍らせてみる、ってどうかしら」

「やめろ! 正気か?」

「冗談でしょう」


 伝説とは言え、国民も知るおとぎ話。兵士の教育としても念のため語られる。勿論、北も南も。


「南は、それこそほたるのが黙ってないです。彼はああ見えて、伝統を重んじる。姫様方が城から離れる事は避けてください」


 こればかりは変えられない。そう伝えると、意外にも姫様はすんなり了承した。


「じゃあ私、ひょうと結婚か」


「諦め早くない?」

「……凍らせましょう。南は燃えるんでしたっけ」

「凍らせない! 燃やさせない! 不穏なことを口にするのは慎んで」


 急に物騒な発言をする姫様を窘めて、昨夜寝ずに考えた案を口にした。

 

「我々を、騎士をトレードできれば問題ありません」

「トレード?」

「はい。姫様を動かさないようにするには、それしかありません。ただ、」

「何?」


 この案には、必須条件がある。

 

ほたるのから、向日葵姫以上に好かれている自信はおありですか?」

「……ない」

 

 彼の忠誠は周知されている。それに加えて、目に見える愛を注いでいた。

 

「であると、ほたるのは動かないでしょうね。

 俺も、姫様から離れるなんて、考えたくありませんでしたから」


 この案を考えた瞬間、ひどく苦しかった。離れる、なんて考えたくない。姫様の為だとしても。

 ベッドから立ち上がり、朝の準備を進めさせようとする姫様をもう一度座らせて、俺は足元へ跪いた。


「姫様の“運命の糸”の先はほたるのじゃない、俺です。俺たちは、わざわざ繋がれている糸を千切って、運命を勝手に結び直そうとしてる。

 陛下のお考えは正しい。姫様への忠誠で俺に勝る者はいないでしょう」


 差し伸ばした手に、置かれた手は冷たかった。両手で包み込んで、言葉も重ねる。

 

「嫌って言いましたけど、俺が嫌なのは北を統治する立場になる事です。六花と一生を共にする覚悟はとうの昔にできていますし、考えて見れば姫様が女王になることでしょう。俺は、死ぬまで姫様を愛し護ります。それでも、運命を越えますか。それでも、ほたるのが好きですか?」


 昨夜、考えた。伝説を憂慮し、姫様の為と己を押し潰して出した提案は、きっと通らない。それに、数多の障害を越えてでも、俺ではない人間を姫様は選ぶのだろうか。

 

「いらないわ。貴方の、自己犠牲の愛は受け取りたくない」

「自己犠牲って、そんなんじゃ」

「本当に? 愛し、護りたいと思う対象は私でしょうけど、恋の響きで思い起こすのは、私じゃないでしょう」

 

「愛し、護るだけでは足りないですか?」


「足りない。私は、恋もみたい」


 ――――――――――


 着替えを手伝わせて貰えなくなったのは、いつからだろう。追い出された先は、頭を冷やすのには都合が良い寒さだ。と言っても、廊下に出されただけなのだが。

 

「恋、ね……」

「なーにしてんの?」


 一切の気配を消してまで、俺の頬を人差し指で突きたい男を俺はひとりしか知らない。


ほたるの。俺は今、お前の顔だけは見たくなかったよ。何しに来た」

「野暮用です。それより何? その顔。悩み?」


 寝不足を悟られ、指摘してくる男もこいつしかいないだろう。何年一緒にいると思ってる、と言いたげな顔が憎らしい。


ほたるのはさ」

「うん」

「恋、ってしたことある?」


 どうしようも無いし、と口にしたのがバカだった。


「わかんないこと、なんでもおにいちゃんに聞くのやめなね」

「は? ぶっ飛ばされたいって言った? 誰がおにいちゃんだよ」

「いやぁ、こおりのが恋のお悩みですか! 相変わらず少しずつ、地道〜に成長するんですね。なんか涙が出そう……」

「よーし、喧嘩売ってるな!」

「六花様と結婚、ですか?」


 鋭く会話に差し込む核心が、重く響いた。


「誰に聞いたの」

「先程、北の国王陛下に。探りを入れられましたよ。こおりのは何か言ってたか、って」

「直接聞いてくだされば、ご報告するのに……」

「臣下への命令とは、区別つけたいんじゃない? それで、本当にするの? 六花様と結婚。女王の旦那さんか〜、一端の騎士がね〜」

 

「しない、と思う」


 愛して護る、それでも俺じゃ足りない。他に忠誠を誓う、この男の方が良いのだろうか。


「恋云々に縛られてます? あ、うちの姫さん、こおりのにあげる気ないからね」


 にっこりと余裕に笑うほたるのから恐怖を感じた。

 

「あげ、っ!? いや、貰わないし、貰えるわけないだろ」

「うん。あげないですよ。姫さんに恋だけしてるやつには、絶対やらんよ」

「恋、だけ……」

「恋だけでしょ。昔から。そりゃ姫さんは可愛いし、誰も彼もを恋に落とすし、でもそれだけでしょ。

 僕は、姫さん大好き。僕のお姫さまだし、僕は姫さんの。恋も愛も忠誠も、この声も体も心も右眼も、僕の全部が姫さんの所有物だ」

 

こおりの、お前はいつも不完全だな」


 俺だって、全部が六花の所有物だ。でも、ほたるのを羨ましいと思うところが、不完全だと言われる原因なのかもしれない。


 



ひょう? 今、けいと話してた?」


 気付けばほたるのは姿を消していて、身支度を終えた姫様が扉から顔を出していた。

 何も答えずに、姫様を部屋に押し込めて扉を閉める。俺は姫様の方へ顔を向けられないまま、疑問を扉に零した。


「姫様、ほたるののこと好きですか?」

「好きよ」

「俺とどっちが?」


 聞かずには、いられない。


「俺とほたるの、どっちの方が好き?」


 怖くて、振り向けない。ずっと六花に背を向けて、情けない姿ばかり見せてしまう。

 

「選ばないといけないの?」

「うん」


 自信が無いことが、悔しい。

 俺は、六花りっか武器ものなのに。

 

ひょう


 響いた声が愛しくて、その音だけを求めていた自分に気付く。勢いで振り向くと、六花が真後ろにいた。すぐ後ろで待ってくれていたのが嬉しくて、そのまま抱き竦めてしまうのは許して欲しい。


「俺も、迷わず六花を選ぶ」

「うん」

「自己犠牲じゃない。本当に、愛も忠誠も俺の全部は、六花に渡してるんだ。恋なんかより、俺の愛の方が上回ってない?

 でも、六花は恋し合いたくて、俺の恋のイメージは向日葵姫で」

「南でも北でも、全国民の初恋は向日葵かもね。私も初恋は向日葵」


 耳を疑った。

 

「は?」

「何?」


 腕の中から解放して、顔を見合わせる。何、はこっちだ。初恋が向日葵姫なんて、俺は今初めて知った。

 

「初恋は向日葵姫で、今はほたるの? そう言われると、なんか。いや、別にいいんだけど」

「ムカつく?」


 ああ、その言葉が一番相応しい。


「ムカつく」

ひょう、やきもち?」


 そう指摘されると何とも居心地が悪い感覚に陥るが、認めざるを得ない。


「やきもち? うん、まぁ、そうなるのか。だって、何で俺とずっと一緒にいて、俺じゃないんだって思った、かも」

「独占欲だけは一人前なのかしら」

「独占とかは思ってないけど!? 俺の姫様でもある、でしょ」


 俺の姫様、なんて本人に直接伝えたのは初めてだったかもしれない。当たり前のように宣言しているほたるのが、ずっと羨ましかった。

 手を取って口を寄せるだけでも、「そうね」と言って、ふわり微笑む六花が愛しくて堪らない。


「なのに、恋してるのはほたるのって」

けいに恋してる、って私言ったかしら?」


「え? 言ったでしょ」

ひょうが、“私が恋しそうな人物”として挙げたんでしょう」


 挙げたと言うより、当てたと思っていたけれど。今迄、否定されず、肯定だっただろう。“好きな人”がほたるのではない可能性は、今更考えていなかった。


「ちょっと待って。違うってこと? じゃあ誰? 俺?」

「そうね」


 この世界で、六花から“好きな人”と称される人間が思い浮かばなかった。だから俺は、無意識に自分を候補に挙げていたのに。


「俺?」


 俺、という選択肢が本当に有り得るのだろうか。元はと言えば、結婚を最初に嫌がったのは六花だ。けれど、「俺だって嫌だ」と反論してしまった時、泣きそうになっていた。

 俺の恋の感情すらも、六花は欲しかった? 恋で向日葵姫を思い起こすことに、やきもちを焼いたのか?


 もし、陛下との謁見から、仕組まれていたとしたら。

 ほたるのの野暮用は、俺を焚き付けること?


 静かに張られた誰かの思惑より、頭を巡る疑問より、六花の白い肌が赤くなる理由が気になって仕方ない。


「ちょっと、待って……。じゃあ、なんで俺と結婚すんの嫌なわけ?」

「待たない。せいぜい苦しみなさい。私と共に、ね」


 幼い頃に捧げた、俺の全ては六花りっか武器ものだ。

 この胸の深くに凍らせた想いが解けたら、恋が咲く。

 恋の響きで、六花が咲くまであと少し。

 

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