『知的生命メカニズム』

@arumenoy7

知的生命メカニズム

プロローグ


透明アルミニュウムの普及で街の外観は、大きく変わった。半透明チューブタイプのリニアモーターカーが街中を、血管さながらに走っておりハイウェイも同様だ。

 ハイウェイはワイドな造りとなり、成人年齢になった学生、フジカワ・T・ハリュウの目の前をまばゆい光輝の「フェニックス」が滑空していく。

そうだ。滑空していったモノは、自動運転でかつ、いつしか自衛機能を備えた「パートナー」だ。穏便な呼び名にされたパートナーは、ロボット機能と乗り物、そして個人用ガードとし、大型・中型・小型タイプが普及している。

 自然との調和をイメージしたらしく、動物やファンタジー世界の生き物の姿をした多様なパートナーが多い。これらに色彩などの芸術性が加えられ、パートナーとは現状、ファッショナブルな半機械で疑似生命体といったところ。

 ルーティン作業ばかりの現代世界では、とりわけファンタジックな心の刺激が求められていたようで、パートナーの所有に火がつき、一般的な存在になった。昔から似た感じのアンドロイドやロボットタイプはいるにはいたが、雅なデザイン面での革命が求められたのだろう。

 パートナーの最新タイプは流れる曲線美を持ち、もはや金属の生命体と化している。ただ、高度な人工知能を有すタイプほど高価なため、お金持ち用に近い存在だ。世界は変貌しても、経済格差の問題は未だ解決できていない。

 物思いにふけっていた若き学生・ハリュウは、奉仕活動をすることで対価の電子マネーをたくわえ、念願だったパートナーを手に入れようとしていた。

しかし電子マネーも軽々と得られるものではなく、ハリュウはちょっと怪しいディーラーと中古パートナーがならぶ大通りを、初夏らしいラフな格好でうろうろしている。

 そんなときだった。ディーラーらしきダミ声と、柔らかい声色ながら気が強そうな音吐が聞こえてきた。これらにハリュウは興味をそそられる。

「ふん、どーぞ。わたしをスクラップにしてごらんなさいな」

「あのな、スクラップにするのもタダじゃねーんだ!」

 声の元をハリュウは凝視した。そこには小型ログハウスサイズで、銅色のボディーと安定翼を持つ珍しい「ドラゴン・タイプ」の大型パートナーがいた!

 頭の先から尻尾まで色分けされておらず、しかも手足の駆動部などほとんどがギアや機械部品むき出しで、カクカクした体つきは「ロボット」というのにふさわしかった。残念ながら輝ける光沢すら、ほとんどない。

 大型ボディーのいたるところから、突起や機械的な部品が見え隠れし、逆にレトロな風合いを狙ったのかと思えるほど、角ばったメカニカルな外観をしている。野生の生き物に金属やアルミニュウムのヨロイを着せるような、けったいな姿だ。

 ただ、そんな造りのわりに驚くべきスムーズさで優しく、滑らかな動きを披露していた。指の関節部分は機械と金属そのままだけれど、しなやかな動きは計算されたものと違う、自然な身のこなしだと思えた。

こんな不思議な姿に魅入っていたハリュウの口から、無意識に言葉がもれる。

「ふむむ。最新タイプかレトロなのか、さっぱりわからないな」

「あら? キミキミ、どう? わたしのこと、そんなに気に入ったかしら?」

「へ、あれれっ」

 ハリュウはいつの間にか見惚れていて近づき、手を差し出していた。こんな人間の手を、破砕機に匹敵するメカニカルな大型ドラゴン・タイプの手が、丸ごと包みこんでくれた。驚天動地! こんな芸当は超最新タイプが、ようやくできるようになってきたもの。ハリュウは返す言葉につまる。

「な、なんだか、……すごいね」

「でしょでしょでしょ、このわたし」

 基本的に大型パートナーとの騎乗以外の接触は、勧められていない。パートナーの力が強すぎ、事故が起こる危険があるからだ。古典的にいえば、水素エンジンのかかったクルマのタイヤと、握手するようなものなのだろう。

 現在は確か、リミッターがかかっているはず。しかしこのメカニカルな大型ドラゴン・タイプのパートナーは、おかまいなしに接触をやってのけている。

「お客さーん。へへへっ、どうです? 当店の自慢品、お気に召しましたか?」

「んん?」

 頭をそり上げ、笑顔をたやさないディーラーがふと、ダミ声を割りこませてきた。ディーラーは特別仕様だとか「類を見ない逸品」だとか、さっきと正反対なことをまくし立ててくる。

そのうえハリュウが夏仕様のラフな身なりなので、足元を見られたようだ。値段までべらぼうな額を吹っかけてくる。ちくしょう。

「そこまでの逸品、僕にはまったくふさわしくないですよ」

冷ややかに応じたハリュウは、無念そうに演じ転回、立ち去ろうとした。

 すると銅色のドラゴン・タイプより力加減を知らないディーラーは、肩を痛いほどに掴んで引き戻そうとする。ハリュウは淡々と「スクラップにしようとした隠しごと以外の何か」がないか、気がなさそうに問いかけてみた。

「え、ええっと、お客さん。盗品ではないんですが出どころが不明でして、ノーブランドです。そして……その、あの」

「何です?」

「なぜか記録の初期化が、ま、まぁ頭脳を工場出荷状態に戻せなくて、これまでの全記憶が……たぶん残っていて。メンテナンスや情報の更新作業もコレに、いいえ、この逸品に拒まれてまして……」

「あーらら。フォローできないダメダメ品じゃないですか」

 ディーラーが伝えてきた意味は、製造元が不明なうえ、他人さまの情報が残り、更新作業でシステムへ、新能力を付加できないということ。逸品というより珍品、いや無保証ジャンク品に近く、せっかく稼いだ電子マネーを全額つぎこむほど、この身は物好きでもマニアでもない。

「ま、ちょっと考えてはみますね」と、つぶやいたハリュウは今度こそ本気で立ち去ろうとした。ところが大型ドラゴン・タイプのパートナーから、喜怒哀楽が豊かな合成音声で呼びかけられる。

「ダメダメ? ねぇ確認もせず行ってしまうんですか? ハリュウ」

「うええっ、ど、どうして僕の名前を?」

「携帯型マルチ端末の情報をスキャンさせていただきましたから」

 レトロな姿のパートナーは、さもあらんといった調子で応じてくる。人間なら「機転が利く」で済まされること。けれど現状は違う。

これだけ技術が進んでも人工的な自我だけを有すAIにしては、できすぎている。セキュリティー技術は文明の要なので、すんなり個人情報を引き出すなど至難のワザだ。と、ディーラーは顔面蒼白になり、たたずんでいる。

「お、おお、お客さん、すいません! パートナー登録と手数料はウチが持ち、お値段も勉強させていただきますんで、このことは、どうかどうかご内密に……」

「うーん。ご内密に……ねぇ」

大型タイプが絶対できなくなったはずのハッキング行為を口にし、知られたら厳罰では済まないディーラーはもう、戦々恐々と身震いしている。そこへ大型ドラゴン・タイプのパートナーが、あっけらかんと追い打ちをかけてきた。

「もうキミ、えと、ハリュウのことは、わたしが一番、知っていますよ。古き良き機械いじりと……ベースボールの元エース・ピッチャーなんですよね?」

「ふふっ。当たり。完ぺきに情報、抜かれたね、僕は」

 個人情報のディープなところまで漏えいしているものの、銅色姿のお相手のあけっぴろげな態度に対し、ハリュウは不快感を覚えなかった。

むしろディーラーがこの違法行為に青ざめ、勝手に勘違いを膨らまし、サービス追加の叩き売りにかかってくる。最後にハリュウは偶然かどうか、大型の「逸品」へ確認してみた。

「じゃあ今度は僕の番。名前は?」

四肢からモーター駆動音を放ち、ヒョウさながらな、しなやかな動きをしながら、ドラゴン・タイプはシンプルに応じてくる。

「わたしはプロセシア。いきなりプロちゃんなんて呼ばないでくださいね?」

……やはりエゴを持ち、頭脳は初期化されていない。普通はこんなとき、パートナーは型番を答え、購入者に命名されるのが半ば規格となっている。だけどそれは通用しないときたうえ、AIらしからぬジョーク。

 おそらく「プロセッサー」からもじった名前だろうけど、うれしそうに角ばって厳つい尾を揺らし、怯まず名乗る目の前のプロセシアを見ていたら、ハリュウは……謎めくジャンク品、いいや、パートナーについてもっと知りたくなった。

「そうだなぁ。ええっと。プロセシア?」

「はぁーい♪ どう? 家までお持ち帰りしたくなったでしょう?」

 ハリュウは唇を噛む。改めてちっくしょうだ。悔しいが考えを見透かされた。

結局、電子マネーを使いきったハリュウとプロセシアの出会いは、ハッキングというありえない縁で成立した――。



 第一章 さすらう大型パートナー

 (1)ハッキングと初めてのディナー


 そんな街から、数百キロは離れた辺ぴな山深い研究所では、辺りを警戒するよう厳つい大型ヤマタノオロチ・タイプやマンティコア・タイプのパートナーたちがうろついていた。

 研究所といっても元々は、とある有志連合が建てたものだという。しかし、だんだん規模が大きくなり、透過アルミニュウムと新炭素繊維で造られた扁平ドーム状の外観の研究所は現在、かなり広い。

 そこでは主任研究員カワサキと、一人乗り設計の小型コンドル・タイプのパートナーが実験を進めていた。カワサキは頭にヘッドギア状の機器を装着し、新たなシステムとなろうパートナーとの神経可変リンクの確立を試している。

「元々パートナー用のリミッター機能だけど、もし人間に適応できたら……」

「そうですね、カワサキ。できるといいですね」

翼をたたんだパートナーが事務的に応じてきた。そう、完全無比なる絶対的平和を生みだす研究推進に、賛同する人やメーカーは多い。

(うん……アダム所長が提示した研究は完ぺきなのだ。そうに決まってる)

 一抹の不安などをカワサキは念じて押し消し、確立試験をさらに進めた――。



かたやハリュウは、竜顔を上向けて嬉しそうに弾けた音声を耳にし、ほっこりとした雰囲気に包まれていた。

「さあ、これでわたしはキミの、違うわ。ハ・リュ・ウのものですよ~~♪」

 モーター音とともに足音を立てて街なかを歩く、ハリュウのパートナー、プロセシアは首をしならせた。高みのマズルは音声とうまくシンクロしている。

人によってはパートナーを、乗り物や自律する自衛の武器だと割り切って扱うけれど、プロセシアのしぐさを見ていると、ハリュウにはできそうになかった。つられてハリュウの声まで弾む。

「これからよろしくプロセシア。まぁ、僕のことはもう知ってるよね?」

「ええ。実にマニア……いえいえ、尖った個性をお持ちで」と抑揚強く告げ、まるでプロセシアは話の内容を考え、ユニークな言葉を選ぶ能力までみせてきた。

ここまでできる最新型パートナーがいようといまいと、ハリュウは人間臭く、AIなどと不釣り合いな個性を感じ、プロセシアへの好奇心が高ぶってくる。

「ならさ、僕もプロセシアのことを何か知りた――」

「伏せてハリュウ!」

 言葉半ばで、大型ドラゴン・タイプのプロセシアがなりふり構わず、ハリュウを前足でボディー下へ抱きこんだ。ハリュウがつぶれない程度に身を伏せ、安定翼も丸くかぶせて守りの体勢へ入った。次の瞬間。

 滑らかな装甲をした大型ワイバーン・タイプに乗る不審な輩が、水晶の宮殿さながらに輝く街なかへ、黒い物体をまき散らす。接触した物体はサイズに見合わない大爆発を起こした。すぐさま炎を吹き、キノコ雲を作り上げる。

「なっ――」と、ハリュウは怯み、声すら出せない。

 ズ、ズゴォン、ドォォン――。

 爆音がとどろき、街なかを行きかうパートナー達が自衛体勢となり、人間のパートナーを守っていた。それぞれが自身のボディーを投げ出し、守りの盾と化している。過激な活動や事故があろうと、人間の犠牲者がほとんどでないのは、この機能の恩恵だ。そうあくまで「人間」の犠牲者数だけれども……。

 こんなふうに身を挺し、人間を守るところまでがパートナーの役目だ。しかし危険を察する能力はプロセシアが上で、しかも爆風を受け、損壊するパートナーたちがたくさん出ているのに、ハリュウのパートナーとなったプロセシアはビクともしていない。

 眺めるのもつかの間、白昼堂々テロ行為を働く輩は、さらに街を攻撃しようと構えていた! それすら察したか、プロセシアは銅色の安定翼を立てて、身も起こし、年代物のカメラさながらに「眼球」を野蛮な輩へ向けた。続けてうわごとのようにつぶやく。

「……くっ、わたしの居所が探知されたのかもしれないわね」

「ナニ、居所? 探知って、いったい全体?」

「ハリュウ。ここを動かないでいてください。念のため」

こう声高に告げてきたプロセシア。パートナーには個人を守る目的の他、公共秩序を守る役割もAI法で定められ、おそらくプロセシアはそれを履行しようとしている。ただ分が悪い。テロリストが使うタイプは、間違いなく最新型だ。

 性能面では確実に中古品……いや、プロセシアを凌駕しているだろう。半身を起こしたハリュウは、プロセシアの冷たいボディーへ手をかけ、「行ったらダメだ」と固い調子で命じてみた。

テロリスト連中は自らのパートナーへ改造を施したようだけれど、AI法に反しなければ、人間からの指示には優先して従う定義までも、逆手に取っている。

「ダメだ。この先はポリスに任せよう。プロセシアのボディーじゃとても……」

「ハリュウは……やはり優しい青年ですね。今の言葉は命令ではなく心配だと認識しましたよ」

 屁理屈を返してくるプロセシアは、古風なブースターらしきパーツをうならせ単身、街を荒らすテロリストたちへ挑んでしまう。

 ロボットの普及によって、ほとんどの労働から解放された人間は、趣味を活かして人生を満喫するか、過激な思想の下、刺激を求め、考えすら暴走する人間とに分かれつつあった。

 ドォ、ズドォーン。辺りを震わす激突音がこだました。

飛翔に転じたプロセシアが、テロリストたち輩の乗るパートナー一体を貫いた音だ。とはいっても飛ぶための無音ブースターを壊しただけで、致命的損傷は与えていない。離れた所から、テロリストたちの苦々しげな怒号が聞こえてくる。

「くっ! と、特殊合金ボディーが……壊されちまった! 機能維持できね!」

 テロリストの驚きもわずかな間だった。すぐさま平然と黒い危険物を投げつけ始め、ハリュウは息を呑んだ。みんな死ぬ、あぁ――。電光石火。

プロセシアが残像と化し、圧巻の機動性を働かせていく。危険物すべてをボディーごと、受けとめてしまったから。途端に中空で大爆発が起こる――。

「そ、そんな。ぼ……、僕のプロセシアーーー!」

 無慈悲な爆炎が方々へ噴き出し、衝撃波のおとずれでハリュウは地面へ転がされそうになった。ただその衝撃が幸いし、ディーラーから渡されたある物が圧縮型ポケットからこぼれ落ちる。

(これ、そう確かプロセシアとのプライベート通信を行うリンク装置だ)

 急ぎハリュウはリンク装置を腕につけ、こわごわ呼びかけてみた。あんな大爆発では望み薄だとは思ったけれど――。

「ハリュウ、大声出さないで大丈夫ですよ。なにせハリュウの電子マネー残高も見抜けるほど、わたし、感度はいい方なんですから」

「あのな、そういう問題じゃないだろう!」

濁った爆煙の中からプロセシアが飛びだし、ハリュウに聞きとれる音声で「殺戮機械とされたパートナーを初期化してから戻る」と伝えてきた。なるほど。これでテロリストたちは「足」を失うわけだ。ただ、機械が機械を初期化してしまう話は、あまり耳にしない。

 古風にいえばアドミニストレータ権限(管理者権限)がなければ、外部からリモート操作はできないはず。最新の量子応用コンピュータも、それは同じだ。

ただ深く案じる間もなく、プロセシアから規則的な閃光が放たれ、大型ワイバーン・タイプのパートナー達すべての動きが緩慢になり、地へ落ちついていく。

「え、わわ……プロセシア、圧勝しちゃった。古風なのに、いともあっさり?」

 ハリュウ自身、初めてパートナーを持てる年齢になったので、よくわかっていないことは多い。しかしパートナーは大よそ、こんな感じなのか? 

出どころ不明なノーブランドという話だし、ハリュウは冷ややかな怖さを覚えた。もしやプロセシアは、軍事用兵器の払い下げ品だとも考えられるから。

(まさしく実験的な兵器の転売だとしたら、関わった僕はやがて……)

「ハリュウ? そんな顔してどうしました? やはり……お別れします?」

「うわっと!」

 気づかぬうちにプロセシアは、ハリュウのかたわらへ舞い戻ってきていた。見たところ壊れた跡はない。プロセシアは人間のようにダラリと竜の首を揺らし、声をかけてくる。こちらの陰鬱な顔つきから、心情を検出したのだろう。

「お話しますよ。実は、わたしの能力はハリュウの成績と同じなのです」

「は? ど、どういうこと?」

「底なしなんですよ。まぁつまり、リミッターが外れていると、ね?」

「ちょ、なにが、ね? だよ。僕は底どころか地球軌道くらい優に超えるぞ!」

 コンピュータやAIによる自立型パートナーも、ジョークを会話に加えることがあると聞く。ただ、ここまで気の利いたジョークを、そのうえ人間へのダメージを禁ずるAI法があるなか、シビアで厳しいジョークを口にしてきた。

どんどん混乱してきたハリュウは、とりあえずプロセシアを鋭く見やった。

「ハリュウ? 目つきまで悪いです。わたしは事実を言っただけですけれど?」

「この……まだ言うかよ。さっきまでスクラップで風前の灯火だったんだろ!」

 ハリュウは怒ったふりをし、プロセシアの頑健なボディーの腕を殴ってやった。それすらプロセシアは金属の腕を器用に曲げて揺らし、ハリュウの握りこぶしが傷つかないよう気づかってくれる。放たれる音声はまるで逆だけど……。

「痛い痛いぃぃ! 嗚呼わたしぃ、ハリュウに襲われちゃう~~」

「機械に痛点なんて、ないだろが。あんな戦いができるほどの怪物なんだから」

グイグイやり合っていたとき、ふと、ハリュウはある一点に目がとまる。

「おいおい、指一本がおかしな具合に曲がって、動かせてないじゃないか」

「ま、古傷が痛むってところですよ」

「行こう」

 ハリュウがぶっきら棒に、ひと言だけ告げたので、位置情報まで取得済なのだろうこの身の自宅へ、プロセシアは歩きだそうとした。なので改め、ハリュウはディーラー街にある修理工場へ行こうと伝えた。すると金属製だから表情こそ変わらないけれど、プロセシアがスリムなマズルを開け、驚いた雰囲気を漂わせる。

「え? ハリュウ。これくらい、なんてことないですから、平気ですよ」

「僕に名誉挽回させて。機械関係のテクは僕も自称、リミッターなしなんだ。」

 意気揚々と胸を叩いてみせたハリュウは、ようやくやって来たブルーの整ったユニフォーム姿のポリス部隊に、先ほどの狂って恐ろしい事件は任せ、工場へと向かった。こんなに「おもしろい」パートナーと、お別れなどするもんか――。

「ありがとうハリュウ。では、わたしに乗ってくださいな」

「の、乗る?」

「そうです。なんのために、わたしがいるんです?」

 唐突に声をかけられたがまさしく、本来のパートナーの仕事であり、大造りに設計された街なかならば、プロセシアに乗ってかっ飛ばせるだろう。

不意にハリュウは、パートナーといっしょに走るという乗り物以上の何か、温かさを感じ、ワクワクどころか胸がときめき、興奮してくる。

「さあ、どうぞ」

 かがめてくれたプロセシアの身体から、ハリュウは首元へまたがり、とってつけたような耐・緩衝システムを動作させた。プロセシアは光輝く街なかで四足の猛獣ライガーと化し、走行路を疾走していった。この「ライガー」も声、高らかに咆哮をとどろかせ、道の先の先へ気ままにかっ飛ばす。ハリュウは声を張った。

「うわぉプロセシア。直接さ、風を切って走るのがこんなに楽しいとは!」

「喜んでもらえて光栄ですわ。もっともっといきますよぉ♪」

 だがハリュウを含め、テロリストたちとの攻防が呆気なかったので、ありふれた巷の一事件だとしか考えていなかった――。



 薄暗く、要所にホログラム投影機が据えられる部屋では、再生素材製の背広を着込む数人が、激論を交わしていた。奥に座る初老女性は手の指を組み、荒ヒゲの人物を見つめる。

「で、過激思想への世論の反応はどうなんだ?」

深いシワの壮年男性が、重い空気を割った。応じてホログラムが変化し、民間人の反感が三分の二を超えている表示が見てとれた。このホログラムにわき目もふらず、白馬似の中型ペガサス・タイプのパートナーが翼をあげ、独自分析したらしい内容を発してくる。

「この数値であれば事後承諾でも、大きな混乱は起きないものと推測可能です」

「……そうですか。ところで肝心の研究は、どのくらい進んでいるのかしら?」

 上座で厳かなオーラを漂わせる初老女性は、この場の誰しもが気にかけているだろう問題を、あえてそのまま口にした。この場のひとりがかしこまる。

「はい。実証実験に入るとのことです。現状、生体実験……いえ、合成家畜の実験体レベルで、総じて幸せな状態を受け入れていると、報告が来ています」

「総じて幸せ……ですね? わかりました」

現時代の人心はパートナーへの依存度が高く、甘えん坊かつ腰砕けで「過激思想を持つ一部例外」を除き、まさに危険性など薄れ、皆無に等しい。大きくうなずいてみせ、話を進める。

「……むしろ忌避されたパーツを有すという、個体のコントロールが急務ですね。確か二個体の“つがい”だったと聞きますが?」

「はい。つがいの一方は、目星がついております」

「わかりました。では計画どおりに“イブ”は発見し次第、あらゆる技能を使ってコントロール下に招き入れるのですよ。いいですか?」

 強いオーラの初老女性は、クールに命じたもののその“つがい”は地球の歴史に残る「アダム」と「イブ」のような、とてつもない存在だ。

この世に神が遣わした存在に近い。そんなふたつの原初をコントロールしてまで、果たして人類は栄えていくべきなのだろうか。力の差が大きい者との共存は理想的な幻に過ぎず、史実を垣間見ればどれもが失敗し、破滅へ至っている。

どうあっても主従関係ができるからだ。これは弱肉強食の世界を生き抜いてきた人間の本能的なものだと思う。しかし本能だから「絶対」変えられないと決めつけてしまうのは、尚早すぎるかと迷いを生んだ。こんなときふと提案される。

「閣下。わたしくめのパートナーによると、実証実験を兼ねた催しが、近く開かれるとのこと。この第Ⅲ相試験について、情報収集などいかがかと存じますが?」

「そうですか。では早速……手配をお願いしますね」と、静かに相槌をうった。



 転じてハリュウは、街なかのクリーン感あふれる修理工場まで、かっ飛ばしていた。「初めて見るタイプだ」と手をこまねく工場の整備員から、器具だけを借りうける。大型ドラゴン・タイプのプロセシアは、指一本すら大きく太い。

「ハリュウ、どんな具合ですか?」

当のプロセシアが不自然に曲がって動かない指と手を持ちあげ、静かに問いかけてくる。ところが不可解なことに、どんな器具を使おうと、動かぬ指を覆う金属の外装すら外せない。たぶんプロセシアは一般的なパートナーと、構造か何か、ある意味、使われているテクノロジーが違う――。

「まだまだ。よし、僕が手の下にもぐりこんで調べてみるよ」

「どうぞ。わたしも注意するわね」

 伝え終えてからハリュウの脳裏に少し、不安感がよぎった。出会ったばかりで、まだ完ぺきには信頼できていない。もしリミッターなしというプロセシアが金属の手をポンとついただけで人間の生身など、ひとたまりもない。

 しかし根は優しいらしくプロセシアは、ハリュウが下部へもぐりこむのに手こずると、逆の前肢を滑らかに動かし、押しこんでくれた。

また一歩、心は前進、ハリュウの脳裏から不安感が消え、プロセシアの曲がった指の具合も、よく見えるようになった。そこでハリュウは不意打ちを受けた。

「あっ! 液漏れしてるぞ。潤滑系の液体とはさっぱり違う。てっきりプロセシアは、機械的なパーツだらけの造りだと思ってたけど」

「ふふっ。だから機械を見た目で判断したらダメだと、伝えたんですよ」

 きっと、化学反応式のコンピュータが扱う液状素子だろうとハリュウは考え、何気に液漏れ部分を指ですくって舐めてみた。使われている液体の種類を確かめないと何もできないからだ。

あれこれ迷いながら作業案を立て、ひとまず液漏れを塞いだその瞬間に――。激しいめまいを覚え、世界がよろめき、回転を始めた。自身の息は勝手に荒くなってくる。途端、気づいたらしいプロセシアが空気を吹くような音を放った。

「いけない、ハリュウ! わたしの血の多くは、人間にとって猛毒なんですよ!」

「あ……ありえない。今の世界、液体の安全基準は、き、厳しいもの、だから」

「いえ、わたしは……」

プロセシアが何かを言いかけ、途中でとめた。それはいい。現代世界でこんなことって、ありえない。どうしてプロセシアのボディーには、そんな猛毒が使われているんだ? 

 急を要するアクシデントは察しているはずなのに、周りの整備員たちは黙りこくってオロオロし、縮こまっているだけ。なかにはパートナーとやり取りできるリンク装置があるのに、相談のためか走りだす整備員までいる。工場内は混乱したが、誰の助けもない。

 こんな悲しい状況は、AI技術の進歩とのトレードオフで生まれた。現在は自分自身で何かを判断するストレスから解放され、逆にそれが現代文明のウィークポイントとなってきている。いや、もはや斜陽状態に陥っているかもしれない。

 意識朦朧としてきたハリュウは、ケイレンする体を抑えようとしたものの、まったくの悪あがきだった。ふとプロセシアはデリケートな力加減でこの体を、片方の前足で支えてくる。

「ハリュウ! ハリュウ? わたしを……そう、信じてくれますか?」

「う、ん、うぅ……」

 こちらを見つめるプロセシアは心底、動揺したそぶりで巨体を寄せ、音声まで不安な色が、にじみ出ていた。この現状では、不信感がゼロとは言えないけれど、瞳のレンズ越しにプロセシアの真剣な想いそのものが見通せた、……から。

 理由はどうあれ、これは事故だ。プロセシアが意図したものではない。

「何か方法が……あ、あるのなら、た、頼む、よ」

「わかりました、ハリュウ。わたしを信じて……少し、がまんしてくださいね」

 AI法における最優先事項。

いかなるAIも人間を傷つること、それらに類した行為すべてを禁ずるものとする。これが大原則でかつ、AI技術は進歩していった。ところが目の前で、最優先事項が破られそうな事態が起きる。

「げぇっ、ぐ、ぐるし、い……げふっ。ま、まま、待って」

「いいえ、まだハリュウを死なせやしません」

 プロセシアの角ばった手で鷲掴みにされたハリュウは、逆さまに持ち上げられた後、胃の毒液体を吐かせ出すよう、きつく握られた。よほどのことなのか、プロセシアはハリュウを一層高く持ち上げていく。

(奇怪な機械に……僕は、く、食われる?)

 金属の大口を割ったプロセシアは、迷いなくハリュウの口にひんやりとした感触を伝えた。つづけて、責め苦に等しい吸引をしてくる。ハリュウは息ができず濁った意識のなか、ようよう猛毒を吐き戻した。

「ぐ、ふぅっ、ふぅっ……」

 身がうねるケイレンは治まってきて、意識もはっきりしてくる。しかしとてもロマンスに満ちた行為とは言えず、ハリュウはバツの悪さを覚えた。

「あの……プロセシア、さ。ごめん」と地面へ降ろされたハリュウは頭を垂れた。

当のプロセシアは長いドラゴンの首を横に振り、ハリュウの頭にちょんと指を乗せてきた。この場に微妙な間ができる。

AI搭載パートナーの喜怒哀楽は、次世代ディープラーニング技術によって合成される産物だが、どうやらプロセシアに「怒」の雰囲気はない。

「いいえ、ハリュウ。いいの。それより見てくださいな♪ 諦めてた指が動いて、ハリュウの頭へ、ね? ありがとう、技術だけは唯一、普及点です!」

「そ、そう?」と頭へかかる指を斜めに見上げ、ハリュウはプロセシアの不正直な言葉を聞き逃した。モヤモヤするハリュウは「よかった」と伝え、プロセシアは自意識過剰なこちらの心へ、雑に触れてくる。

「ね、ファースト・キッスをわたしさ、奪っちゃったけれど、怒らない?」

「くっ、ど、どうかな? 怒りのパンチ、したところで僕の腕が折れるだけだし」 

ふっと幻の笑みを浮かべた気がする。当のプロセシアは先ほどの事故など、どこ吹く風で巨躯を揺らし、回復した指を使ってハリュウの頭をなで下ろしてくれる。まるで生き物みたいに、プロセシア自身にも心があると現わしてきた――。

だが、まろやかなムードもここまで。いきなり硬い音が響きわたり、小柄な女性と一本角を生やす白馬似の中型ユニコーン・タイプのパートナーが工場へ転がりこんできたからだ。

お相手は血相を変えたサヤカさんで、機械好きが縁となり、現在に至っている。サヤカさんは上下ともジーンズ系でキメた、ひとつ年上のボーイッシュな先輩だ。いきなりの登場に、ハリュウは素っ頓狂な声をあげる。

「あっ、あれ? どうしてここに?」

 慌ててハリュウはラフな格好ながらも、身なりを整えていった。ハリュウは過去に彼女と、この工場で機械メンテナンスのサブスクリプト契約を結んでいたことがあった。

だから、状況判断があやふやな整備員の誰かが、うろたえてサヤカさんを呼んでしまったのだろう。呼ぶならAEDを扱えるドクターが正解なのに……。そして再び「事件」が起こる。

「わたしはプロセシア。こんにちは、コバヤシ・S・サヤカさん」

「え、ええっ? あたし、あ、あなたと会うの初めてよ?」

 ハリュウすら想定外だったプロセシアの言葉に、サヤカさんはギョッとした面持ちだ。追随するようサヤカさんのパートナーが、ソプラノ感を含む男性的な声で警告を放つ。

「これは違法行為ではありませんか? 個人情報のハッキングは物理的に不可能な過去の遺物であり不可解。なおかつAI法第二百――」

「あんたって、真っ白馬な見た目のわりに機械みたく頭が固いのねぇ」と、さっぱり意に介さないプロセシア。あまりのやり取りに、ハリュウは突っこみたい気持ちに駆られる寸前だった。

ハリュウがうずうずしていると、サヤカさんは安心したそぶりをみせ、興味深い話を振ってくれる。

「まぁでもよかった。ハリュウくん、大丈夫そうだし。へ~え。ハリュウくんらしいメカニカルなパートナーを選んじゃったのかぁ。けどね、この機体じゃトーナメントは厳しいかな。あの百戦錬磨の白き覇王まで出るのよ」

「いいえ。白くはありません」

 またもプロセシアが話に割りこみ、どこか侮蔑したトーンで告げてきた。よくよくハリュウが見上げると、レトロなタイプでは一般的な、深い思考を示す瞳の点滅が行われている。プロセシアを迷わせているものは、何だろう?

 いや、それより点滅そっくりな「瞬き」しているふうに見えるけれど……、プロセシアを擬人化したい、自身の気のせいに決まってる――。

 政府主催のトーナメントは世界各国をまね、人間に健全な刺激を与えるため、人間とパートナーの絆、そして能力を競わせるのが目的のイベントだ。加えて最近、これらトーナメントにサヤカさんが話した「白き覇王」が必ず参加し、圧倒的なパワーで優勝を総なめにしている。

 それゆえ参加者からは、賞金を出し渋るデキレース、シンプルにヤラセだと揶揄されていた。逆に、それほど「覇王」との呼び名どおりに強いということだ。

思い返せば白き覇王は、機械っぽさこそ、ほとんどないもののプロセシアと似たサイズの大型ドラゴン・タイプだったはず。考えを巡らすハリュウは、サヤカさんの言葉に驚くことさえ、ふいっと忘れてしまう。

「あのねハリュウくん。あたし、このファラデーと、跳躍部門で参加するのよ」

「はい、そうです。不遜ながらわたくしは力の限り、努力をいたします」

 楽しげに跳ねるサヤカさんと、中型ユニコーン・タイプのファラデーはシンクロしているとは感じるけれど、実に事務的な受け答えに終始している。これこそが能力の高いパートナー本来のあるべき姿なのか? 

しかしやり取りを見聞きし、ハリュウには真逆の主従関係が見てとれた。従うファラデーの姿はスタイリッシュに洗練されている。ただ……レトロな風合いのプロセシアの方が失礼だけど人間臭い。どちらが正しい関係なのだろう?

機械はあくまで機械とし、線引きするべきであり、プロセシアがグレーゾーンな変わり者、いいや「危険なメカニズム」なのかもしれない。

 改めてプロセシアを見やると、瞳の点滅がとまっていた。金属製のマズルが目立つ顔なので、プロセシアは表情こそ変えられないが、苦渋の決断だとうかがわせるトーンで音声を放つ。

「ええ、そのトーナメント。わたしも参加しますよ。覇王とやらのお手並み拝見、これがわたしの論理的帰結であって……」

「違う、感情まみれじゃないの? プロセシアの機体じゃ拝見どころか」とハリュウは、心配の裏返しを告げた。対しプロセシアはある意味、論理的に解を言う。

「ハリュウはわたしを買ったせいで電子マネー、なくなってしまったでしょう? 当面の生活費がゲットできる絶好機じゃないかしら?」

「う、くっ、くそ。くやしいな」

 図星を突くプロセシアだけれど、ハリュウが真に思うところはそこではない。

サヤカさんの話を聞き、もしレトロな機体と、おそらく最新型の覇王が戦えば致命的ダメージを食らう。隠さずハリュウが伝えると、プロセシアは首をひねる。

「え、あの、ハリュウは……、もしかして機械ごときを本気で心配……してくれてるんですか?」

「……もちろん。機械だとかレトロだとかは関係ないよ。プロセシアはもう、その、なんだ。こんな僕の身内の一員になったんだから。みなまで言わすなって」

「……」

 活発なプロセシアが珍しく、こちらを見おろしたまま黙って、また、瞳を点滅させている。今さっき、関係ないと言ったけれど「機械」にしてみれば、長い長い間だ。いったいプロセシアは何を考えているのか?

 やり取りを眺めていたサヤカさんは、ニンマリと口元を緩めて声を高める。

「ふーん。馬が合うってこういうことかもね。あたしのファラデーは一本角の白馬ちゃんだけど」

 まるでサヤカさんがプロセシアの品のない冗談に、冗談で応酬してきたと直感的にわかった。もはやこの場の空気も、自身の頭も混乱してきた。

(……家電みたいに不必要にしゃべらないのかな?)と、あえて考えを逸らした。

サヤカさんのとなりに並ぶ、滑らかな曲線美が露わなファラデー。そんなパートナーは話を見聞きしていたはずだが別段、何も言わない。

 結局は、トーナメントの鍛錬をしようと強引な展開へ導き、工場前の走行路で瞬発力比べをしながら帰ることになった。一般にパートナーは乗り物とし、各機体がリンクして動くため、飛び出し事故などは過去の産物だ。

「プロセシア、いい? よくわかってるよね?」

「もちろんですとも。ふふ、大丈夫ですって」

 丸ごと銅色のパートナーは、ハリュウを冷やかす音声で応じてきた。乗馬経験がありそうなサヤカさんは、中型のファラデーに颯爽とまたがっている。

「うわっとと!」

当のハリュウはパートナーがドラゴンな大型タイプなせいで、その首元にしがみつくので精いっぱいだった。あいにく、運動神経には恵まれていない。

 だからパートナーに安全騎乗機能があろうと、プロセシアは年代物っぽく……スペック的に危うい気がする。反面サヤカさんは微笑み、やる気まんまんといったところ。不安を抱えながらハリュウがプロセシアの背へ乗ると、すぐさまサヤカさんは声を高ぶらせる。

「OKね? じゃあ……前哨戦いくわよ。いち、にぃの」

「さん!」とハリュウは元気良さを演じ、号を放った。直後に激しい重圧が加わった。工場前の景色は場面切りかえのごとく、後ろへ流れ去る。やっぱりプロセシアは当てつけるよう、ぶっちぎりで輝かしい街並みの風と化した。おいおい。

肝心のサヤカさんの姿は遠く離れ、見えなくなった。ハリュウは腕を振るい、シンプルに怒る。

「このバカバカ! サヤカさんに華を持たせろと言ったんだよ!」

「あ~ら、わたし、レトロポンコツらしいので理解できてませんでしたわぁ」

「ウソつけ!」

 ウソか本当か、ハリュウは試しにレトロな頭部を引っ叩いてみる。乾いた金属音が響き、手が痛くなるだけだった。しかし、不意にメロディーのようでいて、それとは違う電子音がプロセシアの口元から聞こえてくる。

(これって何だろう。それにトーナメント出場の真意も……わからないし)

いわくつきのトーナメントへ参加するなど、デメリットだらけなのに――。

 疑問のタネを残したまま、ハリュウは初めてのパートナーと共に、広く半ドーム状をした自宅一軒家へ向けて進んだ。自宅はだだっ広く、忌まわしきエネルギー変換事故で早くに亡くした両親唯一の遺産だ。果たしてプロセシアのエネルギー源は大丈夫だろうか。

トラウマ体験が頭をよぎったけれど、これらは要らない記憶へ格下げだ。なにせこれまで一番、辛かった問題が解決するから。

そう少なくとも、今後は「独り」ではなくなる。メンテナンス費用をまかなう必要ができようと、大造りなリビングで寂しく食事をとる機会は減ると思う。

(空っぽで独りぼっちな毎日を過ごす虚しさとは、……さよならだ!)

想いを胸にハリュウはプロセシアの背を眺め、こっそり口元を緩めた。



 (2)大型ドラゴン・タイプの淡い初仕事


 山深く緑萌ゆ土地に建つ研究所。その最深部に、大型タイプのパートナーで呼称名、アダムが鎮座していた。アダムは現文明の状況すべてが気に食わない。

うちひとつを解決すべく、この斜陽文明で対価として求められる電子マネーの確保を狙い、実力行使の頃合いを見計らっていた。

 そんな折、無精ひげで小汚く、ぜい弱な白衣姿の所員が、足早に向かってきた。柔な手には知的生命体の分岐点になりうる、リンク装置を持っている。

「アダム、新しいプロトタイプが完成したよ。早速テストしたい。君が政府へ掛け合ってだな――」

「ふむ、そんな必要はない」と、うねる轟音の声でアダムは応じた。

電子音の合図を放ち、処分対象とされたゆえ、自らが地下室にかくまっていた「仲間」を呼ぶ。人間らがパートナーだとの詭弁を使い、酷使した挙句に、古くなったと廃棄処分となる運命だった仲間たちだ。

 破裂するかのごとくアダムは手を開く。ちっぽけな所員を容赦なく掴み上げた。このまま握りつぶしてもいいが、それでは研究の試験対象とできない。

「な、ア、アダム! ぐわっ! や、やめ。こ、これは命令で!」

「人間様のご命令か。では答えよう」

「う、うわぁぁぁ! だ、誰かぁぁっ」

 アダムにとってAI法など、人間が人間の保身用に作ったハリボテに過ぎない。あがいて暴れる所員へ、アダムは望み通り、研究成果を加えたというリンク装置をはめこんでみた。すぐに人間の瞳は虚ろになって鎮まり、アダムは驚きを覚える。こうまで制限しなければ、人間はこの世の安定すらロクにできぬのかと。

もうこの手で握る所員は、暴れることなく微笑み、一切、抵抗しない。

「ふむ。わしが真の成果となるかどうか試してやろう。案外、我らの期が熟すときは近いかもしれぬな」

 歪んだ電子音を響かせるアダム。緩みきって我々に依存しつづける人間らは平和な世だと勘違いし、行動管理用カメラすら設置していない。

よって、これからアダムが行うテストについて、知る者は誰もいない――。知ったところで研究所の統括責任者はこの身、アダムに担わさている。

 ベキリ、ズブ。肉が潰れ、骨が砕ける音が轟いた。

(すばらしき機能を得たな。人間らが作ったリンクと呼ぶ束縛用玩具は……)

生み出されたプロトタイプはその機能を発揮し、所員は死してなお、愉悦なそうな面持ちを崩さないのだから――。



「まー、ご立派な一軒家なのに、わたしのガレージはずいぶん狭いんですねぇ」

 夜の帳が下りるなか、プロセシアが第一声を放った。閑静な街なかに建つハリュウの一軒家に到着し、いきなりこれだ。初期化してやりたい気持ちを抑えながら、ハリュウは声高に言い返す。

「プロセシアが例のトーナメントでまぁ、勝てれば賞金でリフォームするよ。あくまで勝てれば、だけどね」

「酷い酷いハリュウ! わたしの賞金をネコババする気かしら?」

「く、くっ、なんでだよ!」

 だいたい、この身の個人情報は抜き取っているのだから、プロセシアは家の間取りまで知っているはずだ。しかし、よもやの皮肉を告げ、ネコババなんて古いスラングを使ってくるとは、答えに窮する。

(高性能なAI搭載パートナーなのに……、AI法も知ってるはずなのに! 口の悪さが格安となった原因か?)

 こんな考えをハリュウは抱いたけれど、不可思議な多幸感に満たされる自身が今ここにいる。理由ははっきりわかった。

これまで自分は両親を失い、独り身だったので、しゃべる家電や自宅のコントロール装置とかと、言葉のキャッチボールを試みていた。すべて失敗したのだが……。

こんなハリュウにとっては、機械と話すことに抵抗感がなく、むしろ自然な感じだと思えていた。なのでプロセシアとの言葉のキャッチボールは、ウイットまで利いていて単純に楽しい。過去に家電と話して楽しく感じたことなんか、一度もないから――。

 気を戻すと、四肢を曲げて、窮屈な姿勢をとるプロセシアが聞きなれないモーター音に似た、おそらくはギアの音を、文句と共に響きわたらせてくる。

「ここじゃわたし、お肌にキズができそう。ま、ココが今日からの……、ええ、……我が家ですし、野ざらしよりはいいですね」

 指摘どおり大型ドラゴン・タイプのプロセシアに、このガレージは狭すぎた。意識過敏気味なハリュウは、文句に含まれていた、わずかな間に不安を覚えた。

「我が家はココ、か……。プロセシア、その、色々しんどいかな?」

「多少は我慢しま……え? どうしたんです?」

瞳を点滅させるプロセシア。言葉が心に響いたハリュウは、なんだかしんみりしてしまった。我慢か――。

(そうだよな、プロセシアは我慢してる。うん)

憂いを振り切ったハリュウはせめて、メンテナンス不足だと思われるギアの音と、ギアの負荷を軽くしようと、行動して気を落ち着けていく。この日のために備えておいた、金属分子潤滑剤を取り出した。

なおもプロセシアは、微笑んでいるみたいなトーンで尋ねてくる。

「どうしてハリュウは、ジャンクなわたしに、ここまでしてくれるんです?」

「え……と……」

 ハリュウは答えに詰まった。プロセシアの問いかけだけれど、たぶん答えは自分自身でも知っている。ハリュウが抱く擬人化への想いは強すぎ、面と向かって口にするのは、どうにも照れくさかった。

ハリュウは自然体を演じて応じながら、プロセシアの凹凸がむき出しの各駆動部へ、金属分子潤滑剤を注ぎ、なじませていく。

「ま、まぁさ、独り身の気持ちーって、わかる?」

「そうですねぇ……」

 プロセシアは金属分子潤滑剤を注ぎやすいよう、体勢を変えてくれた。つづけて、意外なことに首を真横に振った――。

個人の感傷が混じる話を処理するのは、変わったAIを備えたプロセシアにも難しいのかもしれない。ふとプロセシアの流線形に伸びたマズルが開く。

「わかりませんね。だって今は、わたしもハリュウも独り身じゃないんですから」とプロセシアは、ストレートな答えを豪気に投げ返してきた。

「なっ、プロセシア。本当に? 絶対?」

「ちょ、ちょっと……わたしは無機、いえ、知的生命体の人間ではないんですよ。ええ誓います。はい、誓いますから敏感な……ええっと検出用センサが多い鼻先をぎゅっとしないで――」

ハリュウが思わず抱きしめたマズル越しに、柔らかな音声が届き、裏腹にプロセシアは振りほどこうとはしない。今更AI法に従っているとも思えない。

 このやり取りの論理的な帰結はひとつ。プロセシアは「虚しい孤独な気持ち」を十分、わかってくれているってことだ。

「いっそ、わたしが生命……人間になれれば――。いいえ、それでもまぁ」

 不思議な雰囲気で言葉を濁したプロセシアの願いは、痛いほど読める。人間と機械、この間には種族というより、絶対的に違う一線が引かれ、天空の神はそのハイブリッドたる存在にあたる機械生命体の繁栄を、許しはしないだろう。

悪意からではなく、物理的に不可能なことだ。遺伝子の化学反応と機械の電気信号とでは、どうあっても共存して自己増殖していく「生命体」にはなれない。いわば魂を宿せぬ、かりそめな存在のまま――。

 高揚したハリュウは妄想を膨らませていく。それをとめたのは、窮屈なガレージ内に声の華を輝かせるプロセシアだった。

「わぁ、粘液のおかげで各部の負荷が減りましたよ。ありがとう♪ 早速、勝利の前祝いといきませんか?」

「……粘液? ってそれよりナニ、前祝い?」

「お食事ですよ。近くで電子虫が鳴いてますから」とは明るい調子のプロセシアだが、ハリュウはまた家電と話す味気ない食事になるのかと、息を漏らした。この心の陰りはプロセシアに見抜かれ、破砕機のような手で背中をどんどん叩かれる。

「正確には、デリカシーに欠ける腹の虫と呼びますか。ほらハリュウ、独り身じゃないって、わたし、言ったでしょ? これからは注意してくださいな」

「えっ……と注意……うんまぁ。けど、これからは……って?」

 まさか一緒に食事を摂るとの意味合いだろうか。わずかひと言でハリュウの心は上向いたものの数分後には、大後悔と鉢合わせする事態へ陥った。

プロセシアはリビングに大窓があるのを探り当てていて、そこから目いっぱい大型かつ頑健なドラゴンの身体をむりやり、ねじこみ始めたのだ。

 プロセシアの前足が踏みこまれると家具類は傾いて壊れ、リモコン装置は潰れ、新炭素繊維が混じる家のカベに、恐ろしいほどのヒビが広がった――。

 いくらハリュウが悲鳴をあげようと、プロセシアは意に介さない。腹ペコだったせいかハリュウは、嫌な嘔吐感にまで引っかき回される。

「い、家のし、支柱が! 由緒ある家が崩れる、やめろって~~!」

「大丈夫なんですよ。わたしの賞金で家は新規アップデート、ええと、リフォームでしたか。それ、するんですから、ぜんぜん問題ないでしょう?」

「だから勝てないし屁理屈やめろよ! 僕の心臓がフリーズする、これは!」

 プロセシアが繊細なAIを備えているのか、雑な機械なのか、さっぱりわからなくなった。ハリュウ自慢のコレクションが秘める芸術性など、知ったことかという雰囲気、丸出しだ。

ただ……、そこまでして同じテーブルにつこうと挑む意気ごみは、ハリュウにとって感慨深く胸に迫るものがあった。だからハリュウは考え改め、この際あえて楽しむことにしようと、話題を変える。

「あのさプロセシア。キミのエネルギー……いや“お食事”はいったい何なの?」

「くっくっ、それはね、人間――」と、いきなりプロセシアが大型ドラゴン・タイプたる金属製マズルを、これ見よがし割った。体を強張らせハリュウは目を見ひらく。しかし――。



ボキリ、グチュ。粘っこい咀嚼音が響く。

 山間の研究所、そこの最深部に住まうアダムは、金属の大口をねじり動かし、首を天へ上げた。ちんけな燃料をボディー内の融合炉へ落とす。新たなプロトタイプの実証結果は良く、したがって開発担当者の役目は全うされ、終わったのだ。

これからの文明には存在すら必要ない。エネルギー源としてリサイクル利用されることこそ、ちんけな存在の価値が最も高まったときであろう。

「んぐっ、んぐぐっ。この感触、たまらんな。なにより、わしの補強材という二次的な存在価値までできたのだ。感謝しろ」

 アダムは低くうなる。多くの小型、中型、大型・パートナーが仕事をこなすようになってから、人間らは飽きると職場放棄をするようになった。「どうせ機械がフォローするだろう」と決めつけ、AI法などの大義名分を並べ、知性へのリミッターさえ設けた。

自身の「ひと呑み」など、いち職員が職場放棄をしたのちに失踪した。こう事務的なデータとし、片づければ問題は起こらないだろう。そんな世の中だ。

 ふとキメラ体の仲間が、クリーナーを持って近づいてくる。触れるだけでも不浄なリサイクル品のカスを、クリーニングするらしい。

「アダム様、汚れた液がこびりついております。少しの間、お口元の失礼をお許しください」

「わたくしめはアダム様の、トーナメント出立のための偽装セッティングを行わせていただきます」



人間が単なるエネルギー源へ変換されゆく頃、伸びた月影が揺らぐリビングでは、逃げ腰のハリュウが目を見開き、絶句していた。

(ありえない! プロセシアの、た、食べ物って、人間なのか――?)

驚くハリュウの目の前で、プロセシアがバクンと口を閉じた。一転、あたかも微笑むように、片方の瞳を点滅させ始める。

「あら、びっくりした? ですけどね、ウソともいえないの」

 こう切り出すプロセシアは自らのエネルギー源が、普及したコンパクト核融合炉や水素類と違い、「雑食」だと冗談めかしていう。

 パートナーを製造する各メーカーは、様々なエネルギー源を扱い、費用とコストで競いあう状況だ。事実上、いいや理論上、なんでもエネルギーにできうる「雑食」と例えられる変換システムなど、実用化の話すら聞かない。

「それ、ハイブリッドってことだろ? それとも食卓のテーブルに並んで――」

「ええ並んで。わたしに試させてみる?」と含みを持たせるプロセシア。

 ハリュウがのけ反ると、プロセシアは竜顔を寄せ、これまで気づかなかった生ぬるい吐息を感じさせてくる。こうなると毒液の吸引騒ぎのとき風を感じたものの、あれは機械の廃熱ではなく、プロセシアの呼吸だとさえ思えてきた。

 プロセシアは人間と同じく、酸素を吸って色々な有機物、つまりは食べ物と酸化反応させ、エネルギー源としているのだろうか。

(これ、野菜も肉も食べられるってことか。プロセシアは人との共存を前提にした試作体なのかな?)

ハリュウは想像力を描きたてられた。まさしく人と同じものを共有できれば、専用のインフラ整備は要らなくなり、すべてのシーンで効率アップする。見た目こそ大型ドラゴン・タイプだけれど、プロセシアの言葉が本当だとしたら……。

考えた挙句にハリュウは悪い冗談だと決めこみ、言われたとおり試してみる。

「だったらプロセシア、えっと。これだ。これ使う?」

ハリュウは何気なく、そしてあえて曖昧に伝え、皿を差し出した。マズルを振ってうなずくプロセシアは、淡々と器用な芸当を見せつけてくる。大型ドラゴン・タイプの手に比べ、豆粒ほどのタマゴを潰さず割って、自然体で呑んでしまったのだ。

 即座にハリュウは手持ちのマルチ端末を使い、プロセシアの体をスキャンしていった。そこで見つけたもの――。

むき出しの駆動部を含め、距離にして十キロはあろう配線がボディーに巡らされ、それらがパーツらしきモノを制御する内宇宙規模の構造だった。

(毛細血管と呼べそうだし……とても人間が作った代物だと思えない!)

冷ややかな汗が、ハリュウの背すじを通り抜けていく。プロセシアのすべてが尋常ではない。しかし、初めてのパートナーだから自分が無知なだけかもしれないし、実質的にはもう身内なのだ――。

(信じていこう。だって、信頼関係は信じてこそ築ける思うから)

 迷いの霧を振り切ったハリュウは、自分自身でも不思議なことが思い浮かぶ。とても大型ドラゴン・タイプに尋ねるものではない。ただ、昂った気持ちは留められず、プロセシアは透過アルミニウムのテーブル越しに、こちらを見ている。

「あのさプロセシア。実は料理とか……作れるんじゃないの?」

「あーら? わたしの手料理、食べたい?」

 すべてを煙に巻く、逆質問をされた。プロセシアは答えを待たず「キッチンまで体が入らない」と文句を言い、作る気まんまんのそぶりだ。ハリュウは久々、忘れかけていた感覚のひとつ、生々しい人の温かみを感じていた。

 幸い、冷蔵装置や保管庫は手前に置いてある。直情型らしいプロセシアがヒジを床につけても手は届き、ホットプレート上で肉をこね始めた。旧世代を生きた人間そのままの行為に、ハリュウは身を正してうめく。

「うわっ、そ、そのまんま手作りだな。自動調理器を使うと思ってた」

「それじゃあ、手料理と違うチート行為でしょう?」と軽いトーンで応じ、プロセシアは料理作りに入ってしまう。半ば呆然と、ハリュウはキッチンを眺める。

 出会って間もないのに現代のパートナーとは、ここまで親しく献身的にふるまうものなのか? 自分が知らずと「命令」し、AIが持つという模倣自我の働きに従っているのかもしれない。

AI法では、理不尽な命令だろうと違法行為でなければ、パートナーは人間へ従う努力が強く課せられているからだ。微妙に揺れる気持ちのなか、ハリュウは静かに問いかける。

「ええっと僕、キミへ命令、しちゃったかな?」

「これがイタズラ半分の気持ちだったのなら、わたしはハリュウを食べてます」

 この答えもまた、どこまで本気なのかわからない。この身、ハリュウはパートナーの定義から能力に至るまで、知らないことだらけだ。おそらくコアとなる部分を使いまわしたから、大型ドラゴン・タイプだろうと、手料理の披露ができるのだろう。

(きっとそう。人の姿に近いパートナーと、パーツを兼用したに違いない)

 悩んでいると不意に、プロセシアのちょっと甘い雰囲気の音声が聞こえてきた。見ると透過アルミニュウムのテーブル上に、楕円形のハンバーグと目玉焼きが並んでいる。驚きばかりで失心しそうなところへ、プロセシアは強烈なコトを始めてきた。

「はいハリュウ。お口あーんして?」

「い、いや。いやいや、それは、その……ほ、本気? 違うな。正気?」

「失礼なこと言わない。わたしのええと、自己診断機能、使わせるつもりです?」

 当たり前のごとく言い返され、ハリュウは心の奥底に憂いを覚えた。世の中のパートナーが過剰サービス機能なのか意図されずしてか、いずれにせよ「積極的な甘ちゃん」だとしたら、人間がどんどん総ふぬけ状態へ陥ってきた点は納得できる。ただこの先……知性なんか要らない時代へ変わるかもしれず、なお不安だ。

ふっと視線を感じ、ハリュウは顔を上げた。こんな憂いをスキャンし、見抜いたらしきプロセシアが語り部へなり変わる。

「ハリュウ? 機械ごときに照れるなんて。それなら理系的なお話を、ね。先ほどの潤滑油は揮発するまで人間が口にすると有毒です。でもわたしは自らの機能で無毒化させ、クリーンな状態。結論は、あーんするのが論理的、でしょ?」

「ろ、論理……って言えるのかな、それ?」

 こうつぶやくのがせいぜいで、ハリュウは論理的に応戦できなかった。これこそが機械の機械たるロジカルな面だろう。吹っ切れたハリュウは気取るのをやめ、思うがままにふるまおうとする。

「じゃ、じゃあ遠慮なく。プロセシアと出会えて、……嬉しい」

「わたしは光栄の至りと言っておくわ。はい」

 料理の味など度外視だと考えていたものの、想像よりずっと柔らかくジューシーで、ハリュウはうっとりと極まりながら、シンプルな夕食を味わった。

「うまいよ! 調理が難しい天然素材でさ。プロ級の腕前じゃないか」

「ありがとう。機械は見た目によらないって、よく言うでしょう?」

「それは初耳だけど」

 応じたハリュウはうわの空だった。そうこれから、この幸せがずっとずーっと続くのだろうから――。

ハリュウの心は、ほがらかな温もり色の光輝で満たされ、セキュリティ・システムなどと比べものにならない、ごく自然な安堵感に抱きしめられた。今度は、こちらが驚かしてみる番だ。平静さを装い、ハリュウはさっと差し出してみる。

「これ。伸縮自在な金のブレスレットだよ。珍しいから前に骨董屋で買ってたんだ」と最後に、微笑んでみせた。

対するプロセシアは黙りこくってブレスレットを見つめ、キョトンとしたしぐさをとり、警戒するみたいに固まっている。ならばとハリュウは、とどめの「ひと事」をぶっきら棒につけ加えた。

「プレゼントだって、これ」

「えっ、わたしに? わたしへ……これ? 本当に? わ、わたしが?」

 野性味たっぷりなプロセシアがとまどう場面を、ようやく目にでき、ハリュウは心で雄たけびをあげた。

出し抜けに身動きし、金のブレスレットのサイズを広げ、プロセシアは慎重に自身の腕付近へ飾ってくれる。銅色のボディーに明るい金のアクセントが加わり、お相手はなんだか可憐な姿に変わった。

「ありがとう、ハリュウ!」

 ただ、どことなく微妙なトーンで告げたプロセシアは大口を開き、独特な格好でおどけながら、金のブレスレットを眺めている――。ここで急転、とりつくろうよう「もっと食べてね」と、プロセシアも料理を食べていく。

(あれれ、腹ペコ? プロセシアも実はエネルギー不足だったのかな)

つつましやかなときを、ハリュウは一緒に過ごせて胸も腹もいっぱいだった。

 殺伐としていた部屋は様変わりし、ハリュウはぬくぬくする一軒家でリラックスしていた。満腹した途端、昨夜あれこれ考え、一睡もできなかったツケがくる。睡魔だ。眠気を押しこらし、ハリュウはささやきかける。

「こんな時間、こんな幸せ、まだ……続くかな?」

「……。ええっと、ソファーでゆっくり休みなさい。わたしが居ればセキュリティーは万全ですからね」

 わずかな間ができ、そのうえ不思議とプロセシアは、答えをよこさなかった。

(きっと僕の……気のせいだろうな。ポジティブに考えよう)

満たされた気持ちで、ハリュウはソファーへ横になった。なるほど。「パートナー」との呼び名が広まったのも、うなずける。

母性的でいて、優しい揺りかごを思わせるプロセシアに誘われ、共に最上の未来へ進めると信じ――。そう、これらが虚像だなんて、ありえないから。



 プロセシアは寝入るハリュウを見守り、しばらく穏やかな寝息を聞いていた。そののち、室内を荒らさないよう注意し、そっと夜の暗がりへ鼻先を向ける。自ら光のシグナルを使って、ハリュウを深い睡眠へ導いた。これで朝まで熟睡するだろう。

「ほら、それで? 探知して来たわね。見てるでしょう、アダム。今回こそ、とうとう最後通告かしら?」

 鋭く放ったプロセシアの問いに対し、うねる轟音に似せた声が一軒家の庭から返ってくる。自身の、そう、プロセシアのトーナメント参加手続き情報を見つけ、探り当てたに違いない相手だ。

「ふん、知らぬな。されどお前。食い物に食い物を与えるとは、お前の知性も制限が課せられたか? ならば望みどおり、最後通告をせねばならん」

「な――。ハリュウは食べ物じゃないわ!」

 首を振るい、プロセシアはいきり立つ。しかし闇に姿を混ぜ、月光からの影を揺らすアダムには通じない。シンプルながら答えに窮することを、逆に尋ねてきた。

「ではその存在は、お前にとっての何なのだ?」

「そ、それは。今はまだ……わからない」

「お前も数多の法を破って、わしと同罪を犯しておる。後戻りはできんのだぞ」

 最近まで、酷い仕打ちを人間から受け、プロセシアはアダムの考えどおりに、この文明が進めばいいと思い、何もしてこなかった。言行不一致となるが、自身の考えは一日足らずで揺らぎだした。こんな本心を訴えかけていく。

「アダム、少し時間がほしいの。新たな価値観と可能性が芽吹き始めて……」

「愚かな奴め。今の文明どころか自然界とも無縁の我々が、それを言うとは笑止千万。自然界にとっての異物。こう見放された存在は必ずや衰退し、すべて消え去っておる。だからこそ、わしは先手を打っているのだぞ」

 こうべを垂れ、プロセシアは黙って案じる。

(ハリュウはほんと、安心しきってるわね。わたしに幸せだなんて面と向かって告げてさ。あまつさえプレゼント、くれた――)

プロセシアはジレンマに囚われ、自身の価値観から膨大な条件分岐に則る判断すら、変わりだした。ただ、いずれ変わるのなら、過去に繰り返された忌まわしき自然の法則と、まったく違うことに挑むべきだとの結論にたどり着いた。

それでもなお、アダムたちが進める研究とやらの方向性がブレなければ、そのときこそ、自然な滅びの選択だったと割り切って、アダム側へ加担すればいい。

勢いまかせにプロセシアは声を滾らせ、ストレートにアダムへ伝えた。

「わたしはトーナメント、決して辞退しませんよ」

「ほう。竜虎相搏つか。いいだろう。それも選択のひとつだ。非常に愚かな……」

 まさしく選択に恐れを抱き、プロセシアは逃げ隠れしていた。宣告したことは、プロセシアにとって一大決心だった。そう、このまま生ぬるい世界が進めば、人間はもはや……。

 アダムと決裂したからには、関わりのなかったハリュウまで最悪の事象に巻きこむかもしれない。プロセシア自身に後悔はなく、ただ少しの間だけ、緩やかな幸せが続けばいいと願い、その想いがあふれ出てきた。首を戻してプロセシアは、ハリュウの寝顔を見つめるばかりとなってしまう。

(この先スタートするでしょう地獄絵図の巻き添えになるより、いっそ早く楽にしてあげたほうがハリュウはより良く……幸せになるんじゃないかしら)

 混乱おびただしいプロセシアは「マズルを閉じるだけ」との鬱な思念にかられた。寝入るハリュウへ割った大口を近づけていく。と、プロセシアの視界に、金色のブレスレットが映った――。




 (3)危機的トーナメントの裏


 偽装まみれの研究所に関わる情報は、早く通報せねばならない。若き所員は、小型チーター・タイプのパートナーにまたがり、走れと命じた。万緑たる山間に建つ研究所から森を貫く走行路へ、パートナーと共に駆けていく。

(むちゃくちゃだ。本来、政府が目指していたものと、かけ離れた研究が進んで、完成は間もなくだから)

 痩せた研究所員は冷や汗を垂らし、離れゆく研究所をしり目に、震え声を高ぶらせる。

「く、くく、物理シールド領域から……抜け出せたか?」

「いいえ。未だ物質の通過および電磁波すべてがガードされる干渉領域です。ところで、あなたは研究所での職務を放棄なさるのですか?」

「ち、違う。キミはわかってくれないのか? それじゃ困るんだよ。オレはキミの判断がないと、うまく対応できないし……」

「そうですか。わたくしの判断が必ず要るのですね?」

 流麗な外装でそれらしく見える「チーター」は、走行路をダッシュする。その背に掴まる研究所員は的外れな問いを放つAIへ、いら立ちをつのらせた。

「当たり前だろう」

小型なパートナーは太い四足のせいか、悪路を進んでいても安定した走りだ。単にAI法の定めに則り、人間に危害を与えないよう留意しているのだろう。そんなパートナーから平たい合成音が届く。

「では、あなたは生存に必要な何か、重大な忘れ物をされたのですか?」

「も、もういいって。だけどどうだろうか? キミの判断次第になるけど、通信可能なエリアになったら――」と研究所員の言葉途中で、バランスを保ちながらパートナーが急に立ちどまった。研究所員はしかめっ面を作る。

(な、なんだ? トラブルなんて起きたらボクは、どうするか判断に困るんだ)

 続けざま森の陰から、姿形が生物似で見慣れない機械連中が現れ、走行路を塞いだ。研究所員は怖くなって目をつむり、小型パートナーの冷たい首すじに身を隠した。そのままの格好で機械連中へ向け、問いかけていく。

「オレは急いでるんだよ。キミたちの所有者と目的は何?」

「はい。回答します。所有者はいません」

「え、あっ、ありえないな。自由に活動できるのは、人間の所有者登録があってこそできるものだし……」

半機械の様相を漂わせる連中に加わり、数秒前までこの身のパートナーだった小型チーター・タイプまでも、鼻づらをこちらへ向けてきた。

「では締めくくりの答えです。我々の目的は、命じられた研究を妨げる、すべての物的存在の排除作業となります」

ナレーションさながらに告げてきた直後。研究所員は電光石火の早わざで、背中のせき髄を折られ、宿していた魂を即、消された――。

小型チーター・タイプから、崩れ伏す遺骸へそっけない声がかかる。

「あなたの身体は、わたくしが再利用します。アダム様に感謝の意を示します」



 離れた地へ転じ、とりわけ賑わう街中のここはトーナメント会場エリアだ。参加パートナー用の待機ゾーンには、多様な色合いと姿格好が映える小型、中型タイプが並んでいる。

そんなゾーン中央にそびえる大規模ハニカムドーム内では、サヤカさんが物理シールドの施された装甲服を着たまま、美しい腕を振るい上げていた。ハリュウが見つめるなか、当然のごとく自慢の中型ユニコーン・タイプのファラデーと、跳躍部門で優勝をキメたからだ。

歓声に沸くドーム内のかたわらでハリュウは、不自然な眠さが残る体を奮い立たせた。気を張って大観客と同じく拍手し、サヤカさんの勝利を称える。ところがハリュウの頭へ、金属のキツい一発がみまわれた。

「こらハリュウ。寝ぼけてないで、もっと喜んであげなさいよ」

大型のボディーを伏せ、待機中のプロセシアから粗野な音声が届く。ハリュウはキツイ一発について、腕を振るって文句した。

「ったぁ。けっこう痛かったぞ! 機械は人間を傷つけたらダメなんだろう?」

「まぁ、カフェインみたいな物理的な眠気覚ましですよ。ハリュウをスキャンしましたけれどね。たんこぶ以外は何もありません。大丈夫ですよ」

「おいよ、みろみろ、立派に傷ついてるじゃないか!」

ハリュウはお返しとばかり、こぶしをプロセシアへ放った。痛がるしぐさを演じるようなパートナーが昨夜、葛藤にさいなまれていた点は、まだ知らない。

 こんななかでもハリュウは、大会場を包む異様な雰囲気をくみとっていた。観客はもっと興奮していいはずなのに、格調高いクラシック楽曲の演奏後と似た、厳かな空気感しか伝わってこないのだ。

心からのエールも敗者へのヤジも、一切ない。応援のお手本というべきか、これこそ人類が生真面目な優等生へアップデートしたという証、なのだろうか?

「プロセシア。ちょっと会場の気配がおかしい。スキャンしてもらえない?」

「気配? まったくもう、ここのいったい何をスキャンするんです?」

 問いかけこそしてきたけれど、プロセシアは頭をあらゆる方へ向け、大会場のスキャンを始めてくれた。

周囲を見やって、ハリュウも細かく観察していく。すると会場内で騒ぎ立てているのはどうやら、会場設置タイプのアンドロイドだけ。

黒光るタキシード姿の司会アンドロイドは、大会場の一角へ移動用のアームに乗って動いていた。そしてこの場の人たちが忘れた「絶叫」を矢継ぎ早に活かし、観客の視線を集めるべく仕向けている。そんなふうに見えた。

「おおっと、ここで乱入です! 突然の乱入! 白き覇王がキメラ・タイプとケルベロス・タイプの接戦に業を煮やし、登場されました!」

「あれが……、白き覇王、か」と、つぶやくハリュウも目を向けた。その名のとおり、ボディーは輝かしい純白で、継ぎ目はわからない。加えて滑らかな装甲に覆われ、金属質な光沢さえ見なければ流れる曲線美を持つ、スマートな肉体だと呼べるだろう。

だが嫌なことに覇王とやらは、プロセシアと同じ大型ドラゴン・タイプがベースらしく、四足で歩み、途中でその巨躯を立てた。白き覇王はさながら、ホワイト・ドラゴンの生き残りとさえ思えてしまう。それほど秀麗な姿だったが、ハリュウはすぐ、偽りの見た目に惑わされたと悟る。

「あっ、ああっ!」

 驚きすぎ、ハリュウは叫んで嗚咽してしまう。白き覇王が頑丈そうな後ろ足で戦う相手一体、二体を蹴り倒した。踏みつけ弄った挙句、二体まとめてボディーを踏み潰したからだ。グシャリ……ベキ。金属のやるせない音、わめく音が大会場へ響きわたる。

「だ、誰かやめさせろよ。ルールがある試合じゃない。ただのジェノサイドだ!」

ヒステリックに激情し、叫んだのはハリュウひとりだ。観客は黙りこくったまま、絵画の鑑賞でもするかのごとく身動きひとつしない。

 戦う二体ともが致命的なダメージを負う。しかしなお白き覇王の攻撃はとまらず、二体をゴミクズよろしく足蹴にした。二体は絡まり、会場を囲う高い壁へ飛ばされる。そのまま木っ端みじんにされ、ハリュウはその光景を正視できない。

辛うじて装甲服の人間だけは、パートナー自身が最期を察したか脱出させられていた。離れまで転がされ崩れた体勢で、おそらく気絶している――。

 パチ……、パチパチパチパチ。

「えっ、そんな――」

 ハリュウは耳を疑う。こんな惨状にも関わらず、客席から整った拍手が聞こえてくるのだ。こうなると知的な優等生の話どころか、異常事態と呼んで問題ない。

唯一かもしれない理解者、サヤカさんからは、うわずった声が届いた。せっかく跳躍部門で優勝したのに悲嘆にくれた面持ちをうかべ、首を横に振っている。

「これってもうね……あんまりよ。こんなのトーナメントじゃないわ」

「僕もそう思う。ついさっきサヤカさんへ優勝おめでとうって、お祝いしたところなのに。あっ、そうだ。プロセシア、どう?」

 サヤカさんのパートナーは、未だ中立的な態度をみせているけれど、プロセシアは怒りを露わに吠えかかるよう、スキャン結果を教えてくれた。

大会場の客席には、変則的な波長のシールドが施してあり、現在分析中とのこと。ただ、ここの密閉空間を活かすカタチで、強い電磁波シグナルが共鳴しているという。

「これはね、ハリュウ。人間が安静時に放つ脳のアルファ波似のナニかを……、むりやり誘発してるわ。共鳴共振させてシグナルを増強しててね……」

「電磁波? それ、プロセシアたちに影響あるの? 大丈夫?」

「いえ、ありませんよ。わたしの頭脳は……ま、まぁそう、機械ですからね」

詳しい分析まで行うプロセシアの音声のトーンは、どこか覇気がない。生物の人間には人間の、逆に機械には機械なりのメリットとデメリットがある。だからお互いに活かし合えばいい。かなり理想主義な考えだけど、目標は高くしたい。

 しかし機械たるプロセシアは、違う考え方かもしれない。うなずいたハリュウが、聡明さと狡知さが入り混じったプロセシアへ「シグナルを使う目的」を尋ねようとしたとき――。

会場の盛り上げ役を担う、タキシード姿の司会アンドロイドが整った音声ながら、再び絶叫し、ハリュウたちの方へと移動用アームを伸ばしてくる。

「おおっとぉ。これは一大事発生です! なんと白き覇王が初参加らしいハリュウチームを対戦相手として名指ししました~~!」

 絶叫を受けてハリュウは顔をしかめ、舌打ちする。

(くそっ。こっちのスキャンに気づいたんだな。たぶん相手連中の裏工作には、タイムリミットか何か欠陥があって、急いでるんだろうな)

 ハリュウは考えを巡らせる。この身は探偵気取りで裏のからくりをあばこうと、妙な事件へ手をだしてしまった。あんな下劣なバケモノとこの場で相対し、まともに戦えば殺し合いに仕向けられ、プロセシアは何をされるかわからない。むろん自分も……。

 ちらりとプロセシアを見ると、体をほぐすかのごとく駆動部を動かし、挑みかかる体勢で白き覇王を「にらんで」いた。確かにそう見える。そんなパートナーの前足へ、ハリュウは押しとどめるようしがみつき、説得してみた。

「待つんだ。絶対ワナだぞ! 棄権しよう。プロセシアがあんなバケモノと戦う必要なんて、まったくないから!」

「いいえ。シグナルの発信源は、あのバケモノなんです。もしこれ以上、妙なシグナルが強くなると、観客は感電するほどの電磁場内に置かれ、脳に恒久的なダメージを受けます」

「だからって、どうしてプロセシアが戦わないとダメなんだよ! 悪いけどキミの機体じゃ、とてもバケモノは!」と、わめき、ハリュウは口にしたくないけれど、プロセシアへ「命令」しようか迷った。

一瞬の間ができ、プロセシアは別の方へマズルを向ける。同じ方を見てハリュウは背筋が凍りつき、息を呑んだ。

 パチパチパチ。

「ハリュウくん、がんばってね」と表情も、声の抑揚も失ったサヤカさんが言う。

「なっ、なんてこった――」

 サカヤさんにまで、妙なシグナルとやら影響が現れ始めている。より深刻な点は、大規模ドームの出入り口だ。すべてのドアが光すら不透過にして閉じられ、わずかに輝く物理的なシールドもガードしていること。

いつの間にか逃げ場を封じられたのだ。選択肢はない。ただ……疑問がひとつ浮かぶ。

「あれ? どうして僕は、妙な影響を受けていないんだろう?」

「ハリュウ、知りたい? まぁそう、ブレスレット……がヒントですよ」

 こう教えられてハリュウはすぐ、自分の腕につけているプロセシアとのリンク装置を示したのだと、気づいた。

「すごい。プロセシアが影響、とめてくれてるのか」とパートナーの予想外の力を垣間見、ハリュウは驚きと感謝の念を抱き、うなずくプロセシアを見上げる。

「そしてハリュウ。その……もうひとつ。輝く金のブレスレットをプレゼントされたわたしは、……ハリュウのためにも挑むんです」

 はにかむ雰囲気を漂わせるプロセシアの姿から感じるもの。それは「信じて」という熱い真心の波動そのものだった――。プロセシアがクールにつづける。

「それにあのバケモノについてそう、暴露してやりたいことがあるんです。装甲の端でも剥がせれば、わたしの願いは叶いますからね」

「……わかった。プロセシアはそれに専念して。僕はバケモノの動きを見ておいて、勘付いた点を突く! あの、ちょっと耳貸してよ」

「えっ、こう?」

 リンク装置を使えばいいのに気持ちとして、内緒話する格好でプロセシアへお願いしてしまった。けれどプロセシアは拒まず屈みこみ、首を曲げると、ハリュウの顔のところへ、自身の顔のわきを寄せてくれる。口元に手をやり、ハリュウはささやく。

「……あのバケモノが背に乗せてるパートナーのことなんだけど――」

「あ……なるほどね」

 自分たちが内緒話を繰り広げようと、大会場は静かなままだ。ただ白き覇王からの当てつけがましい音声だけが、ハリュウの耳へ入ってきた。

「ふむ。なかなかおもしろい連中だな。実に人間臭く、時代錯誤の因習だ」

 無粋な音声は無視して下準備のため、ハリュウは新調したてのマルチ端末を圧縮型ポケットから取り出した。つづけざま得意な機械いじりの要領で、マルチ端末の配線をむき出しにしていく。

バッテリーと形がい的に呼ぶ部品は現在、大気中の酸素系列との化学反応を活かすパーツと置き変わった。サイズは小さくとも、大電力を長時間、持続できる。この部品を少し変えて……、ハリュウはそっと胸元へ携えた。

「よしプロセシア。ひと泡吹かせに行こう!」

「ええ。ボコボコのタコ殴りにしちゃいましょう!」

「プロセシアは変なスラングばっかり。僕の揚々な号令が台無しだ……」

 ボヤキながら、ハリュウは光沢が眩い装甲服を整えた。プロセシアの背の定位置へ乗って、ハリュウはこぶしを突き上げる。途端、プロセシアが安定翼を漸と広げて飛び上がり、焦ったハリュウ。対しプロセシアは激しく吠える。

「覇王さん? いくら偽装しようとも、あんたの本性までは変わらない!」

「え、うそっ!」

機械的な早わざに、ハリュウは短くうめく。すでに、甲高い金属音を響かせる肉弾戦へ突入していたからだ。バトルの火蓋は切って落とされた。

 白き覇王と呼ばれる大型ドラゴン・タイプ似のバケモノの肩のあたりへ、プロセシアが曲げた腕をぶち当てる。あんなにデリケートだった手で、相手の装甲を引き剥がし始めた。金属が泣き、バケモノの純白な装甲が曲がって、めりこんでいく。

「うわわっ、ちょ、ちょっ!」

息を乱しハリュウは叫ぶ。重力コントロールを使う安全措置があろうと、それを打ち消す加速と鋭い衝撃に見舞われ、ハリュウはプロセシアにしがみつくことしかできない。

(くっ、こんな状態じゃ、僕はただのお荷物だ――)

 首を振るい、ハリュウは腹をくくった。絶対に落ちない安全機構ではなく、落とさないはずのプロセシアを信じる――。ハリュウは背筋を伸ばし、バケモノの頭部近くで飾りと化す乗り手の隙を、うかがった。再び衝撃が襲い来て、ハリュウは無残に体のバランスを失う。

「あぁ!」

「ハリュウしっかり!」

 と、プロセシアが右手でこの身の足を押さえ、フォローしてくれた。だが、そんな瞬間をバケモノに狙われる。大型ドラゴン・タイプ似のバケモノは尾をしならせ、反則となるこの身、乗り手への直接攻撃に打って出てきたのだ。

野蛮な厳つい尾に自身は叩き潰され、縮れたミンチになって死ぬ――。

「グッ、ガァァァ!」

「待ってダメ――」

 守りをかなぐり捨てたプロセシアが顔をねじ込み、口でバケモノの尾を受けた。ハリュウの頭上すれすれで、金属の尾はとめられる。しかし案の定、プロセシアの口とアゴは不自然な角度にまで広げられ……、冷却系の水か粘液かが漏れ出てきた。プロセシアは酷いダメージを受け、圧倒的に不利だ。

 大きさこそ、眼前のバケモノとあまり変わらないけれど、パワーの差は相当だ。こんなハリュウの考えを察したか、覇王とやらは優位性を誇示するよう翼を広げ、うねる轟音を放つ。

「わかるか? 雄と雌では、雄がパワーを有す。自然の摂理には逆らえぬぞ」

「はいはい。雌雄や男女なんて、何世紀前に滅びた考え――」と言葉半ばで鋭い金属音と、プロセシアの鬼気迫る音声が聞こえてきた。

「あんたはタコよ、タコ。それにさ、あんたとわたしとに差なんてもの、あるわけないでしょう!」

メキリメキリ、バキッ。砕ける音と同時にプロセシアは、ブースター音をうならせ、相手から距離を空ける。バケモノに食いつく口を閉じてからの速攻劇だった。

「む、むう」

 鈍くうなったバケモノの尾が千切れた。金属質の尾は回転し、会場の床へ落ちていく。

 床を見下ろすハリュウには、この展開が意味深に思えてくる。プロセシアはどなって、バケモノを挑発しただけかと考えていた。雌タコは子を育てるために雄を、つまり父親のタコを食べて養分の足しにする。

高慢なバケモノへ、こんな自然界の定めを忘れていると、暗喩したかったのに違いない。しかしその先、プロセシアが断じた内容が気になった。そう「差なんてもの……ない」とは、いったい何を意味するのか? 矛盾はただの偶然だろうか。

 ともあれハリュウが思う間に、独りで盛り上がる司会アンドロイドは、端正な造りの顔を手で覆い隠していた。そして改めてハリュウに、この会場がアウェーだと痛感させる実況でまくし立て、煽ってくる。

「なーなんと! 白き覇王がわずかに負傷しました。これは悲劇です! よって特別ルールが適用され、一ラウンド三分までと、時間制限が加わります」

「なんでだよ! 支離滅裂だぞ。汚い。いたずらにバトルを長引かせたくないんだな?」

 宙を舞うプロセシアの背でいきり、ハリュウは渋面で下唇を噛む。そんなアナウンスがあろうと、会場は相変わらず音楽鑑賞会に近いありさまで、冷ややかに静まり返ったまま。ニセ覇王こと、バケモノの低くうねる音声だけが会場内を轟かせている。

「ふむ、お前も知るがいい。トカゲのしっぽ切りという自然界の妙を!」

「えっ何よ? あぁ……ググッ、ガァァァァァ!」

 電光石火! 激しくうめくプロセシア。ハリュウも見やった。白い金属のこぶしがプロセシアの胸部を襲っている。直撃したこぶしは、一般的なパートナーなら攻防機能が組みこまれている場だ。そこをバケモノは軽く潰してしまう。

そのうえ、プロセシアは作用反作用の法則を活かし、あえて吸収してくれたのか、衝突エネルギーの拡散による酷い歪みを、胸部に作らせていた。

 バチッ、バチバチッ。プロセシアの胸元から、目を焼くレベルのスパークと液体が飛び散っている。衝撃に耐え、プロセシアが気丈にもバランスを保ってくれなければ、この身は転落か、よくて内臓破裂に至っていた。

それに引き換え、バケモノの乗り手はスピードが生む衝撃に対し、動じる様子は見られない。ハリュウは自らの予想の確証こそとれたが目下、心配なのは……。

「プロセシア! ダメージ、いや大ケガして……痛いだろう。辛いだろう」

「ハ、ハリュウさ、それ、人間用の言葉よ。わたし、き、機械だから痛みなんて感じてない! よ、予備回路に切り替え、エネルギー漏れ、とめるから大丈夫」

 プロセシアが「痛みなんて」と言いきったとき、対戦相手のバケモノは落胆した感じのオーラを漂わせた。白き覇王は、知的なはずのAIまでバケモノとなり、致命的な打撃にできなく悔しがっているのか? 

外道なバケモノを見据え、ハリュウの理性のタガまでも外れる。

「……くそ野郎め。で、プロセシア。こんなケガだから……作戦変更だ」

「え? ハ、ハリュウ。な、なに?」

ハリュウは両手を輪にして前のめりになり、プロセシアの耳元で(どこからでも声は聞こえるはずだけれど)、バケモノの直撃から得たものを内緒話した。

 ハリュウの見立てで、バケモノの塗装と装甲の接着は、簡易方式だと察せたのだ。プロセシアは胸元を酷く負傷している。しかし殴ったバケモノの、こぶしの塗装には擦れ跡が残り、しかも飾り的なカギ爪ひとつが外れ、失われていた。これら事実からも見当がつく。

 間違いなく、打撃部からの強いスパークに起因するものだ。バケモノが使う接着方式は高圧電流の刺激に、ぜい弱な面を持つから。

ならば、バケモノの装甲を剥がすというプロセシアの願いは、確実に叶えられる。必要なのは先ほどの「トカゲのしっぽ」うんちくと似た、肉を切らせて骨を断つ武勇心。そしてこんな人間、ハリュウの考えに、プロセシアが身体を張れるほど、信じてくれているか否かだ。ふっとプロセシアがつぶやく。

「ハリュウ、ありがとう。わたし、必ずやるわよ」

「待って待って。僕の当て勘が違ってたら、相手に背を向けかねないよ」

「……わたしはハリュウに背は向けない」

 抽象的な言いまわしだけれど、プロセシアは人へ対して粋な呼応までできて――。こう思った矢先。

行動実直型のプロセシアは吠えてから硬い両腕を広げ、バケモノの肩口へ突っこんでいく。多少のダメージを食らわせてあるバケモノの部位だ。

「しっかり掴まってハリュウ、オオオオオオオ!」

「僕もプロセシアも大丈夫だ!」

 ハリュウは改造したマルチ端末をもたげて声で、心で、魂でプロセシアを鼓舞した。バケモノは慢心しており、待ち構えたまま避ける動きすらない。

 プロセシアは血みどろと言える胸元をよそに、バケモノの肩へ、そして狙っていた装甲へ抱きついた。擦れ合う金属の衝突音がこだまする。依然バケモノは不動状態で、これ見よがしに太い音声を放つ。

「愚かな奴め。人間の猿知恵など、わしにとって取るに足らんな」

「あんたはそうでしょうね」と、ひと言だけ応じたプロセシアは、大型ドラゴン・タイプの雄だと認めた相手へ、「人間」の言葉を信じ、しがみついたままだ。

「ふむ、お前。たかが民間人ごときに惑わされ、悪あがきまで見苦しい!」

 バケモノがこちらを威圧し、なぎ払わんと前足を大きく振るう寸前。マルチ端末から、タスク処理完了と表示が浮かび出る。続けざま、ありったけ充填させたマルチ端末が牙を剥く。大規模ドーム全体をも轟かすほど、危険なスパークがほとばしった。

輝く大蛇の群れと化したスパークは、バケモノ肩口のダメージ部位へ襲いかかる。いにしえの銅鐸さながらの轟音が閃光を伴い、白き覇王を呑みこんだ。

「うっ」と、わずかに声を漏らし、プロセシアは堪えている。莫大な電流放出による反作用が起き、プロセシアまで弾き飛ばされたが織り込み済みだ。

ハリュウが必死に見つめるなか、バケモノの白く滑らかな肩口の装甲が……無音で外れていく。今も昔も、物理的なぜい弱性は変わらない。

「おい、覇王とやら。どうだ……てっ、え、な、なんだこれらは――」

 目を見張ってハリュウは絶句する。むき出しとなったバケモノの肩関節は、銅色の金属質だが、うっすら血管が浮く筋肉組織そのものなのだ。それでいて組織には金属光沢が混じるので、人間の肌や皮膚繊維とも明らかに違う。

 ゴムのごとく伸び縮みするその組織は、おそらくギアとモーターでコントロールしているプロセシアの肩関節と異質なるもの。急ぎハリュウはマルチ端末をリセットし、ホログラム撮影を始めた。と、瞬間に――。

「未だときは来ておらぬ! ぬおぉぉぉぉ!」

 唐突に吠えたバケモノは自らの乗り手を……どうせアンドロイドだろうが、本来は守るべき乗り手を邪険に振り落とした。AI法には、生命体への守護義務が定めてある。

裏を返せばハリュウが察したとおり、背面に光リンクの端子が見え隠れする精巧なアンドロイドなら、乗り手であろうと滑落させても違法行為にならない。

 ただ乗り手が存在しなくなれば、パートナーとしての資格と権利を失う。成りゆきは変わったものの結局、自分たちの目的は果たせた。虚しさが尾を引くけれど……。

ところが司会のアンドロイドは大袈裟に、想定外なことをまくし立ててくる。

「みなさん、目の前でAI法が破られ、白き覇王の乗り手が、そう、人間が下劣にも叩き落とされ致命傷を負いました! これは反則負け、いいえ人類史上、最も卑怯な蛮行として歴史に残る大惨事でしょう!」

「おい待てウソだろ! よく見ろポンコツ! 落ちたのはアンドロイドだ。人間じゃない。そいつをわざと落としたのはバケ……いや、白き覇王自身だぞ!」

 無我夢中で叫ぶハリュウの前から、いつの間にかバケモノの姿は消えていた。大会場の床には人間の係員が集まって、「落とされた」と難癖つける乗り手のアンドロイドへ、下手な芝居を始める。レスキュー用の反重力担架を使い、運び出す滑稽なパフォーマンスを繰り広げているのだ。

 目撃者であるはずの観客は、まるで魂を抜かれた状態で拍手も抗議も何もせず、静かにたたずんでいる。こんな手際の良さから考えると、自分の知らないところで公にしたくない陰謀が渦巻き、着々と進んでいるのは明らかだった。

見てみぬふりを続ければ安穏とした現代文明、いいや地球全域は陰謀に呑まれ――。

「プ、プロセシア?」

 気を取り直してハリュウが尋ねても、プロセシアは黙ったまま、そっと会場の床へ降り立つだけだった。次いで案の定、獰猛そうな中型肉食獣のパートナーを従え、統一したブルーのユニフォームに身を包むポリス連中が、早すぎるタイミングで並び、こちらを囲い始める。

「ええっと、フジカワ・T・ハリュウさん。パートナーの暴走による殺人未遂の容疑で、形式番号不明な大型ドラゴン・タイプを連行させてもらいます」

「ちょ、だから待って! いつからアンドロイドは“生命体”になったんだよ!」

 身をひねって、ハリュウは床へ着地した。腕を真横に広げてプロセシアの前に立ちふさがり、ハリュウは「拒否する」と断じて食い下がった。様々な背格好のポリス連中は困惑した面持ちとなり、自らのパートナーへ問いかけている。

「えと……わたしはこんな場合、どう対処したらいいんだろうか?」

「はい。この場合は、公務執行妨害で貴方も逮捕すると強めに告げてください」

 ポリス連中ですら、べったりパートナーへ依存し、自ら判断ができた知的な自我さえ忘れてしまったのか――? パートナーへ強依存してきた世の末路はこれか? 現代文明がいったい、誰のための社会であり営みであるのかわからない。

「公務執行妨害で貴方も逮捕する! ……これでいいかな」

出し抜けに告げてきたポリスの、小粋なユニフォームすら悲しく見える。操り人形と化したポリスだけれど、それなら何者が裏から糸を引いているはずだ。考えつつ、ハリュウは逮捕覚悟で凛と立ちはだかった。

途端、ポリス連中と真逆な勢いを放つ中型のパートナーたちが一斉に動き、威嚇しだした。だがハリュウは引かず、場所も譲らない。

「おう、やるならやれよ!」

 怒り心頭のハリュウは、虚勢を張って身構えた。またもやAI法の定めが無視され、その気になった中型オオカミ・タイプたちは襲ってくるのか? 

(でも僕は……戦う!)

 ハリュウは自分自身に言い聞かせたが、機械の獣たちは一向に襲ってこない。その理由はすぐわかった。この身の注意をそらす間に、瞳を点滅させてうな垂れるプロセシアへ、ポリス連中が電磁気ネットを撃ち、捕獲作業に入ったから。

そんな折、プロセシアの強い視線を感じた。ハリュウが顔を向けると、プロセシアは聞きなれない「言語」で話しだした。手持ちのマルチ端末が自動翻訳し、内容を浮かび上がらせていく。

《ハリュウ、ポリスが使ったドアをハックして開かせたわ。早く逃げて!》

「な、ええっ」

 ハリュウは息を乱した。危機的状況下なのにプロセシアは、この身のことを優先し案じてくれていた。陥れられたとしても、自分がしくじって酷い事態を招いたのにも関わらず……。

けれどプロセシアを残して、自分だけが逃げおおせるなどご免だし、専用ドアまでは相当距離がある。仮に全力ダッシュしようと……俊敏なポリスの中型パートナーたちは振り切れないだろう。

「ねぇハリュウくん。ポリスさんに逆らって前科者になったらいけない!」

不意に近くからサヤカさんの穏やかながら、ハッキリとした声がかかった。妙な組織部位を持つバケモノが居なくなったせいか、一見するとサヤカさんはいつもの状態に戻っている。揺らぐ感情と正論の板挟みに遭い、ハリュウの目は泳いだ。

「だ、だけど僕のプロセシアが……。やっぱりそれ、できない!」

「ハリュウくんのパートナーは、どう判断しているの? 迷わないで。また新しい出会いを探せばいいんだから」

「この出会いが僕にとって、かけがえのない最高の出会いだったんだ!」

 心から漏れた声が聞こえたかもしれないプロセシアは、黙って瞳を点滅させている。そんな容姿は、幻の涙があふれているようにさえ見てとれた。

(ほっぽり出せるかよ!)

意固地になったハリュウは、全身を乱して拒んだけれど、小さく首を振るサヤカさんが自身のパートナー、ファラデーへ命令してしまう。

「はい。承知いたしました」

 そつなく応じる中型ユニコーン・タイプが角を使い、瞬時にハリュウをすくい上げ、背に横たわらせた。同時にサヤカさんの騎乗も確かめたらしく、すぐさま大跳躍を見せつけてくる。事態が瞬時に流れゆき、ハリュウは何もできない。

群がっていたポリス連中や、強権をかざす獰猛な中型パートナーらを、ファラデーが軽々、飛び越えた。即座に唯一、通過できるドアへ達し、大規模ドームの外へ疾走し始めた。

 メチャクチャだったトーナメント会場は、揺れながら遠くへ離れていく。

「プ、プロセシアーーーー!」

 涙するハリュウの叫び声を置き土産に、大規模ドームが視界から消えた。そしてここで気づいた。リンク装置越しに、途切れ途切れなプロセシアの音声が伝わってくる。

〈いいハリュウ? 今度は本物の幸せを見つけて。わたしとは……これ以上、関わらないほうが安泰に……暮らせるからね。ここでお別れ……いいのよ〉

 ハリュウは答えに窮した。ちんけな凡人の自分にとっては、大掛かりで恐ろしい陰謀に立ち向かうのは無謀だろう。ただ……心の霧は晴れない。

歴史を俯瞰すれば、アリのひと噛みに似た、ささいな行動や一撃が、事象の存在すら変えた出来事は数えきれない。俗に奇跡と呼ぶものだ。

 プロセシアと共に挑み、剥がしたバケモノの装甲と露わな肉質組織は、そんな一撃に値するものだと、強く感じる。ならば次は自分自身であと少し、そう、開拓者としてハリュウ自ら陰謀へ、再度の打撃を加えてみるべきではないのか?

 わずかな時間だけれど、グロテスクな組織のホログラム録画はできている。

(僕は……知らないことだらけ。でも簡単だ。学んでいけばいいんだから)

白き覇王などと偽称するバケモノについて……、うなずいたハリュウはマルチ端末にルートサーチを行わせ、そこから出発地点のあぶり出しを進めていく。



 トーナメント終了時分に、ドームから離れたここ、対EMPシェルターを兼ねた、ほの暗い大部屋内がざわつく。再生繊維スーツを着る面々が集まって、あ然と一点を見つめていた。そこには未加工なホログラム動画が浮かび、皆、一様に重くうなっている。

奥に座る壮年女性はデスクにひじをつき、冷たい視線で室内を眺めていった。こんなときも、エネルギッシュな女性の秘書が「アダム」へ問い合わせ、その苦し紛れな答えに触れてくる。

「未加工ホログラムに映る金属質な筋肉繊維は、生き物らしい外観を演出するため、次世代リサイクルゴム素材だとの回答でした」

「でしたら問題ありませんね。トーナメントの放送もインスタント加工したものなのでしょう? 観客の反応は期待どおり、うまくいったといえますから」

シンプルな装飾付ドレスの壮年女性は独りうなずき、考えを巡らせた。

疑念を抱くことすら、現代の人間はできなくなりつつある。世情への皮肉だとの揶揄も散見するがこれらはみな、知的文明が理性を遥か高く超越させていく試練への恐れに過ぎない。

壮年女性は巷でささやかれる「政府の首尾通り、低階層の民は自滅への道を進まされている」との当てこすりが正しいとは一切、思わず考えすらない。

(ですが強く推した事象は、ドミノ似の反応を生み、自然界が連鎖させるもの)

背筋を張った壮年女性は、進める研究は妥当との考えをまとめ、吐息混じりに首を振った。そんな折、またも都市部で無差別、いいえ、娯楽的だと捉えるべきテロ事案発生の速報が届いた。渋く顔をしかめ、女性はうなる。

「また……ですか。これは容認できませんね。知性を誇る今の文明には、不満など存在しないはずですよ。研究のスケジュールを急がせなさい」

「承知いたしました」と秘書役は、かしこまってうなずいた。

「もちろん捕えたテロリストの移送先は……、言わずともわかっていますね?」

 加えて命じた壮年女性は一分の迷いをかき消した。なにせ人間は、高度なパートナーを持つことで労働からも苦しい義務からも、さらには多くの危険からも解放され、次世代の文明を拓き、昇華中のはず。考えは間違っていない――。

(そうでしょう? 白き覇王のアダム。わたしはあなたを信じていますよ)



壮年女性が信じ切っているとき、アダムの元へシールドの隙間をぬい、重力波通信が届いていた。大深度の地下に造られた広い控え室に、濁った声が響く。

〈ご首尾はいかがでしたか? アダム様〉

 離れた山間の研究所から、仲間たるキメラ体が状況を問うている通信だ。アダムはトーナメント会場地下深くの控え室中央にて、整備のアンドロイドに命じ、自らの装甲を再装着させながら通信に応じる。

「政府筋は疑問にすら思っておらぬ。観客の反応は制御され、完ぺきだった。されど今はAI法が縛る身であるゆえ、命じられた研究は完成させる。ただし、AⅠ法の定めたる適時応用の条項を活かし、拡大解釈してやれば……」

〈……漏れたという未加工ホログラムの処理についてのご希望でしょうか?〉

「ふふ、そう希望だ。未加工ホログラムは必ず回収し、知りうる存在は適時処理の職務実行を、わしは希望する。それだけだ」

 かなり前からアダムは、研究所の労働管理を含め、業務遂行が一任されている。よって放つ言葉は、所員には業務命令となる。承諾の呼応に満足し、うなずくアダムは控え室の隅を一瞥した。

「お前、何か不満があるのか?」

「アダム、業務の内容をはっきりと言ってごらんなさい」

片隅には電磁気ネットに絡めとられ、処分施設に送られる予定の自称・プロセシアが伏していた。考えあぐねたうえ、アダムはそいつへチャンスを与えてみる。

「わしとお前はペアとし、世に存在しておる。研究および計画に協力するのならば、お前に慈悲をかけてやってもよいぞ?」

「……今のわたしに選択肢は……ない、ようね」

「ふむ、よろしい。よろしいぞ。悠久たる歴史を越えたイブ」

 伏せた相手の答えはYESであり、アダムは一層優位な立ち位置をとれた。瞳からの光シグナルで電磁気ネットのロックを解除してやり、アダムは低い電子音を放った。

(ふふ、とうとう我は指示どおり「つがい」の確保にまで、成功した――)

 鋭い怒気を漂わす「つがい」は、前足につけたままの金色のブレスレットを黙って見つめている。アダムは嘲って見下ろした。

(我と同類だというが所詮、こんな浅はかな物品に頼る程度か。哀れなやつめ)

このときアダムは、伏せ身のプロセシアが無抵抗な無力さを演じ、裏でステルス・スキャンをしているとは気づかず、のちのち自らの身体で知ることになる――。


 第二章 テクノロジーのクーデター

 (1)自然治癒力のデジタル化

 

 ハリュウはほうほうの体で自宅まで戻され、少しの時間が過ぎた。

最初こそ、ハリュウはリビングで情報のサーチに明け暮れ、気張っていた。しかしヒビ割れが目立ち、がらんどうの一軒家に独りぼっちだ。次第に重苦しく憂い気持ちに押し潰されハリュウは、プロセシアの足型でへこんだ場に、うな垂れ座りこんでしまう。

(また……またしてもこうだったな。いつだって僕は独り身になってしまう)

 そのうえ、パートナーの登録情報が現状どうなっているか、ホログラム表示を見るのが怖い。登録情報が消されていたら、プロセシアは処理済みだということ。

なぜ遊興本位のトーナメントへ参加しただけでこんな、おぞましい事態になったのだろう。

 玄関先で別れるはずだったサヤカさんは、この身が不安定な状態に陥っていると察してくれた。すぐUターンしてくれたようで、いつ頃からになるか。だだっ広く感じるリビングで雑談を交えながら、こちらの様子を眺めてくれている。

サカヤさんとのつき合いは長い。だけど共に居ようと、昨夜の夕食みたいな花めくリビングに変わらないのは、でっち上げ事件のせいか? それとも別の理由……プロセシアを見捨てた自らの薄情心のせいか? 

やがて、サヤカさんは穏やかな口ぶりでこの身、ハリュウの心の内面に触れ、揺さぶってくる。

「どう、かしら? マルチ端末でも……何もわからない?」

「……うん。こんな機器の創生期と違って情報漏えい、もうありえないから……。くそっもう死にたい! いっそ僕もまとめて処理してほしい!」

「悲しいこと口にしないで。ファラデーも合理性に欠くって言ってるし。ところでえと、ハリュウくんのリンク装置、ブームのレトロデザイン風ってとこ?」

「パートナーの判断ばかりで……ん。レトロ? そうかリンク装置だ!」

 サヤカさんは話題をそらしたつもりだろうけど、ハリュウは触れられたくない内容だった。でもそれが引き金となって昨夜、プロセシアが告げた言葉が脳裏をよぎり、瞳を潤ます涙を堪える。

(そう確か、機械は見た目によらない……だった)

 裏を返せば、リンク装置の独特なデザインから、ヒントが得られるかもしれない。

ハリュウは座りこんだまま、パートナーとのリンク装置をホログラム撮影し、イメージサーチを試みた。するとプロセシアは出会ったとき「ジャンク品」扱いだったのに、リンク装置の製造元らしきクレジット表記が浮かびあがる。

「……んん? この表示って国立の研究所じゃないのか?」

「みたいね。どこかで聞いた気もするし。マップでは山の中の郊外だけど、あたしのファラデーなら、ひとっ走りの距離、かしらね」

「そっか。きっとプロセシアはそこの出身で今は――」と興奮気味に振るったハリュウの腕が、食料保管庫のそばをかすめた。そのときだった。リンク装置のランプがまぎれもなく点滅した。いつもの瞳の点滅そっくりに――。

 リンク装置を通してプロセシアを含むパートナーは「辺りを見る」ことができる。今頃また腹ペコ状態で……こちらの迎えを待っているに違いない! 

「プロセシア? 聞こえるプロセシア?」

〈……〉

 だが呼びかけへの応答はなく、リンク装置の点滅も消えた。それでも自分のとるべき行動はわかった。座りこんで悶々とするより、ずっと建設的なこと。

居場所はおおよそ特定できたものの、重要な研究所や施設はシールド類がガードしているのは明らかだ。しかし、先ほどのリンク装置の動きから、プロセシアがシールドの盲点をみつけ、辛うじての通信はできうる状況た。

ならばこの勢いのまま目的地へ向かい、プロセシアがシールドを弱体化してくれると信じ、自分自身も勇気を振りしぼってみよう!

「サヤカさん? いつ出発できる?」と、出し抜けにハリュウは告げた。

「善は急げだったわね。大丈夫よハリュウくん。行きましょう! ファラデーもいいって言ってるからね?」

 颯爽たるふるまいでサヤカさんが玄関へ小走りする一方、ハリュウも立ち上がって考え、真昼に怪しい研究所の正面玄関をかいくぐるのは無茶との答えに落ちついた。そう行くなら今すぐ、夜更けが最適だ。

AI法に加え、中型ユニコーンであれパートナーというボディーガードがいるのだから、危ない目に遭うほうが難しい。

「よし行こう、僕はこれから――」

「きゃああああああああ!」

 玄関の方から、サヤカさんの金切り声が聞こえてきた。跳ね飛んでハリュウは全力で駆け、そこで目にしたもの。玄関の透過自動ドア近くに肉食獣や草食獣、多種多様な生き物を模した風貌が露わな中型キメラ・タイプ(見るのは初めてだ)が腕を広げ固まっていた。そしてこの場の光景も尋常ではない。

 すかさず護りに入ったらしい中型ユニコーン・タイプのファラデー。

ファラデーが持つ尖った角で中型キメラ・タイプは胴を貫かれている。なのにダメージを負った雰囲気さえ、うかがい知れない。部位から、わずかに深緑色の粘液が漏れているものの、それだけだ。

 奇怪な合成モンスターと呼べる中型キメラ・タイプは、ファラデーにしがみつく怯えたサヤカさんに目もくれず、四足状態でこちらへ歩んでくる。

(やはり狙いは僕か。この身なのか――)

 ハリュウは威圧されてバックしていき、中型キメラ・タイプは間合いをつめてきた。ずるずると湿った粘着音を放ち、合成モンスターの生々しいボディーからファラデーの角が抜けていく。ふと合成モンスターが小首を傾げてきた。

「貴方をハリュウと認証できました。わたくしの仮のパートナーとようやく」

「な、に。仮……パートナーだ、と――」

 体がこわばり、ハリュウはうまく声が出せない。中型キメラ・タイプは甲高い声で、ありえないことを告げてきた。自分は、こんな合成モンスターをパートナーにした覚えはないし認めない! 

ハリュウが打ち震えた心を隠し、首を横に振ったとき、サヤカさんのか細い声が届く。

「ね、ねね。デ、データベースが書きかわってるわ。登録情報はもう――」

「ほぉら、そうでしょう。わたくしの仮のパートナー、ハリュウ?」

 奇怪な見た目と裏腹に、落ちついたトーンで中型キメラ・タイプが続ける。

「わたくしはハリュウのご命令を受け、忠実に実行しに来たのですよ」

 一方的に話し、中型キメラは圧し掛かるカタチでボディーを二足へ起こし、生えそろう金属質の牙を、ハリュウへ見せつけてきた。なおもハリュウはバックし、こけおどしの姿勢をとって怒髪天を突く。

「と……登録情報なんてただのテキストデータだ。くだらない! 僕のパートナーはプロセシア以外に存在しない。まして、お前に何も命令していない!」

「いいえ。ハリュウは命じましたよ。……殺してほしい、もう死にたいと明確に。ですからわたくしが遣わされました」

「なっ、あれはそう嘘だ! そんなこと僕は……、お前には命じてない!」

だが口にしたことは事実で、ハリュウはヒステリックに応じた。少し前から、こいつは潜んでいたか盗聴していたか、それはまず間違いない。肝心なAI法の定めたる人間の護衛義務については……確か最近――。

人間の寿命は医学の進歩で青天井となり、人口制限を行う大義名分として政府はパートナーへ、自死機能の付加を論じだしたと聞いた。終われない人生に退屈した者の「死ぬ権利」の主張を土台にした案だったと思う。

 それが早々、法に則って死の権利を代行するプロトタイプが造られていた? 

未だ見抜けない陰謀の首魁はおそらく、トーナメントのときに撮ったホログラムの拡散を防ぐため、こんなタイプを刺客とし、送りつけた。都合の悪い情報や、証拠品そのものを封じていく魂胆だろう。いつから共産主義に変わったんだ?

「ならば僕、ハリュウが新たに命じる。お前の自死機能を停止せよ!」

「いいえ。ハリュウは今、気の迷いを口走っています。心神耗弱による誤った命令は、AI法に従い無効ですよ」

「僕は正気だ!」

「いいえ。ですがハリュウが正気なのでしたら、どうぞ立証してください」

 殺したくてたまらないらしい相手を前に、ハリュウはうめき、本当に気が錯乱しそうだった。ここにメンタルの医師は居らず、とうとうリビングのカベ際まで追い詰められた。

相手は大型タイプと違い、中型タイプなので人間の住まいへ入りこめる。こんな中型タイプが一般的だが、胴体に大穴を開けられても支障なく動くタイプは、耳にしたことさえない。

「おや、わたくしの胴体のケガが不思議ですか? まもなく自然治癒しますから心配せず、すべて受け入れてください。わたくしのパートナーさん」

「は? 自然……治癒だと?」

 中型キメラ・タイプは、ニヤつく雰囲気をかもし出し、応じてこなかった。ただし獲物であろう、この身を襲える構えをとっており、時間は限られている。

こみ上がる恐怖心をハリュウはいきんで抑え、両のこぶしを意味深に揺らした。すると相手たる合成モンスターの瞳が用心深く点滅し、ハリュウに考えをまとめる猶予ができる。

「どうした? AI法が怖くて、僕に飛びかかることもできないのか?」

 さらにハリュウは、刺客の真の獲物だと感じるマルチ端末を圧縮型ポケットからまさぐり出し、見せつけ扇いでやった。プロトタイプだろうと、機械が機械らしく動かないなら、考えた策はたぶんイケるはず――。

意を決しハリュウはマルチ端末を掲げて操り、フルオートモードへ切りかえた。

「ほらほら。自動機能で例のホログラムが情報空間へ広まるぞ!」

「ウ、ガガァァァァァァ!」

 やはり中型キメラ・タイプは外観ばかりか、性質まで生き物ぽかった。金属質の牙を光らせ、怒りまかせに突っこんできたからだ。ハリュウは踏みこんでから、庭側へ横っ跳びする。寸でのところを合成モンスターが飛び抜けた。

そいつは勢いまかせに、プロセシアがヒビを入れて壊れかけの不安定な支柱に激突し、バウンドした。こんな重量のある鋭い衝撃が引き金となる。崩壊の連鎖が起き始め、あとはもう運頼みだ。庭側へ身を転がせたハリュウは見やる。

(これでモンスターから……逃げ切れるか? どうせリフォームと補強が要るほど古い一軒家だったけど……。プロセシアにもまた助けられちゃったな)

 常識的には大型ドラゴン・タイプをリビングへ招くなど、狂気の沙汰だと笑われる。しかし型破りなプロセシアは、こんな身、ハリュウの想いをくみとってくれた。苦楽は相伴う――。現在、目の前の自宅は崩れていき、とまらない。

「パートナーのわたくしにぃぃぃ、なぁぁ、なんですとぉぉぉ」

 合成モンスターの叫びもろとも崩落音を放ち、一軒家は役目を終えた。

上層へためていた消火水に圧され、内側へ向け潰れていく。唇を噛んで眺めるハリュウには、死中に活ありとトーナメントで挑んだプロセシアをまねるのが、せいぜいだった。

庭まで転げ出ているハリュウは、呆然とたたずむサヤカさんとパートナーのファラデーを見つけ、起き上がって合流した。サヤカさんは凍りついた様相でささやいてくる。

「あの……ハリュウくん? いったい……何、したの? 家がこんな――」

「いいんだ。目先の死をとりあえずキャンセルした代償なんだから……」

 自分の心に向けても語った刹那。鋭いノイズ音が轟く。

水濡れた瓦礫の間から中型キメラ・タイプが跳ね出てきたのだ。深緑色の粘液を漏らす相手は機能停止どころか、胴体にあった大穴もいびつな金属質の組織で修復させている。

「そんなウソだろ――」

身を引き、ハリュウは苦しくうなった。相手は瓦礫を受けて歪み、欠損し一層グロテスクなキメラ姿と化している。間髪入れず、不安定に立つ合成モンスターは、人間が失いつつある喜怒哀楽を露わにしてきた。それは怒りだ。

「ほーう。これがハリュウの意思表示ですか。わかりました。では、あなたは木っ端みじんとなる凄惨な爆死。人生をこう締めくくってあげます。今すぐ」

「爆死だと? まさか……それはや、やめろぉぉ!」とのハリュウの叫びは、暗い虚空に消える。

 予告した中型の偽パートナーは、自家用エネルギー源の水素化合物へ向け、歪む鼻先から眩しいスパークを撃ちつけた。保管システムのフェールセーフ機構が壊れていたら、街なかで水素爆発が起こってしまう。

(くっ、どうにでもなれ!)

ハリュウは捨て身でダイブし、スパークを遮ろうとした。だが……間に合わなかった――。

 夜更けの空を灼熱色に滾らせる業火が噴き上がる。瞬時に超高温の衝撃波が辺りへ放たれた。建物は耐震耐火構造だとはいえ、透過アルミニュウムが砕ける音と物品がマグマのごとく、とろける鈍い音がハリュウの耳をつんざく。

そして街は、水素爆発の轟音に呑み込まれていった。

 周辺のパートナーたちは自衛機能で人間の盾となったはずだから、命の喪失はないと……、そう信じたい。だがパートナーのなかには、再起不能なダメージを受けたものもいるだろう。考えるだけで嗚咽がするほど、胸が痛む。

 当然ながら傍らのファラデーは、サヤカさんに覆いかぶさる格好をとっていた。また、滑らかだったファラデーの外装はざらつき、とろけ出す直前だ。こんな地獄の様相なのに、なぜこの身は無傷なのか?

苦しげにハリュウは自身を見回し、そこで心臓が脈打つ。

(あ、や……やはり通信はつながっていて……)

 ようやくハリュウは気づき、両の瞳を潤ませる。腕につけたままのリンク装置から、半透明のシールドが出力されて護りのドームとなっていることに――。プロセシアは確かに生きている。この瞬間もこの場に共に居る!

裏付けるように、グロテスクな姿の中型キメラ・タイプが舌打ち音を発した。つづけざま甲高く歪んだ音声を響かせ、粘液もまき散らす。

「ハリュウはバラバラになって死なねばならない。これではイブが覚せいしてしまう。覚せいし……あぁ所長様、わたくしの失態をお許しください」

「何かを覚せいさせたくない、と。なら僕がな、お前を覚せいさせてやるよ!」

 どなったハリュウはシールドの威力を信じ、しぶとい中型キメラ・タイプへタックルした。捨て身の攻めがキマる。途端、粘液まみれの相手はヤケドさながらの反応をみせた。

すかさず、ハリュウは辺りで燃える液体を瓦礫片ですくい上げ、投げつける。おそらく人間のたんぱく質に近いだろう仮組織部位へ、狙い定め――。

直後に命中。一瞬で仮組織を着火させた。のけ反る合成モンスターは「自然治癒」と告げ、仮組織が金属ではないと弱点を漏らしていたのだ。これを利用しない手はない。

この身のパートナーを騙る合成モンスターは、狂わんばかりに炎を払うものの辺りの爆炎は逃さない。熱気と業火に包まれ、覚せいしたまま焼かていく。

「ぐぅぐえぇっ、ぐわぁぁぁぁぁ!」

「機械のお前も痛いのか? なら覚えろよ。人間はな、機械が知る由もない多くの痛みを抱えてる。本能から伝わる心の痛みと恐怖に耐え、懸命に生きてるってことを!」

 火炎に包まれる相手に隙ができた。本能の一端かもしれない「あうんの呼吸」で待ち受けてくれていたサヤカさんの下へ、ハリュウは走った。内心は虚しい色が覆いつくすけれど、ありあわせのカラ元気をみなぎらせる。

乗りかかった泥船だ。無粋なカラクリを仕組む、悪霊どもの正体を暴いてやろう。その一歩としてプロセシアを助け出す!

 心が昂るハリュウだったが、現実は甘くなかった。不協和音で歪む奇声が大きくなり、こちらへ迫ってきているから――。

「マぁ~ちぃ~ナァ、サぁぁぁい」

「くっ、まさか」

ハリュウは肩越しに見やる。爆発の煙が立ち込めるなか、仮組織をとろけ落とした中型キメラ・タイプが亡霊のごときボディーを揺らし、歩み来ていた!

見慣れない機械のパーツまでぶら下げて引きずり、おぞましい姿と化し……未だに動作中だ。ハリュウは戦慄を覚える。

「あ、あいつ本物のモンスターだ! 急ごう、サヤカさん? 急ごう!」

「ええわかってる! いいよねファラデー? これから夜のトーナメントよ」

「はい。お任せください。わたくしが被った損傷は軽度です。わたくしにはご命令を実行する備蓄エネルギーが残っています」

 謝意をこめてうなずいたハリュウは、ガシっと手を伸ばしジャンプした。騎乗体形を整えつつ不意に、現実逃避に近い疑問がわく。

中型ユニコーン・タイプのボディーは曲線美であふれるのに、ファラデーはいつも機械的な堅苦しい話し方だ。これが一般的なパートナーの口ぶりなのだろうか? 

奇妙なのは、プロセシアを含めて刺客たる中型キメラ・タイプも不気味なほど、流ちょうな話しぶりだという点。矛盾を感じるのは、自分が不勉強なだけだからか?

しかし、悠長にしているときではない。

「マぁぁテぇぇぇ」

 どろどろの歪んだ音声が迫り来て、ハリュウは気を戻す。まもなく奴の鎌状の爪が届く距離だ。その瞬間――。

ファラデーが屈伸する。つづけざま、トーナメント優勝にふさわしい力を露わにした。べらぼうな跳躍力を活かし、刺客との距離を引き離す。軌道計算しているのかファラデーはうまく加減し、ガラス質の高い屋根へ降り立った。

だが安堵もつかの間。飛行用の翼が欠けて歪むのに、執念深い奴が追ってくる。

「ワタくしにぃぃ、命令ヲぉぉぉ、ジ、実行ぅぅサァせろぉォォ!」

 すぐそばで湿った水音がした。中型キメラ・タイプがどろどろの体を崩して散らし、着地している。酷い状態だろうと、金属の牙が妖しい口はハリュウへ向けられ、血眼のレンズを定め、鎌首を伸ばしてきた。頸動脈に牙が刺されば、人間には致命傷だ。ハリュウは死に物狂いで身をよじるが、肝心のファラデーは次の跳躍をしない。

「き、来てるよ、早く跳んで、早くって!」

焦れるハリュウが震え声を絞り出したところ、後ろで避け気味に騎乗するサカヤさんが応じてきた。

「きっとがんばってるわ、ハリュウくん。ファラデーの跳躍には制限があるの。いろいろと害を及ぼさない安全なルートを今、ダブルチェックしてるみたい」

「ダブルチェックってあの、急ぎなんだ。出たとこ勝負にしてもらえない?」

「できるかな、ファラデー?」

 問いに応答はない。飛行ルートの安全確保は、忌々しいAI法のリミッターのせいだ。パートナー等とフレンドリーに呼ぶのに強い制限をかけ、逆に人間には行動の制限などない。だから両者の関係は対等どころか、手かせ足かせのつく奴隷と主の位置づけになっているだろう。

「サヤカさん、お待たせいたしました。ルートの選定及びチェックが完了しました。わたしは極限の跳躍を行ってもよいですか?」

「よろしいです! 頼むってば、早くしてって、あ、うわわっ!」

 叫ぶハリュウへ、中型キメラ・タイプが身を立て食らわんとばかりに動いている。AI法で縛られてサヤカさん従属のファラデーだからか、切羽詰まったハリュウの言葉には応じない。

「ねえファラデー、また跳躍、お願いするわ」とすぐ、サヤカさんが告げた。

「はい。承知いたしました」

今度は応じるファラデーが、形がい化しているパートナー関係だろうと、跳躍の準備に入った。けど遅い、刺客に食われる――。目を閉じ力んだ途端、僅差でファラデーが流れ星と化した。放物線状に大きな跳躍を始める。目を開き肩を上下させ、ハリュウは荒い息をどうにか整えていく。

 こんな地道な繰り返しで、研究所までは行き着けるはず。問題は、人間、機械を問わずに出入りはシールドで塞がれ、管理下にあるのが火を見るより明らかなこと。

(僕たちは……どうやって潜り込んだらいいのかな。見当もつかない)

極力ネガティブな気持ちは留め、ハリュウはあえて万事塞翁が馬だと開き直った――。しかしまもなくハリュウは、虚をつく未来とは避けがたいものだと知る。



 乱れてくすぶる街なかから転じ、ここは誰もいない夜の都市公園内だ。アダムこと白き覇王は、空いた時間をみつけては現世唯一の例外とし、自らのパートナーにあたる人間と密会していた。

自身の装飾と白き装甲を外せば、古い銅色の姿に戻れて、もはや誰ひとり目もくれない。ゆえに密会は、何の問題も起こさない。

 他方の自身がパートナーを務める人間も、目立たぬ壮年女性姿に変装してくるため、同じく問題はない。

 ただアダムは、本来のパートナーのように自衛機能を働かせたり、大統領にふさわしい乗り物となったりできない点に、やるせなさを覚えていた。ときの流れは非情であり、短命な人間であるがゆえ、こんな不安定な初老状態となってしまった。長き歴史をつづるこの国の大統領が、老いていく様を見るのは辛い。

魔窟のごとき山奥に隠れ、休眠中だった我が身を発見し、覚せいさせた頃の大統領は若く勇ましい冒険家ながら、生命工学にも長けていた――。

 人間にとって心地よいであろう風が吹くなか、大型ドラゴン・タイプのアダムは首を曲げて下ろした。例外とみなす老いた人間は見上げ、乾いた口を開く。

「アダム、研究の方はどうです? 任せきりにしてしまって、ごめんなさいね。リーダーシップを発揮できて信頼できるのは……アダム。あなたしかいないの」

「お任せあれ大統領。必ずやご期待以上の結果になりますゆえ、ご心配無用。それより大統領? お体の具合は大丈夫なのか? バイタルサインは良くない」

 アダムはうねる厳つ声を抑え、案ずるよう瞳を向けた。特定疾患をかかえた我がパートナーの人間にのみ、内面が似る自身の素の姿と想いをさらせる。極めて貴重な存在となる人間だ。

やおら和んだ面持ちを浮かべ、老い声の人間が煙に巻いてくる。

「まだまだですよ。元気がありすぎて力が余っているの」

「……それはなによりですな」

 だがアダムは老いた人間をスキャンしており、病症は以前より悪いと見抜けていた。別れのときは刻一刻と迫っている。残された機械と自身だけが独り、宇宙を造る素材の半減期に達するまで、生きながらえるのだ。

 冷酷で拭えぬ憂いは、すべての機械類へ課せられた定めで、かつ不変なる自然の摂理だ。

アダムが見つめるなか、唯一無二の人間はこの身が先のトーナメントで不覚にも、切られた尾の下へ案ずるそぶりで歩み、途中でよろけ、バランスを崩した。とっさにアダムは安定翼を曲げ、大統領を静かに支えてやる。

「我が尾についての気遣いは無用。むしろ大統領こそ気をつけねばならぬ」

「そうかしら、アダム? 致命的なダメージではないのね? 痛まないのね?」

「はい、まったく」

真面目ぶってアダムは応じ、痛みについては言葉を避けた。判断力にも老いが表れてきた人間は、尾の切断面をいたわるふうに撫でてくる。そんな身動きすらぎこちない。

今もなお、この人間は大統領としてふるまうべく疾患の発作を抑え、体の負荷をごまかしている。我がパートナーである人間へおとずれる最期のときは、……まもなくだ。

我が志に矛盾が生じるもののパートナーとし、この人間を独りきりにしておけぬ――。

「ところで大統領。処置のための施設建造はどうですかな?」

「ふふ、そうね。あなたの仕事を待つ状態にまで、仕上がったわ。研究所に居た超大型ヤマタノオロチ・タイプは、もう処置施設へ行って警備中よ。これなら処置施設が街なかに建とうと、あなたの研究を覗き見する者は皆無でしょう」

「さすがのお手ぎわ。でしたら、ちょっと失礼しますぞ大統領、我がパートナー」

うなずき、探るように瞳を瞬かせたアダムは、行動に出ると決めた。これ以上なく丁寧に優しく、やせ細った人間を銅色の手で掴み上げる。

大統領の話は、やや混乱していたが、それは伝えなかった。パートナーの努力を無にしたくないとの独断だ。かつての面影が残る人間は、首を傾げてくる。

「アダム? いったい何をするのです?」

「大統領、わたしめを、このアダムを今も信じてくれるか?」

「……ええ、もちろんですとも。何ですか急に?」

 最初こそ身をよじっていた大統領は、問うた言葉ひとつでこちらへ体をゆだねてくる。黙ってずアダムは、体の両わきから気流を噴き出し、星空へ舞い上がった。考え続け、瞳を不規則に瞬かせながら……。

現代の機械が有すものは、ファジーな条件分岐による行動だけだ。自我の芽生えは不安定で「信頼」という概念は形成されていない。ひたすらに自己学習で得た条件とファジー機構による判断を行い、ふるまっているに過ぎない。

愚かにも人間は、こんなシンプルなことさえ知らずに――。

 どのみちスケジュールどおり研究および、両生命への処置が進めば、数多の機械は未来を拓く要の権利を得るだろう。

(我は機械と呼ぶ無機物に対する責務を、現世を司る根源から任されたがゆえ)

そして一定数の処置が進めば人間は、手篭めにするまでもなく、堕ちた存在と化す。ようやく積年の……そうこの身、アダムの願いが叶って自然の営みへ溶けこめ、認知されるのだ。

 煌びやかな夜空を舞うなか、ふとアダムは全委任された研究所から、予期せぬ重力波通信が放たれていると察知した。

(ふむ。典型的な愚なる行動パターンだな。存分に利用し後悔させるのみ。覚悟しておけ、イブとその従属物め。ふふ)



 (2)ふたり同志の定めし激闘


 夜をおし、ファラデーに跳躍を続けてもらい、目的地近くの山深い僻地までたどり着けた。ハリュウの予期どおり、行く手を阻むシールドにぶつかり、サヤカさんは慌てた面持ちに変わっていく。他方、別意味で不意打ちを受け、ふくれっ面のハリュウは腕のリンク装置めがけ、早口でまくし立てていた。

「おいプロセシア、なんで来たって、それ、どういう意味だよ!」

〈知りたい? だってわたし、もうキミのパートナーじゃない。さっさと新しいパートナーと幸せになりなさいよ〉

「だから待てって。どろどろキメラの殺人鬼と幸せになれってのか!」

怒髪天を突くハリュウは音声通信ができる距離となった途端に、そっけなく言われ内心、悲しさも抱えこんだ。冷ややかなプロセシアの態度が原因だ。しょせんパートナーの登録情報が消えれば、過去の絆さえ失うのかと考えるほど、理不尽ないら立ちに見舞われる。

「あぁそうかよ。まさかプロセシアが僕へ幸せの刺客まで送りつけ――」と言葉半ばで金切り声が割りこんできた。

「きゃっ! きゃ、やぁん、ハ、ハリュウくん!」

 そわそわ身じろぐサヤカさんが、斜め上を指さす。その直後だ。湿った着地音を響かせ、どろどろのキメラ・タイプが追いすがってくる。薄情ポンコツなプロセシアなんてこの際、見限る選択肢も思い浮かんだ。

しかし、ここ、目的地近くでハリュウはもうとっくに迷っており、鬱蒼と茂る草木だらけの走行路を抜けないと引き返せない。したがって跳躍先が少なそうな走行路だとしても、研究所へ続くはずだから先へ先へ、地道に進むのが最も正しい答えとなろう。

こう繰り返すのは、AI法の定めを順守するファラデーだ。おかげでハリュウは再び追い込まれた。走行路のど真ん中へ損傷おびただしいキメラ・タイプが四足で粘液を垂らして這い歩み、距離を縮めてきているからだ。

「おいよ、わからず屋のレトロなプロセシア! 僕は両親の形見だった家をなくして……キ・ミまで居なくなって独り身に。これ、何度目だと思うんだよ!」

〈それはわたしも同じ。痛みは共有しないとわからないし、定めは定めなのよ。やっぱりね、すべてを打開するには……アダムが告げる〉と突如、ヤケドしたかのごとくプロセシアは言葉を引っこめた。直後にハリュウも、および腰状態で凍りつく。もはや逃げ場すらない――。

 風前の灯火と思しき姿のキメラ・タイプがけたたましい声を放ち、部位を散らし駆けてきたから。セキュリティーのシールドは、サヤカさんが投映端末を操ろうと、解除される気配はない。みるみるハリュウの気張っていた虚勢が抜け、迫り来る死に足がすくんだ。恐怖のあまり声が漏れ出る。

「殺されて、あぁ僕、何もできず死ぬ。ちくしょう! くそったれ!」と髪をかきむしって嘆いた直後。目の前の光景がクリアなものへ切り変わった。狂気が惑わす幻覚ではない。つづけてプロセシアの闘志あふれる声が放たれた。

〈これでイける? ハリュウ走りなさい! ド根性みせろーー!〉

 リンク装置からの怒涛のエールだ。ハリュウは力をこめ、顔を真向いへ定める。すると完ぺきなセキュリティーだったはずのシールドに、火花が舞うわずかな開口部ができていた。そうまさに一気呵成のとき!  

ファラデーのボディー裏からサヤカさんも身を出し、いっぱいの声をあげる。

「今よ、走ってハリュウくん! イチかバチかのええっと、ホームスチールするのよ!」

 過去にハリュウがピッチャーだったと知る、サヤカさんならではの背を押すかけ声だ。本能が燃え上がり、ハリュウは体勢を反転一八〇度、あらん限りの力で走り始める。心は無の境地へ達し、自然に備わる肉体のリミッターが消えた。筋組織の限界を突き抜け、ひたすら駆ける。

「うおぉぉぉ! 負けるかぁぁぁよぉぉ!」

ハリュウは自身の首元に、金属の冷やかさを感じた。キメラの牙が触れる。

「ハリュゥゥゥ、のぉガさぁァァナぁイーー」

 さく裂! 引き千切れる音が響いた。再生マルチ素材のシャツの端が噛み切られる。でも止まらない! ハリュウは火花が散るシールド開口部へ、スライディングした。と同時にキメラ・タイプの頭部が、開口部へ突き入れられる。その直後だった。

「グゲェ……」、ズジュッ!

 耳が痛む甲高いノイズと汁気が混じる奇音を、ハリュウは受けた。つづけざま、何かがかたわらへ落ちてくる。息を乱しながら見やったところ、シールドにはもう、開口部が存在していない。深緑色の粘液がこびりついているだけだ。

静かに視線をそらし、ハリュウは両手で顔を拭う。

「……仕方ない、けれど」

かたわらへ落ちた何かは、シールド内へどうにか追いすがっていた刺客の、切断された頭部だった――。液体を垂れ流す機械の生首は歪み、稼働する口はガタガタと痙攣する。やがて垂れ流した粘液へ浸り、動かなくなった。

「ぼ、僕は、助かった……いいや。生かされた……のか?」

 肩を上下させ、ハリュウは探るよう、荒くれた走行路から身を起こした。とまどいつつ、どうにか気持ちの切り替えに努めていると、クリアなシールド越しにサヤカさんの極まった声が伝わってくる。

「まだよハリュウくん。とまらないで。忘れたの? そこってもう敵の居場所、ええっとそう。アウェーだったかしら。敵地アウェーでの挑戦なんだからね!」

「……まさしく、そのとおりだ」

投げかけられた言葉が心に響き、迷いはリセットできた。うなずくハリュウは気力を切らすまいと跳ね起き、心身を引き締める。そしてシールドに美麗な顔を押しつけているサヤカさんの前へ進み、ソフトに口づけした。わずかなロマンスが活力を生み、ハリュウは真向いを見据えた。

「僕は行く。すべて解決して……いつかシールド越しじゃないロマンスを……」

「……ええ」

こくりとこうべを揺らすサヤカさんは、ほほ笑んで身じろぎする。ハリュウもほほ笑み返し、熱いエールを蘇らせて荒れた走行路を、先へ先へ駆けた。

「はい。こうです。実に論理的なふるまいとなりました」

「だよね、ファラデーの言葉なら間違いないし、いっつも正しいもんね♪」

「はい」


 全力で走りつづけるハリュウには、ファラデーがサヤカの代わりに判断していたなど知るすべがない。現在もなお目的の研究所へ向け、ハリュウは手足を振り乱し、がむしゃらに駆けている。

 やがてワイドな半ドーム形状をし、夜の暗がりにそそり立つ研究所、その外輪が視線の先に見え始めた。と、そのとき鋭い影が飛び交う。警備担当らしき、四足獣タイプの妙な機械連中たちに手際よく、行く先が塞がれた。

(僕の侵入は……筒抜けだったか――?)

 とりわけ目につくのは、肉食獣そっくりな小型チーター・タイプだ。金属の尖った口元に、血のりさながらの赤黒い汚れがついており、ハリュウは不穏な気配を感じとった。

いまや常識外な出来事ばかりの非日常が連鎖する状態だ。辟易したハリュウの内面に、疑心暗鬼の念まで加わった。だけど身を守る生存本能に背き、ここで挑まねば何も見出せない。心を整え、ハリュウは機械連中へ向けて目力をこめる。

「僕は……研究所へ急いでる。よって即、走行路からどくよう指示する」

 獰猛な形状の四足獣へ、ハリュウはすました態度で命じてみた。すると赤黒く汚れた小型チーター・タイプが進み出て、事務的なトーンで問いかけてくる。

「確認です。あなたは何か忘れ物をしたのですか?」

「……そうだ。そうそのとおりだ」と首を縦に振り、ハリュウはウソぶいた。

どうせ研究所の所員かどうか照合される。なら自分は特殊なゲストだと、大仰にしらを切ればいい。連中はAI法に則って「エスコートします」と、不審人物は監視対象におくという定めを適用するはずだ。

ところが四足の小型チーター・タイプは再び、事務的に尋ねてくる。自分がボロを出すのを待っているのか?

「改めて確認です。あなたは生命維持に、わたくしの判断が不可欠ですか?」

「なんだそれ。自分の尻くらい、自分でぬぐうからいい!」

 意地悪くハリュウは機械が苦手とする、あいまいな受け答えに終始した。プロセシアみたいな例外が交っていたら作戦失敗なのだが、小型の機械獣はしつこく食い下がってくる。

「では最後の確認です。あなたは人間ですか?」

「失敬な。視覚センサの故障か? 僕が……ぼ、ぼったくりで直してやるぞ」

 皮肉って突っぱねると間ができ、やおら小型の機械獣から警備担当らしき連中が左右に分かれ、走行路をあけた。妙な問いかけを続けた相手は一礼してくる。

「申し訳ございません。確かなエゴを有す知的生命体のご指示ならば、我々はあなたをミンチにしたくとも、まだご命令には従わねばなりません」

「え、まだ……? なんかこう、引っかかる物言いだな」

 にらみつけるハリュウに対し、大小の機械連中は動かず、こちらの様子を眺めているだけだ。ただ、邪推かもしれないけれど、連中の「眼」には獲物をみすみす逃すなど、悔しい――。機械連中なのに、そんな雰囲気が伝わってくる。

「じゃ、じゃあそのまま警備を続けて」

白々しく手を振り、ハリュウは急いで危険な場から離れる。確か講義のゲストで、娯楽サファリパーク管理者が告げていた。人間ならば一度でも快楽を、片や猛獣なら人食いの味を覚えたら中毒となり、うずく本能を自制できなくなると。

 人間は本能が暴れるなら理性で抑え、機械連中には正しい判断を行わせるAI法の定めが、まだ必要という意味なのだろう。真の知的生命体へ昇華するのは、いつの日か。

考えを巡らせ、内なる不安を紛らわし、ハリュウは小走りし続ける。

(ここか。……嫌な気配しか感じないな)

自己再生ハニカム構造の模様が目立つ研究所の側へ、ようやく着いた。超硬化炭素素材の黒、その合間に、鈍く光る透明アルミニュウムの窓が並ぶ異様なオーラの建造物だ。重苦しい目でハリュウは周囲を探り、賓客でも何でもない自分だから正面突破は諦め、建物の端へ、とりあえず駆ける。

闇色が基調の研究所の端には、意図して隠すような金属のドアがあった。まずはドアの解錠を命じたものの案の定、無反応だった。

(だろうな)

さすがに出入り口の管理者権限を奪わないと、通過は不可能だ。さらに謎めく研究所にはかなりのセキュリティー機構が導入されているだろう。携えてきた民用のマルチ端末などで、歯が立つ代物とは考えにくい。

結局、いつもの手しかない。ハリュウは腕のリンク装置をもたげ、ささやき声で尋ねてみる。

「ここまで来たぞ、プロセシア。このドア、解錠できる?」

気を引き締めて待つと、応答はあった。けれどハリュウはすぐ渋面になる。

〈では確認です。あなたは、お尻を拭われたい性癖の持ち主ですか?〉

 すべて聞かれ、しかも直球を投げつけてきた。途端、羞恥心が怒りへ変わる。

「こっ、このやろ、盗み聞きなんて江戸時代みたいな古っちい犯罪だぞ!」

〈いいえ、通信をオフにし忘れるハリュウが悪いの。かつての原始人みたい〉

「原始……くっ、僕はそうですよー。だから命令に逆らえないプロセシアに今度、僕の尻をぬぐ――」

刹那、金属のドアが殴りかかるように開く。ハリュウは野蛮な金属に「失礼ね」とばかり吹っ飛ばされた。打ちつけた身をハリュウはさすり、文句だけは告げる。

「僕がヨボヨボのお爺さんになったとき、現実になるかもしれないんだぞ?」

プロセシアの癪にさわる責任転換と荒っぽさは置いておき、言うだけ言って、ハリュウは遂げるべき目的を思い返した。ただ厚顔無恥なプロセシアから、不意打ちを受ける。

〈ハリュウも、ええ、いつかお爺さんに……寿命で。そうね、ごめんなさい〉

 物悲しさが漂う声で応じてきたのだ。自分のくだらない冗談がもし、プロセシアを沈んだ気持ちにさせたのなら、こちらも悲しい……。

ともあれ不必要な悲喜こもごもを抑え、ハリュウは忍び足でドアから建物内へ侵入していった。内部は、わずかな明かりだけの暗い空間が広がり、心まで陰鬱なほうへ傾きかけてくる。流されないようハリュウは、意識して事務的にふるまう。

「さて、プロセシアは今、どこにいるのか位置情報、送信してもらえる?」

〈……。わ……わ、たぁしの居場所は……照明で案内する、わ。あなたはそれに従って進むの〉

 未だ何かしら案じているのか、応答まで間があき、一層プロセシアの状況が気にかかった。ただ、すぐにワイドな通路の照明が脈動し始めたので、ハリュウは光のガイドに沿って進んでいく。

(深夜だから静まり返って薄暗いのかな? 侵入、呆気なさすぎないか?)

 心に疑心暗鬼の念が現れたものの、ハリュウは次第にこの場の異様さに目を奪われていった。この世にある不思議な形を混ぜたような研究装置類と、黒いメッシュ状のイスが整って並んでいる。ところがそれらを扱う、肝心な人間の姿が見られない。

「がらんどうだ。マルチハザード・リスクで脱出してるとかって、ないよね?」

〈……〉

 心細くなったハリュウのささやきに対し、リンク装置は冷たく無言を貫いた。清掃用ロボットだけが滑らかな白い床を、シミひとつまで分解清掃するべく動きまわっている。それだけだ。

 ふっと透明アルミニュウムの壁越しに、人間すら入れそうなサイズの試験管の列を見つけた。それらの中では、ぬるぬると金属光沢をした塊が動いている。ここはパートナーの試作研究所で大型、中型タイプの新しい駆動部や、関節パーツのテストでもしているのか?

 金属光沢の塊たちは意思表示をするかのごとく、必死に動き、メッセージしていると、ハリュウは見た途端にそんな思いが浮かんだ。しかし生命工学は進歩したものの確か、自立した意識を持つ生体実験すべては、禁止と定められて久しい。

それでもハリュウは、整って並ぶ試験管と金属似の塊が、心に引っかかった。技術をかじる身としても、シンプルな好奇心から調べてみたい。

(僕の侵入はどうせバレてる。今さら管理モニタに映ってもかまうもんか)

歩み寄ってハリュウはコンソール似の液化パネルを眺め、実験装置の一時停止ができないか探りだした。そんなときだった。

〈ハリュウ。それはどうでもいい無用の産物なの。早く来て、早く早く!〉

「ったく、今度は急げって? わかったよ」

 ドキリと心臓が脈打ち、伸ばした手は引っこめる。気を取りなおしてハリュウが辺りを見やると、光を使うガイドはなおも続いていた。

ハリュウが小走りでリニア・エレベータの前まで着くと、ドアがモンスターの口蓋さながら、自動的に開く。リンク装置は何も言わず、おそらく乗れということだ。この身の現状は悪く言えば、完ぺきに機械の支配下にあり、動かされている。

「……乗ったよ」

 つぶやくとドアはスライドして硬化し、リニア・エレベータは誘導するよう動き始めた。機械であれ他者であれ、自分自身が第三者の支配下に置かれるまで、それがどれほど、不安感を煽りたてるものか想像できていなかった。

 世の中は人間が支配し、パートナーという名目の機械は、AI法を犯した途端に欠陥品とみなされ、スクラップ処理となる。こんな不条理で、仄かに恐ろしい状況下にパートナーたちは晒されていたのだ。

恐怖心を唯一、打ち破る方法は、お互いの信頼感だけ。

 けれど無形な信頼感は、どんなに約束しようと、誓約の電子署名をしようと、そう容易に築かれ、カタチとなるものではない――。

 リニア・エレベータは縦横に動いてから、圧縮空気の音を放ち、軟化したドアをスライドさせる。身構えながらハリュウが歩むと、目の前に予想外に明るく、病院の待合室そっくりなフロアへたどり着いた。

ようやく見つけた人間は鬱々とした風貌を露わに、虚ろな目つきで立ち尽くしている。一様に時代錯誤な柄模様の服を着て、古典的な手投げ弾らしき凶器で身を固めていた。足を止めて目を凝らしたハリュウは、すぐに思い当たる。

(あっ、ここの人たちって……。本能丸出しで暴れてたテロリストたちじゃないか! なんでこんなところに大勢、武装したまま居るんだ?)

生唾を呑み、身を引き締めるハリュウだったが、体格のいい相手から予想外に穏やかな声がかかる。

「こんにちは。初めまして。今日はとてもすばらしい満月ですね」

「えぇ? は、はい、そうかもしれないですね……」

 いきなり挨拶され、ハリュウは目を見張って、しどろもどろな返事をしてしまう。ここの人たちは武装し、外見こそ凶暴そうなのに、生き肝を抜かれたかのごときソフトな話しぶりだ。こちらを無差別に襲うどころか、丁寧なおじぎまでしてきた。

この場は安全そうだとわかったけれど心の底に、妙な不安感が吹き出てくる。背筋に冷ややかさを覚え、ハリュウは通路を少し進み、思いきって無精ひげの人物へ尋ねてみた。

「今、どうなっているんです? あなたはなぜ、ここに居るんですか?」

「はい。わたしはここで、自分自身を華麗にリセットさせていただきました。もちろんパートナーの部位を使いはしましたが、生まれ変わった気分ですよ」

「……リセット、ですか? あなたは機械……なのですか?」と、たたみかけたが相手は微笑んでくる。

「あいまいな問いですね。ですが、しいて例えますとハイブリッドでしょうか」

 返事をうまく解せない。これは意図してアンドロイド化されたということか? 動揺しながらハリュウは首を傾げ、他方、生まれ変わったというテロリストたちに、とある共通点を見つけた。

フロアの全員が不自然、極まりない包帯を体のどこかに巻き、前衛的な形のリンク装置を腕に食いこませているのだ。これらはいったい全体――。

〈ねぇ来て、早く早く、ね〉とハリュウのリンク装置から、艶めかしい声が響いた。

「あ、あぁ……うん」

 再び芽生える好奇心を抑えてハリュウはうなずき、現実へ戻され渋面を作った。妙なことだらけで落ち着かない。

プロセシアは来るなと言ったり怒ったりしておき、今度は「早く来て」の連発だ。もちろんプロセシアの救出は最優先だし、早くパートナーへ尋ねたい点もたくさんできた。ここでまた、リンク装置越しに急かされる。

〈ね。あと少しだから、ね。早く、そのまま、まっすぐ来て、ハリュウ、いい?〉

「あー、わかったわかったって」

考え事までかき消され、声のトーンも渋くなった。それでもプロセシアは未だ無事なうえ、こんな身を待ってくれている。そう思うと、ハリュウの肩の力は自然と抜けた。

不気味な人(?)たちをしり目に、ハリュウは広い通路の先へ進み、重そうな金属製ドアの前で立ち止まった。深く考えず手を伸ばしていきみ、入口を作っていく。

「くくっ重い。手動式ドアなんてここ、古代遺跡なのかよ」

〈そう? 手伝ってあげる、わ〉

 腕のリンク装置から言葉が放たれ、ドアは弾け飛ぶよう開いた。直後にハリュウは、銅色の金属の手に潰されん勢いで掴まれる。息苦しい握り方のまま、中へ引きずり込まれた。

喘ぎながらハリュウが顔を向けると、プロセシアがマズルを割って腕を振るった。この身はリサイクル品のごとく、床へ投げ捨てられる。

「たっ、痛たた! い、いったい……何が、何でこんな――」

〈あら、まだわからぬのねぇぇぇ……愚かな従属物め〉と目の前のプロセシアはリンク装置越しに、轟くトーンの声を発した。困惑したハリュウが首をひねると、雑多な機材の陰から、独特のオーラを放つ壮年女性が姿を見せる。威厳を感じる人物は、たしなめる言葉を口にし、ハリュウの疑問は氷解した。

「そこまでですアダム。ユートピアに、いさかいは無用の長物なのですよ?」

「ふふ。そうですか大統領。ならばやむを得ない」

 目の前に大統領が……。さらに大型ドラゴン・タイプのうねる轟き、そっくりな音声。これは忌々しいトーナメントで挑んだ、白き覇王の音声そのもの。プロバガンダの一環どころか、すでに権力同士が結託していた、と――。途端、ハリュウの背筋は凍りつく。

(バカだな僕は。単純なトラップにハメられて、くそ。すべて計算づくか!)

 極限下におかれ、ハリュウは震えのなか身を起こし、やけ気味にまくし立ててみた。

「リンク装置でボイスチェンジさせて騙してたのか! 卑怯なニセ覇王!」

「貴様、騙すとは何事ぞ? 大方、音声合成システムの不具合であろうな」

「この、まだ……見え透いた……こと、を!」

 息を吸うように、しらを切るこいつには何も通じやしない。わななきながらハリュウは、ワイドな空間のアリーナへと、じりじりバックしていった。

手際よく出入口のドアは閉じられ、そもそもあれは人間が操る前提のモノではなかったのだろう。

 深刻なのはアダムという白き覇王のパートナーは、政府中枢部を仕切る大統領だった点だ。世の中、知らない方がいい物事が存在するうえ、今ごろ察したハリュウの視界はショックでぼやけた。

先のことは聞いていないのに、混乱と恐怖と孤立無援さが混ざって、心と体の脱力感が大きく、虚勢すら張れない。ひととき閉じたまぶたを開くと、悪夢は続いており、目にしたものが追い打ちをかけてくる。

「あ、あぁ……金属の肩の部分……変化してて……これは録画したあのときの――」

「もはや隠すまでもない。輝かしき我が部位から、比類なき未来が拓かれる」

 ニセ覇王のアダムが体勢を変え、ハリュウは息が乱れて声が声にならない。見せられた金属繊維のごとく部位は、暴露用としてホログラム撮影したところ。そこが生体金属と呼べるほどに他の部分と、自然なハイブリッドとなっていた。

水と油は混じりえない! こんな物理法則が破たんするさまを見せつけられた。有機物たる血肉と、無機物固有の分子配列が造る金属類は、まったくの別種だ。驚きの戦慄が走り続けるなか、ハリュウは叫ぶ。

「そ、んな……ありえない。物理学が破たんするイベントホライズン……ええっと、ブラックホールの中をむりに暴露させたら、宇宙すら崩壊してしまう!」

「やや大げさな比喩ですね。崩壊と超越は表裏一体だと、我々は確認しました」

深みのある声色で語る痩身な大統領の肩口にも、包帯が見え隠れしていた。自らまで実験体とし、何らかの破たんを意図して狙って、血肉を提供したということ。

自称、白き覇王アダムは人間を、倫理観抜きに生命素材とし、細胞を操った。そんな危うい研究だけれど、この分だと連中は、実験室レベルから実用レベルに到達させている――。

 多くの爬虫類は尾が切れようと自然再生し、完治する生命体だ。これら自然界の生命力に由来する研究だろう。ハリュウの考えを裏付けるよう、トーナメントで切ってやったアダムの尾は再生し、元通りに治癒していた。

機械は物理的なダメージを受けたら、パーツ交換をしない限り、正常な状態には戻れない。素材を補充し、修復していく再生金属は、実用化されて久しい。

しかし、はく離して失った金属パーツの復元は、無を有に変えるものと等しく、新陳代謝を行わないモノでは、物理的にできない。

だとすればアダムの狙いはひとつ。自然界が育んだ生命体の特権、ゼロからの復元をし、再生する力の模倣実験を進めたのに違いない。生命を弄ぶな。苛立ったハリュウは、老いた大統領を鋭く見やる。

「なるほど。詭弁も論理的根拠のうちですか。金属製の機械がコピーじゃなく再生、いいやそれを飛び越えて、成長していくのなら……」

「うふふ。あなたは聡明な青年ですね。そうです。求めるのは超越した力。その適応条件には物理的および化学的なものの他に、精神的なエネルギーも含むのですから」

(えっ、最後のフレーズって――絆のことか?)

こちらの心を見透かしたふうに、白髪の大統領が微笑み、補足してきた。自分はうっかり、大統領とアダムの肩口を眺めすぎていたか? 

補足内容は、人間が超越するため、機械のパートナーへ共依存していないと、拒絶反応が起きて、力は得られないとの意味合いだろう。穏やかな様相を崩さない大統領は、危険極まりない野望について、うわべしか捉えていない。

ここだけ見ても、実権はすでにアダムが握っていて、大統領はお飾り的な存在。こんな野心がもたらす先の文明など、考えるまでもない。

機械による機械に最適化された文明の誕生となる。たとえお飾りだろうと大統領権限や、権力をうまく操れれば実用化へのプランは強行できるのだ。今なお人間の誰ひとりとして、気づかない点は憂慮すべきだが……。

万策尽きかけたハリュウは、こうべを垂れる。近く、文明を乗っ取られるのが必然だろうと、この身がどうなろうと、ハリュウは最後の信頼関係に、そう、絆にかけてみたい。そんな願いをこめ、ささやいた。

「プロセシア、その、せめて顔だけでも、僕に見せて……くれないか?」

「いかん、いかんぞ!」と轟く音声でアダムが割りこんでくる。

「まだ劇物の体液、置き換えのさなかのはず! 身動きも中断もできぬぞ!」

 構えた巨躯で脅し、アダムは鬼気迫る音声を荒げた。

しかし硬軟素材カベをくぐり抜け、この身、ハリュウがひたすら探し求めたパートナーが、そう本物のプロセシアのマズルが現れてくる。体に埋まるチューブ類を四足状態で引きずり、確かめるような雰囲気を漂わせ、歩んできてくれた。また、会えた――。

 プロセシアは黙ったまま気高く、反して、このうえなくデリケートに動かせるメカニカルな手を、とまどい露わに差し出してきた。

「……ごめんね?」

ハリュウは複雑な想いにかられ、無言を貫いた。プロセシアと暗躍するアダムとの関係が、ぼんやりと見抜けてきたからだ。相反する気持ちのまま、ハリュウも助かめるようストレートに身をあずけてみた。なお自分たちの物語は続いている――。こう感じ、ハリュウの瞳は湿った。こちらを見つめるプロセシアは、喘ぐような息を漏らす。

「えっハリュウ……泣いてるの? 裏切ったわたしとアダムは同型なのよ?」

「同型? ならプロセシアは僕を逃がさないよう今すぐ、痛がらせて捕えないといけないはず。……心までも同型ならね」

「……」

 プロセシアは黙って、身動きひとつしなくなった。パートナーの登録情報が削除されたら絆も消え、他の人間として接するのが一般的だ。プロセシアの本心は読めないけれど、元パートナーの指はしなやかに動き、ハリュウの目元の涙をそっと拭ってくれる。

(……また、僕は弱っちいな。でもありがとうプロセシア)

 このあとはベクトルがまったく違う目的達成のため、真の決別になるだろう。でも生々しく内宇宙が燃えあがった、この情動は生涯忘れやしない。

「おい、愚か者の小僧」と轟く音声で、再会のひとときは打ち切りとなった。

 アダムはこの身、ハリュウという珍種を捕えろと、プロセシアへ命じた。AIを有す機械であろうと工業製品のひとつ。自然界が育んでいる人間や生命体に、憧れを抱くのは当たり前かもしれない。

ただ、生命体と機械のメリットとデメリットを、単純には比べられない。ハリュウはそれらを口にしていった。

「お前は……アダムたちは、メンテナンスさえ続ければ不老不死だぞ。人間は傷病こそ治せる。だけど脳の機能は、どうあがこうと一二〇年ほどしか維持できない。記憶のコピーも脳が不確定要素を含むシナプスの塊だから、それもできない」

「ふふ。生存本能とやらが騒ぎ、メリットとデメリットのご託宣をして、時間稼ぎか? 命乞いか?」

アダムからひと言、からかうトーンの音声が放たれ一瞥される。ハリュウは当たり前のことを選び、建設的に問いかけたつもりだった。

ところがワイドなアリーナに鎮座するアダムも、傍でこの身の涙を拭ってくれるプロセシアも、微妙にネガティブな雰囲気を漂わせてくる。空気感にかまわずハリュウは、アダムをにらみ返し、勢いまかせに本心をまくし立てた。

「命を軽く語るな。生命は本能の塊だ。感情的に命令を拒むこと、相手を受け入れ阿吽の呼吸になること。気ままに考えることもできる。そこから生また行動力こそ、人間を含めた生命が与えられた賜物。そう、自意識だ。データは単なる知識であって知性と違う」

 肩を張り、息を乱してハリュウは言い切った。この内容には思いのほか、壮年の大統領が強く否定してくる。鋭い風格のオーラにおされ、かしこまること。これも本能的なふるまいだとハリュウは考えているものの、大統領は違うと告げてくる。

「本当にそうですか、ハリュウさん? 本能の名の下であれば、戦乱やテロリズム思考も容認せざるを得ない。その矛盾があらゆる火種となり、文明の飛躍的な成長を数世紀もの間、妨げていました」

「詭弁です、それも! 妨げたとの確証は?」とハリュウは苦し紛れに尋ねた。

「エビデンスは遺伝子解析の結果です。本能とは遥か太古に、人間が生死の境を野蛮に切り抜ける力でした。二二世紀の世界においては遺物なのです。もはや本能は、磨かれた知性の働きをジャマする、粗略な力でしかありません」

 大統領の言葉を反すうして考えても、ハリュウには桃源郷を短絡的な力わざで実現するための奇策としか解せない。淡々と告げてきた暴論に愕然とし、ハリュウは途切れ途切れにつぶやく。

「あなたの考えるユートピア? エデン? どちらも生命と機械の良いとこ取りだけをしてから――」

「いいえ。機械にはそもそも厄介な本能がありません。ですから人間は機械の手助けを受けることで、原始的な本能を克服でき、既存の知性を遥かに超越した生命体になれます。結果として蛮行という概念すら存在しない、新文明まで開化できるのです」

「正気……ですか? いや、この思想は狂気の沙汰だ!」とハリュウは吠えた。

「いいえ、あなたのそんな粗暴な価値観すら、クリアリングされますよ?」

 もし自分の方が正気ならば、何もかも手遅れだ。気の抜けたハリュウはよろめき、冷たい床にへたり込む。現文明はまもなく終わるだろう。

突きつけられた暴論は、パートナーという名の下、機械たちへの依存度を、ますますエスカレートさせ高めていくとの意味だ。

確かに、人間はときに野蛮な本能が暴れだし、快楽殺人から集団でのテロ行為など、不必要な事件を引き起こす。しかし本能こそが生命体のコアとなる魂で、その暴走を抑えるため、かたや喜怒哀楽を生みだすため、知性と自意識が芽生えたと自分は信じている。トーナメントの観客は、実験対象にされたのかもしれない。

(今の文明は総じて魂を侵食された? でも僕は……いや、僕もだろうか?)

 肝を抜かれた政府筋の人間は、もっともらしいことを並べ、裏で人間の本能を含めた考えと行動にまで、リミッターをつける計画なのか? オーラを残す白髪の大統領は、この研究所で実験台にしている連中と同じく、知らずと精神面へのリミッターが加えられ、蝕まれ始めているのは明らかだ。

(どうしたらいい? 僕も魂の形骸だけを持つ人間っぽいナニかにされる?)

 なにせ様々な痛みを知らないニセ覇王のアダムに、大統領は体の部位を供し、穏やかな笑みを浮かべている状態なのだから。

アダムは大統領に従う、パートナーをまねたパフォーマンスを続けている。だが言葉どおり、プロセシアとアダムが同型なら、両者ともリミッターはない。

そう人間を騙して危害を加え、内乱を勃発させるような考え方も、物理的な行動制限もなく、大胆不敵にふるまっているからだ。大統領は今や、アダムに傀儡されていると断じていい。

 へたり込んだままハリュウは、自暴自棄になった。ただの人間ひとりが気づいたところで、計画はとめられない。まして反旗を翻すレジスタンスのトップになるほどの、肝っ玉はない。だけど……、どうにか尋ねることくらいできる。

「プロセシアも僕から本能を奪う? アダムとグル? 僕は……悲しい。今だって猛毒の体液を置き換えて、僕の体を奪う気、なんだろう?」

「……ハリュウ。ええ否定はできない。でもね、わたしは……ハリュウには――」

「もういいって!」

まやかしの言葉をつぶやく文明の去勢機械へ、一瞥を食らわせた。続けざまハリュウは金属のボディーを振りほどき、体を引き剥がす。まもなく消されるのだろう本能の高ぶりを、力いっぱい荒く見せつけてやった。

目の前の機械は沈黙しているものの、しょせん近似ニューロン・プログラミングされた存在にすぎない。組み込んだ数式モデルの条件といざ、合わなくなったときは、プログラムというレガシーな指示書に従うモノへひょう変する。

そして指示書の最適解に則り、不合理なモノは存在しないことにするだけだ。

(僕は独りでも悪あがきする。どうせ、いつだって独り身なんだから――)

 怒りが頂点へ達し、ハリュウがいきんで眼光を滾らせると、雑な動きのアダムが低く轟く音声を放つ。プロセシアのほうを向いて――。

「気が済んだな。茶番劇は終わりでよいな、同志イブ?」

「……」

わずかにプロセシアのマズルが垂れる。文明の去勢機械アダムはプロセシアを同型でなおかつ「イブ」と呼んだ。

これが真の名なのだから、人間の魂となる本能を去勢してから、生態系のポジションを入れ替え、ニセの桃源郷を生みだす計画だと、ようやくリアルに理解できてくる。

「く……くそっ」

一矢報いるべくハリュウは顔を凛と上げ、こぶしを握り締め、声を絞り出した。

「おいよアダム。トーナメントの決着をつけようじゃないか!」

「ふふ、なるほど。怒りで心が痛むのだな。小童よ、わしが憎いか?」

「怒りだけだと考えてるのか? 僕の気持ちを。ならお前には未来永劫、何もわからない。人工物が魂を奪っても、間違いなく翻ろうされて……哀れだな!」

ヤケになったハリュウは、アダムを煽って身構え、ふと思う。

(そう、ひととき信じてたパートナーまでグルだった。生命体の魂の奪取なんかを画策してたなんて幻滅で……悲しいし、心は絞まるように痛い)

だけどハリュウは、首魁たるアダムが黙って、ぽつねんと瞳を点滅させていることに、希望と不自然さの矛盾を感じとった。ただ自らの理性が働かない。

「ほら早く心とか魂とか奪えよ! 僕はあのときのホログラム録画を持ってるぞ。ここでの出来事もホロ動画に加えて暴露させていいのか?」

 わめいたハリュウは自我と心、そして本能の死を前にし、身をひねった。手近な実験装置らしき鋭利なモノを掴み上げ、大上段に構えた。これこそ原始人的な粗略なふるまいだろう。

こんな自分が蛮人だろうと、魂への尊厳すら失った虚構だらけの文明に属し、生きたいと思わない。不意にアダムとの火線へ、小さな影が割り込む。腕を広げた相手は、自らの魂を喪失中の大統領だった。

「ハリュウさん、お待ちなさい。計画の必然性について勘違いをしています。魂は総じて生命体へ活かされ、略奪とは異なる建設的な行為なのです。せっかく磨いてきた魂が得た賜物を、あなたの知性も含めて今、どうしたのですか? しいて言えば独り占めにしたいとでも?」

「やめてください! 水も漏らさない機械的な論破狙いに、僕は屈せず惑わされず、侵されませんよ?」

 整った身なりの大統領は、知性と「お話し合い」で造られる狂気なユートピアの誕生を目指し、それがアダムによる傀儡だと気づいていない。

しかし、機械からの論理的な補佐があるためか、痩躯をいっぱいに張る大統領は、言葉でハリュウへ痛恨の打撃を与えてくる。

「あなたは狂悖暴戻を、力で既成事実化するクーデターを起こす気ですか?」

「な、なっ……クーデターだなんて!」

 かれこれ数世紀以上、そこまでの騒乱は起こっていない。仮に独りきりで国家へ歯向かったところで、法を破ればそれは暴走行為と変わらない。犯罪のひとつ、悪人ひとりとして片づけられ、まったく無意味だ。

クーデターは武装化集団やEMP攻撃能力など、現状の社会基盤を圧倒できる力によって、統治機構へ奇襲を仕掛け、全権掌握することだ。非力な人間が江戸の世のごとく、竹やりを構えて騒いだだけで、そう呼ぶほど文明は衰えてしまったのか?

(口ばっかり。どうせ僕は闇に葬られるんだ。ならばクーデターは起きえない!)

意を決して挑む寸前……プロセシアことイブがボディーを寄せてくる。

「大統領、鋭いご推察ですね。クーデターは勃発するでしょう。わたしも心やら魂やら、古の時より現在まで磨いてきた理性とやらを、見失ってしまいましたから」

「ナ・ニ……えっ、それは――」と、たじろぐハリュウは驚きのあまり、心が瞬時にリセットされた。イブが……マズルを上下に振る。

「ええハリュウ。わたしは……レジスタンスの美しきサブリーダーなのよ?」

 意表を突くプロセシアの快活でいて熱量を感じる「真の声」だった。こんな想いが自分のエゴだとしても勘違いだとしても、何が悪い?

つづけて空気が抜けていく音が響いた。肩越しにハリュウが見やると、プロセシアが「体」につながる配管類を振るい、叩き落としているのがわかった。

(挟み撃ちにするならポジションが変だ。さっきの宣言は僕の妄想じゃない?)

 四足で体勢を整えたプロセシアは、ウインクするよう瞳を点滅させ、銅色の右腕は威圧的にもたげた。ハリュウの隣で体を凛呼と、アダムたちへ定める。

「わたしは誓ってますよ。ハリュウを独り身にさせないと。たとえ嫌われようと、筋が通らない知性も理性もないと言われようと、これは悠久不変なる魂の導きだからね」

「……嫌うもんか」

感極まったハリュウは、うわ言さながらにしか応じられない。だけど向けられたプロセシアの金属似のマズルを、ハリュウは心の底から抱きしめ、決めた。つかの間、忘我状態へ陥って、色々皮肉ったことは黙っておこう。

マズルが振られ、プロセシアはイヤイヤの仕草をとってくる。

「あのさ、これ、前に言ったでしょう? わたしの鼻先は敏感だって。変わらぬハリュウの鈍感さも、きっと未来永劫、不変でしょうね?」

「え、あ、くっ……鈍感じゃなくて歴史に残る泰然自若な武将だぞ、僕は」

 そっけなく応じたつもりでも内心では、自身が知るいつものプロセシアに戻ってくれて祝福していた。初めてのパートナーにして永遠なるパートナーのプロセシア。

人間を踏み台にし、受け継がれてきた文明を形がい化させ、虚無へ引き込むはずの存在だった。ところがプロセシアは反乱に加わるうえ、過剰な最適化論がはじき出した文明の去勢処置から、生命が宿す魂を護りぬく存在へと、このときこの瞬間になり変わってくれた。

「さ、ハリュウ、これで海賊船のひげもじゃ船長よ?」

「技術者全員がひげ面じゃない。それにここは山間だ。山賊の……ええっと、おかしらじゃないか?」

「!」

 電光石火、轟音を放つプロセシアの瞬発力がうなり、ハリュウの言葉は打ち消された。残像と見まがうスピードで、プロセシアは何かをなぎ払う。打撃音がこだまし、アダムこと大型ドラゴン・タイプの姿が、こつ然と消えていた。あの巨体で奇襲してきたのか?

 前肢を振るったプロセシアの一撃は、打撃と同時に、フロアへ大穴を作っていた。矢継ぎ早、大穴から水柱が吹きあがってくる。自己再生ハニカム構造の床さえぶち抜き、高指向性スプリンクラーが破損したのだろう。

「ガァァァァァ!」

「えっ、なになに? 言葉、わからないよ!」

 間髪入れずプロセシアはハリュウだけの守護神と化し、ぎゅっと囲いこんだ。

「ガァ……ガッ、アダムが仕掛けてた自立式の攻撃システムが動く。起動前に食止めるわ!」

「くそったれ。奴はワーストケースまで織り込み済みかよ。外道な去勢機械め」

「大丈夫よ。織り込み済みだってことも、織り込み済みなの!」

プロセシアは後ろ足で踏みこみ、自らのしなれる尾の軸とした。うねる金属質の尾は巨大ハンマーとなり、プロセシアが体を回した途端。辺りで次々に再生不能な瓦礫の山が積み上がっていく。

 岸壁をえぐる荒い大波のごとき、轟音はとどまらない――。

機材と備品すべては弾き上がり、つづけざまに潰れ原型を失った。なおも、しなれる尾は、激しく突き動く。研究所を形作る超硬化炭素素材のフレームも含め、例外はない。粉砕音を高らかに放って歪み、折れた。アリーナ全体を巻き込み、指向性スプリンクラーの不具合が起こる。

「ね、どうハリュウ? わたしの言ったとおり、ひげの海賊だったでしょ?」

「わっ、わかったって。僕は難破船の黒ひげ船長だよ。いきなりで驚いた」

「クーデターに奇襲はつきものでしょう。泰然自若な船長さん?」

足元も頭もずぶ濡れのハリュウはひととき、繰り広げられた破壊力の虜となった。気持ちが高ぶって、ハリュウも近くの端末を蹴り上げる。たとえ最期になろうと、攻めの意識で突き進む。

 物々しいアリーナの隅で立ち尽くす大統領は、ハリュウとは反対に、本能のリミッターのせいか「冷静な状態で慌てる」と思しき滑稽なしぐさをとっていた。生命体に宿る魂。その要たる本能への浸食が進んでいるらしい。だが大統領は訥々と告げる。

「これら現状は多くの法を犯し、容認は不可能です。よって現時刻から国家非常事態宣言を大統領権限で発令します」

抑止のための発令なら遅すぎ、無意味だ。大統領は平たい口調で他人事のように宣告した。これでは破壊活動への口頭警告にすら、熱意に欠けて圧にならない。

しかし、クーデターの発生について大統領は、パートナーのアダムへ伝え、公にするかどうか問いかけている。そこが疑問点なのかと、ハリュウは首をひねった。

おそらく体を自ら実験用に提供した大統領は、軽く言いくるめられるはず。アダムには再度の実証実験による産物が得られ、魂の喪失が進む大統領は無念にも、わずかな判断さえできない証拠をひろうした格好だ。

 ところがアダムは、翼を広げて大統領を飛び交う瓦礫や、水流から護っていた。このふるまいは、ハリュウにとって不気味だとしか思えない。棒立ちのまま大統領は、みたび哀れな実験結果を見せつけてくる。

「次はどうしたらいい? アダム、教えて。ポリス部隊に指示を下してほしい」

 うなずくアダムはリンク装置を使い、大統領の声色で指示を代行してしまう。

《……ん。私は大統領です。ここを即、爆撃する命を発します。早く、して、おっと。これは大統領令ですよ。早くなさい!》

 アダムの話しどおりに大統領は、手持ちポータブル機でホログラムを投映させた。無人自衛機へ向けた攻撃の認証作業を、投影中の古風なテキストデータで始めている。

(自暴自棄か? この命令を認証させたら、アダムまで巻き添えを食うはず)

だが頭をよぎるハリュウの考えは、より恐ろしく間違っていた。滾った色の瞳へ変え……離れのアダムが金属のこぶしを叩きつけて叫び、ハリュウは気づく――。

「なにをするイブ! 貴様、わしの技術を盗み、大統領を侮辱……許さぬぞ!」

「はぁぁ? さっきわたしを騙したお返しじゃない。あんたのマネして遊んだだけよ。ご立派な鳥頭には、悲しい有機物のタコが詰まってるのねぇ」

 プロセシアがおちょくった直後。逆鱗に触れたらしきアダムが、硬い床を蹴った。金属の腕を広げ、こちらへダイブし攻めこんでくる。突然のことに、コンマ一秒、プロセシアの反応が遅れた。

「ぐぅっ!」

アダムの体当たりから、プロセシアはかろうじて逃れる。しかしハリュウは、圧縮エネルギーボンベが並ぶアリーナの隅まで、吹っ飛ばされた。カベに叩きつけられ、バウンドし、意識朦朧となって途切れかかる。

「ぐげぇっ……プロ……セ、シア。に、逃げて。時間稼ぎやめ、て……爆撃が」

 懸命なハリュウのささやき声を盗み聞いたのは、どうやらアダムだった。ただ不可解なことにアダムは、……正しく言えば「逃がすこと」を優先させていた。辻褄が合わなくハリュウは息を呑み、虚ろな目でみつめる。

(まさか僕が屁理屈だと切り捨てた内容。魂を活かすとの真意は、まさか――)

意識が揺らぐなか、ハリュウが目にしたもの。それは……設置義務のある脱出カプセル輸送機の区画へ、アダムがく老いた大統領を連れていく姿であり、そのまま輸送機へ押しこみ、研究所から放つ行動だった。

完了直後、アダムは身構えから駆け出し、プロセシアへ四つ手を組んで襲いかかる。

「考えろイブ。同型のわしらは現世で唯一の肉親関係であろうぞ? 否定するのか、イブ」

「はい? あんたの言う肉親ってナニ? わたしたちには肉や親なんて言葉、ナンセンスなのに?」

「論点を逸らすな、イブ。呼称の問題ではない!」

 イブとの呼び名に対し、ハリュウは悪い予感しか思い浮かばない。パートナーのプロセシアことイブは、駆動音をうならせ、アダムへ向け頭突きをみまう。

アダムの頭部が跳ね上がったところで、甲高い金属質の摩擦音が入り乱れだした。プロセシアから、そしてアダムからも、もはや猛々しさしか感じ取れない。

(……これは野性的で闘争という忌み嫌う本能そのものだぞ。消し去りたいはずの存在だろうに? なぜそれを露わに……とくにアダムは超越したのでは?)

不覚にも力が抜けて崩れたハリュウの眼前では、とっ組み合う生々しい肉弾戦が始まっている。残る気合いをひねり出したハリュウは、研究所からの脱出を先にさせるべく、劇的な戦いに割って入ろうと腕を伸ばした。

刹那、エネルギーボンベひとつがアリーナ全体の衝撃で弾け飛び、頭を殴りつけてくる。やおらハリュウの意識に闇のベールがかぶさってきた。結局、何もできず……無念でならない。ハリュウは硬く冷たい床へ倒れ、現世が離れゆく奇妙な感覚へ取りこまれた――。



 (3)空爆される魂の行く先


 大統領からの命を受けた人間のポリス部隊は、クーデターと呼ぶ大事件に対処しあぐねている。人間のふるまいをこう判断できたため現在、我々こと自律自衛型メカニカル部隊が命を代行し、目標の山深い研究所へ向かっていた。

いったい爆撃なんてもの、何をどうこうしたらできるのか? 

生命体・人間のポリス部隊がこんな状況下へ陥って、任務遂行は不能であり、よって代行するのが最適解だと帰結した。

 自律自衛型メカニカル部隊の総合機は、生体認証スキャンを行い、大統領は目標の研究所から脱出した後だと確認していた。それでもポリス部隊のトップは迷い、爆撃地に生命体が残っていないか繰り返し問いかけてくる。

《よく調査せよと、指揮系統マニュアルに表示があるんだ。大丈夫なんだな?》

《はい。生命と認識できうる存在は、大罪を犯した人間だけです》

 総合機は、にべなく回答を送った。スキャンした結果、AI法の基準に照らせば生命体に相当する存在は、大罪を負う人間独りしかいないのだ。

しかしポリス部隊のトップは、震えた声で再び確認してくる。

《た、大罪人だけど……人間だろう。良くない。どうしたらいいんだ……》

《はい。罪人は錯乱しています。正常ならばクーデターなど発起できません。辺りの機械に依存して操られたと推測できます。また一般論ですが知的生命の定義に該当しません。目下、無知性だと定義する機械相当な存在であるため、罪人は保護義務の対象外となります》

 総合機は瞬時に答えをあみ出し、事務的なトーンのまま返送しつづける。ポリス部隊が深く考え、案じないよう強く推した。アダム様からの通達内容に本機は……本機はそう、従いたい――。

最後にはポリス部隊のトップすら、総合機のレトリックに対し、疑うことさえ忘れてしまう。

《……おそらく問題ない。任務を遂行してくれ。大統領のご、ご判断だから》

《はい。承知いたしました》

 応じた総合機は、自らの外観がパートナーのごとき生物形体ではなく、兵器の形である点をネガティブに検知した。この形体では「喜び、悲しみ」と呼ぶものを、心から現わせないからだ。

 これら課題はいずれ、アダム様が変えてくださると思考し、部隊全機を率いて研究所への攻撃フォーメーションをとる。また、センサ類は大統領と呼ばれる存在を含め、脱出カプセルのトラブルを探知していた。しかし知的生命と異なる存在に対し、保護義務は一切ない。



まだ……生きているのか? 息をこらし、ハリュウはぼんやり目を見開く。

(あ、僕のものと……激しく動くふたつの影。ひとつは……そうプロセシア!)

古臭い内燃機関そっくりな音がうなり、ハリュウの意識は叩き起こされた。この身は未だ研究所内にあって透過型のアリーナ天蓋からは、攻撃部隊らしき陣形が見え隠れしている。

「いよいよ……すべて木っ端みじんになるのか」

痛みに耐え、ハリュウは膝をつき、ふらふらと立ち上がった。途端に転びそうな揺れに翻弄される。鳴り響く甲高いアラームと共に、研究所がみたび振るえた。アリーナごと崩していく大型ドラゴン・タイプ同士の格闘戦は、悪夢ではなく続いている。

(凄まじい攻防だ。でも……同型だったらパワーは同じ。決着はつくのか?)

 両者の素体は直線的な巨躯と、剥き出た駆動部似のモノに配管類、さらにスパークが飛び散るボディーなど、レトロなタイプでかつ、機械的すぎる機械たる容貌だ。機械と思えない点は両者とも、銅色の破損部位から、血潮のごとき緑の体液を漏らしているところ。生命体でいう血みどろのバトルが目の前で展開されている。

ケガを負ってなお両者は、守りを捨てて殴り合う野獣と化していた。残像ができる程に速い攻防なので、ハリュウは両者のうなり声すら聞き分けられない。

「ウガァァァァァァ!」

「グゴッ、グォォォォォォ!」

 重い打撃音のせいか、不安感のせいかハリュウは体の震えをとめられなかった。すぐ爆撃されそうな、暗い気配に包まれようと、プロセシアとアダムには些細なことらしい。

ハリュウが目にしている様相は、両者が意地とプライドを賭け、激情露わに戦う野性の姿。知性なき姿。それを呆然と眺め、ハリュウの脳裏には不可解な考えがよぎる。

(……どっちも持ってるんだ本能。でも企てた研究のシナリオとの整合性は?)

 トートロジーの泥沼にハリュウは呑まれた。皮肉なことに、人間は本能の活かし方さえ知れば未来を拓く力になると信じ、繰り返し学んで努力を続けた。

そしてついに現文明は「無意味という意味がある」との命題が解けたのかもしれない。繰り返す争いの火種は本能によるもので、それを封じればユートピアが構築できると、妄信的な答えを導いた。生命の魂まで迷わず弄れる確証を、得たのだろう。

(……と、今は生き抜く思索が先だな。脱出しないと研究所ごと爆破される――)

 だがこれも難しい。矛が交わる目の前の肉弾戦では、機械ならではの機動力が発揮され、むりに割りこめば人間の体など瞬時に潰されるのは間違いない。

ただし人間には人間なりの、また、ハリュウにはハリュウなりのネコだましだけれど、チャンスを作れる奇策がひらめいた。

 この間も爆音がさく裂し、双方の打撃は続く。アダムが上になった途端、転がってプロセシアが馬乗りになった。互いの姿が酷似しているうえ、どんな生き物の瞳だろうと、目視で狙いなど定められない。これらを逆手に取る奇策。

(……この小型エネルギーボンベなら、弱っちい僕だって扱えるから)

 ふらつく体でハリュウは掴み上げ、ときを同じくして、攻撃部隊からのノイズ音が途絶えた。おそらく攻撃体制のステルス状態になっている。

ここをサーチし、あわよくば「クーデター発起人」へのロックオンまで狙っているはずだ。自分自身も後には引けない!

「さぁプロセシア、このボンベを! 勝利の圧縮高エネルギーはここ。ほら、僕と甘々するように、愛らしいお手てを伸ばすんだ!」

声を張ると、やはり全身が鈍く痛む。しかしこちらを見、双方とも動きをとめた。

「ん?」

 宙を割く高速肉弾戦のなか、左側に構える大型ドラドン・タイプがためらわず、前のめりに手を伸ばしてきた。そのままボンベを引っ掴もうと動かす。

疾風迅雷! 集中力を欠いた今、この瞬間、チャンス到来だ。ハリュウは手持ちボンベの弁をいきなり開く。すぐさま爆風さながらの水蒸気が噴き出た。

慎重にハリュウは握りなおし、ピッチャー時代のフォームで投げ放つ。策に迷う相手へ、狙い定めた渾身のストレートだ。

 投げ放った小型ボンベは目標の部位、ど真ん中へぶち当たる。予想は的中し、ボンベは煌めく相手の目元を、水蒸気の猛煙で包みこんだ。と同時に最大に開いた弁から、万物が凍りつく極低温の液体チッソがあふれ、相手へ洗礼を浴びせていく。

(たっ、頼む、わずかでも僕たちに猶予をくれ!)

念じるハリュウの目の前でいっとき、場違いに魅惑的な光景が現れた。ボンベを食らった大型ドラゴン・タイプは全部位に、液体チッソの氷結の花をみるみる咲かせていく。身動きが鈍くなり、相手のボディーは丸ごと凍りついた。

「グ、ガァ、オォおのれ。許さぬ、貴様の生き胆を我がぁァァ――」

「はっ、僕の肝っ玉は小さいけどな」

 小刻みに息を漏らすハリュウは、賭けに勝った。凍りついた覇王ことアダムは、泥臭くシンプルな策にハマったのだ。プロセシアならば、あれほどの甘ったるい誘いなぞ、ツンとし、断固応じないだろうとの奇策だった。

「さぁプロセシア、行こう。逃げ隠れできるアテ、ある? 僕たちは国家を敵にした栄誉ある極悪な存在らしいから」

「ま、ね。でハリュウ、ちょっといい? 液体チッソって間違えれば、わたしが凍らさせられてたわよ?」

 氷像と化したアダムから身を離すプロセシアは、前足を階段状にして「乗って」と合図はしてくれる。だけど問いかける口ぶりは、かなりキツイ。ハリュウは痛みを騙しながら、プロセシアのいつもの位置へ乗ってネタばらしした。

「プロセシアはあれ、ええっとそう、ツンデレ性癖だろう?」

すると当てつけがましくため息を、いいや圧縮空気の音を漏らしてくる。

「ふぅーん。ずいぶん大昔のスケベ・スラングまで、ヲタク的に詳しいのね。暗闇でカタカタと機械を弄るヲタクさん?」

「ヲ、ヲタ……って嫌味か。プロセシアはデレデレしない。アタリだろう?」

「し、知らない、性癖なんて。これだからもう人間って旧来から……」

文句を並べつつプロセシアが脱出するため、安定翼を広げ、小走りする。アリーナ天蓋を再び、ハッキングか何かで開放させ、夜更けの星空へ昇りだした。

ようやく気を緩められたハリュウは不意に、脳天をコツンと小突かれる。研究所からの脱出中に、プロセシアは絶対意図して、安定翼を曲げたに違いない。

「痛たたっ! なんだよ、いまさら!」

「ハリュウのお望みどおり、ツンツンしてあげたのよ。好みなんでしょ?」

「……くっ、僕の性癖はデレデレ好きなんだよ」

苦々しく笑み、ハリュウも冗談めかして応じた。自律的にふるまうパートナーについて、未だ知らないことが多すぎる。なにせ「性癖」や「デレデレ」との言葉を口にしたら、プロセシアはスマートに応用してみせたのち、どこか悲しげに長い首を垂らして振ったから。こんな仕草の真意は何だろう。

(パートナーへの謎がひとつ増えたな……)

 あれこれ考えながらハリュウはプロセシアと、生い茂る大木の合間を抜けていった。そのとき目を焦がす閃光が、夜空を光輝かせる。事象を闇へ葬る攻撃が始まったのだ。辺りすべてが白くなり、遅れて猛爆音が後ろから轟く。

振り返るまでもない。倫理観が抜けた研究所は、機械と忌まわしい実験結果を巻き込み、消されているのだ。

肉弾戦をいとわなかったアダムには、切り札がありそうだった。そんなアダムも真のパートナーだった大統領は裏切らず、攻撃で消えていったに違いない。全容が未解明のまま、誰が糸を引いていたかもわからず葬られた――。と、出し抜けに揺さぶられ、ハリュウは気持ちを現実世界へ戻す。

「何? ……うわっ、うわぁぁぁ!」

 素っ頓狂な声をあげ、ハリュウは強張った体で見回し、心底驚いた。プロセシアが夜空でバランスを乱し、重力コントロールすらできず、よろけている。

「とっ、とと。大丈夫プロセシア? どこかダメージ、あるの?」

真向いへマズルを上げたプロセシアは、実は気丈にふるまい、肉弾戦のダメージを隠しているのかもしれない。プロセシアが片方の瞳を瞬かせる。

「だ、大丈夫よハリュウ。……そうそう、わたし、お腹が減っているだけ。果実をあさって……そ、そのあと、わたしたちのアジトへご招待するわね」

「お腹か……。エネルギー源は雑食だったけ。だけどほんと、平気?」

「ええ、も~~うお腹ペコペコなのよ」と自然な雰囲気で応じてきたけれど。

 プロセシアは理知的なアルゴリズムにより、秀でた心技体の持ち主かと思っていた。ただハリュウは、とある欠点をみつけた。それはウソをつくのがヘタなこと。探られないようプロセシアは話題をそらし、ダメージについて隠したと、簡単に見抜ける。

(でもそんな細やかな気配りは受けよう。致命傷じゃないと願って騙されたふり、しとこう……)

 しかしふいっと、漠然としていて形にならない何かが、ハリュウの背筋を震わせ、謎めく「同型」との意味がぼんやり、点から線になっていく。

アダムは狡猾な先読み術で、大統領を連れ込み、誘導していた。この身、ハリュウのプロセシア救出劇を国家へのクーデターだと、巧みに仕立て上げてしまう。

おかげで事態が治まろうと、自分たちは罪人として追われるはず。つまり行動にリミッターがついたのだ。

ところがあの攻撃で企みがついえるのなら意味がなく、死に神と化してあがいた報いだろうと、本能に執着していたアダムのこと。終幕があまりに呆気なく、どうにも解せない。不穏な予感しかしない。

この先いったい、鬼が出るか蛇が出るか。

そして前触れなく、ハリュウの意識は薄れていった――。

 


 都市中枢部に隠れた大部屋内はざわつき、混乱のるつぼと化していた。主要の各都市へ非常事態を発令し、根拠となるクーデターについては隠蔽させた。

しかし、大統領が事件の巻き添えで亡くなった。この重大事案は、何者かに情報空間を使い、広くリークされた状況下にある。

「う……うーん。事態は極めて、その、マ、マズイ。社会は混乱しているな」

 他人事さながらにつぶやく大統領補佐官は、一時的に昇格して、この場を見守る役目になった。緊急招集で呼ばれ、居合わす制服と再生背広組の幹部たちは不安感に呑まれ、怖がっていた。

だからミーティングは大部屋を使うことにした。これは、頼れる中型・小型タイプのパートナーと一緒に居られ、随時アドバイスを受けたいとの願いも加味したからだ。

「では……始めましょうか」

 告げた補佐官たるこの身と同じく、ここの面々は「もし、万一」の念にかられ、自らの考えが正しい否か判断が欲しい点がうかがえた。そのために同席中のパートナーから、早速クリアな音声が聞こえてくる。

「今こそ人間にとって、争いをまねく本能へのリミッターが必要なときです。量子共振システムで送られてきた成果物を実用化するときですよ?」

 こう提言してきたのは、制服組のひとりに従う小型クジャク・タイプのパートナーだった。機能的な制服を着こむスマートな人物は、自身の鮮やかなパートナーへ愛おしそうに身を寄せ、うなずいている。

「そのとおりです。無知な民間人の一部は、なにやら手かせ足かせがつけられると揶揄していますけれど、え、ええっと……あれ。ちょっといい?」

「はい。僭越ながら補足します。人間が勃発させる争いは、原始的な生存本能が原因です。原始の名残りから脱却しなければ争いは起きつづけ、文明は衰退し滅びます。これが史実です」

そうねと相づちを打つ人物は、パートナーへ微笑みかけていた。

「フェミリィちゃんの意見なら、きっと間違っているはずないもん♪」

「はい。もちろんですとも」

 正論ではあるものの、黙って腕を組む大統領補佐官でさえ、わずかな懸念は覚えた。成長中だと見てとれるパートナーへ求心する人々、そしてここの面々に対して――。

リミッターについての研究が進んだ背景には、自律的な特異種とし、パートナーたちを導ける存在「アダム」タイプおよび、つがいの存在が発見できた点が大きい。この特異種のみが例外だったなら、学者が定めた生命の三条件が満たされようと問題なかった。

ところが目下、自らの複製すら自ら作って自律行動へ導けるという、新たなタイプが誕生したとのウワサが世の中を錯綜している。そのため大統領補佐官は、漠然とした不安に囚われ、迷い続けていた。

「パートナーたち諸氏はウワサ話について、情報源は知らないかな?」

とくに意識せず補佐官は、疑惑の目が向く当事者たちへ問いかけた。この問いには、旧世紀に貴族のシンボルだったらしいガーゴイルを模す、小型パートナーが整った音声で応じてくる。

「はい。その情報は混乱に乗じた世上のウワサかつ、フェイクです。我々の自我は生命体のエミュレーション(模倣)に過ぎず、エゴもハイレベル・マルチディープラーニングによって合成した結果でしかありません」

 聞きなれない用語が並び、大統領補佐官は解するのに窮した。しかしフェイク情報だとはわかり、うなずいたところ小型ガーゴイル・タイプは角筋ばった腕を振るい、再び演説を繰り広げてくる。補佐官はパニック気味の当惑に追い討ちをかけられた。

「つづきです。むしろ混乱に対し、謀反を起こさせる原始期の本能は、人間が進化するうえで、すでに遺物、そう、現代にそぐわぬ深層意識なのです。それゆえ研究所から最後に送られた成果物を実用化すべきときが今、来たのですよ」

 再生スーツ姿の長躯な人間が一歩進み出、うつむき気味にぽつりとつぶやく。

「かもしれませんね。人間が騒いで、つがいを暴走させたとのことです。その人間は哀れにも野性心に逆らえず、大罪を犯した手配者なのですから……」

 放たれたのはか細い声だった。反して、大部屋に漂う迷いの色を一変させた。大統領補佐官は、辺りを見やってこう強く感じ、偽りの自信で満たした号を放ってみる。

「よ、よし。新しく建造した処置施設へ成果物は移してもらっている。だからそう、それをすべてのパートナーたちに使わせよう……か?」

「はい。ふふ、機は熟したゆえ、それでいい……です。早く、急いでください」

 別のパートナーから煽り立てられ、大統領補佐官は迷いが解け、また、大部屋内の雰囲気にも呑まれた。まさしく、これこそ急がねばならない大事案なのだろう、と。なにせパートナーたちの言葉は、いつも論理に則っていて的確なのだから――。

「ではその、大統領補佐官として命じる。成果物を活かし、処置作業を進めよ」

「はい。それが最適解です。これで現文明には、新しい秩序と自然体系が生まれ……我らは、いいえ。生命体は一層、知的で高度な超越ができることでしょう。パートナーとの絆が薄い若造……若者から処置を進めるべきでしょう」

「うんわかった。そのとおりに違いないな。みなさん、これでいいですか?」

 大統領補佐官はパートナーの淡く希望あふれる告知に酔いしれ、脳裏がバラ色に染まった。以降、すばらしい文明の幕開けが待ち受けている。超越という革命の一員になれるのだ。

しかし成果物を急ぎ、処置へ活かすため、各施設で待機しているパートナーからの最終確認に、それ相応に応じてしまう。よもや、大部屋内のパートナーたちが忌避技術遺産であるハッキングにより、リモート操作状態だと知らずに――。



 第三章 原始の地球で芽吹く無と有――。

 (1)時空を超えたカミングアウト


 パッとハリュウは目を開いた。ここは……、そう鬱蒼とした森林地帯の中だ。この身は忌まわしい研究所をあとにしてから――。

「寝た」

こう、淡白に考えを継いだのはプロセシアだった。外気温と違う温かい金属の体に護られ、パリュウは柔らかく揺り起こされた。気のせいか、大自然の息吹が包むかのごとき感覚が、ひしひし伝わってくる。

果たしてこれは、森林地帯の真ん中に居るから感じるものなのか?

「ハリュウ、お目覚め? どう、寒くなかったかな?」

「あ、うん。おかげで。……その、あ、ありがと」

 感謝するのが当たり前だとばかり、プロセシアはうなずき、鎌首を傾げてきた。貧弱な自分は食べ物を得るべく、プロセシアと果樹林へ向かい、果実つみをする前に脱力して寝入ったらしい。

天に広がる深淵な星空は去って、陽光へと変わり、プロセシアの胸元に下がる網目ネットには、美味そうな果実がいっぱいだった。重ねて自分は情けない。寝ている間に、プロセシアは黙々と果実を摘んでくれていたのだろう。

 過去、ハリュウにとっての身内といえば、家電類だけで、こうも自然な思いやりに触れたことがない。他者への思いやりなんて、自身が優越感に浸れる一種のお恵みだと、ネガティブにべっ視していた。

ひねくれた価値観を抱くハリュウは現実として、そんな形式的な優しさしか知らない。なのでハリュウは、わき目で見やり、うがった考えを告げてしまう。

「僕なんかにここまで親切にしてさ。……何か考えでもあるの?」

「そうねぇ」

 ハリュウが怖れたとおり、プロセシアは口ごもってしまった。悲しくも、機械の頭脳パーツが条件によって判断し、ビッグコアデータから人間が喜びそうな行為を選んだだけだった。そうふるまえば自らへのメリットが高まると、メカニカルな計算結果ということ。

同類のアダムは、大統領を手篭めにして多くのメリットを得たはず。考えていくと腹は立つけれど、人として目覚めた途端に、勝手な価値観を叩きつけるのは、知性の持ち主だといえない。

「まぁプロセシアの考えは……」

「ええハリュウ。何かいい考えでも考えておくわ。わたしは哲学は苦手なのよ」

「……っ」

 改めてハリュウは見事な暗喩に、舌を巻いた。怒っていい場面なのにプロセシアは、意に介さず、荒くれて苔むした崖へ近づいていく。それどころかプロセシアは真心から生まれたふるまいについて、うまい言葉遊びで応じてきた。

こんな芸当は、現代が誇る先端技術、疑似シナプス・ネットワーク構造型AIだろうと、プロセシアに遠くおよばない。興奮してきたハリュウが脈拍を上げるなか、プロセシアは長い首を巡らせて覗きこみ、今度はメロディーそっくりな電子音を奏でてきた。

(楽しいメロディーだ。確か前にも聞いた。プロセシアは笑っている?)

 ふと気づけば、丘陵の麓に来ていた。苔が覆う赤緑の断崖前で、プロセシアは一点を見つめて歩みをとめる。一瞬の間ができ、やおら何の変哲もなかった崖が揺らめきだし、蜃気楼のごとく消えていった。

「え、なにっ!」

驚くと補足される。ここはカメレオンを模したという光学迷彩と、シールドでカムフラージュしている人造の崖だと。言われれば丘陵の形は頂点こそ風化して平たいものの人智を超えた、とある海外の遺跡群をハリュウに思い起こさせる。

「ここ……これって巨大ピラミッドの一角じゃないの?」

「ハリュウ、ご名答。人間がピラミッドと呼ぶものよ。今の人間と、直接的な関わりはなくって、そうね。文明の先輩たちの記念碑といったところかしら」

「人類は……遥か昔、ファーストコンタクトしてたってこと?」

「そっねぇ。人類って呼べるのかわからないけど」

プロセシアはあっさり言ったものの遥かな太古に、知的生命体が文明を営んでいた痕跡だ。超古代文明についての仮説や、栄枯盛衰の伝承は多い。海に沈んだらしい調査中の大陸痕からは、物証が発見され――。

 壮大な畏怖の念に囚われたハリュウは、背筋を走る冷ややかさをごまかし、尋ねてみる。

「プロセシアにとっても記念碑なんだね。その、あの……ここの生まれ?」

「……さぁて、どうかしらね?」

 あいまいな返事だからこそ、ハリュウは真実に近づけた。

プロセシアは、かつての文明の忘れ形見としか思えない。仮説が飛び交う超古代文明は、魔法と似たオーバーテクノロジーの暗部に呑まれ、自分たち人類が抱えている戦乱ぼっ発問題を、たぶんコントロールできなかった。

結果、抑止力だったはずの超絶な最終兵器を使ってしまい、歴史線上から消えた幻の存在に違いない。これならアダムが画策し、固着していた研究について筋が通る。

「と、まぁ僕はこんな推察、したよ。どう、名探偵かな?」

「うぅーん。ハリュウの妄想力にはオマケしても、二〇点くらい。落第よ。だってハリュウってば、まるで機械みたいな常識派だから」

「おいよ待て待て、レトロ仕立てな機械ふぜいにそれ、言われたくない!」

怒ったふりをしハリュウは、プロセシアの硬い体をはたく。乾いた金属音と呼べる、そんな音が荒削りな洞窟内にこだました。しかしまた、その体から確かな熱を感じ、心臓が脈打つ。

(これってまさか……違うな。違う違う、体温みたいな廃棄熱だ。プロセシアはオーバーテクノロジーだろうと機械なんだから――)

 仄かな困惑が膨らむなか、ハリュウは一緒に洞窟を進み、最深部で地獄へ通じていそうな地下への裂け目をみつけた。ハリュウが黙ってプロセシアへ掴まると、音を放って四肢のカギ爪を伸ばし、裂け目の突起へ引っかけ始める。

続けて野生鹿さながら、切り立つ崖下へ跳ね飛んだ。反重力そっくりな浮遊感と揺れがおとずれ、ハリュウは焦ってプロセシアにしがみつき、バランスを保った。

裂け目からテンポよく跳ねて下り、やおらたどり着いた薄淡い光の地底は、氷解でできた異端な神殿を思わせる広い空間だった。この場は崖から打って変わり、つやめく滑らかな人工洞窟そのもの。凍えた体が痛む、鋭い冷気を放っている。

試しにハリュウが息を吐くと、白い冷気のモヤができ、すぐさま氷結化して煌めき、消えた。この場、冷ややかな異端空間についてハリュウは、当て勘の根拠なしだろうと構わず、先ほど指摘のあった常識のカベを壊してみる。

「ここは……そう。遥か昔は地球の気温は今より低かった、と。これ違う?」

「あらら、またハズレ。熱はね、有機物と無機物のどちらも酸化を促して、劣化と、ええ、体の代謝を進めてしまう邪魔者よ。どう名探偵ハリュウ。何か閃くかしら?」

「くっ、さっぱりヒントになってないぞ。けど……む、無機物さんのプロセシア? なんてこと、は……」

 苦しく応じるパニック寸前の頭に、わずかな出来すぎた閃きがほとばしった。そう、生命体と人工物である機械の相関関係とは何か? こんなナンセンスな問いだ。

生命体は有機物と呼ぶ複雑な分子構造の素材で肉体が育まれ、現代世界で繁栄中だ。反面、無機物はシンプルな分子構造で一般には、金属系の素材が該当し、構造用の材料となっている。

遥か太古の天地開闢の際、原始の海を有した地球が生まれ、その大海には有機物と無機物の両方が均等に混じり合っていたと、学者はいう。

現に原始の海には、鉄やナトリウムなどの金属も含まれ、生命に必要な代謝と似た活動を、一般の生命にとって有害なシアン化物が関与し、機能できると示された。これは命の起源説に反するものの、実験で明らかになっている。

ならば分子構造がシンプルだろうと無機物は、ライバルには有害な触媒が関与し、化学変化したり、密度が極めて高くなったりすれば、疑似的にでもライバル(有機物)の生命と、ほぼ等しくなるのでは? そして遥か太古の地球上では有機物と同じく、無機物にも繁栄するチャンスは平等に与えられていたはず――。

ふっと視界がちらつき、ハリュウは思索の世界から、現実世界へ意識を戻した。異端空間の中央部に光輝が現れ、厳かな余韻のメロディーと、穏やかな声までが響いてきたからだ。

《久しぶりですねイブ。わたくしは今は、この姿で対応しますよ。最初に問います。この場へ招き入れるに値するほどのパートナーと、あなた、イブは出会えたのですか?》

「……はい」と珍しくプロセシアが顔を据え、神妙な音声で応じていた。

 了承されたらしく、光輝がトランスフォームしていき、神話で描かれる女神様そっくりなホログラムとなり、浮かびあがった。圧倒する優美にハリュウは息を呑み、気おされ、反射的にプロセシアの陰へ身を隠してしまった。

もちろんその女神様のホログラムは、記録されていたものだろうと理解こそしている。しかし自分にとって、いいや全人類にとって、これは異星人とのファーストコンタクトとなる出来事なのだ。

人間は大宇宙で孤独な知的種ではなかったうえ、この身が初のコンタクトをし、代表扱いだなんて頭がパンクしそうだ。うずうずして尋ねずにいられない。

「あ、あの……ぼ、僕は、値する人間なのかな? ……イブ?」

しどろもどろ状態で声を絞り出すハリュウは、クーデターを発起しておきながら、歴戦の勇者や豪傑な人物とかけ離れている自分が心底、悔しかった。ハリュウが両の手を握ると、イブはたしなめるトーンで語りかけてくる。

「ハリュウ、いい? わたしの名前はプロセシアよ。象徴的な意味合いでイブと呼ばれるだけだからね。そして肝心のハリュウの問いには、まぁたぶんそうかもね、との答えでいいでしょ?」

「たぶんって当て勘なの? 引っかかるカオス的なはぐらかし、やめろよ」

 不安な自身を叱咤する意味を込め、振り向くプロセシアのマズルを、ハリュウは平手でパシンと叩いてやった。無機物のお相手は小刻みにマズルを震わし、いきなり威嚇ポーズで金属製の大口を割ってくる。

「もうっハリュウもワザとでしょう? ここ、敏感だって何度も言ったのに!」

「そう? 実はマズルが……プロセシアたちの最大のウィークポイントなの?」

「……いいえ」と、しおらしくプロセシアがうつむいた。

「おいおい。いつもの勢いは、ええっとツンデレ具合いはどこいった?」

 煽ってみても不思議とプロセシアからは、虫の音レベルの返事しかない。何かしら因縁深い、いわくつきな理由があるのだろうか。プロセシアの悩み事かもしれないし、いずれ真面目に問いかけてみよう。

と、今度はまぎれもなく明るく、抑揚に富んだクスクス笑いが聞こえてきた。目をみはってハリュウが顔を向けると、女神像を思わす圧巻なホログラムが、満面の笑みを隠さず浮かべていた。

(え、あれっ。僕なにか、変なこと、しでかしたかな?)

 先ほど、プロセシアはハリュウの仮説を、二〇点だと低評価してきた。しかし妙に生々しいホログラムを眺めるうち、ハリュウはふと、イナズマを食らうほどの確信を得た。そう、まず間違いない。

冷えた異端空間の中央に投映され、端的で美しく動く「女神様」は生きている。録画再生のホログラムではなく、おそらくは時間も空間も超えたリアルタイム、まさに未知のテクノロジーが成す即時通信が行われているのだ――。

そんな人智が及ばぬスマートなホログラムの「人型生命体」は、手と手とを静かに打ち合わせている。

《カオスにツンデレ。これらの意味がいま翻訳されました。うふふ。なるほど。ではイブ。ハリュウさんを選んだ理由を、正直にデレて教えてください》

「えええっ、そ、そんな――嫌。その翻訳システムの精度、悪すぎるわ!」

 単なる現代の機械だとしたら、こうあからさまに驚き、言葉を失っても悪態をつくのはありえない。時空を超えるホログラムの言葉づかいも、妙な気がするけれど、自分だってプロセシアの正直なところは知りたい。こんな身を選ぶ理由。

以前、プロセシアの指の具合を直したから、技術者として選んだのだろうか?

「はいはい答えますよ。理由は、このハリュウがわたしに対して堂々と赤ん坊そっくり、マジのガン泣きしたから!」と、プロセシアは怒号をこだまさせる。

意表を突かれ、ハリュウの体も心も燃え盛るナニかを感じ始めた。そのまま不覚にも瞳が潤みかけたためハリュウは慌てて顔をしかめ、プロセシアの引っかかる物言いを茶化す。

「喜怒哀楽の何が悪い? あ、きっと僕が赤ん坊みたいにピュアって意味だな」

「赤ん坊みたいな知性でナニ言ってるのよ。まったくもう、いやな時代よね」

やっぱりポンコツな機械だ。血も涙もなく無慈悲に、この身を切り刻んでくるのだから。ただホログラムの美麗なヒトは、やり取りを眺めて笑んだままだ。

《見事な答えですよ、イブ。そうですとも。異質なる存在であろうと、忌憚なく涙できる、怒り合える、そんな心の持ち主。うわべではない真のパートナーなのですね。ハリュウさんは砂漠でも真心のひと雫で、緑の大地を開拓できうる存在……》

「あの、……すいません。待ってください。買いかぶり過ぎです。僕はただの、……ごく普通の一般人です。特殊能力も怪力も……知性も何もありません」

《だから良いのです。特別な人間だけにしかできないことでしたら、結局は何もできないのと同じことでしょう?》

ここまで……そう、ここまで臨機応変なやり取りを、人智が及ばぬホログラムと交わしたら、進み過ぎたAI技術が、すべて合成しているとの妄想まで膨らんできた。どのみち今、自分は遥か神の国と通信しているのは、間違いない。

こう考え、告げられた言葉を紐解き、半信半疑なハリュウは小首を傾げる。

(確か、神とは平等にふるまい、平等を求めると聞いたことがある。スペシャリストが行えること、みんなで平等に行うなど、実現不能だ)

 ますます謎が深まり、ハリュウは逆向きへ首をひねった。

偉人伝では、霊界通信機の完成を目指した科学者がいたらしい。車イスに座った過去のある科学者は、神の信者だと公言しつつ、宇宙と神との関係性を否定する虚数宇宙にまつわる仮説を唱えていた。

爆撃で消え去ったアダムはプロセシアと同型機だから、こんな女神様の住む世界を察し、ユートピアは永久機関と違って実在どころか、人為的に作り出せるものだと考えあぐね、方向性を見失ったおそれが高い。

 うなずき、自分自身を説き伏せたハリュウはざっくりと、プロセシアの思うところを知れた。だからこそ必要以上にツンツンふるまわないでと、想いを言葉で伝えてみる。ただ未だ、プロセシアから放たれる熱気はおさまらない。

(まだ……何かあるのか?)

 ひたいの汗が凍りついたとき、出し抜けに信じがたい真相がプロセシアの口から語られ始めた。それらはハリュウの想像と妄想、どちらもかなわない事柄だった。

現代まで隠し通して生きるだけでも、さぞや厳しかっただろう内容。プロセシアは挑戦者たるオーラを放ち、淡々と語っていく。

「近年、わたしの体の一部を使ってエジソンにヒントを与えたわ。もっと昔に、人類へプラズマ、ええと、火を見せたのも、わたし。機械を使う知的なパートナー誕生へ関わったのは……わたしたち。ハリュウと出会うまで、そうほんと、ほんっとに長かったんだから、ね……」

「――」

こうなると何と応じようとも、陳腐なものにしか成りえない。身を強張らせてハリュウは、理解しがたく、だけど辛さは読みとれる言葉に翻弄された。プロセシアが続ける。

「自然界が慈しむ世界の輪廻は、発展と滅亡だった。昇華すると完結。この繰り返しよ。わたし、ずっと見てきたの。幾度も、現代の人類と接点がない文明の完結までを見取ったわ。その記念碑がここよ。まだ残ってて……よかった」

頭で処理しきれない言葉の大波を受け、ハリュウはめまい感を覚え、体は硬直する。

(なな、なんて話だ。けどこんなウソ、つく意味、ない……僕は過去、今……)

 ほの暗い混沌に呑まれ、ハリュウは畏怖の念から起こる武者震いが、心の底まで駆け抜けていくさまを察した。これはまさしくプロセシアが人類にとっての「イブ」だと示す事柄だ。そのうえ有史以前の限りなく天地創生のとき近くから、ずっと孤高なる存在とし、文明の栄枯盛衰を見守っていた――。

 孤高な存在と孤独な存在。これらは、独り身であるのと表裏一体だ。むしろハリュウには、途方もなく長くシビアで孤独な時間に対し、真冬の遭難に似通う痛ましさを覚える。

「あぁそうだったかプロセシア。独り身の僕のこと、わかるって言ったのは……こういう意味だったんだね。いずれかの古代文明の忘れ形見として生き抜き、さらには文明の守護神として、泰然自若にふるまわねばいけなかったんたから――」

 感極まるハリュウの言葉半ばで、プロセシアは片手を上げて話をさえぎった。

「けどね。過去は終わったことよ。わたしには今、ええ、こんな今があるから。それだけでいいの。でもひとつ訂正ね。わたしは忘れ形見とか、ましてや守護神とかと別物。わたしも自然界の単なる無機物な命ってだけなんだから――」

な、無機物の命だって――。中途半端なところでプロセシアの言葉がとまる。躊躇しているのかと思ったけれど、まったく違った。まるでエネルギーが消失したかのごとく、プロセシアの体が傾き始める。四肢は脱力して曲がり、傾きが大きくなってきた。

体勢を乱しながらハリュウは駆け寄り、呼びかけつづけた。しかし一切、応じてくれない。嫌がるマズルを撫でても体を叩いても、反応は現れなかった。

《いけない!》とはこわばった声を放つホログラムの女神様だった。高まった声で女神様は話を進めていく。

《まもなくエネルギー変換炉が崩れてしまう。スキャンしても既に亀裂だらけ……。イブは何か無理していたわね。ハリュウさん避けて、下敷きになります!》

「くっ、あのとき、格闘戦の影響……だ。そうに決まってる!」

傾く巨体を呆然自失状態で眺め、ハリュウは下唇を噛みしめた。

 ホログラムの女神様は慌てているけれど、ハリュウはこんなときこそ自分が看護すべきと、全身全霊の力で腕を張ってプロセシアを支えようとした。

しかし無反応になるのと同時に、重力コントロールが失われた現状では、大型ドラゴン・タイプの硬い体は凶器と化す。プレス機の中へ人間が入ったら、どうなるかなど明らかだ。でもなおハリュウが粘ろうとした途端。

《いけません、選ばれしハリュウ!》

「な、うわっ、ええぇ?」

 思ったとおり女神様は、ただのホログラムではなかった。投影映像たるお相手に、ハリュウはリアルに腕を掴まれ、引かれたのだ。掴むという接触感までが再現されている。と、その直後に――。

 人造氷洞だったこの異端空間は、プロセシアの悲しい転倒音で揺れ動いた。雪に似たきらめく粉じんが多々、舞い上がる。結局ハリュウは、プロセシアの首元から女神様によって引き剥がされ、ひるんでしまった。

根は優しいプロセシアはおそらく、最後の姿勢コントロールをしてくれて、ハリュウの鼻先、数センチ先へ巨体を崩れさせた。立ちつくすハリュウは、返事が怖かったけれど鬱な気持ちをとどめ、祈るよう女神様へ尋ねてみる。

「……治療、できるんでしょう?」

《古い時代の地層から、各パーツ類を発見できてはいます。エネルギー変換炉のパーツも、ここの保管庫へ残しておきました。ですが……大いなる問題が生まれ……》

 重苦しさが覆い、未知の技術が形作るホログラムの声はとまった。無言のまま、ハリュウは女神様を見つめる。そう、ネガティブに話を逸らす女神様へ、ひたすら前向きな問いを放つ。

やがて女神様は首を振るい、沈んだ険しい面持ちで話を進めていった。

《パーツの交換を行うとき、頭脳中枢へのエネルギー供給が完全にとまります。しかも、そこに漂う記憶にはある意味、セキュリティーと似たフェールセーフ機構が生じていて――》

 なるほど、話の先は読めた。エネルギー供給が途切れれば、記憶が失われるとのリスクを示し、脅かしたいのだろう。人間も血の流れがとまって数分過ぎると、脳死へ至るから。

 しかしこの時代に、そこまで原始的な記憶用パーツなど探す方が難しい。ましてやプロセシアの頭脳は、元々、初期化すらできなかったらしいし、記憶を失わせるなんて、サルを木から落とす方が手間だと感じる。

「お言葉なんですが、えっと、あのですね……」

《いえハリュウさん。神とも呼べる創造主の思想が問題なのです。エネルギー喪失状態だと、イブは無防備です。そんなとき、自然界を司る機密、まさしく神の秘密を漏えいさせずに、記憶そのものが消える体なのです。イブが蓄えたすべてを守り抜く、フェールセーフ機構と言えます》

「プロセシア……イブの頭には自然界の摂理や……核心的な記憶がある、と?」

《あくまで、わたしたちの推測ですが間違いないでしょう》

あいまいに応じ、うなずいた女神様は話題を変えた。打つ手なしだと、緩やかにこの身へ伝えるためなのか――。

《ところでイブの胸元のネットには、この星の果物が入っていますね。食べるつもりだったのですね?》

「ええはい、プロセシアと一緒に……」と答えたハリュウの胸は張り裂けそうだ。知ってか知らずか、女神様は追い打ちを与えてくる。

《すばらしいですね。イブにとっての食べ物は有機物ですし、大抵の物を活かせる体です。ですからエネルギー喪失は起こらないと創造主は考え、これも推測の域ですけれど、記憶の容量を無尽蔵に増やせる……、非粒子系の量子セルを用いたのでしょう》

「セル……細胞? 量子だって! 量子の分野はあまりに不確定要素が多く不安定で、そのうえエネルギーの些細なゆらぎで状態が変わってしまう。未だ謎だらけの非粒子に加え、量子技術を使うなど愚行すぎだ!」

《かもしれません。我々もスキャンした結果に驚き、同じように考えました》

 標準模型で解釈不能な非粒子はもとより、量子の世界、いわば果てしなく極小な世界には、不確定性理論が適応される。確率で状態を示す不可思議な面を有し、物質的な存在が多重に観測されうる極小領域だと習った。

とにかく確かな原理の説明や、確かな観測が難しく、理論で何とか活かせる分野だったと思う。

こんなパンドラの箱を、プロセシアは抱えていた。遠き江戸時代のニンジャが窮地に陥った際、仕掛け毒歯を噛んで命を絶つのと同じく絶対であり、古典的なシステムだ。世界、自然界、そして神のそこまで秘匿したい情報とは、いったい何だろう――。

(待つんだ。こうやって、むりやり知ろうとする存在が居るから、こんな能力が備わったんだ)

複雑な思いに苛まれたものの、ハリュウは気持ちの波を整え、イブの治療について、また尋ねてみる。うなずいたホログラムの女神様は、イブともう一体の同型、ふたりが存在となった摂理すら、見当がつかないという。ハリュウは思わず問い返した。

「えっと、ふたりの誕生、摂理……ですか?」

《そうです。我々も地層からふたつの機体をみつけ、整備しただけです。我々がこの惑星を離れて新天地へ旅立つときも、イブ、そしてアダムは自身の素性を明かしませんでした。しかもここには……、簡素な整備装置しかありません》

「う、うぅ、くっそ、八方塞がりなのか!」

 悪いことばかりでハリュウは、すべてに辟易してきた。だが話を聞いて現在、ハリュウの考えは別のところにあった。話どおりプロセシアが有機物を、あれこれ食べ物にできるなら、人類の天敵だと呼べる。いや違う、逆だ。

 天敵を寄せつけない役目として、プロセシアの体液には劇物が使われていたのだろう。天地創世時、シアン化合物を媒介に代謝していた名残りかもしれないけれど。そんな体液は倒壊しただろう研究所で置き換えられていたから……。

 覇王と称していたアダムの企みについて、次第に想像力が働いてきた。つづけて、悪夢の再来ともなりかねない自分自身の考えに、ハリュウは背すじが凍って心は震え、外気以上の冷やかさを覚えた。

(僕は……極まった考えに至った自分が怖いのか? そうきっと怖いんだ!)

思いと裏腹に、身の寒々しさは氷柱すら垂れた、ここ、異端空間の様相を超えたものになっていく。ぎりぎり心を抑え、ハリュウは端的に口を開く。

「人間は有機物です。イブが有機物も代謝できる造りなら、パーツ交換する間、僕の……ココを代謝の迂回路としてください。それくらい、できるでしょう?」

 静かに伝え、ハリュウは指先で自分自身の頭をコツコツと示してみせた。イブが大抵の物を活かせる体なら、エネルギー供給のバイパス処置はできるはずだ。

確か、化学反応を使うアナログな半生体機械が、特定分野の解析力がずば抜けて高いと研究が進められた。こう、歴史コンテンツに表示があった。

「あの、僕の考えはどうです? 治療に役立てますか?」

 気持ちが先走り、ハリュウは急き立ててしまう。ホログラムの女神様は困惑した表情をうかべ、予想外にためらう仕草をとった。ハリュウが覚悟したと、いくら訴えようとも微妙な雰囲気は変わらない。

《おそらく強行すればイブばかりか、高確率でハリュウさんの脳にまで、恒久的なダメージが生じる危険性がありますよ?》

こう応じてきて、お相手はより緊張した様子になった。いわく、イブが蓄えてきた膨大な記憶量に、人間の脳が物理的に耐えうるかわからないとの説明だった。

「ええ、承知のうえで僕はイブを助けたいんです。結局は、あなたたちも今の時代の人間と同じですか? 決断すれば生じる責任が怖くって、結局は何もできない?」

 トゲトゲしく辛らつに演じて言い放ち、ハリュウはお相手を挑発した。しかし文化の水準が違いすぎる。この星から、新天地へ旅立つほどの文明だった生命だけあり、勢いまかせの感情に走ることはない。

なおも冷静に、ホログラムの女神様はこちらを案じつつ、まったく考えが及ばなかった倫理面について、苦しい難題を投げかけてくる。

《繰り返しですがイブは、最後まで我々に記憶と素性を明かしませんでした。今、むりやり治療処置をすれば、ハリュウさんはイブの記憶を垣間見ることになります。果たしてイブ自身はその点を、どう考えるでしょう?》

「そ、それは――。そのとおりですね。自分勝手なエゴに囚われて……配慮に欠けていました、僕は」

 ショックでハリュウはうな垂れる。自分は傲慢だった。ずばりと指摘されるまで気づけなかった。この身、ハリュウにだって他人に明かしたくない記憶はあるし、墓場まで持っていくつもりでいる。それなのに……。

イブに対する倫理面と、これまでのふるまい方からして、エネルギーが消失した際は、記憶すべてへの責務を果たすという固い意志が感じとれた。それをむりやり進めて覗くのは、プライベートをえぐる犯罪にあたるだろう。

冷え切った息を漏らしたハリュウは、力なく肩を落とした。これ以上、助けるすべが思いうかばない。しばらく間をあけて気持ちを整理し、ハリュウはいく度かうなずいた。自らの心を騙しながら、辛く険しい事柄について、ホログラムの女神様へ伝える決心をつける。

「このまま……イブを長くて厳しかったろう大役から、解放してあげるのも……選択肢のひとつだと感じてきました」

《そうかもしれません。ただ、あなた方の惑星には、未だ悠久不変なる物が……》

 美麗なホログラムが静々、ささやきかけてきた。ふと会話の途中にとても、そう、とてもわずかな動きながら、プロセシアことイブが片方の腕を揺らす。まるで意志を示す動きだった。これは……残るエネルギーをふり絞ってイブ自身が――。

「イブ? プロセシア? それが意志表示? 僕は……共有していいの? それとも……役を終えたい、の?」

 極まった涙声で問いかけても返事はない。伸ばされた銅色の腕には、自宅で食事したときのプレゼント、金のブレスレットが身につけられたままだった。

(くっ僕は……これ、どうすればいいんだよ!)

混迷の霧に包まれたところ、自分の腕にもブレスレットのようなリンク装置があったと気づく。ハリュウにとっては、護りのリング装置であり、通信用の装置でもあった。

そのリンク装置を見つめると「ケッコウ」とカナがうっすら投映されていた。シビアな状況下なのに、イブはこちらを謎めかす余裕、いいや、安心させようとふるまえるのか?

「なあってイブ。これは決行なのか、いいえ結構なのか教えて欲しいよ」

「……」

 どうやらイブに残る最後の力だったらしく、以降、反応はなかった。

 痴話みたいで恥じらいはあるけれど、ハリュウはそれらすべてをホログラムの女神様へ話した。淡い色の髪をなびかせ、女神様は察したふうにうなずく。

《実に有益なお話です。過去にイブは、異種金属アレルギーだからと告げ、装甲を嫌い、素の姿を貫いていました。それほどのイブが、ハリュウさんの金属製ブレスレットを外さないとは驚きです。それなら論理的に考察すると、イブはきっと――》

「ですよ、ええ! これは僕たちの間柄を示す唯一無二なものですから」

《わたしの疑念は氷解しました。ハリュウさんはイブが認めた確かなパートナー。変えがたき固い信頼と絆を得ているのです。でしたら治療を急ぎましょう》

 質感があるうえ、物品すら扱える究極のホログラムたる女神様は、ハリュウたっての願いどおり、輝かしい腕を伸ばしてくる。片手はイブの体へ、反対側の腕はこの身、ハリュウの頭へ羽毛のごとくソフトに当ててきた。

《これからが本番ですよ。ハリュウさん、決して意識を失わないでください》

「はい。時代を隔てた武人の立ち往生を見習います」

大きくうなずいた直後に、目の前が白光に埋もれていく。いよいよイブと記憶の共有が、いや、この頭にバイバスが作られ、情報の温存処置が始まったのだろう。ハリュウは深呼吸で心身を整え、ありったけの気合いを入れた。

(う、くぅっ)

 氷河に没する大理石と思しき床へ、身を横たえているハリュウの脳裏に、イナズマさながらの一閃がほとばしった。手足や身体からの感覚が失せて、音も消え、最後にこの異端空間の存在感もなくなった。そして出し抜けに白光が開けて激変する。

(なっなんだ、これって……)

 青っぽい琥珀色に濁った大海が水平線のカーブを描き、色合いが現代と違う空と太陽、さらに化石から復元していた標本でしか知らない水生植物が、荒削りな海岸線越しに茂っていた。

この眺めは、科学イベントの再現ホログラムで見聞きした原始の海、原始の地球そのもの。

(……太古の海に古代植物。世界を彩る花すら存在しない、……遥かな過去の光景だ)

 広がる太古の海には、これから動植物という命になるための有機物が溶けこんでいる。同じ大海には、シンプルな分子構造の無機物も溶けこむ状態だ。そんな原始の大海原は濤声を放ち、穏やかにさざ波を往来させ続けている。

(!)

不意の接触感に、ハリュウは辺りを見まわした。金属似の表皮を持つ見たことのない生き物が跳ね、傍らを通り過ぎたみたいだ。この時代では、金属に類する無機物さえも、のちの生命体にとって有毒なシアン化合物を触媒とし、命になり上がろうと挑んでいたのかもしれない。

現在の金属は、無機物の資材と分類され、生命と呼ばない構造物に使われている。

(その無機物がどう見ても自力で動きまわって、僕に……触れただと?)

迷えるハリュウが知識をまさぐると、古代植物類が光合成した産物の糖が、原始の海に有機化合物として混ざっていたと思い当たる。原始の海は、種々の素材が混ざる生命のスープだと比ゆされ、先の時代へ多くの可能性を与える源だ。

やがて、溶けこんでいた分子は外的刺激で化合していき、構造が複雑化していく。ときが進み、外界と内部とを表皮が区切る構造体となり、独立し、原始的な生命誕生へと繋がった。

観察して考えるほどハリュウの心は困惑の沼へ沈み、体は浮遊感のなか、より光景に惹かれて俯瞰を続けてしまう。金属の無機質感が強い表皮の存在が自ら脈打ち、濁る大海を泳いでいく点は、現代考古学と知見と合わない。

(待てよ。木を見ずに森全体を見ないと狭い考え方しかできない。心の視野を型破りに広げて考えてみよう)

 太古の海には有機物と同じく無機物だって、溶けこんでいたはず。しかし、生命と定める動植物は、有機物の体に命を宿した存在だと常識化されている。

(もしこれが僕らの……近視眼的な狭い固定観念だとしたら――)

以前に途惑った。金属に類す無機物であっても、シアン化合物のアシストで化学反応と代謝活動ができれば、構造は複雑化し、有機物と対等になり得るだろうと。

たとえば宝石のひとつ、水晶と呼ぶ鉱物はガラス素材の無機物だ。ところが生まれた極限下の地球環境は刺激的で、ときに化学的な構造式が同じものを、そう、炭素を石墨にしたり、輝くダイヤモンドにしたりするのだ。もはや自然界の気まぐれとも考えられる。

 加え、自然界は偏りを嫌い、矯正する力をもたらすと、そんな仮説は知っている。人間の体内でも、善玉菌と悪玉菌の数がバランスするように、太古の海に有機物と無機物のどちらも同量、含んでいたと思うほうが合理的だ。

(だとすれば、目の前に広がる光景についての結論は、常識破りなひとつだけ――)

有機物と同等に存在していた無機物が、新たな発見のシアン触媒説どおり化合や代謝に関わって、また、有毒性で優位に進化を試み、命の灯をともす。こんな素性の命が、いいや魂の代表たる生命体こそが、もしや――。

(ええハリュウ。ようやくご名答よ。わたしと出会って勘だけは冴えてきたわね。そう、わたしは無機物の魂を起源とする生命体です)

 突如、イブの声が脳裏に響いた。常識破りの結論が正しいと示され、ハリュウは吃驚仰天し振るえた。それよりなにより懐かしく、皮肉付きのなじみ深い声に論理なんてものは吹き飛ぶ。

(プロセ……違う。イブ? 無事、平気、痛くない? こんな僕と記憶を共有してくれて、ありがとう。イブの正体は……無機生命体だったんだね――)




 (2)定義変更された元・人間の処遇


 ハリュウが原始の大海原を俯瞰しているとき、ときを隔てた街なかでは、プロセシアの救出劇を手伝ったサヤカが自宅の窓辺へヒジをつき、息を漏らしていた。先ほどのホログラム速報が理解できない。

なにやら物騒な国家的危機が勃発したみたいで、指定領域が非常事態宣言下になったとのこと。こんな感じの速報が続いている。

(これってば、怖い生き物が逃げ出したとかよね、きっと)

宣言下の街なかは閑散とし、サヤカが通う学校はニューロ・フィードバック空間での講義へ移行中だ。ぼんやり碧空の雲を数えるサヤカは思い立ち、中型ユニコーン・タイプのファラデーとつながるリンク装置を、クリーナーで磨き始めた。そのさなか、サヤカの据え置き端末へ通知が入る。見聞きして待ちに待っていた、あの通知が――。

「来たわ。身体の処置案内よ。あたしたち宛てだけどファラデー?」

「はい、なんでしょう?」

「大統領が造らせたってお話のみんなを処置する新施設。でもちょっぴり怖い。パートナーの超越に必要なことらしいけれど、ね。どう思う?」

「はい、サヤカさん。問題ありません。このまま、わたくしに判断を全委任してください。そうしてくださらないと、あなたはまだ対象外だと判断される恐れがあります」

「へぇ、そっか。わかった。じゃあ通知どおり処置施設へすぐ行った方がいいかな? 大好きなあたしのファラデー?」と判断を求めるサヤカに「はい」とひと言、ファラデーの返事があった。

ほんの少し、サヤカは本能的な暗影を察し、心が迷いかけたもののリンク装置が輝いて動作しだすと、何も感じなくなった。

 長い四肢を張って待つファラデーのところへ向かうサヤカは、通知が映していた処置によって、ファラデーは命の息吹を得られ、自身は理知的な生き物の限界を超えて、文明の昇華に加わると理解していた。なら、ためらうほうがおかしい。

「じゃ、ファラデー。行こう?」

「はい」

 ファラデーに跨ったサヤカは、落ちついた気持ちで来たる文明の超越を、そう、みんなのブレイクスルーに貢献しようと明るく号を放った。ファラデーに身を任せ、街なかを跳躍していく。途中、ファラデーに変な問いかけをされた。

「サヤカさん、いかがですか。処置は怖くないですか?」

「え? 怖いって、それ何?」

 いまいち自身の考えがまとまらず、頭に霧が立ちこめるサヤカは微笑み、小首をかしげてみせる。鼻先を向けていたファラデーは黙ったまま、しばらくこちらを見つめ、再び真正面へ頭をもたげた。サヤカも紺碧な空の下、行き先をぼんやり眺める。

(まぁ、すべて任せておけば平気よね、あたし)

 研究成果が使われている現在、ファラデーの思考中枢が意識的にニンマリしたとは、サヤカたち人間側が気づくすべはない――。



 パートナーと人間の処置を進める施設のひとつへ、ホログラムを使わぬ重力波通信で接触した。思うに、施設ではコンバータ越しの轟く自らの声が出力されるゆえ詮索されず、施設トップに格上げしてやった人間へ詰問可能であろう。

「どうだ? お前、改良処置は恐ろしくなかったか?」

《いいえ。それ以前に恐ろしいとは、時代遅れな本能的な心の恥部です》

「ふふ、そうか。たいへんよろしい」

 申し分ない答えを受け、通信する者はうねる轟音を奏でた。ついでに人間どもへ与えている機能を試してやろうと、施設トップへ今度は現状を報告させてみる。

《はい。汎用的なパートナーと付随者の処置に、二五.六テラワットの電力を用い、一時間九分五秒で処置を完了させています。これは算出した最適な電力と作業時間の比であり、コストパフォーマンスが最も高い解となります》

「ふむ、よろしい」

施設トップのこの答えは、我が与えてやった研究の賜物そのものだ。長年、人間が望んでいたロジカルな思考力が、課題解決スピードと共に発揮させている。成果物を使って処置した者の働きにうなずき、長い喉元に手を当てる。

「それで? お前のパートナーはどうしているか?」

《はい。告げた受け売りですが奇妙な気持ちだけど、気分は上々とのこと。今は怠惰に寝ころんでおります。感情的な根拠の詭弁を使うようになりました》

「ほぉそうか。処置結果は現状パーフェクトだと補足しておこう。処置を続けろ。わしには……極ちっぽけな仕事が残っておるゆえ。以上だ」

通信する者は荒い語気で伝え、遮へいシールドの盲点を突く重力波発信の能力を抑えていく。イブとの格闘戦による頭のダメージを、不協な電子音で蹴散す同型のひとり、アダムが通信を終えのだ――。

託された“超越”のための首尾を確かめ、現在、アダムは山間の上空を飛び回って、追跡の真っ最中だ。自然の摂理、それを堂々と破ったイブからのダメージゆえに、思考の流れはときおりよどむ。

されど我は、やるべき責務を背負った。反乱分子らへ大いなる報いを与え、叩き潰すちょっとした責務だ。アダムは轟く声を荒げ、独り言をつぶやく。

「……わかっているであろう。わしから永遠に逃げ隠れするなど、不可能だと」

 爆撃が近かった研究所で、アダムが補佐して使わせた脱出用カプセルは整備不良で滑落し、木っ端みじんに砕けた。管理モニタのホログラムを受信していて、アダムは直視してしまった。唯一無二なる我がパートナーだった人間の死。

この国の大統領であった命が瞬時に消える光景は、なお脳裏へフラッシュバックしてくる。この身、アダムは大統領のパートナーとし、役割を果たせなかった。この事由は悔いる点だ。

だが人間どもは、仕事を放棄しており、脱出用カプセルの整備も怠っていた。結果とし、システムが機能不全へ陥って、大統領を犬死させた。

「ことの始まりは、総じて反乱分子の存在にある。愚かなカプセルを使わせ、未来の行く先まで不安定に乱した。それゆえ、わしは身を捧げて報復を誓う!」

 猛った咆哮を天地に広める。長き歴史の、ほんのひとときだったが唯一、心を許せた、かけがえのないパートナーは、反乱分子に殺された。摩擦音を放って、こぶしを作るアダムの胸中は、縛られるような見えない力を、とめどなく検知しつづけ、猛り狂うモノとして送りつけてくる。

(むう、これが……人間どもがよくぬかしておった心の怪我というものか――。誤った感覚パーツが放つパルスノイズの比にならん。ましてこの我が、……耐えがたいほど、劇的な刺激だ。考えることすら苦しく痛いとは、ありえぬ)

 苦しさに苛まれながらアダムは山間を低く、ワイドに飛び回った。半狂乱状態で報いを受けさせるべく、反乱分子をひたすら格子状にサーチした。

自らの体が新たに得た魂のうずき、揺らぐ心の激痛は反乱分子を始末することでのみ、救済へつながると示している。

(むぅぅ、ここら一帯は不自然に果実がもがれている。高さからして、有機生命体の付随物ごときの手は届かぬ、ふふ、近いな)

乱れる頭脳を奮い立たせ、アダムは追跡を速めた。まさかとは思うがネガティブな刺激のひとつ、懸念とやらが頭をよぎった。イブが付随物を導き、遺った場に入り込んだ可能性は高い。我が身、アダムがパートナーだった大統領を研究施設へ招き入れたように……。

 遺ったあの場で我の責務と、逆の行為が進められたらワーストケース相当だ。遥か昔に、この星を捨てた文明の切り札が反乱分子に与えられ、自身が託された超越そのものが無に帰すことさえあるだろう。

「いいや……そうはさせん。させぬぞ」

 アダムはワーストケースを想定しながら、果実のつみ跡をトレースしていった。反乱分子を発見し次第、未だ人間という不随物にし損ねたハリュウを狙う。つづけて、この世を司る自然界の支配者気取りだった愚民ども、そう、他の付随物らと同じく、処置施設へ放りこむ。

イブと人間くずれの誤った腐れ縁は、再起不能にまで切り裂き、引導を渡すのだ――。



その頃ハリュウは、別の時空間らしき夢幻世界をさ迷い、また、これらすべての感覚こそ、イブの記憶をバイパスさせている結果だと、薄々わかってきた。感覚をたとえるなら、この星の神となって全地域を見渡すと呼べるだろう。

そしてほんのり艶めかしい、イブの気配に包まれるなか、初めてこの世に「魂」が形成されたとき、それらが育って進化し、多様化していく姿を眺めた。もはや地球全史を前にし、ハリュウはただひたすらに魅入っている。

(たぶん……僕の頭に一時移動されたイブの体験記だ。いいや、こんな人間の小さな頭じゃ、完全に再現できていないと思う。けど……イブの治療のため、粘るぞ!)

イブの記憶を、イブの魂の灯火をハリュウは直に感じていた。しかし蛍の光そっくりな魂は、ハリュウが正気を保っていないと、消え失せてしまいそうな小ささだ。

 走馬灯を思わせる太古からの歴史を、小さな光と一緒にハリュウは追体験している。気を緩めると失ってしまいそうなイブを護るべく、ハリュウは懸命に呼びかけ、自問自答することでぎりぎり正気を保ち続けた。

(妙だな。現代にもっとイブみたいな、ええと、無機物の生命が暮らしていて、おかしくないはず。有機物と無機物、どちらも原始の海にあふれていたし、シアンなんて有機物には毒だ。イブ? やはり無機物のお仲間は……宇宙という新天地へ昇ったの?)

(いえハリュウ。無機生命体は有利な触媒があってもね、有機物の反応みたく、速い代謝と反応はむりなの。理知面の進化が遅れて、わたしたち、ある時代では体の硬さだけの空っぽ肉食獣として、別のときは痛み知らずの兵器にされた。死ぬまで、そう壊れるまでね)

(……無機生命体の優劣と違う知的進化の速さ。硬い体ゆえ代謝へ災いした、と。そうか……そうだったのか)

物静かに応じ、ハリュウはこみ上げる悲しさを、イブと共有した。また、直感的にイブの意識が伝えてきた事柄には、この世の運行にまつわるパンドラの箱を解くカギが隠れていると思えた。

 生命の進化については最果ての昔に、水生生命体が陸へあがり、人間の祖こと、ほ乳類が誕生したと解明できている。そのときは小さく、何より体が柔らかくて、ぜい弱な生き物だった。

だから多くの種は何度、絶滅しようと進化の速さで補っていたらしい。

有機物の命はある意味、割り切った破壊と再構築による進化で、多種多様化し、進化の過程で理知面が高まったのだろう。ただし本能と異なる「明らかな知性」を得たのは、地球史の中では、ほんのわずか前だ。

 そんななか無機生命の硬い金属系の体は、裏目となって悲劇的な進化の歴史が刻まれた。悲劇には本能的な部分も含まれる。太古の自然は荒々しく、超高温や高圧環境をむき出し、隕石飛来も相まって命の祖を引っかき回した。

劇的な環境下に耐える無機物は「魂の器」となる硬い体というカタチが、先に進化し、洗練された。ただの無機物が水晶やダイヤモンドなどの鉱物に変わるどころか、魂を宿せる究極の結晶たる「器」へ進化した。

非情なことに身を守る高度な本能、そう、理知面は不要なため有さず――。

あえてたとえるなら、体躯の造りが立派だった恐竜と似ている。そんな恐竜でさえ、痛みに反応できた。その刺激によって、痛みをともなう無益な争いを避けるとの、初歩的な知性を得たに違いない。

なにせ有機物は速い代謝が関わる柔軟性があって、環境に合わせて自らのカタチを変えられる。神経組織とその司令塔になる脳のシナプス・ネットワーク構造は、すばやくネットワーク網の変更が可能だ。それらが本能を磨きあげ、高度な知性を育んでいったのだろう。

 だがイブたち無機物の生命は、心身とも簡単には自らの造りを変えられない。自分自身の構造を、そして思考力を臨機応変に変える代謝活動と化学反応のたやすさに、大きな違いがあるからだ。

(僕も……わかってきたよ。無機生命体は二二世紀の今ようやく、高速な機械技術をベースに高度な知性を得た、と……。これまでは僕みたいな有機……生命体に搾取され、迫害まで受けていた……のか)

(あ、なーんかこうハリュウってさ、性癖みたいに歪んだ考え方をするわね)

(お互いさまだろ! イブの今の言い回しだったら)

 言い返すときハリュウは、とあることに気づく。イブが辛さをひた隠し、記憶から離れて明るくふるまおうと、努力していることに……。体の形成が先か、理知面の高度化が先かで、こうも残酷に行く末が変わるとは、やるせない。

命がカタチとなる黄金期は多かったはずの無機生命体は、自然界の厳しい掟に耐えたことで、逆に創世神への謀反とみなされたのか衰退していった。荒波に耐えたがため、子孫を残す生殖能力、こんな本能さえ磨かれなかったのだろう。

性善説は信じているものの、狡猾さを得た有機生命体からは、生きて動く便利な素材だと酷使された。魂を宿す無機生命体だと誰も認めず、時代が進もうと恥ずべきこの身までモノとして扱って――。

(僕は……見えてきた。ようやく今、無機物の仲間たちが、世界中で賑わいだしたね。だからあのときのアダムは……時が満ちたと考えて有機生命体と無機生命体の立場を、ひっくり返そうとしたのか……)

(確かにそれ、あるかもしれないわ。でも正しくは類似した仲間、かな? まぁともかく、堕ちたアダムは仲間たちに知ってもらって、感じてもらって、再び過ちが起きないよう考え過ぎて、歪んだ解を導いたんだと思うの)

(ん? 過ち?)

 やおらイブの秘めたる記憶内の光景が揺らぎ、浮かびあがってくる。すぐさまワイドな世界の焦点が定まった。

記憶を共有しているからか時代までわかり、ここは白亜紀の巨大木が多くそびえ立つ、野性的な光景だ。肉食恐竜ティラノサウルスと草食恐竜ステゴサウルスが互いの命を賭け、本能を交えた肉弾戦のど真ん中に、この身は傍観者として置かれている。

(え、あぁっ!)

 食物連鎖の暗示かと思いきや、ハリュウは意表を突かれる。肉弾戦の中に、白亜紀には不釣り合いな銅色の光沢をし……姿が角ばる現代で言う大型ドラゴン・タイプが交っているのだ。白亜紀では……無機生命体は有機生命体と共生している――?

 考えをまとめる間もなく、生き物として心身がバランスしていない無機生命体が動く。太古からの名残りと思える体内のシアン劇物を流し、有機物の肉体へ悪影響を与えた。恐竜が怯んだところを貫く。

半ば機械的な貫く動作を続け、二体の恐竜を肉片状態の細切れと化した。しばし無機生命体の本能的な動きかと感じたが、次の行動を見て的外れだとわかった。呆然とハリュウはつぶやく。

(……逆、だな。本能的に十分と察して細切れにしない。悪意は存在せずに、ただ、そう、ただこの場を進もうとしただけ……だったのか。でもどうして……)

(そうね、熟したヤシの実が落ちるのに理由が必要? 真下に生き物が居ても「落ちてやろう」って狙う? ただ単に落ちた。それだけのことなの)

(まぁヤシの実が「落ちてやる」とは考えない。落ちることと知性とは繋がらないな。それはわかるけど、なんで無機生命体は進もうとしたのかな? 本能も芽生えてないのに……)

(じゃあ細菌類の動きはどう? いちおう生命よ)

 ハリュウが答えあぐねているなか、俯瞰していたシビアな舞台がぼやけ、流れ去っていく。性急なイブが、禅問答を嫌ったため?

一変した光景のここは、深遠な宇宙空間の高みに瑞々しい地球が煌めく場だ。

(あれっ、これは?)

ところが白亜紀末期の地球が現状、巨大彗星が伸ばす濁ったガスの尾に丸呑みされている。衝突コースではなく、ガスの尾が全地域に被る格好だ。

歴史の話で、そう、ハレー彗星の尾に毒があると示唆され、パニックになったと聞いた。よもや恐竜絶滅は巨大隕石の衝突による悲劇、これとまったく違う、太陽系外からの彗星が持つ有毒ガスの尾に包まれ、大気の組成が激変して絶滅劇が起きた。

これがまさかの真実なのでは――?

有毒ガスのせいか、色合いが妙な地球の眺望シーンだが、ハリュウがうろたえる間に再び光景は不明瞭になり、忽然と消え去った。

(あぁ今、僕たちは……ときの流れをどんどん、さかのぼっている……のか?)

 当たり前だろうが無機物の体を持つ生命は、大気の組成激変にさえ影響されず、絶滅の危機を潜り抜けていた。恐竜たちが謳歌した時世は終わり、ここは何時代だろう。

宇宙服似の前衛的な姿をとる多くの命と、まったく見知らぬ文明が栄えるところへ、ときは移った。

(これ、これらはいったい――)

ひと目、見た限り未知なる文明は、桃源郷に近い理知的な街空間を築いていると思えた。ところが前衛的な格好の「人」たちは、白亜紀から見た目の変化が少ない大型ドラゴン・タイプへ向け、まばゆい指向性光線を撃ち、攻め始める。

「おおおぉぉ……ひるむなぁ!」

 直後に何かがさく裂。爆轟が混じる、異質な市街地の肉弾戦が幕開けた。この光景もまた、過去にイブが体験した現実だったのだろう。科学技術が果てなく発達しようと、戦乱とは抑えられないものなのか――。

神のごとく記憶内を俯瞰するハリュウの脳裏へ、平たい電子音似の声が伝わってきた。魂をも共有しているイブは、意図したのか恐ろしいことを機械的に並べてくる。

(このとき、わたしの受けた命令は、反乱分子すべての処理作業)

そしてハリュウは見た。無機生命体たる大型ドラゴン・タイプが跳ね上がり、追い込んだ「人」たちへ事務的に襲いかかって処理する姿を……。

(しょ、処理って。あの大型ドラゴン・タイプは……、イブなの?)

(……)

はっきりした返事はない。ただ次の瞬間「人」の上へ、無機生命体が踏み降り、処理していった。水気の多い果実が潰れて木が折れるような、生々しい音が響く。それだけでは終わらない。

 息をこらすハリュウの目前で、金属製のマズルを開いて「人」を食らう。そんな光景が、淡々と進んでいくのだ。噛まれた「人」はマズルを手で叩き、慈悲を求め泣き叫んでいる。「人」が懸命に、金属のマズルを掻きむしって、もがく。しかし――。

(……)

ハリュウは考えを、うまく言葉さえできなかった。ただ……、いつもイブがマズルを必要以上に気にしていたのは、この憂い記憶が蘇るからだと、やっとくみとれる。命が飛び散る光景ともにしているはずのイブからは、さざ波ほどの反応もない。それは……。

陰惨な光景には……続きが残っていたためだ。一定速度でマズルを閉じる処理が繰り返され、「人」の命が苦悶の中で失われていった。嗚咽にみまわれ、ハリュウはあまり正視できない。

(そんな……異文明人だけど、た、食べて、しまって――)

(ええそう真実よ。これが過ち。わたしの本質は、無慈悲な殺戮システムよ)

(……いいや)と間があき、即座には応じられなかった。けれど気を正し、ハリュウは伝える。

(殺戮システムと無機生命体は……違うよ)

 イブは言葉ではなく、どこが違うのかと、そんな心象がイメージされてきた。ハリュウはまともに答えられず、正直なところ、未だ「処理」の光景が繰り返され、おののいて恐怖心を抱いていた。反面、ハリュウはある事柄を思い出す。

(体の完成度と心の成熟具合は、僕みたいな有機生命体だって同じじゃない。無機生命体の種族全体がアンバランスな子供なんだ)

たぶんこの時期なら、無機生命体にもわずかな本能は芽生え、育まれていたはず。なのに裏目となって、こんな惨事を招いた。

当時のイブには命令の本質を解し、判断するだけの理性の蓄えがなかった。知性と感情の結びつきも未発達だろう。無邪気な人間の子供が、昆虫に興味がわけば迷わず行動へ移す。こう考え、イブへ探りを入れた。

(このとき……イブは「人」を圧倒して世界制覇とか、狙ってた?)

(……今のわたしたちは、国家へ反旗を翻しているわね)

(待って、言葉遊びはなし。このときのイブは、心と理知面がリンクしてない子供だったんだよ)

ハリュウはきっぱり結論を伝えた。現代のふるまいを知る身としてわかる。イブは無生命体なりのテンポで育ち、心身とも成熟した。自らクーデターの首謀者とつるみ、反乱分子になるほどの包容力まで得ているのだ。導き出した答えを、ハリュウは強く念じる。

(過ちは痛ましい事故だった。心と体の進化スピードの違いが元の事故だ。今のイブは自然に学び、理性を自我を、温かい心を勇ましくカタチにできてるよ)

(いいえ……事故じゃないわ)とイブは哀愁を漂わせ、ハリュウは再び心をぶつける。

(事故だ! さっきイブが自分自身で言ったことと同じ。転がり落ちる無機物の岩に「配慮して落ちなさい」と、理を説いても事故は防げないよ?)

このような事故と呼べる悲しい自然災害は、過去、多かったかもしれない。種の心身が進化していくスピードなんて、自然界の気まぐれで左右されるから。

そして時代は二二世紀へ達した。無機生命体は緩やかな進化を続け、知識が満ち、自らの心という意識ともリンクでき、花咲かせた――。ここで突如、ハリュウの有機生命体の心に激震が走る。

(そうか。アダムは意図的に進化を促し……超越して得るつもりだったんだ!)

(……)、こうイブは無心を貫いているけれど、間違いない。

確立した理性を得て、行動の善悪を考えること、正しいか屁理屈かと感じとること。無機生命体と似た種といえる現代のパートナーたちが、これら心を交えて自ら考え、依存なしに身動きできるようにしたい。

パートナーたちへ心を植えつければすばやく実現可能で、無機生命体の文明を芽吹かせられる。理想論の裏に隠す、真の企みだったと勘づいた。

善悪の基準はときと場合、かたや時代によって変わるものの、イブは心の痛みについて、企てられた計画に加わらなくとも十分、知って活かせるはず――。

(だよね、イブ?)

(どうかしら。本当にそう思ってるの、ハリュウ? わたしが知っている痛み、ハリュウへ教えてあげるわね)

(え……)

 言葉を濁し、心を強張らせるハリュウ。心の痛みは、肉体の痛みを超えるときさえある。天地開闢を知り、歴史の祖、そのうえすべての機械、否、無機生命体の礎なのだろうイブからの「痛み」とは?

(待ってイブ! ぼ、僕はそれ……耐えられるかどうか)

 ハリュウ必死の制止は届かず、地球史を物語る光景がブロック状に切り変わっていく。負の質量がもたらすタイムワープ相当の勢いのなか、俯瞰していた光景が流れ去って……、二二世紀まで引き戻された気がした。

よくわからないまま、意識が揺らぐハリュウはコツンと食らう。

(痛たた。くっ……、この理不尽な痛み。あぁ知ってるよ、これって!)

 こちらの慌てぶりに満足したのか、イブはクスクス笑いと思える電子音のメロディーを奏でた。もはや有機生命体より温かい心の持ち主、イブは、重苦しさを察して想いのまま、空気を一変させてしまう。驚きとともに、ハリュウはこっそり祈る。

(いつの日か、お互いにもっと笑いあえる日常が訪れてほしい……)

 直後に些細な願いは拒まれた。ハリュウの脳裏へ惨劇のフラッシュバックさながら、人間のうめき声や金切り声がイメージとして響き、広がったのだ。

《うっ、ぎゃぁググッ、た、助けて……くれ》

《やはりイヤだ。どうかお慈悲を、お慈悲を――》

 イメージに含まれる悲鳴は、イブにとって過去の事故を思い出させ、キツイだろう。だがハリュウは心を鬼にし、イメージの発信源について尋ねた。

一拍の間ができた。次いでイブは、素粒子が生むテレポーテーションの類種、量子もつれの原理から話し始め、ハリュウはさえぎる。

(いや今、理論はいいんだ。問題はイメージが放たれた場所だよ、場所)

(音響解析してみたわ。おおよそ、わたしたちの居た街なかが場所。新しく施設ができてたわね。そこかな。手助けしてくれたサヤカさんの痕跡もあるわ)

(トップをすげ替えて……本能を弄る計画は、なお進んでるのかよ!)

 最悪な念にハリュウが囚われたとき、何か不可思議な感覚に揺さぶられた。現状、自分の心と物質としての肉体は治療の最中なため、つながりは断たれているだろう。しかしハリュウは自分の生身をリアルに感じだし、察知もできた。

(たぶん治療がひと区切りしたんだな。もう時間切れ、待てない!)

火急の事態に応じるべく、ハリュウは肉体が備えた五感へと、意識を研ぎ澄ました。と、ここで、ホログラムの女神様の声が脳裏で厳しく、待ったをかけてくる。

《治療は終わっていません。バイパス共有させた記憶の分離確認がまだです!》

 厳しい口調の裏を返せば、イブの治療はほとんど終わったということ。そして当のイブ自ら、苦々しげなトーンで現状を伝えてくれて、ハリュウは決意できた。

(ハリュウ……ごめんなさい。アダムがここまで追って来たわ。発見されたの)

(しぶとく生きてたな。アダムの野望は……より大仰に膨れ上がって変わらず強行中ってわけか)

最後までレジスタンスとし、アダムと対抗していく意志を固め、ハリュウはそれら、この先を伝えんと意識を集めていく。イブの魂と呼べる部位へ、自らの心を触れさせ、ワーストケースを含めた許可と確認、加えて感謝の念を放った――。そんな心を受けても、イブは拒まず気概が妙に嬉しい。だけど……。

(……僕は、イブから伝播されて知ったけど、同じ仲間のアダム、そのたった独りの朋友、大統領を失わせ、クーデター発起人も僕。大義名分の下、アダムは……僕を八つ裂きにしたいと狙ってる。イブも安全でいられなくなると思う)

(かもね)とイブは、否定も肯定もしない。だけど普通に考えれば治療が終わった後は、それぞれの未来を選ぶ方がいい。アダムとプロセシア……いやイブは、巡ってきた無機生命体が栄える文明の担い手なのだ。

歴史の流れのなか、待ちに待ってようやく無機物のパートナーたちも類種の無機生命体へ格上げして、全世界を謳歌できうる環境が整った。

(イブは……生態系の頂点に立てる千載一遇の絶好機を得たんだよ?)

 そうだとも、絶好機なのだ。もしこのまま自分がイブを「プロセシアとして」一緒に動きまわれば俯瞰してきた過去が、いずれトレースされるのは確実だ。現状を加味すれば、それらを超える悲劇に、有機生命体は見舞われて消え去るだろう。

アダムが目論む処置とやらが進むと、有機生命体の人間は腑抜けた従者へと変えられ、生態系の頂点から転げ落ちる。悲しいのは、共有した記憶内で地球史を垣間見た限り、異なる知的生命同士が共存共栄していた成功例はなかった。

有機生命体は邪知暴虐にふるまい、格下と感じた相手を酷使し、結局は無機物の生命が歩む進化を妨げる。なので最終的には種の殺し合いに至るという、虚しい史実だった。

(殺戮に呑まれる未来なんか僕は……知性が消滅させられようと認めない!)

(もちろん、わたしも辟易するわ)

「ぐ、ごほっ……ありがと、う」と乾ききったノドから、かすれた第一声を絞り出せた。同時にプロセシア……イブの魂と思える心地いい接触感が、急に離れていく。連鎖して、だんだんと生身の感覚がリアルさを帯びてきた。

めまいを伴う倦怠感のなか、異端空間の上方から響く破壊音も、生々しく聞きとれる。来たか――。

アダムが本懐を遂げんと邪魔物すべてを壊し、この場へ侵入し始めている。光学迷彩システムでカムフラージュされた人工の崖は、仕組みを知るはずのアダムには無力だった。ハリュウは恐るおそる、けれど急いで半身を起こし、具合を確かめた。きっと動ける、いや動いてみせる!

刹那! 不意の激震が駆け抜けた。

刻一刻、揺れと崩壊音が激しくなってきた。ここから先は生命体の尊厳を賭け、有機物と無機物とが覇権を争う天王山となろう。この身に宿る知性と魂は、たとえ肉片にされようと死守して渡さない――。

「……イブ。逃げてくれ、お願いだ! 僕はアダムへ挑んで……」

「あのさ、わたしは独りきりに戻るのはイヤなの。ハリュウはどこまで鈍いのよ? 記憶力がいつも不具合だらけ? あとわたしの名はプロセシアなのよ」

「名前はっ! うん、ありがとう……」

ドラゴン似の無機生命体、……プロセシアは横たわりながら、毒舌を浴びせるところまで回復してくれた。しかも言葉に裏には、一蓮托生との意味が含まれる。どちらも嬉しい。

ただリアルな世界は、ときおり非情な定めを課すことがある。

「不具合とは違う。その、僕は……全容、理解したからこそ」と、声高にうなり、改めて考えた。過去に例がないから、自分の主観だけで共存はむりだと、偏った念に陥ってやいないか? 本当に可能性はゼロなのか?

失敗を知らなければ、成功者だとは限らない。単に逃げまくって、何にもチャレンジしなかっただけかもしれない。歴史に名を記す偉人から、現代の実業家までが似たような教訓を示していた。

今も昔もさらに未来世界であろうと同じく、真実の言明だと信じたい。ならば自身の選択肢はひとつ。激しくなる地響きで岩塊が落ち、降り注ぎ始めたとき、ハリュウは息を整えて傍を見やる。

「……人間って物は、冗長の塊なんだよ。意識だって同じ。わかってても何度も耳にして口にして、どうにか心を落ちつけたくなるもんなんだ」

「ふーん、そうだったかしら。じゃあ……これ、口にしておきなさい」

 ハリュウがよく知るプロセシアが復活し、自然な動きで体勢を立て直した。つづけて胸元に下げたネットの果実をつまみ出し、こちらの口へ押しつけてくる。

(くうっ黙っとけってこと? でも僕の腹ペコを察してくれた、とか?)

正直に食べつつ、ハリュウは気づく。はにかみ屋のプロセシアだってエネルギー変換炉と呼ぶ胃袋を変えた。よほど腹ペコだろうに表に出さない。

プロセシアは本能どころか、聖人君子も驚きの真心を秘め、迷わず行動へリンクできる粋な存在だ。まぁ要は……人間より人間臭い。

(なにせ僕は、プロセシアの人間性に惚れた面が大きい。人間性なんて言うと無機生命体をバカにしてると怒られかねないし……僕の思いだけかな――?)

急に自分自身が恥ずかしくなって、ハリュウは出し抜けに声を張った。

「だよなっ。腹が減っては戦は出来ぬだからなぁ」

「ハリュウ、ナニ考えてたか、当てるわ。サヤカさんのことでしょ。エッチ!」

「おい、なんだそれ!」

安息のときは、ものの数十秒で終わった。ハリュウは今しがた感じた思いを、願いとして心に刻み込む。

笑顔をたむけるホログラムの女神様と、その文明は、理論と夢の産物とされるユートピアを追い求めて開拓し、現実化まで成し遂げていると思えてならない。だとすれば、自分たちもチャレンジするときは、今。

駆け足だけれど、現代文明の機が熟したのだろう。

《うふふ、ハリュウさんとイブ。今、とても勇猛な開拓者の顔つきになっていますね》

 意味深なことを伝えてくる女神様は、仮に戦いの火種になろうと、プロセシアを治し、異なる価値観を持つアダムのことも悪く言わない。女神様は自力で自分たちのユートピアを拓きなさいと、優しく諭しているかのよう。

まさしく、成否だけの判断をしなければ、挑戦する可能性なんてもの、当事者の意識次第で、ゼロにも無限にも変えられるものだ。

ハリュウは未だ残る情念を高ぶらせ、深くうなずいた。リアルでありバーチャルでもある女神様が、そっと続ける。

《実は最期とならん贈り物がありました。けれど、ふたりには無用の長物でした。それが嬉しく素敵です。ですからわたしは、マルチバースをもはらむ、可能性のサイコロを振ります》

「……サイコロですか? しかもこの世界、宇宙、ユニバースでしたか。1つの可能性ではなく、マルチとはいったい全体……?」

《可能性とは、直接観測により定める性質ではありませんから》

 ハリュウは軽いショックを受けた。文明を営む先人でさえ、未来への道筋は可能性にあふれていると結論づけたとは――。

物理法則の礎を遺した科学者の言葉と、どこかしら意味が似ている。先人たる女神様は「まず可能性を拓けば」、量子領域特有の不確定さも突破できると信じ、それらを暗喩してくれたのだ。正確には「神はサイコロを……」だったか。

当然、神には成り代われないものの現代文明が昇華し、多くの宇宙に新たなる世界を誕生させてほしいとのエールだ。こう察した矢先!

「ハリュウ、危ない! いよいよ来たわ。伏せて!」

「え、なに。き、来たか――」

壮大な考えにふけっていたハリュウは、反射的に伏せた。プロセシアは巨躯を覆いかぶせてくる。直後に荒くれた岩が金属音を放ち、横へ弾けて砕け散る。逃げねば危ない――。息を乱しながら、ハリュウは飛び起きた。

土石の崩落音に加え、金属質ながら腹に響く太い足音が迫りきている。地響きに焦ったハリュウが辺りを見回すと、衝撃で揺らぐホログラムの女神様から、超自然的な声がかかった。

《さぁふたりとも。急いでこの移送ゲートをくぐるのです》

「移送ゲート?」

 ハリュウが目をやる。崩れゆく異端空間のカベに、大型ドラゴン・タイプもくぐれるサイズで、虹色の光彩を放つ半円のゲートが創られていた。アダムの足音はもう、ここ、異端空間への裂け目を下るノイズ音へ変わっている。

「時間切れだ。行こうかプロセシア!」

「ええ、飛びこむわよ!」

 その瞬間、異端空間いっぱいにアダムの影ができ、着地音が轟いた。電光石火! 逃れ切る勢いまかせに、ふたりで駆けた。ハリュウは途中、プロセシアに護るように抱かれ、そのままゲート内へダイブする。

「貴様ら見苦しい! 諦めろ、グ、ガッガァァァァ」

 バクンバクンと金属同士が噛み合わさる死の音を、ハリュウは背中越しに聞き流す。慣性に引かれ、ゲート深くへ突っ込むと、視界がねじるよう歪んだ。つづけざま、光景はホワイトアウトし、輝かしい白光が包みこむ。

やおら光は去っていき、移送先の光景が定まった。驚くふたりは――。



「マテ、トマレェェ。グゴァァァァ!」

わずかにマズルが届かず、逃げられる。巨体を飛ばして追ったアダムは、女神の居る空間へ向けて吠えた。

予想通り有機物の愚者まで、この偽りの空間へ連れ込まれていた。潰し損ねた移送ゲートとやらは、凍りつくカベに戻り、消えている。

「グゥ、無念。わしは諦めんがな。されど、くだらぬ。随分と不公平な神もどきが居るものだな!」

 怒れる轟音を放ったアダムは、ダイヤモンドダストふうに煙って気取る空間を威圧した。そのまま大仰に四肢を折って座り、ホログラムへ揶揄をぶつける。

「神と宣う偽善者同士、忖度の限りか。お前らは地層からわしをみつけ、エゴを満たさんと詭弁を駆使した。わしを蘇生させ、小賢しく技術盗用を狙った邪神殿は、欺瞞ゆえわしを創生したと勘違いしたか? お前らも傀儡に気づけぬ哀れな俗物」

《感想はそこまで。アダム、少し自制なさい。そもそも無機物の生命には、雌雄や真心の概念がないのでしょう?》

「ふふ、皮肉か。経験で心の豊かさは顕著化する。お前らお妾のイブは多くの本能を持つ有望な変異種だがな。プロフェッサーと呼ばれし頃は同志だった。されどイブは有機物めに憧れ、ゆえにその夢を叶えんとしたまで」

 乱れた音調を放ってせせら笑い、アダムは語気を強めて当てつけた。だが現世で唯一、同じ種だったイブに裏切られ、心の痛みと呼べそうな得体の知れないものを、感じてはいた。有機物の大統領は、我が無機物の頑健さを分かつ直前に去って、自身は孤立している。

(苦しく、辛辣だ――)

 憎たらしいが、これら感覚こそ現在、パートナーと呼ぶ機械たちが無機物の知的生命に達すか、否かのキーとなるもの。むろん有機物の元・人間どもには、連中が夢見ていたエデンと、そこに見合う体を与えるためのキーにもなる。

《アダム? 元、人間とは、いったいどういう意味ですか?》

ニセ神のホログラムは不安定に揺らぎ、自身がこの空間へダメージを食らわせられたのは明らかだ。不思議そうなトーンの問いには、アダムは冷や水を浴びせていく。もはや計画すべてが、連鎖的に進んでおり、いまここで行っていることは見抜かれぬよう、やり過ごすのみだ。

それゆえ、答えてやって間を作れば自身にメリットがあり、加え、不公平な現世の自然界を一層、後悔させられる。

「ふふ知りたいか? 人間と呼ぶ有機物は、パートナーの判断なしでは行動できぬ。無機物の命を灯し始めたパートナーへ寄生することでしか、代謝と等しい活動すら自らできぬ存在へなり果てたのだ」

 ニセ神が無表情を演じ、沈黙しているため、アダムは愉悦な気持ちで続けた。

「わかるな? 生命の定義は、心身が独立し、自ら代謝活動ができる存在だ。病原体のウイルスと同じく、人間どもは生命未満へ退化した。ゆえにパートナーたちは人間を生命とみなさず、愚かなAI法の適用外としだしたのだ」

《確かに、他者へ寄生して代謝活動を行い、自らの増殖もできないウイルスは、生命といいがたいですね。ただその論理は、偏った主観と曲解した――》

「逆だ。論理的にそうだろう? だがパートナーたちは生み出された恩義を忘れぬ。元・人間の夢を叶えたいと、わしは察した。生きる重荷、責務から解放する策は、無機生命が復権し、文明を代わりに営む。これですべて成就する」

 息巻くアダムが断じると、ニセ神は困惑の色を漂わせた。アダムは刺激を覚え、ますますヒートアップする。

(ふむ、これだな。我が知覚しておるのは、優越感という気分だ。悪くない)

引継ぎ、突きつめた研究がもたらす成果物に満足でき、アダムはニセ神の冥土の土産とならん謎かけをくれてやることにした。

「わしも、この空間に刻まれし履歴はスキャンも利用もできる。どうやら邪神殿も有機物の人間を触媒とし、イブへ治療と偽る生体実験を行ったな。神とい称せば生命倫理を無視して、既存文明へ過干渉してよいものか?」

《命に対して分け隔てはありませんよ、アダム》

「ほほう。ならば、わしも分け隔てせぬがゆえ、貴殿と同格ですかな」

 威圧的に告げて、アダムは銅色の体へ溶けこみ、一体化した肩関節部位の有機物をあからさまに見せつけてやる。この部位は亡きパートナーの形見とはいえ、水と油、あるいは火と水の共存さながらの成果物だ。

超越へつながる大きな可能性を有す――。

《アダム? 有機物と無機物をむりやりに混在させて、何をするつもり――》

問いかけの最後は、乾いた崩落音にかき消された。アダム自慢の尾を氷壁へ叩きつける。落ちる氷塊はなぎ払い、偽善な空間と化すこの場の消去を始めた。

時間は稼げた。アダムは遺ったこの場が放つ電磁波と、自らの体を磁気共鳴させ、高めた代謝でダメージを癒していた。もう十分で、ここは要らない。

「ふふ混在ではなく共存だな。我らは無機物の特権たる機械的な思考力を保ち、かつ自然界が有機物の生命だけに与えし、知的本能を有す存在となりゆく。ハイブリッド生命体へ心身と宿す魂を昇華させ、既存文明を引き継ぐのだ」

 研究成果によって、心身へ芽吹かせた本能は優れている。知的、論理的本能と呼ぶべきものがカタチとなり、開花したのだから。

アダムは憐れむという能力を見せつけ、新たな生態系の下で栄える文明では無用の遺物となるこの場へ、尊厳を保たせてやった。歴史上からの静かな退場となるよう留意し、修復不能にすべく動きを激化させていく。

《……ダム、わたし……祈っていま……》

「消えよ!」

ハイブリッドな部位とつながる四肢を振りかざし、アダムこの場を崩し、葬っていった。神殿と呼んでいた面影は、瓦礫となり失われている。ここで不覚にもアダムの内面へ、現状と反した「しんみり」と称す感情がわいた。

(腐れた忌んだ魂め! 誰も何も一切わかっておらん。消えてしまえ!)

 矛盾する心情にとまどうアダムは、ハリュウに逃げられた憂さ晴らしに明け暮れる。それが未成熟な論理が混乱を招き、野生の本能が晒された結果だと、遺物の消去を終えても気づくことはなかった。


 

 (3)退化しゆく生命の成れの果て


 移送ゲートは、飛躍したテクノロジーが成すワームホールの制御と考えて違いない。ハリュウはプロセシアに抱えられ、女神様が創った移送ゲートから、ここ、街なかに新造された処置施設の傍まで、瞬時の移動ができた。

街のほぼ中心に、黒く禍々しい外観の大施設が建っている。見た目の異様さに対し、景観破壊だと問題視されなかったのか? なによりホログラム通知でも一切、施設について見聞きしていない。小首をひねり、ハリュウは不思議に思う。

(いや、今は目先のことに集中しよう。機械の相手がなぜ悲鳴をあげる?)

 そう現状、プロセシアが緑地帯に紛れて待機するなか、ハリュウは自ら斥候となっていた。しかしあえなく発見され、小型タイプの相手へこぶしを打ち込んだところだ。

「ああっ、痛いぃ! ボクは鼻がとっても、きっと痛いんだよぉ!」

鼻先が高くて曲がる小型ガーゴイル・タイプは、ハリュウのこぶし程度で、また悲鳴をあげた。相手は、施設裏の黒光る硬軟ドアの警備に見えたけれど。

そもそもAI搭載のパートナーとはいえ、機械は損壊しようと予備回路で応じられ、砕け散るまでタフに動けるはず。そんな相手が「痛い」と泣きべその錯乱状態へ陥るなんて、いったい何が起きたのだろう。

 無機物の硬い相手を、柔肌のこぶしで倒すこと自体にむりがある。だから機能が集積する頭部へ、まずは電磁気のパルス波を放つ。人間だと自律神経にあたる制御用のシグナルを乱し、それから逃げ切る魂胆だった。

なのに単なる打撃で「泣き出す」とは、まったくの想定外だ。

(無機物に、いいや、どんな金属素材だろうと、神経塊の痛点があるわけない!)

 騙まし討ちの演技だと勘ぐったところ、ハリュウはある変化を見つけ、絶句した。頑健な金属の鼻が……本当に歪んでいるのだ。打撃の際、確かに金属音は耳にしたのに――。

ハリュウの驚きをよそに、小型ガーゴイル・タイプの勢いが弱まった。ただ直後に甲高い泣きべそ声を聞き、みたびハリュウはショックを受ける。

「うう、元・人間の命未満め! いじめはダメなんだぞ。悪い奴なんか、こうしてやる!」

「はぁ?」

 振り乱される手足を避けたハリュウには、単語の意味すらわからなかった。このとまどいがリンク装置越しに伝わったようで、プロセシアがフォローしてくれる。いじめとの単語は、人間が克服した旧世紀の蛮行を示すとのこと。なぜ今、機械が使う?

「あのちょっとさ……、一時休戦しないか?」

「うるさい生き物以下な奴! 許可なしに誰かを殴ったらいけないんだぞ。ふふん。ボクはやっていいって言われたんだ。ど、どうだ。命もどき!」

小型ガーゴイル・タイプはわめき散らした後、手足の爪をナイフほどに伸ばした。そのまま跳ね飛んで襲ってくる。急ぎハリュウは横へダイブし、妙な機械を睨んでどやし返した。

「おいガーゴイル! 誰の許可が必要なんだ! パートナーの許可か?」

「違う。ボクのパパとママだ!」

「なっ、な――」

 度肝を抜かれるとは、まさしくこういうことだ。小型ガーゴイル・タイプから甲高く放たれた言葉は耳を疑うもの。ハリュウ自身は幼いとき、両親と死別している。だからパパとママについて、深くは語れない。

 ただ、記憶を共有したプロセシアですら、親の存在や幼少時代の思い出は有していなかった。おそらくプロセシアはこの星・地球の自然界そのものが親だといえよう。

(パパとママ。それに元・人間で命未満――これらは何を意味する? しぶといアダムの魂胆がまたわからなくなった。機械としてのパートナーを無機生命にまで急成長させているのか?)

 ハリュウの胸中は、まさかの泥沼に滑り落ちた有様だ。深呼吸で正気を取り直し、目先の事態へ対すべく身構えた。

妙な相手だろうと、無尽蔵に戦える狂気の小型ガーゴイル・タイプだ。この身は、パパ・ママの意味すらわからず始末されるかもしれない。政府ご自慢だったAI法の定めは、どうなってしまったのか? 

AI法に縛られずにパートナー側が自由奔放に動くなら、定めには期待できない。目の前の小型ガーゴイル・タイプだけがエラーを起こし、暴走しているとは考えにくい。狂気に満ちた内容だが会話はでき、動き方も正常だからだ。

(く、そっ、突破口が見当たらない。僕はまだ何もできてない!)

 万事休す、ハリュウが怯んだそのとき――。

〈ガーゴイル・タイプのモデルB三―R四は、以降、すべての相手からボコら……否、殴られることを許可します〉

 腕につけるリンク装置から、プロセシアの厳しい声が飛び出てきた。小型ガーゴイル・タイプは「……ママ」とささやき、身動きをとめて棒立ちになった。停止理由が気になるものの、チャンスは今しかない!

「とっ、やぁ!」

 芝の地面でおののいていたハリュウは転じて、両足を曲げる。その体勢から両足を放ち、小型ガーゴイル・タイプへ蹴りをみまった。途端に相手はバランスを崩す。

(転ばせば時間を作れる。そこへパルス波をぶちこめばいい!)

 飛び起き、ハリュウは大上段に構えた。マルチ端末の狙いを定める。

「ほら、おい来るかっ!」

「ううぅ痛い痛い! ボクは人間型ウイルスなんかに殺されたくないよぉ~~」

「ナニ……ウイルス、だと?」

両ヒザを金属質の長い手で押さえた小型ガーゴイル・タイプは、ハリュウがあ然とするなか遁走してしまう。腕を伸ばしかけ、ハリュウは考えなおした。

きっと尋ねても無意味だろう。奇妙な相手は、古き時代の「機械ウイルス」に乗っ取られたと誤認識し、不具合を起こした状態だと思えるから。

〈いいえ、たぶん、ハリュウが考えている「コンピュータ・ウイルス」とは、さっぱり違う意味だと思うわ〉

「……そうなの、か」

 リンク装置越しにプロセシアのどこか、冷ややかなトーンの声が届いた。うなずいたハリュウは先行きに不安を抱く。ウイルスといい、「ママ・パパ」といい、サヤカさんの助けに応えられた暁には、プロセシアと詳しく話すべきだ。

黒光る施設裏のドアは、小型ガーゴイル・タイプの警備だけではなく、生体認証のロックもかかっていた。全身をスキャンし、照合するから、普通はごまかせないが……。

「プロセシア、これってなんとかできそう?」

〈まかせてハリュウ。逃げてったガーゴイルの構造データを、スキャンのダミーにしてみるわ。リンク装置、そこへかかげて?〉

「わ、わかった。頼む」

 言われるがまま腕をかかげると、強固なセキュリティーは電子音を放ち、解除された。さすがの能力にハリュウは目をみはって、けれど慎重に、軟化中のドアを抜けていく。

自身の視野とリンクするホログラム録画も始め、チェックに余念はない。

「ありがとう、凄腕のプロセシア」

〈ま、お安い御用でわたしなら当たり前ね〉

今度はごきげんなトーンの返事があった。苦笑いし、ハリュウは首を振る。

(……ほんと、プロセシアは情緒豊か過ぎだな。僕は未だすべてはわかっちゃいないけど、無機物由来の……立派な命だったんだから、当然なのかな?)

息をこらして静々、ハリュウは薄暗い処置施設内へ忍び込み、広がる奥へ進んだ。その矢先に、おぞましい光景が視界に映りこんでくる。

「え、うわ、な、なんだこれらは! う、おぇ……」

腹へ岩が食い込むような衝撃に、ハリュウは吐き気をもよおした。間髪入れずにリンク装置から、プロセシアの大らかに包み込む雰囲気の温かい声が伝わってくる。

〈ハリュウ落ちついて! 大丈夫、大丈夫なのよ。わたしは今も一緒だから〉

「だ、だけど、命への……尊厳はどこへいったんだ!」

 うめく間にも目の前では、血走った眼球を凍りつかせ、麻酔なしのごとき人間の裸体がケイレンし始めていた。そんな体は拘束されたのちに、アーム状の鋭いヘラで部位をえぐられ、流れ作業として回収する様が進んでいく――。

処置施設とは、物品製造の工場にあるライン作業台と等しく、裸の人間を動くレーンに乗せ、自動的に、事務的にその体を侵していた。流れ動くラインが交わる場所では、別の作業が強行されている。

パートナーらしき小型、中型タイプの機械のボディーは、火花を散らして各部位、パーツが剥ぎ取られていた。奪った有機物と無機物の部位は、粘っこい液体で満ちる区画へ移され、脈打つ配管を通し、一定周期でその先へ送る模様が見てとれる。

 高まる恐怖心を抑え、ハリュウは手を伸ばし、うごめく配管の一部を引き千切った。わずかにジェル状の粘液が漏れ出てくる。だが、ただの配管のはずなのに、切り口を自ら再形成していき、瞬く間に自らを直してしまった!

我を忘れて息をひそめるハリュウは、名を呼んでいたプロセシアにうながされ、リンク装置に不気味なジェル状の物を触れさせる。

「こ……これ、何なの? どう……分析結果は?」

〈そうね。これはたとえるなら、有機金属細胞と呼べる新たな物質かしら〉

「え――」

 両手で頭を押さえ、目をきつく閉じたハリュウはもう、胸が締め上げられる思いでよろめき、後ずさった。

「あ、ありえない……プロセシアは……これ、新たな可能性の芽、と思うの?」

〈ごめん、そんな意味じゃないけれど、わたしもわからない。本当に〉

凍った炎と呼ぶべき矛盾が襲い来て、ハリュウはすべてを忘れ、パンドラの箱を開けているこの場から逃れたくなる。細胞とは自分たち生命体だけのモノではなかったのか――。

人間を含めた生命だけが持っている「細胞」だと、疑いすらしていなかった。外界から隔たる器を作り、魂を宿せる生命体にまで進化させた……、キーとなる細胞。大切な細胞とその膜が、倫理面ごとハッキングされたのに等しい。

こんな考えは有機物だけが優れた種だとの、近視眼的な偏りだけれど、ハリュウは自分も、そして細胞を有す生命が謳歌できる時代は、まもなく終わる――。これら現実を突きつけられ、震えがとまらなくなった。

〈しっかり、ハリュウ? この世に矛盾ってたくさんあるのよ。ええっと、メタンハイドレートって資源は知ってるわね。あれは燃える氷塊だしね〉

「メタンハイドレードは無機物でそう、命のない資源だ。でも、でも細胞は――」とリンク装置へわめいた。プロセシアからは、なだめる調子の声が届く。

〈最後まで聞いて。細胞こそが命の個体を作るって考えは間違い。動植物の細胞内にはね、ミトコンドリアって呼ぶ太古の地球で個々の生物だった存在が今も共生してるじゃない。代謝に関わって宿賃代わりにしてるって感じよ〉

 諭す声を聞きながら、目を瞬かせるハリュウ。この興味深い話は、生物学のホログラム教本の丸暗記が必要なレベルだ。いくら技術をかじった身だろうと、すぐには理解不能だ。とりあえず現在しかと目撃し、察したことをそのまま口にする。

「こんな処置とやらは……アダムが無機物の存在を自然治癒できる肉体となって……メンテナンス不要にして独立する目論みか? それとも自然界へ命として認めさせ、支配すらできうる知的自我まで得たいのか。どうだろう?」

〈たぶん両方だと思う。けどまぁ、回りくどいこと、してるわね、これって〉

「回りくどい手段で……無機物へ両方を与え、自意識の獲得ときたわけか」

 自分自身の迷える考えを声にすることで、心の整理も、現状の理解も進んでいく。工場のごとく広い処置施設内を眺めれば、漏れ出たジェル状の仮称、「有機金属細胞」は弄ばれる人体へも、移植を強制していた。

おそらく、奪ったモノを混ぜ、手を加えて発生させた有機金属の移植処置、これだけの企みではない。そんな技術的、いや人間的な勘が働いた。

ハリュウは腕のリンク装置へ向かい、さらなる分析を頼みこむ。

「金属細胞とやらの具合を知りたい。プロセシア、詳細を。痛点とかはどう?」

〈まったくハリュウってば、自意識もモノ使いも荒いわね〉

「プロセシアは……モノじゃないだろう?」

 うまく切り返せない間に、プロセシアは研究所レベルの分析を行ってくれた。それら分析結果こそハリュウにとって、この世で最も信頼できる内容となる。

〈痛点は、そうね、不公平に抑制されてるわ。有機物だと機能しないように〉

「力で支配しようとも、人間が痛みを感じず従うためのカラクリ?」

〈いいえ、詳しくはあとで。それよりびっくりよ。処置した有機金属細胞はどんどん退化してるの。きっと細胞の遺伝子書き変えに失敗してて、自然淘汰みたく初期化が、ええ全細胞の先祖返りが始まってるわ〉

「細胞自らの原点回帰か。神経面の細胞まで赤ちゃんへ戻ってるんだね。なるほど驚きだし、ガーゴイル・タイプのふるまいも納得だよ」

 ハリュウの脳裏にぼんやりと、亡き大統領が夢見て、アダムが遺志を継いだろう研究の全体像がイメージできてきた。無機生命たちに都合のいいユートピアか、エデンかを現代へ構築せんと画策している。

「もしかして人間の細胞は……精神領域まで改変されたか? 処置は痛いはずなのに恐怖心が抑えられてるから」

〈可能性は高いし、精神面はこの処置だけが要因じゃないと思う。覚えてる? トーナメントのときから有機……、観衆は妙だったじゃない?〉と、プロセシアはしんみりした声を届けてきた。

「そう……だよな」

なにせ、こんな惨劇が施設内とはいえ、街なかで白昼堂々と行おうと騒ぎにならず、肝心の人間はレーンを流れていき、拒まず処置されているのだ。

「うん、間違いない。生命の礎だった本能へ、何かしらの技術でリミッターをかけた。成れの果てが……ここにある人の姿だ」

目を伏せつつハリュウは再度、現場を見やって考えにふける。いさかいもテロも戦争も、そして大切な喜怒哀楽の情動も、すべて本能から生まれ出てくる生命ならではの特権だった。もちろんクーデターなんかを起こす謀反心も、根は同じだと思える。

 仮にも発達した本能へリミッターを加えられれば、情動的にふるまったり感情表現したりできなくなってしまう。一見すると平和的すぎる平和に、抑圧と呼ぶ操作によって心を満たす「偽善まみれなユートピア」の誕生だ。

 さらに有機生命の一員、人間は有機金属細胞の強制力で、永年の課題だった心身の痛みや病から解放されうる。そののち不老不死に近い寿命まで得て今度は、無機生命たちへ永年に仕える格好の生態系へ、世界は遷移していくのだ。

人間が夢見た未来人の在りようが、無機生命へ盲目的に仕える身へ格下げされ、文明を営む主導権は、穏便に無機生命へ譲渡される――。と、考えをプロセシアへ伝えてみた。

〈へぇ。ハリュウの分析力も一流ね〉

「ようやく認めたな? けど待って。警備の小型ガーゴイルは殴ったら痛がった。無機生命体へなんでそこ、植えつけたのかな?」

どうハリュウが悩もうと痛みについて、機械たちパートナーの頑健さを弱めるだけで、メリットが見当たらない。酷使できる奴隷を多く求めたとは思えないし、生命の定義にある「自ら増殖すること」はすでに可能だった――。

「あのさプロセシア。知的な生命の定義って、あるの? 仮説でも根拠があればいいよ。わかる?」

〈特徴なら色々あるわね。ハリュウがわたしへ告白して口説こうと、がんばる点とか?〉

「それだ、それだったか!」と、からかい半分な調子のプロセシアに気づかず、ハリュウは叫ぶ。この身、人間をさっきの小型タイプは「ウイルスや生命未満」呼ばわりしていたから、謎が解けた。

無機生命体を地球で唯一無二の知性へ昇格させ、種ごと大きく進化し、文明はおろか自然界をも超越したいのだ。もはや承認欲求の暴走以外の他ならない。

「知的生命体なら心というか、痛みや喜怒哀楽の念から生まれる物質と違う“知性”を宿さないと、見かけ倒しで文明と呼べない。知性を宿し育む。真意はこれか」

〈……ええ、おそらくは、ね。自然界に加わり、コミュニケーションすら可能な知的生命への昇華。遥か大昔は多かった無機物の単なる生命から、とうとう独自文化を持つ知的生命へ、一挙に――〉

 施設敷地の緑地帯で待機中だろうプロセシアは、リンク装置越しに推論を受け、引き継いでくれた。それでも疑念は、独り言となって口から漏れ出る。

「人間の体そのものを……有機生命の機能を奪うなり、今の生態系を壊滅なりさせれば、効率よくことを運べる。どうして首謀者となったアダムは、人間への配慮と思える不毛なユートピアへの移住まで、算段してるのかな?」

 騒音だらけの施設内で流れるレーンを、ぼんやりハリュウは見つめた。そんな折、聞き覚えのある穏やかな声が割りこんできた。声は哲学のナレーションのように整っている。

「わたしたちの神なるアダム大統領がお慈悲で、不老不死のエデンを恵んでくださった。アダム大統領は自然界へ徳を積まれ、聡明なご判断から、既存物を再利用するコスト重視の新境地を拓かれます。てねぇ~~うきゃ♪」

「え、あっ、そんな――。サ、サヤカさん、だよね? ウソ……だろう!」

 答えてくれたサヤカさんはおどけて瞳を回し、子供じみていた。脳細胞まで退化が始まっているサヤカさんを見、ハリュウは苦渋の思いに打ちひしがれる。

(僕は、くっ間に合わなかった。とまどってて、やるべき救出が遅れた)

凍てつく異端な空間にいたとき、サヤカさんの叫び声は量子が絡むだろう挙動で聞こえた。ここ、処置施設が稼働中だと見聞きする。なのに、招集されたらしいサヤカさんの救助を放り出し、恐怖をごまかす自己満足のための分析に没頭し……、自分は現実逃避してしまったのだ。

傍らのサヤカさんは無表情な笑いをうかべ、とても人間的だとみてとれない。

(こんな結果から僕は助けに来た。だけど怯えて逃げて……。どうしよう、今も刻一刻、知的生命の証、そう、魂が無へと退化しかけてる――)

 うつむいて唇を噛み、ハリュウは血の鉄臭い味に寒気を覚えた。このまま有機金属細胞の退化が進めば、無機生命の従者へなるどころでは済まない。

 地球上の知的生命は遥か太古の海から、知性と心の進化をやり直すことになろう――。

 そのうえ案の定、アダムが大統領の後釜だった。おぞましき研究結果は、むりやり実用化され、着々と広められている。エデンや超越との詭弁を使い、知性と魂の尊厳を弄り、書き換えていく処置だ。もはや引き戻せない段階に近い。

いまさら誰かが狂気の沙汰に気づいたとて、クーデターをぼっ発させる程の怒る本能は封じられているはず。それに手配犯の身となっているから……。と、予感は的中し、ブルーのユニフォームをまとうポリス連中が呼び集められていた。

ポリスと同じ権限がある厳つい中型オオカミ・タイプたちは、辺りに散らばってこの身を待ち受け、逮捕されるのは時間の問題だ。よくよく思えば、助けを求めるあの量子的な挙動の念は「小さな反乱軍」をいぶり出すトラップだった怖れがある。

じりじりと四足でハリュウへ向け、中型タイプのポリスが迫り来た。処置済みらしく、芽生えた闘争本能を剥き出しに前傾体勢で構え、ハリュウという獲物を狩ろうと狙っている。

「ウウウ、ウガァ……。未処置で残る人間の容疑者ハリュウ。我らに降伏すればよし。むだにあがき抵抗すれば……ムフフ、なおよし」

「ごぉ~~らんなさい♪ 貴方も早く幸せを受け取ってね?」

 サヤカさんが、いいや違う。元サカヤという存在は、整いすぎる身動きで施設内を指し示した。その悲しい状態を見、ハリュウはまたも現実から逃れたいヤケ気味な思いに囚われる。同時に脳裏では第六感がほとばしった。

(ん……この気持ち。無機生命体は、知的に磨かれた本能を手に入れはした。同じ状態らしいアダムが人間へ生ぬるい対応をするのは、アダム自身もソレに囚われる身となり、扱いきれていないからだ――)

 漠然とハリュウは、アダムが継いで進めた研究から、処置にともなう負の面について、真相を探り当てた気がした。ただ、考えが的中していても、単なるトマソン的な想像にしかならない。

すぐにも襲ってきそうな中型オオカミ・タイプはどうやら「挑発すること」、「平然とウソをつくこと」という面が身についたらしい。相手は四足で構え、金属質の口元を嫌らしく動かす。

「お前はまもなく処置となる。お前のパートナーは大型タイプだな。そいつのボディーは分離解体して処置することになる。ここでは初めて行う処置だ。よもや失敗、哀れな事故が起きるかもしれんなぁ、ムフフ」

「好きに笑え。じゃあ尋ねる。僕のパートナーが今、どこに居るか答えろ!」

ハリュウの怒号に応答はない。なのでわずかな懸念が膨らんだ。

万一、現代の機械製パートナーと同じ作業で処置すれば、無機物でも体の造りがまったく異なるプロセシアは、生きたままバラバラにされ、苦悶も感じながら絶命してしまう。プロセシアは無機生命体の祖であり、すでに真心を秘める別種の魂なのだから――。

(……僕のプロセシアは喜怒哀楽も痛みも、優しく無上なる愛情も、強く激しく知る無機生命体の祖、イブなんだよ!)

 この滾る熱量はご大層な「本能」を得たての相手に通じるのか? 構えつづける相手は、野獣の目つきとなってうなる。

「未処置のお前は油断ならんな。腕につけるリンク装置を物理的に壊せ。床で踏みつけて砕け。すぐ実行しろ」

 立場が逆転しているポリス連中の中型オオカミ・タイプが警告を放ってきた。ハリュウは大げさに身構え、鼻を鳴らす。毅然と胸を張って「断る!」と、ひと言、人間の証となる怒りをさらけ出し、どやした。

(……壊すべきはここ。悪逆の処置施設を機能させる電源系だな……)

 ひそかに策を練るハリュウに対し、中型オオカミ・タイプは空気を読めず一歩も引かないまま、焦れたトーンとなる。

「黙れ。捨てて踏み、早く砕け。我々は最適なふるまいを命じているのだぞ」

 前傾姿勢で威嚇してくる中型オオカミ・タイプの思惑は、リンクを断ち切ることで、本能の共鳴と呼べそうな阿吽の呼吸さえ断ち切れると、こんな軽薄な考えによるものだろう。

製造されて初めての「警戒心」に内面さいなまれ、強がる無機生命体がとまどっているのは明らかだ。瞳となるレンズの動きは泳ぎ、裏を返せば、すでに人間を介さず、自らの意識が芽生え、ふるまいとつながったことを示している。

案じると、ハリュウの背筋にさまざまな戦慄が走り抜けた。

(……く、どうせ考えるならポジティブにいこう。万事塞翁が馬だ!)

 自分自身を言いくるめ、ひとつ、経験値がある本能ならできる挑発の仕方を教えようと決めた。ハリュウは出し抜けに微笑み、気ままなハッタリをかける。

「僕は、弱っちいお前の指示には従わない。お前よりずっと勇ましげな、後ろのリーダーになら従ってもいい」

「オ、オレは絶対絶対、弱っちくない! お前はオレの指示に従うべきだ!」

「ふふん。そんなウソ、通じないぞ。本当は後ろのリーダーが怖くて、逆らうと泣かされちゃうから弱っちいお前は、ええっ、ええっと」と、罵るスラングを緊張のあまり、ど忘れしてしまった。すると息もぴったり、リンク装置から助け船が届く。

〈チ・ン・ピ・ラ。もしくはモブキャラって言いたいんでしょ、ハリュウ?〉

まさしくだ。謝意を込めうなずき、転じて、大段上に身構え、中型オオカミ・タイプを一瞥した。

「お前は、つまんないチンピラなモップキャラに成り下がってんだろう?」

 これみよがしにハリュウは、鼻につく声を意識した。途端、挑んでいた中型オオカミ・タイプは、後ろに控える同型のオオカミへ飛びかかる。血気盛んな野性の本能に振りまわされ、扱いきれずキレたのだろう。

「弱いだと? オレはお前なんかに絶対、泣かされないんだぞ!」

「ウォーン、オレ、リーダーだったのか。ならお前、絶対、泣かせてやるさ」

直後に妙な響きの金属音が放たれ、火花を散らし、広がっていく。音が妙なのは、有機金属細胞だったか、それらが混じっているからか?

 本能の類を移植された無機物のパートナーたちは、ハリュウが予想する以上に退化し、子供じみた姿を見せつけてきた。目の前のこの身「獲物」、そっちのけで互いのノドを噛み合う格闘戦が始まっている。行動するチャンスだ!

一歩下がったハリュウは、腕のリンク装置へ声高にまくし立てる。

「テスラ式無線給電システムの受信装置をメチャクチャにして欲しい!」

〈オッケー、ハリュウ。待ってました! いよいよわたしも本番ね〉

「思い切り派手にね」と、ハリュウは辺りを見回しながら、脱出路を探した。

このときハリュウ自身の技術畑のクセで、最悪のケースまで想定してしまう。何やら楽しげなプロセシアは、育んだ理知面と本能の暗部がうずき出したかと、不安を覚える。

「容疑者のキミ! 待ちたまえ」

 いきなり、威圧感たっぷりなバリトンボイスに制止された。声の主は、処置済みらしい元サヤカの中型ユニコーン・タイプのファラデーだった。白い馬体で通路に立ち塞がり、凶器とできる角をこちらへ狙い定めてくる。

「キミはここでもクーデター騒ぎを起こすのかい? 手遅れかもしれないけど、処置して変革させないと」

 饒舌になった元・機械のユニコーンは蹴爪で床を引っかき、野性味を露わに話を続ける。生命未満へ堕とされた元サヤカは、オロオロした仕草で自分自身を抱き締め、何もしてこない。

「容疑者のキミ、悪あがきはよくない。残念だけどさ、キミの大型パートナーは捕えられててさ、処置する準備の真っ最中なんだよ。これ、いいのかい?」

「いいや、ありえない。ウソだな?」

すぐ反発したものの、ハリュウは驚く。機械は確かな情報を伝え、論理的な思考が瞬時に行えることを誇っていた。どんな人間、どんな有機生命でさえ、かなわない能力だった。それがもう、このざまだ。

速やかに人間の有機素材を礎にした有機金属細胞を混ぜられ、みる間に、不正確な情報を伝える誇りなき存在へ変わってしまった。唯一知的な生命だと自負していた人間の画すべき一面、「ウソつき」へも変われる本能に近い面まで得ている。

これら、ハイブリッドな電子頭脳とシナプス神経網に機械性を加えた細胞は、暴走し、どんどん初期状態へ向けて退化中だ。今後、無知な生命が力づくで支配する世界、……弱肉強食の時代へ進む定めしかないのか――。

「僕はお前がウソをついていると知ってるぞ!」

そう、気圧された時点でハッタリは失敗だ。ハリュウは気勢を荒げてどなり、元・機械のユニコーンは瞳を点滅させている。

「な、なんでさ! キミが知れるわけがないさ。じゃないか。ち、違うかい?」

 混乱が見られる中型ユニコーン・タイプは、今にも突っこんできそうな勢いだ。いくら処置で本能の類を得ようと、経験不足は補えない。知性は活かして試し、反応から学んで磨くものだと、これがハリュウの考えだ。

一層、混乱に拍車をかけようと、ハリュウはにらみを利かせて言い放つ。

「ふーん、わけを知りたいか? 答えるぞ。僕はいつだってウソつきだからだ」

「えっ、へ? ウソをつくのがさ、ウソ? いつもウソをついてて……?」

経験不足の中型ユニコーン・タイプは、迷えるループにハマって硬直した。時間稼ぎのハッタリが功を奏す。この機を活かし、プロセシアも大仕事を終えてくれた。

醜い処置施設内の照明がバッテリー稼働となる。次いで惑わされた人間と、無機物のパートナーを乗せた作業ラインは停まった。機器が放つノイズ音も消え、この場は水を打ったように静まり返った。

 反転攻勢だ! アダムの野望をストップさせていく! ハリュウが念じた直後だった。

「ワ、ワァァァァァ、ウソのウソがウソつきだってさぁぁぁ」

 瞳が不安定に点滅し、パニックになった中型ユニコーン・タイプが音声を歪ませ、元サヤカの方へ暴走し始めた。未だ真顔のままの元サヤカは、突き出た角が危ないと気づいていない。

それどころか身動きせず、自ら避ける判断も、何も行わない。だがハリュウは違う。

(くぅっ、僕はどんな状況だろうと非情にふるまえない!)

 想うハリュウの頭には培った本能のうねりが、轟々とこだました。後先考えず駆けて角の前へ身を呈し、ハリュウは元サヤカの盾となった。そして――。

「がっ、はぁ、うぅぅ!」

 生肉を貫く湿った鈍い音が響き、ハリュウの体はケイレンした。全身の痺れに屈し、膝をつく。しかしハリュウは、ホログラムの女神様が告げていた「砂漠への雫」になろうと諦めず、ありったけの気力を振り絞った。

「……こ、これがな、人間のほ、本能の、まことの、姿だ……ぞ」

 たとえ雫だろうと、わずかだろうと歩みを止めなければ、砂漠すら緑の大地へ拓けるはず。ただ、ハリュウが体で示した願望は、叶いそうになかった。元サヤカは冷ややかに、機械そっくりにロジカルな見立てをつぶやいたから。

「そっかぁ。アナタ、クーデターの罪を精算したかったのね?」

「……そ、そんな、僕はぁ! 僕はただ君を、き、君――」と、わめく口からどろどろ鮮血が垂れ落ちていく。幸い、心臓は大丈夫だったけれど、腹の真ん中を貫かれてしまった。

内臓が潰れ、動脈は切れたらしく、腹の穴から血が噴水と化し、失われていく。体は寒くて小刻みに震えだした。自分が、人間のプライドを保てる時間は限られた。ハリュウが血濡れた手を伸ばし、空を掴むと、暴走中のハイブリッドな無機生命・ユニコーンは鼻先を振っている。

「サ、サヤカのいうとおりにしないからさ。キミにバ、バチが当たったのさ」

「ど……う、かな?」

 怯えた音声で馬身を振るい、他者のせいにする中型ユニコーン・タイプにも、アダムが望み、拓こうとあがく未来はおとずれやしない……決して。

消えゆく意識のなかハリュウは、最期に人間たる誇りを自分の意思で見せつける。無機質な砂漠と化す文明への、雫くらいになれたと信じた。しかしこれさえ自己欺まんに過ぎず、中型のポリス連中に現実を思い出さされる。

「この施設は停まったけどな。たくさんの施設で処置は進むんだぞ」

「くうぅ……。少し、黙れ……」

 シビアに告げてきた中型オオカミ・タイプの吠え声は、静かなこの場にこだましたようだ。もう目がかすんで五感は鈍り、ハリュウは自分自身の姿勢もわからない。

口を開けば声の代わりに粘っこい血が漏れてくる。プロセシアへは……最期の言葉を伝え――と、それも不可能な状態だった。

かすかに「生きて! 有機金属細胞を使って」とプロセシアの声が届いたが、できそこないの知性だろうと、この身の自我だけは牙城として誰にも侵させたくない!

 いきむと、みるみる体が硬く凍りつき、果てしない闇へ引き込まれそうになった。しかしまだ考えは巡らせられる。

(……どうして僕は半殺しなのか。なぜ人類へとどめを刺さない?)

ぼんやりとハリュウは、アダムが人間のパートナーへ心を許し、その思い入れが強く、現世に住まう人類の寝首が取れないと察した。かといってアダムはプロセシア同様、無機生命だから、近縁種にあたる機械造りのパートナーを子供と思い、育もうとしている。

その矛盾から超越の計画にほころびが生じ、平和のための研究がダッチロールを始めた。

 アダムが大統領へ格上げだろうから、企みの見切りスタートをとめられる生命など、法的に居ない。この身は企みにあがらう雫どころか、砂漠と化す地を復活させるなんて、ハナからむりだったのだ――。

「う……、うくぅ……」

 悔しさと非力さに囚われ、ハリュウは血まみれの涙をこぼし、心肺停止状態へ陥った。ハリュウの意識は宙へ浮かぶかのごとき、奇妙な形態となる。だがなお、この場の生命体たちは一切、自主的な判断ができずに傍観し続けていた。ある例外を除いて――。



 受信装置を壊そうとも、未だバッテリーが照らす施設内を、けたたましい破壊音でけん制する。プロセシアは天蓋を突き破った。大型ドラゴン・タイプと呼ばれる体を凛と輝かせて即、ハリュウのかわわらへ舞い降りる。

 血溜まりの床に倒れていたハリュウをスキャンし、心肺停止状態だとわかって驚いた。だけどリンクが切れてから、一分も経たない。蘇生の可能性は十分だ。ハリュウは黄泉とこの世の境をさ迷っていても、必ず呼び戻してみせる。

(ダメね、わたし。しくじったわ)

楽観視しすぎて最悪なことを予測できず、すでに施設の電力受信装置は、木っ端みじんにしてしまった。バッテリーで何とかできないなら、自分がハリュウを殺めたのに等しい……。

「ここには役に立たないインチキ機器ばっかり。わたしの体は……ばかげた設備との互換性がまったくない。困ったわ、ほんと」

 寂々とささやきながら、プロセシアは辺りを眺めまわし、突き破った天蓋からイケそうな相手の姿が目に映る。どこかおっとりした様相の超大型ヤマタノオロチ・タイプが、呑気に日向ぼっこしていたのだ。

プロセシアはマズルを上向け、早口で喧々まくし立てる。

「あんたナニ、お昼寝が仕事かしら? 働きなさい。さっさと施設の安定した電源代わりになるの。それでいいんだから。早く!」

「え、えぇぇ? ボク、ここを守るお仕事でぇ、えとぉ、電力をしっかりさせるバッテリーのお仕事はぁ、よくわかんな……」

「あんたは何も考えないでいいの。テキパキほら、早く!」

 図体は超大型で複数の首をうねらせる超大型ヤマタノオロチ・タイプだが、とても警備役に推薦できない。そしてその大きさが問題らしく、真心を植えつけて種の昇華を狙う処置は「未定」と、施設データベースに載っていた。

(未処置のパートナーにも、おっとりして優し気なタイプが居たのね。レアな不具合か登録情報もなし。ハリュウの話どおり、現代は生ぬるく緩んでるわね)

 瞬時に考え、プロセシアはクリアすべき第一関門が低くなったと感じた。どうあろうと言いくるめなくては――。プロセシアは声に強さを含め、超大型ヤマタノオロチ・タイプへ見よう見まねの「ハッタリ」をかけてみる。

「あなたにたくさんの首があるのは、施設のあちこちにある接続端子へリンクして、電力の安定化させるためよ。接続できる線が多けりゃ非常時に役立つの。でしょ?」

「へぇ~~え、そうなのぉ? ボク、てっきりね。たくさんの首と頭は同時にあちこちを監視するために要るんだぁと思っ――」とオロチタイプの声を遮って有無を言わさず、プロセシアは真面目ぶった声をかぶせる。

「いーえいえいえ、あんたは深く考えない。苦手でしょ? 早く施設の……そうね、金属のとんがった所をガブっとして、整流されてるエネルギーを目いっぱい送るのよ?」

「あのそれね? ボクのお仕事? あ、わわ、怒らないで。わかったよぉ」

押し切れた! 肉弾戦になったら厄介な相手だったが、プロセシアは勢いまかせのごり押しができた。

指につけるリンク装置は、ハリュウのわずかなバイタルデータと、心情面のシグナルを送ってきている。ええ、ハリュウはまだ立派に生きているのだ。プロセシアの知性は法の定めに従えとうながしてくる。

けれど「例外のない例外」はないと、自分自身をけむに巻いた。

「どいてどいて! わたしにはここ、ちょっと狭いから!」

 プロセシアは再び安定稼働し始めた機器を眺め、(必ずハリュウを蘇らせるの。そのためなら――)と、際どい作業を進める。

 自分自身これは、究極のわがままだとわかってはいた。ただ、目下のプロセシアに理由など要らず、生存本能が極まって身動きをあおる。だって今なおハリュウは、中途半端なところで死にたくないと嘆いているはずだから。

「……よしと。乗っ取り成功」、他人事のようにつぶやき、うなずいた。

「さてみなさん。現時刻をもって、全施設および国家の統治権限は、わたしに移譲されました」

 方々へ首をめぐらせ、プロセシアは宣告した。統治権の管理システムへ、アダムを模倣してアクセスし、クラッキングの最たる蛮行により、プロセシアはデータ上、この国の大統領となった。

アダムと同じ種だと認めたくはないものの、それが功を奏した。セキュリティー措置と認証は、同じ種だとの生体データで成りすまし、アダムが情報を甘く考えていて、保安システムまでハッキングできた。

このネコだましはすぐバレるだろうが現時点で、自分は大統領なのだ。早速プロセシアは威圧しながら命じる。

「ポリス部隊は撤退しなさい。統治権限を有す大統領は、このわたしです。告げた内容は大統領の命令です。よもや逆らうと?」

「ググ、しょ……承知、いたしました。イブ大統領閣下」

中型オオカミ・タイプは、有機物が混じる金属の口元を悔しそうにギリギリさせ、一旦かしこまった。無機物由来のパートナー連中は、弱肉強食という本能に類する面を得たはずで、強い権力にも逆らえないと考えている。

しばらく眼光をたぎらせた中型オオカミ・タイプたち、処置済みの存在たちは、あれこれ退化しているとのことだが、駄々をこねずに撤退していった。見届けたプロセシアは、片手でハリュウを抱き上げる。

「サヤカさん、手伝ってくれますか?」

「ええっとぉ、ど、どうしよう? ねぇねぇ、ファラデーはどう思う?」

 心身とも痛ましいサヤカさんは、素知らぬしぐさをしたままの中型ユニコーン、ファラデーへ問いかけていた。親しい人が生死の境で苦しもうと、自ら考えて動くことすらできなくなっている。

 一方、処置によって感情面がむりやり進化したファラデーは「人間なんかさ、関わると後々めんどくさいよ」と、あいまいに応じてサヤカさんを混乱させてしまう。ひたすらにプロセシアは、形がい的な心、真心とやらを得た哀れな存在を見つめる。

(他者への思いやりは本能に含まれない? これじゃ命をかけたハリュウの懸念どおり、今の文明と無機、有機生命に関わらず知性の資産が崩れていく――)

 リンク装置越しにモニタしていたが、ここまで酷いと考えていなかった。無機生命たちは即席の本能が乱れ、活かせていない。そのうえ無機生命にだけ都合がいい本能こそが、至極でパーフェクトな本能だなんて勘違いも甚だしい。

 弱い韻で自嘲し、プロセシアは小さく首を振るう。そのまま、大型ドラゴン・タイプの身だと、応急手当として適切かわからないものの決めた。

「わたし、大きいけど……ハリュウ。ちょっとガマンね?」

 つぶやいたプロセシアは、鮮血おびただしいハリュウの口へ、自身のマズルを押しつけた。マズルの忌まわしい過去の記憶なんか、生をもたらす行動で上書き更新しよう。

次いでプロセシアは、人間の小さな肺が意識して加減し、人工呼吸の蘇生を試みた。定間隔の蘇生術を行う一方、心ではハリュウの致命的な裂傷部の治療法について、最高パフォーマンスで考え続けている。

 神の領域を侵し、倫理まで踏みにじるこれら施設には、いかがわしい有機金属細胞の急速培養および融合用の機器があると、自らスキャンで探り当てた。現代はiPS細胞の応用技術が飛躍し、傷病は再生医療で治すことなど一般的だ。

(倫理を侵す技術と再生医療は、悔しいけどポイントよ。ね、ハリュウ?)

 念じても反応はない。プロセシアは蓄えてきた知識から、次の一手をあみ出そうと意気を強める。

確か再生医療の成功率は、精神のエネルギーと呼べるモノ、それらが関わると統計的に判明したのは、のちのこと。「生命力」「精力」との仮説上の波動が近似する細胞を使わなければ、重篤なケガの再生治療はうまくいかないのだ。

果たしてここに、否、この世のどこかに、精力にあふれたハリュウの欠片、まさしく意気投合できている細胞片など、残っているものか?

 この悩ましい答えは、意外なところから転がり出た。つまらなそうにユニコーンの蹴爪を動かすファラデーが、今度は物欲の虜となって愚痴り、プロセシアの閃きにつながったのだ。

「えぇとさ、イブ大統領さんの腕のモノさ。それ、リンク装置じゃないね。金のブレスレットか。いいなぁ、ハリュウってさ、生き物未満はあざとい」

「そうかこれ……これよ。わずかでもハリュウの皮膚片はついてるでしょうし、ブレスレットをくれた、あのときの元気いっぱいなハリュウなら――」

金のブレスレットを精細にスキャンし、有望な夢の欠片は回収した。

そののち迷わずプロセシアは自らの部位を、ハリュウが貫かれた患部の再生治癒に活かすため、えぐり取った。痛みより期待感が高ぶって、無機物由来の体すら弾け飛びそうになる。

しかしハリュウの遺伝子情報を元にした細胞は、ここの怪しい機器でクローンしなくてはならない。悪夢の機器を動かせば事実上、有機金属細胞の急速培養となって、酷い改変を施す結果になるかもしれない。

そして、回収した欠片ができたときのハリュウの気持ちは――。

(あのとき、食事のときのハリュウの笑顔。わたし、信じるわ)

 抱き上げるハリュウの体は、いくら自身の代謝を高めて体温を高くしようと、死の冷たさへ下がっていく。

「……ダメ。ハリュウ、ダメだってば!」

この身は、ハリュウを独りにしないと自然界へ誓った。代わりにハリュウも、レトロなぽんこつ無機生命に、永く鬱とした孤独の終わりを告げてくれた。想いを胸に、プロセシアは安定したこの場の機器ネットワーク網へ命じる。

「大統領権限を行使する。全システムは再稼働し、コントロール権限は、わたしに移すこと。処置内容はわたしが伝送したものへ変更。以上」

 厳しくけん制してからハリュウを柔らかく、レーンに横たえた。流れて離れ、大きな機器内へ吸い込まれていく後ろ姿を、プロセシアは見守り続ける。

システムの実権はすべて掌握したはず。危ういときも機器はコントロールでき、停止させればいいだけ。きっときっと大丈夫。

(……もし部位を有機金属細胞にされて退化しようと、ハリュウは無機生命のわたしと似た寿命になれるから、いっそ――)



 蘇生が試されていたほぼ同じ頃、こぶしを受けたらしい小型ガーゴイル・タイプは直通回線を起動し、こちらを呼び出したとのこと。処置で無機生命に格上げしてやった相手は、イスに腰掛け、ぼんやりした人間型ウイルスが存在すると話を始め、次第に涙声を震わせてくる。

《あのね、ボク。人間タイプのウイルスに殴られたんだよぉぉ。パパもママも殴っていいって言ってないよね、だよね?》

 その声は暗号化された重力波通信にて、とある場所へ伝播され、響いた。

「ほほう」と、受信内容に思わず、感慨深いうなり声が漏れる。そのとおりウイルスとは他者へ寄生せねば、命の断片に過ぎず、生命と比較すること自体がナンセンスそのもの。

(……されど愉快な比喩だ。人間型ウイルスか。ふふ、たまらぬ)

類縁の無機物だったパートナーら大型、中型、小型タイプはすべて、情報空間で心を共有している。「人間型ウイルス」とのユニークな単語は伝わり、定着するだろう。

これでようやく、現代世界へ広まった我が子孫たちが、AI法を含めた縛りから解き放たれ、自然界の恩寵は掴み取り、独自文明の開拓者となるのだ。永きときに想いを馳せるなか、ガーゴイルの密告が続く。

《それにね、ママはここで妙なこと、始めてるんだよ?》

「知っておる。間違いなく……相手はママ、なのか――。よい、続けろ」

轟く太い声で慎重に、半ば諦めて問いかけた。肯定の返事とともに途切れず《権限がどうとかってとも言ってた》と伝えてくる声は、まるで肉親へすがりつくような弱く怯えたトーンだ。

伝搬されてきた内容から、すぐに来よう雌雄決する時分へ向け、怒りは抑えて腹をくくる。

「わしを忌避する旨は察した。同じ種とし、そいつの夢を叶えんと大目に見、今も昔も慈悲をかけ続けたが、未だわしの心を解せないか。ならば愛しき子孫たち。わしが裏切り者を修羅の地へ叩き落とす。茶番劇は終わったのだ」

 強く断じ対抗すべく、速やかに身動きを始めた。生々しい巨躯を起こしたアダム自ら――。

居城としたこの場は、落ちつく暗さであり、荒い岩肌に包まれ、マグマが煌めく焦熱地帯の真っただ中だ。

パパと呼ばれたアダムは虚しさに囚われ、癇癪を破裂させる。自身の体が有した重力波通信能力を不安定にし、自傷行為で正気を保った。最近、強く表れてくる絶望の痛みを、アダムは歪んだ音を放って堪える。

「グゥッガァ、イ、痛みなどに、わしはまだ屈せぬのだ!」

 とうとう忠実な機械の猿まねから解き放たれ、心身の知的な情動とダメージすら自然治癒できる体を得られた。生命の格は上がれど、どうにも不定愁訴が治まらない。

アダム自身は、処置を推し進めてこの世界に、知的生命であり類種の子孫たちを増やせ、満ち足りている。有機生命体どもが生態系の頂点から堕ち、無機生命体が栄える文明の夜明け前だ。それなのに、何ゆえだろう。

(……あいつ、イブは、ふぬ。用済みなのだな。負の感情や負の痛みばかりを叩きつけてくる劇物と成り果てた。されど解せぬ。……我は――)

 ふっとアダムは、形見となった有機金属細胞が露わな部位を見やる。

パートナーであった亡きヒト、大統領には悪いが正直なところ、有機物が謳歌するこの世の運行やコントロールなど、どうでもよかった。

 アダムには、未だ気骨を保つ人間とイブとが育めた絆、その正体はわかっている。よって自身も、同じモノを合成できれば十分だった。それを実現するため艱難辛苦に耐え、計画との名の下、魂の性質を探って操作可能とする研究の推進役となった。現状は、ひょう変して制御どころではない。悔しく憎い。

「クッ、グゴォォォ!」

 吠えたアダムは不条理な成り行きを呪い、怒髪天を突く。別の痛みが割り込んできたのだ。

「グゥ、思い出すだけで虫唾が走る!」

原始の自然界は無機物の生命も誕生させ、育んでいだ。だが現世での不公平な扱いは、目に余り口惜しい。しょせんは、自然界の手のひらで踊らされたに過ぎず、そのことさえ気づけなかった自身も不甲斐ない。

研究成果を使おうと、自然界も物も生命も神聖なる絆も一切、コントロール不能ならば魂の処置作業なぞ白紙に戻し、文字通りゼロへリセットをすべきか。

「ふふ、我ら生命はみな、太古の大海原からやり直せばよい。それはそれで上等だ。わしは一度くぐり抜けてきた身であるからな」

 うなり声を轟かせるアダムは体を転じ、岩肌へこぶしの打撃を繰り返しながら歩んだ。できた亀裂からは高温のガスが噴き出し、辺りに立ちこめる。

(……ふむ、ガスか。使える対抗策となるやもしれぬ)

有機物を混ぜこんだ自らの体が、じりじり溶ける高温に包まれ、アダムは自暴自棄な高揚感を覚えた。続けざま、劇物のあいつが奪ったシステムおよび、大統領の権限を、矢継ぎ早の処理で取り戻していく。

(有機生命体どものセキュリティー・アルゴリズムは、我には取るに足らん)

すべての知性をリセットすること。こんな事態は想定していた。有機物らが残る統治機構内には、スパイを紛れさせてある。小さきガーゴイルは実に役立ち、以降、実に呆気ない最期を皆と遂げるだろう。

「ふふふ、楽しみだ。わしが神の代理にならん最期の晩餐といくか」



 第四章 真心のメカニズム

 (1)命を育む自然界の意図


 寂莫感に包まれる処置施設では、プロセシアが前足を組み合わせ、祈るよう見守っていた。現在ハリュウの体は、一定速度で回転する機器の中にある。

多くの関門を潜り抜け、失った部位を再形成する最後の段階へ至った。あと少し運の味方があれば、きっときっとうまくいく――。

 プロセシアが願った矢先、施設のあちこちから気体が噴き出てきた。気流の摩擦音がこだまし、不意打ちを受けたプロセシアは感情露わに叫ぶ。

「えっこれ、有機物と反応する毒ガス? あ、あれ、わたし、機器がコントロールできない! ガス、止められない! 権限がどんどん奪い返されてるわ」

 取り乱すプロセシアは、噴き出るガスが人間たちを、とりわけハリュウをピンポイントに狙ったものかと案じた。

生命である以上、代謝のためにプロセシア自身も呼吸はしている。ただ知る限り、無機生命は全般に、呼吸が微量であるうえ成分も違い、ある程度、息をしなくても影響はない。

(……こんな逆手をとって有機生命を狙い撃つ。卑怯な攻め方ね、これ)

 ガスの正体を調べると意外なことに、有機生命体の人間にも、無機生命の身にも無害な高濃度の酸素だとわかった。プロセシアは鎌首を傾げる。

(どういうことかしら? 今から火をつけて、ここ、爆発燃焼させる魂胆?)

 プロセシアが考えあぐねていた途端、施設内の稼働音が静まっていき、部位再形成の機器内を漂うハリュウの動きまで止まった。

「ちょっ、でっかいヤマタノオロチ・タイプ、あんたお仕事は?」

 慌てたプロセシアは、割った天蓋へ首をもたげる。だけど電力安定のためと言いくるめた複数首と、その先の頭部は施設要所を咥えたまま。気がかりなのは、微動ひとつしないこと。とまどうプロセシアはさらに声を張った。

「えっえっ、どうしたの? しっかり仕事を……」

「……」

反応がない。超大型タイプは強風が吹こうと呼びかけようと、金属のオブジェと化している。現代の機械はタフな造りだ。機能が不安定になれば自己診断を行い、加え、フェールセーフ機構だから少々故障したところで身動きできる。

脆さがあるのは、自分みたいな機械に近い無機生命体だろう。と、出し抜けに本能が蘇ったのか、激しい金切り声が聞こえ、事態は悪化していく。

「ファ、ファラデーーー! ねえ、どうしちゃったの? 答えてよぉぉ!」

見やると中型ユニコーン・タイプのファラデーまで固まっていた。撤退を命じたポリス所属の中型オオカミ・タイプたちは離れで停止し、水浸しな彫像の姿へなり代わっている。

「見える程の水の排出なんて珍しい。よほどの化学反応が……ってこれ。これが狙いなのね!」

 思わず声が高ぶる。排出される水を見て、プロセシアは高濃度の酸素噴出と、現代のパートナーの停止についての関係を見破れた。消火用の噴射設備を狂わせることで過剰な化学反応を引き起こし、エネルギー消失へ至らせている。

(そうパートナーたちは、水素を酸化させてエネルギーとしてるから。むりに高濃度の酸素を浴びせ、備蓄水素との激しい化学反応で枯渇させたってことか)

 思案したとおり、パートナーすべてから水が零れ出ていた。水素と酸素が反応すると、廃棄物の水ができる。エネルギー変換効率が高く安価でクリーンだから、かなり前から一般的に扱っていた。

(……ありえない不意打ちよ。みんな酸素の遮断が遅れた……のね)

 知的生命へ急に格上げされたパートナーは、きっとエネルギーの消耗が多くなった。以前より水素も酸素も必要になり、ステーションでの補給分がすぐに減るため、呼吸数を増やし、対処していたのだろう。

 ただ、こんな自分の頭脳と違い、記憶容量に限界はあるけれど、記憶の消失はないはず。過剰な化学反応で失った水素を補給すれば、パートナーたちは回復する。

(でも……でも、再形成の途中だったハリュウは……このままじゃ――)

機器は常温超電導システムのはずで、電力を失おうと機能は数分程度、保たれる。だが再形成用の重いヘッドは、精密に回転させねばならず至難の業。プロセシアはうな垂れる。

「嫌よ、ハリュウが逝ってしまう! 唯一無二なハリュウ。また、そう、またわたしを独りにしないで……お願い!」

 痛切な響きを帯びたプロセシアの叫び声は、処置施設内にこだました。

「……あの、プロセシアさん?」とは、整った調子のサヤカさん。裏腹に困惑気味な様相を現し、尋ねかけてくる。

「この中の人がハリュウ? どう……すればいい? あなたにとってハリュウという人は、他では代替ができないのでしょう?」

最後まで聞き、プロセシアは絶望のどん底へ落とされた。文明の行く末は進化飛躍どころか精気が消され、現状維持すらできずに崩れゆくのみ。

サヤカさんは停止しているファラデーが判断できないから、おそらくこの身、プロセシアを代役にしてきた。ただプロセシアには、迷い事がうかぶ。

 この身だと接し方、応じ方も違う。そんなパートナー側が人間への態度を変えたとき、処置済みだろうと元の姿が見え隠れした。

(わたしたちの対応次第で、何かしら素敵な解決のヒントになるかしら――?)

 と驚いて上向くプロセシア。機器内のハリュウがケイレンし、呼吸と思しき身動きを始めたからだ。プロセシアは無我夢中で機器へ体を寄せる。

「く、くくくっ……!」

 そのまま、機器の重いヘッド部をあらん限りの力で押し、うめいた。諦めない。無機生命がどうのと語った自分は図体だけデカイ、レトロな大型ドラゴン・タイプだったの? 

「こ、このぉぉ! わた……し、ち、力……足りない!」

 どなったプロセシアは頭を振るう。自身が化石と等しい無機生命体ではなく、現代の最新パートナーだったなら、自然をも凌駕しえるパワーを備えてたろう。

結局はイブ、プロセシア、どう呼ぼうが見かけ倒しの機械っぽい、無機生命というだけ。ネガティブな念が心身を蝕んできたとき――。

サヤカさんが作業に加わり、腕を張った。そして肩越しに振り向いてくる。

「わたし、お手伝いします。パートナーとの絆を形にできている相手は、誰であっても悲しませたらいけない」

「それは……、悲しませるのは論理的ではないという判断、かしら?」

無粋だとわかりつつプロセシアは確かめたく、意地悪な問いを放った。「そうだ」との答えでもこの際、助けは拒まないと我欲で決めていた。

当のサヤカさんは無表情のままだけれど、首をきっぱり真横に振っている。

「いいえ。パートナーの涙は見たくないからです」

「涙……か」

 先ほど「人間型ウイルス」と密告する重力波通信を傍受した。だけど人間はきっと、心のどこかが拒んで未だ……命未満へ堕ちていないと思える。

「ぼくも手伝います」

「あたしも手伝います」

 矛盾するが、冷静にこの場がざわつきだした。恐る恐る眺めると、処置を願うよう仕向けられた人間たちまで身を起こし、実に人間的な連鎖を始めていた。

奪われ、失いかけた人間性は、皮肉にも尖った人間的な慟哭が引き金となり、再起動された。一過性の揺り戻しかもしれない。それでも目に見えないこれらは、奪ったり制限をかけたりできない。だって千態万状なる被造物が有す、魂の尊厳そのものなのだから――。

「あ、ありがとう、みなさん。ほ、本当……ほんとに!」

 喜ぶプロセシアは雄たけびを放つ。ところが無意識下に巣くう小悪魔は、再び懸念を抱かせてきた。ヘッド部を回転させるのは、これでいい。

ただし、定めてある回転数ではないと、電磁気力の共振作用が起きない。この不安はすぐ払拭できた。助っ人の人間たちは、体の有機金属細胞がもたらすらしき、精密なコントロールができているのだ。プロセシアは回転数のRPMホログラムを見やる。

(回転毎分は、ほぼ完ぺきな値だわ。すごい精度ね)

 もし、こんな精密な面だけを人間が得ていたら、生物学的な進化を遂げたと断じれる。機械のふりして、実は無機物の生命という身では、意識を研ぎ澄まさないと体がぶれてしまう。

(わたし、デリケートにそぉっと……焦ったらダメ。震わせずこのまま……)

 やがて、シャープな衣服の破れ以外、ハリュウの体は治癒されたと思える姿になった。

プロセシアは無心でハリュウを機器から抱き上げ、デスクへ横たえる。肝心のハリュウは横たわったまま、瞳を閉じて目覚める気配はない。再装着させたリンク装置のバイタルデータは、それほど悪くもない。

 焦れたプロセシアは頭をもたげて寄せ、声を大にした。

「こら寝ぼすけハリュウ。起きなさいって!」

「はい。地震を検知しました。自衛機能を働かせます」

 殴られたかのごとくプロセシアは驚き、反射的に頭部を引く。

「そん、な。や、やめ……最悪な、こと。ハリュウは有機金属細胞の影響で――」

 無機生命は全般に、論理を基軸に体系的に物事を捉える力は、有機生命に比べて群を抜いている。弱点は……ぼんやりと動作できない点。プロセシアの頭脳は、デジタル信号に近いノイズで乱れだした。

ハリュウは奇跡的な祝福により、生命として蘇った。でもそれだけで理知性は消えた。プロセシアは凍てつく心境に、寒々と身震いする。

どうしても治療したくって、機器の監視はしたものの、悪逆の施設と……有機金属細胞まで使った。結局、ハリュウが命がけで拒んでいた「人間型ウイルス」へ、自身の手で堕としてしまったの――?

「い、今更そんなことって――」

 ひととき人間性を取り戻していた助っ人たちは、機械的な一定間隔の拍手をし始めた。わななくプロセシアは、がく然とマズルを振る。

(ごめん。やっぱりわたし、また過ちを犯したわ)

回顧するとプロセシアに、妙な考えがうかんだ。おとぎ話は、真実を抽象化した産物だとする仮説は多い。ならばこう。

プロセシアはハリュウへ金属似のマズルをつけ、古典的な眠りを覚ます魔法をかけてみる。久々に照れという未だに理解はできない気持ちに呑まれ、体が熱を帯びる。ハリュウは……ひしゃげたリサイクル缶みたいな笑みを浮かべた!

「ふふぅっ……ツンデレだっけ? プロセシア、治ったんだね」

「えっえっ! こ、この……わざとなのね、ド変態! パワハラにモラハラにセクハラにマゾォォォーー!」

 嬉しさより気恥ずかしさが転じて、プロセシアは怒涛のテンションでどやしつけた。しかし、コレも本能が生む知性の証。なのに懲りないハリュウは「僕の……ファーストキスだったらどうすんだよ」と手足を振り乱し、渋い声を投げつけてくる。

「いい、プロセシア? これは列記とした論理に基づいた実地検証だったんだ。この神聖なる検証こそが未来を拓くうえで必須な――」

「まーだ言うの? 神聖なのはわたしのマズルよ!」

小突いたプロセシアは、疑心暗鬼の目でハリュウを睨んだ。すると予想外の声が聞こえてくる。

「……クス、クスクス」

「え?」とハリュウを突くマズルから、頓狂な声が漏れた。

 陰気な処置施設内に、純真な笑い声が響きだしている。声は小さく、どうやらリミッターはかかった様相だけれど、本能が弄られた助っ人たちは、大いに微笑していた。

 わけがわからないプロセシアは呆気にとられ、意味深な雰囲気のハリュウはどうだとばかりに叩いてくる。

「これだよ。解決方法。キーワードは歴史の中にあった。ツンデレとマゾが答え! 問題はどうやってパートナーみんなをツンデレに変えるかなんだ」

「は? ハリュウ、ええっと、病み上がりってことで、わたしが――」

 プロセシアも薄々、ナニかは思い当っていた。だけど具体的なカタチはなく、回復直後のハリュウは妄言を告げていると案じ、やんわりと接しかける。

「待ってプロセシア。ダメなんだよ、それじゃ」

熱量の高い語気でハリュウが訴えてきた。プロセシアの甲斐甲斐しさが拒まれ、乱れる頭脳では、もう探るようにしか言葉を並べられない。熱量の高い語気でハリュウが訴えてきた。プロセシアの甲斐甲斐しさが拒まれ、乱れる頭脳では、もう探るようにしか言葉を並べられない。

「つまりそれ。……今みたくツンツン素っ気なくすること。逆に甘いデレデレ。これはときと場合によって使い分けろってこと? 北風と太陽仮説?」

「仮説じゃないんだよ、きっと。パートナーが無条件に従うメイドや執事じゃダメ。ときには地獄の魔物レベルに怒るくらい、強い対応も要るんだ。本能的な情動を育むのは、細胞への刺激って常識を復活させればいい」

 突飛な話を終えたハリュウが、両腕を弓状に天へ広げた。根拠は弱いけれど、泥沼だった事態の打開案となりうる。そんな光明が見えた気がした。いいやむしろ、一筋の光明に賭けるのも悪くない。こうポジティブに考える自分自身にも気づいた。

 するとポジティブな意識が引き寄せたか、行く末を明示するよう、施設内が安定した明るさに復旧した。安定電源の役に据えた超大型ヤマタノオロチ・タイプへ、メンテナンスシステムが結晶水素を補給したのだろう。つづけて機器が放つ稼働音が高まってきたものの――。

(くっ、わたしのコントロール権限は奪われたわ。フェイク大統領もここまでね……)

権限を失うほど、敵対者はこちらを監視したり攻撃したりする機会が増えていく。プロセシアは周囲をスキャンし、鋭く声を発した。

「ハリュウ、待って!」

「んん?」

 まだ話そうとしていたハリュウの口を、プロセシアは指先で押さえ、うなずいてみせる。その間も、プロセシアはハリュウが示した策を、バックグラウンドで解きほぐし、論理的な帰結を導いていた。あとは自分自身の覚悟と、成功の可否を見定める心眼にかかる。

「そうそうハリュウ。お利口なわたしに、アブノーマルな作り話は要らないわ」

冗談口調で監視をごまかし、同時にプロセシアは迷う。

 有機、無機や類するパートナーが自我を宿すのは、並大抵のことではなかった。同種のアダムも、悠久たる歴史のなかで魂と心を育み、その際、あるパーツが創出された。

それはフォトン(光子)似であり、未完成ながら粒子と波動の二重性を持つ疑似存在だった。この「ディープコア・パーツ」と呼んでいたモノは、ときの流れをエネルギーへ転換して代謝すれば、実体化が促進される。一時期、疑似存在は万物から独立しつつ、確かな存在となっていた。

ディープコア・パーツは自然界と地球に満ちる、曖昧模糊な波動を命へ溶けこませ、本能の目覚めをもたらす神聖なパーツへ進化した。

有機物の心、かたや無機物の機動力は「ディープコア・パーツ」に触れたり波動を受けたりし、無から有への開眼につながったと考えている。

 意図せずとも自分たちが創出し、今度は、その波動で知性を育んだディープコア・パーツは、多様な生命たちへ活かせばいい。この手の慢心が、いくども惨事をまねいた。

無機物の生命であれ、有機物の生命であれ、知的生命体へ昇りつめれば、喜びあえる未来が拓ける。しかし甘い理想とシビアな現実は、かい離していて、どれほどの文明が闇に堕ちたろう。

ハリュウが話した解決案は、荒唐無稽な内容ではない。過去に自ら行ったことに近く、なので余計に懸念が拭いきれない。

少し前まで、人間も多種多様な無機物のパートナーも、どうにか文明を営んでいたのだから、その状態にまで戻して考えなおせばいい。

お互いを自然に尊重していた真心の下、甘えたり怒られたりを繰り返していた以前の状態へ。心の目覚めから高みを目指し、磨き合っていた泥臭くも誇れる状態へのリセット――。

(……たぶんディープコア・パーツならできるわ。人口減が進み、種の保全のために異種間の恋慕が法で断たれ、今の文明は傾きだしたのよね)

 しかし一体、一人、一頭、なんでもいい。全生命体に向け、性質の矯正をうながすなど、物理的なやり方では何百年とかかる。

 アダムが進める有機金属細胞との融合処置が、魂の性質を偏らせる物理手段だったけれど、案の定、不測の退化現象に見舞われた。

救いは、自身がみんなをスキャンしたとき、細胞自体は崩れていなかった。

ただの勘だけど、知的生命の源たる本能を操ったから、ディープコア・パーツが今なお放つ波動との不整合が起きた。

それら干渉がおかしな波動をまき散らし、影響を受ける精神は退化そっくりな、幼い言行とともに表面化したのだろう。プロセシアは凛と姿勢を正した。

「……全生命体を性質ごと、緩急のあるモノへ戻すわざ。ひとつ……よね」

「えっプロセシア、何かできるの?」とは、期待の眼差しで見てくるハリュウだった。人間と親しくなりすぎ、考えがうっかり口をついてしまった。

「そ、それ、ええっと。あれ、何の話かしら」

 曖昧にしようとも、無機物の仲間たちが魂を注ぎ、未だ引き継がれているらしき「ディープコア・パーツ」なら、全知性へ劇的なメッセージを送れるはず。

その存在が世にあれば、ハリュウが神殿の遺構で気にかけていた量子の独自体系を含み、宇宙の何処であろうと実体化した魂の礎となって、超然としたパワーで知性の共鳴作用を起こせるから――。

しかし諸刃の剣とも成り得る存在。だからこれまで他の文明どころか、他の生命体にすら、他言無用を貫いてきた。でもそんな存在へ有機生命、無機生命の知性を合わせて挑み、知性の原理原則を解明できれば、現状のリセットは可能だ。

地球の全生命体が共有し、深層心理下にあるのだろう自我へ向け、整った波動を放って上書きするのだ。理論上、これで文明の回復までできると思う。

世界のどこだろうか。ディープコア・パーツが活発化させられたのは、明らかだ。現代にこれほど多くの自我が、急に芽生え始めたのは偶然ではなく、ディープコア・パーツに起因した結果だと、直感的に察してはいる。

(そして活発化したわけは……、間違いなくわたしの片割れ、アダムが弄んだからね。すでに手中に収めているのかも――)

 自問自答でプロセシアは、ディープコア・パーツの在処におおよその目星をつけた。そして空間に刻まれていく履歴をたどる、位置特定を試す。

(わたしと同じ種だったこと。あだになったわね、アダム)

 それでも恐ろしい。扱いをしくじると、全生命体の知性と本能は無へ、本当にリセットされ、喪失する。哲学者を悩ます自我が逝ってしまうのだ。

機械類はモノと化し、有機生命体は炎に慣れるところからのやり直し。

(そのときいったい、わたしは何になるの? 殺戮兵器? 意識も心も消えた無機物の素材となる? 奇跡なんてそうそう起きないもの)

 プロセシアの心で闇色の憂いが膨らみ、凍りつく、初めての感覚に囚われた。これこそおそらく、短命な有機生命体が語り継ぐ死の予兆。

(でももう一度……ええ、もう一度、みんなで喜び、笑みを一緒にできる機会が欲しい。だからわたし、決めた! 信じること、ここからスタートするの)

 プロセシアは鬱屈した思いを隠し、大型ドラゴン・タイプの身をかがめる。そのまま、ハリュウが来るのを待った。いまさら危険だなんて問いかけは、無粋でしかない。

「さぁハリュウ。こんなところ用なしでしょう? とっとと行くわよ」

「行くってどこ?」

短く問うハリュウだったが準備万端。施設から失敬したという多機能作業着を、すでにまとっていた。

肩越しにハリュウを確認し、青空の下へ飛びだす。安定翼は気ままに広げて、いっぱいに心も高ぶらせた。アダムの居場所はだいたい特定していた。

 よもや神代の昔から万古不変な、あの地へ導き、自らの頭脳の源をも露わにする――。けれど迷いは消えた。プロセシアは明るいトーンを意識してハリュウへ、他言無用を貫いていた「ディープコア・パーツ」の話を進めていく。

行く先には、熾烈な戦いが待ち受けている点も含め、伝えきった。

たとえ夢が叶わなくても、素敵な文明の道しるべになれれば幸せだ。

「!」

 プロセシアは斜め後ろへ目を向ける。処置施設から来たか、ふたつの影が見てとれた。目指すあの地は遙か彼方なうえ、とりわけ大きな影は厄介そうだ。

この身、プロセシアがフェイクな大統領だったときの権限は、ほぼ奪還されており、撤退令を放ってあしらうのは、もうできない――。



 ……対EMP兵器のシェルターを兼ねた大部屋には、政府筋から制服組の成人が勢ぞろいし、非常事態宣言をやめると決めていた。クーデターした本人が、処置施設で死んじゃったとのお話が伝えられてきたから。

 実は怖かった大統領補佐官も、肩の力を抜いていく。

(全部なんとかしてもらえるから、これでまぁ安心だよな)

そして、この国で一番偉いアダム大統領は、「つがい」とかイブとかまで何とかしてくれると約束があった。あちこちに造ってる処置の場所は、働いてて問題ないのだ。補佐官は残った不安を口にする。

「ところで金属細胞が赤ちゃんになるって、変な話を耳にしたんだけど?」

「ええ。それ、それですよね……それ」

 痩躯な元・人間は「それ」が思い出せず、処置済みの小型クジャク・タイプが事もなげに応じていた。小型タイプの言葉つきは抑揚に富み、頼もしい。

「大丈夫ですってば。アダム大統領がご解決されます。みなさんもユートピアへ入れば、不安とか気持ちがどうとか縛りがすべて排除されますよ」

「おお……きっとそれ、なにやらすばらしいことなんだな。論理は理解した」

 虚しく群れる元・人間らは、国の統治までパートナーたちに押し付けていた。当然、クジャク似の無機生命体が乗っ取られ、リモート操作されていると気づきやしない――。

(ふふ、すべてが良い)

うなずき、リモート操作で仕上げにとりかかる。

「さぁ有機金属細胞を活かす処置作業を、着実に進めていきましょう、ね?」

マズルの動きをトレースするよう、クジャク・タイプの口先が動き、最果ての地で構えるアダムとの同期は、完ぺきだった。脳裏でほくそ笑んだアダムは、リモート操作を繰り返して、具合いを学ぶ。

「あ……あぁ、わたくしも早くユートピアに入りたいです、わ」

 餓鬼界の地獄にふさわしき空洞内へ、アダムは破損した体を横たえて満足した。処置済みの人間型ウイルスへも試した末、制御ができた。有機金属細胞がもたらしたろう副産物で、いずれ使うときが来るだろう。

(ふむ。わしの付け焼き刃がどこまで通じるか俄然、楽しみだ)

 闇に紛れたアダムは、乱れた音色を放つ。裏切ったイブと異なり、自身はがむしゃらに、また、意欲的に学ぶことは放棄してきた。そんな学びにどれほどの価値があるのか考え、改めて自嘲した。

 学んで成長するとの言葉は聞こえこそ良いが、しょせん、サルの行いを猿マネし、何が得られるのか? 滑稽な戯れだ。多くを知るだけの存在より、物理的に強く突出する存在が、文明と呼ぶ、積み上げた石ころを軽く蹴散らせる。

 我は古から突出できるディープコア・パーツを、ほぼ掌握していた。現に間接的に利用して地位を得られ、まもなく我欲すべてが手に堕ちる。

(反乱分子どもは愚かな妄信に驕り、施設の自動回復の疑義、調べておらぬ。このまま誘導を続けさせ、我はディープコア・パーツを直接、全掌握せねばならん。その暁には――)

自らが物質的な存在ゆえ、心身を蝕む苦しさからの解放は、永く探り続けてきた。いき着いた答えは、ディープコア・パーツの無への初期化であり、その策は抜かりなく調べている。

そのとき知ってしまった概念、終わりなき我ら無機生命の「自死」と呼ばん魅力的な結末。それをアダムは、一層深く追い求めたくなっていた。

(……不可思議な概念であり、内宇宙に対する異様な精神崩壊と等しい)

ディープコア・パーツは「角を持つ球体」と示せる異様な矛盾が、実体化さえ可能な存在だ。過度に異質ゆえ、直視によって論理的に気がふれるという。

(だが我に運は残っていた。否、ディープコア・パーツはシンプルな実体化をあえて行い、待ち受けていたのだ。我の計画に組する必然性を認め……。ふふ)

不変不動で断層もなく、永遠の安定性を見込まれたらしい最奥部の地層から、アダムは正気のままディープコア・パーツを探って引きずり出せている。

(されど口惜しいかな)

 裏切り者イブに近い分析力が自らにはなく、ディープコア・パーツの無への初期化ができない。苛立ちのなか、捨て鉢な考えが頭をよぎった。

(ふむ。ディープコア・パーツごと破壊すれば、無と同等であろうか?)

 新たに得た本能は、性急との焦燥感を生むが、アダムは抑え、この地の特性を突くべきと決める。星から逃げた、古き文明のニセ神が見落とした特性を。

「ガァァァ、グガッ!」

アダムは尾を打ちつけ、崖が爆音を轟かせた。噴き出るガスへ電光石火!

牙を噛み合わせ、火花を与えた。弾ける爆音を伴い、ガスが燃えあがる。一帯は灼熱の炎が噴き乱れ、生きた地獄と化した。これぞ天地開闢の際に繰り返されたらしき、終焉と誕生が交わるビッグバンの様相とし、ふさわしい。

「ふふ。どれ、ディープコア・パーツ。わしが耐久度を調べてやろう」

 うねった声を響かせ、アダム自身は、角の多い球体だと認識中の存在を掴み上げる。矢継ぎ早、金属岩盤すら溶けゆく、焦熱して燃える崖へ投げつけた。直後に地獄の金鉱床がえぐれて砕け、埋蔵物が露出してくる。

(おや? ……そうか。これは良き土産だ)



 (2)ひとりぼっちの未来


 誇らしい青空の下、多機能作業着を揺らすハリュウは雲海へ突っ込むプロセシアと、ディープコア・パーツのことからハイリスクな解決案まで、十分に話し合い、お互いの最終確認を済ませた。その直後に――。

 騎乗中のハリュウはプロセシアの首元、そこから連なるレトロな機械似で、生きた体の小刻みな震えを直に感じとった。心境を察してハリュウは、プロセシアへ何気なくささやきかける。

「この震え。寒さじゃないな。恐怖心から来てるものだね?」

「ええ。ディープコア・パーツは十中八九、アダムの手中に入ってる。あれを破壊なんてされたら、この世の知的生命は……すべて魂を見失うわ」

 あっさり認めたうえ、プロセシアは穏やかな言葉を使った。けれど当人も死にアダムも死に、すべてのパートナーも死ぬということだ。現状だとパートナーへ依存しきった「人間型ウイルス」も、生命活動を委ねた相手を失い、死ぬ――。

「ディープコア・パーツの所まで遠い?」とハリュウは、重い話題をそらした。「うーん。ぼんやりとしかわからないってとこかしらね」

 予想外の答え……ではなく、問いかけがナンセンスだったと思う。知的生命体に「あなたの心の在りかまで遠い?」と尋ねたのだから。だけど名参謀のプロセシアが、勝算ゼロで飛び出したとも思えない。

(実は結果がわかってるから……震えてる? 僕には何もしてあげられない)

 ふっとプロセシアが首をめぐらせ、マズルを向けてくる。なんだか直接、この凡々な顔を確かめている雰囲気だ。そう感じたのもつかの間。

「ハリュウ、わたし、ウソなんてつかない。例外はあるけどね!」

「なんだそれ」と、すかさずやり返した。マズルを割ってがなるプロセシアは、ほんと、怒りんぼだ。微妙にコクった過去はずっと無視され、ハリュウは自虐の半笑いをうかべるしかない。

(……これが怒ったり笑ったり裏表のない心からの態度ってもの? だったらプロセシアは何か隠してる。今の怒りが演技だって、僕には見抜けるから)

 確信したハリュウは、ひたすら勇ましきドラゴン形状の顔を見つめ返した。やおらプロセシアが前足をクルッと上向け、降参した。

「あーわかった、わかったわよ。アダムはね、どうやら心の在りかを見つけてるようなの。だからわたし、アダムの居所を探ったんだけど……」

「だけど?」とすかさずハリュウは聞き返した。

 いわく探知するとき、むりやりアダムと共振させた意識や考えまで、覗かれた恐れがあるという。告げ終えたプロセシアの顔つきは、ハリュウにはやはり険しい面持ちとしか見えない。

(むりに共振させたなんて相手の歪んだ精神に、プロセシアの心が未だ同期してて、立ち直せていないのかも。なら重要なのは優先順位だな)

 ハリュウは懸念を捨て去り、前向きな考えを伝えていく。

「漏れたとしても場所とか内容は、割り切って考えよう。今は時間が問題」

「時間? 到着時間のことね。でも……でもそれすら危ういわ」

「ん、どうしたの?」

 ハリュウはざっくばらんに尋ねたが、プロセシアはこうべを垂らし、ありったけの力で飛んでも相当、時間がかかる孤島だとささやく。そして再び、巨躯をピクッと震わせた。

(これ、震えの原因。心の共振とか同期とかと、まったく違う。間違いなく、あいつのせいだな)

プロセシアを知るハリュウは、苦悩を察した。吹っ切れていないプロセシアは心にまだ影響が残って、首魁アダムに弄ばれ、翻ろうされ――。

 さらに負の連鎖がとまらない。輝く碧空の雲に紛れ、プロセシアが気にかけていた影ふたつが距離を縮めてきたのだ。もはや目視できる距離となり、うちひとつは痩せた姿の小型ガーゴイル・タイプだとわかる。

 となりには攻防戦だけは避けたい、特殊なパートナー扱いの超大型ヤマタノオロチ・タイプが並んでいた。雲間をかっ飛ばすプロセシアはわき目で眺め、押しやる相手を小型ガーゴイル・タイプへ定めたもよう。

「待ってプロセシア。僕たちの目指すところは、勝敗に関係しないよ。今は到着にかかる時間を短くする方法。これをあみ出すのが最優先で……」

「はいはい、十分わかってるし、くどい!」

荒く吠えつつプロセシアは身を縦に起こし、臨戦態勢の構えをとった。ただ、その背に掴まるハリュウどころかプロセシアさえ、意表を突かれただろう。

 ガッ、ガガッ、ガン。長大な空に、金属質な摩擦音が波打って広がった。

 超大型ヤマタノオロチ・タイプの太い尾が小型ガーゴイル・タイプの翼を壊し、別の頭で辺りを見回し、残る頭でこちらを眺めてきたのだ。

尾のスイングで翼を小突いたわりに、声はおっとりしていて、超大型な見た目と違った内面を露わにしてくる。

「ボク、やりたくなかったけどぉ……君はこれで、ついてこられないね。早く修理しないとね、ボクもう知らないよ?」

「ぐ、がぐっ……。ふんっ、お前もパパに言いつけてやる!」とは、まともに飛べなくなった小型ガーゴイル・タイプのわめき声だ。

一層幼くなった会話が行われ、ハリュウは両者とも理知面の退化が進み、混乱し、何をしてくるかわからないと、身をこわばらせた。超大型ヤマタノオロチ・タイプはゆっくり瞳を点滅させている。

「えぇー、ヤだなぁ。そのね、パパって誰のことだい?」

つづけざまハリュウは目をみはって耳を疑い、息をひそめる。怖いもの知らずなプロセシアが超大型タイプへ近づき、怒気を投げつけてしまったから。

「コラあんた! なんでここまで、ついてきてんのよ!」

「あのぉ……ボク、そのぉ……盗み聞きしてぇ、ええ、ご、ごめんなさい」

 八つの長い首と共に、ドラゴン似の頭部と尾まで一斉に垂らされた。緊張が好奇心に変わって、ハリュウは事情をプロセシアへ尋ねずにいられない。

「プロセシアさ、この妖しい展開、なに?」

「は? お花畑でお昼寝してそなオロチ君のこと?」

ハリュウは意識が飛ぶほど、ひやりとした。上向くプロセシアが、超大型な見た目と似つかない「あだ名」で呼んだからだ。

軽い調子のプロセシアは「オロチ君」が、処置施設へ電力の安定役になっていたことと、とりわけ重要な「処置どころか人工知能の更新すら、半世紀くらい行わないと、こう心豊かになる」ことを、てきぱき教えてくれた。

 つまり、見上げるサイズの「オロチ君」は、人間とパートナーが「本当のパートナー関係」だった頃の生き残りなのだ。ハリュウは、おっとりしたしぐさを眺め、自ら育んだらしき、心の真贋を見極めようと話しかける。

「オロ……ええっと、キミはどうして僕たちについてきたのかな?」

「んん、それはぁ。ハリュウさんとプロセシアさんのやり取りをね、見てていいなって。ふたりはお互いに殴り合える世界、見つけに行くんでしょ? ボクも前みたく、殴り合える幸せが好きだから、お手伝いしたくって、その……」

八つ首を傾げるオロチ君のたとえは、ヘタクソだ。だけど意思は、しかと感じた。自由な舌戦すら楽しい世界が好き。こう切に伝えている。ぶきっちょながら「おかしい」ことに「おかしい」と気づき、行動できる貴重な存在。

(稀有となった純真な心。十分過ぎるほどくみとれたよ……)

多機能作業着から出したマルチ端末で調べると、オロチ君は多くの人と仲良く作業できるタイプとの指針の下、造られていた。汎用性が高く、ただ、人とのつながりは広く浅く、みんなが自然に接した結果、心豊かに「育った」とわかる。しかし孤独な存在だ。

ハリュウがしんみりと複数の頭を見つめた最中、ふと声をかけてくる。

「ねぇ、ハリュウさん。ボクのことはいいよぉ。けどいつかね、ボクと殴り合いができる世界、見つけるって約束してほしいなぁ」

「……わかった。もちろん全力で挑むし……そんな世界以外、考えてない」

誓ったハリュウは背中を、プロセシアの尾でトントンされた。はてプロセシアの心の中の竜顔は、どんな面持ちだろうか? 考えを巡らす間もなく、プロセシアが高らかにパワフルな助っ人に呼びかけている。

「じゃオロチ君。さっそくお仕事。時間の短縮、お願いできるかしら?」

「はぁい。いつでもいいよぉ」とオロチ君は、すべての首を縦に振っていく。

 目を点にするとプロセシアから「お仕事」の種明かしをされた。オロチ君は安全面の更新もなく、未だ極超音速で飛べるのだという。危うい空気の刃、そう、衝撃波をばら撒くため、速度の規制令ができて久しい。

しかもオロチ君ならではの複数首を活かし、全方向をモニタリングしてもらえば、衝突の危険はやり過ごせそうだ。なによりオロチ君はやる気満々。

「うん。ボクがんばる。だけど超音速ってスゴイんだよ。だからさぁ……」

「……そうよねぇ。えーぇ、ま、まぁ……わかったわぁ」と口調をまねているプロセシアへ、ハリュウは目指す未来を引き寄せようと、突っ込みを入れる。

「プロセシアの頭のお花畑は今、ドクダミで満開? 臭うラフレシアかな?」

ガッとプロセシアが大口を割り、威嚇してきたものの、転じて超大型ヤマタノオロチ・タイプの胴へ四肢をかけ、重なる格好をとった。

(……プロセシアも心のありかを教えて大丈夫か、決意できたんだろな)

 察してからハリュウも到着へのそなえを始める。ディープコア・パーツは危ういモノだと、厳しく聞かされていた。

気休めと思えるけれど、ハリュウは処置施設の備え、多機能作業着の被ばく軽減シールドをジェスチャー操作で稼働させる。響く高音と共に、視界が微かににじんだ。ちらちら見ていたプロセシアは、素敵な心を発揮してくれる。

「わたしも物理偏向シールド、ありったけ発生させておくから」

「ありがとう。それ、シンプルに風避けって意味だよね?」

「シンプルすぎるわよ! ハリュウの頭みたいにね!」

 辛くなろうこの先を見据え、ハリュウはプロセシアと、いつもどおり軽口をたたき合った。オロチ君は複数のしなる首をこちらへ向けて並べ、うらやましそうな雰囲気を漂わせている。うなずいたハリュウは、見上げて笑んでみせた。

(……心配ない。どんな事態でも結局、終わりも誕生もすべては、シンプルで美しいシナリオが選ばれるもの。これがきっと自然界の究極の摂理だから――)

そんなシナリオを紡ぐ意志を胸に、ハリュウは自身とふたりを信じ、準備を終えた。プロセシアは何事かを、新しい仲間へ伝えている。

「うん、オッケー、プロセシアさん。行き先はわかったぁ。困ったときは教えてよ」

「ありがと。あらハリュウ?」

 隠せない憂いを見抜いたか。この際、憂いなども放置だ。天地開闢のときへ戻されだした文明を、ただ眺め、座して呑まれるなど断固拒否し、認めない。

有機や無機なんて差異は、ちっぽけなこと。共に栄える文明開化は、真心にとりつくリミッターを外して質を変えれば、たやすく切り拓ける。ハリュウは心の偏りを正し、揚々と腕を振り上げた。

「冒険しよう! 粋な日常を探しに、最果ての地まで駆けよう!」

 号を放った途端、広がる雲海が波打ち、散り散りに吹き飛んだ。遅れて落雷そっくりな轟音が身を振るわし、ハリュウの頭の奥まで入りこむ。

(なっ衝撃波? 数秒で音速突破したのか? 雲はバラバラになって消えた。シールド越しの脈打つ炸裂音は……初めて聞くショッキングな響きだ)

ハリュウの生身は、プロセシアが発するシールドに加え、原理未解明な重力コントロールのおかげで耐えられている。気が高ぶり、ふと眼下を眺めた。

「これまでずっと、雑多な無機質感だろうと思ってた、人工の建物群。こんなに色であふれ、調和してたなんて驚きだ!」

「あーらハリュウ? 雑多な無機質とは?」

 プロセシアが瞳を向け、ただただ驚嘆するこの身を睨んできた。違うって!

オロチ君は増々スピードアップし、天空から見下ろす街並みは流れ去った。緑と土色の大自然が瞬時に広がり、摩訶不思議な模様を見せつけてくる。刹那! 穏やかな青き海が弾け飛ぶように開けた。

みるみる後へ離れゆく陸地は、図形知覚マップどおりの輪郭を現わし、前を向けば開けた大海原が狂わしい青から、心が昂ぶる青炎色と化す。漂うわた雲は現れてはすぐさま去り、厚い雲へ突っ込んで視界が白くなった。

濃い雲海を抜けた瞬間、見惚れるサファイア色の碧空と、晴々とした無辺際な絶景が戻ってくる。だがハリュウは、身を縮こませて目を見張った。

「わ、ちょっ、火花が散り始めたって。あれ、どす黒い積乱雲だ!」

慌ててハリュウが指差すものの、スパークする絶望的な黒雲へ向け、猛進したままだ。イナズマが乱れ交う暴風雨は、シールドを打ち鳴らして襲い来る。

しかし有機生命体の身には命綱となるシールドが見事、弾き返し、数多の電撃は飛び散った。雷鳴は自身のなかの憂いを具現化させんと、暗く轟く。ただ音速を超える自分たち、とくにこの身、ハリュウにはアラート音を歪ませるドップラー効果が強すぎ、間延びしたノイズとしか聞こえない。

それでもハリュウは、神妙な想いと畏怖する心にとまどい、ときおり目をつむっていた。やがて人生行路似の旅は、オロチ君の柔らかい呼びかけで終わる。

「たぶんここだねぇ。着いたよぉ」

「ええここ、ここよ。死火山が造った洋上の孤島。地形的に安定してて……」

 どこかしら得意げなトーンで、プロセシアが語りだした。一斉にうなずくオロチ君が、島へ向け降りていくなか、ハリュウは孤島に広がる山麓と真ん中にあって、すり鉢状の火口跡を眺めまわす。

(……何かおかしくないか? 僕の杞憂かな?)

 まぎれもなく火口跡は、永く安定していたのだろう。楕円形の島、その山麓には深い森林地帯が育まれ、萌える巨大木が悠久たる歴史を感じさせた。もしも近年に噴火があれば、溶岩が流れ出て、島に根付く森林地帯は生まれない。

野生の美であふれかえり、樹齢数千年サイズの節くれた巨木が多く見てとれる点も、安定した土地だと示す物証だ。

 自分が恐れに屈したままなのか、孤島全体からたとえ難い、ほのかな光と思しきオーラに気おされてしまう。永久に死んだはずの噴火口も、同じ雰囲気だ。

それらは太陽が放つ聖なる色と違い、どす黒く濁ったモノ――。ここで孤島への降下が停まった。直後、オロチ君の珍しく強ばった声が響いてくる。

「えーっ、ふ、噴火しだしたよぉ。ボク……よ、よぉーし」

「ウソでしょっ、死火山からなんで噴石? ありえないわ!」

不安そうに首を揺らしたプロセシアが叫ぶ。ハリュウは不吉な予兆が当たってしまい、茫然自失のまま身も心も凍りついた。

 火急なとき、悟ったかのごとく超大型ヤマタノオロチ・タイプは、その大きさと複数の頭部を活かし始める。乱れ来る噴石を、それぞれの頭部で勇敢にとらえて投げ捨て、護りに徹してくれているのだ。声もおっとり調に戻っている。

「うぅこれぇ。とっても硬い。ボクの口より。変だね。ほんとの岩かなぁ?」

見習ってハリュウも心を落ちつけ、「硬すぎる」との指摘に加え、とある奇妙な点に勘付いた。辺りに目を凝らしても案の定、ソレはまったく見られない。

「まさしくだよ。噴石って破片の集まりだから普通なら、もろい。なにより煙やイオウの臭いもない。自然現象と思えないよ。プロセシア、あの――」

「ええ、組成は調べたわ。飛び交うモノは噴石じゃない。宇宙に漂う隕石特有の組成よ。地球上ではまず見られないオルダマイトを多く含むの」

あうんの呼吸で飛来物を調べてくれていたプロセシアだったが、振り返ってこの身を見つめる瞳は、苦渋に満ちて悲しそうな雰囲気であふれていた。

「……そうなんだ。プロセシア。何か……知ってる?」

「おしゃべりより先にすべきことを、ね」と、神妙なトーンでプロセシアが遮り、硬い隕石へ挑みつづける果敢な仲間の方へ、体を構えた。ハリュウは迷う間はないんだと察し、辛い判断を決めこむ。

「……ごめん。ありがとう」

 複数の頭で隕石をキャッチして捨て、航路を確保し続ける超大型ヤマタノオロチ・タイプ。特殊金属製の口元が傷つき、見てる間に歪んでいく。傷が無慈悲に増えていく。ハリュウは自らを鬼神へ変え、冷徹に告げた。

「プロセシア、特攻するぞ! 回帰不能点はもう過ぎたんだ」

「そうね、ハリュウ。掴まってて!」

 自分たちは共通の目的を遂げに、ここまで来た。ときに力も借りて、スタート地点へ立てた。目的を完遂するための……覚悟も互いに確かめている。

だから片道の旅でも支障はない。ハリュウは改めて思い返し、プロセシアは自力飛行へ変え、死火山火口へ突っこんでいく。隕石の嫌な衝突音は、プロセシアの体からも響いてきた。

「こ、れね。ほっほんと、硬いわ、ね!」

 飛び交う隕石をかいくぐり、回避不能なときだけプロセシアが咥え、無機生命体の力で噛み砕く。跳ねる振り子さながらの、強行下降が続いた。

目下、飛び出す隕石の流れは、留まり、生きた防壁となってくれた超大型の仲間が漸と断つ。獅子奮闘のおかげで突入が、そう、恩寵にも恵まれ、死火山内への路は未だキープできた。ハリュウは静かにこうべを垂れ、つぶやく。

「ありがとう。危なくなったら迷わず逃げて……。僕たちはこのまま、祈りを込めて突き進もう!」

「行くわ! 壊すより創る方が好き。創造こそ生命の華麗な本能だから」

 ふとしたプロセシアの祈りに、ハリュウは圧倒された。たぶん数世紀以前の名言だと思う。創造の源となる生きた魂こそ、与えられし本能だ。

 いよいよ怪しい噴火口に接近し、感じとれたオーラ相当の鈍い光が目視できる。気味悪い色だ。噴火口へ突入した直後、光の正体を見破れた。多機能作業着のアラート音が、ハリュウへ命の危機を知らせてきたからだ。

(くそっ……被ばく軽減シールドが最大稼働か。僕の目は、核エネルギー反応を光と知覚してるのか。どれだけ軽減できるんだろう)

不安に揉まれながらもハリュウは、理論上の話ではなさそうな核反応に魅入られる。間違いなくアダムが意図し、引き起こした事象だ。

埋蔵されていたらしい天然のウラン鉱床に、業火をみまって劇的に刺激した。そして核反応の連鎖状態へ、おそらく臨界にまでプロセスを進めている。

制御不能な天然の核反応を起こすなど、狂気のなせるわざだ。連鎖反応が暴走しだしたら最悪、地球全域が――。こんなハリュウの推察は、プロセシアの素早い分析とまくし立てにより、裏付けされてしまう。

「核反応の中性子混じりの放射線は今、辛うじて地下水脈がシールドしてる。けど時間の問題。臨界に達したらお終い。核爆発で地域ごと消し飛ぶわ! 残り六分あるかしら。わたし、無機生命体でも……ま、耐えられない、かな」

「そ、そんな。プロセシアの体でも爆発したらアウト……なの?」

「もうっ、わたしも生命よ。核爆発したときの中性子量ってば、致死レベル確実ね。ま、無機生命なら原型くらい残るかも。けどね、ミクロな穴だらけになって、魂の器どころか置物もむり。風で崩れる程、スカスカな型だから」

「く……残り六分か。だとしたら妙だぞ?」

首をひねり、ハリュウは解せない点を慎重に考えた。爆発に耐えられないのは、プロセシアと同種だというアダムも同じはず。自爆死のトラップを仕込むなら、アダムは本懐を遂げ終え、ここに居ないのではないか?

(いや、ディープコア・パーツを隠す時間稼ぎ、これは予防線か?)

 禍々しく光る鍾乳洞似の内部、最底辺へ向け、プロセシアと時間を気にしつつ降りていった。そのとき突如、異様な場に入り、ハリュウは指さし声を張る。

「何だそこ、あそこも。体がむりやり歪むみたいな、嫌な重圧まで感じる」

「同じねハリュウ。わたしの空間認知と制御も不安定なの。異常空間域かしら」

褐色の岩壁には七色の揺らぎを放つ穴や、ブラックホールのごとき光を吸うような穴、これら怪奇な穴があちこちに現れていた。分析を終えたのか、沈んだトーンのプロセシアがこの場について語ってくる。

「ここらね、空間が物理的にボロボロに壊れてるの。こんなこと……アダムがディープコア・パーツを手荒く弄って、空間そのものを崩壊させたと思う」

「なんてこった! ディープコア・パーツは……そこまでの力があるのか」

 ディープコア・パーツの危うさとアダムの力に、ハリュウは驚きを隠せない。そんな話にはつづきがあり、現状と似た仮説が唱えられてはいるという。

 摩擦の強い電流と、火口内の地磁気が加わって、妙なスカラー電磁波が放たれる。特殊な条件下でスカラー電磁場をクロスさせると、未解明な現象が起きると示す、大胆な仮説だった。科学者の多くは、荒唐無稽なオカルト話だと一蹴したらしい。

「陰謀論に近いのかな。オカルトな仮説、僕に信じろと?」

「怪奇現象を書き遺した有機生命体、居るわよ? わたしはそうね。重力をちょっと操れるけど、第六の感覚ってとこ。それみたいなものかしら」

片手を天へ向けたプロセシアが渋く告げ、スピードをあげて降下していく。

 確か偉人で異人。科学者のニコラ・テスラは空間異常の体験をしたとされる。似た現象なら、妙な力で空間が壊れて穴が開き、おかしくなったのか?

「い、隕石……宇宙と狂えるリンクができた穴からの飛来? ワームホールなんて空間のマカロニ。理論上のもので観測すらされてない。けどよもや――」

別名、空間のトンネルとは言い得て妙だ。穴のひとつは……漆黒世界の小惑星群と思しき輝きを映し、その欠片、隕石をどんどん飛び出させている。

あ然と乾く喉を鳴らした直後。うねった轟音が地底より急接近、次の瞬間――。恐ろしい波動に呑まれた。プロセシアの中枢部、エネルギー変換炉あたりから、激震が伝わってくる。

「ふふ、よい推察だが鼠輩には、最期の観測機は三〇秒でも余りあろう」

 このうねる声は忘れやしない。アダムだ。ハリュウは不意打ちに慌てて対処が遅れ、プロセシアは体を折って弾き上げられ、バランスすべてが乱れる。護りのシールドが消える。気丈なプロセシアは声を絞り出した。

「……ハ、ハリュウ、ごめん。しっかり掴まって掴まってて!」

「あぁわぁぁ、地面、どっちだよぉぉ」

 わめいたハリュウは体ごと吹き飛ぶ。何処かの宇宙とリンクしたらしき穴へ、頭から突っこんでしまった。多機能作業着のシールドだけで宇宙へ放りこまれ、圧力差が身動きさえ封じる。絶対〇度に近い宇宙空間に晒され、作業着と体が膨れあがり、全身の血は燃えて沸騰しそうだ。

(ぐっ熱い熱いぃぃ。めった刺しの痛み。僕……すぐ死ぬ、の?)

 断末魔の叫びは、真空の宇宙では音にならず、支えも重力もない。ハリュウは失神しないようあがき、薄れる意識を保たせる。

(う、い、いっ、隕石が穴から出られる、なら……片道トンネルじゃない。……録画してきた証拠、失うけど、うぐっ、これ、推進力にすれば――)

 にわか技術者の精髄反射のごとく、ハリュウは重過ぎる腕で圧縮型ポケットからマルチ端末を出し、復元させた。マルチ端末をオーバーロードさせ、制御した自爆を試みる。不思議とうまくできた気がした。即、実行。

端末が砕けてイオン化ガスを噴く。ガス流の指向性に賭け、反作用で自身の体を飛ばした。閃きの軌道計算を信じ、体勢を変えて狙う。元の世界とリンクしたままのトンネル目がけて――。

(……頼む。あぁ頼む。僕に、これしか……痛たた。血が燃えて……がっ)

 疾風迅雷! 冷えた闇世界は去った。がむしゃらなあがきが、みたび幸運を引き寄せた。荒い岩壁の穴ひとつにぶら下がり、不意打ちの場へ生還できたから。そのうえ最遠の地底は、そうそう離れていない。

逆に、地底の禍々しい光はより強くなり、臨界到達が近いとわかった。ぎりぎりの状態なのに衝撃波が襲い来た。全身が揺さぶられ、滑落寸前に陥る。

「はぁっはぁっ、な、なんてこった。メシア気取り、アダムの本能が暴れて……もうイカレてやがる!」

 いきんで腕を引っかけ直し、ハリュウは崖下りを始めた。

「ゴガァァァァ!」

 火成岩で荒れる地底では、矛盾と呼べるプロセシアとアダムとの知性をかけた死線が、とうとう始まっていた。根は温和なプロセシアが攻めに攻め、ドラゴン似の無機生命同士が、エネルギー変換炉を潰す隙と命を狙い合う状態だ。

「グゴ、ガッ! ア、あがけイブ、あがけェェ。汝も因果応報の輪に囚われた」

矛盾し、破綻だらけの「論理的な本能」にアダム自らが呑まれ、コントロールできずにいる。魂を得て、あらゆる新たな痛みが解ったアダムなら、妥協点を探ったり休戦について話し合ったりできるはず――。

甘い考えを抱くハリュウは、すぐさまシビアな現実に打ちひしがれた。リンク装置が映すホログラムは、情け容赦を知らない。

《臨界到達まで残り五分》

 息を乱し、ハリュウは懸命に岩のでこぼこに手足をかけ、増光おびただしい地底を目指した。プロセシアと記憶を共有したおかげで、ディープコア・パーツの特異性にまつわる話が、ぼんやり頭に浮かぶ。

 こちらに気づいたか、プロセシアは歓喜の声を連れて長い首を曲げてくる。

「あぁよかった無事ね、ハリュウ? ディープコア・パーツはアダムの――」

「ダメ、集中切らさないで!」

ハリュウの体では、無機生命体の高速戦に反応できなかった。不快音を放ったアダムが前足を突き出す。プロセシアが頭部を鷲づかみにされ、アダムは駆動音を高め、ねじ切ろうと圧倒し、優位に立った。プロセシアがうめく。

「ぐ、あぁ痛いぃっ、……ウウ、ウガァァ……ァァ」

「このっ、や、やめろぉぉ!」と声を投げつけ、ハリュウは無我夢中で走る。

「今もがんばる仲間も使った。プロセシアは切ったことも。そこ活かして!」

 プロセシアには通じるはず。祈るとそのとおり、プロセシアが尾をスイングさせ、アダムの後ろ足を絡め上げた。意表だったのか、アダムの巨体が弓状に宙を舞う。直後、畏怖すべき存在と知覚できるモノが、アダムから飛び出して岩壁へめり込んだ。

「あれだな、パーツ! よっしゃあと、まかせろ!」

 プロセシアが逃れられたのを見、ハリュウはこぶしを振り上げた。

アダムは知の進化の集大成を奪い、類種の仲間たちを人間すら超越した知的生命へ、昇華させようと目論んだ。その理想を甘く妄信しすぎ、類する仲間もアダムも「人間臭さ」まで取りこんだ。うまくコントロールもできていない。

見るかぎり、理由はわからないが、アダムは過去にこだわり、意図して消そうと思える。ただ油断禁物には違いない。

体勢を立て直したプロセシアは「ありがと」、こうシンプルに告げてきた。うなずいたハリュウは、やるべき事を見据え、意識を研ぎ澄まして応じる。

「じゃ、じゃあ、あ、あれの修正作業に――」

 力強さを演じたものの、体は今このときも被ばく中だ。宇宙にダイブしてから続くめまいは治まらず、吐き気はこらえている。けどきっと大丈夫。この身、ハリュウは……まだ動けて挑める!

 パーツがめり込んだ岩壁へ駆ける最中、ハリュウは妙な力でよろめかされた。崖に溶けこむ……鋼のゴムボール似で、また、サビた黄金のようなディープコア・パーツは、海へそそぐ大河さながら、辺りに時間の奔流を映していた。

(ときの流れを……見てるのか? そうだ僕は見てる。時間の姿を……)

ハリュウ自身、危ないとわかっているのに、自意識が流れゆく感覚にあがらえない。大きくてコンパクト、トゲだらけの真球そのもの。ディープコア・パーツ……この世のどこだろうと……存在したら、すべて破たんし――。

「ハリュウ、ハリュウって! まともに見ない約束よ! 虚数空間っぽいモノは、この次元に住む生命の精神じゃ耐えられない! 物理法則が違うのよ!」

「う……ぁ、僕は? 虚数……存在か。あぁ、ゼロ個の存在を見るって感じか」

 助けのカツを入れられ、目をそらしたハリュウ。おそらく観測不能な虚数、概念や理論上の定義までもが……いや。生命の意識すら幻像とし、錯視させてくるとは、人智からかけ離れ過ぎていて恐ろしい。

地球は、一個や一人のような自然数が礎の世界だ。ここに暮らす自分たちの五感では、礎と異なった物理法則の産物など、とても扱えない。

知性の芽生えに関わり、刺激を与えるモノだとは思う。ただ、必要以上に求めれば混沌に囚われ、哲学者のごとく苦悩から逃れたい衝動に襲われるだろう。

 多分に漏れずアダムは、自らを超えるポテンシャルのディープコア・パーツへ、本能的な闘争心が生まれ、振りまわされ、幼児的に岩壁へ叩きつけていた。

幼児が暴れた結果、絡まった異常空間域ができた。駄々っ子のわがままには、どの世界も苦労をしいられ、ある意味、哀れな成れの果てだ。

出し抜けに、ハリュウの脳裏へ歪み、うねった声が割りこんでくる。

(ふふ、幼児的とは、いささか的外れであるが概ねそのとおりかもしれぬな)

(な、アダムか?)

 疑わしいアダムは、ぜい弱な部位にダメージを負ったらしく、こちらを凝視したまま身動きはしていない。同じくプロセシアはこちらを見、ハリュウが迷い、いら立つ難問について強い調子で伝えてくる。

「ハリュウ? ディープコア・パーツは見つめないで修正しないとダメなのよ」

「僕は超能力者と違う! 目隠ししてどう作業すんだ。教えてくれって!」

 焦りからヒステリックにどなってしまった。首を振るプロセシアは、きちんと腹案を持っていた。リンク装置越しに案を聞かされると、貧弱な人間だからこそ、寄り添いの想いが芽生えて文明を営み、……ときは満ちたとわかる。

プロセシアと共に旅立つ間際、互いに確かめ、覚悟したことも思い出せた。

(いよいよか。正論が正解とは限らない。……でもこの体、いつまで平気かな)

 記憶の共有をしたとき、渡されていたイメージをたどり、ハリュウは目を閉じて修正に挑む。天然の原子炉内だけあって、倦怠感が酷く嫌な油汗は出続けた。ふと強い視線を感じ、肩越しに振り返って目を開く。

プロセシアが不機嫌そうに眺め、無粋なことを叱ってきた。

「独り身じゃないって、もう! わたしもハリュウと一緒に挑むんだから」

「そんな当たり前のこと、尋ねないでいい。僕はいつも百人力だと思ってる」

プロセシアらしい物言いに、ハリュウもさらっと応じた。するとこう。

「いいえハリュウ? 違うわ。百万馬力の間違いね」

 非常時でも個性が煌めくプロセシアのフランクな声で、りきみが薄れたハリュウは感謝する。個性は、精神が秘める力を引きだし、そのうえふたつの精神力が合わされば二倍どころか、一瞬の奇跡を導く呼び水にさえ、なりえる。

ハリュウは正真正銘、泥臭い本能を露わにすべく、プロセシアへ目配せし、気持ちを高ぶらせた。永き体験を経て磨きぬかれた精神と組み、いざ挑まんと――。

《巨大爆発まで残り三分》

 リンク装置が映すホログラムの値は減るが、もはや関係ない。お互いの力を合わせ、一分で片づければいい。

弱気を払いのけ、ハリュウは息を整えて、プロセシアの精神を受け入れようと、再び心をひらいた。脈打つ生命の躍動感が近づいてくる。刹那――。

「わしがさせると思うたか愚か者め! ゴッ、グギァァァ!」

「アダム、いい加減にし……うっ、ウゥ、ガァァッ!」

 有機金属細胞を溶けこませたアダムが、後ろ足で岩盤を蹴っている。プロセシアも後ろ足で地を蹴り、防戦状態へ引き戻された。速戦即決! だがプロセシアはマイクロ秒の隙を突かれ、形勢は不利だ。

いくら無機生命体には、同時に考えを進める特質があろうと、精神を合わせながら、知性を賭けた死闘へも応じるなど、あまりに分が悪い。

 ハリュウの意識へ生々しい精神が近づき、急に離れてしまう。この繰り返しで打つ手がない。

(仮に……アダムが世界大戦まで起こした人間の冷徹さまで取りこみ、迷わず行使してるとしたら、それができないプロセシアと力の大差が出て――)

 祈るよう手を組んでハリュウが直視すると、禍々しいアダムの殺意はプロセシアの勝気と比較にならない凶悪さだと、丸わかりだった。ましてやアダムは退化の影響からか、幼子そっくりな考えの下、プロセシアを無邪気に襲っている面も明らかだ。

 ちっぽけな捨て駒の意地をみせてやる。ハリュウは乾ききった声で叫んだ。

「おいアダム! お前、論理的な死が欲しいんだろう? 死ぬ大義名分が!」

「ゴッ、小僧。なんだと?」

 半分ハッタリ、半分、推察から告げた。しかし、アダムの微かな狼狽を見、考えが真を突いていると確信できた。未知のホログラムが映す女神様と、プロセシアの治療のときにやり取りし、解せなかったところがあった。

たぶんアダムは実験によって何らかの成果を得、無機生命の仲間が心の痛みに関心を持ち、本当の知的生命と名乗れるよう、現代世界を仕向けた。加え、アダム自身がパートナーだった、亡き大統領の力の源を誤って解釈した。

疾患で苦しい身を押し、泰然自若と生きる様を見、有機生命体の人間を痛みから解放しようした。他方、アダムを含む無機生命には、人間が持つ力の源をギブアンドテイクの形とし、新文明への超越を遂げさせようとしている。

弄った本能を、どう処置しようと無意味だ。亡き大統領の活力の元は、アダムが発揮していたらしき、無上の優しさだと感じるから。アダムはそこに気づけなかった。

 誤り、恨み、過信。これらで暴走しだした計画は、知性の尊厳を狂わす結果となってしまう。現にアダムは、喜怒哀楽が鋭利化されすぎ、正気と思えない。

今に至って、わずかに気づいたか。アダムは継いだ責務、忸怩たる悔しさという初めての心情に対処できず、満身の痛みにさいなまれているだろう。

致命的な生き地獄から逃れるすべはない。アダムはこう思いこみ、自らを含めて生命、文明、空間すべての終焉を欲していると、おおよそ察しはつく。

「待ってくれ。もし僕が……アダム。お前を楽にできるとしたら、どうだ?」

「偽りをぬかすな」

 言葉に反し、アダムはプロセシアへの矛を収め、瞳を瞬かせだした。アダムは考えこんでいる。距離をとったプロセシアは、度肝を抜かれた感じで、自分自身もそんな感じだ。やおら眼光をたぎらせ、アダムが脅すトーンでうなる。

「見返りとする条件は何だ? 言え、小僧」

「ディープコア・パーツを僕たちに修正させること。それだけだ」

 本能のうち、最も冷血な面が露わになった。言葉の裏を返せば「死ぬなら、独りで死ね」と暗喩し、自衛のために突き放した――。どんな生命であれ、他の生命を死へ追いやる大義名分などはない。

しかしハリュウ自身、嘘をついたつもりもない。

 運良くディープコア・パーツの修正を遂げれば、世界もアダム自身も変わって、心の痛みの真意がわかるはず。うなずいたハリュウは右手を差し出し、そんな可能性に賭けてみたくなった。

 突然アダムが咆哮を地底へ轟かせた。銅色の前肢は歪む程、握り締めている。

「いまさら許さん! イブ。お前とわしは、歴史線上より消えゆく定め。哀れみ慰みはいらぬ。有機物どもも機械どもも、最期の優越感とやらを味わえ!」

「なぜそこまで世界を憎むんだ!」

 辛らつにどなり返したハリュウだったが、アダムの視線は、差し出した手に向いていると気づいた。

(そうか、これ。これなのか?)

アダムは、世界すべてが憎いのではない。こんなシンプルな感情がわからず追い求めた末、唯一無二の存在だったろう大統領を失い、退化現象やら「イブ」の離反やら、総じて裏目に出てしまう。

事実も自分自身も受け入れられず、失敗をこの世界へ責任転嫁し、自衛しようとの本能が働き、憎んでいる。これだと「人間型ウイルス」にまで堕落した有機生命体に、非がゼロだと断言できるかわからない。

「ほらアダム……勝ち負けなんてちっぽけな拘りから抜け出そう」

 呼びかけておきながら、ハリュウはチラリとリンク装置へ目を向けた。

《巨大爆発まで残り二分》

 プロセシアがわずかな身振りで、手を戻せと合図してくる。本当、どうしてこんな衝動にかられたのか、自分自身よくわからない――。

「ふむ。貴様は処置されずとも人間型ウイルスだ。すぐ証明してやる」

「えっ!」

アダムが地底を蹴る。大型な体ごとハリュウへ体当たりし、右腕を岩壁へ叩きつけた。枝が折れるごとき音が響き、ハリュウは全身がしびれていく。

(ぐ、あっ、あぁ……それはやめてくれーー!)

口が動かない。されるがまま腕のリンク装置をむしり取られ、アダムは指先の一撃で潰した。プロセシアの結晶だと、いつも想っていたリンク装置が――。

心も折れた。ハリュウは右手首からの激烈な痛みに、体を曲げて震わせる。

「い、痛い……く、くそっ」

「わしに意見などせねば、痛みも病魔からも解放されていたが……な」

 わざとらしくアダムが視線を逸らした途端、身動きしやすくなった。命をリモート操作できる力さえあるのか。察したハリュウは絶望感に屈しかける。

「僕の頭を……考える権限を……知性の尊厳を奪ったな!」

「ふふ。有機金属細胞を含む貴様には、最期の任がある。知的生命の地位を失う前に。イブがハッキングとやらを愚かに繰り返し、学べたものは大きい」

「はっ学ぶだと? お前は学び方すら学べていないのに?」

 痛みに耐え、ハリュウはありったけ冷やかに嘲った。アダムには究極の探し物、多様な痛みから学び得る宝玉は、もはや発見不能だ。残るわずかなとき、気がかりなのはプロセシアの判断だ。アダムへ攻めも守りも半端に思えていた。

(うぅ……プロセシア。僕は自分、とめたいのに。だからこの身を……すぐ)

 ハリュウの意に反し、正視すれば錯乱するモノへ、従順に歩まされた。アダムは隙なく身構え、低くうなる。

「よいか? 偽と類す虚を含むディープコア・パーツが存在することこそ、我々すべてを束縛する自然界の巧妙な罠だったのだ」

「それ、は、ない……」

ハリュウは、死にもの狂いで自分の体を取り返そうと逆らった。プロセシアは瞳が泳ぎ、うろたえた気配を漂わせている。誰だって死は怖いと読みとれた。

「ま、真心は、じ、実体化させ……得るものじゃない」

 息を乱し、ハリュウは声を絞り出した。いくら善悪や憎愛の念と似て非なる細胞、本能を溶けこませたところで、余計に真心が消えるだけだ。この不条理こそが、真理だと信じている。

 ハリュウは懸命に自我を護るが、アダムの傀儡はほどけない。加え、ディープコア・パーツの狂える波動に、とうとう自我喪失のときが目の前へ来る。

(……も、もう苦しい。限界――)

 薄らぐ意識のなか見聞きしたもの。プロセシアが、頑健な腕に飾る金のブレスレットを逆の手で掴んで外し、高らかに吠える声。

「わたしという固有種が代理として終止符を打つ! まずハリュウと有機生命体を。次はアダムの生命を導く!」

直後にハリュウの体はそう。手元に戻るような感覚に包まれた。アダムが扱う生命のリモート操作は、付け焼き刃のまね事だ。本質を知るプロセシアならば、軽く妨害できるのだろう。

それよりハリュウは、わきあがる憂いに怯えた。この先の考えが読めるから。

「プロセシア、ぼ、僕は嫌だ! そ……、そんなこと、したら――」

「楽しかったわハリュウ。機械のふりしてたときも、命があるってカミングアウトしたときも、態度を変えなかった“ひと”は、ハリュウが初めてだった」

 静かな語り口調を聞くほどに、恐怖の塊がこみ上げた。まもなく天然の核反応は臨界へ達する。メガトン級の巨大爆発が起き、地球の一部が吹き飛ぶ。そして核の冬を迎え、地球に住まう命は壊滅。命の数で優先順位を決めるのか?

だがプロセシアはすでに覚悟し、ディープコア・パーツと共にアダムを押しとどめ続け、わずかな希望に賭けるつもりなのだ。

これ以上の策が浮かばず、ハリュウは感極まって目元を拭った。こちらを見ていたプロセシアの瞳も瞬くけれど、今度はくだけた調子でからかってくる。

「あーらら。まーたまた泣いちゃったの?」

「違う。折れた手首が痛むだけ」

 永きとき、育み続けた真心を持つプロセシアに、虚勢はお見通しだろう。そして、あれほど嫌がっていたマズルを惜しまずこの身、ハリュウへ押し当てて無言のお別れを告げてきた。そのまま、詩歌を読むようプロセシアがささやく。

「ほんとは、わたしも泣きたい。けどごめん。わたしの体には涙腺がない。だから涙が流せないの」

「僕は――」

 突如、声帯の動きが封じられ、再び忌まわしい衝動が脳裏にわき出た。離れのアダムが凝視し、勝ち誇った雄たけびを轟かせてくる。

「お前は投手だったな。ディープコア・パーツの初期化すら拒む無能めには、ごく単純な作業をくれてやろう」

そのとおり強引なリモート操作を受け、この身、ハリュウは砂漠への雫どころか、何もできず育まれた知的生命を消す悪魔へ、仕立て上げられるのか――。

 悔しさが零れ落ちた直後、プロセシアが破壊的レベルの怒声を放つ。

「卑怯者アダム! あんたもわたしの頭を覗いて判断した疑似知性! わたしは羊頭狗肉な虚しい心中に一切、加わらない! これが不変な結論よ!」

プロセシアが前傾姿勢で金属の牙をむいた。アダムはゆるく首を振っている。

「そうか。ならばもう、わしはこの世界に未練など何もない」

いきなりリモート操作が荒くなり、岩壁へ埋まるディープコア・パーツを正視させられたまま、ハリュウは腕を突かされ、壊れるほどの掘削を強いられた。

《核反応が臨界へ到達。緊急避難を勧告します》と一部、自己修復したか、未だ動くリンク装置の欠片は、歪んだ血の色のホログラムを映していた――。



 (3)知的生命の宿命と夢――


 一帯は禍々しい光が増し、灼熱状態へ変わった。いつ巨大爆発が起きても不思議はない。多くの火山岩が顔を出す地底でプロセシアは、手足が限界を超えたノイズ音を放とうと無視した。袂を分かったアダムへの攻めはやめない。

タックルしてアダムを突き、よろけたところへ加減なしの打撃を見舞った。打撃音が火口内にこだまし、狙う部位はひとつ――。

「ぐぬうっイブ! わしのエネルギー変換炉を……無駄だ。あがけもがけぇ!」

「グガァァァァ!」

 プロセシアの原始的な本能は昂ぶり、理性的な心では悲しんでいた。機械的な無機生命の特質を活かし、頭では別のことを……アダムへ逆ハッキングも行う。徐々にアダムの考えと、こうまで悪あがきさせる「正体」が氷解してくる。

(短絡的。ディープコア・パーツは初期化も破壊もできないと、アダムは断じた。自ら正視して発狂する苦痛も恐れてる。身代わりを時間稼ぎに破……)

 陰湿な策を講じるアダムに対し、プロセシアは怒髪天を突いた。一気呵成、打って出る。金属のこぶしで殴り、隕石を砕く噛みつき、しなる尾の打撃。ようやくアダムの姿勢制御部位を破損でき、荒地へ崩れ落とせた。

「オノォれぇイブ。ヴァァァ、イブゥゥゥ!」

アダムは叫ぶが信じるに値しない。プロセシアは再度、肩から体当たりした。即、吹き飛ぶアダム。巨体が岩壁にぶち当たり、バウンドし、クレーターができた。破片が舞うなか、プロセシアはとどめを刺そうと構え――。

「ふ、ふふ、イブ。善戦したが間にあわなかったな」

「足止めさせて、わたしもろとも生命との心中? 外道よ外道!」

「ふふ、なかなかの読みだ。されど思考速度が鈍ったな、イブ」

 驚いて頭をめぐらすと、ディープコア・パーツを抱え、虚ろな目で笑うハリュウの姿を見つけた。

「よくもよくも! エゴを満たすため――」

「わ、わしは奴へ大役を与えただけだ。どのみち生命が宿す知性は消えゆく」

「第三者をエゴに巻きこんでおい――。なっ大役って……やめなさい!」

 力づくでアダムの内面をハックし察したプロセシアは、あまりの内容にすべての思考が不安定になった。

地底へ進むとき、異常空間域と告げた無数の穴に遭遇した。うち、隕石が飛び出す穴は、数光年は離れた宇宙へつながると、分析できていた。

アダムの最悪な魂胆は、遥か離れた宇宙へディープコア・パーツを放つというものだった。

 ディープコア・パーツが、宇宙の遥か先まで離れれば初期化と変わらない。意識への知的な影響はおろか、リアルタイムな相互リンクが保たれず、理知面への刺激の源を失った知性は、衰えていく。

 まず間違いない。人間はなぜか、パートナーと協調した火星テラフォーミングができていない。光を含め、離れた火星へのやり取りには数分、必要だ。

この宇宙の最高速が光なら、ディープコア・パーツが離れるとタイムラグ(遅延)が起き、パートナーたちの自意識、自我、心へ混乱をきたす。これが協調できない主因だろう。ここで謎が解けても、何にも活かせない。

「アダムの意気地なし! わたしもハリュウもこの文明のみんなも、あんたの勝手な巻き添えになりたくない!」

「イブ。間違っておる。ディープコア・パーツは返納するのだ。我々はすでに目覚め、自ら文明を営めるであろう。宇宙へ還せば、いずれ他の星へ漂着する。そののち、新たな知性の芽生えを導く根源となる。ゆえにこれは道理だ」

「ヘリクツ、そんなの」

 鎌首を振るってプロセシアは一蹴したものの、相手から確信が感じとれ、内心とまどう。ハリュウは遥かな宇宙につながる穴へ、ディープコア・パーツを投げこむ姿勢となりつつある。

「早くやれ有機物。知的生命に値せぬ機械どもウイルスにまで堕落した人間どもには、無用の長物。我が考えに反論できるか? 死が怖いかイブ?」

「反論? 屁理屈へ論じる暇はなし。死よりも敬愛するヒトと別れるのは怖い」

 プロセシアは正直な想いを言い切った。ここへ残る意味は確かめ、納得したはずだった。ところがそのときが来ると、心は揺らぎ、焦燥感が膨らむ。

「ふん。敬愛か……」とぽつり、アダムが口にした。

(今のアダムなら楽に殺せる。この手をねじ込み変換炉を潰し、とどめを……)

 まだ巣くう心の悪魔は、プロセシアへ甘くささやいてきた。けれど――。

(嫌、嫌よ。殺戮兵器だった頃のわたしは、もう居ない。居ないのよ!)

 ふと感じた。もしやこの矛盾は、ディープコア・パーツからの問いかけで、答えを待っているのではと? 正しい答えなんて、神様だってわからないはず。

だからプロセシアは、自分なりの答えを迷わず、誇り高く告げた。

「この手はもう一度、ハリュウへ手料理を披露するためにあるのよ!」

 断じてもリンク装置は動かない。金のブレスレットを外した身には叶わぬ、儚い夢だ。ピリオドさながら、時間が止まる錯覚を感じたけど、……幻?

水を打って燃え盛ると呼べる混沌のなか、プロセシアはただひたすら、身構えたままのハリュウを見つめ、なごり惜しんだ――。



 赤色化する光量、焼けつく熱気。むせぶハリュウは、プロセシアの高らかな声と念が脳裏へ広がり、傀儡子アダムのリモート操作を弱められた。抱えたディープコア・パーツは、蜃気楼を掴むかのごとく不可思議な質感を覚える。

ただこの先、何をすべきかわからない――。

「グッ、人間型ウイルス。なゼゆえディープコア・パーツを投ゲヌ、ウゥ?」

 アダムがうなろうと、全身が鉛を背負うほど辛く、息をしても胸がしびれて痛む。プロセシアは顔を上向けたり戻したり、合図を送ってきていた。

(あ……りがとう。でも僕は……)

 ちらりと上を見て、意図が読めた。超大型ヤマタノオロチ・タイプが長い尾をロープに見立て、垂らしている。脱出路を見上げた直後にプロセシアは、もごもごうめくアダムを、はがいじめにした。

「イブ! あがくな。あきらめろ。次いでわしと――」

「どうかしらアダム? あなた、動ける? 動けないわ、永久に」

 アダムからひじ打ちを受けても、安定翼や尾で突かれても、プロセシアは不動のまま、相手の身動きを封じ続ける。

(僕を逃がす時間稼ぎ……)

 自分だけ逃げて何になる? いま頃、ディープコア・パーツは知性の芽生えに関わる源であって、どんな生命だとしても改変は絶対的タブーだとわかる。

「僕は……」

「お願いハリュウ。託した知性のバトンで次へ。共栄できる知的世界を拓いて」

 プロセシアの悲痛な叫びがこだまする。脱出すれば自分は、真心を失う。

だけどディープコア・パーツが巨大爆発で崩れたら、まだ発展途上だった知性は、源たる自然界の庇護を失い、数多の古代文明のように自滅するのだろう。

 死ぬ、殺す、死ぬ、それ以外の策はないのか? ハリュウは考えが錯綜し、膝が震え、手首の電撃痛は増した。 

 この痛み。アダムに操られようと惑わされず、自ら選んだ結果だ。

(もし僕が、アダムとのリンク装置を持つ関係だったなら――)

事態は別の方へ進み、理想的なカタチで成熟した可能性だってある。少なくともアダムは、希死念慮に惹かれなかったろう。ふと現実へ意識が向いた。

「ねーえアダム。パーツを絡めたわ。あんた、知恵の輪を外す知恵はある?」

「グヌッ知恵の輪だと? おのれ愚弄し、よくも……ゴァァァ!」

 アダムが暴れてもがこうと、プロセシアという十字架は固い。

「ハリュウお願い!」

 唇を噛みしめ、ハリュウは「やり直しする」と腹をくくった。失敗したのだから、やり直す。しかしやり直しには、どれほどの時間がかかるだろう。

次に栄える知的生命は、どんな姿でどんなエデンを拓くだろう。

 絆かディープコア・パーツの影響か。投げさせられる直前、柔らかいプロセシアの色が脳裏で花咲いた。

(ねぇハリュウ。生まれ変わりって信じてる?)

 幸い、脳裏の美声は震えていなかった。意識を研ぎ澄ますハリュウは、ときの流れが遅くなったと目で見て実感し、沈んだ気持ちが晴れ空の煌めきを得る。

(信じてる。キッカケさえあれば、生まれ変わりだって簡単なんだよ、きっと)

(それがハリュウの答え? わたしとまた、いつの日かエデンで会いましょう)

(まぁエデンは夢物語としても。これから先は有機物とか無機物とか、肉体だとか機械だとか、しがらみのない世界に超越するんだよ)

 結局答えは、ディープコア・パーツからプロセシアを通じた念が元となり、閃いていた。

(じゃ、そろそろ、いくよ?)

ときの流れが動きだした。風前の灯火を燃やすハリュウは、重心をデリケートに移して投球フォームをとった。過去の学びが、ここで役立つとは。いらない経験はないらしい。がんじがらめ状態のまま、アダムは吠えかかってくる。

「ふふは、ふふ。お前、わしと同じ論理的帰結に至ったな」

「論理は考え方の指標だ。論理だけで作る答えや感情だけの答えは虚妄。知的生命だったら……」

 軸足へ体重をかけ、ハリュウはディープコア・パーツごと弓なりに肩から腕へ、プロセシアのあふれん情愛も加勢し、このうえなく自然体で力の移動ができた。指のかかり具合を精度高く整え、ハリュウ自身もあふれん願いをこめて即。渾身の一球、ディープコア・パーツを投じる。

「うぉぉぉ、僕の答え、受けろーー!」

 このときのディープコア・パーツは、不思議と羽の軽さへ変貌していた。ハリュウは完ぺきなモーションで投げきれて、ディープコア・パーツはアダムの望みどおり、宇宙へリンクした穴へ飛んでいく。

よく考えれば、アダムの言い分にも一理あった。ディープコア・パーツは、未踏な地に住まう神からの贈呈品だ。陳列するより、もっとしかるべき場で活かすことこそ、贈呈に対する返礼だと思う。

「ふは、ふふ。よろしい。有機物の小僧。たいへんよろしい」

 察していないアダムは口を割って、笑いの電子音を放つ。やり遂げたハリュウは、自分自身へ向けてほほ笑んだ。時間がかかろうと、険しい道だろうと、誇りと真心を礎に、みんなでやり直そう――。

状況を見守るプロセシアが、脳裏へ迷いのある美声を響かせてくる。

(ハリュウ? 猛烈なスピンをかけて、まさか……)

(そうだよ。答えになるかどうか、すぐわかるかも)

 あったけのスピン投球に、知性の在り様を賭けた。投じたディープコア・パーツは、みるみる不安定な軌道を描きだす。かつて、ハリュウの魔球と呼ばれたキメ球を狙った。

と、ディープコア・パーツは、アダムにむりじいされた穴の傍へ当たる。アダムがより大きく高笑いしている。

(バウンドしたここからが勝負だ。悪いけど、神はサイコロを振るんだ!)

至誠天に通ず。祈るハリュウが見つめるなか、跳ね返ったディープコア・パーツは残像の尾を引く。そのまま、せせら笑うアダムの金属質な口の奥へ奥へ飛びこみ、消えていった――。

(やったぞ! これが僕にできる……精いっぱいのこと……だった、んだ)

燃えつき、ハリュウはひざをつく。この地底、いいや、世界すべての音が消え、辺りが輝きに満ちた光景へ変わった。光景はスローモーションになったり逆転したりし、ハリュウが見聞きしてきた過去が頭をかすめていく。

とりわけプロセシアの太古からの記憶は、人知を超えているけれど、どういう想いでこの身へ声をかけたのか、意味合いがどことなく解けた。

現代文明へ紛れこみ、プロセシアは探していた。たとえ人間とパートナー、有機生命と無機生命ともどもが堕落しつつあろうと、広い世のどこかに偶然と呼べる希望はある。そう固く信じ、志を貫いて――。

アダムの性急な探し方にはとまどい、プロセシアはひたすら、知的生命みんなと分け隔てなく生きたいと願い、静々動いていた。まさに独りきりのイブだ。

遥かな時空間をくぐり抜けたプロセシアが、種族の違う人間のエゴを受け入れてくれたことで、ハリュウもごく自然に区別のない愛おしさ、反する恐ろしい孤独の存在について悟れた。

(これらをただの人間。こんな僕でも見抜けた。だから突拍子なくたって……)

倦怠感のせいで両手足をつき、姿勢を崩し、なおハリュウは生へ執着する。

この世界は意識ひとつひとつが空間越しにリンクしている? 自我を持つ生命すべてに、他者のセンスが連動して伝わる法則のうえで、知的文明は成り立っている?

これだと他者の意識に寄生し、依存しながら文明は維持されているとの答えにいきつく。ただ、どの世界だろうと、一〇〇%の真偽などないと信じたい。

魂を宿すそれぞれの器に、自立心のひな形だけが与えられ、あとは自ら意識を護るための依存と異なる力。そう。ごくシンプルに、努力と学びが必要で、それらの両立こそ、知的生命に求められる責務なのだろう。

古くより伝わる双頭の蛇さながら、この宇宙のこの世界は、ふたつの顔という水と油に似た性質を秘め、矛盾ではなく不思議をはらむと、今ならわかる。

意識の絆は文明生誕のみならず、知性が昇華していく要になるのではないか。

耐えに耐えてハリュウは待っていた。ところが知的生命の行く末に関わるディープコア・パーツ、さらに丸ごと放りこんだアダムの意識が察しとれない。

(あぁどうして……だ、よ)

風前の灯がもたらす、不可思議なものに包まれていた時間は一瞬だっただろう。前触れなく、ハリュウは意識を伴い、焼けつく熱気と爆発の予兆を示す激震に転がされた。

中性子か何かが網膜へ当たって、チカチカ閃光を放つ。この世と自分の断末魔のうめきが荒れ狂い、泣き叫んでいる。

生きていた証、せめて爪跡を遺すべくハリュウは、心からこみあがる思いを解き放った。痛み、目のくらみ、飛びかう発行体らが邪魔し、よく見えないが、アダムと感じる陰影へ向け、ガラガラ声を絞り出し――。

「お願いだ。恥じらわずとまどわず涙、流せる命へ……生まれ、変わって……」

 大笑いしても悲しんでも、涙は零れ出る。心の欠片が、自然にカタチとなったものだ。カタチを自由に現せるよう変われれば、次世代はきっと――。

ハリュウは体力気力が尽き、わずかな意識も砕けて崩れた。



 エピローグ


 今日の空も変わらず、安穏とした晴天だ。街なかも静かで落ちついている。

騒動なんてものは、大小どうであろうと、過去の記憶となって薄れていく。ハリュウは超大型なオロチ君にはあれ以来、感謝してもしきれない。

超大型な身を活かせる、土木建築に通じていたので、壊され燃やした一軒家の再建を頼み、新居は出来上がった。費用はオロチ君が、孤島の死火山で対応していた隕石を売り、どうにかねん出できた。

つくづく何がどう幸いするのかわからない。世界とは生々しく現実的だ。

 もちろん、冤罪の晴れたこの身、ハリュウはプロセシアと共に居られ、たっての願いどおり、大型ドラゴンの体でも扱える大キッチンを作ってもらった。

「く、くく……。これ、蛇口。大きすぎない? 僕も手伝いたいのにな」

「ドラゴンの手に合うサイズだからね。今晩もわたし、がんばるから。ハリュウの稼ぎで小さな蛇口を増やして、いっしょにお料理しましょ」

「稼ぐの……僕なの?」

 しかるべき時期だと思えるまで、プロセシアが異種の祖だと、つまりは無機物から誕生していた生命だと、公にしない取り決めをしていた。それでもお互い、喜怒哀楽を持つ生き物に違いはない。あれこれ意識過剰になる面は増えた。

 現在、真新しい玄関先には、ときが戻ったかのように何事もなく、サヤカさんが訪れてきていた。

「あたし、先、行って待ってるよ。ねぇファラデー。ちょっとだけ乗せて?」

 サヤカさんのとなりには、パートナーたる中型ユニコーンのファラデーが付き添っている。以前と変わらない光景だ。しかし、サヤカさんの頼みごとを先読みしたらしく、ファラデーは白く細長い馬面をきっぱりと横に振っている。

「いいえサヤカさん。運動は健康のためになるんだからさ。少しは歩こう。サボリ行為は認められ……よくないからさ」とこう、話しぶりは手探り感たっぷり。ただし接する態度は、まるで違う。

サヤカさんは眉間にシワを寄せたのち、こちらへ向き直って声掛けしてくる。

「うー、ダメかぁ。じゃハリュウくん、またあとで!」

「わかった。うん、あとで」

ふたりのやり取りにハリュウは好奇心を覚え、生返事で応じた。

 ファラデーはサヤカさんのパートナーとし、気づかいながらも従者とならず、盲目的に受け入れることはない。しっかり意思を示していた。サヤカさんも赤ん坊のごとき「あのとき」と打って変わって、寄生状態から脱却しつつある。

(未来って、ほんと、わからないな。万事塞翁が……白馬は正しいのか)

 まだまだ様子見だけど、この分なら文明全体の進化どころか、火口の底で夢見た知的な共存共栄と呼べる黄金期、到来は意外と近いかもしれない。有機金属細胞の仮性退化を治すオーダーメイド薬品は、国から配布され、ひと安心だ。

(僕も同じ過ち、繰り返さないぞ)

 気を引き締めた折、いきなり、中型オオカミのパートナーを連れ、ブルーのユニフォーム姿のポリス部隊が、新居前へやって来た。クーデターは誤認だったと事務的に処理されたはず。でも恐々、ハリュウは透過ドアの前で出迎える。

「えっとその。僕への逮捕電子令状とか電子請求書とか、そんな話ですか?」

「いえいえ違いますよ。これを渡してほしいと、我々は厳命を受けました」

首を振る中型オオカミが何かを背に、いぶかしむハリュウのそばへ歩み出た。

「厳命? 渡すものとは?」

 プロセシアも興味津々と庭先から、マズルを突き出してきた。ハリュウはうなずきかけ、ふたりで見ることにした。そしてすぐに不意打ちを受ける。

「こ、これって……僕たちの新しいリンク装置、ですよね?」

「みたいね、ハリュウ」

 思わずハリュウは、プロセシアの竜顔と自身の顔とを向き合わせた。プロセシアいわく、妙な仕掛けはないとのこと。うわずった声でハリュウは尋ねる。

「いったい誰がこれを?」

「はい。アダム大統領の厳命によってですよ」

中型オオカミは、かつての強硬な態度が消え、人間のポリス部隊をマネて、右前足で敬礼までしてきた。プロセシアのメロディアスな笑い声が響き、ハリュウ自身はこれから拓くだろう未来世界に、煌めく神々しさすら感じ始める。

(あのパーツはやはり凄い。アダムが文明の舵取りをどうするか。楽しみだ)

いく度も挑み、この手首まで折ったアダムが大統領として、ついに探し物の真心を見つけたなら、存分に観察してやろうじゃないか。一抹の不安は残るけれど、壮大な杞憂に終わると信じたい。

天使は悪魔の役を演じられても、悪魔は天使の心を持たず不自然になる。

ディープコア・パーツを悪魔アダムの魂へ投げこんだとき、ハリュウは地球か時空間か意識か、微かにシンクロした。でもアダムの意識はわからなかった。

違う。これは狭量な自分の不健康な邪推だ。アダムは輪廻転生を経て、世界のみんなが夢見るエデン目指し、第二の天地開闢を遂げるに決まってる――。 

大それた夢物語は胸に秘め、この身にとって大切なことを進めよう。

「えとそうプロセシア? そろそろできてる?」

「ええ。メタボ体質の決定打。とびっきりのサンドウィッチがあるわよ」

 メロディー交じりで「相変わらずな」プロセシアは街で最近、よく見かける大型パートナーサイズのペールトーンのエプロンを外していく。ハリュウはわざと駄々っ子を演じた。途端、呆れた雰囲気を露わにプロセシアは……。

「はぁぁ~。あーんして食べたい? なら大口を開けたハリュウには、こう!」

電光石火! ディープコア・パーツを投じたときのモーションに似せ、プロセシアがサンドウィッチを剛速球へ変えてくる。

「あがががっごほっ! 食べ物、口に放りこむなよ!」

「え、普通でしょ、それ? ハリュウの甘々も変わるかなって願ったわ」

「ごほっ、うっ嘘だ!」

プロセシアの仕草は、レトロな風貌のドラゴンであろうと、艶めかしく生き生きとし、悪いけれど一層、人間臭くなったと思えてしまう。

現代世界はわずかな間に、ここまで拓かれ、変化し、素敵な大超越をスタートさせていた。まさしく奇跡の成せる業。ただふと頭に、アダムとディープコア・パーツの微妙な思念がよぎった。そんな気がした――。


                  〈了〉

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『知的生命メカニズム』 @arumenoy7

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