吾、京町家で文豪気分の『缶詰泊』なるものを体験す

高瀬 八鳳

第1話

「先生、そんなに進まへんにゃったら、どこぞの宿で缶詰にならはったらよろしいんとちゃいます?」


 と、うんうん唸る私を見兼ねた、私の秘書兼、パトロン兼、妻の洋子が提案してくれた。


「む、なるほど、缶詰か。それは妙案ですね。とは言ふものの、宿に泊まるには先立つものが必要でしょう」


「大丈夫ですわ、先生。わたくしのお友達が、とっても良い宿を紹介して下さったの。昭和を色濃く残す、それでいてモダンなお店も入っている小さな商店街にあるお宿。大正時代の町家を改装してゲストハウスをされているそうよ。お部屋はそう大きくないようだけど、共用でつかえる広い居間やキッチンもあって、すぐ近くには千日回峰行を終えた阿闍梨さんが入洛する際に渡ると言われている白川の1本橋や、知恩院さんや、粟田神社さんがあるそうよ。しかも……」


「しかも……?」


 彼女はニッコリと心からの笑顔でこう続けた。


「お財布にも優しい、素敵なお宿なの」


 今の時期、特に平日はお値打ち価格で泊まれるらしい。

 予約を入れ、1泊の宿泊代と食事代等合わせて1万5千円が入った封筒を妻から受け取り、必要な物と着替えをカバンに詰めて、私は家をでた。


 電車で15分程揺られると、目的の駅に到着した。


 地図によると、駅からすぐのところに商店街の入口があるようだが、天邪鬼な私は、あえて反対の南からの入口に向かうことにした。まあ、せっかくなので、噂の1本橋を渡ってみるのも一興だ。


 地下鉄の上り口からそのまま東に向かってすぐ、三条通りから白川の東側を南に下り、1本橋を渡る。

 つまり、出口から右手に進み、三条通りから白川で右折、向かって川の左側の道を南に真っすぐ進むと、1本橋が右手に見えてくる。


 場所を説明するのに、通り名プラス東西南北を多用するのが、京都流。慣れるまでは何の呪文かと思われる説明も、慣れている者にとってはこれ以上ないほどわかりやすいのだ。


 そして1本橋を渡る。よくよく考えると、既に何度か渡ったことのあった橋だった。

 まあいい。


 商店街の名前が入った大きな提灯が入口にかかっている。


 昭和を感じさせる、店舗と民家とシャッターが混在する商店街の細長い通路を歩いていると、路面を掃除する一行をみかけた。


 商店街の人達だろうか。意外に若い。


『御精がでますね』


 と、心のなかで呟いて、無言で通り過ぎる。

 私は人見知りさんなのである。


 宿につく直前に、美味しそうなカフェを発見。つい、入って写真撮影してしまった。


 本日の缶詰用の宿に到着する。


 うむ、なかなか大正感があって、文豪気分を味わうのにもってこいな雰囲気だ。


 玄関扉をガラガラと開けて奥に進むと、フロントスペースが。机の後ろには背の高い歴史を感じる箪笥が鎮座している。


 おお~、なかなかよいではないか。


 二部式の着物を着た年若き女将と、笑顔の素敵な4,5歳の若女将に迎えられ、チェックインを済ませる。


「すぐ近くにお住まいなんですね。本日は、何かお仕事でのご滞在ですか?」


「ええ、まあそうですね。どうしても今晩仕上げたいものがありまして」


「あら、缶詰泊でいらっしゃるんですね」


「缶詰泊……?」


「ええ、うちには、かっての文豪の方々のように、文章を書いたり、お仕事の企画案を練ったり、あるいは、ひたすらぼーっとしてご自身と向かい合ったりする方もおみえになります。宿泊場というより、何かをクリエイトする為の、非日常な空間を求めてお越しなんです。そういうご用途を、うちでは缶詰泊とよんでるんです」


 女将は部屋を案内しながら、楽しそうに説明してくれた。


「勿論、うちは小さな宿屋ですし、本当に文豪の方がご利用になった旅館と違って、かなりカジュアルですが。だからこそ、ちょっとした気分転換に使っていただけるんですよ。こちらが、皆さま共用の居間です」


フロントから、裏庭を通って向かった先には、昔ながらの縁側がある畳の居間と、その横にいわゆる京町家特有の細長い台所がみえた。台所の炊事場には、懐かしいモザイクタイルがはめ込まれており、高い天井に否が応でも心がときめいた。木の備え付けの棚には、カップやお皿が並んでいる。


「こちらもご自由におつかいください」


 居間には掛け軸がかかり、昔ながらの調度品や、今は見ない木製の引き戸など、まさに大正ロマンを感じられるつくりとなっている。


「コタツが似合いそうな部屋ですね」


「ええ、冬にはコタツを置いてます」


 コタツにみかん、庭の木に積もる真っ白い雪を眺めながら、熱燗を呑んだらさぞ旨いだろうと想像してしまった。


 部屋へと案内される。


 床の間のある和室。広々、ではないが、さほど手狭でもなく、清潔感のある佇まいだ。トイレとシャワー室は真新しく、なにより、窓を開けるとそこには商店街に吊るされた丸い紙ランタンが見える。ハロウィンのカボチャらしき顔のあるランタンと目があった。


 うむ、なんかいい。


 女将と若女将に礼を言う。二人が部屋を去ると、さっそく荷物を広げる。

 それから、フカフカの布団に大の字に寝転んでみた。


 缶詰泊、か。


 そう、わたしは文豪のように缶詰になりにここに来たのである。


 さっそく、ノートパソコンと部屋のカギを持って、先程案内された居間へと移った。


 そういえば、もう一人の連泊の客は深夜にしか戻らないと女将が言っていたので、ここは夜まで私一人のものだ。


 机の上にあったwifiのパスワードを入れ、ネットをつなぐ。

 昔と違って、昨今の作家は、パソコンで創作するのだ。


 小一時間ほどパソコンに向かうが、3行ばかししか進まない。


 なんというか、ここは居心地が良すぎる。

 無意識にリラックスして、この和の空間、過去の住人達の時間が刻まれたこの木造の家を、ただただ五感で感じようとしてしまう。


 私は庭に目をやる。5月ともなると太陽の光は濃くなりつつあり、夕方といえどまだその輝きを見ることができた。


 せっかくレトロな商店街にいるのだ。ここはひとつ、取材しておかねばならぬのではなかろうか。


 上手い言い訳を思いついた私は、すぐさま部屋にパソコンを突っ込み、財布をポケットに入れて外へと向かった。


 端から端まで、あらためて商店街を散策する。

 


「おかえりー。今日はどうやった?」


 鶏屋の女将さんが、大きな良く通る声で、小学生らしきの男の子に声をかけている。


「らっしゃいらっしゃいー」


 長靴をはいた魚屋の大将の掛け声。


 八百屋では、ご婦人が店主に料理の仕方を聞いていた。


 色々な声や音や匂いを感じる。

 サザエさんの世界のような、知らないのに知っているような、懐かしい感覚。


 商店街は、決して、人通りが多いわけではない。というか、少ないかも。


 スーパーに行けば、一度に何でも買える。

 そんななか、商店街で商いを営む店主達の心意気というか、強さに感動を覚えた。


 また、一言の会話もなく、買い物が成立してしまうスーパーと違い、店主と会話をしながら買い物ができるという楽しみが、ここにはある。


 スーパーは便利で安い。だが、不便で多少割高でも、人とのつながりや文化を感じられる商店街という存在も、また価値があるのではないだろうか。


 日本の商店街という独自な文化を、廃らせてはなるまい。


 と、急に商店街文化を守らねばという使命感に目覚めた私は、総菜屋で晩御飯のおかずを買い、食卓のお助けどころの食料品店で近江の日本酒を手に入れた。


 宿に戻ると、先程商店街の通路を掃除していた若い男性がいた。聞くと、彼がこの宿の主人、つまり女将の夫らしい。


「ごゆっくりどうぞ」


 人懐っこい笑顔の彼をみて、私はこの夫婦は似たもの夫婦だと思った。

 笑い方が似ている。


 ふと、自分と妻はどうなのだろう。自分達では気づいていないが、存外似ている部分があるのかもしれない等と考えながら、部屋でパソコンを取り、再度居間へ向かった。




 気づくと、朝の10時。チェックアウトまであと1時間。

 私はあわててシャワー室へ向かう。


 シャワーを浴びながら、どこで間違ったのだろうかと昨晩の出来事を反芻した。


 晩飯に買った総菜屋のおかずは、どれも旨かった。そして、日本酒も。ほろ酔い気分で、ついつい酒がすすんだのがマズかった。


 そして、早く仕事が済んだので、と20時頃に帰ってきた、もう一人の泊り客が持ち帰ったワインを、一緒に頂いてしまったのもまずかった。


 関東から来ているカメラマンの彼の話はとても面白く、話は尽きず、結局土産用に買っていたもう1本の日本酒も一緒に吞みながら、明け方まで話し込んでしまった。


 彼は9時の新幹線で帰ると言っていたので、もう出発していないだろう。まあ、彼はまだ30歳と若いので、多少の二日酔いや寝不足は問題ないと推測できる。


 しかし、五十路の私にはたいそう堪えた。だいたい、飲み過ぎる事も、明け方まで話す、なんてことも、この10年間はなかった事だ。


 そして、原稿……。


 私は妻の姿を思い描く。

 このまま、3行しか書いていない状態で帰ったら、彼女は何というだろう。どんな表情をするだろう。


 私はブルブルっと寒気を感じた。そして、大急ぎで体を拭き、頭をタオルで包み、パソコンの電源を入れた。


 まずい、まずい、まずい。

 このまま、帰っては、キケンだ。

 書かなくては、かかなくては、カカナクテハ……!!




 火事場の馬鹿力とはこのことであろうか。


 私はチェックアウトまで残り45分で、なんとか約3000字の短文を書き上げた。


「ありがとうございました。またぜひ、商店街にもお越しくださいませ」


 女将と若女将の癒しの笑顔に見送られて、私は宿を後にした。


 駅に向かう途中、視線を感じてふと目をやると、そこには黄色いアヒルらしきランタンが私を見下ろしていた。

 


  課題を遣り遂げた充実感と、寝不足と二日酔いとでふらふらになりながら、知恩院にも粟田神社にも寄らず、私はまっすぐに家に帰った。


「お帰りなさい。先生、宿はいかがでしたか?」


「宿はとても良かったよ。商店街についても取材できたし、予定通り、短文も完成した」


 私は自宅の狭い居間で横になりながら、妻と話す。


「まあ、本当に缶詰になって書き上げたんですね。素晴らしいわ」


「……本当に、こんなに缶詰泊に効果があるとは思わなかったよ。提案してくれて感謝する。君の友達にも、宜しく伝えてくれたまえ」


 妻は照れ臭そうに笑った。


「そうおっしゃってもらえて、なによりだわ。でも、これで安心ね」


「安心?」


「ええ、また行き詰った時には、その宿で缶詰になればいいじゃない」


 私は、宿の居心地の良い居間を思い出した。

 宿の女将と若女将と主人を思った。

 商店街の店主達を思った。

 関東に帰って行ったカメラマンを思った。


 そして、帰りに目があった、黄色いアヒルのようなランタンを思った。


 とても、貴重で濃厚な1泊2日を体験をしたのだと、あらためて感じた。


「そうだね、また困った時には、缶詰になりに行くよ」


 その時には、またあのカメラマンのような気のいい若者と会えるだろうか。面白い刺激的な何かと、また出会えるのだろうか。


 帰ってきたばかりだというのに、既にもう次の缶詰泊を楽しみにしている自分がいた。


 たまには近場で缶詰になるのも、悪くない。


 そう思いながら、強い睡魔に導かれ、私は心地よく眠りに落ちた。

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