リスポーン

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リスポーン

「ようは意識の問題なんじゃないの?」

 僕がこの会社に入って、まず上司になった先輩が十八番(おはこ)の台詞を吐いた。

 女で、僕よりたかだか三つ年上なだけで先輩風を吹かせて。何かと言っては意識の問題、意識の問題と人を小馬鹿にして。ちょっと美人だからって良い気になって、正直、僕はこの女が大嫌いだった。

「バンドに夢中になるのも良いけど、まずは仕事ありき、でしょ。社会人なんだから」

 入社して一年とちょっと。もうすぐ二回目の夏休みだ。ライブも近付いて、公私共に忙しくしていたんだけれど、僕は仕事でちょっとしたミスをやらかしてしまった。上司は責任を取るためにいるのに、この女はそれを心底嫌がって、僕に小姑みたいな厭味を言ってくる。

「好きなことだけに一生懸命ならそれは頑張ってるってことじゃないのよ」

 だからってバンドのことまで持ち出さなくたって良いじゃないか。当然ミスは僕自身のせいだ。だけれどバンドのせいで仕事に身が入っていない訳ではない。大体にして今回のミスとバンドは何の関係もないし、そもそも僕自身に責任を負わせてくれるなら、僕自身がお客に謝罪するし、同じミスを繰り返さないように注力だってきちんとする。何も上司だからって僕のミスの総ての責任を取ってくださいなんて思っちゃいない。

「嫌だ嫌だで通してきた学生時代はもう終わったの。大人になれとは言わないけれど、もう少しだけ会社に慣れたら?社員なんだし」

(わかってるよ、くそウルセェ)

 学生は気楽でいいよなぁ、と言われて気を悪くする学生は多いけれど、本当に学生時代は気楽で良かった。学生にだって色々あるんだとムキになって反論してくる後輩がいるけれど、それは社会人になったことがない人間が言うことのできる台詞だ。

 どっちにしたって甘ったれた台詞でしかない。

「今日はもういいわ」

 あと三十分は続くんじゃないかと思った小言は思ったよりも早く終わった。

「すみませんでした」

 僕は頭を下げる。

 今日一日で何度頭を下げたか判らない。でもどうせこの人は僕が頭を下げるところなんていつだって見ちゃいないんだ。



 通勤はオートバイでしている。去年買ったYAMAHA(ヤマハ) TW225で少し寄り道をする。じめっとした風を切って走っても少しも心地良くはなかった。

 中学校の裏にある廃工場。僕が子供の頃からそれはあって、子供達の恰好の遊び場になっている。そしてここにはちょっと変わったルールもある。誰が始めたのか、誰が決めたのかは判らないけれど、ここでは絶対に喧嘩をしてはいけない。

 だから中学生が小学生を追い返すなどということもない。何故か不良の溜まり場にもならない。僕は明かりもついていない廃工場に入り、屋上に出た。そこには先客がいた。どう見ても小学生くらいの男の子だった。

「なんだよ、大人が入ってきちゃいけないんだぜ」

 その男の子は僕に気付いて生意気にもそう言った。

「いいんだよ。俺はここの先輩だぞ。何人(なんぴと)たりとも追い出すなかれ、だろ?ここのルールは」

「センパイ?ナンピト?」

 聞き返す子供に向かって笑顔を返す。

「今でもたまにくるの知らねぇか?ギターもってさ……」

 作曲や作詞で煮詰まると僕は良くここに来てギターを弾く。安いモデルガンを持って銃撃戦ごっこを始める子供達や、工場の奥の方まで行って取るに足らない何かの廃材を見つけて宝物とする、探検ごっこをする子供達を見ながらのんびりとギターを弾くのは好きだった。

「あ、知ってる知ってる。ギターのにーちゃんだ!」

 子供達にはそう呼ばれてるのか。悪口じみてなくて良かった。

「あたり。ゴホービにジュースぐらい奢ってやっから買ってこい」

 少し気が良くなった僕はそう言ってポケットから五百円玉を出した。

「え?いいの?」

「可愛い後輩にはやさしくしねーとな」

 そう言って煙草に火を点けた。男の子は階段を駆け下りていく。

 このくらいの年の友達は他にもたくさんいる。ここでは一緒に場所を共有した奴はみんな友達だ。ここに来るのは作曲に詰まった時だけじゃない。今日みたいに嫌な気分になったときとか、女に振られた時とか、気分がへこんだ時は必ずくる。子供の頃から変わらない、ここは僕の秘密基地だ。きっと顔を合わせていないだけで、何人も僕みたいな大人はいるんじゃないだろうか。

(あの女にだけはぜってぇ知られたくねぇ場所……)

 程なくして男の子は息を切らせて戻ってきた。その手にはコーラとコーヒー。

「大人はコーヒー好きなんだよな」

 良く判ってらっしゃる。

「おまえ、名前は?」

「滝口周平」

「シューヘイか。おれはシューイチだ、よろしくな」

 缶コーヒーをシューヘイの持つコーラに軽く当てて、僕は言った。

「こんな時間にどしたんだよ。親に怒られねぇか?」

 殆どの小学生は遊んでいるのは夕方までだ。僕もそうだったけれど、あまりに遅くまで遊んでいると親がここまで迎えに来る。

「んー、弟と喧嘩しちゃってさー」

「あぁー、なるほどな。どうせ悪いのは兄ちゃんだからな」

「え?何で判るの?」

「俺にも弟がいてな。喧嘩になると弟が悪くても怒られるのは兄貴の仕事なんだよ」

 子供の頃は一番強く感じた憤りだった。それでも弟を嫌いになることはなかったし、親だって嫌いじゃない。それだけ学んだし成長もしてきた。シューヘイはこれから少しずつ、ゆっくりとそれを学んで行くんだ。

「うん……」

 こいつも一緒か。嫌なことがあるとここへくる。嫌なことはここで断ち切って、ここからまたスタートする。

「まぁ同じシューの字同士、仲良くやろうぜ」

 ぽん、とシューヘイの頭の上に手を乗せて僕は言う。

「シューイチにーちゃんはなんでここ来たんだよ。来る時は日曜日の昼間じゃなかったっけ」

「ま、やりきれねーことが色々とあんだよ、大人でも」

 苦笑してシューヘイに答える。前言撤回かな。子供は子供でやっぱりやりきれない事情がある。学生だろうと働いていようと、割り切れない成り行きだってあるし、納得できないことだってある。やっぱり誰だってどこかでガス抜きをしないといけないんだ。自分の一時の境遇に対して他人を甘ったれだなんて、僕の方がよほど甘ったれだ。

(そしたらあの女だって一緒か……)

 少し認識が改まったかもしれない。

 やはりここに来て良かった。

「ほら、ジュース飲んだら帰れよ、シューヘイ。怒ってたって子供がいなくなりゃ心配してるのが親さ。例えそれが言葉とか態度に出てなくてもな。んで、お前のプライドが邪魔しなけりゃ、できれば弟にあやまってやれ。悪くなくたって謝んのもいいにーちゃんの仕事だ」

 プライド、なんてまだ判らないかな。

「判ったよシューイチにーちゃん。悪かったな、にーちゃんだってヘコんでたんだろ」

「へ、そうでもねーよ」

 生意気なこと言いやがる。コーラを一気飲みして走り去るシューヘイを僕は見送る。炭酸飲料を一気飲みした後によくあんなに走れるもんだ。と思ったらシューヘイは豪快なげっぷをした。

 そんなシューヘイを見送っていると、少しだけ、暖かな気持ちが湧き出てきたことを自覚した。



「相沢(あいざわ)さん」

「な、なに」

 気分が入れ替わって、きっとまたすぐにダメになっちゃうかもしれないけれど、この気分が続いているうちに。

「昨日はすみませんでした。これから気をつけます」

 べこ、っと頭を下げた。そんな僕を見て、相沢さんは赤面して、やはり顔を背けた。別に相沢さんが見ていなくても良い。これは僕自身の問題だ。

「あ、あなたね、そんな何度も何度も、男が頭を下げちゃ、ダメ!」

(あ?)

「え……?と?」

「もう判ったから、一度謝れば……。って私の言い方が悪いのかもね……」

「はぁ」

 なんだか良く判らないが、古風な人なのかもしれない。キャリアウーマン然としているこの人からは想像もつかなかった。そういう家庭で育ったのか、今の風潮としては結構難儀なのではないだろうか。この時代に、しかも会社の中で男尊女卑もないだろうに。しかし、これで僕が頭を下げても見ていない理由が判った。恐らくこの人は謝罪を受け入れたくないから見ていなかった訳ではなかった。単純に、男が女に頭を下げるという行為に、座りの悪さを感じていたのだろう。

「と、ともかく昨日の件はもういいわ。板野装建さんも判ってくれたし……。ただ、同じ間違いは極力避けるようにしないとね」

 相沢さんの意外な一面を見たからだろうか。なんだか当たりが柔らかい気がする。

「あ、はい。……えと、な、何かあったんすか?」

 いつもは「私の方が一枚上手ね」みたいな空気をかもし出していて可愛さの欠片もないのに、今日はそんな感じがしない。

「北見(きたみ)君達も大変なんだなって、少し思い出しただけ。私もこういう性格だからいつも言い方きつくなっちゃうけど……」

 あぁ、そうか。

 この人はこの人でやっぱり上から重圧があって、僕みたいなのから女のクセに、だとか上からはこれだから女は、だとか言われて、思われて。

 きっと立場的にも辛いことがたくさんあるんだ。僕も一方的に悪い印象を持ちすぎていた。相沢さんのことは責められない。

「ようは意識の問題ですか?」

 僕は言って笑顔になった。この人が一番良く言うお小言だ。

「……そうね」

 苦笑して相沢さんは言う。

「……ねぇ北見君」

「はい?」

「セ、セクハラとかって気にしてる?」

(い、いきなりなにを言い出すんだ、この人は?)

 僕は多分、いや絶対相沢さんにそんなセクハラ紛いなことをしたことはないし、するつもりもやっぱりない。い、いや、もしかしたらそれまで抱いていた悪い感情が滲み出てしまっていた可能性はある。今、嫌いだっていう認識は改まったけれど、それとこれとは話が違うような気もする。

 だけれど無意識の差別というものは、ある。自覚していないだけ、という方が怖い。僕は恐る恐る相沢さんに訊ねてみた。

「え、あの、お、俺、何かしましたか……?」

「ばかっ、そうじゃなくて!こういうの、男同士だったら簡単なのになぁと思って」

 男同士だと……?ますます相沢さんの言っていることが判らなくなってきた。

「え、えと、何です?」

「今晩、ちょっとお酒、付き合わない?」

 お猪口をクイッとやる手振りと共に相沢さんは言った。

「え?あ、そ、そういうことっすか」

 セクハラ、というと男性社員が女性社員に、というものを想像してしまうけれど、こういうのは逆に女性社員の間で言われるのかもしれない。部下や後輩に手を出す、とかなんとか。全くくだらない。

「いっすよ。たまには上司の酒に付き合いましょ」

 多分部下と上司のコミュニケーションの最も基本的な形だ。別の部署の先輩とは良く呑みに行ったりもしていたけれど、直属の上司である相沢さんとはやはり男と女ということもあったし、大嫌いだったということもあり、個人的に呑みに行くことなど今まで考えもしなかった。

「あ、でも嫌だったらいいのよ。北見君、私のこと嫌いでしょ」

「え、あ、いや、そんなことないっす」

「周りから色々声、聞こえてくるのよ」

 また苦笑する。本当にどうしたんだろう。昨日までの相沢さんとは全く印象が異なる。

「いや、それは、昨日までは、ホントだったけど……。あ、す、すんません」

「いいのよ、判ってたしね」

「でも今日から改まったのはホントっす……。俺もいい加減成長してないなって……。だから、今日誘ってもらえたのは逆に嬉しいっす」

 昨日の今日で嘘っぽく聞こえてしまったかもしれないけれど、これは本当のことだ。

 もっと上の上司とも呑んだことがあって、ろくでもない酔い方をして、駄洒落は連発するわ、物は壊すわ、喧嘩は始めるわで本当にいい迷惑だったけれど、相沢さんはさすがにそうはなるまい。

 こんな機会に恵まれたのは、あの場所でシューヘイに会えたお陰なのかもしれないな。また今度会えたらコーラでも奢ってやるとしよう。

「そ、そうなのね。それじゃ、色々と込み入った話は後で。さ、今日もオシゴト!」

「うす!」



 ぐったりと疲れて営業所に戻った頃には、相沢さんもデスクについていた。

「お疲れ様」

「お疲れっす」

 相沢さんのデスクの上には僕のデスクの倍くらいの見積り依頼。僕の方は多分一時間もあれば終わるけれど、相沢さんのは結構時間がかかりそうだった。何だか同僚とか後輩に厭味ったらしかったけれど、僕は即座に自分の仕事を片付ける。表計算ソフトで作ってある見積書の雛形にセット単価と加工費、施工費、搬入諸経費を次々と打ち込んで行く。僕よりも見積りの少ない後輩は自分の分を終わらせてさっさと帰って行くし、同僚もできるものだけやって、後は翌日に残していたりもしていた。


 一時間も経った頃には僕ら営業二課の島は僕と相沢さんだけになってしまった。

 僕がやるべき分の見積りを終え、相沢さんの方をチラリと見ると、相沢さんは既に三分の二以上の見積りを終えていた。あと少ししかない。この辺はやっぱり上司としてさすがだ、と改めて気付いた。この後、いつもならば相沢さんは自身の見積りを終えた後、僕や同僚、後輩の見積りを全てチェックすることになっている。僕も今までなら帰っていたけれど。

「相沢さん、残りの見積り、俺やりますからチェック入ってください」

「え?」

「さっさと片付けて、やりましょ」

 くい、っとお猪口を傾ける真似をして僕は笑った。

「じゃ、じゃあお願いね」

 相沢さんも笑顔で僕に残りの見積り依頼を渡してくれた。

 結局はやはり『ようは意識の問題』で。お局様とか、オールドミスなんてまだまだそんな年齢でもないのに陰でそう言われている人の仕事を手伝うことが同僚や後輩に恥ずかしい、なんて思っていた僕はやっぱり学生時代から少しも成長できていない甘ったれのままだったのだろう。そんな気持ちを持っていたことこそが恥ずかしい、とようやく気付くことが出来たのかもしれない。

(仕事だからね)

 って、そう一言で返せば済むことだったのに。これだけの仕事をいつも一人でこなして、僕らのケツを持って、僕らの知らないところでお客に頭を下げて、毎日毎日こんなことが続けば愚痴だって出るだろうし、部下に辛く当りたくもなる。その立場に立てていない今の僕でも、想像だけでもそんなことくらい簡単に判ってしまう。結局僕は優しくなかったんだ。自分にも他人にも。自分だけが良ければ、なんて甘ったれたことを考えていた。自分に甘いことと自分に優しいこととはきっと全然違うことだ。

「俺の、間違ってたらすぐ直しますから遠慮なく言って下さいね」

「勿論そのつもりよ」

 よく見積りで手直しを喰らっている僕はばつが悪くなってそう言ったけれど、そこはさすがに上司の顔で相沢さんは笑ってくれた。


 それから一時間とかからずに仕事は終わった。僕と相沢さんが一緒に事務所を出て行くのを見ていた他の社員達が目を丸くしていたが、全然気にならなかった。むしろ相沢さんの方が気にしていたくらいで、別々に会社を出よう、とまで言い出す始末だった。何だかんだで可愛いところもあるんだな、と思ったら見抜かれた。

「今日はあたしのとっておきの場所」

(あ……)

 プライベートだとこの人自分ことを『あたし』って言うんだ。

「え、俺そんなに金ないっすよ……」

「や、やぁねぇ、今日は上司のオゴリじゃないの!」

 赤面して、ばしん、と僕の背中を叩く。け、結構痛い。照れ隠しだろうか。

「え、で、でも、女の人に払ってもらうなんて!」

 それこそはっきり聞いた訳ではないけれど、男尊女卑のイメージをどこかで持っている相沢さんらしくないような気がする。

「これでもいちおー上司ですから!」

 なるほど、今重んじるのは年功序列か。どちらにしても悪しき昭和の風習、なのかもしれないな。



 相沢さんのとっておきの場所とは、いわゆる大きな赤提灯が軒先にぶら下がる焼き鳥屋だった。

(つくづく意外性のある人だよなー)

 てっきり僕なんかにはまったく縁のないお洒落なバーか何かだと思い込んでいた。

 店に入るなり。

「おとーさん、生二つね!」

 と座敷の席に案内もされないうちに上がり込む。つまりは常連客なのだろう。

「お?アイちゃん男連れかよ!かー!やんなっちゃうね!」

「やっだおとーさん、この子は部下なの!いわゆる上司と部下のコミュニケーションよ!」

(へぇ)

 こんなに明るく笑う人なんだ……。しかめっ面と仏頂面と苦笑しか見たことがなかった僕はまじまじと相沢さんの顔を見てしまっていた。

(やっぱり美人、は美人なんだよなぁ)

「そんなこと言っておハダとおハダのコミュニケーションなんじゃないの?かー!やんなっちゃうね!」

(かー!やんなっちゃうね、はきっとおとーさんの口癖だ……)

「ちょっとおとーさんそれセクハラだからね!」

 早速おとーさんからビールを受け取って、僕と相沢さんは改めて向き合う。

「今日はありがと。お疲れ様、北見君」

「あ、えと、こ、これからも宜しくお願いします!」

 僕は言って、相沢さんの持つジョッキに僕が持つジョッキを軽くぶつけた。

「若ぇの!僕をオトコにしてくださいくれぇ言っちゃうか?かー!やんなっちゃうね!」

(まだ何も言ってない……)

 僕が何を言う前に勝手にやんなっちゃったおとーさんにかける言葉を失ってしまう。

「いいから早くいつもの持ってきてよセクハラじじい!」

 常連とはいえお店の人に凄い言葉遣いをするもんだ。つくづく意外性のある人だ。

「おうよ!それにしたってアイちゃんだってオトコの一人や二人、筆卸したことあんだろ!かー!やんなっちゃうね!」

「いやー!そういうこと今言わないでよー!」

(でも否定しないんだ……)

 ますます判らない人だ……。



 最初の店で三時間も呑んだ僕らはそのまま帰ることにした。

 プライベートではこんなに明るくて楽しい女性だとは知らなかったとはいえ……。

 やっぱり、悔しいけれど、美人だとはいえ……。

(さすがにこの人と寝る勇気は、ない)

 思ってからあまりにも現実味のない妄想に、慌てて自己否定。

「北見君、まだ終電大丈夫だよね」

「あ、は、はい」

 馬鹿な妄想をしてしまった僕に相沢さんが言う。

「ちょっと寄り道」

 そう言って、駅とは反対方向へと相沢さんは歩き始めた。

「仕事とか、今日付き合ってくれたこととか、ありがとね。結構キミ、いいヤツっぽいぞ」

 にっこりと笑って相沢さんが言う。これには結構本気で感動した。それは僕も相沢さんに対して同じ気持ちを抱いていたからかもしれない。

「俺も相沢さん好きになりましたよ。今度は俺のオゴリで行きましょ」

 僕も笑顔を返す。

「え、それってくど」

「口説いてない!」

 びし、と間髪いれずにエアツッコミを入れる。けれど、女性にそれも失礼だったかもしれない。僕は慌ててフォローに入ろうとした。

「あ、い、いや、その」

「正直に言うわねぇ、一応あたしだって適齢期過ぎかかってて気にしてんだからね」

「あ、だ、だから、その、先のことはまだ、判んないじゃないっすか……」

 何故か赤面して僕はつい俯いてしまった。今好きだと言ったのは確かに上司としてだ。でもそれだけでもないのかもしれないって思った。いや、思えるかもしれないって思った。

「えー?それってもしかしたらこの先口説かれるかもってこと?」

「い、いやだから判んないって……」

「ま、今なら酔っ払いのタワゴトで聞き逃してあげるわ」

「そりゃどーも……」

 どっちが酔っ払いなのか……。


「ふー!」

 歩道橋のど真ん中。正面にはガードがあって、車道には車が詰まってる。ヘッドライトとテールランプが灯す灯り。上を見ればきらびやかなネオンがうるさいくらいに明滅を繰り返している。

「ここね、なーんにもないし、なーんでもないところなんだけど、あたしのお気に入りの場所」

「え?」

「ここでオトコに振られたんだ」

(振られたのにお気に入り?)

 オトナのオンナはムツカシイことを言う。

「あたしがねー、周りも何も見えてなかったときに付き合ったオトコだったんだけど、すっごい好きだったんだけど……」

(なるほど)

 欄干に肘をついて相沢さんは続けた。

「周りに目をやるように気付かされた場所。でもあたしはいつもそれ、忘れちゃうから、時々ここにきて色々思い出すの。自分が優しくいられますように、って。……あはは、でもだめね、あたし口も態度も悪いから」

「昨日もここ、来たんすね」

 煙草に火を点けて僕は言う。

 すごく共感できる。『また、ここから始まる場所』は相沢さんにもあった。そして僕をそこに連れてきてくれた。

「へへ、判っちゃう?」

「今日は何だか、全然違う感じ、したんで……」

 きっとそれは僕も昨日『その場所』へ行ったから。

「そういう北見君も今日は何だか違ってたね」

「俺にもそういう場所、あるんですよ」

「……そっかぁ」

 目を閉じて相沢さんは言う。嫌な奴だ、と思っていたことは多分恥ずかしくない。けれど、このまま認識を改められずに陰口を叩いている僕は嫌だ。話してみなければ判らないことだってたくさんある。少しの意思の疎通だけでその人を陰口の材料になんてもうしたくないと思った。悪目立ちした部分だけを取沙汰にしてレッテルを勝手に張り付けるなんて、きっとそれが一番恥ずかしいことだ。

 人として。

「ここみたいな都会的な場所じゃないし、きれいな場所でもないんですけど……」

 僕の話を聞いているのかいないのか、相沢さんは流れる車のテールランプを眺めながら言った。

「チケット、頂戴よ」

「は?」

「ライブの。近いんでしょ?」

 あれだけ仕事のミスはバンドに注力しすぎているからだ、と言っていた相沢さんから出た言葉とは思えなかった。でも、相沢さんだってこうして色々と自分を顧みて、改めてくれているのかもしれない。

「え、あ、あぁ、来週あたりできると思うんで、できたら渡します」

「そういうとこ、行ったことないんだけど、いくらくらい?」

「今日おごってもらったんで、サービスしますよ」

 僕は苦笑した。今日の呑み代に比べたらチケット代なんて安いものだけれど。

「やぁねぇ、部下にお金出させるほど」

「仕事離れたら上司も部下もないっすよ。特に俺がステージに上がったらね」

 笑顔で言って僕は相沢さんの腕を自分の肩に回した。一旦体重をどこかに預けたら動けなくなってしまったんだろう。相当酔ってるな、こりゃ。

「手間のかかる女で悪かったわね……」

 ふわり、と軽く良い香りがした。こうした女性らしい気遣いもしてるんだなぁ。

「何も言ってないっすよ」

 僕にもたれ掛かりつつも千鳥足な相沢さんを何とかタクシーに押し込み、僕も帰路に着いた。



「なにオマエ、Aジャワと呑み行ったんだって?」

 翌日、誰に聞いたんだか、同僚の林(はやし)が言ってきた。Aジャワというのは彼女を悪く言う時の呼び名だ。僕は二度とそう呼ぶことはない。

「上司との呑みなんてお前だって行くだろ」

「そりゃそうだけどさ、オマエあんなに嫌ってたのに、って驚いただけ」

 そうだな。当たり前だ。責任は僕にある。だから正しておかなければいけない。

「ま、色々あってさ、あの人、悪い人じゃないぜ」

 ぽん、と林の肩を叩いて言う。

「ようは意識の問題、ってやつさ」

 僕はそう言ってエレベーターに乗り込んだ。

 もしまた呑みに行く機会があれば、今度は僕の『リスポーン地点』に連れて行こう、と考えながら。


 リスポーン 終り

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