第8話 エピローグ


 ゆっくりと沈んでいく。何処までもどこまでも。

 体の痛みや感覚がなくなり、輪郭がぼやけて溶けていく。




 まだまだ沈んでいく。

 沈んでいく先は闇ではない。ぼんやりと青白く光り、ひどく懐かしく温かい。






 まるで揺りかごに揺られているようだ。


 なんて心地よさ。




 そのまま沈み光に包まれる。








 揺られる。ゆらゆらと。


 曖昧だった輪郭がいつの間にかはっきりと感じられる。




 背中が温かい。誰かに抱かれているようなぬくもり。

 確かに、誰かに抱かれて揺られている。



 なんだろう、声が聞こえる。



 泣きたくなるようなひどく懐かしい声だ。昔、聞いたことがある気がする。


 小学生よりもっともっと小さい時の記憶。




 ―――母さんの声だ




 三歳の時に亡くなった母さん。おぼろげな記憶しか残っていなかったけど、今ははっきりと聞こえる。




「柳二。私の大切な子。」



 声を聴いているだけで涙がこぼれそうになる。

 なんだろう。胸の奥から直接聞こえてくるような響き。



「柳二。今まで本当によく頑張ったわね。 これできっとよくなるわ。でも、母さんの力でも完全には抑えきれなかった。」



 目を開ける。俺の眼は昔から酷い近視だ。だから母さんに抱かれていてもぼんやりとしか映らない。

 それでも、母さんが真剣な顔で何か大事なことを伝えようとしているのは分かった。



「だからこの先辛いこともあるかもしれない。そんな時、私が直接守ってあげられればいいんだけど……お母さん、あんまり長く生きられないみたい。……ごめんね。許してね。」



 母さん。泣かないで。


 ちゃんと聞こえているよ。



「この先、どんなに辛いことがあっても諦めないで。母さんはいつも柳二の心の中にいるからね。」



 ああ。そうか。


 本当につらい時。それでも諦めないと思えたとき、いつも俺を助けてくれた心の底からあふれてくる光。

 あれは母さんのだったのか。いつも俺を助けてくれていたんだ。




 ―――柳二……諦めないで―――




 母さんの言葉が魂の奥底に響く。何度も何度も。












 そして、光に包まれたかと思えば、またゆっくりと沈んでいく。

 海に漂うように波に揺れながら。



 沈む先にはまた光が見える。 黄緑色の優しい光だ。






 気づいたら、俺は凛香とベンチに座っていた。榊家の道場があった田舎の最寄りの無人駅のホームだ。

 凛香の黒く輝く大きな瞳がこちらを覗いている。まだ幼い顔立ちだ。



「柳二。私がいなくても大丈夫?」



「うん。きっと大丈夫だよ。ばあちゃんもいるしね。」



「本当に?柳二ってば、すぐに体を壊すから。 ひとみさんだってお仕事あるんでしょ?」



「凛香は心配性だなー。 僕だって一人で留守番くらいできるよ。」



 このやり取りは記憶にあるな。

 父さんが亡くなってすぐ、ばあちゃんが来て、その日のうちに俺を引き取った時の記憶だ。確か十歳くらいの時だったろうか。

 でも、たしか凛香も数日後、凛香の両親と俺の家のすぐ近くに越してくることになっていたはずだ。



「柳二。私ね、最初はとっても不安だったのよ。でも、今ではずっと柳二と一緒に居たいって思えるようになった。だけど、これでもう会えないって思うと……とっても胸が苦しくなるの。」



 あれ?おかしいぞ。


 凛香はこの時、“一週間後にまた会えるね”なんて話してたと思ったのに……。



 ホームに電車の到着を知らせるベルが鳴り響く。



「もう迎えが来たみたい。行かなくっちゃ。」



 そういって凛香は立ち上がる。

 いつの間にか凛香は子供の姿から今の大人の姿に変わっていた。



 なぜか行ってしまったらもう二度と会えない気がする。



 俺は凛香の手をつかみ、フルフルと首を横に振る。



「行っちゃいけない。凛香が行くなら俺も一緒に行く。」



 そんな俺に困った顔をして凛香は答える。



「柳二。わがまま言わないで。 あなたと一緒には行けない。」



 そう言って俺の手をそっと振りほどき、電車に乗り込む。


 俺は凛香の言葉を無視して電車に乗ろうと足を延ばすが、なぜか一向に進めない。


 ホームに出発のベルが鳴り響く。




「柳二。今までありがとう。 諦めないで。強く生きて。」



 ああ。凛香が行ってしまう。俺の手の届かないところに……。



「凛香!いかないでくれ!俺の手を取ってくれ!」



 だけど俺の伸ばした手は、虚しく空を切る。


 俺は見た。凛香は締まるドアの向こう側、涙を流しながら笑顔を向けていたのを。



「いつかきっとまたどこかで会えるわ。……柳二。さようなら。」



 凛香は最後まで俺の手を取ることなく、電車は走り出す。


 そして、そのまま電車は天高く昇って行った。






 ……凛香。さようなら。


 気づけばポタポタと涙が零れ落ちていた。









 そして、また俺はユラユラと水面を漂い、また沈んでは別の夢を見る。




 その中には、父さんとの稽古や道場でのことなど、凛香の見たであろう記憶の夢もあった。凛香の心とつながったからだろうか。


 不思議なこともあるもんだな、などと思いながら俺は夢の中を漂い続ける。何時までも何時までも……。

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想いを魂に宿して~ 星屑の魔闘士シリーズ 蒼穹~あおぞら~ @Aozora_

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