第7話 魂の怒り



 どれくらい、そうしていただろうか。



 少し心が落ち着いてきたところで凛香をこのままにもしておけないと思い、顔を上げる。


 先ほどの戦闘により悲惨な荒れ様となった庭が目に入る。


 ……しかし、なぜか違和感を覚えて凛香を優しく地面に横たえ、改めて庭を見渡す。


 なんだろう。暗闇の中、目を凝らす。





 確かにそこにあるべきはずのものが見つからない。






 ―――千切れ飛んだはずの雄我の首が。






 そして見つける。いつの間にか雄我の胴体のすぐ隣、肩口のところにそれはあった。

 しかも、その首の切断面から触手のようなものを生やして。




 そんなまさか!?

 首をちぎられてなお生き返るとでもいうのか!?


 クソっ!?いい加減にしてくれよ!ここで生き返ったら凛香は何のために!


 そう心の中で悪態をつくが、とにかく今はあの首をどうにかしないとマズイ。



 そう思い立ち上がろうとするが、足に力が入らない。体を引きずりどうにか匍匐ほふく前進で進むが、満身創痍の体は思うように動いてくれない。



 僕が到達するより早く、頭から伸びる触手が胴体の首の切断面にゆっくりと埋まっていく。


 そして触手に引きずられて首が胴体に近づき、やがて切断面が粘土細工のように結合していく。それと同時に雄我の体が見る見るうちにしぼんでいく。頬まで割けた口が、側頭部から飛び出た角が元に戻っていくのだ。




 間に合え!




 雄我のもとにどうにかたどり着きその首に手を伸ばしかけたとき。

 仰向けのまま唐突に雄我の眼が見開かれ、飛び起きる様に上半身が起きあがったのだ!


「っガァッ!! はぁ!はぁ! っはぁっ、はぁ。 ……危なかった。」


 !? 雄我が復活した! なんで!なんで死なないんだよ!

 クソっ!クソォっ!



 内心、僕は焦りに焦っていた。緊急事態だというのに体がほとんど動かないからだ。




 そんな僕をよそに、雄我は荒い呼吸をして血走った眼であたりを睥睨へいげいした。

 僕を一瞥いちべつするも、虫の息の僕には目もくれず、静かに横たわる凛香を睨みつける。


「この俺様が、ここまで追いつめられるとは。瀧矢の時以来か。信じられん。」


 そういって、雄我はフラフラとした足取りで立ち上がり、凛香の傍に立つ。


「だが、凛香は死に、俺は生きている!勝ったのは俺だ。俺の勝ちだ! 弱者が、人間風情が俺様に楯突きやがるからこうなる! よくも俺に一瞬でも恐怖を味わわせてくれたな! クソが!クソが!」


 雄我はその稚拙ちせつな怒りを剝き出しにして、動かなくなった凛香の亡骸を足蹴にする。何度も何度も。


「……何をしている! やめろ。やめろ! 凛香に触れるな! その汚い足をどけろっ!!」


 僕は怒りのあまり足が折れ曲がるのも気にせず、立ち上がっていた。


 だが、雄我はそんな僕を虫けらでも見る様に侮蔑の眼差しを向けてゆっくりと近づき、無造作に僕の腹に蹴りを放つ。


「がぁ!?」


 僕は吹き飛び無様にも地面に這いつくばる。


「あ?誰に向かって口きいてんだ?」



 そして僕の髪を左手でつかみ上げ、右手の指の爪を鋭利にとがらせ僕の胸をゆっくりと串刺しにしていく。



「あぁあぁぁぁあ!!!」



 雄我は僕の反応を楽しむ様に二センチは在ろうかという爪を刺しては、抜き、また突き刺していく。

 そして、僕の眼を見てその口から呪詛を吐き散らす。



「なあ、柳二。なぜ凛香は死んだと思う?

 それはな、お前が弱いからだ。お前には時間があった。瀧矢そうやに指南を仰ぐ時間も十分にあったはずだ。だが実際お前はどうだ?何の役にも立てやしない。むしろお荷物のお前を庇って凛香は死んだ。

 さらに言えば、お前がいなけりゃ俺はここにきていないし、お前と一緒にいなけりゃ凛香は死ぬどころか俺が幸せにしてやれた。お前もそう思わないか?」



「……あぁ……そうさ。 雄我の言う通りだ。僕が弱いから凛香は命を落とした。僕がもう少し強かったら、凛香は僕を庇ったりする必要なんてなかったんだ……。」



 雄我はその顔をニヤケさせてさらに続ける。



「俺は凛香が不憫ふびんでならんよ。

 お前というクズ虫のために人生の大半を浪費して、そしてただでさえ価値のないその人生をこんな奴を庇って無駄にするとはな。まさに無駄死にだ。分かるか?お前が、凛香を殺したんだ。この人殺しが。凛香もあの世で思っているはずだぜ、“義務感で真面目に柳二の面倒なんて見なきゃよかった”ってな。ぎゃーはっははは!」




 胸が熱い。燃えるようだ。握る拳から、食いしばる口から血が滴る。




「……めろ…それ以上、その薄汚い口を開くな。」


「あ?」




 視える。

 胸を焼き焦がす憤怒の光が真っ赤に燃え上がり、僕の体から吹き上がるのが。

 そして、同時に途轍もない力が沸き上がるのを感じる。




 心の奥底から止めどなく吹き上がるこの光は止められそうにない。この光が魂の輝きだと自覚しつつも。そんなことはどうでもいい。




「僕のことはどう言ってもいいさ。だがな。だが、何も知らないお前が! 凛香の生きた軌跡を、意味を、想いを、知ったような口で汚すな!

 “義務感で真面目に面倒なんて見なきゃよかった”だって?

 “リンが人生を浪費した”と?“価値のない人生”だと?お前はそう言ったのか?

 ふざけるなよ!

 リンがどれほどの想いで!8年間もの間、自分の体調が悪い時でさえ休むことなく僕の世話をしてくれていたかも知りもしないで!凛香を侮辱するのも大概にしろ!!!

 お前は! 他の誰が許そうと、お前だけは!絶対に許さない!」



「はっ。許さないならなんだ。死にぞこないに何ができる!」



 思いがけない僕の反論にいら立ったのか、すぐに雄我の突きが飛んでくる。が、僕はその手首をつかんで片手で受け止めた。



「な!?」



 さらに僕の髪をつかんでいる手首もつかみ、力を込める。内側からあふれる怒りに任せてさらに力を込め、そして、握りつぶす!



「ガァ!!?」



 魂からあふれる憤怒の光を、凛香が最後に見せた技を思い出しながら力任せに全身にまとわせていく。


 同時に魂の奥底からどことなく懐かしく優しい青い光が湧き出し、自分の意志とは関係なしに体を覆っていく。なぜか分からないが、気づくと折れ曲がった足がゆっくりと元に戻り、焼けただれた手、雄我に突き刺された胸の傷、折れた脇腹と腕、それらの痛みが引いていく。



 僕はその異変に気付きながらもそれを無視し、憤怒の光をさらに体の奥底から引き出すことだけに集中した。

 やがて体の表面を覆った赤く燃えるような光が次第に物理的な熱を帯びていき、握りつぶした雄我の腕が焼け焦げていった。



「ぐぁあぁぁ!! 腕が、焼ける!」



 雄我は焼けて千切れた腕を押さえて、たまらず飛びのきこちらを睨んでくる。その眼には怒りと困惑の色が混ざっていた。




「なんだその光は!? 柳二ごときが、生意気な! クソが。俺は不死身だ。最後は俺が勝った!何度でも言ってやるよ。凛香は無駄死にだ。」



「……なら簡単な話だ。死んでもなお死なないならお前の細胞一つの残らず焼き尽くしてやる。 お前を焼き尽くして、凛香の死が無駄じゃなかったことをが証明してやるよ!」




 魂の怒りは頂点に達し、堰を切ったかのように真っ赤に染まった光が一気に体から吹き出した。同時にゴウッ!という音がしたかと思うと直視できないほどの光と途轍もない熱が体から吹き荒れた。




 次の瞬間、驚いた様子の雄我に一分の隙も与えまいと、俺はすぐさま雄我の懐に飛び込み、その腕を肩口から握る。

 すると、肩が炎に包まれ焼け焦げたかと思うとバターの様に溶けて千切れたのだ!



「ぎゃあぁぁぁ!」



 分かる。

 凛香の魂とつながったとき、凛香のこれまでの稽古や実戦での記憶と直接つながったからか、どう体を動かせばいいのかがなんとなく分かるのだ。



 雄我がわめくのを無視して、溶け千切れ地面に落ちた雄我の腕を取り、身に纏う炎で焼きつくしていく。それを雄我に見せつける様に。



「これは、今まで俺をさんざんもてあそんでくれた分だ。」



「なんなんだその光は!それになぜ動ける。足も腕も折れていたはずだ!! クソが!」



 雄我は触られるのを嫌ってか、その人間離れした膂力でもって庭に生えていた松の木を片腕で抱えて引き抜き、それを思い切り俺に向けて振りぬいた。


 それに対して地を這うように身を低くして一歩踏み込み、横薙ぎの松を下から手で救い上げると、松の木は一気に跳ね上がり直後燃え上がった。



「な!?」



 抱えていた松の木が跳ね上げられたため、その懐に大きな隙をさらした雄二に素早く肉薄し、残った片腕の肩口をき手で貫く。


 貫いた傍から燃え溶けて、残る一本の腕もちぎれ飛ぶ。



「!? がぁぁぁぁあああ!」



 俺は、千切れ飛んだ雄我の腕をゆっくりと拾い上げて、それが燃焼して消えるさまを雄我に見せつける。



「これは兄さんの分だ。」



「はぁっ! はぁっ! なぜだ!なぜ再生が始まらない!?」



「簡単なことだ。お前が凛香にしたのと同じ。お前のその醜い気の流れを切断面からかき乱しただけだ。お前が教えてくれた技だろ?」



「ふざけるなぁぁあ! あんなもの一度見ただけでどうにか出来るわけがないだろうが。能無し柳二がそんなことできるわけがないんだ。クソ。クソッ!」




 ここにきて初めて雄我が焦りの表情を見せる。雄我の不遜な自尊心はその不死身ともいえる驚異的な再生能力から来ていたのだろう。今それを封じられて、内心穏やかではないはずだ。

 だが、そんなことは関係ない。このまま消し炭にさせてもらうまでだ。



「次はお前の脚だ。」



 俺は指で雄我の脚を指しながらそう告げて、雄我ににじり寄っていく。



 雄我はたまらずバックステップをして、その口を大きく開けたかと思った次の瞬間、あの赤い球をその口から勢いよく吐き出したのだ!



「ハァッ!!」



 雄我にしてみれば意表をついた攻撃だったのだろう。だが、今の俺にはその玉がシャボン玉が迫ってくるようなスピードに思えた。なぜかわからないが、先ほどから全てがスローに見えるのだ。

 俺は余裕をもってその玉を手のひらで受け、そして握りつぶす!



「バカな!?」



 握りつぶした手のひらからプスプスと煙が上がるが、それだけだ。


 それを見た雄我は一瞬固まるが、このままでは勝てないと踏んだのかすぐさま背を向けて走り出した。



「逃がすわけがないだろうが!」



 足に力を込めて一歩踏み出すと、あっさりと雄我に追いつく。我ながらなんというスピードだ。自らの力に驚きつつも、そのままの勢いで雄我の太ももに回し蹴りを放った。


 すると、まるでライターの火を発泡スチロールに近づけたときの様に俺の回し蹴りが雄我の脚に接触する直前で燃え上がり溶けていく。 そしてそのまま足を振りぬけば逆側の脚まで一気に溶かし飛ばした!



「ぎゃあぁぁぁぁあああぁあ!」



 ダルマになった雄我は無様にも顔から地面に埋まりながら、数メートル転げてようやく止まった。



 俺は転げ落ちた雄我の脚二本を拾い上げて、雄我に顔を向けてゆっくりと燃やし尽くしていく。



「これは、父さんの分だ。」



 雄我を見下ろしながらそう告げると、逃げられないと悟ったのか急に媚びへつらうような笑みを浮かべ始めた。



「……柳二。 もう、もう分かった!お前の勝ちでいい。いや、柳二さんの勝ちだ。 もう降参だ! だから、な? もういいだろ? へへっ……な。見逃してくれよ。」




 は? この期に及んで見逃せだと!?……ふざけたことをぬかすな!

 そのふざけた発言が俺の激情の火に油を注いだのは言うまでもない。




「……次は凛香の分だ。 楽に死ねると思うなよ。」



 ゆっくりと近づいていく。一歩一歩、死のカウントダウンをするように。



「待ってくれ、ちょっと待ってくれ! 俺ができることならなんでもする! そうだ!道場もお前に返してやる! 金もやる! 高校生のお前には想像もつかない贅沢をさせてやるよ!

 ……あとは、お前の兄貴と瀧矢に手をかけたのも謝る。あれは命令されて仕方なくやったんだ……だから。頼むよ。な?」



 雄我はその顔に心底反省し懇願するような表情を張り付けていたが、一方で獲物を狙うようにギラギラと輝いた目は全く隠しきれていなかった。



 俺は仰向けの雄我のすぐ横に立ち、のぞき込む様にその眼を見る。そして意図的に一瞬弛緩して笑顔を見せてやった。


 その瞬間。


「ハァーーーーッ!」


 雄我は口を大きく開けて赤黒いブレスのようなものをその口から吐き出したのだ!


 ドガン!


 目前で放たれたそれは、見事俺に直撃し爆発した。それに雄我は勝ち誇った様に吼えた。


「ざまぁみろ! バカが! 完全に油断しやがった! クズが調子に乗りやがるからこうなるんだ。

 一度手に入れたものは誰にも渡さん。金も地位もな! 瀧矢のことも反省などするわけがない。俺が勝った。勝った俺が全て正しい!」



 雄我は高笑いを続ける。

 しかし、直後、柳二を吹き飛ばしたはずの爆炎から手が伸びて、雄我の心臓を貫いたのだ!



「!? ぎやぁぁぁあああぁああぁあぁ!」



 心臓を貫いたのは俺だ。


 俺はさらにその手に力を込める。



 先ほどの雄我の攻撃は一ミリも俺に届いていない。



「お前が人でなしのクズで心底安心したよ。これで心置きなくお前を消し炭にできる。」



 俺は、全身を覆う赤い輝きを雄我を貫く右手に集中させる。

 さすがに胴体だけあって、再生力もゼロにはならない。再生しては焼き付くすを繰り返す。



「ぎゃああああぁぁぁああぁっぁ!」



 何度も何度も心臓を焼かれ続けるのだ。地獄のような痛みと苦しみだろう。それは雄我の断末魔の叫びを聞けばわかる。


 だが。


 兄さんの、父さんの、そして凛香の想いを踏みにじりその命を弄んで汚したお前の罪はこの程度の苦しみで償えると思うなよ。みんなの無念はこんなものでは晴れるわけがない。


 たとえ他の誰が許そうとも、俺はお前を許さない!




 一向に終わりが見えないかに思えたが、確実に雄我の赤黒い魂の光が弱まってきている。完全に光が消えうせるまで、燃やし尽くすんだ!



 そう思ったその時。



「ゴフッ!?」



 俺は吐血する。


 どうやら時間が迫ってきているようだ。



 何の代償もなしにこの人間離れした力が手に入るわけがない。最初からこの力が俺自身の魂の燃焼であるのは分かっていた……。


 この炎の鎧のような光は絶大な威力を持っているが、同時に俺の体を焼き焦がす。体のあちこちがすでに焼けただれてきているのがその証拠だ。

 もう、長くはない。


 だが、こいつは生かしてはおけない。すべてを焼き尽くすまで、俺の魂よもってくれ!






 どの位たっただろうか。一生で最も長く感じたその時間は唐突に終わりを迎えた。俺の魂の力が弱まってきたとき、ようやく雄我の内包する光が消えたのだ。




 いつの間にか雄我の断末魔はおさまっていた。


 虚ろな目をした雄我が最期に何事か呟いた。



「……魔人に進化した俺が、まさか……死ぬのか。だが、俺が死んでも、魔人化計画は止まらない……。この、世界はいずれ、俺たち、魔人が支配する。柳二。精々、余生を……楽しむん……だ……な……」




 雄我は最後の最後まで呪詛を吐いて、そして俺の最期の力で燃えて消えていった。






 ――終わった。






 凛香。ごめん。

 どうやら凛香との約束は守れそうにないや。

 折角命を賭して助けてくれたのに、どうもここまでみたいだ。




 せめて凛香の隣で逝きたいと思い、顔を上げると、数メートル先に凛香のカバンから零れ落ちている小包を見つける。


 なんだろうかと思い、フラフラとした足取りで手に取ってみると、リンの字で丁寧に“柳二へ”と書かれていた。






 途中からは意識がもうろうとして、どうやって凛香の元にたどり着いたかは分からないが、凛香の手を握ったところまでは覚えている。そこで俺は意識を手放した。


 その首に手作りの白いマフラーをまいて。






 ―――諦めないで―――



 意識を失う直前、ひどく懐かしい声が聞こえた気がした。


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