第6話 告白


 はぁはぁっ……空気が足りない。いや肺が血で満たされているのか……


 もう指の一本どころか瞼すら開けているのもしんどい。先ほど無理をした手は焼けただれ、指先が炭化している。……これはもう治らないな。

 そう他人事のように思いながらも、雄我への警戒をして身構える。



 同時に凛香の気配も探る。

 ……まだ気配はある。息はあるみたいだ。よかった。




 すぐにでも凛香の下に駆け寄りたいが、あれだけしぶとく復活してきた男だ。これで終わりではないかもしれない。


 数十秒か、数分か。とにかく長い時間待つ。が、何も反応がない。




「終わったか……」






 そう呟いたのがいけなかったのだろうか。

 いまだに燻るその煙が突如割れたのだ!



「クソがァァァアア!!」



「!?」


 そこには両腕の肘から先を失い、全身から緑色の体液を滴らせ、目を血走らせて僕を睨み咆哮する雄我がいた。



 そんな……あの爆発でなぜ生きている!?もはや人間どころか生物の域を超えているぞ。この悪魔が!



 雄我は目を血走らせて激高し、腕が無くなっているのも気づかないのかその腕を僕に向けて叫んだ。


「それだ!その眼だ! 俺は昔からその青い眼が大嫌いなんだよ!

 覚えているか? あぁ!?いつだったかガキの頃、お前の親父に言われてお前の相手をしてやったときのことだ!何の手ごたえもなかったくせに、凛香を少しけなしてやったら俺様が何もできずに腕を折られたんだ!まだ8歳のガキにだぞ!お前に分かるか!?全門下生の前で味わわされたあの屈辱が!

 普段は虫けらの雑魚が!他人のことになると途端に訳のわからん力を出して俺の邪魔をする!その時もその眼をしていやがった!

 お前だけじゃない、お前の親父もそうだ。橋を崩落させて死にざまを見に行った時、瀕死のくせにお前の話をしたら噛みついてきやがった。おかげで回復に数年もかかったんだぞ!

 あの・・・がお前ら榊家の血を邪魔に思うのがよくわかる!ここで根絶やしにしてやる!」



 雄我の怒髪天を衝く怒りに思わず後ずさる。



 しかし、僕はそれと同時に、いやそれ以上に雄我の聞き捨てならない言葉に困惑する。


「崩落させた? ……父さんは事故死だ。橋の崩落に巻き込まれたって……」



 僕の呟きを聴いてピクリと雄我の眉毛が上がる。そして怒りの表情だけでなく、その顔に蔑みの表情を浮かべた。



「はっ。 おめでたい奴だな。この時代、日本で橋なんか崩落するかよ。しかもそれに運悪く巻き込まれただ? んなわけねぇーだろ。俺が殺してやったんだよ。お前の兄貴と一緒に橋ごと爆破してなぁ。」



「何を……? お前が父さんを、兄さんを殺したって言うのか?」



「聞こえなかったのか? 最後は無様にも涙を流して死んでいったぜ。 安心しろよ。すぐにあの世で合わせてやるよ!」



 その言葉を聞いて呆然自失となった僕がさらした隙は、この人間離れした悪魔の前ではあまりにも大きい隙だった。

 いつの間にか両腕ともに再生し、その手を赤く滾らせた手刀が目前に繰り出されていたのだ。



 あっ!? そう思った時にはすでに遅かった。


 先ほどの攻防ですでに立っているのが奇跡と言えるほどのダメージを負い、さらに雄我の言葉で弛緩した僕の体は、それに全く反応できなかった。






 ―――ズシャ!





 手刀が肉を切り裂く音が響く。鮮血が地面に飛び散る。






 僕は咄嗟に目を閉じ全身を襲う痛みに身構えるが、一向に訪れないその痛みに不思議に思い、目をそっと開ける。


 僕の目の前、雄我との間に背を向けた凛香がいた。僕を庇って手刀が放たれる直前に間に割り込んだのだ。




 凛香!?ありがとう―と言いかけたとき。







「ゴフッ!?」



 凛香の口から血が滴った。



「……り、凛香?」




 僕に背を向けて目の前に立つ凛香。その背中に垂れるつやのある黒い髪。



 その髪の隙間から。






 雄我の手刀が突き出ていた。




 その手は凛香の胸を貫通し、そこから夥しい血が滲み服を赤く染めていた。




「……りんか? 凛香! あぁぁぁ!?!!」




 それを成した張本人はさして気にも留めた様子もなく冷めた目でその光景を眺めていた。



「凛香ぁ。能無しを庇って寿命を縮めるとは愚かな奴だ。」




 でも、慌てふためく僕とは対照的に凛香の眼は雄我を睨みつけ、いまだに生きる光を失っていなかった。胸を貫かれてなお、凛香は諦めていなかったのだ。



 凛香は自身を貫く雄我の手を両手で抱える様に押さえて言う。



「柳二は殺させない! 雄我……冥途の土産にあなたの首!もらっていくわ!」




 そう告げた瞬間、凛香の体全体から雷光がほとばしり、輝いた!




「この輝きは!? ……ダメだ。 ダメだ!ダメだ凛香! それはいけない!」


 僕は手を伸ばし必死に叫んでいた。



 僕はその光が魂からくる光だと知っていた。生き物が命尽きるときに灯す輝きと同じ。

 その輝きを放った生き物は、そのどれもが二度と現世に還ってくることはないと知っていた。

 しかも凛香が放つその光は、生き物が絶命したときの輝きを何倍にも何十倍にも強めた魂の輝きだった。



 しかし、僕の制止もむなしく凛香の雷光は伸ばした僕の手をはじき飛ばし、さらに輝きを増していく。




 雄我はその雷光によってしびれているのか、驚愕に目を見開いたまま動けないでいるようだった。


「グァァ!! こざかしい真似をっ。 手を、離せ! 離せぇ!!」




 そして、凛香の放つ光が頂点に達したとき、凛香は最後の技名を告げる。




 ―――無幻水心流 終極奥義 “命輝身躁~昇り龍”




 凛香は自らを貫く雄我の腕を両手で抱えながら、体を勢いよくひねってその手にぶら下がる様に両足でからめとり、その腕をねじり切ったのだ。


「がァ!?」


 そして間髪入れずに、その回転の勢いそのままに刹那の瞬間に雄我の背に回り込み、その手を角に、足を首に絡ませ頭に覆いかぶさり、雄我の首を軸にするように体を思い切りひねって回転させた。




 一連の動きがまさに一瞬の出来事だった。




 雄我の首がねじり切れ天高く舞い、ボトリと地面に落ちる。



「馬鹿な……っぁ。」



 首だけとなった雄我は驚愕に見開かれた目を凛香に向け、やがてその眼から光が失われていった。



 それを見届けた凛香は、すべての力を使い果たしたのか、雄我の肩から転げ落ちていく。




「凛香!?」



 僕は、体を引きずって凛香に駆け寄り、体を抱き寄せる。その体はことのほか軽かった。その身にもう血がほとんど残っていないのだ。



「凛香。なんてことを!」



 凛香はゆっくりと眼を開き、うつろな目で僕を見た。



「はぁはぁっ……。 ゆ、雄我、は……?」



 僕は嗚咽を我慢しながら何度も頷く。



「あぁ。ああ。首がちぎれ飛んだんだ。ピクリとも動かない。大丈夫。死んだよ。」


「……そう。よかった。 りゅう、じ。……さっきは、私をたすけて、くれてありがとう。つッ。」



 凛香の体から、残り少ない血が流れ出て地面を血でそめる。貫通し穴の開いた胸を押さえて必死に出血を止めようとするけど、止まらない。止められない!



「それを言うのは僕の方だ!凛香が庇ってくれたから……もう、もう喋っちゃダメだ。すぐに救急車を呼ぶからっ。大丈夫!助けるから。助かるんだ!」



 どうにか凛香の命をつなぎとめようと必死に呼びかける僕に、凛香はゆっくりと眼を閉じて首を横に振る。



「……もう、いいの。自分が一番、わかっている。 ……今のうちに、伝えたいことがあるの。」


「なんでそんなこと言うんだよ……諦めるなって凛香が言ったんじゃないか。いやだ!ダメだ!」



 凛香の顔がぼやける。溢れる涙を抑えられない。まだ凛香は死なない。死なせない!

 まだ泣くんじゃない!僕が泣いたらダメだ。クソっ。なんで溢れてくるんだよ!



「……柳二もわかっているでしょ? 私の光。もう、漏れ始めている。 ……時間が、ないの。」



 凛香はまるで子供の様に駄々をこねる僕に困ったような、それでいて寂しいようなそんな眼差しを向けていた。

 そうしている間にも凛香の魂の光が体から滲むように漏れ始めている。



 あぁ。凛香が逝ってしまう。


 僕の眼からとめどなくあふれる涙はただただ下に落ちるのに、凛香からあふれる光はゆっくりと天に向かって昇っていく。その光の上昇は止まらない。




 ……僕は深呼吸をして一度目を閉じ、そしてゆっくりと開けて凛香の眼を見つめる。この光を一つも見逃さないように。




「……ありがとう。伝えたいことが多すぎて、言葉では、時間が足りないみた、い。 ミケを看取ってくれた、時の様に、私の、心を視てほしいの。」



 僕は首を縦に振り、目を閉じて自身の魂の色を凛香の黄緑色に合わせていく。


 やがて、凛香の魂の想いが伝わってきた。






 ――凛香の大好きだったミケ。その魂を凛香につなげたときのこと。

  凛香のその時の気持ち、決意が伝わってきた。


(ああ、そうだったのか。『柳二が助けてくれたから、そのお返し』というのはそういう事だったのだ。それなのに、僕は……。)


 そして、次々と凛香の想いが映像となって直接心に映し出されていく。



 ――あの事件以降、8年間ずっと柳二のことを考えて休むこともなく身の回りの世話をしてくれたこと。凛香がどんな思いで日々の世話をやいていたのか。



 ――僕が体調を崩して高熱を出した時、三日三晩寝ずに看病してくれた時のこと。



 ――僕の誕生日に凛香が手作りケーキを作ってくれた時のこと。



 ――僕が初めて凛香と父さんの個別稽古に参加した日のこと。



 ――道場で雄我が凛香をけなした時、僕が怒って雄我に立ち向かっていった時のこと。



 ――初めて学校に行ける様になった日にやったお祝いパーティーの日のこと。



 ――僕がいじめられているのを本当に心配して、自分の事の様に怒って仕返しに行った時のこと。




 凛香が榊家に来てから本当に色んな事があった。


 その一つ一つの出来事すべてにおいて、凛香は僕のことを自分のことのように心配して僕の心に寄り添ってくれていたのが伝わってきた。そのありのままの心が僕の魂に響いた。




 ちゃんと全部。全部覚えているよ。




 凛香はずっとずっと僕のことを想ってくれていてくれたんだね……。




 何て静謐で温かい、穢れのないまっすぐな気持ち。

 こんなにも透き通った、他人を想う気持ちを感じたことがない。




 そして改めて気づく。

 思えば、凛香が来てから僕の見える世界の色が白黒から徐々に色づいて変わっていったことを。


 僕の方こそ凛香に救われたのだ。


 凛香が来なければ、凛香に出会わなければ、四六時中さいなまれる痛みと苦しみに耐えかねて僕はとっくに生を諦めていただろう。


 凛香がいたから。凛香のおかげで僕はここまで生きてこられた。




 涙とともに、心の底から叫び出したいほどの感謝の気持ちが溢れて止まらない。






 凛香の温かい気持ちに包まれて、しかし同時に思う。




 なぜこんなにも穢れのない凛香が理不尽にも死ななければならないのか?




 なぜ、僕はこんなにも大事な人を助けることができないのか?




 僕は助けてもらってばかりで、凛香に何かを返してあげられたのだろうか?






 胸が締め付けられる。


 狂おしいまでの、慈しみ、愛おしさ、感謝、悲しみ、怒り、悔しさ、後悔、喪失感、形状し難い色々な感情が僕の胸に押し寄せる。


 心の中でそれらが暴れまわる。胸が張り裂けそうだ。






 そして最後に、凛香からこれまでとは違う色をした淡い色の感情が伝わってきたのだ。


 ――凛香の心の葛藤。そして僕のことを想う熱い想い。






 僕は目をゆっくりと開ける。



 見つめる。凛香の透き通るような輝く闇色の目を。



 目尻からは涙がこぼれている。悲しみの涙ではない。

 その瞳は愛情と慈しみに満ちていたから。



「……柳二。 ずっと好きだった。」




 そう告げて、凛香はゆっくりと目を閉じた。



 多くの言葉はもはや不要だった。僕には凛香の想いが十分に伝わっているから。




「……僕もだ。 凛香。」




 僕はそっと口づけをする。






 凛香は、閉じた目から大粒の涙をこぼし、そして最後の言葉を紡ぐ。




「……最後まで、あきらめないで……私の分まで、強く生き……て……。」






 その言葉を最期に、凛香の光はゆっくりと昇っていく。そして満天の星空に溶けて消えていった。

 その一部が確かに僕の魂と融合したのを感じながら。




「凛香……大好きだ。うぅっ……ありがとう。」



 光を失い軽くなった凛香を強く、強くき抱く。










 輝く星空の下、残された僕の嗚咽の声だけが響いていた。


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