第5話 顕現する悪魔


 雄我の死のカウントダウンの様な歩みは、凛香によって止まった。


 雄我は怪訝な表情を一瞬見せ、そしてゆっくりと振り返り凛香を睨みつけた。



「……凛香。 どうやってそれを抜け出した? 何をした。」




 しかし凛香はそれに構わずに僕の方を見た。


「柳二……ごめんなさい。 私、一瞬諦めてしまった。でも、もう諦めない。 だから柳二も諦めないで。」




 ―――“柳二も諦めないで”―――




 その言葉がエコーのように何度も心に響きわたる。なんだろう……どこかで聞いた、とても懐かしい響きだった。

 その言葉が絶望に支配されていた僕の心の奥底にわずかな光を灯した気がした。






 雄我は再度、人間離れした膂力でもって凛香に突進した。先ほどと同じように組み伏せるつもりだ。

 それに対して、驚くべきことに凛香は雄我と鏡写しのように全く同じ構えで雄我を迎え撃った。



 ―凛香のその眼は、僕と同じように青白く光っていた。




 雄我が凛香に触れた途端、なんと、雄我が跳ね返されたように吹き飛んだのだ!僕の横を通り越して、後方の庭の巨石にぶち当たりそれを粉砕する勢いで。



「ぐあぁっ!!」



 さすがの雄我も今のは相当に効いたのか、口から血を噴き出し、しばらく瓦礫に埋もれていた。だが、すぐに再生したのか飛び出し、再度凛香に畳みかける!



「オラオラ!オラァ!!!」



 水心流は打撃攻撃をそらし、そのわずかな隙をついてその手足を取ることが多い。

 それを嫌ってか雄我の連撃は恐ろしく攻撃の引きが早く、手足を取らせない神速の打撃となっていた。

 そのくせ、その一発一発に発勁の気が乗っておりかつ人間離れした膂力も相まって途轍もない重さを伴っていた。

 僕だったら躱すどころか反応すらできない連撃。


 しかし、凛香はその連撃全てに対して全く同じ動きで返し、全てを相殺している。まるで凛香の手前に見えない壁があるようにすら思えた。




 しびれを切らせたのか、雄我は腰だめに渾身の一撃を放つ。全身の気を足から体、手にかけて一気に放つ寸勁だ。恐ろしい力が加わっているのが分かる。


 それに対して凛香も鏡写しのように全く同じ動きで一撃を放つ。




 二人の打撃がぶつかり合う!




 お互いがダメージを追う!かに見えたが、吹き飛んだのは雄我だけだった。


 庭の木の幹をへし折り、岩を砕き、小山に埋まってようやく止まる。




「無幻水心流奥義―きょう明演めいえん




 ―――すごい。




 思わず凛香の動きに見入った。凛香の動きが父さんのそれと重なって見えたのだ。



 凛香の稽古の時に一度だけ父さんが実演して見せたことがある。相手の技を鏡写しのようにまねて放つ技。


 ただまねるのではない。

 相手との打ち合いのインパクトの瞬間、刹那の間攻撃を引いて相手の力を体に受け入れ、その力を体内を巡らせて逆方向に転換。さらに自身の打撃に乗せるのだ。

 そうすることで、相手の攻撃が強ければ強いほどそれを2倍、3倍の威力に変えて返すことができると父さんはいっていた。




 もちろん普通そんなことできるわけがない。特に実践では。相手がどのタイミングでどこを狙ってどうやって技を放つかがわかってでもいないと。


 でも、父さんは相手の動きすべてが手に取る様に分かるようだった。


 そんな父さんだからこそ出来るんだろうなと何となく遠くのものを見る様に思っていたけど、違うのかもしれない。


 これこそが水心流の神髄なのか。そう思った。








 しばらくして、爆音とともに庭の小山がはじける様に唐突に吹き飛んだ!


 土煙がおさまると、そこにはまるで人からはかけ離れた姿の雄我がいた。上半身の服は破れその体躯があらわになる。


 先ほどのまでの雄我とは別人のような筋骨隆々な上半身。肌は浅黒く、髪は短髪黒髪から紫紺の長髪に、口は頬まで割け、まるでサメのようなギラリと尖った鋭い歯が覗いている。

 そして、側頭部から2本のねじれたヤギの角のようなものが伸びていた。


 その赤い眼は怒りに満ちている。






 ―――あれは……人間じゃない。そう。まるで悪魔だ。






「凛香ぁ!!手加減してやれば図に乗りやがって! もういい。お前だけは生かしてやろうと思っていたが、頭きた。 どの道その眼が発現してしまった以上、生きて返すわけにはいかなくなったしなぁ!」



 雄我はそう言って、片手の手のひらを上に向けて力を入れる。まるでボールでも握る様に顔の前に掲げて。



「俺を本気で怒らせたことを後悔して死ね!」



 雄我はその場で掲げた手を横に振り払う。

 ただそれだけだ。ただそれだけなのに、次の瞬間、凛香は吹き飛ばされた。




「きゃあ!?」




 吹き飛ばされた凛香は母屋の壁を破壊して、そして瓦礫に埋まってしまった!



 凛香!? いったい何が起こった!?



 雄我はさらに両手を掲げて、何かを掴むように練り上げていく。


 それは、肉眼では見えなかった。だが、よく目を凝らすと、禍々しく赤黒く光るものが僕の特別な眼には視えたのだ。


 それを視た瞬間、全身から冷や汗が噴き出て震えが止まらなくなった。あれはヤバイ。凡そ人が扱える類のものではないと本能的に直感した。


 しかし雄我は凛香に向かって容赦なくそれを右手、左手と交互に放つ。何度も何度も。そのたびに家財が、壁が、柱が爆散し、家が崩壊していく!




「やめろ。 やめろぉぉぉおっ!!!」




 気づいたら僕は無我夢中で駆けていた。


 折れた脇腹も、手も足もなぜか気にならなかった。あれを食らったらたとえ凛香でも死んでしまうと思えたから。

 僕が飛び込んで何ができるかなんて考えもしない。ただあれをどうにかしないと!そう思っただけだった。



 絶え間なく放たれるその弾幕の射線上に体を滑り込ませる。



「はっ。馬鹿が!柳二、お前から消し炭になれ!」



 禍々しい赤黒い球体が目前に迫る―――









 ―――




 死が迫る間際、視界が急に暗転する。


 気づいたら、僕と父さんは縁側に座っておせんべいを食べながらお茶を飲んでいる自分が居た。


 そう言えば、いつだったか子供の頃だったか、こんなことがあったな。そこまで思考してようやく気付く。



 これは……走馬灯か。





 いつかの父さんとの何気ない会話が浮かんだ。


「父さん。何で水心流は決まった武器を使わないの?」


「そうだね……。どう説明しようか。

 水はこの世界のどこにだってあるだろ?海や川、雨だけでなく草や虫、動物、人の中にもある。どんな形にもなれるし、どこにだって入り、すべての生命とつながって世界の中を循環している。

 水心流も、水と同じようにどんな相手の中にも入りつながることができる。自らの型を変えてどんな相手にも対処することができるんだよ。だから特に決まった武器や型は必要ないんだ。」


 僕はその言葉の意味を理解しかねて首をひねった。


「う~ん? お父さんも水みたいに溶けちゃうの?」


「ははは。 自分を変えて相手と同調する。 魂魄同調アニマレゾナンスというんだよ。 柳二にはまだ分からないかな。でも、いつかきっとわかる日が来るよ。」


 そう言って父さんは優しい眼で僕の頭をなでてくれたのだった。



 ―――






 凛香が今しがた繰り出した奥義―鏡明演武を見た今なら、父さんの言いたかったことがわかる。

 きっとこの赤い球も同じだ。水心流の魂魄同調アニマレゾナンスなら必ず対処できるはずだ。




 父さんが稽古で見せた動きを思い出せ。凛香が見せた鏡明演舞をまねろ。そして迫る球体をよく視てその色に合わせろ!



 ―――集中するほどに僕の眼が青白く輝き始める。



 目前に迫ったその赤黒い球と自身の色を、波長を合わせる。そして手の甲でなでる様にその赤いたまに横から触れるのだ。


 大丈夫、れられる! そのまま手の甲でそっと横に力を加えて進路を変えてやればいい。そうすれば玉はあらぬ方向へ飛んでいくはずだから。


 できた!?




 そして、絶え間なく放たれるその玉を全て同じように弾きそらす。


 だが、さすがに高速で飛来する灼熱の玉の威力は完全には相殺しきれず、手で弾きそらすたびに手の甲がただれ体全体にダメージを伝えてきた。





 それを見た雄我は苛立ちを隠さずさらに苛烈に怒りをあらわにした。


「!? 柳二!お前も瀧矢そうやと同じくこれをそらすか!お前ら榊家の連中はいつもそうだ!土壇場で踏みとどまる。まるでゴキブリのようにしぶとい奴らだ。いい加減死ねよ!」



 雄我はそう言って両手を上に掲げる。その手の上で膨張する球は先ほどの拳大の大きさの比ではない、直径1mはあろうかという大きさに膨れ上がった!

 なんて大きさだ。

 そして数瞬後、その両の手を振り下ろしたかと思えば、ものすごいスピードで巨大な球が放たれたのだ。




 僕は先ほどと同じようにしてその巨大な赤黒い球に横から甲で触れるが、つッ!?なんという熱。触れた先から手が焼けただれていく!

 その激痛に耐えながら、その軌道をそらすよう力を加える。しかしすぐに気づく。重い!なんだこの重さは!軌道が変わらない!?



 眼を見開きよく見ると、球の向こう側、雄我からその球に一本の帯のようなものが伸びていた。



 僕は本能に従い半身を引いて球の進路から半歩さがり、その球の進路の横に回り込んだ。



「馬鹿が! それを避ければ凛香が死ぬぞ!」


 僕の動きを見て勝ち誇った様に雄我が叫んだ。



 そんなことは分かっている。

 だから球が僕の横を通り過ぎた直後、その帯を横から素手でつかみ取る。


 そしてそれを無理やり横から引くと、まるでハンマー投げのように球は僕を中心にぐるりと円を描いてその軌道を変えていく。


 帯を握る手が燃える様に熱い。そして途轍もなく重い!


 ――あぁぁあああっ!!!


 僕は全身全霊でその重く早い球を雄我に向けて投げ返す!



「なにぃ!?」


 雄我もまさか投げ返されるとは思っていなかったのか、構えも見せず自身の放った巨大な赤い球が直撃した。


 直後。



 ドゴォン!!!


 途轍もない爆音とともに爆炎が撒きあがる。



 そこにはクレーターがあった。

 まるで対戦車ロケットでも打ち込まれたかのように地面がえぐれ、陥没した跡から煙が立ち上っていたのだった。


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