第4話 同調


 水心流は相手と同化して逆に相手の力を利用して制御することを主眼にした守りの武術だ。

 片や炎心流は内なる気を発して相手の内側を破壊することに特化した攻めの武術。

 いわば盾と矛である。

 そんな二つがぶつかればどうなるか。




 雄我が目でとらえられないほどの素早く強烈な突きを放つ。それに対して凛香は最小の円の動きで蛇のようにその腕を絡み取りその一瞬で手首関節を絞めた。

 しかし雄我はその時にはもう片方の手で死角からわずかにタイミングをずらした突きを放っており、凛香に致命傷ではないがダメージを与えていく。

 それらはほんのひと瞬きの間で繰り広げられる。



 まるで矛盾の故事の再現のごとく、正反対の性質の力が達人の手で振るわれればお互いが相殺しきれずにダメージを追うことになる。




 そんな膠着とも消耗戦ともいえる攻防が続いていくが、徐々に形成が雄我に傾いていくのだった。




 ……おかしい。

 僕でも実力では凛香が上回っているのが分かる。でもダメージを受けている雄我が異常にタフだ。というか、物理的に骨が折れているはずの攻撃でもすぐに回復しているようにしか思えないのだ。


 案の定、雄我は疲れもせず与えたダメージもいつの間にか回復し、次第に凛香にだけダメージが蓄積していった。



「……クッ!?」



 しばらくして、凛香がたまらず膝をついた。

 雄我の顔がニヤリと歪む。



「ようやくか。炎心流は浸透勁しんとうけいを主体にしたものが多いからな。かすっただけでもボディーブローのように効くだろ? ま、口惜しいが技という点では確かにこの俺様を上回っていた。そこは誇っていいぜ。だが、残念ながら最後に勝つのは俺だ。」



「……あなたは何なの?さっきから関節、骨、筋を確実に破壊しているのに、なぜ?」



 雄我は相変わらず薄笑いを浮かべながら、余裕の表情を浮かべていた。



「そんなに知りたいか?俺の秘密を。なら、教えてやるよ。」



 次の瞬間、雄我の見開いた眼、その眼が真っ赤に染まり、そして瞳孔が縦に割れたのだ。



「……俺はな。神になったんだよ!」



 雄我は眼を見開き愉悦の表情で歓喜の声を上げている。





 なんだ!?あの目は!



 僕が驚愕した時には、先ほどよりも数段早い動きで雄我は凛香の目の前に接近していた。そして凛香が咄嗟に仕掛けた肩関節の締め技に対し、関節が逆に折れ曲がるのにも構わず凛香に馬乗りになり組み伏せた。



「そら、仕上げだ!」



 そう言って、雄我は懐から出した五寸釘のような針を、地面に縫い付けるように抑え込んだ凛香の手に突き刺したのだ!



「きゃあっ!」



 さらに、もう片方の手、そして両足にも次々と突き刺していく。その瞬間凛香はまるで金縛りにでもあったように体を痙攣させながら身じろぎ一つしなくなったのだ。



「こいつは特別製でな。水心流の要であるの巡りをかき乱すんだとよ。 親父の開発したおもちゃの一つだが、念のため持ってきて正解だったわ。」




 先ほどから凛香は歯を食いしばり全力で体を動かそうとしているようだが、指一本、言葉一つも発せないようだった。




 僕はそれを地面に這いつくばって見ていることしかできないでいた。



 そんな僕はどんな表情をしていたのだろうか?

 雄我が愉悦に満ちた顔で僕を見る。



「あぁ。それだよそれ。その顔。前からお前の目の前で凛香を俺のものにしてやったらどういう顔が見られるのかと想像してたんだ。 そこでそのバカ面地面に擦り付けながらよく見ておけよ。柳二。」



 そう言って、雄我は凛香に馬乗りになって下卑た目でめ回すように見たのち、凛香の服をゆっくりと引き裂いていく。


 時折り僕に視線を送り、僕の反応を楽しむように。



 凛香は、最初は親の仇でも見る様に雄我を鋭くにらみつけ、全身に力を込めて呪縛から抜け出そうとしていたが、一向に体の自由が利かないのか、やがて弛緩し、目に悲愴感を漂わせていった。






 それを何もできずに見ていた僕は、気づいたら涙を浮かべて懇願していた。



「やめてくれ。やめてください……凛香だけはやめてください。」



 それを聞いて雄我はニヤニヤと笑みを浮かべて僕を見た。



「あ? よく聞こえねぇーなぁ。 それに、人にものを頼む態度ってのがあるだろ?」



 僕は痛みを無視して折れた腕と脚を引きずり、どうにか土下座の恰好を取る。頭を地面にこすりつけ、懇願する。



「雄我さん。許してください……僕はどうなってもいいんです。凛香だけは、凛香だけは見逃してください。 僕にできることは何でもします。 僕の命が欲しければ差し上げます。 ……ですからどうか凛香だけは。凛香だけは勘弁してください。」




 凛香は僅かに頭を震わせ、その眼から大粒の涙をこぼしている。その眼は僕を非難しているかのようであったが、僕の言葉に偽りはなかった。




 雄我はしばらく僕を見下ろしていたが、満足したのか凛香から離れてゆっくりと僕の目の前にやってくる。

 そして僕の頭を足蹴にして力を加える。グリグリと体重を乗せて。そして、それに比例するように僕の顔が地面にめり込んでいく。



「そうかそうか。ようやくお前は自分の立場が理解できたか。寛大な雄我様はお前の願いをかなえてやれんことはないんだがな……」



 そう言って、雄我はしゃがみ込み僕の髪をつかんで顔を無理やり上げさせた。そしてその赤い目で僕の眼をのぞき込んだ。


 意外にもその顔は同情に満ちた表情だった。そして告げた。



「だが、断る。」


「え……?」


 よほどその時の僕の顔が雄我を満足させるものだったのか、雄我は笑顔だった。勝ち誇った、愉悦にゆがんだ醜悪な笑顔だ。

 そしてそのまま地面が陥没するほどの勢いで顔面から地面にたたきつけられる。


「ぎゃーっはっはっはっはぁぁっは! ひぃぃっ! 柳二! 今の、お前の顔。 最高だったぜ! 写メ取っておきゃ良かった!」



 雄我のどこまでも人を馬鹿にしたあざけ笑いを遠くに聞きながら、ようやく僕は何を言われたのか理解した。

 はなから僕を、凛香を見逃すつもりなど欠片もなかったのだ。唯々僕らをからかって、あざけ笑って楽しみたいだけ。ただそれだけだったのだ。



 そしてそれを理解して、同時に絶望が僕を押しつぶした。何を言っても何をやっても雄我には届かない。この先には苦しみと死しか待ち受けていないと悟ってしまったから。






 ◆ ◇ ◆ ◇



 私を助けるため自分の命を差し出すといった柳二が雄我に遊ばれ地面に顔をうずめられたのを横目に、諦めかけた私の心の奥底に言い知れぬ怒りが沸き上がるのを自覚した。

 それは雄我に対する怒りか、それとも私自身に対する怒りか。



 あの日、自死を決意した私は柳二に救われた。さらに今また、柳二は私を救おうと命まで投げ出す覚悟を見せているのに。

 ……なのに私は諦めかけていた。あの時、最後まで寄り添うと決めたはずなのに。私が先に諦めちゃあの時の覚悟が、そして柳二に対する想いが嘘になる。諦めちゃダメだ!




 考えるのよ。この呪縛から抜け出す方法を!必ずどこかにヒントがあるはず。




 雄我は“この杭は水心流の要である気の巡りをかき乱す・・・・”と言った。なぜかき乱されるのか?気の流れとは何か?




 そういえば、いつだったか、個別稽古で瀧矢そうや師範が危険だからと一度しかかけてくれなかった技があった。

 今と同じように体が動かなくなる不思議な技だった。ただ指を額に当てているだけなのに、金縛りにあったように瞬きすらできなくて、袖で見ていた柳二が面白がっていたのを思い出す。


 その技は“魂気縛鎖”と言った。


 その時師範は何と言っていたか。 

 そう。


 これは相手の気の流れを乱す技だと。


 きっとこの杭は“魂気縛鎖”と同じような効果を持っているのかもしれない。




 だからと言って、どうすればいいか分からない。


 師範の言った“気の流れ”が感じられなければ始まらない。


 どうすれば“気の流れ”を感じられるのか?“気の流れ”とは何だろうか?






 ふと脳裏にあの日、ミケの心とつながったあの瞬間が浮かんだ。


 そういえばあの時、見えた光は果たしてミケの光だけだったろうか?

 柳二の体も、そして私自身の体にも光が透けて見えていなかっただろうか。


 ……そう。確かに見えた。


 心臓、脊髄、脳が強い光を放ち、そして血管のように光の筋が全身をめぐっていた。


 あの時見た光のようなものが“気の流れ”だとしたら!?






 改めて自分自身に集中する。


 先ほど雄我との戦闘時になんとなく光のもやのようなものが視え始めていた。


 その感覚を思い出し、水心流の基礎の瞑想を行う。そして、自分の体、指先、足先、心臓、脊髄、そして頭に集中するのだ。


 すると不思議と眼で見ていなくても自分の中を流れる光のもやが筋となって視えた気がした。


 そして同時に、その靄が四肢に刺さった杭のところで大きく乱れ四散し、空中に溶けて消えている様が見えた。



 これだわ!


 杭を中心に赤紫の靄が私の靄をかき乱し、霧散させている。




 原因は分かったけど、これをどうすれば解除できるのかが分からない。




 さらにこの靄を注意深く見る。

 この赤紫の霞はやや脈動しているように見え、なんとも気味が悪い。


 靄、光、脈動、赤紫……


 そうだ。“赤紫”。


 がある。


 対して私の光は黄緑色だ。杭に纏わりつく赤紫の靄が私の黄緑色の光に触れると、黄土色のような光になって体から追い出されているように見える。






 そこまで思考したところで、目の端に柳二が地面から引きずり出され、蹴り上げられているのが見えた。


 あぁ!?時間がない!

 でも、焦っちゃダメ。心を落ち着けて最短時間でこの呪縛から抜け出すの。






 なんとなくあの稽古での出来事がヒントになる気がする。

 あの時、師範はなんと言っていたか? しっかり思い出すのよ。


 そう。

 確か、あの時こう師範は説いた。

 “水心流の神髄は相手の気に同調すること。動きや力の方向だけの話ではなく心身一体となることだ。”と。




 師範の言う、“気の流れに同調する”とはどういうことか?


 その時は分かったつもりになっていた。けど、今ならなんとなくその本当の意味が分かる。

 人によって光の色が違うなら、師範の言った“気に同調する”とは、この光の色を合わせるということではないのか?




 ……はたしてそんなこと私にできるのだろうか。


 などと考える時間はない。今やるしかないの!




 私は、焦る気持ちに封をして、自身のこの光の色を注視した。


 そしてこれまでの師範との個別稽古を思いだす。

 決まって上手く技を出せた時には相手の動きや力にだけでなく、まるでその人の心も読めるような感覚があった。


 その時のイメージを思い出し、自身の光を凝視する。すると、わずかに色が変わることが分かった。

 そうか!




 その瞬間、これまでの師範との稽古で教わった体の動かし方、力の入れ方、呼吸法、息遣い、間合い、タイミング、目線、考え方、言葉、ありとあらゆるもの全てがこの“同調”に通じていたのだと唐突に理解できた。

 師範の伝えたいもののピースが余すことなく全てカチリとはまり、一つの壮大な絵画を見た気がした。




 それからは早かった。もともと黄緑色であったものを黄色寄りにしていく。


 それによって、堰き止められていた流れがわずかに改善する。


 指が動いた。


 あともう少し!お願い、間に合って!



 ◆ ◇ ◆ ◇



 雄我が近づいてくる。瞳孔が縦に割れた目をギラギラと赤く滾らせて。




 もう指一本動かす体力も、気力もない。


 雄我という死が近づいてくるのを、僕はただ黙って見ていた。


 僕は死を既に受け入れ始めていた。




 生まれたときから僕は全身の痛み、倦怠感、めまい、呼吸困難、睡眠不足、頭痛、吐き気、あらゆる苦しみに耐えてきた。その後、凛香の献身もあり今ではだいぶ改善したけど、決して順風満帆な人生じゃなかった。


 母さんは僕が物心つく前に亡くなった。父さんも、兄さんも、そして慣れ親しんだ家もなくした。


 それでも雄我は追ってきた。僕を殺しに、執拗に。




 ―もういいよね。もう疲れたよ。






 しかしその時、僕の生気をなくした眼に、雄我の後方で立ち上がる凛香の姿が映った。



 ―凛香。



 命を諦めようとした僕を諭し、励ますように。その眼に命の輝きを灯して。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る