第3話 襲撃


 秋の夕暮れ時、閑静な住宅街。


 ―――ガシャン!


 ガラス窓を激しく突き破る音が唐突に響く。





 目の前の景色が縦横斜めに目まぐるしいスピードでぐるぐると回る。

 僕は背中から中庭の松の幹に打ち付けられてようやく止まる。僕の分厚い眼鏡が砕け散って落ちた。


 肺の空気がすべて吐き出され、息ができない。




「お? 今ので殺ったと思ったんだが……仮にも瀧矢そうやの息子というわけか。」


 宵門雄我はつぶやく。まるで蚊を叩きつぶし損ねたかのような軽い口調で。



 今まさに僕を殺そうとしているその眼はしかし人を殺すことに対しての気負いや忌避感などは一切感じられず、何の感情も映し出していない。


 何処までも深い鈍色にびいろ


 目が合うだけで心胆から震えが来る。凡そ人のする眼ではない。

 まるで何人も人を殺めてきたような眼だ。いや実際に殺めて来たのだろう。そう思えるほど先ほどの攻撃は人を殺す目的で振るわれた。







「……っなんで……」


 そう呟き、顔を上げたときには既に目の前に雄我が立っていた。心底めんどくさそうに、苛立ちを隠そうともしない顔で。


「ずいぶん探したんだぜ柳二ぃ。あの妖怪ババアが小細工しやがったおかげで、俺は世界中探し回る羽目になったんだわ。」



 そういいながら雄我は蹴りや突き、目つぶしなど容赦なく急所を狙った攻撃を放ってくる。

 僕は急所を庇うのが精いっぱいで、そのほとんどは避けることすらできない。


 幼い頃、ある程度動けるようになってから父と凛香の個別稽古を見て、時には手ほどきを受けたりもしてきた。だから全くの素人と言うわけではないけど、無幻水心流の筆頭師範にまでなった雄我の攻撃をどうにか出来るわけもない。


 僕の技などほとんど意にも介さない。もはやサンドバック状態だ。



「んで、探し回った挙句、日本と来たもんだ。俺の目と鼻の先でのうのうと生きてやがった。」


 ドカッ、ドゴっ

 その間も雄我の殴打と蹴りはやまない。


「があッ!……もう、やめ……っく! ぁぁ……」


「ったく、探すこっちの立場になれってんだ!」



 強烈な回し蹴りが脇に容赦なくめり込む。ゴロゴロと数メートル転がる。

 っつ!?脇腹に激痛が走る。


 その痛みに蹲まると、すぐさま腹を、脇を、顔を容赦なく蹴り上げてくる。

 ぐうっ!?

 ……何本か脇腹が折れる音。



 全身に痛みが走る。もうどこが痛いのかさえ分からない。そこに意識を向けた途端にまた別のところに殴打が飛び激痛が走る。いつの間にか左指も何本かあらぬ方向に曲がっていた。


 血反吐がこみあげてくる。吐き出したそれに何本か歯も混じっている。僕の歯だ……

 意識がもうろうとする。




 ……僕がうめき声すら上げられなくなると興が冷めたのか、殴打が止んだ。


 そして、髪を掴まれてそのまま体ごと持ちあげられた。

 その顔に下卑た笑みを浮かべて。



「なあ、柳二。凛香も近くにいるんだろ。 早く呼べよ。ほら。」



 そういって、雄我はニタニタと僕のスマホを目の前にプラプラとかざして見せつけてきた。



「!? 凛香は関係ない……」


「あぁ!?誰に指図してんだよ。」


 言葉を発した途端、雄我は容赦なく殴打してきた。片手で僕を宙吊りにしたまま。もはや腕を上げて庇う力もない。


「凛香に合うのはずいぶん久しぶりだからな。いい女になってんだろうな。


 ……分からないって顔しているが、まさかお前、自覚ないのか?


 昔から気に食わなかったんだよ。こんな無能の屑に凛香が献身的に付き従う様がよ。お前もそう思うだろ?

 あれは俺の女だ。これ以上お前と一緒にいたら腐っちまうだろ。そろそろ返してもらおうかと思ってな。

 クズのお前のもとから救ってやるんだ。本来ならお前の方から土下座して頼み込んでくるのが筋ってところ、わざわざ来てやったんだ。寛大な雄我さんに感謝しろよ?


 ってわけで、ロック解除に協力してほしいわけ。」


 そういって雄我は僕の指に、そして目の前にスマホをかざす。


「指紋と顔認識は完了っと……あとはお前の声紋だけなんだが?」



 確かに凛香は僕なんかにはもったいないヒトだ。でも、それを聞いて、はいそうですかと従えるわけがない。こんな僕でもそれだけはできない!



「…………」



 ボゴッ!ドカッ!


 無言を貫くと、雄我は表情を変えずに淡々と蹴りを見舞ってくる。何度も何度も。

 既に全身の感覚はなくなっていた。



「いい加減面倒なんだが。 ……もういいか。どうせここらを探せば見つかるだろ。 もうお前死んでいいよ。」



 まるで部下に帰っていいよと言うような気楽な調子でそう告げて、雄我はゆっくりと貫き手の構えで僕の心臓に充てる。相変わらずその眼は虫けらを見るような蔑みに満ちていた。



 これで終わりか……と覚悟したとき。






 目の前に何者かが割って入ったかと思った瞬間、雄我は吹き飛ばされ母屋の壁に大穴を開けて倒れた家具に埋まったのだ。



 ―凛香!? 来てしまったのか……。



「あぁ!?柳二!……なんて酷いことを!」


 凛香は血相を変えて僕に走り寄り、血だらけでボロボロの僕を優しく抱きかかえる。


「凛香……来ちゃダメだ。早く逃げて。」


 痛みに耐えてどうにかそう告げて凛香の顔に焦点を当てて、僕はその表情に思わず息をのんだ。


 どんな時も冷静沈着で凛とした雰囲気を崩さない凛香が、今は鋭い目つきで雄我の方をにらみつけ、今まで見たことも無いほどの激情を隠そうともしないその姿に。

 僕には凛香から燃え盛る炎が確かに見えた。身を焦がすほどの怒りだ。



「宵門雄我……許せない!」


 そういって凛香は立ち上がる。



 僕は言い知れぬ不安が過り「……ダメだ! 行っちゃダメだ」と凛香を留めようとするが、僕の声は一切に届かなかった。凛香が完全に怒りに我を忘れているのだ。



 以前から粗暴で自分勝手な所は変わらずだが、久しぶりに会った雄我はこれまでとはまるで雰囲気が違っていた。いや、違っていたというレベルではなく、その魂はもはや人の域を超え、別モノと言っていいほど禍々しく不気味な色を放っていたのだ。

 今まで見てきたどの生物とも違う赤黒い脈打つ色だ。あれは何かマズイ。本能的にそう思った。




 痛みに悶え、もたもたしているうちに凛香は母屋に向かい駆け出してしまっていた。

 それと同じタイミングで、家具に押しつぶされていたはずの雄我が内側から壁を突き破り飛び出てきたのだ。


 あれだけの攻撃を受けて、雄我は全くの無傷だった。




 二人は走るその勢いをそのままに交差する。



 その瞬間凛香は雄我の貫き手を紙一重で躱し、その勢いを利用して雄我をこともなげに投げ、その小手をキメにかかるが、雄我はそれに逆らうことなく手を地面について体ごと回転させ、力を逃がす。

 雄我はかけられた力の方向に体を回転させることで、力を逃がすと同時に、逆に凛香の腕を取りにいく。が、それを察知した凛香は素早く腕を外し離れる。



 先ほどの二人の交差の間に上記の攻防が起こっていたのだが、常人には単にすれ違っただけに見えただろう。

 それほど二人の技と力は超人的なレベルに達していた。そんな攻防が続く中で二人は会話する。



「凛香ぁ。……っと、ずいぶん見ないうちに腕を上げたな~。 っそれでこそ、俺が見込んだ女だ。」


 雄我は終始余裕の表情だ。軽薄と言ってもいい。


「……貴方は榊家を乗っ取るだけに飽き足らず、柳二にまであんなひどいことを。何処までやれば気が済むの、この人でなしが!」



 そういって強烈な当身とともに足をかけ、わずかに雄我の重心を崩したところを後ろに倒すと見せて手を取り、空中でその手に足をかけて腕関節を粉砕する!


「!?グゥ。」


 雄我はそのまま体ごと抑え込まれるのを嫌い力に逆らうことなく転がり難を逃れた。



 凛香の動きは鬼神のごとき様相を見せている。現師範代の雄我をここまで圧倒するとは。

 それでも、僕は嫌な予感を払拭ふっしょくできずにいた。まるで目が離せない。



「柳二の痛みはそんなものじゃないわ。まだよ。」



 そういって凛香は手負いの雄我に接近しようとするが、すぐに足を止めた。

 腕を折られた雄我がまるでそれを感じさせない動きで立ち上がり、先ほどまでの余裕の表情を一切崩していなかったからだ。


「……さすがに俺もびっくりだぜぇ。ここまでやるとはなぁ。そしてその眼。不完全だが見えてきているな?」


 そう言って雄我は凛香の眼を指さす。先ほど粉砕したはずの腕・・・・・・・・・・・を伸ばして。


「!?……確かに腕を破壊したはず。何をしたの?」


「さーてね? ……凛香がこのレベルに来ているとなると、水心流ではらちが明かないな。」


 手の内をさらすつもりはないのか、凛香の疑問に肩を竦ませおちょくる様に答え、そして今までの水心流の構えから別の型に変えてみせた。


「!?その構えは……無幻炎心流!」


「何驚いてんだよ? 俺が炎心流からの交流生だったってのは知らねぇわけじゃないだろ? さて、第2ラウンドと行こうぜ。」



 雄我は相変わらず軽薄な、何処か見下すような顔でニヤリと笑った。


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