娼婦は平和を望まない。

弥生

娼婦は平和を望まない。


「平和、ねぇ」


 街は華やぎ、家路に急ぐ人たちの表情もどこか嬉しそうだ。


 みつは夕暮れに染まる街を、格子の入ったガラス窓から見下ろしていた。

 蜜たちの仕事はこれから始まる。

 一夜の蝶として、自身の春を売るのだ。


 ……男たちの荒ぶる身体を静めるために。


「兵隊さぁぁん! またゆめを選んでくださるんですかぁ~?」

「いやぁ、夢ちゃんのお胸が恋しくてねぇ~~」

 豊満な身体で兵隊にしなだれかかり、手を引いて部屋へ誘う。


 その日は、いつにも増して街全体が華やいでいた。

 店で身体を売る娼婦たちだけでなく、道に立つ娼婦たちも皆、一様に兵隊たちの手を引いて一夜の夢に溺れていく。


「ふふふ、もうこれで三人目よ! 今日は皆金払いがいいものね。たっくさん稼がないと!」

 長い髪の娼婦は、そういって妖艶に笑むと部屋を出ていった。


「あらやだ。蜜、あなたこんなところで腐れていてどうしたの。今日を逃したら稼ぎ時を失ってしまうわ!」

 部屋に戻ってきた娼婦の一人が、窓の外を眺めていた蜜に気付く。

「戦争が終わったもの。……兵隊さんたちも、お国に帰るのよね……」

「そうよぉ! 兵隊さんたち、 報償の一時金を貰っているのだもの。みーんな飲めや歌えやの大騒ぎよ!」

「…………そうね」

「……蜜、もう何度も言っているじゃない。……諦めなさい。もう、一週間よ。あれだけあなたに固執していた兵隊さんだったもの。ここに来ないということは、彼はもう……」

「わかっ……てる。もう、彼は戦死してしまったのだって……彼の友と名乗る人が……彼の……彼の遺品を持ってきてくれたのだって…………」


 でも…………と蜜は泣きじゃくる。


「夢を……見させて……。彼は……きっと……お国に帰って……幸せになっているんだって……。私の事なんて……忘れただけだって……。……お願い……平和になっても……彼がいないなんて……そんな……現実を見させないで……」

「蜜…………」

 そうでなくても、身を売る娼婦の蜜と兵隊では身分が違う。

 決して、結ばれないとわかっていても。



 その時、コツリ……コツリ……と、いびつな足音が階段を昇る足音が聞こえてきた。


 蜜は目を見張る。


みつ……三葉みつばさん……迎えが……遅れてすみません。右肘から先を失いましたが、辛くも生き長らえました。意識がなかなか戻らず、友人が預けていた腕輪を先にあなたに渡してしまったそうで……。すみません、あなたを泣かせるつもりは無かったのに」


 娼婦は春を売る際に、名を騙る。

 ……だが、激しい戦いが続く戦場に戻る彼に、名を……名前を預けてしまっていた。


 夜明け前、優しく名前を呼んでくれた彼の声が、絶望に崩れ落ちそうになる自分を寸前で留めていてくれた。


 唇が震え、涙が頬をつたう。

 彼の名を……愛しい人の名を、呼ぶことができた。


「温情で、世話をさせる女郎を一人国に連れ帰っても良いと……。一緒に、来てくれますか?」

「はいっ」


 満身創痍な兵士が一人、彼女に左手を差し出した。

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娼婦は平和を望まない。 弥生 @chikira

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