ギルドのぐーたら受付嬢は、料理にだけはガチになります!

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ギルドのぐーたら受付嬢は、料理にだけはガチになります!

「ちょっと! ヤマシロさーん! いい加減起きてくださいよー!」

「んんー、あと5分……」

「依頼受付の冒険者さんたちがすっかり溜まっちゃってるんですから、手伝ってくださーい!」

「ええー、しゃーねえなあ……」

「やっとわかってくれましたか……って、ヤマシロさん!? 服着てください!?」

「寝るときは服着ねえんだよ……」


 ソファで毛布をかぶっていたヤマシロさんが起きると、そこには一糸としてまとわない肢体をしなやかに伸ばす姿がありました。山猫亜人特有の三角形の耳に、長くて細い手足。同性の私でも思わず見入ってしまうくらいですから――


「ひゅー! いいぞヤマちゃーん!」

「こっち! こっち向いて! 目線ちょうだい!」

「ああン? 相変わらずサカってやがんな、クソ冒険者ども。おらおら、見たやつは全員銅貨10枚な」

「いいから服を着てくださいっ!」


 私はヤマシロさんに外套ローブをがばっとかぶせて、受付業務を再開しました。

 ヤマシロさんも、寝ぼけ顔で隣の椅子に座ります。


「ヤマちゃんの裸が見たくてこのギルドに来てんのに」

「くそっ、余計な真似しやがって」

「なあなあ、なんでも美味いもん奢ってやるからよ。今夜酒でも……」

「みなさん、いい加減にしてくださいっ! ほら、依頼ならたくさんありますよ!」


 ヤマシロさんにローブを着せたことに文句を言う冒険者さんたちに、それぞれ適した依頼を振っていきます。ゴブリン退治に墓場の巡察、畑の手伝い、行商人の護衛……今日も冒険者ギルドの仕事は盛りだくさんです。


「あー、おめぇらがワイバーン退治? 百年早ぇよ。大人しくゴブリンでも狩っておきな」

「えー、そろそろやれると思うんだけど」

「カカカカッ! ワイバーンの昼飯くらいにはなれるだろうな。ほれ、うしろが詰まってるんだからさっさと行きな」


 隣ではわがままを言う冒険者を、ヤマシロさんがびしびしとさばいていきます。

 全裸で居眠りばっかりしてるけど、ちゃんと仕事はできるんですよね。受付嬢になる前は凄腕の冒険者だったって噂ですが、本当なのかもしれません。

 溜まりに溜まった冒険者の行列を片付けたところで、教会の鐘が4回鳴りました。


「お、ちょうど昼時だな。メシ食いに行こうぜ!」

「は、はいっ」


 昼の鐘を聞いたヤマシロさんが、カウンターに「休憩中」の札を置き、近所の食堂に向かってさっさと歩きはじめました。

 まったくご飯のときだけは動きが早いんだから……。


 * * *


「おばちゃーん、アイアンボア鋼鉄猪の味噌煮定食大盛り。エールも大ジョッキで」

「ちょっと、ヤマシロさん! まだ仕事中ですよ!」

「エールなんて水みてえなもんだろ。お前も飲め飲め」

「わ、私は果実水でいいですよ」


 私とヤマシロさんは、冒険者ギルドの隣りにある小さな食堂に来ていました。

 個人経営の小さなお店ですが、量も多いし値段も安いのでお気に入りです。


 私はメニューを眺めて、今日のお昼を考えます。

 日替わりはお刺身定食かあ。ここの魚は新鮮で美味しいんだけど、いまはもっとこってりしたものがいいなあ。炎の月に入ってすっかり暑くなりましたし、若干夏バテ気味なんです。

 そんな風に悩んでいると、期間限定と銘打たれた新メニューが目に入りました。やっぱり夏はこれですよね!


「すみません、プチ・サーペント小大海蛇の蒲焼き丼を大盛りで!」

「え、お前この時期にサーペントなんか食うのかよ……」

「この時期って、炎の月っていったらサーペントじゃないですか」

「おばちゃんもおばちゃんだよ。河獺かわうその亜人なのに知らねえのか?」

「はは、わかっちゃいるんだけどねえ。なにぶん流行りだからねえ」

「かーっ! 世知辛いねえ」


 店長のおばさんが調理をしながら、ヤマシロさんと何やら話しています。

 おばさんは河獺かわうその亜人で、娘さんと漁師の旦那さんを故郷に残して出稼ぎに来ているそうです。そこから仕入れているから、このお店のお魚はおいしいんですね。氷の月になると、血まみれ牡蠣ブラッディオイスターの鍋も楽しめます。


「あいよっ、サーペント丼お待ちっ!」


 私がブラッディオイスターの桜色の身に思いを馳せていたら、サーペント丼がやってきました。炭火で香ばしく焼かれた身に、たっぷり絡んだ甘じょっぱいタレ。タレを吸ったほかほかご飯と一緒に頬張ると、口の中いっぱいに幸せが広がります!


「おいおい、頬袋がぷっくぷくに膨れてやがんぞ」

「美味しいものは、一度頬袋にためるんです!」

栗鼠りす亜人の食い方は相変わらずわっかんねえなあ」


 私がサーペントに夢中になっていると、ヤマシロさんがからかってきます。

 頬袋に食べ物をためると、ずーっと美味しさが味わえるのに、どうして他の種族の人たちはわからないんでしょうか?


 私はもりもりと頬袋にサーペント丼をためていきます。

 銀貨1枚となかなか値は張りましたが、間違いなくその価値はありますね!


「おいしそうに食べてくれてうれしいねえ。もうすぐ閉めちゃうかもしれないけど、贔屓にしてくれてうれしかったよ」

「もぐっ!? もうすぐ閉めるって、どういうことですか!?」


 おばさんが突然変なことを言い出したので、私は思わず頬袋にためたサーペントを飲み込んでしまいました。


「向かいにね、穴熊亜人さんのチェーン店ができたじゃない。それでお客さんがすっかり減っちゃってね……」

「カカカッ! 味のわからねえウスラトンカチどもなんてハナっから相手にしなくていいんだよ」

「ははは、ヤマちゃんがそう言ってくれるのはうれしいけど、この有様だからね……」


 河獺亜人特有の撫肩をさらに落とすおばさんが店内を見渡します。

 言われてみれば、私たち以外のお客さんが見当たりません。お昼時はいつも満席だったのに……。


「がーはっはっはっ! 今日もがらがらじゃのう。ぼちぼち営業権を売る覚悟はついたかのう?」


 そこに、お店の戸をガラリと開けて恰幅のよい穴熊の亜人が入ってきました。

 このお店は禁煙なのに、葉巻をくわえて我が物顔で歩いてきます。なんでしょう、この人は! 私の前歯でかじってやりましょうか!


「すみません、グーマーさん。まだ決心がつかなくて……」

「ガハハハハ! 失業の心配か? なに、金がいるならワシのめかけにしてやってもいいぞ!」

「い、いえ。夫も娘もおりますので……」

「その奥ゆかしさがたまらんな。気が変わったらいつでも言ってくれてかまわんのだぞ。……おや? 生意気にもサーペント丼なんてはじめたのか? 銀貨1枚? ガハハハ! うちの店の2倍も高くて売れるわけがないじゃないか!」


 どうやらこのグーマーという穴熊亜人は、向かいに出店してきたチェーン店のオーナーのようです。格安をウリに王都で支店を増やしている上り調子のお店でした。


「けっ、テメェんところのサーペント丼は半銀貨どころか銅貨1枚だって釣りが欲しくなるゲテモノじゃねえか」

「ちょ、ちょっとヤマシロさん!?」


 私がグーマーの態度に眉をひそめていると、ヤマシロさんがエールを飲みながら悪態をつきました。私だって何か言ってやりたかったけど、いきなりそんな態度は……。


「な、なんだ貴様は! うちのサーペント丼に文句があるって言うのか!」

「文句も引っ込むくらいのゲテモンだね、ありゃあ。一口食って、残りは野良犬のエサにしちまったよ」

「な、なんだと! 安いからと馬鹿にしているかもしれんが、あれは大量仕入れで値段を抑えてるんだ! サーペントはハママツ港の一級品で、炭だってビンチョー国から取り寄せている! 老舗のサーペント店にだって負けてはおらん!」

「あー、はいはい。高けぇ材料を揃えたら美味いメシができるって勘違いしてるボンクラか。そんなんでよくメシ屋なんてやってられるな」

「な……なんだと……。貴様なら、同じ値段でうち以上のサーペント丼が出せるっていうのか!」

「カカカッ! そんなんラクショーに決まってんだろ」

「減らず口を叩きおって! それならば勝負だ! 1週間後、この店で料理対決を行う! うちが勝ったらこの店の営業権はもらっていくからな!」

「はいはい、引き受けましたよ」

「ちょ、ちょっとヤマシロさん、勝手に何言ってるんですか!?」


 河獺のおばさんがぽかーんとしている間に、あっという間もなく料理対決が決まってしまいました。人のお店の営業権を勝手に賭けるなんて、一体何を考えてるんですか!?


「ヤマちゃん……怒ってくれたのはうれしいけど……あんなおっきいお店には勝てないよ……」

「カカカッ! 逆に負けるわけがねえんだよ。大船に乗ったつもりで、俺に任せておきなッ! おっと、河獺亜人は船には乗らねえか。カカカカカッ!」


 心配そうなおばさんを尻目に、ヤマシロさんは自信たっぷりに高笑いをしました。


 * * *


 1週間後。いよいよ勝負の日がやってきました。

 炎の月にサーペント丼で対決すると聞いて、お客さんはお店の外までいっぱいです。


 勝負はどちらの料理がより多く注文されるかというシンプルなもの。

 店内に調理台を用意して、お客さんの目の前で作るというパフォーマンスつきです。


「カカカッ! 狙い通り目一杯宣伝してくれたじゃねえか。これでおばちゃんの店も安泰だなッ!」

「ヤマシロさんったら……負けたらおばさんのお店がなくなっちゃうんですからね!」

「あはは、あたしみたいのが王都にお店を出せたのが奇跡だったんだよ。最後にこんなお祭り騒ぎができて、あたしゃ嬉しいさ」

「おばさん……」

「カカカカッ! 何を負けたつもりになってやがるんだッ! 絶対に勝つって言ったろう?」


 不安そうなおばさんを尻目に、コックコートを着たヤマシロさんが偉そうに胸をそらしています。この自信は一体どこから来るんでしょうか……?


「ふん、ド素人にまともにサーペントが焼けるものか。今日はわし自らが腕を振るう。しょせんチェーン店だと思って侮っていたのなら、いまのうちに土下座の準備でもしておくんだな!」


 腕まくりをしながら現れたのは、穴熊亜人のグーマーさんです。

 ただの成金だと思っていたのですが、違うのでしょうか?


「誰が成金だっ! まったく、冒険者どもは礼儀知らずばかりで腹立たしい。わしはな、若い頃は宮廷で焼方やきかたを務めておったんじゃ!」

「きゅ、宮廷料理人だったんですか!?」

「いかにも。この店をやっているような下賤の料理人風情などとは格が違うのだ!」

「カカカカッ! 宮廷料理人様が都落ちしてゲロマズチェーンの社長に収まるとはな。テメェもすっかり下賤じゃねえか」

「な、なんだと貴様っ!」


 怒り狂うグーマーさんを、ヤマシロさんが舌を出して挑発します。

 まったく何なんですかこの人っ!?


「この生意気なメス猫風情が……。ふん、粋がったところで腕の差は変わらん。わしの包丁さばきをとくと見ろ!」


 グーマーさんはたらいから生きたサーペントを掴み出すと、まな板にキリでとーんと目打ちしてその細長い身を固定しました。そして懐から取り出した、短く太い包丁で腹を裂き、あっという間に開きにしてしまいます。


「カカカカッ! ロートルのくせにまだまだ包丁は使えるんだなッ」

「ふん、驚くのはまだ早いわ。宮廷料理人の技、刮目して見るがいい!」


 そう言うと、グーマーさんは凄まじいスピードでサーペントの身に串を打ち、焼き台の上に並べていきます。


「サーペントの身は柔らかく繊細だ。ぐずぐずと串を打っているとそれだけで食感が悪くなる。これを秘伝のタレに漬けながら、遠火の炭火で優しく……優しく焼いていく……」


 炙られたサーペントの身から、脂がぽとりぽとりと炭火に垂れて、じゅわーっと香ばしい煙を上げます。うう、敵の料理なのに、この匂いは強烈過ぎますっ!


「さあ、これで焼き上がりだ。おい、栗鼠の小娘、さっきからよだれが止まってないぞ。これを食ってみろ。そもそも無謀な勝負だったってことを思い知れるだろうからのう!」

「うっ、うう、食べたいけど、食べたいけど……」


 私が躊躇していると、ヤマシロさんが親指を立ててニカッと笑いました。


「カカカカッ! いいから食ってみろよ。おばちゃんも、味見してみろや」

「あ、あたしもかい?」

「何人で食おうが構わん。貴様らの舌がまともなら、一口食えば戦意喪失だろうがな!」


 グーマーさんは自信満々です。

 ヤマシロさんにも食べろって言われたし……私は差し出されたサーペント丼に箸を伸ばします。身を箸で切り、一口食べると……むふうっ! 軽く焦げた皮の香ばしさ! 続いて甘じょっぱい濃厚なタレ! これは白いご飯がいくらでも進んじゃいますっ!


「まーた頬袋がパンパンになってるぞ。このポンコツ栗鼠が」

「がーはっはっ! わしが直々に焼いたのだ! 美味くないわけがあるまい!」

「それで、おばちゃんはどうだい?」

「えっ? あっ、はい。美味しいサーペントですね……」


 こんなに美味しいサーペント丼なのに、それを食べたおばさんの表情は浮かないものです。……って、勝負の相手ですもんね。美味しかったら負けちゃうんだから、浮かない表情で当然です。浮かれてしまった自分が恥ずかしい……。


「さあ、負けを認めるならいまのうちだぞ。恥をかく前に降参するといい」

「カカカカカッ! 何を寝ぼけてやがる! 俺の料理の番がまだだぜッ!」


 ヤマシロさんは高笑いと共に、生きたサーペントを宙に放ると包丁を目にも留まらぬ速さで振るいます。すると、きれいに開かれたサーペントの切り身がまな板の上に!?

 それを見たグーマーさんが目を丸くし、震える声で言いました。


「ほ、包丁技はなかなかのようだな。だが、サーペント料理の真髄は焼き! いくら器用に包丁が使えたところで――」

「カカカカカッ! 焼きってのはな、こうすんだよッ!」

「なっ!? 貴様、何をしているっ!?」


 ヤマシロさんは、さばいたサーペントの身をタレにつけると、それをそのまま炭火の上に置いてしまいました。白い煙がぶわっと広がり、脂に火がつきてサーペントの身が炎に包まれます!


「な、なんてことを! サーペントの焼きは遠火が基本! それを直火どころか炭の上に直接置くだとっ!?」

「カカカカカッ! だからテメェは寝ぼけてるって言うんだよ。昔っからやってるって理由だけでそれを真似て、本当に美味い調理法を自分の頭でまるで考えちゃいねえ」

「な、なんだとぉ!」


 あっという間に焼き上がったサーペントをまな板に引き上げたヤマシロさんは、それを細かくさいの目に切っていきます。


「なんだそのしみったれた切り方は! 一応は焼けたようだがな、半銀貨1枚でうちと同じ量は出せまい!」

「ああ、だからこうするんだよ」


 ヤマシロさんは細かく切ったサーペントにさらにタレをたっぷり絡めて、ご飯の上に載せました。その身の量は、グーマーさんのサーペント丼と比べるとせいぜいが四分の一くらい……。


「はーっはっはっ! どんな工夫をするかと思えばタレでごまかすだけか! もはや勝負をするまでもないな!」

「馬鹿言ってんじゃねえ。そんなケチくさい真似をするかよ。こいつも一緒に食うんだよッ!」


 ヤマシロさんは、炭の中から真っ黒な何かを引っ張り出し、それを叩き割りました。そしてぶよぶよとした中身をサーペントの隣に載せます。炭で汚れたサーペントの身に、真っ黒な得体の知れない何か……。これは一体何でしょうか?


「カカカカカッ! それは食ってのお楽しみだ。おら、穴熊ジジイ、テメェも食ってみやがれ」

「こんなゲテモノをだと……真っ黒で炭だらけじゃないか! こんなもの、食えるわけがない!」

「これだから雑魚はッ! いい炭は食えるのを知らねえのか?」


 そういうと、ヤマシロさんは炭をつまんでバリバリと噛み砕きました。

 炭って、本当に食べられるんだ……。私もこっそりつまんでかじってみました。すると口の中に不思議な香ばしさが広がります。


 これなら――私はヤマシロさんのサーペント丼に箸を伸ばしました。カリッと焼かれたサーペントの身と甘いタレ、白いご飯が渾然一体となってまるで踊っているようです! それに、心なしかグーマーさんのサーペントよりもふっくらで、ジューシーなような……。


「時期外れのプチサーペントは脂が少ないからなッ! 穴熊ジジイみてぇにじっくり炙ってちゃ、脂っけが抜けてパサパサになっちまうのさ。濃い味のタレでごまかされちまうから、なかなか気が付かねえがな!」

「えっ、プチサーペントは夏が旬なんじゃ!?」

「おばちゃん、本当のプチサーペントの旬をこのポンコツどもに教えてやれよ」

「ええと、プチサーペントが本当に美味いのは冬、です。春の産卵に向けて栄養をためているので……」

「カカカカカッ! やっぱり知ってんじゃねえか。夏のサーペントは雪解けの月に産卵を終えてカッスカスだからな。夏にサーペントが売れねえってんで、無理やり売り込もうとして炎の月の名物にしたんだよ」

「な、なんだと……?」


 グーマーさんが、盥のサーペントを見ながら震えています。

 どうやらグーマーさんもサーペントの本当の旬は知らなかったようです。


「くっ、だ、だから何だっていうんだ! ほれ、メシを半分も食わないうちにサーペントがなくなってしまったではないか!」


 グーマーさんが丼を突き出して文句を言っています。

 なんだかんだとしっかり食べてるじゃないですか……。


「だから隣のもんがあるんだろうがッ! 文句はぜんぶ食ってから言いやがれ!」

「こ、こんな得体の知れないものをわしに食えというのか!?」

「カカカカカッ! 料理人のくせに新しい食材にビビってんのかよ。クソだっせえな!」

「ぐ、ぐぅ……わしを舐めるな! これくらいのものは食ってやる!」


 ヤマシロさんに煽られて、グーマーさんが謎の食材を口にします。

 私も恐る恐る箸でつまみ上げました。ぶよぶよしていて、大きさはお稲荷さんぐらい。真っ黒で、まるで固まった血のようなグロテスクな色合いです。勇気を振り絞って一口かじってみると――


「お、おいしいっ! まるでお口の中に荒波が押し寄せてくるみたいです!」

「な、なんだこの濃厚なコクとどっしりした旨味は……。全身が潮騒で満ちていくようじゃ……」


 私とグーマーさんは、この未知の食材の美味しさに震えてしまいました。

 思わず頬袋が膨らんじゃいますっ! この真っ黒な何かを無限に頬袋に詰め込みたいっ!!


「うーん、やっぱりこの時期の血まみれ牡蠣ブラッディオイスターが最高ねえ」

「「こ、これがブラッディオイスター!?」」


 おばさんの言葉に、私とグーマーさんは声を合わせて驚いてしまいました。

 ブラッディオイスターといえば、桜のようなピンクの身の美しさで知られている食材です。こんなグロテスクな色の食材ではなかったはずですが……。


「カカカカカッ! ブラッディオイスターの本当の旬は夏なんだよ! 枯れ葉の月に産卵を終えて、旨味も栄養も抜けちまったもんが冬場に食ってる桜色のおきれいなブラッディオイスターだ。時期は真逆だが、旬外れにありがたがられてるけったいな食いもんってところはサーペントと一緒だな!」


 えっ!? ブラッディオイスターのあのきれいな桜色は、栄養が抜けてたせい……!?


「そうでなけりゃ、血まみれ牡蠣なんて名前がつくわけねえだろ。このカサブタみてぇな汚え色が、ブラッディオイスターの本当の姿なんだよ! どこぞの元宮廷料理人さんはご存じなかったようだがなあ」

「ぐ、ぐうう……だが、これではサーペント丼とは言えんだろ! 具の半分がブラッディオイスターじゃないか!」

「へえ? そんな決まり事があったのか? それじゃ漬物も添えられねえな。山椒を振るのはどうなんだ? サーペントしか使っちゃいけねえってんなら、タレだって余計なんじゃねえのか?」

「減らず口を叩きおって……」

「カカカカカッ! ああ、料理人は自分の口で戦うもんじゃあねえな。客の口で戦うもんだ。さあ、クソ客ども! この穴熊ジジイの古くせえサーペント丼と、俺の新しい真っ黒丼、テメェらはどっちが食いたいんだ!」


 ヤマシロさんが両手を上げてお客さんたちを煽ります。

 ギザ歯を輝かせて高笑いするその姿はまるで魔王です……!


「正直、サーペント丼ってそんなに美味いと思ってなかったんだよな……」

「俺も俺も。ご飯にタレをかけただけでいいんじゃねえかって」

「わかるわー」


 お客さんたちは、私たちの調理台の方に一斉に並びはじめました。

 ヤマシロさんはおばさんと協力して、凄まじい速度で真っ黒丼を仕上げていきます。お客さんたちは、夢中になってガツガツと箸を使っています!


「まさか炎の月にブラッディオイスターを食べてもらえるとはねえ。あたしゃ、信じられないよ……」

「カカカカカッ! 見た目がなんだろうが、うめぇもんはうめぇ、それだけだ! ついでにあんたの旦那の稼ぎもよくなるだろ?」

「夏はまるで売れなかったからねえ。評判になれば仕入れてくれるお店も増えるかしら」

「ったりめぇだ! このクソ客どもを見ろ! 今日からはどの店に行っても頭の悪い顔でブラッディオイスターを頼むに決まってるぜ!」


 あっ、ヤマシロさんがブラッディオイスターを食材に使ったのは、そんな狙いもあったんですね!? 漁師の旦那さんの収入が安定すれば、おばさんが無理に王都で出稼ぎをする必要もなくなります。そうならば、家族三人で故郷で暮らせるかも……。このお店がなくなってしまうのは寂しいですが、それがおばさんの幸せなら私に言えることはありません。


「あはは、栗鼠のお嬢ちゃん。あたいに田舎に引っ込もうなんてつもりはないから安心しておくれ。旦那が獲った美味しい食材を、この王都で広められたらそれ以上にうれしいことはないさ」

「おばさん……!」

「カカカカカッ! 家族から仕入れりゃコストも抑えられるからな。ボロ儲けの口をわざわざ逃すほどおばちゃんはヌルくねえだろうよ!」

「ちょっ、ヤマシロさん!?」

「あっはっはっ! そのとおりだねえ。あたいも商売人だからね。せっかく機会を作ってくれたんだ。これを活かしてがっぽり稼がせてもらうよ」

「おう、そりゃいいな! 儲かったら俺のメシ代はずっとタダにしてくれよ?」

「それくらいはお安い御用さ……って言いたいところだけど、あんたはやたらに食うからねえ。1日1食までにさせてもらうさ」

「ちぃっ、ケチくせえなあ」

「商売人なんて、ケチじゃなきゃやってられないのさ」

「カカカカカッ! ま、そりゃあそうだよな」


 こうして、おばさんのお店とグーマーさんの料理対決は圧勝で終わりました。

 グーマーさんは、おばさんを通じてブラッディオイスターの仕入れ契約を取り付け、王都中で「炎の月は血まみれ牡蠣!」というキャンペーンをはじめて一大ブームを引き起こしてしまいました。


 勝負に負けてすごすごと引き下がると思っていたら、なんというたくましさでしょうか。おばさんによれば、グーマーさんは「美味いものは美味い。それが認められないものは料理人ではない」とかなんかカッコイイ感じのことを言っていたそうです。


 で、この騒動の中心となった肝心の人物がどうしているかと言えば――


「ヤマシロさーん! いい加減起きてくださいよー!」

「んああ? あと5分……」

「おばさんのお店、最近行列ができてるんですからね! さっさと仕事を片付けないと、お昼を食べ損ねちゃいますよ!」

「げえっ! そりゃマズイ!」


 今日も全裸でソファから飛び起きるのでした。

 頼むから、職場で全裸で寝るのはやめてほしいです。


(了)

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