第68話 傍から見れば立派な親子
「このクソ狭くて、鼻がむずむずする部屋に安心する日が来るとは……」
「人の思い出の場所にひどい言い草じゃな……」
そう言うシロもぐったりしていて、あまり噛みついて来ない。
千恵が私の中に入ってきて、そのままの流れで知美の精神世界から抜け出すことが出来た。
知美に黙って出てきたようで気が引けるが、留まれば留まるほどにやばい事が起こる世界だ。安堵がそんな後ろめたさをすぐに塗りつぶす。なにしろ最終的に子供まで押し付けられたのだ。あのまま居続ければ、孫まで出来ていたのではないだろうか。
考えただけでもぞっとする。
そして、気付いたらシロと最初に出会った部屋に居た。
生活臭がきつくて、息が詰まりそうな狭苦しい孤児院の一室。最初は文句ばかりが浮かんだこの部屋に、なんだか落ち着きを覚える。
「はぁ」
崩れるように床に腰を下ろすと、自然とため息が漏れる。それと共に張っていた気が抜けて動く気力が無くなってしまう。気だるさに身を任せると心地良い眠気が襲ってくる。このまま眠ってしまえば気持ち良いだろう。
「おかーさん」
「のわっ」
膝の上が突然重くなり、その直後に呼びかけられて驚く。
視線を下に向けるとそこにいたのは千恵。
私のお腹に背中を預けた千恵がちょこんと座って、首を仰け反らせてこちらを見上げていた。
「驚かせんな。心臓に悪い」
「ごめんね?」
何が悪いのか分かっていないような口調で千恵が謝る。たどたどしい言い方が可愛くて、自然と毒気が抜けてしまう。
「んで、なんでこいつが居るんだ?」
「? ママのこと、おかーさんに教えてあげるためだよ?」
何を疑問に思っているのか分からないとばかりに、千恵が首を傾げながら言う。
「……」
千恵のそんな様子を見ていると、得体のしれない何かがこみ上げてきて自分の中で持て余してしまう。
「いひひ」
衝動のままに千恵の頭を撫でると、うっとりと目を細めて照れくさそうに笑う。
くそ。可愛いな。こいつ。
「うくく。すっかり母親じゃの」
「うるせえ」
シロが茶化してくるので睨みつける。しかし、シロのは含み笑いをしたままだ。
その顔に無性に腹が立ってくるが、お腹に感じるじんわりと優しい熱にほぐされて、その怒りも霧散してしまう。
「はぁ。全く、子供が出来ると丸くなるというのは本当じゃの……」
「ほっとけ」
シロもしばらくは悪戯っぽくこちらを見ていたが、やがて呆れたように呟く。
「おかーさん。シロちゃんと仲いいね」
それを見ていた千恵がふくれっ面になる。
どうしてそんな感想が出てくるんだ。
「そんなわけあるか。勝手に人の世界に入り込んできた居候野郎だ。おまけに私の困るところを見て楽しむ人格破綻者ときた。とっととくたばってくれと思ってる」
「美里よ。そういうのを自己紹介というのじゃぞ。ぬしの方が大概悪い性格をしとる」
「ふん。私は良いんだよ。だが、シロ。お前はだめだ。なんかむかつく」
「はぁ。何年かぶりに会った人間がここまで酷いとは。わしも運が悪い」
それはこっちのセリフだ。
「むぅ」
言い返そうとしたところで千恵が唸り声を上げてもぞもぞと動き出す。
そちらを向くと、私に背中を向けていた千恵がこちらに向き直って、ぎゅっとしがみついていた。
え。なにこれ。可愛い。
「おお。これが俗に言うひっつきむしという奴か。こうも分かりやすいと感心するの」
このこのとシロがつついてくるが、それがどうでも良く感じられる。
「シロちゃんばっかりずるい。ちいも」
「ああ、はいはい」
「うひひ」
おざなりに千恵を撫でると、身をよじりながら笑う。
もぞもぞする感覚がくすぐったくて、なんだか心地良い。
「おかーさん」
「うん?」
千恵が突然こちらを見上げ、呼びかけてきたので応える。その声が自分のものだと思えないほど甘ったるくて驚く。
「あのね。ママもなの」
千恵は言葉足らずで、何を言おうとしているのか分からない。
だが、必死に言葉を探しながら、うんうん唸っている千恵が微笑ましい。千恵の方に耳を軽く倒して、意識を集中させる。
「うんとね。ママも不安だったの。だからね、ずっとつながってたいって。そう思ったんだよ」
「なるほどの」
千恵の言葉を受けてシロがしみじみと頷く。なんとなく腹が立って睨みつけると、むかつく半笑いを浮かべて語りだす。
「おぬしの能力が繋がりっぱなしだったのは、知美が不安に思っていたからということじゃ」
さっぱり分からん。
「はぁ。分かっておらんという顔じゃの。そういうところじゃぞ」
「ふん」
呆れるシロに鼻を鳴らすと、千恵が説明を引き継ぐ。
「あのね、あのね。ママはね、不安だったの。おかーさんがどっか行っちゃうかもって。ママのこと分かってくれるのはおかーさんだけなのに、ほっぽってどっかにいなくなるかもって。だから、おかーさんとのつながりを消したくなかったの」
「……面倒な奴」
能力が発動したのは単なる事故だというのに、こうも全力で寄りかかられるとは思いもしなかった。しかも、知美が能力が切れるのを望まなかったせいでパスがつながったままになってしまった。
「はぁ」
本当に不便な能力だ。
「そう落ち込むでない。千恵が来てくれたおかげで状況は変わる」
「……落ち込んでない」
弱っているところを見せるのがなんとなく癪で、言い返す。
「はぁ」
そんな私にシロが呆れたようにため息をついて、説明を続ける。
「どこかに居なくなってしまうかもしれんという不安。その不安はおぬしが知美の精神世界で動いたことで払しょくされた」
「うん。ママ、これまで他の人と距離置いてた。他の人が大事になってからいなくなるの、怖かったの。でも、おかーさんのおかげで吹っ切れたって。どんな時もおかーさんが居るから、大丈夫。誰かが大事になって、その後いなくなっても、おかーさんが居てくれるなら良いって。だから、みんなと仲良くなるの、もう怖くないって」
「ふん」
千恵の言葉を聞いてげんなりする。知美が他の奴らに心を開くように仕向けることはできた。しかし、私への依存も大きくなってしまったようだ。
「ママね、おかーさんにいっぱい感謝してる。今生きていられるのは、おかーさんのお陰だって。もうおかーさんが居ない世界は考えられないって。だから、おかーさんにお礼をするためにちいが来たんだよ」
「勘弁してくれ……」
「おかーさん、ちいのこと、きらい?」
知美が私に向ける感情に戦慄してぼやくと、千恵がうるうると尋ねてくる。本当、子供ってやつは面倒くさい。
「千恵のことじゃない。気にすんな」
「ん」
くしゃっと髪を撫でると、また引っ付きむしに戻る。本当、面倒だ。
「ま、そういう訳じゃ。千恵は知美のことをよくわかっておる。お主の能力でこれまで以上に知美のことがよく分かるようになるじゃろうて」
「悪化してないか、それ」
「くくく……」
面白そうに肩を震わせるシロを見て頭を抱える。勘弁してくれ。
「そう不安がるでない。知美のことをよくわかっておる千恵がおぬしの中におるんじゃ。つまり、おぬしと知美の間にできた絆がおぬしの中にあるということじゃな。知美の不安も抑えられて、四六時中つながりっぱなしということも無くなるじゃろうて」
「……嘘じゃないだろうな」
私を騙して無理やり守護者になったシロの言うことだ。とても信用できない。
「やれやれ。疑り深い事じゃ。守護者のわしは、ぬしのために働いとるというに……」
「おかーさん、大丈夫だよ。ママも、おかーさんのこと信頼してる。だから、変に疲れさせたりはもうしないよ」
「ふん。そうか」
千恵の言葉を聞いて充足感のようなものが湧きだしてくる。
知美の世界では散々な目にあったが、その甲斐あって私の能力も少しは扱いやすくなったらしい。
「やれやれ。そやつの言うことはすぐ信じおって。すっかり親ばかじゃな」
「ふん」
拗ねたようなシロを鼻であしらって、千恵を抱っこして立ち上がる。しがみついて笑う千恵を見ていると何だか心が洗われるような気分だ。
こいつを認知する気はさらさらない。
だが、私の能力を使うには便利な存在だ。仕方ないから、私の世界においてやることにしよう。
箱庭サイキッカーズ 明日葉いお @i_ashitaba
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。箱庭サイキッカーズの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます