第67話 ママとママ

「ママ?」


 特級の爆弾発言を受けて機能が停止し、微動だにしない私を不思議に思ったのか、目の前の子が再度そう言う。

 こてりと首を傾げて、まん丸の大きな目で見上げる姿に心臓がキュッと掴まれるように痛くなる。

 一縷の希望を賭けて後ろを見るが、誰もいない。そもそも、私の服を引っ張りながらママ呼ばわりしているのだ。この子は私のことを母親だと本気で勘違いしているのだろう。


「なあ知美」


「ママっ!」


 とりあえず知美に状況を聞こうと呼びかけたところ、子供がパッと知美の方に向き直って、ギュッとしがみつく。

 なんだ。知美の子供か。

 知美に頬を摺り寄せて、知美もまた愛おし気に頭を撫でる様子を見て、そう結論付ける。

 いろいろと突っ込みたいところはあるが、これ以上は藪蛇にしかならない。とっとと退散しよう。


「なるほど。親子水入らずの邪魔をするのは悪いな。私はもう行くから、あとは好きにやってくれ」


 ひとまずシロを探そうと背を向け歩き出そうとしたところ、グイっと服の裾を引っ張られる。


「はぁ。なんだってんだ」


 苛立ちを覚えながら振り返ると、子供が不満げに私を見上げていた。


「ママッ!!」


 無駄に高い大声で呼び止められて反射的に顔をしかめる。子供ってやつはどうして声が大きいんだ。


「お前のママは知美だろ。私は忙しいんだ。放してくれ」


「むぅ」


 適当に切り上げようとすると、子供が不満げに唸り声を上げる。それから、人差し指をぴんと立てて右手を上げる。


「ママと、ママっ! だよ!」


 私指さした後に振り返って知美を指さす。

 うん。知ってた。

 なんとなくそんな気はしていた。最初にこいつにママ呼ばわりされたとき。その時から嫌な予感はしていた。

 そんな荒唐無稽なことはあり得ないと目を逸らそうとしていたが、この非常識な世界では無意味だった。

 どうやら、私は知らない間に子持ちになっていたらしい。

 銅像にされたり、太陽にされたりしたせいでもう驚かなくなってきた。諦めの境地の中でぼんやりと考える。今日の朝、何食べたっけ。


「もう。それじゃどっちがどっちだかわかんないでしょ」


「ん~?」


 知美がしゃがみこんで諭すように言うと、またしてもこくんと首を傾げる。

 もちもちしたほっぺがプルンと揺れて可愛らしい。


「私のことはママ。美里ちゃんのことはおかあさんって呼んでね」


「ん!」


 力強く頷くと、人差し指をぴんと立てる。


「ママと、おかーさん!!」


 自信たっぷりに知美と私を順に指さすと、むふーと鼻を大きくする。

 子供ってやつはこんな表情でも可愛く見えるから本当に得だ。


「ん。よくできました」


 知美が頭を撫でると胸をこれでもかという程反らせて、嬉しそうにぐっと目を細める。

 その様子を見た途端に危機感を覚えて、これ以上現実逃避していられないと、脳が切り替わる。

 頭がはっきりして最初に浮かんだのは怒り。

 何も知らないまま勝手に親にされてしまったことに対する憤り。こちらの能力の補助をするというアケミの口車に乗せられてしまった自分に腹が立つ。

 しかし、あの状況ではどうにもならなかったと思い直しクールダウンする。

 子供が出現したトリガーは恐らく知美が私と手を合わせて、アケミの前で宣誓すること。

 この世界ではあいつらから逃げられたとは思えないし、遅かれ早かれこの状況に陥っていただろう。

 だから、ここでするべきは逆切れすることではない。

 こいつを認知しないことだ。


「すまんが、子供を持った覚えはない。お前はママと二人仲良くするんだ。いいな」


「え?」


 私の言葉に子供は呆然とする。だが、その意味を理解したのか目を潤ませて口を開く。


「いくじほーき、だめ」


 あどけない口調と、放たれた言葉の小難しさが妙なコントラストで不思議なかんじだ。

 そして、同時に悟ってしまう。

 この面倒くささと、腹立たしさ。確実に知美の子供だ。


「あら。難しい言葉知ってるのね」


 知美が偉い偉いと頭を撫でると、子供が満足げにぴったりとくっつく。その様子を認めると、にっこりと笑ってから知美が顔をこちらに向けて、表情を厳しくする。


「もう。おかあさん、そんなこと言っちゃダメでしょ」


「誰がお母さんだ。誰が」


 口を尖らせる知美に、刺々しい声を返す。認めてたまるものか。

 子供が今にも決壊しそうな程目に涙をため、知美がムッとした表情で口を開きかける。

 そろそろ泣き出すだろう。知美も責めてくるだろうし、面倒だと思ったところで、憎たらしい声が響く。


「そう邪険にするでない。子供というのも悪いものではないぞ」


「チッ。守護者失格だぞ。何してやがった」


 振り向くとそこにいたのはだらだらと汗を流して、髪を振り乱したシロだった。


「わしも大変だったんじゃぞ……。村人どもにぬしを出せと迫られて、もみくちゃにされた。なんとか抜け出せたが、あのままだとどうなっておったか、想像もしたくないわい」


 そう言って、シロが自分を抱いてぶるりと身を震わせる。

 怯えるシロの顔を見て、少し気が晴れる。


「はぁ。あんたねぇ。何が不満なの?」


 これまで黙っていたアケミが、ブスッとした様子で声をあげる。

 この状況で不満が無いわけがないだろう。


「身に覚えも無いのに、突然母親扱いされて不満が無いわけないだろう」


「全く。人の気も知らないで……」


 苦々しく顔を逸らす顔を逸らすアケミに、子供がとてとてと歩み寄っていく。


「おばちゃん。元気出して」


「お、おば……!」


 アケミの右手を取って、その純粋な目でアケミを見上げる。

 当のアケミは、敬愛してやまない姉の子に呼ばれた感動からか目を見開く。

 しばし呆然とした表情をしていたが、深呼吸を一つすると、張り付けた笑顔で子供に諭すかのように語り掛ける。


「ふふ。私のことは、おばちゃんじゃなくて、お姉ちゃんって呼んでね」


「?」


 しかし、子供は理解できなかったのか、こてんと首を傾げる。


「おばちゃんは、ママの妹だから、おばちゃんだよ?」


「うっ」


 幼さゆえに言葉の刃は純粋に、かつ真っすぐ刺しこまれる。それを受けて呻くアケミを見て胸がスッとする。


「もう、アケミちゃんったら。若く見られたいのは分かるけど、無理にお姉ちゃんって呼ばせても、他の人から痛い女だって思われるだけだよ」


「そ、そんな……」


 姉からも突き放されてアケミが顔面蒼白になって、膝をついて項垂れる。

 いい気味だ。

 そんなアケミの頭を子供がポンポンと叩いていて、シュールな絵面だ。


「おい」


「ん?」


 向こう側が勝手に盛り上がっているので、その隙にこっそりとシロに耳打ちする。


「さっさとずらかるぞ」


「おぬし……」


 シロが無責任な男を見るような目をこちらに向ける。


「はぁ。まぁよい。おぬしはそういう奴じゃったな。じゃが無理だ」


「どうして……!?」


 言いかけたところでシロが私の手を握ってきて、同時に情報が流し込まれる。


「分かったじゃろ?」


「……ああ」


 だめだ。逃げられない。

 この世界から脱出するには知美の助けが必要だ。だが、それだけではない。

 あの子供、使える。

 シロからの助言を受けて、覚悟を決める。

 そうして知美たちに目を向けると、三人ともこちらをじっと見つめていた。こちらのやり取りがひと段落したのを見計らうと、知美が子供にそっと耳打ちする。

 子供は不安げに知美を見上げるが、知美が大きく頷くのを見ると、こちらにとてとてと歩いてくる。


「おかーさん」


 子供が私の前に辿り着くと、両手でギュッと私の服を掴んで、見上げてくる。


「なまえ、つけて」


「っ!?」


 期待を込めたランランとしたまなざしを受けて、それが直視できなくて、知美を見る。


「……」


 にっこりと無言で頷いてきた。どないしろと。


「ふん」


 アケミは相変わらずだ。鼻を鳴らすと、そっぽをむく。だが、こちらの様子が気になるのか、薄目でうかがっている。

 面倒な奴だ。

 再度視線を落とす。


「……」


 知美に生き写しの顔。期待がたっぷりのその顔に、少しだけ陰が差す。

 煮え切らない私の態度に不安を感じ始めたといったところか。


「ふっ」


 不覚にもこいつが無性にかわいく思えてくる。その顔を見ていると、ある名前がふんわりと下りてきて、脳内にがばっと広がる。視界が開けたような清々しい感覚。開放感に後押しされて、その名前を口にする。


「千恵」


「え……?」


 状況が飲みこめないのか、小さく口を開けてこちらを見上げる。


「お前の名前だ、千恵」


「ち、え……?」


「ああ」


「~~~~~!!」


 ぱぁっと顔が華やぎ、千恵がしがみついてくる。

 その体温が温かくて、命の鼓動を感じて愛おしく思えてくる。


「おかーさん」


 そう呼ばれて、母親だと認めたわけではないと反射的に言いそうになるが、続く千恵の言葉にかき消される。


「大好き!!」


 大好き。

 無防備で重い、温かな言葉。

 不意にそんな言葉で殴りつけられて脳内に何かが高速で駆け巡り、またしても何も考えられなくなる。

 嬉しいやら申し訳ないやらで、またしても心臓がギュッと掴まれたような切ない感覚に陥る。


「いひひ」


 呆然とするこちらの顔を認めると、千恵が悪戯っぽく笑う。

 くそ。可愛いな。

 そんなことを考えていると、突然世界に閃光が走って、じんわりと温かい熱が体にしみこんでくる。

 一瞬の後には元の暗い世界に戻る。

 そこに千恵はいない。

 しかし、温かさは残っている。

 それだけではない。

 これまで感じることは無かった心強さ、誰かが背中を押してくれるような頼もしさを感じる。

 心臓が補強されたような妙な感覚。

 なんとなく、悟る。

 千恵は私の精神世界に入り込んだらしい。後はシロの奴が適当にやってくれるだろう。


「ふん」


 その心地良さがなんとなく居心地が悪くて、鼻を鳴らす。


「シロ、帰るぞ」


「せっかちな奴め」


「美里ちゃん!」


 そのまま背を向けて歩き出すと、後ろから知美が声を掛けてくる。


「また、現実でね」


「ふん」


 振り返らず歩いて行くと、世界がどんどん白くなっていく。

 視界が塗りつぶされて何も見えなくなった時、ぼそりと妙にはっきりとした声が耳に届く。


「チッ。いけ好かない奴。でも、気を付けなさい。シロって奴、食わせ物よ。私は子供なんていらなかったのに……」


 相も変わらず不機嫌そうなアケミの声。

 意味深なその内容に疑問を投げかけようとした瞬間、世界が反転した。

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