第11話 喧嘩両成敗の船橋騒動&直秀の毒殺
いろいろなことはあるものの、それなりに歳月が流れてゆくかに見えた寛永四年(一六二七)九月五日、黒雲が連れて来た雷が大音響と共に高岡城の鯱に落雷した。
折しも城下の安寧を願って信枚が古懸村不動尊に参詣に出かけた不在時のことで、このときも満天姫は藩主に代わり陣頭指揮を執り、豪気な大前御前の名が高まった。
だが、歳月を経ても一向に満天姫に打ち解けようとしなかった松前は無惨な天守を仰ぎ「あれ、あそこに亡き直姫さまが立っていらっしゃいます」異様な声で笑った。
*
建て替え(天守の新築は幕府から許可されず)を機に高岡城は弘前城と改称した。
寛永八年一月十四日、江戸で信枚が逝去し、三代藩主・信義襲封の儀式を行った。
津軽にいる満天姫にとっても代替わりの感慨を新たにする日々だったが、二年後の寛永十年十月、新藩主の弘前入りを機に、江戸と津軽の家臣の間で内紛が勃発した。
十五歳の新藩主を迎えた弘前城譜代の重臣たちと、信義に江戸から付き添って来た船橋半左衛門・半十郎親子との間に亀裂がはしり、幕府の裁定を仰ぐ事態になった。
一時は津軽藩改易が案じられた船橋騒動は幕府による喧嘩両成敗の裁定で収まったが、熊千代騒動から数えて何度めかの内紛は、藩内に暗い影を落とすことになった。
*
その騒動もやっと収まった寛永十三年秋、満天姫にとって痛恨の一大事があった。
珍しく夕餉にやって来た大道寺直秀が、実母の目の前でとつぜん亡くなったのだ。
のどをかきむしって苦しむようすから毒の服用が推察され、飲食の前後の事情から嫌疑をかけられたが知らぬ存ぜぬで押し通した松前は、その晩からすがたを消した。
大道寺家へ養子に入ったのちも、実父の生家・福島家の再興を自分の役目と周囲に公言していたようで、それを聞きつけた松前が、満天姫への最大の復讐を果たした。
のちに満天姫にもたらされた報告だったが、なにもかも夢のような出来事だった。
自分はやはり、実子・直秀を最も愛していた……それは間違いのない事実だった。
*
信枚の正室としての最後のしごととして、信義の正室に、満天姫の実父・松平康元の三男・泰久の娘・富宇姫を迎えた満天姫は、寛永十五年三月二十二日に没した。
享年五十の波乱の生涯だった。
同年六月、岩木山が噴火した。 [完]
※参考文献:葉室麟『津軽双花』(2019年 講談社文庫)
古川智映子『家康の養女 満天姫の戦い』(2022年 潮文庫)
子連れ満天姫――津軽へ再嫁 🩴 上月くるを @kurutan
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