第42話『エピローグ』
ビフレストの大鍵が作り出した不思議な回廊を抜け、俺は久しぶりの魔界に帰ってきた。
扉が開いたのは大農場のど真ん中。農場の視察用にとセレーネが建てさせた見張り台の上である。
見張り台のテラスには美しい女性の姿が一人。
それは愛すべき魔王、セレーネだった。
「ローラン~! 帰りが遅いではないか。魔界に戻って来んかと心配で心配で……」
俺が空中に開いたゲートから降り立つと、セレーネは飛びついてきた。
その表情は甘えん坊のそれで、俺もたまらなく抱きしめる。
「戻らないわけないじゃないか。絶対に帰るって約束したろ? 今回は貴族の反乱鎮圧がちょっと大変で、時間がかかったんだよ……」
ティタニス騒動……つまり聖王を倒してから三か月の時が流れていた。
あれから聖王国ではルイーズさんが聖王の座を廃止し、彼女は代理の王として政務につくことになった。
もちろん古い体制に親しんでいた貴族からの反発は激しかったが、聖王ディヴァンの様々な悪行が明るみになるにつれ、それに手を貸していた貴族たちは徐々に追い詰められていった。
商業ギルドや俺の馴染みの冒険者ギルドがルイーズさんの味方に付いたおかげで形勢は完全に逆転。
ついに貴族側の総大将である宰相オルタンシアを捕らえたのだ。
俺はというと魔王の元に居る俺自身が身を明かして活動するわけにもいかず、謎の剣士ブロードとして活動していた。
殺さずに解決するのは一苦労だったけど、セレーネの顔を見ると疲れも吹き飛んでしまう。
「ただいま、セレーネ」
俺はそう言って、彼女の頬に軽く口づけする。
するとセレーネははわはわと動揺したまま、顔を赤らめてしまった。
そんな仕草も可愛くて、たまらず強く抱きしめるのだった。
◇ ◇ ◇
「それにしても、ずいぶんと見違えたな……!」
その後、俺はセレーネと共にお茶を楽しみながら、目の前に広がる大農園を見渡した。
空は快晴。
さんさんと輝く日の光が、大地を覆う一面の小麦畑を照らしている。
「まさか、あの砂漠の荒野が農地に生まれ変わるなんて」
「まだまだ魔王城の近郊だけじゃがの。……それに、すべてはそなたのお陰じゃローラン。精霊の加護により、土壌の改良がここまで進むとは……」
「俺のお陰じゃないさ。頑張ってくれたのは精霊たちだ」
元は岩砂漠だった荒野も、土の大精霊ベヒモスと水の大精霊ウンディーネのお陰でかなりの改良ができた。
特にベヒモスは人間界の肥沃な大地の力を得たおかげで、土壌の改良までできるようになっていたのは驚きだ。
化石森の山から川を引くこともでき、見渡す限りの大農園にすることができたわけだ。
ちなみにルドラはまだ下級精霊のままなのが残念らしいので、今度、魔界の西方にある大嵐の荒野で特訓する約束をしている。
「セレーネこそ、時間加速魔法の加減が上手くなったよな……。君の手にかかれば作物の実りがほぼ一瞬なんだろ?」
「て、照れるではないか……」
セレーネはほおを緩ませて笑う。
そしてひとしきり照れたあと、真面目な顔になった。
「しかし課題は山積みじゃ。時間加速で実らせるのは、あくまでも飢餓を防ぐ急場の手段。歪みを作らぬためにも、まっとうな方法で農業を拡大させたい。それに連作障害や土壌改良などの対策も必要じゃ。……なによりも、わらわ一人だけでは魔界全土を救いきれぬ。重要なのは、民の一人一人が世界を支えられる仕組みづくりじゃ」
彼女の想いはその通りだと思う。
精霊の力だって、結局は聖剣が使える俺頼み。永遠に一人で世界を支えられるわけがないんだし、もっとのんびりしてセレーネと過ごせる日を増やしたいのも事実なんだよな。
俺も仕組みづくりって奴に力をいれるか、と思うのだった。
◇ ◇ ◇
――そうそう。
セレーネはビフレストの大鍵を手にして、正式に魔王に即位した。
彼女もいずれは民による政治を夢見ているのだが、未成熟な魔界はまだまだ強い指導者を必要としているわけだ。
農場から城への帰路、馬車でギムレーの町を通過すると、人々が満面の笑顔で頭を下げてくれた。
セレーネは「魔王様」と呼ばれることに慣れないようで、照れてうつむいてしまう。
だが、その親しみやすさも愛される秘訣のようだった。
……まあ、俺は俺で「魔王様とはいつご結婚を?」などと聞かれるので、照れてしまって、二人そろってうつむいてしまうのだが……。
その時、俺たちを見かけたマリヤさんが駆け寄ってきた。
彼女は発掘作業をしていたはずだが、とても興奮気味だ。
「セレーネ様、ローラン様! 新たな碑文が発掘されましたです!」
「おぉ、でかしたマリヤ。碑文は世界を救う手掛かりになるからのう」
「今度のは凄いのです。全文がきれいに残っていてですね、なんと製作者の名前が分かったのです」
そして彼女は大事そうに抱えている石碑を俺たちに見せてくれる。
それを見たとたん、俺たちはアッと驚いた。
「……なんと、ローランの名ではないか!」
「そう……みたいだな。つまりこの先の俺が残したってことか……」
石碑には間違いなく、俺の名前が記されていた。
……確かに、俺が決めた精霊の名前が正しく書かれていた時から気になってはいたんだ。
まさか俺自身が作った物だったとはなぁ……。
もちろん過去にこういう物を作った覚えはないので、おそらく未来の俺が体験したことを書き記しているんだろう。
碑文は未来の自分が解決した事件について、あらかじめ警告を伝えてくれている。
「何が起こるのか分かるのはありがたいのう」
「あぁ、これを手掛かりに事件解決すればいいわけだ。……え~となになに? 聖王都に火山が出現する!? 起こるのは……来月じゃないか!」
これはまた驚きの内容だ。
聖王都の歴史を思い出すが、特に火山の話はなかったような気がする。
これはやっぱり精霊の仕業だろうか?
「……これは駆け付けない訳にいかないな。ちょうど火属性の精霊も手持ちに欲しかったしな」
「今度はわらわも共にいくぞ。魔界に置いてきぼりは寂しいのじゃ!」
「ああ、もちろんさ。じゃあ火山対策の検討だな。それにルイーズさんにも共有しておかないと」
そういえば人間界で精霊の活動が激しくなっている気がする。
これが瘴気発生に関係しているかもしれないと思うと、気が引き締まる思いだ。
俺は遠く、地平を見渡す。
魔王城は魔界……つまり魔族の活動可能領域の端にあるので、ここからでも瘴気の滞留域が見渡せた。
紫色に立ち込める不気味な霧。
あれが生き物の精神を蝕み、肉体を化け物に変貌させるという怖ろしい存在だ。
いずれ人間界に現れ、滅ぼすとも言われている。
瘴気を眺めながら、俺はこの頃考えている想いをセレーネに話すことにした。
「なあセレーネ。これは君とルイーズさんに相談が必要なことなんだが、人間界の人々を魔界に移住させるのはどうだろうか?」
「魔界に移住? そなたはまた、
「もちろん分かってるんだけどさ……。仮に瘴気の問題を解決できれば、人類も滅びの日を超えて生き延びられるって思ったんだ」
もちろん滅びを回避できるのが最高に決まっている。
しかし瘴気が噴出するのを分かってるのに、何もせずにはいられない。
人間界という『時代』が滅びるにしても、その時代に生きている人々を生かす手段はあると思っていた。
「しかしローランよ。……そもそも瘴気の問題が解決すれば、人間界はそのまま存続するのではないか?」
「もしもの時さ。もしも人間界の滅びが不可避だったとしたら、せめて人々だけでも救いたいって思ってさ」
俺はあくまでも「もしも」という前提で話しているが、実のところ、滅びは避けられないんじゃないかって思うようになっていた。
だって、人間界の滅びを回避できるのだとしたら、俺のことだから全力でがんばるに決まってる。
しかしそれでも止められなかったのだから、人間界は滅びて魔界が生まれたのだ。
なによりも目の前に広がる魔界の姿が、滅びが回避できない証拠に思えていた。
セレーネはやはりと言うか、難しそうな顔のままだ。
「う~む。移民となると、たくさんの問題が起こるであろう。無論、魔族との衝突は避けられぬ」
「そうだよな……」
確かにセレーネの言葉はもっともだ。
しかし、彼女は屈託なく笑い始める。
「ま、なんとかなるのではないか?」
「ずいぶんと楽観的だな……」
「だってローランじゃぞ。……わらわの誇る勇者様じゃ。なんだかんだいって、すべての問題を解決できる最高の結末を用意しかねん。……そうじゃろ?」
その笑顔を見ていると、なんだか心が軽くなるようだ。
俺の愛する魔王様にここまで言われては仕方がない。
「確かに、起こってもいない問題をあれこれ悩んでいても時間の無駄かもな。とりあえずやれることをやる。まずは来月の火山問題を解決だ!」
「その意気じゃ! 魔王城に戻り、作戦を練ろうぞ!」
セレーネの掛け声で前を向くと、もう魔王城が近い。
あの城はすべてが始まった場所。
仲間に裏切られ、孤独に死んだ。
そして君に救われ、第二の生を始めた場所だ。
真に信じられ、背中を預け合える大切な人。
そんな君に出会えた場所だ。
これからどんな苦難があっても、セレーネと一緒なら乗り越えていける。
君が信じてくれる限り、俺は勇者であり続けようと思うのだった――。
――終――
【後書き】
まだまだローランとセレーネの冒険は続きますが、これにて本作『下民勇者の成り上がり英雄譚』は完結となります。
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