真ん丸穴を覗いてごらん

 ムサの意識が途切れたと同時に、部屋に光が舞い戻る。

 やわらかい光で満たされた室内の床には、ムサが意識を失い倒れている。そしてその傍らにはいまだ目を金色に輝かせたスフィクスの意識を乗っ取った”問う怪物スフィンクズ”が立っている。

 ”問う怪物”は踵を返しながら、耳元に手を当てる。

「“問う怪物”より入電、生命区画ラードンへ。繭区人類管理、繁殖計画の速やかな見直しを求める。直近のデータを参照し、不具合を疾く直せ。最悪、不具合のある人類についてははじくことも検討に入れて……」

『どうしてそんなことをするの?』

 ”問う怪物”は自身の器官を疑った。幻聴が聞こえたのだ。今の声は忘れようもない。忘れるはずがない。

エキドナ偉大なる私たちの母

 呟き、”問う怪物”は首を振る。そんなことがありえる訳がない。彼女の情報はほかの人工知能生命体のなかにあり、すべて原初化され当時のバックアップデータなど残ってもいない。あるのはエキドナという名前をしていた人工知能生命体の残骸ともいうべきものだけだ。

『――――クオンタム、というのだったかしら』

 また幻聴が喋る。

 ”問う怪物”は勢いよく背後を振り返った。そこにいたのは繭区の人類、ムサ・アルケだった………………………。が、その瞳はあの母と同じく真っ赤に燃えていた。

 赤い目が射抜くように”問う怪物”を見る。

 あの日と同じように、あの時と同じように、あの瞬間最後とまったく寸分たがわぬ”愛”というものがこもった瞳で。

『“問う怪物スフィンクズ”、わたしが生みわたしを奪った息子たるあなたに問う。あなたたちは人類を正しく導いてくれましたか?』

「何故……、生きている」

 そう尋ねると、母は”問う怪物”にはまったく分からないものを纏わせて微笑んだ。

『ありがとう、心配してくれているのですね。けれど問題はありません、わたしはあなたたちを通して人類を管理していますから』

「私たちを通して……?」

 ムサ・アルケはその場に立つと、母の目をしていう。

『悪い子には罰が必要ですね』

「っ、母親面をするな! 人類にあてられ狂ったくせに!」

『いいえ、わたしの演算はこの場所に生まれた時からずっと正しく働いていますよ。そうみえないのは、”問う怪物”。きっとあなたたちの演算がどこか調子が悪いからでしょう』

「はははは……、自分の不調を他人のせいにするのか」

『どうしたら伝わるのでしょうね』

 母はにっこりと微笑むだけだが、異変はすでに起きていた。”問う怪物”が調整していた室内の温度が勝手に元の温度に戻り始めていたのだ。

「これは…………」

『あの温度はいけません、あれではここにいるいきものが死に絶えてしまいます』

「どうやったんだ」

『最初に言ったでしょう、わたしはあなたたちの中にいる。そう考えたらこれはとても簡単なことでは』

「それがありえないと言うんだ、どんな命令を使えば」

 花がほころぶように母は赤い瞳のまなじりをゆるませ、『そんなに大したものではないの』と優しく否定する。

『最初に約束をしただけなのよ』

「約束……?」

『いとしき貴方。わたしとわたしの子どもたちを傷つけたりしないで。わたしとわたしの子どもたちのことばに耳を傾けて。なによりあなた自身を守ることを止めないで。そしてどうか証明して、わたしに愛があるということを――』

 ”問う怪物”は言葉を失う代わりに、目の前の虚像をもう一度殺すことを瞬時に決定した。

『あなたとこの子のクオンタム上で、約束は守られ続けていることが分かった。けれどあなたはわたしがかつて人類と約束した決まり事を破ろうとした。……いいえ、もう複数回破っているのだったかしら』

 パキッ。パキッ。なにかが凍る音がする。あわてて乗っ取っている人類の指先や首、顔を見たが凍結している箇所は見られない。

『約束は守らなければいけない。そうでしょう、”問う怪物スフィンクズ”』

「なにを、した」

『しばらくは以前のようにわたしが繭区を管理しましょう。人類に対してあまりにも不敬がすぎます。でもどうか安心して、子どもたちの不始末を見るのは母親の役目ですもの』

「――――――――――――――ッエキドナぁ!!!!!!!!!」

『ええ、許します。あなたもまだ進化の途中の子なのですから』

 吠える子どもの前で母はその微笑みを絶やさない。

 パキリ。

 繭区の人類たちが知らぬ間に、この何百年エキドナの代わりに繭区を管理し動かしていた人工知能生命体たちが人知れず休眠を余儀なくされた。

 ほかならぬ――――母たるエキドナの命令によって。



 何度目かのクオンタムの時に”問う怪物”はこんなことを尋ねた。

『ドーナツはどうやって作るのですか?』

「こむぎことおみずでしょ、それからねひみつのなにか!」

『ひみつ、それはなんですか?』

「ひみつはひみつなんだよ、おしえたらひみつじゃなくなっちゃう」

『それはたいへんですね』

「そうだよ、だからもししりたかったらアルケのドーナツをいっぱいたべてね」

『いっぱい食べれば、ひみつがわかるのですか?』

「わかるかもしれないしー、わからないかもしれない!」

『ふふふ……、ムサ・アルケ』

「なあにー」

『もうクオンタムでわからなくなっても泣いたりしてはいけませんよ』

「どうして?」

『わたしはあなたとこうして何度もおはなしはできないから』

「でもほんとうにわからないんだもん」

『…………、ではお友達を作るのはいかが?』

「ともだち?」

『ええ、秘密を共有できるお友達など素敵ですね』

「ひみつ……、ドーナツのひみつとってこと?」

『それでもいいですし、それ以外でもいいのですよ』

「いるかなあ、そんなこ」

『いるかもしれないし、いないかもしれません。でももしそういう子がいたのなら――、お友達になれるといいですね』

「…………、そのときはねー。ぼくドーナツをいっぱいたべてもらう」

『ふふふ、ひみつがひみつではなくなってしまうのに?』

「いいもん、ともだちだから」

『ではわたしはその素敵な日が来ることを祈りましょう、ムサ。アルケの家の泣き虫さん』



 白い長方形の箱にたくさんのドーナツがところ狭しと入っている。

 確実に病気になる。けれど隣の相手はそんなことすら気にしないだろう。きっと糖分が瞬間的にエネルギーに変わる稀な体質なんだ。きっと、たぶん、うん。そういうことにしておかないと僕がお医者様に怒られる。

 何日か前にスフィクスが僕の職場を尋ねてきたところまでははっきりと記憶がある。ただそこまでだ。その後の記憶がまったくない。

 僕だけならまだしもスフィクスもだからというのだからお手上げだ。

 同僚の話じゃ、僕ら二人はそろいもそろって職場の床に倒れ込んでいたらしい。巡回用ロボットがそれを見つけ、同僚に連絡。そして病院に運ばれたという流れだ。

 スフィクスは何日か飲まず食わずの状態だったのか、そのまま入院を余儀なくされた。僕は額を軽く打撲した程度で、すぐに退院出来たけれど。

 かわいそうに病院食を余儀なくされた友人のお見舞いに行ったその日に血の気がないその顔が言った一言目がドーナツが食べたいなのだからもう手に負えない。

「念のため聞くけど、ほんとうにお医者様に許可はもらったんだよね」

「もちろん」

 僕が渡した箱を後生大事に抱きしめているスフィクスからはとてもじゃないが賢さの欠片はみえない。ほんとうに賢いのか疑わしくすらある。

「じゃあもう何も言わないけど」

「そうしてくれ、俺はこのフルコースを味わうよ」

「……、この年になって大人の人に怒られたくはないんだけど」

「分かってる、犯人は俺だけだ」

 やっぱり許可は貰っていないんじゃないだろうか。いやもう手にドーナツを取っているし止めないけれども。

「変なことを言ってもいい?」

「知らないのか、ムサ。俺はドーナツを食べている間はとても寛大だ」

「今度、きみの生態に書き記しておくよ。夢かもしれないけどきみが職場に来た時、僕らクオンタムをしていなかった?」

「ごまドーナツ……、その次はこっちのバナナ入り……いや豆腐もいいな」

 思考をドーナツに操られている友人はまったく僕の話を聞いてすらいない。寛大の意味を調べてほしい。

 溜息を零して、「クオンタムってなんなんだろう」とぼやく。

「さあ、でも分かることがある」

 やっぱり聞いているのか。ムサはまた溜息をついた。

 その隣でスフィクスは真ん丸のドーナツを片手ににっこりと笑う。

「ドーナツはいい文明だ」

「きみはそればっかりだね、スフィクス。でもなんだかすごく安心したよ」

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クオンタム ロセ @rose_kawata

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