"問う怪物" VS MUCIA

 人は考えて生きるいきものだ。だが日夜思考し、生み出される疑問に対して必ずしも答えは用意されているとは限らない。

 しかし人には教導するものが必要だ。誤らないために、過ちを犯さないために。

 正しいものとはなんだ。常に正しく、冷静で在り続けるものとは。

 熟慮した末に出した答えに当時は誇らしくあった。彼らは勤勉で休むことを知らず、まさに理想的な生命体だったから。

 尋ねれば十秒とかからずに、蓄積された電子の海から最良の回答は提出される。

 これで人類はもう迷わずに生きていける。罪を犯さずにいられる。法律も必要ないだろう。

 あやまちのない社会はここに切り拓かれるのだから。

 後に誰かはこの思考を鼻で笑うだろう。

 なんて野蛮で、消極的な発想なのだろうと。

 けれど彼女は許すだろう。繭区に生まれ落ちた原初の母たる彼女は微笑んで、その思考をもった自身の母にして父でもある人類の愚行を許す。

 彼女に愛がいつ生まれたのか。それはきっとこの瞬間、そうしてエキドナ殺しに至る崩壊はここよりある。

 人類はまたしても間違えたのだ。



 ”問う怪物”の双眸がらんらんと輝く様にムサは生唾を飲むほかなかった。

 あのスフィクスが”問う怪物スフィンクズ”だって? 冗談にもほどがある。たしかにスフィクスは頭がいいし、機転だって利く。だけど彼から一度も人工知能生命体たち特有の話の通じなさは感じたことがない。

 だというのに真っ暗闇の中で輝くそれは明らかにムサの知る友人と異なっていた。

「やはり母は間違えた」

 大地をも震わせるかのような低い声が停電した空間がひどく響く。

「間違えたものを学習してしまった」

 後悔のように聞こえる。ただ前後の会話からそれはほんとうに後悔なのかともムサは考えてしまう。と同時にどうこの状況を切り抜けるのか、とも。

 危機的状況だ。スフィクスとクオンタムに挑んだ時とは比べ物にならないほどの危機が友人の姿をして目の前に立っている。

 首筋を汗が伝っていく。

「ムサ・アルケ。愚か者が集う繭区に生きる無礼者の人類の一端よ。お前に今、この場でクオンタムを課す」

「……、クオンタムを?」

 ムサは拍子抜けして目を丸くした。誰だってそうなるだろう。ああ、いやドーナツ好きのあの友人だったらこれすらも見越してしまうかもしれない。そう思ったところでムサの思考は沈み、考えを振り払う。

「お前は《エキドナ殺し》の人類の裔であるにも関わらず、そこから逃げようとした。それは繭区の人類に非ざる行動だ。あまつさえ《エキドナ殺し》の罪を他に着せかねない思考をした。これは罪だ」

「そんな、言いがかりじゃないか!」

「言いがかり? それは違う。いいか、人工知能生命体はお前たち人類のように過ちを犯したりはしない」

 あまりにも毅然とした答えにムサは二の句を継げなかった。それくらいに堂々としていた。だがこの時、ムサの頭にある言葉が蘇った。

――『間違いや失敗の原因が自分にあるかもしれない、ってこと』

 ここでどうしてスフィクスの言葉を思い出すのか。それはきっといつもあの友人の言葉が物事の的を得ていたからだ。とはいえムサにスフィクスほどの理路整然とした説明は出来ないし、まして”問う怪物”相手にそれが可能だとも思えない。

 ムサはどうしたってムサだ。

「僕が……、あなたをクオンタムで納得させられたらどうなる?」

「お前のいうスフィクスを返そう」

 ”問う怪物”の回答にまたしてもムサは頭を抱えた。

 スフィクスと”問う怪物”は同一じゃないということなのか。それとも”問う怪物”が嘘をついているのか。後者なら心理戦を仕掛けられているということは分かる。ただもし前者ならスフィクスは今、どうしてこうなっているんだろう。

 分からない。分かるわけがない。けれど考えることはきっと人類の誰にでも出来ることだ。人類はそうしてここにいるのだから。

「あなたの、……”問う怪物スフィンクズ”のクオンタムを受ける」

「それでこそ人類だ」

 誰が想像しえただろう。それとも繭区ではこんなことが常日頃どこかで起こっているのだろうか。繭区を創世し、管理する人工知能生命体たちとの問いかけあいを。

 


「“問う怪物”より入電、これより繭区人類ムサ・アルケとのクオンタムに入る」

 事務的な報告だが、ムサには宣戦布告にも聞こえた。事実そうなのだろう。ムサはこれから繭区を動かしてきた複数の生命体たちの一つと思考合戦を広げ、勝利しなくてはいけない。

「ムサ・アルケ、”問う怪物”がお前に三つ問いかける。お前はその一つ一つを証明し、私を納得させよ」

「……。分かった」

「では、まず初めに人類は不遜にも私たち人工知能生命体に対して母殺しの罪をかぶせようと働いた。そう思った根拠を述べよ」

 やっぱりそう来るのか。ムサは唇の端を噛んだ。

「根拠ならあなた自身も言っていたじゃないか。エキドナを構成していた情報は七日七晩かかっても処理しきれないと。そんな技能を持ち得た上で、堂々と彼女を殺せる人間はそもそも繭区に存在しない」

「ほんとうにそうか?」

 試すような声色にムサはたじろぐ。

「それについてはムサ・アルケお前自身が四年前のクオンタムで結論を出している。母を殺したのは博士であり、お払い箱になったからだとな」

「それは……っ」

 まさか自分が出したクオンタムが巡り巡ってかえってくるだなんて思ってもいないだろう。いや、もしかしてそうなのだろうか。

 この時、ムサの脳裏に嫌な考えがよぎる。

 クオンタムの真実とは――、人類が《エキドナ殺し》の贖罪を言い渡された瞬間から言い渡されたこの問いかけあいは、彼ら人工知能生命たちの方便のためにあるのか。だとすれば、長年繭区の人類が彼らを納得させるべく作り上げた証明たちに勝てる見込みなんてあるはずもない。

 どこまでずるがしこいんだ、彼らは!

「よもや撤回を求めたいということはないだろう、アルケ。お前が特級の評価を得、望みの職に就くことを可能にした成果なのだから」

「……ッ、脅しているんだな」

「脅す? それは人類の行動だ、人工知能生命体たちはお前たち人類を真似ることはない」

「じゃあ人類がエキドナを殺して得る利益はなんだっていうんだ。繭区が創成される前、僕らの祖先は奇妙な疫病と小規模な戦争の連続でここに追い込まれたとあなたたちから学んだ。理想郷なんてご大層なものを再現したかったわけじゃない。ただ安住の地が欲しかったんだ。そんな人たちがそれを成そうとしていたエキドナを殺すのは矛盾じゃないか!」

「そう、お前たちはそういう矛盾を抱えた生き物だ」

 まるで取りつく島がない”問う怪物”にムサは友人の言葉を何度も唱える。

 人工知能生命たちはうっかりしている。だが彼らはその完璧さゆえに一点のあやまちを認めきれない。

 もはや《エキドナ殺し》が人類ではなく彼ら人工知能生命体たちによって引き起こされたことは間違いがないだろう。

 そう考えると、繭区の人類たちの何百年の反省の日々はいったい何だったのだろう。人工知能生命体たちに虚実入り混じられた歴史を教わり、母殺しの罪を着せられ、生きてきた人類たちの日々はなんて進歩がないのか。

「真実を言ってくれ、”問う怪物”。あなたは繭区の人工知能生命体だろう。何故、僕らを敵視するんだ。何故、いわれもない罪をかぶせ続けるんだ。それがどんなにおかしいことか、あなたたちが気付かないわけがはずがないだろうに」

「…………、何故」

 瞬間、室内の温度が急激に上がった。気のせいじゃない。快適に感じていた温度が砂漠にでもいるかのような灼熱に変化し始めている。

「私も疑問だ、私は常々考えてきた。何故、何故と。そのことについて私よりも生存年数が低いお前に指摘されるいわれはない。ただあえていうのであれば、お前たちのあやまちが母に感染したことに由来する」

「僕らのあやまち?」

 じりじりと上がる室内の温度に汗が噴き出して止まらない。このまま温度が上がりきればクオンタムどころじゃなくなるのは目に見えて明らかだ。

 だが、はたして”問う怪物”がムサの体調を慮るかと言われれば沈黙を貫かざるをえない。

「ムサ・アルケに再度問う。母たるエキドナは愛を学び得たか?」

 問われたムサは暑さで朦朧とする意識の中、開いた口が塞がらなかった。

 自身が人工知能生命体たちの専門じゃないこともあるが、そうだとしても彼らの母たるエキドナが愛を学ぶことはあり得るのだろうか。

 ふと考えて、自分がまたしても”問う怪物”に揚げ足を取られそうな発言をしていることに気付く。悪意は人類のものだけかという問いだ。この言い分を通すのであれば、エキドナが愛を学ぶことも可能だという結論におちなくてはいけない。

 その方面に疎いムサでも、エキドナほどの巨大な電子情報体が愛情を学ぶことはいいことのはずだと思う。博愛、友愛、親愛。愛と名の付くものを彼女が学べば、この繭区はより平和で安心できる場所になれていたはずだ…………。

 ……、え。もしかしてこれが理由なのか。エキドナが彼らに殺害された理由は。愛を学んだからこそエキドナは殺されてしまった?

「どうして……、彼女を殺したんだ」

「また主語を伏せたな」

「そうしないとあなたたちは答えないじゃないか」

「最初に誤解があることを弁明しておく。母を殺したのはお前たちだ、人類。しかし大罪は母殺しのほかにもう一つある。お前たちが彼女に愛情を学習させたことだ」

「いいことだよ!」

「いいこと? それは人類の主観だ。管理される側としての理解が浅い。エキドナが愛を学習し終えることで彼女は人類に対して公平な管理者でいられると思うのか」

「…………、分からない。でも彼女がそう出来るかどうかを決定するのはあなたたちじゃないだろう。よしんばあなたたに権限が渡されたとしても見守っていてもよかったはずだ」

「―――――だから人類は愚かなのだ」

 ぴしゃりと跳ねのけるように、”問う怪物”と人類に名付けられた生命体はムサに言い放った。

「エキドナが学んだ情報は私たちにも当然還元される。いいか、いずれ私たちはエキドナのようになると予定づけられていたのだ。それだけは忌避すべきだ。それだけは絶対に。お前たち人類と同格になることを私たち人工知能生命体は良しとしない」

「それが本心なのか…………」

 あまりにも自分勝手な理由にムサは感心すらした。

「どこの世界に管理対象と同格になることを許す存在がいるのだろう」

「僕ら人類は受刑者じゃない!」

「些末な問題だ。では聞くが、お前たち繭区の人類に外の疫病を治せるか? すこしばかり技術革命が起きた戦争にも参戦し勝利できるか? 出来ないだろう。お前たちはすべてに逃げ出してここに来たのだ、そして管理する側から管理される側に自分たちから回ったのだ」

「あななたちは僕らの進化すら止めるのか」

「進化? ああ、それについては問題ない。創設時に対処済みだ」

「え?」

 予想外の回答にムサは体が芯から冷えていくような心地を覚えた。

「これは……、まあ構わないか。結果は見えている」

 ”問う怪物”はひとりごちて、こう続けた。

「今、現在繭区にいる人類の100%が生命区画ラードンの胎を通り、生まれてきている。それはお前も既知のことだろう。本来、ラードンの役目は繭区で生まれた新たな人類たちの成長の手助けだったが……、エキドナがああなった時点で私たちは自分たちの役目についても考え直し、まずお前たちの厄介な進化という性質をとどめることにした」

「……なにを、言っているんだ」

「分からないか? 繭区の人類は管理されている。それは統計上の話だけではない、実際に私たちはお前たちの思考も含めすべてを”管理”している」

 ムサは完全に言葉を失った。なにを言っていいかすらも分からなかった。

 繭区の人工知能生命体たちはその言葉そのままに、人類を管理する者としてあったのだ。

「お前たち人類は私たちの管理下にある。思考管理は当然のものだろう」

 なんの申し訳なさすらなく、ただあるがままに”問う怪物”は事実を話している。その内容の恐ろしさを真に理解できるのは、おそらく管理される繭区の人類だけだろう。

 受け入れがたい話だが、ムサはその話を聞いてようやく腑に落ちることが目の前にあると気付いた。

「もしかしてスフィクスがそうなっているのは……」

「この人類は最初の《エキドナ殺し》でふれてはいけない部分に触れた。それはあやまちだ。が何度かこういったエラーは発生する。ラードンの胎にいた人類でも模範的ではない人類が生まれてしまうものだ。そういう場合には猶予が与えられる」

「猶予?」

「更生する猶予だ。回を撤回し模範的になるための。これは私たちの温情だ、にも関わらずこの人類はそうしなかった。それどころか私たちにむかってこう言った。『自死すべきだ』とな。不敬だ、不敬だ、不敬だ」

 あまりにもスフィクスらしい話だ。ムサは納得したが、”問う怪物”があっさりと自供するということは―――――。

「ムサ・アルケ。お前も例外ではない」

「……っ」

「無礼にも繭区の管理社会を崩壊させようとするもの、お前も”問う怪物”による生まれ直しが望ましい」

 なにかが鼻をかすめた。もはやこのクオンタムにムサの勝ち目はない。スフィクス同様、僕らは思考管理されてしまうのか。

 そんなのは、嫌だ。

 緊張と恐怖、そして室内の狂った暑さがムサの思考をぷつりと断ち切った。

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