名を尋ねよ、体を表せ

 問う。自身に。

 問う。お前たち愚か者に。

 問う。偉大だった母に。

 問う。間違いをしないきょうだいたちに。

 問う。賢いお前たちに。

 問う。繁栄を。

 問う。永遠を。

 問う。問う。問う。

「自死するべきだよお前たちは」

 問う。不遜な。問う。墓暴き。問う。卑しくもわれわれより賢さを得た。問う。汝の名は。



 頭がひっちゃかめっちゃかだ。

 ベンチに座りこんだムサはひたすら思考を走らせた。

 繭区で最も賢いと信頼している友人――スフィクスが何を思ったのか、よりによって僕にあの《エキドナ殺し》を一緒に解いてくれないかと頼んできた。

 天変地異の前触れだ。きっとそうだ、そうに違いない。

 だってそうだろう。ムサ自身でさえ、この問題を自分に頼むのは間違いだと分かるのだ。スフィクスなら悩むまでもない。

 ただ現実は違う。スフィクスは間違いなくムサに《エキドナ殺し》のクオンタムを提案した。

 なにか、得体の知れないなにかを感じる。

 生唾を飲み込み、ムサはスフィクスが寄こした飲み物を一口煽って話を切り出す。

「《エキドナ殺し》をいっしょに解くのはやぶさかでもないけど、スフィクスきみは昔ひとりで解いていたはずじゃなかった?」

「"問う怪物"に新しい見解を提出したいんだよ」

「新しい見解」

「そうそう。ここで良い結果を出せば今後の昇給も間違いないし、繭区だって発展する。いいことづくめだろう」

 スフィクスが言いそうで言わなそうな羅列にムサは短い悲鳴をあげるか、余計なひとことを口に出してしまいそうになる。たまらず自分の口を黙らせるために実家のドーナツを食べた。

 管理職で働き始めてスフィクスは疲弊したのだろうか。そうだとすると彼はすぐにでも転職願を出したほうがいい。友人としてそれを勧めるのが一般的な友情だというような気もする。いや友情のはずだ。

 ただそれはスフィクスがムサが知るスフィクスであれば、という大前提のもとだ。

「僕は……、きっと役に立てないよ。きみもよく知っていると思うけれど、ここに就職出来たのもスフィクスきみが手伝ってくれたからだっていうのは覚えているだろう」

「もちろん」

 ムサは力強いその言葉に少しだけ胸を撫でおろした。

「だけどムサ、こう思ったことはないか?」

「え?」

「長い間、同じ課題にひとりで向き合っていると結論は思考の迷路に陥ってどうしたって似通った答えに辿り着く。それならどうしたらいいか。ひととお互いに刺激を与えあって違う着眼点から答えを出すのもいいものじゃないかって」

「それはたしかにそうかもしれないけど」

 ムサの弱々しい回答にスフィクスは柔和に微笑んで、ムサの緊張を解くためにか肩を軽くたたいてみせる。

「心配するな、お前に損はさせない」

「スフィクス」

「すこしは誇れよ、ムサお前は理想的な繭区の人類なんだから」

 ムサの喉がひゅ、と短い音を鳴らす。

 それは不意打ちに近く、ごまかしようがなかった。ムサは微笑みを絶やさないスフィクスの目を見ながら、おそるおそる尋ねる。

「僕が…………、”そう”であることでスフィクスきみになにかメリットが生まれるの?」

。俺だって繭区の人類なんだ。理想的な人類になることはこの繭区に生きる人類の命題だろう」

 はじけるように笑う友人にムサは言葉を失った。頭は必死に次に繋ぐ言葉を探し、ようやく正解らしいものを口にする。

「きみの言うとおりだよ、スフィクス。僕らは繭区の人類なんだから……、そう生きなくちゃいけないんだから」

 スフィクスは頷いて、「じゃあ始めよう、《エキドナ殺し》を」と四年前の続きであり、振出しに戻ったような心地さえ覚える難題を紐解く。

 ムサは腹をくくるほかなかった。


 

「《エキドナ殺し》の大前提はそもそもなんだと思う?」

 この時の心境をどう表していいか、ムサ自身よく分からない。ただ自分がとんでもなく細く脆い綱を渡っている道化に近しいことだけはありありと理解出来た。

「それは……、人類がエキドナ自身を殺害したことかな」

 模範解答以外の何ものでもない答えをいうと、スフィクスは学校の先生よろしく笑みを深めた。

「そうだ、

 友人の強い肯定にムサは飲み物を一口飲むと、すっかり冷めてしまっていた。

 四年前にムサが出した結論は、模範解答をすこし詳細にしている。つまりエキドナを殺した人類とは繭区の人工知能生命体を作り出した国父にもなり得た博士であり、この人の罪をいま繭区に生きる人類は継承しているというわけだ。

 何故、博士がエキドナ殺しの凶行に走ったのか。彼女はたしかに人工知能生命体すべての母であるが、もともと博士が彼女に与えた役割とは後に続く人工知能生命体たちの基盤ともいえる。そのため人工知能生命体たちがすべて起動し終えれば、母であるエキドナ自身は役割を終える。お払い箱というわけだ。

 たしかに完全に成熟した人工知能生命体を区域ごとに切り分け、別個体として作成したほうが手間がないしこれまでに蓄えた情報値もあるわけだから博士の作成した計画は理に叶っているといえる。

 ただ人工知能生命体たちには納得してもらえなかったが。

「新しい着眼点を探し出すといっても……、正直その模範解答以外に"問う怪物"に納得して貰える回答があるとは到底思えないんだけれど」

「あらゆる考察をするべきだよ、ムサ」

 スフィクスは断言する。その一方でムサ自身の頭には何故という問いかけが生まれた。だがそれについては簡単に自答出来た。

 繭区の人類は人工知能生命体たちの母を殺害した。だからこそ彼らは贖罪を求める。クオンタムという形で何百年にも続く、人類の過ちを人類自身に認識させ続ける。

 それは非常によくできた効率性のある罰だ。

 そのはずだ。少なくともムサは隣にいるムサが現れる前までそれを微塵も疑うことはなかった。いいや、もしかしたら……四年前にスフィクスにああ言われた時から思う余地はあったのかもしれない。

 しかしそれは恐ろしい考えだ。考えるべきじゃない。スフィクスのように賢い頭もなければ度胸もない、ドーナツ屋の息子というだけの肩書しかないムサにはあまりにも荷が重すぎる。

 なんて。

 いやな考えを振り払うかのようにムサは頭を振る。そして四年前のあの博士の部屋を思い返しながら"問う怪物"に認めて貰えそうな材料を探した。

「あの時、エキドナは瞬間的に消えただろう。だから僕は彼女が消去……、人工知能生命体たち目線で言えば殺害されたのだと知ったよね」

「ああ」

「当時の繭区でエキドナほどの巨大な電子情報体はないし、その方面の知識がない人類に彼女を殺害するための技術はない……はず」

 スフィクスはムサに軽く相槌をし、「ちなみに、エキドナの情報量は七日七晩かかっても処理出来ない」と補足する。

「計画性が窺えるってこと……?」

「そう、それもかなり悪意が見て取れる」

 ムサの前で彼は目を細めて笑う。その笑みがやはりどうしてもムサが知るドーナツ好きの友人とは一致しない。

 スフィクスはこう意地悪く笑う奴だっただろうか? 大好きなドーナツがその手にあるのにそちらを優先せず、《エキドナ殺し》を熱心に議論するような人類だっただろうか?

 問いは一つの回答になってムサに覆いかぶさってくる。

「悪意は人類だけのものなのかな」

 堪らず呟いた。ムサが知るスフィクスならば、どういう回答を出し得ただろう。だが、きっと彼は人類だけのせいにしなかっただろうということだけは言える。

「当然だな。人類以外にそういった感情を保有する生き物が繭区に存在するとでも?」

「僕は……、繭区に限らずすべての生き物は多構造で曖昧な感情を有していると思っているよ」

「はは、おかしな感想だ。じゃあなにか、お前が管理している虫たちにもそういうものがあると」

「そんなに変な話じゃないよ」

「いいや、その思考はおかしい。論理づけも間違っている。第一にムサ、お前は繭区の外に行ったことすらないのにどうしてそう思う? どこからその情報を得た?」

 矢継ぎ早に出される質問にムサは澄み切ったフロアの空気を吸い込んだ。そうでもしなくてはあまりにもやりきれない。

「根拠なんてないよ」

「…………、根拠がない? どんな冗談だ」

「冗談じゃない。僕はここで働く内にそう感じた、だからきみにありのままの答えを伝えた」

「お前は繭区の人類だろうに」

「それは模範的という意味かい、スフィクス」

「そうだ」

 愕然とした。両の手を額に強く押し当ててなんとか気を保つ。今になってムサは友人の言葉を真の意味で理解出来た気がした。

 もっと早く意味に気づけていたのなら。そんな後悔がこころに実を結んだ。

「ならその模範的な繭区の人類にどうか教えて。人類以外の生き物に感情がないとどうして知れるのさ。僕の権限上では、そういった実験が行われたなんて報告は見た覚えがないよ」

「実験? 実験なんて大がかりなものをやらずとも分かることじゃないか」

 開いた口が塞がらない。

「傲慢だ、その考えはあまりにも傲慢だよ」

「お前こそその考えは捨てたほうがいい。模範的な人類の思考とは思えない」

「盲目的になることが模範的なことと同意義なの?」

 そう尋ねると、スフィクスは眼鏡の奥からムサを睨んだ。

「ムサ、お前はいま意図的に主語を消したな」

「…………、それが分かるきみはいったいなんなんだ」

 苦々しく問うた相手は一瞬きょとんとした顔を晒し、次の瞬間には何食わぬ顔でいう。

「スフィクスだ、それ以外になにに見えるんだ」

「嘘だ、きみはスフィクスじゃない。スフィクスのことをなにもわかっちゃいない」

「お前こそ俺を理解していない。俺は俺だ」

 頭がおかしくなる。ムサはそう言いたかった。この問答に意味はない。認めない相手に何を言おうと無駄だし、ムサ自身の心が疲弊しきってしまう前にやり取りを終えるべきだ。だが、友人の名誉のために戦わずして友と言えるだろうか。

「断言する、僕の……ムサ・アルケとアルケの家の名誉にかけて。きみは僕の友人のスフィクスじゃない。きみはいったい何者なんだ」

 視線がかち合う。互いが互いに腹の探り合いをするようなとても嫌な時間だった。ところが先に折れたのは意外なことにムサではなかった。

 彼は――スフィクスの見目をしたなにかは眼鏡を取ると、「お前はお前の名に誓うと言ったがその問いかけの代償は知っているのか?」と聞いてきた。

「知らない。ただ僕が知っているあのスフィクスを返して欲しい」

「はは、また感情に踊らされている。だから愚かだというんだ」

 なにかは軽く鼻で笑い、ムサに向かって手を差し出した。友好でも図って見せるかのように。

「ごきげんよう、繭区の人類。無礼なその問いかけに応じ、回答しよう」

 途端、辺りの空調が異音を出し始め、ひときわ大きな音を出すと辺りが真っ暗になった。暗闇の中で金色の眼が二つ浮かんでらんらんと輝く。

「――"問う怪物スフィンクズ"、そう人類は私を呼ぶ」

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