令和エレベーターガール~ボタン押し戦争に勝てない~

kayako

勝てない戦は、しなければいい。なのに……!?



 今日もまた、エレベーターの扉が開く。

 そのたびに、水面下の心理戦が始まる!!



 私の勤める会社はそこそこの大企業。20階建ての自社ビルだ。

 エレベーターは全て、ドアの両サイドに押しボタンがある方式。

 もう一度言う。両 サ イ ド に押しボタンがある。

 そしてこの、両サイドの押しボタン。これが――



 この両サイドの押しボタンが、エレベーター内部で毎回起こる、凄まじき心理戦のきっかけとなる!

 エレベーター関連会社のかたはこのことをご存じだろうか。ご存じないだろうな。

 ご存じないから両サイドに押しボタンこんなクソギミックがあるエレベーターを平気で量産できるんだ。



 私はしがない派遣社員、小山内牡丹おさないぼたん

 このビルの15階に勤務している。

 この会社に勤めて数カ月。毎朝のようにエレベーターの押しボタン係をやらされている。

 誰に命じられたわけでもないのだが、毎朝どやどやとエレベーターに大量の人がなだれ込んでくると、何故か必然的に私はドア際、つまりボタンの位置へと追いやられるのだ。

 そうなると――

 他の殆どの人間は正社員。私は派遣。

 ということでボタン操作をしないわけにいかないので、私は必死で毎朝、エレベーターを操る。


 生来の不器用ゆえ、閉めるタイミングを間違えて人を挟むこともしょっちゅうあるが、それは正直大した問題ではない。

 本当にヤバイのは――



 私と反対側のドア際に、もう一人の押しボタン係がいる時だ!!!



 こうなった時の心理戦ほど、不得手なものはない。

 だいたいの場合、私は負ける。ボタン押し競争に。

 目的階に到着すると同時に、先に悠々と器用にするりと「開」ボタンを押され、操作権限と押しボタン係としての立場を奪われる。

 その後から慌てて「開」ボタンを押したところで、時すでに遅し。

 ドア際にいるのにお前何やってんの?という視線が、一斉に私に降りそそぐ。気がする。

 もう一人のボタン係と目的階が同じだったら、もう最悪である。

 慣れた手つきで器用に人を降ろした後で、相手はにっこりとこちらに微笑み、『お先にどうぞ♪』のジェスチャーをするのだ。

 その時、互いに「開」ボタンを押したまま固まっていたら、最悪の最悪である。そのまま睨み合いが続けば、私は勿論他の人も遅刻してしまう。

 敗者たる私は、すごすごと一礼しながらエレベーターを降りる――

 そういう瞬間に、クスクスとエレベーター内から笑い声がしたことさえある。

 あれほどの屈辱はない。



 朝から巻き起こるこの戦いに勝つべく。

 私はネットでかるたや百人一首、早押しクイズを何度も練習した。

 勿論、反射神経を鍛えに鍛える為だ。

 だが、それでも勝てない。

 何度やっても、私はボタン押しの相手に勝てない。

 何故だ。私が派遣で相手が正社員だからか。

 どうやっても、派遣は正社員に勝てないというのか!!



 私は特訓した。

 血の滲むような努力の末、オンラインの百人一首でもかるたでも早押しクイズでもだるまさんころんだでもルドーでもア×ングアスでも、な〇うでもカ△ヨムでもア×ファポリスでも、世界一位に輝いた。

 つまり、私の瞬発力も反応速度も世界一。

 だがそれでもなお、毎朝の戦いに勝てない。

 世界に勝てても、何故か、ボタン押しの相手に勝てない!!



 ――そう、勝てない。

 世界の頂点に立ったところで、ボタン押し競争には絶対に勝てない。

 ならば、もっと頭を使おう。



 ――勝てない戦は、しなければいいだけの話だ!



 勝てない戦なのに、無理矢理前線に出てしまうのが悪いのである。

 そう、押しボタン係にならなければいいだけの話だ。






 そしてまた朝が来て。

 私は大勢の人々と共に、またしても戦場に――エレベーター前に立っていた。

 ――両拳と共に、決意を固める。

 今日こそは。今日こそは私、絶対に押しボタン係になんぞならない。


 人の流れを慎重に見極める。

 落ち着け、頭を使うんだ。

 いつもの私は最後尾からゆっくり乗り込んでしまいがちな為、必然的に位置がドア付近になってしまう。

 ならば、人の流れの真ん中あたりにいればいい。

 先頭はさすがに無理だ。並み居る正社員の中で派遣が先にエレベーターに乗り込むというのもおかしい。

 だから真ん中。決して最後尾は取るな!



 そんな初手が功を奏したのか。

 私は無事、ドア際から少し奥の壁際に陣取ることが出来た。

 しかし他の人間も壁際に寄るように、つまりドア際を避けるようにして乗り込み、早速スマホを弄り始めている。

 畜生、貴様らそんなにドア際が嫌か。毎朝あれだけの屈辱を私に味わわせておいて。

 人を勝てない戦に無理矢理放り込んでおいて、自分は呑気に安全圏でスマホゲーたぁいい度胸だ。

 ドア際の位置は未だ両サイド共、ぽかりと空いたまま。

 だが、まだドアが自動で閉まるまでは数秒ある。まだ人は乗り込んでくるはずだ――


 そう思いながら待っていると、やがてだだだと音を立てて、ぽっちゃり気味の男性社員が汗を拭きながら走り込んできた。

 よし。この流れならこの男性社員が、ドア係になるはず。なってくれるはず。


 ――そう思った瞬間、俄かには信じがたい言葉が、その男性社員の口から漏れた。



「お、奥へぇ、行かせてくださぁ~~い」



 脂ぎった巨体から汗を撒き散らしながら、当然のように人をかき分けて奥へ行くクソデ……もとい、ぽっちゃり男性社員。

 他の人間がその体臭に圧されて慌てて避けるのをいいことに、そいつはポチっと行先階のボタンを押すと、ここがボクちんの特等席♪とばかりに、エレベーターの一番奥の壁に陣取った。


 直後に自動で閉まりだす扉。まずい、まだ人が乗ってくるのに――!

 そう思った時には、世界一の反応速度を誇る私の指は既に、「開」ボタンを押してしまっていた。



 ……あぁ。

 またしても、私は――ボタン押し係になってしまった。

 慎重に慎重を重ねて積み上げてきた私の知略が、まさかこんな脂身に覆されるとは――!!



 私は殺意の視線を向ける。勿論、私を再び勝てない戦へと強引に放り込んだ元凶、このクソデ……ぽっちゃり男性社員へと。

 しかしこのデ……ぽっちゃり君は周囲の視線などなんのその、もうスマホゲーを始めていた。しかも結構な音量で。

 こ奴が押した行き先階のボタンは13階。

 かの悪名高い、IT部門の階だ。



 この会社のIT部門、全社的にすこぶる評判が悪い。

 社内イントラは1週間に一度はダウンして当たり前だわ、

 入力システムなどの改善要望は一向に通らないわ、

 超絶繁忙期だろうと全くお構いなしにシステム全部を強制メンテに突入させるわ。

 決算書で「100円」とあるはずの部分がシステム上では「10円」となっていたので直してほしいと頼んだら、わけのわからないコード表を散々書かされ、何とか出したら3日後に何故か1000円に跳ね上がって帰ってきたなんてこともある。

 文句言ったら「出されたコードの通りにしただけ」の一点張り。

 とにかく融通がきかない。こちらの要望が、伝わらない。

 それでいて、他の部署の社員より明らかに態度が横柄。

 今までの会社のIT部門はそんなことなかったのに。

 ――多分、こういうアブラギッシュが幅を利かせているせいなんだろう。



 この脂身と、それを困ったようにちらちら見ている社員さんたちを横目で眺めながら、思った――

 よし。私の使命は一つだ。

 人を勝てない戦に放り込んだからには、相応の報いを受けさせてやるよ。



 そしてエレベーターは13階へ到着。

 と、脂肪分は汗をふきふき、人を無理矢理かきわけかきわけ、出ていこうとする。

 貴様一人を降ろす為に数人が降りねばならないなどということは一切考慮していないようなご様子。

 その巨大な腹が、ちょうどエレベーターの扉から外へはみだした、その瞬間。



 今だ!

 私は世界最高の反応速度をもって、「閉」ボタンを押す。

 この速さなら、誰も気づかない。恐らく周囲の人間は誰しも、あまりにこの脂が遅すぎてドアが自動で閉まり始めたと思うだろう。

 そして当然、



「ふわぁ!

 う、うぅ~!!」



 見事にそのアブラギッシュは、閉まりゆくドアに挟みこまれることになった。

 巨体に似合わぬか細い情けない悲鳴が響く中、私は心中で雄叫びを上げる。

 しかしすぐに「開」ボタンを押すのも忘れない。

 私の速さだ。まず周囲には気づかれない。

 勿論、


「あ、すいませぇ~ん♪」


 と慌てたように付け足すのも忘れない。


 にっこり笑って謝る私を、脂身はじっとりとした視線で睨みつけ。

 そのまま無言でエレベーターから去っていった。



 ふぅ。

 あの肥満体が去った後のエレベーターは、非常に空気が軽く思えた。

 周囲の社員も、どこかほっとしたような表情。

 そして、反対側のドア際を見ると――


 いつの間にかそこには、もう一人のボタン押し係が立っていた。

 いつもなら、私の果てなき闘争の相手。永遠のライバル。

 特定の相手がいるわけではない。だが、そこに立った者の全てに、私は負けてきた。

 でも――


 今、そこに立っている女性社員は、微笑みながら私を見ている。

 彼女は何も言わなかったが――私は確信出来た。

 あぁ。私、彼女に褒められている。称賛されている。

 よくやってくれた。その笑顔は、確実にそう言っていた。



 勝った――私は確信した。

 心理戦では負けたかも知れない。知略でも負けたかも知れない。

 だが――今日この時、私は勝った。

 何に勝ったのかは知らない。だが、私は勝った!!



 そしてエレベーターは目的階に到着する。

 どうやら彼女も、私と降りる階が一緒らしい。

 どやどやと降りていく社員たち。

 そして彼女は当然のように、「開」ボタンを神速で押しながら、私に合図した。

 ――「お先にどうぞ」



 それはいつもならば屈辱の、敗北の言葉。

 でも、今の私は全然平気。だって今日、私は勝ったんだから。

「はい、ありがとうございます!」


 私はそう元気に挨拶して、エレベーターを後にした。


 Fin



※全国のIT部門の皆様、および肥満でお悩みの方々には改めてお詫び申し上げます。

決して、あらゆる企業のIT部門や肥満の方々がこうだと言いたいわけではありませんのでよろしくお願いいたします。


※当然ですが、故意にエレベーターで人を挟んではいけません。

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