開拓の夜<森の隣人たち>


 もう死ぬのかもしれない。

 男たちはけだるい体を引きずりながら、何度も何度も過ったその言葉を打ち消す気力さえ失っていた。


 宿にと決めた場所に荷を下ろし、少し離れたところの森から、薪を拾い、たき火を焚く。ほとんど底を尽きかけた食料を分け合って、全員が疲れた顔を突き合わせて座り込んでいた。

 開拓のための旅団からはぐれた彼らは、本隊に戻ろうと必死に北を目指して歩き続けた。

 けれども、目指す本隊は見つからない。


 もうだめだ。


 誰も口にはしなかったが、全員が最後を悟りつつあった。一番幼い子供は乳飲み子だったが、もう泣き声もほとんど上げず、人形のように若い母親の腕の中に納まるだけだ。

 二家族、総勢十六名。半分が子供だったが、もう死ぬしかないのかもしれない。


 お腹がすいた、そう子供たちは口にすることはなくなった。


 たき火を囲んでいても誰も口を開かなかった。

 体が鉛のように思い。じりじりと忍び寄る夜の気配に、ゆっくりと瞼が落ちていく。 


 ああ、もう、このまま眠ってしまおうか、甘美な誘惑に身を任せようとした途端、ふっと風が吹き、全身が冷たい空気に包まれた。


 ぞっと背中が粟立ち、弾かれたように顔を上げると、先ほどまで問題なく燃えていたたき火が消えている。

 真の暗闇に包まれて、夜目も聞かず、だが、あれほどまでに疲れ切っていた全員が、小さな悲鳴を上げて身じろぎした。


 ―――何かが、いる。

 それを感じる。

 闇の中、先ほどまでたき火があったそこに、何かがいる。


 闇に包まれていたのは、ほんの一瞬の間だった。


 また、消えたときと同じように唐突に、ぼうっと火が灯ったのだ。

 赤々とした暖かな炎の横には、まさにちょこんという様子がぴったりに、小さな老爺が座って薪をくべていた。


「―――……全く、たき火の仕方もなっとらん」


 怒ったような小言を漏らしながら、手にした鉤で木々をいじると、ごうっと大人の背丈ほども火が立ち上る。


「おじいさんだれ?」


 そう尋ねたのは、五つになったばかりの少年だった。老爺はようやくこちらを振り向き、ぐるりと全員を見渡した。


「お前らこそ誰ぞ」

「あ、え……、」

「礼儀が少しは分かっとろうが、主が助けてやれというが来ただが、お前らみたいなもんは好かん」


 子供ほどの体躯でありながら、しわが深く刻まれた老爺は、ぶつぶつと続けている。

 主。

 呆気に取られて誰も口を開くことは出来なかった。


「食事はしたがか」


 老爺の問いへの返事は、子供の腹の音が何よりも雄弁に語った。

 老爺は「子供がかつえとるがか」とため息をついて、鉤をたき火に突き立てて、森の方へウサギのように跳ねて飛んで行った ぽーんぽーんと小さな体が飛ぶ姿に、大人たちはそぞろに立ち上がる。


 逃げようと荷物を手早くまとめ始める。

 人ではないものが出た。それが害意を向ける前に逃げる。

 それが大人たちの意識を駆り立てていた。あれだけけだるい空気に満ちていた集団が、一気に色を変える。

 だが、逃げることは出来なかった。


 子供たちを立たせようとした頃、森から何かが飛んできたのだ。

 女たちが悲鳴を上げる。

 それは、まっすぐとたき火に落ちてきた。

 たき火は火柱のように燃え上がり、周囲を真っ赤に照らす。


「わぁ!」


 その光景に子供たちは興奮した声を上げた。

 老爺が森からまた飛んで戻り、突き立てた鉤でひっくり返した。瞬きする間だった。


 あっという間に、全員の前に大きな木の葉の上に、よく焼けたイノシシの肉と、木の実、果実が盛られている。

 老爺は鉤をふるって、くぐもった声で笑っていた。



「―――逃げるのは夜が明けてからにしろ。主の機嫌を損ねるでな」



 主。

 老爺がそう口にするたびに、背後の森が、まるで笑うように揺れていた。





 結局、彼らはどこにも行くことはなかった。

 彼らは老爺や昼間に現れた美しい女性たちの手を借りて、その場に村を拓いた。

 その隣人たちは森から現れ、森に戻る。様々な知恵を授け、畑や家畜も隣人たちから祝いとして贈られた。厳しい冬も、隣人たちの知恵と手助けで、とても幸福に切り抜けた。


 主は姿を見せることはなかったものの、子供たちは森で遊ぶと時折主を見ることがあると話していた。

 中でも老爺は面倒見がよく、小言ももらしたが、村人に愛された。


 そうして冬を越し、短い春が駆け抜けた。

 隣人たちは「夏至の祭りだ」と彼らの祭りを教えてくれた。

 普段は恥ずかしがって姿を見せない隣人たちも、その日ばかりは降りてきた。

 村人は歓迎するために、大きな火柱を立て、広場を花々で飾った。しかめっ面しかみせなかった老爺も酒を飲み、赤ら顔で仲間の小人と火柱の周りを跳ねている。

 隣人たちは楽しそうに歌い、笑い、火柱の周りをぐるぐると踊る。

 はじめは村人も混ざっていたが、半時も経つころにはへとへとで、夜になればなるほど精力的に踊る隣人たちが、やはり人ではないものだと痛感していた。

 主はやはり現れなかったが、村人は森を見つめていた。

 祭を見守るように、やはり森は穏やかにこずえを揺らし、その音はさながら歌のようだった。

 


 この村は森の恩恵を受けて、脈々と続いていく。

 森へ深く立ち入ることは、今でも村の掟で固く禁じられる。

 生活が安定し、隣人たちが姿を見せなくなり、隣人を知る村人は減ったが、夜通し火柱を立て踊り明かす、夏至の祭りは守られた。


 そして、女たちは家の中に小さな老爺が入り込み、竈の火をいじるのだといつでも噂していた。

 それも決まって、火が消えそうな竈の火をいじるのだという。

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魔物語 森きいこ @morikiiko

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