第3話 「ウサギとカメ」
涼は、ふとスマホを見ると、時刻は19時55分と表示されていた。
机には、ほぼ初瀬と勝正が飲んだ缶ビールが散乱していた。
「初瀬ちゃん、もう一本いこうよぉ」
勝正は大分酔っぱらってそう言うと、初瀬は、また今度ね、と笑って答えた。
「初瀬さん、お酒強いんですね」
斎藤が初瀬にそう言うと、初瀬は、まぁね、と言って、手に持った缶ビールの最後の残りをまたグッと飲んだ。
「初瀬さん、俺ら3人の陣形で良かったんですか?」
「こうする、しかなかったよね」
ふと涼は依田を見ると、依田はウトウトしながら、もう眠っているような様子だった。
「本当は依田を家からどうにかして追い出して、坂上さんとも協力して、依田の家の前でKUJIRAを待つって作戦でしたよね?」
「いやぁ、だって神野君、中々出てこないんだもん」
また、初瀬は依田を見てから、無理に彼を追い出しても怪しいからね、と続けた。
そうして初瀬は、スマホを見た。
涼も、そのタイミングでスマホを見た。
「2022年 11月10日 20時00分」
ピンポーン
その時インターフォンが大きく鳴った。
「ピザラビットでーす、お届けものでーす」
ドア先から男の低い声が聞こえた。
初瀬が立ち上がってインターフォンを確認する。
涼と斎藤も、続くように駆け寄った。
斎藤は画面を見て、ヒィっと短い悲鳴を上げた。
「なんだ…これ…」
涼はそう呟いて、また画面をジッと見つめた。
ドアの前には、ウサギがいた。
「ピザラビットでーす、お届けものでーす」
初瀬が斎藤と涼を見た。
斎藤の顔がこわばっているのを見た初瀬は、大丈夫だよ、と笑った。
インターフォン越しのウサギは、テーマパークにいるような、不気味な愉快感がする着ぐるみを被った人間だった。
初瀬は息を整えた。
「あれぇ?頼んでませんけど」
「あ、住所間違えましたかね」
その瞬間、ドンっとドアが蹴破られた音が響いた。
「やっぱりここでしたわ」
ウサギはスーツの恰好をして、玄関前に立っていた。
「ん?今日はお一人様って聞いたんだけど」
「あなた、KUJIRA?」
初瀬の問いかけをウサギはそれを無視するように、何か一人事を言っていた。
「…ターゲットの後に全員始末すりゃいっか」
スンっと一瞬、沈黙が流れた。
「神野君!」
初瀬がその沈黙を破って、涼に発破をかけた。
涼はハッとして、そのままポケットに忍ばせていた拳銃型スタンガンでウサギを打った。
ウサギは、それをゆらっと交わして、ハハッと笑った。
「ぴょん!」
ウサギはそう大きく言って、うさぎのマネの遊戯をするようなポーズで、2回手招きした。
その瞬間、涼の身体の動きが遅くなった。
一つ一つの動作が、身体の動作が、物理的な早さで動かない。
斎藤、初瀬も、同じようになって、全部が遅れて動いていた。
「なんだ、これ…」
ウサギは、通常の早さで歩いて涼に近づいてき、そのまま涼を殴った。
「グっ」
ふと、初瀬もそのスタンガンでウサギを打った。
ウサギはそれをまた交わして、初瀬の手にあったスタンガンを上に蹴り飛ばした。
「うわあああ、なんだ、なんだよこれえええ」
パッと目を覚ました依田が、また絶叫する。
ウサギはそれを無視して、涼を殴り続けた。
「おい、なんでお前ら、武器持ってるの?」
ウサギは少し驚いた様子だった。
「てかあんた、うさぎと亀って知ってる?」
「グっ」
「神野君!!」
「あれすげえ残酷だよね。あれから俺ノロい奴大っ嫌いなんだよ」
そう言ったウサギは、また涼を殴り続けた。
涼は何度も殴られて、口からずっと血を吐き続けた。
「涼…?」
依田は、そのまま震えながら、この状況を飲み込めずに、ただそれを見ていた。
涼は、そのまま意識が飛びそうにまでなった。
その瞬間、玄関の先からドタドタドタっと勢いよくこちらに駆けてくる足音がした。
ウサギがフッと振り返る頃には、その着ぐるみから、少し出ている首筋に太いロープがかけられていた。
「最悪…油断したぁ」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
坂上は、絶叫しながらロープを思いっきり引っ張っり続けた。
ウサギは、首筋に張られたロープをはがそうと必死になってもがく。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
そして、ウサギはついに動かなくなった。
その瞬間、急に身体がまた自由に動くようになった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
坂上は、身体で息をしながらずっとウサギを見ていた。
初瀬はサッとウサギの身体に触れ、その心臓の部分に自身の耳を当てた。
「死んでる」
初瀬はそう言って、またスッと離れた。
「こいつが、KUJIRAなのか?」
坂上は、まだ息が荒いまま初瀬を見た。
初瀬は少し黙って、わからない、とだけ返した。
斎藤はずっと怖気づいてる様子で、今にも泣きだしそうな表情だった。
初瀬が斎藤の元にいって、彼女を抱き寄せると、斎藤は、初瀬の胸で静かに泣いた。
依田は、もう気を失ったのか、倒れていた。
「ん?あれ?おい!」
急に、坂上は慌てた様子でそう言って、ウサギを指差した。
ウサギが、段々と半透明になっていた。
「なんだ…これ」
坂上がウサギの身体を触っても、実質的に坂上のその手が、ウサギの身体を通り抜けていた。
初瀬は斎藤を胸に抱いたまま、その様子を見ていた。
そうして、ウサギの着ぐるみ部分だけが残って、あとは全部消えてしまった。
「なんだったんだよ」
坂上はこの現象に頭が追いついていないみたいで、ただそう呟いた。
初瀬は、残ったウサギの着ぐるみをジッと見ていた。
「KUJIRAは、多分こいつじゃない」
初瀬はそう言って坂上を見た。
「こいつじゃないって、なんだよ」
坂上は慌てて返した。
「多分、こういうの、の組織の可能性がある」
坂上は、は?と初瀬に突っかかるように発した。
「神野君、あいつ、変な力みたいの使ったよね」
「はい…」
「あれがどういう現象なのか全く理解できないし、わからないけど、だからこそ政府までもが隠してる、と思うんだ」
初瀬はそう言って、ウサギの着ぐるみを指差した。
「神野君、それ被って、ぴょんってやってみて」
「…は?」
「力、使えるかもしれない」
初瀬は真剣なのか、ふざけているのかわからない調子でそう言った。
「え、まじですか?」
「まじ」
涼は、躊躇しながらウサギの着ぐるみを被った。
着ぐるみの内部は、クッションみたいな質感で、何の変哲もないものだった。
目の部分が透明なレース生地みたいで、外の様子がしっかりと見えた。
「これで、言えばいいんですか?」
「うん、お願い」
初瀬がそう言ったから、涼は躊躇いがちに、ぴょん、と言って、先程見た、うさぎのマネの遊戯をするような手招きを2回してみた。
「え?」
涼の回りの景色が、明らかにスローになっていた。
坂上がふと、顔を背けたその様子や、斎藤が初瀬の胸に顔を埋め直すその様子が、いつもより確実に遅く、その物理法則がおかしいと感じるぐらいだった。
初瀬が、ふとテーブルの缶ビールの一つを上に投げようとしているのがわかった。
缶ビールが上にゆく速度は、この世の物理的な速度ではなく、明らかに遅くなっていた。
涼は、思わず、着ぐるみをパッと脱いだ。
その瞬間、缶ビールが床に、パンッとすぐに落ちた。
涼は、額に汗をかきながら、ただ初瀬を見つめた。
初瀬は、少し笑って、そういうことみたいだね、と言った。
「なんだ、何なんだ、これ」
斎藤は、その様子を泣いているばかりであまり見ていなかったが、そう言った坂上は明らかに焦った顔だった。
「なにが起こってるんだ」
涼がそう呟くと、初瀬は、まだわからないけど、と前置きした上で、涼と坂上をジッと見た。
「この力、私達がKUJIRAを追いつめるには使えるかもしれないね」
「どうやってだよ」
「うーん、まだそれはなんともいえない。ただ今後KUJIRAがこういう力を使ってくるかもしれない」
坂上は、いや待てよ、と言いかけたところを初瀬は、制するようにした。
「坂上、ここで色々言い合っても、今は仕方ないよ。とりあえず一回話合って、それから次の被害者の場所に向かうとしても、今日は一旦ここを掃除してからにしよう」
涼は、ふと外を見た。
イチョウ並木の前にある街路灯の光が、チカチカした後、すぐにパッとついた。
KUJIRA 夏場 @ito18
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