前線の陽炎
雨宮羽音
前線の陽炎
そこは戦争の最前線に近い街だった。
そして僕は兵隊。なんの階級も持たない、ただの一兵卒だ。
今は停戦中であるが、辺りに広がる崩れた街の有様は酷く痛々しい。道にはコンクリートの破片が散乱し、スクラップと化した車両や、動かなくなった人々が鎮座している。
すでに終わってしまった場所──。そんな寂とした空気が砂塵と共に漂っていたが、それでもこの街は生きていた。
戦争が始まるよりも前から住んでいる人々にとっては、この場所が故郷であり、そして彼らには他に行くあても無いのだ。
人間は案外、逞しい。どうすることも出来ない現状を嘆くより、今何が出来るのかを考え、人々は当たり前のように日常生活を送っている。
こんな惨憺たる場所でも、人は寄り添うことで笑顔を作り出す事が出来るのだ。
「なあ兄ちゃん! いつもみたいに遊んでくれよぉ!」
少年のせがむ声が響く。
街の大通りに立っている僕は、たくさんの子供達に遠巻きに囲まれていた。みんな身寄りの無い子供ばかりだ。
「また面白いお話聞かせてよ! 僕、こないだのヒーローの話の続きが聞きたいよ!」
別の男の子が声を上げると、子供達はこぞって「そーだ、そーだ!」と騒ぎ出す。彼らの遊び相手をしてやるのが、僕の休憩中の日課になっていた。
しかし、今はそうしてあげられる状況では無いのだ。
僕は右手の時計を確認する。あとどれくらいこうしていられるのだろうか。
「ごめん。僕達はもう行かないといけないんだ」
そう言った言葉に対し、子供達は反抗する訳でもなく、ただジッと眉をひそめて睨みの視線を放っていた。
そのうち、一人の少年が悔しそうに口を開く。
「ずるいよ……そいつだけ一緒だなんてさ」
瞬間、僕の左手を強く握る小さな手があった。
栗色の髪をした男の子が、僕の足に抱き着く様にして半身を隠していた。
「連れてくなら僕にしてよ!」
「いいや、僕だね!」
「なんだとぉ!?」
子供達の言い争いは次第に熱が入り、収拾のつかない状況になっていった。
「こら! 喧嘩はやめないか!!」
思わず大声を出してしまったが、騒ぎ立てる子供達は聞く耳を持たない。
どうしたものかとあぐねいていると、そのうち一人の少年が泣き始めてしまった。
「……うぅ……寂しいよぉ」
その泣きじゃくる声で、子供達の争いは次第に収まり、感情が伝播して次々に涙をこぼす。
「すまない……僕も君達との別れは寂しいよ……」
「なんだよ……ちくしょう……」
吐き捨てる様にしてその場を走り去ったのは、最初に声を上げた少年だった。それを皮切りに、子供達は一人、また一人と街の中へ消えていく。
そうして最後に残ったのは、汚れたヌイグルミを抱えた女の子だった。
彼女はしばらくそのまま佇み、大きな雫を瞳から流して言った。
「お兄ちゃん……私達を守ってくれて、ありがとぉ……」
真っ直ぐな視線は僕を見てはいない。
その目が捉えていたのは、傍に倒れている動かなくなった僕だった。そしてその腕の中には、栗色の髪をした男の子を抱きしめている。
停戦になったのはほんの数日前。最後の戦闘が行われたのは、民間人が残っているこの街だった。
夜の闇に紛れての空襲。降り注ぐ爆撃と機銃の雨から、僕は真っ先に子供達を逃そうとしたのだ。
しかし、最後に一人だけ助ける事が出来なかった。
背中から銃撃を受け、貫通した弾丸は腕の中の命までも奪った。
女の子は持ったヌイグルミを倒れた僕達のそばにそっと置いて立ち去った。
動かなくなった僕を眺めていると、苦い思いが込み上げてくる。傍の少年を助けられなかった事への罪悪感で今にも潰れてしまいそうだった。
「ごめん……ごめんな……僕は兵隊なのに……僕が守ってやらなきゃいけなかったのに……」
「お兄ちゃん、どうして泣いてるの?」
「え……?」
少年の明るい声に、僕は困惑を隠せなかった。
「お兄ちゃんと一緒に、お出かけできるんでしょう? ここじゃないどこかに、僕の行ったことの無い場所に……」
あまりにあどけなく、一切の不安も無い言葉は、しかしそこで揺らいだ。
「もしかして、そこにもせんそうがあるの……?」
僕は気づいた。この子は自らの死を理解するには幼過ぎたのだ。純粋で澄んだ瞳には、どこか希望に満ちた光さえある。
その光を、僕はまだ守ることができるんだ。
「……無いよ。もう怖いことは何にも無い。それに……ずっと一緒だ」
「ほんとう!? お兄ちゃんを独り占めしていいの?」
「ああ、好きなだけ遊んであげられるよ」
助けてあげられた子供達の未来は守れた。その先は志を同じくした仲間達に任せよう。
なので、僕が今この子と交わした約束を守ることに専念するのを、どうか許して欲しい。
嘆くより、今出来ることをするのが人間だ。
この子が笑顔でいられるように寄り添う。それが今の僕に出来ることだから。
「さあ、そろそろ行こうか──」
前線の陽炎・完
前線の陽炎 雨宮羽音 @HaotoAmamiya
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