ブラッド・クリスマス

束白心吏

ブラッド・クリスマス

 改札を抜けると、余りの人の多さにむせそうになった。

 年末の休日であるからか、はたまた世界的に有名な聖人の生誕日であるからか、日本最大と表しても過言ではない人口密集率を誇る大きな駅はいつも以上に多くの人が行き交う。しかしながら

 辺りを歩く人は誰もが嫌そうにこちらに視線を向けては通り過ぎ、またわざわざ避けるようにして謂れのない非難の目を浴びせながら追い抜いていく。そんなヒト達にうんざりしながら辺りを見回していると、視界の端の駅の壁際で雪よりも白い長い髪を持つ同年代の少女を見つけた。

 僕は彼女に近づいていく。

 俯いていた彼女――すずは僕の視線に気づいてか、はたまた別の何かを感じてか顔を上げ、僕を認識すると小走りに近づいて来た。


「お待たせ。ごめん、少し遅れた」

「ううん。私が待ちきれなかっただけだから」


 そう言って鈴は分厚いコートの袖口から乳白色の左手を出して僕の右手を強引めに握る。

 冷たい。しかしそれが長時間外にいたことからくる冷たさなのか、冷え性な彼女の元来の冷たさなのかはわからない。聞いても教えてくれないだろう。


「首元、寒くない?」

「大丈夫――クチュ!」


 大丈夫だよ、と言いたかったのだろうか。しかし言い切る前に鈴は小さなくしゃみをする。イヤーマフラーまでして防寒対策をしっかりしているけれど、やはり首元が無防備だと寒いものなのだろう。

 僕はつけていた黒いマフラーを外し鈴の首に巻き付ける。彼女は驚きで目を見開いていたけど、何をされたか認識すると、花が咲かんばかりの笑顔でお礼を口にした。その表情と言葉を聞けただけでも急に外気に当てられて身震いしかけたのを我慢した甲斐があると思った。

 先程離してしまった冷たい手を今度は僕から握り、鈴と肩を並べて歩き出す。

 やはり周りにヒトっ子ひとり近づきやしない。しかし僕らの組み合わせは珍しく映るものなのか、非難するような視線よりも奇異な物を見る目が多くなった気がする。

 それらを気にしていると、繋がれた手に少しだけ力がいれられる。彼女の仕業だ。

 僕は謝罪の意として握り返す。そこから言葉を交わすことなく6分ほど歩き、とあるマンションの中に入る。

 一階エントランスに常駐している警備員と僕の入室手続きしている鈴の横顔を眺めながら思う。生まれた時からここに住んでいれば嫌でも慣れるんだろうなぁ、なんてことを。

 徒然を紛らわしている間に手続きは終わり、ゲスト用のセキュリティカードが渡される。いつものように数分に渡る説明を警備のヒトから聞いてエレベーターに乗り、鈴の住む高層階まで向かう。

 会話はない。だからと言って険悪な雰囲気でもなければ、気まずさのある雰囲気でもない。鈴から滲み出ている雰囲気は浮かれているようなものだし、きっと僕もそうだ。端から見る者は僕らを聖夜を過ごす恋人の模範として当てはめるだろう。実態は逆なのに。

 エレベーターに乗ること数十秒。そこから少し歩いたところが鈴の家だ。


「お邪魔します」

「お邪魔されます♪」


 非常に上機嫌な返答。先に家に入った鈴は素早く靴を脱いで、あたかも「扉の前で待ってました」と言わんばかりの様子。

 僕が入って扉が閉まると、小さな音で鍵が閉まる音がした。その音を聞いた時、一足先に靴を脱いで歓迎のポーズをとっていた鈴の笑顔が蠱惑的に見えて、一瞬見惚れた。

 左肩にかけていた大きめな鞄が落ちかけたところで我に返った僕は、持っていた鞄を持ち直し、振り返って屈み、脱いだ靴を揃える。

 すると鈴は後ろから僕に抱き着いてきて、ヒトより発達した二本の鋭く尖った犬歯を僕の首筋に当てる。薄皮一枚くらいなら破ったのではないだろうか。そんな小さな痛みを感じると共に、熱を帯びた浅めの息が首にかかる。


「鈴……?」

「大丈夫。

「……」


 そのまま鈴は気のすむまで僕に抱き着いていた。僕も彼女を抱きしめたいのだけど、態勢と以前の教訓がそれを拒む。


「……ねえ憂人ゆうとくん。吸血鬼にならない?」


 暫くして、身体を離した鈴はそんなことを言う。


「駄目だよ。そんなことを軽々しく言っちゃいけない」

「軽い気持ちでこんなこと言えないよ」


 その口調は普段聞くことのない、至って真面目なものだ。

 鈴に考えなしに言ってるのではないと明言されて、僕は先ほど少し乱された襟元を整える。


「憂人くんはヒトでしょ?」

「うん」

「だけど青色の目をしてる」

「うん」


 そこで一度、鈴は言葉を区切る。

 青い目──僕らの生活する社会では、虹彩。

 古来よりヒトは青目を恐れて生きてきた。死者の色、幽霊の色、化物の証など、散々な言われ方は今でもされている。無論、逆にそれを信仰する地域もあるけれど、少なくとも僕の生きる社会のヒト達は青目を恐れて生きている。


「今日だって、青目だからって、部屋を追い出されたんでしょ?」

「……うん」


 先程鈴が抱き着いた際に邪魔だろうと置いておいた鞄に鈴は目線を向ける。

 中身は僕の着替えと最低限の生活必需品。僕は今日から七草の節句までの間、鈴とそのご家族の温情で、鈴の家で過ごせることとなった。


「憂人くんは嫌じゃないの? 青目というだけで不条理に排斥されて」

「……」


 僕は無言で鈴の言葉の続きを待つ。


「私は耐えられない……」

「僕は大丈夫だよ」

「口ではなんとでも言えるでしょ!」


 鈴は血のように真っ赤な双眸で僕を真っ直ぐに見つめる。

 冗談は言うな……言外にそう言われている気がしたけど、実際に大丈夫なものは大丈夫なのだ。


「今の僕には鈴がいる。少なくとも、同じ痛みを知っている人がいるんだ。理不尽な排他だって、苦にならないよ」


 彼女の目を真正面から見返し言う。

 鈴は僕の言葉に対し「憂人くんは変わったね」と言った。「そうかな?」と返せば、昔を懐かしむように目を閉じて口を開いた。


「出会った頃の憂人君は……新月のようなヒトだった。

 誰からも光を当てられない、よく目を凝らさなければ見えないヒトだった」

「僕が月なら、鈴は太陽なのかな?」

「私は吸血鬼だよ」


 冗談交じりの言葉に間髪入れずに鈴は答えて続ける。


「吸血鬼は目が良いの。夜目がよく利くのよ。

 だから私には新月がよぉく見えたの」


 鈴はそれ以上細かく伝える気がないのか、それともそれ以上の言葉を使わなくても伝わると知ってるが故か、語らず血のように赤い目を開く。


「そろそろ、玄関にいるのも寒くなってきたね」


 そう言って鈴は暗い廊下の奥に歩いていく。

 僕も数歩後をついていき同じ部屋、記憶違いでなければ居間に当たる部屋に入る。

 廊下の暗さと対照的な明かりの奔流に視界は暫く機能を果たせなくなる。それでも我が家のように通い慣れた場所。見えない間もソファーの端に荷物を置いてコートを脱ぐなどの動作を行っていると、「コーヒー淹れるね」という声。手伝うか聞くと「大丈夫」と簡単な返事。

 手持ち無沙汰になった僕は、回復した視界のなかで台所に近い位置にあるダイニングテーブルに移動する。微かにコーヒー特有の香りが鼻孔を擽る中、改めてここは居心地いいなと感じながら目を閉じた。

 次に目を開けたのはコーヒーがテーブルに二つ分置かれた音をしたときだった。

 眠ってしまったことに驚きながらも、僕はもう一つの驚きを鈴に指摘した。


「今日は隣じゃないんだね」

「だって、隣に座ったら我慢できそうにないんだもん」


 珍しく対面するように座った鈴は一口コーヒーを飲む。僕もそれに倣って一口だけ流し込むと、一拍早くカップをソーサーに置いた鈴が口を開いた。


「……今の貴方は、満月よ」

「なら、鈴は僕を照らす太陽かな」

「私は吸血鬼よ」


 一度僕の目を見てそう言って、もう一度、顔を僕の胸元に埋めて呟くように反芻して続ける。


「憂人くんは私というバケモノの力の源、夜を照らす太陽なの。私を吸血鬼わたし足らしめる、私だけの望月ルナティック

「なら僕は、ヒトでいた方がいいんじゃないかな」

「……いじわる」

「あいた


 鈴は僕の左手を取って薬指の末節をその口に含む。

 ヒトより発達した八重歯が刺さり、痛い。されど血は出てないところを見ると、加減はされているのだろう。


「理由を教えて」

「?」

「ヒトでいたい、理由」

「……笑わないでよ?」


 僕は薬指を噛まれたまま、そう念押ししてから言葉を紡ぎはじめる。


「僕に両親がいないのは知ってるよね」

「幼い頃に死んじゃってるんだよね」

「うん。でも、物心ついてから数年は一緒に暮らしてたんだ」


 目を閉じれば昨日のことのように思い出せる。

 どこにでもある、普通の家庭。だけど僕が青目というだけで、隣近所との関係が断たれたというだけの、どこにでもあるだろう家庭だった。


「父さんと母さんは僕に優しかった」


 少なくとも、今ほど迫害されていたわけではない。

 寧ろそうした現実から隔離されていたと言ってもいいかもしれない。


「別に僕はヒトを見限ったわけじゃないんだ。確かに大多数は忌避する。だけど全員じゃない。僕を認めてくれる人は少なからずいたんだ」


 無論、そうした人は特殊なのだろう。だけどそうした人に巡り合えたからこそ、僕はまだヒトで在りたいと思っている。 


「でも憂人くんの生活は、もうバケモノに十二分といっていいほど毒されてる」

「うん。今吸血鬼になっても、すぐに生活に適応できるだろうね」


 比較的薄暗い明かりを心地よいと感じることもそうだし、一切カーテンの開くことのない部屋での生活も、もとよりメラニン色素が薄い関係で暗い部屋を好んでいたこともあり、すぐに適応できる範囲だと知っている。


「だけど、僕はまだヒトでいたい」


 確かに周りからの視線は痛い。しかし僕は思うのだ。親孝行とは、人としての生を、生まれ持った道を外れず全うすることだと。

 鈴と一生を共にするのなら、吸血鬼になるのも道だと思う。それはそれで親孝行になるだろうから受け入れるけど、まだ早いとも思っている。

 故に僕は鈴の誘いを断る。


「僕は吸血鬼にはならないよ」

「そう……」


 鈴は小さく呟きながら手を離す。唾液で濡れた薬指には鈴の八重歯の跡が残っていた。

 会話も切りがよく、暖房も効いてきて温かくなってきた部屋の中で、僕は活動を開始せんとコーヒーを一気に煽って立ち上がり――崩れ落ちた。

 幸い座り直し机にうつ伏せになるような形を取れた為痛みなどはなかったが、突然の状況に頭の中では大混乱を起こしていた。


「効いてきたんだね」

「……え?」


 鈴の口から出た言葉……それはこの状況は鈴が意図して作ったという強い証左であった。

 僕はどうにか首を動かして鈴に目を向ける。果たしてうまく睨むことが出来ているだろうかはわからないけど、心なしか鈴の表情が曇った気がした。

 鈴は横に立ったかと思えば、僕の身体を優しく動かして鈴にもたれかかるようにした。


「ゴメンね? 憂人くんが拒否しても、私は今日、憂人くんを吸血鬼にするって決めてたんだ」

「嘘、でしょ……」

「嘘じゃないよ」


 とても優しい声で鈴は言う。


「私は好きな人が理不尽に虐げられてることが耐えられない。それがお月様であっても……ううん。お月様だから、『バケモノモドキ』なんて呼ばれてることが許せないの。だって憂人くんは何も悪くないよ? 悪さなんて生まれて此の方したこともないんだよ? ただ青目で生まれただけなのにヒトから迫害されるのはおかしいよね?」


 心なしか耳朶に入る音には狂気が混じっているように思えた。


「やめ……ろ……」

「駄目。憂人くんにもう拒否権はないの」


 そう言って鈴は僕の首に腕を回す。間近で見つめ合う態勢の中で、彼女は三日月を思わせる妖艶な笑みを浮かべる。


「本当のバケモノとして、私と永遠を生きていきましょ?」


 意識が遠のく感覚の中で最後に見た鈴の姿は、魅惑的でかつ狂気的ルナティックな、吸血鬼であることを強く意識させるものだった。

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ブラッド・クリスマス 束白心吏 @ShiYu050766

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