忘却の果てのエデン 5
「何を馬鹿な?」
眉間にシワを寄せ、剣呑すぎる表情で李真が言う。
子供でなくともこの男の顔は怖い。と、26歳にもなった成人男性である佳大ケイタは思う。整ってるからこそ余計に。
「別にいいじゃないか? マティスだってそろそろ引退したいって言ってたし。部屋だっていくらでも空いてるよ」
広い大理石で出来たエントランスに置かれたカウチに、ゆったりと腰かけたままエールは目の前に立つ男に言う。
カティアとは途中で別れ、浜辺から表に周りエントランスに入ったところでエールを探していた李真に捕まった。
そして、先ほどの佳大の話をエールが切り出して今に至る。
「こんなどこの馬の骨か分からないヤツを側に置くと?」
「あぁ、そうだよ」
ニコニコと笑顔で答えるエールに、眉間のシワを更に深くした李真が一瞬カウチの横に所在なさげに立つ佳大に視線を向けたが、直ぐに視線を戻す。
「貴方を護る立場の私に言わせれば、それには反対です」
「うん、でも、彼が私に危害を与える者だったとしたら、この島には入れていないと思うんだよね」
「それはっ! ……そうですが」
しぶしぶ答えた男。
その李真の肯定に、佳大が不思議そうな顔をした気配を感じたのか、エールがちらりとこちらを見た。
「私に害を為そうとする者は、そもそもこの島にはたどり着けないんだよ。
だから本来なら私は傷付けられないし、殺されることもない。
――だよね、李真」
にこっと笑ったままエールはまた男に向き直り、当の男は、何故か急に硬い表現に変わった。
「と、言うことで。はい、決定! 話は終わり!」
エールはそう告げると立ち上がり佳大の腕を掴んだ。
「さぁ! 行こう。案内するよ」
そう言って佳大を引っ張り歩きだしたエール。そのまま李真の横を通り過ぎエントランスの奥にある、凝った欄干が施された同じく大理石で出来た階段へと向かう。
その間も、李真が何か言葉を発することはなかったが、通りすぎ様に見た男の顔は、理由は分からないが痛みを堪えるような、深く暗い顔をしていた。
「ここが食堂ね。後一時間もしたら夕食だから。適当に来たらいいよ」
建物内を案内しながらエールが佳大の前を行く。
先ほどのエントランスとは違い階段を登った先、今いる廊下も自分が寝かされていた部屋も、エールの私室でさえもとても質素だ。
逆にエントランスが華美なのか。
「一階だけ豪華なんだな?」
思ったことをそのまま尋ねれば、
「下の階は偉い立場の人を招く場所だからね。虚栄心を満たしてあげる為だけの場だよ」
振り向いたエールがどうでもいいとばかりに言う。
頭ひとつ分は低いその背、そこから見上げる翠の瞳に、尋ねたはずのことなど忘れて。
違うと分かっていても抱きしめたいと思う自分がいる。
悟られないようにふいと視線を反らして、
「そう言えば――」と、また別の話を振る。
「貴方の元の魂は男性だけど、今の体は女性…ってことは、――あっ……」
不躾な質問をしようとして、その体がサーシャの体であったことに気付き瞬時に複雑な心境になった。
言った本人であるはずなのに、佳大は思わず顔をしかめて。
「――ふっ、ふふ。あははは」
いそがしく変化した佳大の表情を正確に読み取って、エールは体を折って声をあげて笑った。
「ごめん、ごめん」と苦しそうに。
「君の大事な人の体に男がと思うかもしれないけど、私にはもう性別的な違いなどないよ。今までどれだけ繰り返されてきたと思ってるんだい」
エールはまだ笑いを完全に納められないまま言う。
「それに、前の体も女性だったからね。どちらかと言えば今の自分の心の中は女性よりかな?」
今度は違う笑みを口元に刻んで、白い指先を伸ばして佳大の頬に触れた。
「君は、本当に彼女を愛していたんだね。
そして、彼女サーシャも―――、」
咄嗟に、佳大は頬に触れる指を握った。
「記憶が――、残ってるのか…?」
―――彼女サーシャの……!?
急に手を握られて一度大きく目を開いたエールは、直ぐにその翠の瞳を細めて、
「……いや、そう思っただけだよ」
佳大の手をそっとほどいて言った。
「――ほら、ここが君の部屋だよ」と、開けられた扉の先は、見覚えのある佳大が寝かされていた部屋。
「あ、それから佳大でいいんだよね? 君の名前」
部屋の中、振り返り尋ねるエールに、先ほどから佳大は曖昧な返事ばかりを返す。
そんな佳大の態度に、エールはあきらめて大げさにため息をつくと、
「じゃあ、食事の時に他の人も紹介するから。また後でね、佳大」
そう言って部屋を出た。
正直色々疲れていた。今日の出来事が目まぐるしく回って。
佳大はベッドへとそのまま倒れ込む。
喜怒哀楽全ての感情が総動員された一日。さっきの件も含めて、考えることはまだ沢山あるけれど、今はただゆっくりと休みたい。
うつ伏せのまま目を瞑る。
眠る時、いつも目を瞑れば浮かんでくるのは、おぼろ気なサーシャの姿。今の自分ならはっきりとその姿を描くことは出来る。
でもそれは――。
暗いままの視界。その中に引きずり込まれるように、佳大はゆっくりと意識を手放した。
海の上の楽園 @notou
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