忘却の果てのエデン 4
その魂を受け継ぐことは知っていた。
けれど、元の、サーシャの魂が消し去られるとは思っていなかった。
今更――、泣きわめくことなどない。
そんなことをしたって意味がないことくらい承知している。
もう味わいたくないと思った。なのに2度目の喪失感。
1度目はそれでもまだ希望があった。その希望は無残にも2度目で打ち砕かれた。
気づけば、握りしめた拳に先ほどの白猫が頭を擦り付けている。慰めてくれているのだろうか?
手を伸ばそうとして、視界の中に白い裸足の爪先が見えた。
顔をあげれば、しゃがみこんだ彼女の、心配そうな翠の瞳と目があった。
「大丈夫かい?」
その顔も紡ぐ声もサーシャと同じなのに、発する言葉はどちらかというと男性的で。その魂は羊飼いの少年だったという。
「……やっぱり…、サーシャじゃないのか…?」
佳大の口から漏れた言葉に、サーシャではない、その人物はすまなそうな顔をして。
「もし、君に何か望むことがあれば……」
最後までは言わずに言葉を止める。
叶えることがその者の使命。それがこの島にたどり着けた者が与えられる特権。
なら――、
「サーシャ彼女を返してくれ。その体を…っ!」
張上げた声と共に、佳大の頬に一筋の滴がつたった。
ゆっくりと、伸ばされた白い指先。
それが涙をすくって、
「ごめん、それは出来ないんだ……ごめんね」
交わった視線。その瞳の中に自分の姿が映る。無様な男の姿が。
あれから10年も経ったというのに、結局自分は全然変わってないではないか……。
姿形でなく、その行動。16歳だった、涙と悔しさに拳を握ることしか出来なかった自分の。
「少し、一人にしてもらってもいいか…?」
「ここはエールの私室だが?」
不機嫌そうな李真リーヂェンの声がする。
サーシャ、いやエールがそれを遮って、
「どうぞ。気の済むまでいたらいいよ。
――ほら、李真行くよ!」
そう言って男の背を押し出ていった。
そして――、
一人になった部屋で自分の心と折り合いをつける。それだけ。
だがそれが一番難しいことだというのは知っている。
「………はぁ」
深くため息をついて、佳大は空を仰いだ。
胸の奥の痛みは消えてはないが、いつまでもこうしている訳にもいかない。
やっと立ち上がった佳大。どれくらいそうしていたのか? 部屋の中が赤く染まっている。
バルコニーは西に面していたのか、海に沈む夕日が見える。
手摺まで出てきた佳大は、その直ぐ下、浜辺を歩くカティアとサーシャ…いや、エールの姿を見つけた。
仲良く笑い合う姿は、肌の色は違えども普通の姉妹にしかみえない。
元々育ったグループ施設では皆、国籍も人種もバラバラで。自分とは全く違う、お伽噺の妖精のようなサーシャの姿を好きになったのが始まり。
二人の姿をボーっと眺めていた佳大にカティアが気付いた。
「――あ、ケータ!」
こっちを見てブンブンと手を振るカティアにつられて、エールの翠の瞳が佳大を捉えた。
思わずドキッとしてしまうのは、やはり仕方ないことだと思う。
「降りてきたらー、夕日綺麗だよ!」
カティアに言われて、降りる階段を探す佳大に、
「その右奥に階段があるよ」
澄んだエールの声が聞こえた。
簡素な鉄の手摺がついた狭い階段を降りれば、すぐに砂浜に出て。駆け寄ってきたカティアが佳大の手を掴み引っ張って行く。
「ケータ、早く! 夕日沈んじゃう!」
急いでエールがいる場所まで戻った時には、大分夕日は沈んでいて、「あっ!!」と声をあげて、カティアは佳大の手を離すと一人波打ち際まで走っていった。
「好かれてるね、会ってそんなに経ってないのに。李真とは大違いだ」
エールが笑顔で言う。
「あの人は、顔が怖いんだと思う」
男の鋭い目付きを思い出して言う。子供には怖過ぎるだろう。カティアはあまり気にしてないようだったけど。
佳大の回答にエールは、あはは。と笑って、「ああ、確かに」と沈む寸前の太陽に静かに視線を向けた。
その返答に、よくは分からないが何故だか入り込めない何かがあって、胸の奥がまたチクリと傷んだ。
「――さっきの話しだけど」
佳大の声に、何だろう?とエールがこちらを振り返った。
「望みの話し」
「あぁ、決まったんだね」
良かったと、顔を綻ばせたエールに、
「俺をここに置いて欲しい」
そう、佳大は告げる。
もうあの自分が愛したサーシャはいない。でもここにはまだ彼女の肉体はあって。それならば。
( 出来るだけ彼女サーシャの側にいたい )
もう自分には何もないから。望むのはサーシャだけだったから。
「……でも、それでは望みにならないね」
エールは言う。
「君はもうこの島に受け入れられたのだもの。ここに居るのも出ていくのもどちらでも出来る。拒絶されない以上は」
日はもう完全に沈んでしまった。急速に紫紺に染まってゆく空を背後に、エールの表情は見えにくい。
「でも、そうだね。君の望みが見つかるまでずっと、ここにいればいいよ」
笑った…のだろうか?
少し頬を歪めるような。
言葉と共に一瞬浮かべた表情がそのように見えた。
だが、直ぐに海の方に顔を向け、
「カティアー! もう暗い、戻ろう」
エールは薄暗い海に呼び掛ける。
その声に何処からともなく返事が返って、走ってくる少女が見えた。
「じゃあ、私達も戻ろう。李真にも報告しないといけないし」
振り返ったエールは今度はちゃんとした笑顔で、佳大に笑いかけそう言った。
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