ロボットと乾杯

迷子のナエタ

ロボットと乾杯

 酒場で男が1人、酒を飲んでいた。

 カウンター席に座る彼はスーツ姿でいかにも仕事帰りという様子。彼はその紳士的な雰囲気には似合わない豪快な笑い声をあげた。

 横にいた男も、それに合わせて笑った。横に座っている男はスーツの男とは全く違う雰囲気で、作業服みたいなものを身につけていた。そしてどこか動きが不自然に見える。彼の目の前に置かれているグラスを見ると、黒く澱んだ液体が入っていた。それから少ししてグラスの中身がガソリンだと分かった。

 それでようやく私は彼がロボットだと気づいた。後姿だったのもあるが近頃のロボットは人間と見分けが付きにくい。

 それに加えて近頃のロボットは人々の生活に入り込みすぎていて私は少々気持ち悪いと思っている。人の手の代わりとして働いてくれる労働用ロボットはあっていいと思うし今はそれがないと世界が回らないだろう。じゃあ何が気持ち悪いのか。愛玩用ロボットが私を辟易させるのだ。ロボット技術の発達は、ロボットの自立行動を可能にし人間の大雑把な命令に対しても適切に行動できるようになった。それに加え、返答も人のように答えることもできるし声も人に近い人口音声を、顔も人に近い表情を表現できるようになった。そのようにして、人に限りなく近くなったロボットを世界は当然労働用としてだけでなく他の用途で使い始めた。それが愛玩用ロボットである。話し相手として酒場にいたり、子供の遊び相手として使われたり、もちろん性的に使われたりもする。

 私の目の前のカウンター席でスーツの男と話しているあのロボットも話し相手として作られたロボットの1つなのだろう。話が上手なのかスーツの男は数分おきに笑い声を上げている。話し相手として作られたロボットはその多くが女性型でしかも顔が整えて作られている。そんな中、男でしかも作業服姿のロボットが話し相手なんていうのはとても変わっていた。だからこそ最初はこの男のことを少し場違いな形でここにいるだけだと思ったのだ。飲み物がガソリンだとわからなかったらロボットと気づかなかっただろう。それに加え、飲み物がガソリンであるということはこのロボットが旧型であるということを示している。このこともこのロボットを不思議に思い、興味を持つ理由だったのだろう。

 新型というか近年作られたロボットはガソリンを全くいらないモデルがほとんどだ。それに対し、旧型、十数年前に作られたモデルはガソリンと呼ばれる黒く澱んだ液体をエネルギーに変える機構で動くものばかりだった。そして、愛玩用ロボットのほとんどは充電式だ。この十数年はロボットのモデルが大きく変わる時期だったということなのだろう。現在ではガソリンと充電式のハイブリッド型ロボットも減ってきて、現在稼働しているロボットのほとんどが充電されたエネルギーを使うモデルだ。


「今日はやっぱ無理そう、先入っといてって言ったのにごめんね」


 今日、このバーで一緒に飲むはずだった友人からの連絡は店に入って一時間ほどたってから届いた。時間が不規則な仕事ということもあって今日ももしかしたら急遽仕事が入るかもしれないと言っていたがその通りだったようだ。このバーは友人が一度来てみたかったといっていた場所だったから、彼も残念に思っているだろう。繁華街から道をいくつか挟み夜の静けさと繁華街のにぎやかさが良いバランスで混じった通り。その心地よい雰囲気の中にポツンとあったこのお店。中に入っても、その雰囲気は残ったままだった。誰もいないわけでも人でごった返しているわけでもない。ゆるく心地よいジャズが流れている中、時折あのスーツの男のような笑い声がどこかのテーブルから聞こえる。

 目の前の男とロボットを見るとどうやら男はもう帰るようでロボットに手を振り席を立っているところだった。ロボットが席を離れないのを見るとこのロボットはこのバーのオーナーか誰かがこの店において客の相手をさせているのだろう。

 このバーで過ごした約一時間は、意外と有意義な時間だった。一人でぼんやりと考える時間が最近はなかったこともあって、この一時間は普段日常で気に留めることができなかったことをふわふわと考えられた気がした。飲んでいたお酒もあと二口程度で飲み終わる。今度は友人と来れるといいなと思った。


「おひとりですカ?」


 初め、その声が私に向けたものだとわからなかった。


「いちじかんほド、ひとりでしたのデ、きになりましテ」


 ようやく自分に向けられたとわかり、そのロボットに目を向けた。所々に機械音が混じる今どきの愛玩ロボットにありえない、古びたロボット。顔もロボットらしくない歪な顔だった。


「ええ、友人が急に来れなくなったの」


 なんだか、その日はロボットとも話してみようかという気分だった。この古びてるロボットだったからなのかもだけど。だから、オーナーのロボットを新型に変えない戦略は正しいのかもと穿った見方をした。

 ロボットは了承を取り付けた上で私の前の席に座った。片手には先程と同じ淀んだガソリンを持っていた。


「ゆうじんさんハ、いそがしいかたなのですネ」

「記者だから、明日までの締切の原稿になにかあったのかもね、詳しく知るつもりもないけれど」


 今どき珍しい、人間が書く記事ばかりの雑誌。どこにいっても、いつでも時代と逆張りする人はいる。保守的な人はいる。人の温もりが作品にもあるのだよという人がいる。そんな人のための居場所だって当然ある訳だし、それが雑誌という紙の形であるのだろう。これをアプリやウェブにあげないのも意向なのだろう。残念、アプリやウェブはいくら逆張りしてる人たちも受け入れてるのに。そこはいらない気遣いなのにね。


「きしゃなのですネ さいきんハ みかけないのデ なつかしク かんじまス」

「へえ、ずいぶん年季が入ってるもんねあなた」


 友人の話よりも、今はこのロボットのことを気になってた。友人と同じく私も時代に逆張りしてる人間だから。古いアピールをしてくるロボットは、愛玩ロボットは嫌いだもの。


「わたしハ 第4世代労働指揮ロボット334-LIR でス」

「4世代で、労働指揮担当?相当ばかげてるわね」


 4世代といったら、ロボットが民間企業にも行き渡り始めたくらいの黎明期のロボットだし、労働指揮担当ならそもそも愛玩ロボットじゃない。ガソリンで動くのは4世代なら当然だろう。機械音だけど話はできるのも労働指揮担当なら納得できる。けれど、違和感や奇妙さは増すばかり。


「4世代なら私が生まれてすぐくらいじゃない?今まで動いてるのが不思議だわ。あなたは相当数奇な年月を送ってきたのね」

「わたしノ むかしのはなシ きかれますカ?」

「ええ、気になるわ。話してほしい」


 普段なら聞かない、ロボットの話だけれど今日くらいいい気がする。それに毛嫌いしている愛玩ロボットじゃないもの。私は残り少ないお酒を飲み切ると同じものをもう1杯頼んだ。


「わたしハ もともとあるこうじょうノ ろうどうしきヲ おこなってましタ」


 この話長くなるから、ロボットの声っぽく表現したいのだけれど、読み返しにくいし、あなたも読みにくいだろうから平易な文章に直して書こうと思う。許してね。


「昔は労働ロボットは話せませんでした。それで、ロボットと人間の間で指示系統の調節を行う労働指揮ロボットが必要でした。人間と会話をし、ロボットに電気信号を行うっていう役割を行っていました

「数十年前、ロボットが曖昧な指示でも伝わるようなAI機能が標準装備されるようになり、労働指揮は必要なくなりました。そして、わたしは労働用として使われることになりました

「この頃には私と同時期に使用され始めた労働ロボットたちは少しづつ動作不良で廃棄や、分解されていました。この頃労働ロボットは少しづつ使い捨てという価値観が生まれてきていました。だから、私も労働ロボットとして使われ始めたということは処分までの期限が迫ってるということを意味してたのでした

「しかし、わたしにはどうすることも出来ませんし、その時のわたしは分解や処分に対して思うところはありませんでした。そういう感情と無縁なのがロボットのメリットですものね」


「その時のわたしは」という言葉、そして今のロボットの顔、まるで今は死を恐れてるみたい。やっぱり人間の振りをするロボットは気持ち悪い。


「労働ロボットとして動き始めてだいぶたった時、わたしもガタがきはじめていて、時々誤作動を起こすということが増えていきました。もともとは労働用ではないので、耐久力はなかったようです。わたしが廃棄に回されるのは時間の問題でした

「そんな時に、若い男の人がその工場にやってきたのでした。その人はそこの工場の重役の息子さんでした。そして、廃棄されるロボットをいじらせてほしいくて、もらえないかと相談しに来たそうでした。そして、その時にその青年に渡されたのがわたしでした

「青年はロボット開発の研究を将来志望している大学生だそうで、私は労働ロボットから彼の実験台になったのでした。彼はロボットに感情を持たせたかったようでした。そのために、まずは私の指揮系統のAIを取り出してプログラムの改良を施そうとしていました」


このロボットが知ってるかどうかはわからないが、ロボットに感情を持たせようとするのは、シンギュラリティ等の観点で異端だし、違法とされている。感情がないことで、人間からの指示というものの絶対性を保っているというのが定説だからだ。もしこのロボットが感情を持っているのなら。私は密かに震えていた。どの気持ちによるものかは自分でも分からなかった。


「わたしにはわかりませんでしたが、青年はプログラムを改良しようと様々な試みをしたようです。私は指揮系統を奪われてたので何も覚えていないですが。人間で言う麻酔状態だったのです。しかし、その努力虚しく、新たなプログラムによって動き出したわたしは前のわたしと全く変わりませんでした。彼はそこから私の感情を引き出そうとあらゆることをしてくれましたが、わたしは彼が望む行動を取れたことはありませんでした。いつも彼は残念そうにわたしをながめていました。わたしは何とか彼の意向に添いたいと様々な反応を取ってみましたがどれも違うそうでした。

「しばらくすると、彼はわたしに感情を求めるのをやめました。それからはハードパーツの改良に勤しみはじめました。おかげでわたしは働いていた時からすると見違えるほど綺麗になりました。顔は人間のどの女優よりも美しく、声は人間のどの歌姫よりも美しく、容姿は人間のどのモデルよりも整っていたと思います。彼が思う全ての美しさがわたしに備わったのです」


この時点の私はこのロボットの話に全くついていけなくなった。このロボットは男性ロボットだ。間違いじゃなければロボットの話は女性の話に聞こえる。あと少し聞けば全てわかるから待って欲しい。今の私がこの時点の私にそしてあなたに言えるのはこれだけ。


「彼が思う全てを備えたわたしに足りないものは感情だけでした。彼はわたしに言いました。『僕の感情が伝わって、同じ気持ちになってくれますように』この時の彼の感情だけはわたしには理解できなくて、嬉しさと寂しさ、悔しさのパラメータが複雑に行き来していて1つに断定できなかったのでした。

そして、彼はわたしにキスをして、私を使って自慰をしました

「わたしは彼の言うとおりに動いて、話しましたが、彼は首を振るだけでした。自慰を終えたあと、涙を流し始めました。わたしは最後まで彼の期待に添えなかったようでした

「毎日わたしを置いていた地下室に来ていた彼が暫く来なくなりました。数日後彼はわたしのもとへやってきました。彼はわたしに最新の感情判断ソフトと感情再現ソフトを搭載しました。そして、わたしにキスをして言いました。

『さよなら』

「わたしのデータを記録しているメモリを抜くと、地下室をでて彼が外から拾ってきた別のロボットに組み込み始めました。今のこの体ですね。同世代の同じメーカーの男性型ロボット。そして、わたしはこのバーのオーナーに渡されました。彼の友人が始めたバーだそうで、彼が自分の改良したロボットだからとわたしを送り出しました

「それでわたしはここで働き始めました」


結末まで聞いた私は何もいえなかった。もう残っていないグラスの中身を飲み干す。


「あなたが感情を持っても結果は変わらないと思う」


私が絞り出した言葉は無駄で無意味で空虚な言葉だった。これしか言えない私はこの時ばかりは記者の友人の言語力を羨んだ。


「今のわたしには彼の感情がわかるように思います。彼の恋心をわたしは無下にしてしまいました。いまさらどうしようもないのに、わたしは彼の話をここに来た人にしては。

彼の恋心をわたしは無下にしてしまいました。いまさらどうしようもないのに、わたしは彼の話をここに来た人にしては。

彼の恋心をわたしは無下にしてしまいました。いまさらどうしようもないのに、わたしは彼の話をここに来た人にしては」


「もういいよ」


私に言えたのはそれだけだった。

ロボットは熱くなった回路を冷そうとしているのかファンの音が激しく聞こえ始めた。


「今私が彼の感情を理解しプログラム処理量が多くなってしまうのは彼が作ってくれた感情プログラムゆえなのか、彼がくれた最新感情分析再現プログラムゆえなのか、わたしにはもうわかりません」


私には何も言えなくて。おそらくこのロボットも何も望んでなくて。私の頭にあったのは、これは彼の呪いだって言葉だけだった。


「それじゃあ、また来るよ」


私はこのロボットに手を振る。ロボットも慣れたように手を振っていた。


外はすっかり寒くて、賑やかな通りからの声ももうなくなっていた。静かな通りで後ろの店を振り返る。友人に言う前にもう一度ひとりで来ようと決心して。

それから、友人を連れて来ようって決心して。

感情のある愛玩ロボットに会いに行かない?って誘おうと決心して。

私は帰路に着いたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ロボットと乾杯 迷子のナエタ @dasaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ