第49話 これは“真実の愛”
「アレン様のこと、好きなんでしょう?」
「は? なんて……!」
フレイは小さく悲鳴に近い声を上げたが、カレンは気にも留めない。
「どれだけ一緒にいたと思ってるの。それくらい見ればわかるわよ。だって目が違うもの。お金お金って言ってたフレイとは」
言われて頬をさする。
そんなに違うだろうか。自分ではよくわからない。
「ふふ、アレン様とはね、フレイの話をしてたのよ」
ぎょっとしてカレンを見たのは、フレイだけではなくアレンもだった。
「フレイは何が好きなのかとか、どういうものに興味を示すのかとか、こんなことをすれば喜ぶんじゃないかって。理想の恋愛とは何か~とか?」
「おい待て」
すかさず飛んできたアレンの制止は、軽く無視したカレンである。
「待ちません。アレン様こそちゃんとエスコートされたのかしら。せっかくの他国への旅行、満喫してこないと勿体ないと言いましたよ」
再び動きを止めたアレンを横目にカレンはそっとフレイに近づく。
「アレン様には、フレイのこと、いろいろ教えてあげてたの。……フレイの”真実の愛”ビジネスを参考にして、ね」
微笑むカレンを見て思い出すのは、一番最初の“真実の愛”を作り出した時──カレンとジョンを引き合わせた時だ。
「……知ってたの、やっぱり」
あのとき、そんな気はしていた。
仕組まれたものだと知ったカレンはもしかしたら嫌な思いをしただろうか。
翳る表情を見るや、カレンは大袈裟なほど首を横に振った。
「私は今、ジョンと一緒にいてとても楽しいし、ジョンも私といて楽しいって言ってくれていて、とても幸せなの。フレイのおかげでね。だからフレイには一番幸せになってほしいしずっと笑顔でいてほしいの。だって一番の親友だもの」
嘘偽りのない笑顔を向けられて、胸を撫で下ろしていた。
しばらく会っていなかったというのにそれを微塵も感じさせない。
数年前、別れの挨拶もなく消えたフレイにとってありがたいことだった。
「ふふ、聞いてよ。アレン様なんて王子様なのに、庶民の私に頭を下げにきたのよ。フレイのこと教えてほしいって。だからフレイの好きそうなもの、教えてあげてたの。宝石とか本とかインクとかね」
そう言われてみると、小旅行の間も、その前──アレンによる婚約破棄が行われる前も、二人で見て回るお店はどれもフレイの好みに合うものだった。贈り物も気に入るものばかりだった。
話が合うと思ったのも、もしかしたら。
「それは婚約者になってほしかったからで……」
「もう! そうだけど、別に婚約者とか王妃とかになってほしいだけならそんなこと気にしなくていいでしょ。庶民なんて王子様に命令されれば従うしかないんだから」
目を見開いて大きく頷く。
(その通りだわ。一応、公爵令嬢ではあるけれど、本質は庶民のまま。どうしてわざわざカレンに話を聞きに行かれたのかしら。何のために…)
険しく眉を顰めたフレイの肩をカレンはとんと叩く。可愛いウインクのおまけ付きだ。
「そうせずに、わざわざ私にいろいろ聞きに来たのは、フレイに好かれたかったからでしょ」
呆れたようなカレンの視線の先。
アレンの耳が心なしか赤くなっているように見えて、フレイの心臓が大きく動いた。
「え、そうなんですか?」
「……そんなわけ、あるわけないだろう?」
きりりと真面目な顔でフレイを見るので、見間違いかと思ったほどだった。
が、それを崩すのは、アレンから相談を受けていたというカレン。強かった。
「またまたー。そんな演技をされたって駄目ですよ。アレン様の本気を感じたからこそ、私はフレイのことをお話したんですよ。大切なフレイを、大事にしてくれると思ったから」
その一言でアレンはあっさりと顔を手で覆った。
「カレン嬢、その、やめてくれないか。私はまだ何も言っていない」
恋多きカレンは、他人の恋路すら楽しそうに笑った。
「ふふ、小旅行の間に伝えたのかと思ってました。それで?」
とカレンが促すと、長い溜息ののち、アレンは覆った手をずらす。
紫色の瞳にはフレイを映した。
「……ずっと君ばかりが気になってしまう。政務も手に付かないほど。私は君に、隣にいてほしい。君を愛している、から」
忘れるわけもない。婚約破棄前に告白されたときのセリフだ。ただ違うのはその表情。どこか躊躇いがちに、顔色を窺うように言う。
自信なさげな様子がアレンには似つかわしくかった。だからこそ心に響く。
驚きを隠すため口元に当てた手は震えていた。
「以前は、すらすらと言ってくださったのに」
「……それは、君が必ず受け入れることを知っていたから。リーゼ嬢の代わりになろうとしている人間なら喜んで頷くだろう?」
それもそうか、とフレイはアレンを見つめた。
「だが、今は違う。カレン嬢のアドバイスを参考にしてみたが、君がこのまま婚約者でいてくれるのかどうか確証は得られない。人の心ほど思い通りにならないものはないな。まったく”真実の愛”だなんて商売、よくやってたと思うくらいだ。……君からの返事が是でなければ私は一気に絶望の中に落とされるだろう。命令できるものならしたいくらいだが、私は君に嫌われたくない、から、君の答えをただ待つしかない。もう君以外は考えられないんだ。私の婚約者……いや生涯の伴侶になってくれないか」
アレンの瞳が不安からか揺れていた。
カレンはよくぞ言ったとばかりに目を輝かせていた。
そんな中、フレイは一度唇を嚙み締めた。そうでもしなければ変な声が出そうだった。
「本当に? 義務感ではなく? 契約でもなく? ……私はアレン様を好きだという想いを隠さなくていいの?」
アレンが大きく頷くのを見て、握りしめた手から力が抜けるのを感じた。
決して届くことのない恋だと思っていた。
だから契約期間が終われば忘れようと、いい思い出にしておこうと思った。
まさかアレンがフレイと同じ気持ちを抱えているとは知らず。
「アレン様わかりにくいんですもの。どの姿が本当なのか……いえ、どんな姿でもアレン様に変わりないのよね。そう、そう思ってからよ。アレン様が何をしてもドキドキするようになっちゃったのは」
独り言のように呟くとカレンは満足そうに手を合わせた。
カレンがアレンを突くと、彼もまた満更ではなさそうである。それに少しイラついて、フレイは大きな声でこう叫んだのだった。
「でも、契約期間は守りますからね!」
「!?」
その言葉にアレンは狼狽したように見えた。
◇◇◇
長かったような短かったような契約期間が終わりを迎えた。
目の前には本日までの契約書。
「長い間、ご苦労だった。本日が終われば婚約者は解消となる」
「ええ」
涼しい顔でフレイが頷けば、アレンは眉を下げて、もう一枚取り出した。
「そして、これが契約延長の書類。君がここにサインすれば明日も今の関係のまま変わることはない」
トントンと指し示した先には、見間違えも許さないようサインする場所に大きく丸印が付けられている。
「アレン様は、私にこのまま続けてほしいと願っているのでしょう?」
「ああ。君の気が済むのなら何度だって言おう。どうやら君以外ではもう満足できないらしい」
「っ!……王太子妃や王妃となっても、たしか、難しい仕事はないと仰いましたよね」
「ああ。君の能力以上の……君にできない仕事はそうないと思うが、もしそんな仕事があるならやらなくてよい」
「いいんですか?」
「構わない。妃一人に任せておく仕事など、そう多くもない。どうしてもということがあれば私も共にやろうではないか。大切な君をずっと傍に置けるのなら喜んで、だ」
ペンを持つ。インクをつけながらフレイは言った。
「ふふ、ちょっと時折”王子様”を挟むのやめてくれません? ……私は王妃様になれるほど教養があるわけでも使命感があるわけでもありません。きっとずっと自分は未熟だと思い続けることになるだろうと思います。ですが、アレン様が私を望んでくれるように、私もアレン様を望んでしまったから」
アレンは幼い頃からリーゼという婚約者がいたため、リーゼ以外の女性と二人で話す機会が少なかったという。
小旅行の前、どう接すればいいのかわからないと零したアレンに、カレンは「以前話せていたときと同じようにすればよろしいのでは?」と言ったそうだ。
アレンの演技は、照れ隠しだったのだ。そうと知れたのは大親友カレンのおかげである。
となればもう”王子様”のアレンも、素のままのアレンもどちらも愛おしく思えてくる。
緩む顔を抑えきれず、アレンから舌打ちが聞こえてきたが、それすらも楽しい。
(恋愛って不思議ね。何でもないことも楽しく思えるなんて。だからみんな、”真実の愛”に夢中になるのかしら)
王子の婚姻発表に今頃お祭り騒ぎだろう人々に思いを馳せつつ、フレイは契約延長の書類──無期限の契約書にサインしたのだった。
「この契約書、必要だったか? 君の不安を少しでも取り払えるならいくらでもサインはするが」
首を傾げたアレンは、契約書を作った理由をどうやら気持ちの移り変わりを心配したからだと思ったようだ。
誓う永遠は、口約束よりは書面で残した方が安心はできる。が、フレイの目的は別にあった。
「あら、必要よ。契約書がある限り、私はお給金を頂きますからね」
アレンは面食らったように数回瞬いた後「金ならある」と言って笑った。
──フレイの人生が”真実の愛”の物語として広まるのはもうしばらく先の話。
おしまい
真実の愛は作れる!〜お金に釣られた結果、王子の婚約破棄に巻き込まれることになりました〜 夕山晴 @yuharu0209
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