『郵便! アー! 郵便ダヨォーッ!!』


 けたたましい声に顔を上げると、ヒラリと手元にカードが落ちてきた。


 見慣れた筆跡の便たよりに頬を緩めながら頭上を見上げれば、極彩色の羽を広げたロットが気持ち良さそうに飛んでいる。


「ありがとうございます、ロットさん」

『イイッテコトヨォッ!!』


 ロットにお礼を伝えたメリッサは、改めてカードに視線を落とす。


 見慣れた筆跡は父の物で、カードには今、北方の国を巡っているということが書かれていた。


 ──ここより北は、もう秋の盛りでしょうか?


 メリッサは小さく笑みを浮かべてポケットにカードをしまった。ノーヴィスは今も居間にいるだろうか。父からのカードはぜひノーヴィスにも見てもらいたい。


 父がこの国から旅立って数ヶ月。


 ということは、あの大騒動からも数ヶ月が経ったということだ。


『メリッサ。お前はこれから先もルイスの所にいるのかい?』


 謁見えっけんの間を出た後、メリッサはようやく父と落ち着いて話をすることができた。


 あまり時間はなかったが、父が母に魔力を搾取さくしゅされて長らく軟禁状態に置かれていたことや、いよいよ今回の計画を実行しようと動き出した母からメリッサを守りたい一心でノーヴィスの所に『嫁入り』と称して追い出したという事情は説明してもらえた。


 やはり父は、変わらずメリッサのことを愛してくれていた。


 それが分かって、嬉しかった。


『私は色々面倒なしがらみから逃げるついでに、各国を巡る旅に出ようと思う。お前も、ついてこないか?』


 枯渇していた魔力の補填ほてんや、病魔という形で父の体をむしばんでいた呪詛は、ノーヴィスが対処してくれたらしい。


 幼い頃の記憶にしかない健やかな顔をした父は、ともに旅に出ないかとメリッサを誘ってくれた。


 だがその誘いに、メリッサは柔らかく微笑んで首を横へ振った。


『ありがとうございます、お父様。でも、私……』


 自分の意志で、ノーヴィス様のおそばにいたいのです。


 そう続けると、父は少しだけ目をみはってから笑ってくれた。その笑みに宿った感情はとても複雑だったけれど、それでも父は笑ってメリッサが選んだ未来を祝福してくれた。


 ──お父様がお元気でいてくださるなら、それでいい。


 あの事件で、王宮は大きく揺れた。


 王は急に玉座を第一王子に譲り渡して隠居。『穢れの塔』の崩壊やレンシア通りの呪詛をはかったとして、第二王子は国外追放処分になったという。


 それぞれの派閥で甘い汁を吸ってきた貴族達もそれぞれ処分され、王宮内の勢力図は大きく変わったそうだ。


『カサブランカとディーデリヒは、それぞれ第二王子とは別の国に追放だとよ』


 そうメリッサに教えてくれたのは、あの事件の最中ずっと魔法学院にかくまわれていたエドワードだった。


『カサブランカは侯爵夫人とマリアンヌ、ディーデリヒは父を筆頭に俺以外全員』


 あの日、馬車の中で洗いざらい情報を吐いたエドワードは、メリッサの指示でそのまま魔法学院に引き返していた。


 魔法学院はどの貴族の支配も受けていない独立機関。エドワードが逃げ込めば必ず助けてくれるとメリッサは踏んでいた。


 ──しかしバーネット学院長が動いた理由の一端にエドワードがいたとは。


 エドワードは匿ってもらう手前、バーネット学院長にも洗いざらいメリッサに話したことと同じ情報を吐いたらしい。恐らく実際のところは『バーネット学院長に笑顔で迫られて吐かざるを得なかった』というのが正しいのだろう。


 だからバーネット学院長はあのタイミングでサンジェルマン伯爵邸にやって来た。ディーデリヒ家が皆国外追放処分になった中、エドワードだけが魔法学院の生徒として国に残れたのは、その働きに対する見返りだという話だ。


 ──ここに来るまでは、こんなに世界が変わってしまうなんて、思ってもいませんでした。


 ふと、メリッサは足を止めた。


 降り注ぐ光がまぶしかったせいもある。だが心に湧いた不思議な感情がこぼれ落ちてしまいそうだったから、というのが一番の理由だった。


 長年自分を縛ってきたカサブランカの家はもうない。自分は『黒の賢者ルノワール』の娘で、今は『白の賢者ルミエール』の屋敷のメイドをしている。


「……そういえば」


 そこまで思ったメリッサは、はたと我に返った。


 ──私は元々、ここにお嫁に来たのですよね?


 メリッサがメイドとして働いているのは、『お互いのことを時間をかけて知れたら』というノーヴィスの計らいがあったからだ。


 ──つまり、お互いのことを良く知れたら、私は……


 なぜ今更になってそこを意識したのか、メリッサには分からなかった。


 ただ、今まで知らなかった……知ろうとしなかった感情が、気付いてしまった事実にトクトクトクと心拍数を上げていくことだけは分かる。


「えっ、あ……っ?」


 なぜそんなことを思ったのか。なぜそんなことを願ったのか。


 理由は分からない。


 だけどメリッサはこの屋敷に来て、願うということを知った。言葉の熱を知って、その熱に温められることの心地良さを知った。願いがあるならば手を伸ばさなければならないことも、知った。


 それに色を変えるあの優しい瞳が、メリッサを見てトロリと甘くとろけることを、知った、から。


 ──私、は……


 どうしたいのだろう。


 心に落とした言葉に、答えはまだ見つからない。


 だけど。


「ルノ~?」


 遠くから自分を呼ぶ声に気付いたメリッサは、ピクリと体を震わせて顔を上げた。止まっていた足が勝手に前へ進み始める。


「ルノー、お茶会しようよー!」


 廊下の角を曲がると、居間から顔を出したノーヴィスがメリッサを探している姿が目に入った。


 思わずメリッサは足に力を込めて走り始める。その足音に気付いたのか、ノーヴィスがこちらを振り返った。


 その瞬間、トロリと甘くノーヴィスの瞳がとろける。


「ルノ!」


 その呼び声に、メリッサは笑みとともに答えた。


「はいっ!」


 メリッサの声に、屋敷に降り注ぐ光が嬉しそうに舞う。


 柔らかい日差しに包まれたサンジェルマン伯爵邸は、今日も絶好のお茶会日和だった。




【END】


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