愛の前であれば、この地球は美しい

愛の前であれば、この地球は美しい

 東の国の程よい田舎で、一人の男が暮らしていた。


 彼はそこで生まれ、そこで成長した。幼い頃の彼は小さく物静かで人との接し方に問題があった。それと同時に彼の性格にも、家庭にも問題があり、数多くのはずれくじを引かされてしまいその外見に関わらず今でも皆からは腫れ物扱いをされている。


 髪を伸ばし、女性的な容姿になったのは男が10代後半のときである。内向的すぎる彼の考えから外見を女性的にすることで自己肯定感を高めようという空回りなことをしてからそのままである。彼の滑稽な行いに口を出す者は当然誰もおらず、ただ冷ややかな視線を浴びせられるだけで何も言われなかった。


 男は被害妄想が段々と酷くなりまともに人と関わることはもちろんできず、口を開けば敵意むき出しの発言をするだけである。


 彼の数少ない趣味の一つに森を散策することがある。自然に帰るというよりは社会から離れる感覚が心地いいのが理由である。いつものように木々の中に入り落ち葉の隙間を眺めるなどしていると、見かけない少年と出くわした。その少年はボロい布切れを身にまとっただけだが肌に汚れがない少々違和感のある服装で、出会った瞬間男のほうに視線を向けた。


 軽く会話をし、少年に家がないことと記憶がないことが分かると男は少年を家に招き入れ、そこからともに過ごすことになった。


「名前は憶えてるか?」

「えっと、わかんないです....」

「じゃあ、そうだな。ルカと呼ぶことにする。君の名前だ。」

「ありがとうございます...えっと、僕はなんて呼べばいいですか?」

「お兄ちゃんって呼べばいいよ。他に人いないからさ。」

「え、あの、名前は.....」

「じゃあ夕飯作るから待ってて。」


 名前を言わずに兄弟ごっこもどきをしてるのは男のこだわりである。


 少年は内気で若干話すのが苦手であった。


 男と話すのは徐々にましになりつつあったが、それ以外の人とは話すことはなかった。それは保護者に似たんだろう。少年が外に出るときは男と一緒のときである。例えば買い物が一番多いが、そのとき男に来る視線を繊細な子供は感じ取って悪い影響が出るはよくありそうな話である。


 男はルカにこれ以上にないほどの愛情を注いでいた。男は仕事をして家事もこなしつつ、ルカに勉強と社会のことを教えた。よく話しかけ、物を買い与えた。男はルカに自分のようになってほしくないという想いがあったのだ。行き過ぎた自己否定と自己愛の欠如と男がもとから持っていた中途半端な正義感はこれ以上自分のような人が生まれてはならないという正義の心と他人を傷つけて復讐をしてやるという悪の心を両立させてしまう。


 男は町の人々に憎しみの視線を送り返し、時にわざわざ不快にさせるために行動することもあった。

 しかし所詮は周りから嫌われ空回りをする程度の人間なので、大したことはできず、ただ一人で感情を膨らましているだけであった。つまり結局のところ、傍から見ればただの孤立してる嫌な奴でしかない。


 



 ある日、男はルカの異常性に気づいた。一緒に風呂に入ったとき、背中に何かこぶのようなものが六つあった。


「なんだこれ。なんかぼこってしてるのがあるけど。」

「骨じゃないんですか?」

「この位置にあるのはおかしいと思うんだが....虫刺されか?」

「でも痒くないですよ。」

「じゃあとりあえず明日考えようか。」


 若干不安ではあったが特に気にも留めず二人は就寝した。


 男と少年は一緒のベッドで寝ている。足りないからだ。少年の小さい体は男の腕の中に容易に入る。ベッドの上で、男はルカを守れていることを実感する。しかし男の後ろには淀んだ空気が蔓延している。だが今更男は悲しく思わない。または感覚が麻痺して悲しいと感じることができない。不幸であることは自分に与えられた試練だと捉えている。そうでなきゃやってられない。そうでなければ頑張る理由が何一つないからだ。


 数えきれないほど諦めようとしても最後には強引に感情を抑え込み、立ち向かおうと威勢だけ良くするのは長年の癖である。そして、ルカという守りたいものを見つけてしまいその癖はより悪化していく。


 


 


 翌日、ルカの背中から触手が六本生えている光景を見て男は現実を受け入れるため少しの間止まっていた。しかし時間が経てば案外どうにかなるものだ。触手の外見はタコのように吸盤らしきものが全体にあり、ルカの意思である程度自由に動かせるようだ。伸び縮みし、完全に背中の中に隠すこともできる。


「ルカ、これについてどの程度知ってるんだ?」

「えっと、え、その....どうなんだろ....」

「こうなることはわかってたのか?」

「わかんなかったです....」

「あんまり驚いてなさそうだな。」

「あ、はい。」


 ルカは曖昧な返事しかしないようだ。




 数週間経つと、ルカのよくわからない触手は家の中では日常に溶け込んでいた。ルカは随分と便利に生活できるようになったが男も同じである。家事が短時間で終わるからだ。




 しかし問題は起きた。二人で買い物から帰る途中のことである。見かけない若者らが絡んできた。彼らと目が合うと、男の良くない噂を聞いていたのかからかうためニタニタと不快な笑みを浮かべていた。不愉快なので男はお前ら如き眼中にないと言わんばかりに強引にまっすぐ足を進めぶつかった。


「おいおい何無視してんだよ。なんか言えよ。」

 

 他人に見下されるのは何度されても慣れない。しかし今回はそんなことはすぐに忘れてしまった。ルカの三つ目の腕が連中の一人をはたき倒した。当然人前でこんなものを見せれば面倒なことになる。

 

 小心者なので男は面倒ごとを避けたかった。


「おいルカ....」


 男の声を遮るようにルカは目の前の連中を文字通り粉々にした。


「説教は後だ。家に帰る。」


 人殺し、触手、謎の少年、記憶なし、圧倒的な力、森、警察、軍、様々なワードが一気に脳内に溢れ出しそれらを結び付け男は認知するより先に結論に辿り着いた。ルカを連れて人の手の届かぬところへ逃げるのだ。


 


 

 

 しかし今時人々から逃げるなんてことは難しい。いつか限界が来る。男はどうしたらこの状況を打開できるかわからなかった。


「お兄ちゃん....その、いつも辛いのが伝わってたから。」

 

 男はルカのその言葉を聞いて、親近感を感じた。男の親は自分と同じく面倒な人であったことを思い出した。子は大人が思っているより勘が良く、そのため素直に向き合わないと安定して成長することなんて到底できないことは彼自身がよくわかってるはずだった。二世代揃って同じ過ちをしたのだと思い、ルカを抱きしめ何度もごめんと言った。


 


 ひたすらルカを抱え森の中を走り続けている間、男は呑気なことにルカがなぜあんなことをしたのか考えた。記憶がなく、そもそも人間ですらなさそうな人が家の中だけで倫理を教わり、外では誰とも会話しない。そんな中身についた倫理はどれほど薄っぺらいのだろうか。私たちが身に付けている常識は長い長い時間をかけて獲得したものだということを何もわかっていなかった。この少年は超常的な力を持っているからそれが現実離れした形で現れただけであり、似たような過程を経て問題を起こす人はこの世にたくさんいるだろう。



「あの....ごめんなさい....」

「いいよ。仕方ない。」

「ぼ、僕、お兄ちゃんこと助けたくて....」

「大丈夫だ。ルカはよくやった。立派になったな。」

 そう言って頭を撫でる。

「ルカは何も悪くない。悪いのはみんなだ。」

 

 男は未来のことよりルカを慰めることを優先した。


 ここからいつもの生活に戻るのは無理だと容易にわかる。ルカの触手が男を抱きしめてきた。

 

 男の怒りと憎しみは人間へと向けられた。当然であるが、人がいたからこの結末になったのである。男には数年間傷が溜まり続けていた。周りの人は仲間外れにする程度些細なことだと思っていたんだろう。それが溜まり爆発したら突然牙をむいてきたと被害者面をするのである。君だって例外ではない。人は自分の行いについて深く考えていない。ほとんどの人はまともに思考することすらできない。当然善悪の判断など人間には早すぎた。何もかもが早すぎて、身の丈に合わないものだ。しかし皆傲慢なのでそれを無視する。


 ルカの触手が大きくなり、二人を包み込んだ。


「どうするつもりだ?」

「お兄ちゃんの気持ち、全部伝わってきました。僕、お兄ちゃんの願い叶えたいです。」



 無数の触手が包み込んだその形は球体となった。その少し後に捜索隊が来た。捜索隊は銃を手にしていた。十人前後で目の前の異常な物体に驚いた。



 球体が開き、そこから何かが出てきた。その外見は人の胴体にT字の手足がくっついたものであり、顔はなく表面は石のように固そうに見えて、しかし動きは滑らかである。四足歩行の生物と似たように移動し、銃を撃たれても傷はなかった。



 その後、周囲の町や村含めほとんどが消滅した。


 

 

 二人が残した”何か”は自身を中心に直径数キロメートルの範囲で大爆発を起こしすべてを消滅させる。そして”何か”は人口密集地を目指して動き出し、再び爆発する。


 ”何か”の移動は人間の歩きより遅い。しかし誰にも止めることはできなかった。閉じ込めようとしたり接触しようとしても爆発してすべて消滅させるだけである。遅いが確実に歩み続ける何度でも爆発する兵器であった。



 このことは世界中に知れ渡りパニックとなった。


 数年後、人類のほとんどは消滅。宇宙に逃げ出した人はいなかった。なぜなら必要に応じて”何か”はより速く移動できたからである。


 足の遅いモンスターと人間との鬼ごっこは数十年間続いた。鬼ごっこと違う点は人間側が慢心することはなかったことくらいだろう。

 

 諦めて命を絶つ者が一人また一人と増え、最後まで諦めず抗えた人はいなかった。これにて人類は完全にこの宇宙から消え去った。






 数万年が過ぎ、地球には文明の残りカスしか残っていなかった。果てしなく広い大地は誰かの所有物ではなく、動物の生死は常に自然界が握っている。



 ”何か”は大地に根を張り、成長した。大木のように大きくなった”何か”の中で、二人の赤ん坊が目を覚ました。


 

 ”何か”は家となり、二人を守りながらまた月日は流れる。透き通った水ときれいな緑しか存在しない世界でかつて栄えていた人間の形を保っていたのは異質な岩のようなものの塊の中に住む二人だけである。彼らの容姿は、かつて人々に罰を与えた者と非常によく似ていた。彼らの間に文字も、高度な知能も、複雑な感情も必要ない。その個体だけですべてが完結していたから、それ以上何も求めようとはしなかったから。



 繁殖などという大きな過ちは当然しなかった。ただ時間だけが流れ、心は常に単純に満たされている。



 


 数百万年後、二人は眠りについた。互いに抱き合い、生まれてきたことを喜び、自分たちを支えた自然に感謝した。そして心の底からそう感じれることに涙した。なぜそれを感じ取れたのかは彼らにはわからなかった。




 

 その後、二度と地球に文明が作られることはなかった。

 



 



 





 




 


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