エピローグ、あるいは未来

「────先生、遊葉先生?」



 黙れ。俺は眠たいんだ。



「もう、打ち合わせ中に眠るなんて正気ですか? いくら作家先生でも、それが一度たりとも締め切りを破ったことのない優良作家と言えど、許されませんからね?」



 いや待て、どうしてお前が俺の目の前に居る。


 その声の主の実在に驚愕した俺は、眠気なんぞ一瞬にして吹っ飛んだ。



「あっ、起きた。まったく頼みますよ遊葉先生。先生は個人事業主だから良いですけど、僕はごくごく普通の雇われ会社員なんですから。定時はとっくに過ぎてます、本当は打ち合わせも終わって解散してるはずだったんだけどなあ」


「ここはどこだ」


「はあ……寝惚けてます? オフィスですよ。打ち合わせはいつもここでしてるじゃないですか。ほら見てください、僕たち以外誰も居ません。みんな帰っちゃったんですよ」



 見慣れた光景がそこにあった。自著『転生王家』を書かせてもらっている出版社の、編集部に割り当てられているオフィスだ。目の前には俺の担当編集たる赤羽が居た。







 …………………………誰だ、赤羽って。







「ツヅキは……? 奇如月さんと鶴見先輩はッ!?」


「えっと、なんです? キキサラギさんとツルミ先輩というのは存じませんが、ツヅキさんなら知ってますよ、くくっ。で、その方々がどうかしたんですか?」


「どうかしたも何も、俺はさっきまでそいつらと一緒に新宿に居て、世界の平和を守ったところだったんじゃないかッ!」


「新宿で世界の平和を守る? ハハーン、さては遊葉先生、夢を見てましたね? そんなにグッスリ眠っていたとは、最近、眠れてないんですか? ああ、眠剤止めたって言ってましたっけ」



 あっけらかんとするばかりの赤羽は役に立たない。俺はポケットを漁りバッグを漁りある物を探す。


 そうじゃない、誰なんだこの赤羽とかいう軽薄そうな男は。それに先生って何だ。俺はたしかに作家らしいが、そりゃ未来の話であって、今現在の俺はまだ、そうではないはずだ。


 分からん、何が起きているのかがまったく分からん。少なくとも、目の前の赤羽とやらからは現状を正しく教わるのは無理そうだ。


 俺はツヅキか、奇如月さんか、鶴見先輩でも良い、とにかくその三人の誰かと連絡を取るべく、携帯端末を探した。



「ケータイならそこにありますよ」


「どこにッ!?」



 まさかと思いテーブルの上に目をやるも、薄い板のような形のシャープなフォルムをしたメカニックデバイスなどどこにも見つかりやしない。



「だからそこ、右手首ですよ」



 赤羽は俺の右手首を指差す。途端に手首を締め付けられている違和感を覚えた。俺は腕時計を着けない主義だ。……いや主義なんて大層なモンではなく、拘束されている感じが不快なだけだが。


 ツヅキの時間移動デバイスのような物が俺の右手首に我が物顔で巻き付いていた。「我が物顔で」と表現したのは擬人法という表現技法を取ったのではない、本当にそのデバイスが──厳密に言えば液晶画面に映るが──我が物顔をしていたのだ。







『遊葉さんのバイタルサインに乱れがあります。もう少し睡眠時間を増やすべきです』







 宙に画面が投影され、その中で、奇如月さんそっくりの少女が淡々と伝えた。



「何だ、これ……」


「何ってケータイでしょう。遊葉先生、本当に大丈夫ですか? まさか新作の売れ行きが前作よりも悪くてストレスになっているとか。それは仕方ありませんよ、何せ前作のメガヒットはラノベ界の歴史を変えるようなヒットでしたからね。それと比べれば今作の売れ行きは見劣りしますが、同時期発刊作品と比べれば上々と言えます」


「前作? 待ってくれ、作家遊葉は一作しか書いていないはずだ。『転生王家』の前作なんて無いぞ」


「ええ、ですから。前作が『転生王家』で、次作が今作」



 手振りを付け、幼児に足し算を教える幼稚園の先生のような語り口で話す赤羽。


 対して俺は、幼稚園児未満の理解度でそれを聞いていた。



「まずい、ビル閉まっちゃいます。仕方無い……遊葉先生、今日の打ち合わせはここまでにしておきましょう。次回の打ち合わせ日程は後ほどメールで。まったく、折角あれほど書きたがっていた「学園ラブコメ」続巻の打ち合わせだというのに居眠りなんてね。遊葉先生じゃなければぶってでも起こしていたところです」


「作家遊葉が「学園ラブコメ」を書いているのか?」


「だからそうだって言ってるじゃないですか。……あぁ、警備員さんが睨んでる。ほら出ますよ遊葉先生!」



 見ず知らずの警備員に睨まれ、赤羽に急かされ、俺はテーブルの上の企画書らしき紙束をバッグに放り込み席を立った。


 エレベーターで一階へ降りると、既にビルの正面玄関は閉鎖されており、赤羽と連れ立って裏口からビルを出た。



「赤羽さん、俺、本当に何が何だか」


「あーはいはい、帰りのタクシーでしっかり目を覚ましておくんですよ。じゃないと、ツヅキさんにドヤされるでしょうから」


「ツヅキ? おいお前ツヅキって言ったか。ツヅキがどこかに居るのか? ツヅキは無事なんだな? ツヅキは今どこに居るんだッ!」



 赤羽の肩を掴む。思わぬところでツヅキの名が出てき、思わず力が入ってしまう。



「ちょっと! 痛いじゃないですか。どこも何も、帰ったら会えるでしょう? 羨ましいですよ、僕なんて家に帰っても「おかえり」を言ってくれる人も居ないんですから」


「どういう意味だ。俺はツヅキと同棲しているのか?」


「同棲? いやいや、当然でしょう」



 赤羽はこう続けた。







「先生の奥様なんですから」







 ツヅキが俺の、妻?


 おいおいこりゃどういう展開だ?


 仮に俺の物語に筆者という存在が居るのだとしたら、一度プロットだけでも読ませてくれないか? ついでに設定資料なんかもあると助かる。


 だって、、じゃなかったか?


 何が何やら混乱の脳内模様のまま、俺はよろよろとタクシーの後部座席に乗り込んだ。







「噫、ミステリーだ」







 しかもこんなの、出題編での打ち切りだぜ。


 ミラー越しの運転手が僅かに失笑していたのを、俺は睨みつける気力も無かった。










                           『作家遊葉の特異点』完

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作家遊葉の特異点 雅ルミ @miyabeee-rumi

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