大人になるということ(随筆)

西しまこ

大人になるということ(随筆)

 十代のころは大人になりたくなかった。

 大人が嫌いだったから。

 嫌なことがたくさんあったし、いろいろなものに憤っていた。

 いまでもまあ、偏狭なこころでもって、いろいろなことに怒ったりしているのですが、でも、十代のころのような触れたら切れてしまいそうな感受性はどこかへ消え去りました。

 おかげで生きやすくなりました。

 いいことだ。

 大人になるということは、わたしにとって自由になること。

 自分でいろいろ決められる。

 年を重ねるということは、切れてしまいそうな感受性は失われるけれど、でも、安寧があり寛容さがあり、それはそれでいいものです。切れてしまいそうな感受性は持ち続けると、疲れてしまうから。

 人間、まるくなりました(当社比)。

 人間がまるくなるということは、息がしやすいってことだと思う。


 最近、いろいろなお話を書いていて思うのは、年を重ねると、いろいろな年代の「自分」が存在しうるということ。

 十代の自分も、ちゃんと胸の中にある。子どもの自分も。

 いろいろな年代の自分が、ちゃんと、積み重なりの中に存在している。


 ところで、大人になるということは確かに自由になることなんだけど、今気づいたのは、結婚して家族が出来ると、自由が制限されるな、ということ。自分ひとりだけの気持ちだけでは決められないし、行動も出来ない。

 自由を愛しているので、ときどき爆発します。


 だけど、やはり自由でありたい、こころは。いつでも。


 それでも結婚したことによって、親の呪縛からは解放されたので、やはりある一面ではやはり自由になっているのだと思います。

「ねばならない」ことって、少なくて、魂はいつでも自由なのです。


 

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