仕事をしない死神

海沈生物

第1話

 死神の女が家に居付いている。全身が骨の死神は、いつも俺の身長と同サイズの鎌を背中に常備している。なにかイライラしたことがあると、よくそれを振り回し、俺の家の広大な庭の雑草の芝刈りをやってくれる。死神なのに、普通に良い神である。しかし、仕事をしないニートである。


 そんな彼女との奇妙な共同生活が始まって、ちょうど三ヶ月が経った時のことだ。彼女は相変わらず仕事をしていなかった。ソファーに寝転がって、今大人気の主人公が悪魔人間の漫画を読んでいた。そんな姿を見ていると、俺は少し「不安」を覚えた。そこで、その不安について質問することにした。


「死神の仕事、しなくて大丈夫なんですか?」


 彼女は読んでいた漫画を閉じて、俺の目をじぃーと見つめてくる。


「分かった。……それじゃあ、まずはお前の魂から頂こうか」


 「えっ」と声を漏らした瞬間、彼女の鎌が俺の首筋に当てられる。鎌の先は的確に動脈のある場所へ刺さっていた。そこからは血が流れている。俺は思わず腰を抜かす。恐怖から口をパクパクさせて息が出来なくなる。そんな魚みたいになった俺の姿を見ると、ふっと彼女の鎌が首から離された。身体から力が抜け、俺はその場にへたり込む。その姿に、彼女は微笑を浮かべた。


「わた……死神が仕事をするということは、つまりなのだ。分かったか、愚か者よ?」


「は、はひ……」


「分かったのなら、それでいい。もう二度とそんな質問をするな。悪魔が人間に心臓を与える感動のシーンを読んでいる最中だから、な」


 そういうと、彼女はまた漫画の続きを読みはじめた。俺は首から流れる血を右手の人差し指で抑える。そうして、彼女の意見にも一理あるよなと頷く動作を取った。

 しかし、「意見に一理ある事」と「納得できる理由であるか」は別の話である。俺は彼女が死神の仕事を放棄して、何も問題なのかを知りたい。


 ということで、俺は自分の「不安」を解消するため、他の死神に聞くことにした。


 彼女に以前聞いた話なのだが、現世には彼女を含めて数十万の死神がいるらしい。彼らの内の大半は、魂を刈るため、死期の近い人間の多い場所———要は「紛争地域」や「病院」にいるそうだ。

 もちろん、前者は却下である。他の死神を見つける前に、見つけ出される側になる可能性が大だからだ。ということは、後者が最適解となる。 

 

 早速、自宅近くにある「世紀末病院」へと向かうことにした。




 世紀末病院には、イカレた患者が多く入院している。参考例としては、モヒカンの代わりにカステラを頭に乗せて「ギャハハハハハハハ! ……ゴホゴホゴホゴホ」とむせる高齢男性や、中二病が治らないまま自称112歳まで生き延びて「クックックッ……両目がもう見えん」と言っている高齢女性がいる。


 そのレベルの猛者が五万といる、少子高齢化社会が生み出した魔境。それが、この世紀末病院なのである。

 そんな世紀末病院に入ると、入ってすぐに他の死神を見つけた。さすが世紀末病院である。世紀末と付いているだけあって、人の死で溢れているらしい。

 

 俺が見つけた死神は、病院の待合席で漫画を読んでいた。タイトルを見ると、うちの死神が読んでいたのと同じ作品だった。気になったので、声のトーンを落としつつ「ドリルマンですよね、それ?」と尋ねた。

 すると、死神は読んでいた漫画を閉じ、俺の目をじぃーと見つめてくる。


「なんだ、お前は?」


「あ、はい。俺、この病院の近くに住んでいる者でして」


「そうか。院長室なら五階だぞ」


「……は?」


「なんだ。この病院の患者カモに粗相をされたことに対して、苦情を言いにきたんじゃないのか?」


「いえ、用事があるのは死神である貴女の方でして」


「私か? 死神に用事があるなんて、これまた珍しいやつだな。なんだ? 魂でも刈り取ってほしいのか? 言うてみ?」


 舌なめずりをしながら鎌に手をかける。そのまま俺の方に向け、鎌を振り下ろしてくる。恐怖から思わず、首を大きく横に振る。しかし、それはただのだった。彼女は寸止めすると、俺の様子を見て「ふはは」と不敵に笑った。


「冗談だよ冗談。死んでない奴の魂を刈る気はない。しかし、それなら私に何の用事があるって言うんだ?」


「えっと、ですね。詳しい事情は言えないんですが、仕事をしない死神がどうなるのかをお聞きしたいんですよ」


「仕事をしない? それは……どうなんだろうな。死ぬんじゃないか?」


「えっ」


「冗談だよ冗談……と言いたいが、これは紛れもない事実だ。死神は人の魂が主食のだからな。人の魂を食べないと死ぬ。死んだ死神は肉体が消滅し、存在は跡形もなく消える……って感じだ。どうだ? お前の質問の答えになかったか?」


「は、はい! それは、もう。……あ、ありがとうございます!」


 震える声でお礼を言うと、彼女は病院の奥へと消えた。それと同時に、俺の心臓がビートを刻みはじめる。これは一体、どうしたものか。このままだと、うちの彼女は死ぬことだろう。ただし、俺が死ねば話は別だ。彼女は俺の魂を喰らい、延命することができる。

 しかし、彼女は勝手に俺の家に住み着いたニートである。別に命を助けてもらったわけではないのに、どうして彼女を助ける必要があるのだろうか。


「芝刈り……はちょっと命をあげるには、安いしなぁ」


 せめて、彼女が俺に「何か」をしてくれていたのなら。俺は喜んで、彼女にこの命を差し上げていたのだが。本当に残念だ。思わずため息が漏れる。……その、刹那のことだ。

 不意に冷たいものが首に当たった。それが「鎌」であると気付いた時、俺は首から血が流れていることに気付く。思わず、魚のように口がパクパクとなる。しかし、彼女は微笑を浮かべなかった。


「別に、私はお前に助けてほしいと思っていない。……私はもう、人の魂など喰わないと決意したのだか———」


「———もしかして、俺を家からストーカーしてきたんですか?」


「いいや、そんなわけないだろ。ただ、嗅ぎ慣れたお前の匂いを辿ってきただけだ」


「鼻あったんですか? 全身骨なのに?」


「無礼なっ! 死神にも、鼻の三つや四つぐらいある。人の魂が主食の、なのだか……っ!」


 彼女は突然、人間なら心臓のある場所を抑えはじめた。そのまま、うめき声をあげながら病院の床にへたり込む。思わず俺は彼女へ駆け寄ろうとした。しかし、彼女は鎌を振り回して振り払ってきた。そうしてまた心臓のある場所を抑えると、うめき声をあげる。

 そんな姿に、つい俺は表情を曇らせる。彼女は大丈夫なのか。このまま死ぬのではないか。そんな俺の様子を彼女は見ると、フンッといつもの声を出した。


「わ……私は死神、だぞ? 数多くの……人の魂を……喰らって、きた。最悪の……生物……だ……そんな生物が……どうして、死を……恐れる……と思う……? 恐れる……わけが……なかろう……っ!」


 彼女の目は真剣そのもので、もう自分が死ぬことに対して抵抗がないように見えた。しかし、ちょうどその時だった。俺たちの目の前にイカレた高齢男性がやってきた。その男性は突然「うっ!」と言って心臓を抑えると、その場で倒れて白目を剥いた。そして、あろうことか死んでしまった。場の空気は、そのイカレた男性の手によって、一瞬で変わった。


 その亡くなった高齢男性は、口から透明でひょろひょろした魂を吐き出した。その光景に俺と彼女は呆然とする。


「あのー……食べたらどうですか、この魂?」


「お……お前っ! さっきの……私の口……上を聞いて……いなかった……の……か? 私が……死を……恐れるわ……けがない……だろ……」


「でも、別に進んで死にたいわけじゃないですよね? なんで死のうと思っているのかよく知らないですが」


「し、しかし……私にも……死神として……のプライ……ドがあ……る。一度……言った……こと……を覆す……など……死神の名折れ……では……」


 俺は目の前にいる魂を手掴みすると、彼女の前に差し出す。


「大丈夫ですよ。人の家でニート生活を満喫するイカレた死神に、折れるような名はありません。……だから、魂を食べてください」


 精一杯の笑みを浮かべて、なんとか彼女が魂を食べてくれることを祈る。すると、彼女は手に持った鎌を下ろした。そして俺の手から魂を奪うと、大きな口を開け、丸吞みにする。


「……どうですか、お味は?」


「イカレた人の味がするだけだな、クソ不味い。……全く。こんなものを食べて延命するぐらいなら、潔く死んでしまえば良かったな」


 彼女は鎌を持つと、立ち上がる。そして、微笑を浮かべる。


「それじゃあ帰るぞ、の家に」


の家、ですけどね」


「……ふんっ。そんなもの、どうだっていいだろ。私がお前を殺せば、いつだって私の家にすることができるのだからなっ!」


 彼女は珍しく気分良さげに高笑いをする。その姿につい、俺も微笑を浮かべた。

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