第56話(最終話)

 時は過ぎ、推古二十八年となった。

 厩戸皇子が太子になって既に三十年近い年月が経っていた。

 その間、法律や官僚機構の整備によって、隋をはじめ諸外国から立憲国家として認められるようになった。政情は安定し、大陸との交流で国も豊かになった。

 厩戸皇子も四十八歳。今では厩戸皇子を中心に国が動いているといっても過言ではない。摂政としての政治手腕たるや、今や全人民の信頼を受け、群臣も、彼を実質的な王として服従している。いずれ彼が偉大なる王になると誰もが信じて疑わなかった。

 厩戸皇子はもはや日本国内だけの王ではない。周辺諸国のどこもが成しえなかった、大国隋と対等な立場での同盟を結んだ。それは周辺諸国に大きな驚きをもたらし、王としての力を内外に知らしめることとなったのだ。

 推古十六年に初めて随の遣いが来日した時の話は、今でも人々の口に上がる。海柘榴市から宮へ上る飾り馬の行列には京中の人々が見とれた。額田部皇女と並んで随の遣いに面した厩戸皇子の堂々とした姿を、居並んだ群臣皆が誇りに思った。

 随が日本と国交を開いたのは、厩戸皇子が名君だったからという理由ではない。当時、朝鮮半島の高句麗と交戦状態にあった随は、随の属国である新羅の協力が必要だった。だが、随が高句麗に出兵している間に新羅が日本に攻めこまれてはやりにくい。半島情勢に関して、日本にはしばらく中立でいて欲しかったのだ。そういった条件で日本との国交が開かれたのだ。

 ともあれ、厩戸皇子の時勢を見極める能力が優れていたことは確かであり、それによって日本国の地位が向上した。

 厩戸皇子は着々と国の礎を作っていったのである。


 額田部皇女は七十歳近くになっても尚も大王位に留まり続けた。

 太子妃となった橘王が男子を産んでも、譲位する様子を見せなかった。山背皇子を太子としない為には、橘王が産んだ皇子がもう少し成長するまで時を稼がねばならないと思っていた。

 何よりも額田部皇女は、たとえ孫娘でも自分以外の女性が、大王となった厩戸皇子の隣に后として並ぶのを見たくなかったのである。


 蘇我馬子においては大王より高齢にも関わらず、息子毛人に大臣職を譲ることもなく力を奮っていた。相変わらず自分の思い通りにならない厩戸皇子を、大王の権限を増幅しようとしている厩戸皇子を、ずっと疎ましく思っている。

 数年前、馬子は病を患った。風邪をこじらせ肺炎を起こしたのである。これで最期かと観念したが何とか快癒した。

 その病床で、馬子は今後のことを思い悩んだ。

 馬子が養生している間、跡取り息子の毛人が代理として政に参加していた。その間、厩戸皇子は新しい政策を積極的に提案し、また、彼の提案は全て群臣の同意を得た。群臣の中には、厩戸皇子に反論できるほど博識で弁論の達者な者がいなかったのだ。その中には馬子の息子、毛人も含まれている。

 毛人は争いを好まず、自分の意見を押し通すことはしない。群臣の意見の調整役といった役目を、自分に課してしまっているように見えた。しかし、そうではいけないのだ。大臣は他の群臣とは違う。この国の政治を動かしているのは大臣に他ならないのだ。

 厩戸皇子が現れるまでは、政治のことは全て大臣が担ってきた。大王は大臣の決めたことを了承し、詔として発表するだけでいい。

 それが厩戸皇子が太子になってからは、厩戸皇子が納得しなければ何ひとつ動かせないようになった。

 馬子は、しばらく政治から離れることによって、事態の深刻さに気づいたのである。

 厩戸皇子が摂政になっても、馬子だからこそ対等に渡り合い、馬子の意見を通すこともできた。では、次の大臣となる息子の毛人はどうだ。大臣の息子として苦労知らずに生まれ育ったせいか、おっとりとした性格の、おおよそ政治の裏駆け引きというものが苦手なあの息子はどうだ。他の群臣はどうだ。

 厩戸皇子に反対意見を言える人間など誰ひとりいないことが、馬子の休養中に明らかになったのである。

 では厩戸皇子が大王となったら、この国は、この蘇我家はいったいどうなってしまうのか。厩戸皇子が大王になり毛人が大臣となったその時は、皆全て大王の言いなりになってしまうのではないか。或いは、寵妃の膳菩岐々美郎女の実家、膳氏に権力を奪取されてしまうのではないか。

 厩戸皇子は、正妃の橘王との間に皇子が産まれた後も、山背皇子を自分の後嗣とする姿勢を変えなかったが、それは一方で膳氏の権力の増大も想像させた。山背皇子は、膳菩岐々美郎女が産んだ異母妹、春米つきしね皇女を正妃とし、既に男子も成している。山背皇子は馬子の孫だが、山背皇子の嫡男は膳氏の孫なのだ。

 女帝は一向に譲位する気配を見せないし、風邪ひとつ引かぬ健康体である。馬子は、自分が次の大王の姿を見ることはないかもしれないと思うようになった。

 ならば、自分が大臣であるうちに、息子毛人への道筋を作っておかねばならぬ。


 馬子は快癒するとすぐに、馬子の末娘、法提郎媛を田村皇子に嫁がせた。法提郎媛は蘇我家に残るただひとりの独身の娘である。田村皇子より年上であったが、半ば強引に婚姻を決めてしまった。この娘が生まれた時には山背皇子に嫁がせるつもりでいたのだが、先に山背皇子の正妃が男子を産むと、まだ子のない田村皇子の方が蘇我家の為になると思い直したのである。

 一昨年、その法提郎媛が田村皇子の子を産んだ。産まれた男子は馬子の孫である。

 田村皇子の正妃である田目皇女は未だ子を成さず、他の妃も男子を産んでいない。田村皇子は大層喜んで、自分にもようやく後嗣ができたとかわいがっているという。

 かつて蘇我氏と何の血縁関係もなかったが為に、馬子により大王候補から除外されてしまった田村皇子の父、彦人皇子。蘇我氏と血縁を結ばなくては父の二の舞となることを、田村皇子も承知しているだろう。馬子の娘であり次期大臣毛人の異母妹である法提郎媛、彼女を妻に迎えれば蘇我氏の後援を受けられるのである。蘇我氏の力がなくては決して大王になれない田村皇子。馬子は彼に掛けてみようと思った。


 年が明け、推古二十九年一月、年初の行事が終わる頃、意を決した馬子は女帝の元を訪れた。

「先日の、新年の射礼は、普段なかなかお会いできない皇子たちとお会いできて楽しゅうございました。そうそう、田村皇子、皇子も実に立派になられましたな」

 馬子は、女帝に人払いを願うと、切り出した。

 底冷えのする午後、外は雪がちらちら舞い始めている。

「うむ、亡くなられた彦人皇子はおとなしい人物だったが、田村皇子はなかなかしっかりしています」

「太子の御子、山背皇子の方が年長なのに、田村皇子と並ぶと少々頼りなく見えますな」

「本当に。山背皇子は優しすぎる。刀自古郎女も厩戸皇子も、幼い頃から大人びていたのに、いったい誰に似たのか」

 馬子は、額田部皇女の言葉を聞いて肝が冷えたが、心の動揺を顔に出すほど若くない。

「私も、もう老い先短い。厩戸皇子が即位する姿も見れないかもしれません。このままいくと次の世には山背皇子を太子とするのでしょうな。ただ私としては田村皇子も考えてみるのもいいかと思いますがな」

 馬子の言葉に、ハタと額田部皇女が思案顔になった。

 そんな額田部皇女の様子に気づかないふりをして、馬子は続けた。

「田村皇子は、田目皇女というきちんとした正妃を娶っておられるし、我が娘との間に皇子も生まれて、この先楽しみです。山背皇子も御子が沢山おられるが、正妃は確か舂米皇女でしたか」

「膳氏の娘が産んだ子など、皇女のうちに入りません。ああ、失礼。そなたの孫の妻であった」

「いや、構いませぬ。私も山背皇子にはもっと良い妃を迎えたかったのですが、なかなかうまくいかんもので。山背皇子が立ったら舂米皇女を后とせざるを得ないでしょう。ま、その頃私はこの世にいないでしょうが」

 額田部皇女が眉間に皺を寄せた。

「あのような女の腹から生まれた娘を后とするのは、私が絶対許しません」

「そうは言っても、いずれそういう世が来ましょう。それも定め」

「いいえ、なりません」

「厩戸皇子は、即位なさったら山背皇子をその太子とされるとお考えのよう。私とて、舂米皇女を后とすることは本意ではござらぬ。とはいえ橘王の産まれた皇子はまだご幼少、しかも厩戸皇子は、膳夫人をかわいがっておられますからな。いや、待てよ、もしや太子は、山背皇子ではなく、膳夫人が生んだ泊瀬皇子をお考えでは。泊瀬皇子は太子の若い頃にそっくりだと評判ですからな。いや、でもまさか、そのようなこと、私の邪推でございますな」

 額田部皇女の顔が一層険しくなったのを、馬子は横目で確認した。

「どちらにしても詮方ない。それは厩戸皇子がお決めなさること。その時は、大王も私も、極楽浄土で見守るしかないのでしょうな」

「昔からそうであった」

 額田部皇女が呟いた。

「は?」

「邪推などではないわ。昔からあれはそうであった。膳氏の娘ばかりを贔屓にし、あの娘に魂を抜かれておるのじゃ。そうじゃ、あの娘が産んだ子を大王にと考えているのじゃ。なぜもっと早くに気づかなかったのであろう」

「まさか、そのようなことは」

 馬子は言葉を途切れさせて、額田部皇女の表情を窺った。

 額田部皇女が再び思案顔になった。

 部屋の中には、火鉢の炭が立てる微かな音だけが聞こえる。

 馬子は額田部皇女の言葉を待っていた。

「ならば」

 額田部皇女が口を開いた。

「いや……。しばらく考えさせておくれ。ええ、何らかの策を講じましょう」

 馬子は、額田部皇女の心に種を蒔くことに成功した。


 額田部皇女は、馬子を部屋の外まで見送った後も、寒い縁側に立ちつくし考えていた。

 厩戸皇子の子を成すことが不可能になってから、自分が大王になったのはいったい何の為だったのか、ずっと考えていた。

 最愛の息子竹田皇子も尾張皇子も、息子たちはこの母より先に逝ってしまった。厩戸皇子との子供を産むことも叶わず、自分の息子を大王にするのは不可能となった。ならば自分が大王になった意味とは。

 その答えが今、わかった気がした。

 厩戸皇子が大王になれば、この国は急激に変わるだろう。この二十年を見ればわかる。厩戸皇子が政を摂ってから、この国は法律も外交も大きく変化した。これからも厩戸皇子は自分のやり方で国を変えていくだろう。

 しかし、果たしてそれが本当にこの国にとって、また大王家にとって良いことなのだろうか。もしかしたら厩戸皇子を大王にしてはいけないのではないか。自分が大王になったのは、厩戸皇子が大王になることを天が許さなかったからではないだろうか。

「私の手で終わらせる時が来たのかもしれぬ」

 額田部皇女は、目を閉じた。瞼の裏に厩戸皇子の冬の月のような微笑が浮かぶ。

 とうとう自分のものにならなかった厩戸皇子の心。誰もが自分を妻にと望む世で、唯一、この自分に屈辱感を味わわせた男。

 厩戸皇子は、額田部皇女との婚姻関係を解消すると明確に言ったわけではないが、橘王と婚約した後は額田部皇女と夜を共にすることは二度となかった。実質的には、ふたりの婚姻関係は終わったと言えるだろう。

 自分の元へは頻繁に通わなかったのに、橘王とは既にふたりの子をもうけている。自分とはだめでも若い橘王ならいいのか。なんという地獄。愛する男が他の女の元へ通うのを、黙って見続けねばならぬとは。愛する男が他の女に産ませた子が大王になるのを、甘んじて受け入れねばならぬとは。

 厩戸皇子は、歳を取ったとはいえその凛々しさは変わりない。しかしそれは決して自分の手に入ることのない。その聡明さも、優雅さも、妖しさをたたえた魅惑の瞳も、冷ややかな唇も、狂おしいほどに愛おしい厩戸皇子の全てはもはや自分のものではない。

 この先も、橘王は子を成すだろうし、何人もの若い女が厩戸皇子の心を惹きつけるかもしれない。その度に、厩戸皇子が自分ではない誰かを愛するのを横目で見ながら、修羅を燃やし身悶えするのだ。生きている限り、厩戸皇子の存在は自尊心を傷つけ、苦しめ続ける。この先もずっと、この心の臓をいばらの棘で巻かれながら生きるのだ。

 自分はもう厩戸皇子の子を産めない。女としての魅力も衰えた。もはや自分には皇子を手に入れる術はない。手に入らないのなら、いっそ死んでくれたほうがましだ。 

 額田部皇女は再び目を庭へ向けた。地面はうっすらと斑に白くなっている。

 澱んだ空から落ちてくる雪は、やがて庭を真っ白に塗り尽くす。女帝の心に降る邪気は、全てを埋め尽くすまで永久に降り積もるのだ。白魔の如く、その心を夜叉と変えるその日まで。

「私がこの手で終わらせねばならぬ」

 額田部皇女は再び呟いた。(了)

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女帝の憂鬱・皇子の受難 桃園沙里 @momozono_sari

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